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恋愛

2015年10月13日 (火)

女子が胸キュンしそうな恋愛シチュエーション

 トレンディドラマを恋愛バイブルにしている若いカップルは多い。かくいう私が20代の頃は、「東京ラブストーリー」がそうだったし、鈴木保奈美や浅野温子がその中心にいた。よく女の子は「恋に恋している自分が好き」という言葉を耳にする。恋愛ストーリーの主人公に自分がいて、イケメンの彼氏を想像し、自分をドラマのヒロインに置き換える傾向がある。映画やドラマのワンシーンに憧れ、理想のデートを妄想したり、話すセリフにも凝ってみたり、まるでどこかでカメラが回っているかのような印象さえ感じることがある。今日は、参考になるかは不明だが、そんなヤングカップル必見の恋愛ストーリーを地で行くドラマを特集したい。やはり恋愛ドラマの主役はこの人です。

 木村拓哉&柴咲コウ主演「Good Luck!」のラストシーン

 このラストシーンが入っている最終話(10話)はコチラ

 ANAを舞台に、木村演じる若手の旅客機パイロット・新海元を中心に、恋愛と仕事に生きる人達を描く青春ドラマ。ヒロインは柴咲コウ。共演に堤真一、黒木瞳、竹中直人、いかりや長介など豪華俳優陣が脇に集まった。
 第1話放送後から、撮影に全面協力していたANAの株価が上昇。ドラマ放送後、JALなど航空業界への就職希望者が急増する現象が起き、柴咲演じる整備士を志願する女性も多くいた。この航空業界への就職ブームについては、当のTBSのニュース番組の中で当時取り上げられた。
 放送は2003年1月19日から3月23日。時間は日曜日21:00 - 21:54(第1話は21:00 - 22:09、第9話は21:00 - 21:59、最終話は21:03 - 22:09、全10回。平均視聴率30.6%、最高視聴率は37.6%を記録した。 主題歌の山下達郎の名曲「Ride on Time」が雰囲気を盛り上げた。
 航空業界のイメージアップには、トレンディドラマとして取り上げることで激変する。かつて「アテンションプリーズ」「虹のエアポート」「スチュワーデス物語」が放送された時には「スチュワーデス(今でいうCA)」や「パイロット」の志願者が急増し、「東京CONTROL」や「東京エアポート」が放送されると「航空管制官」への志願者が殺到した。

 「ラブジェネレーション」 木村拓哉&松たかこ 

 どうしても世代的には木村拓哉主演のドラマが思い浮かぶ。世の女性のハートをどれだけ虜にしたことだろう。彼は私よりも年下だが、女性が恋い焦がれ、憧れるラブシチュエーションをすべて網羅してくれる「粋な」俳優だ。

 ロングバケーション 木村拓哉&山口智子

コチラも必見 https://www.youtube.com/watch?v=KNrJGQ-51ZI

Senaのピアノ https://www.youtube.com/watch?v=mosxg9um8aY

 どの動画を見ても恋人同士の甘い囁きやムードが漂ってきそう。その場面や情景が浮かぶほど、心臓の鼓動のドキドキが伝わってくる。たぶん周囲の状況が見えなくなるくらい二人だけの世界が広がっているのだろう。お互いに目の前にいるこの人が愛しくて、欲しくてたまらなくなる。そんな感情の盛り上がる瞬間が人には誰にでもあるに違いない。人生の中で最高に盛り上がる瞬間・・・。若い頃はこうした経験が大切で、相手を思いやる気持ちなどは、こうした恋愛感情から育まれると思う。この人しかいないと思った時に、自然と結婚を意識するようになる、そんな気がする。

 キムタクのキスシーン集はコチラ

 最後にキムタク以外の胸キュンドラマシーンを

 岩田剛典&石原さとみ

 さて、今日は年甲斐もなく、このような話題に終始した。確かに胸キュンしそうなシチュエーションばかりを集めたが、受け取る側によっては、まだまだと感じる方もいるかもしれない。今をときめく福士蒼汰やこのほど結婚を発表した福山雅治に心酔していた方も多いことだろう。しかし、現実的にはこのようなイケメン俳優を彼氏にできる確率は低く、夢のような恋愛シチュエーションはなかなか訪れる機会は少ない。理想と現実を見極め、ある程度は妥協も必要かもしれない。
 実際、あなたが参考にしたい場面は含まれていたでしょうか?若いカップルにはぜひご覧いただきたいと思い、清水の舞台から飛び降りるつもりで作成した今回の記事もそろそろ結びとしたいと思う。

 記事作成:10月12日(月)

2009年5月 5日 (火)

淡い初恋、叶わぬ恋 ・・・

 もう30年以上も前の出来事を、今更むし返すつもりなどさらさらないが、僕の胸の内に仕舞い込んでいた甘くも切ない初恋の想い出。何気ない暮らしの中で、ふとした瞬間に脳裏に浮かぶ彼女の横顔。決して忘れられない大切な日々。アラフォー過ぎの中年男が振り返るには、歯が浮きそうな遠い昔の恋物語だが、ブログという形でなら差し障りのない範囲でなんとか話が伝えられそうだ。

 彼女と出逢ったのは小6の春のこと。同じ英語塾に通う、同じ歳のいかにも知的で清楚という言葉がぴったりの優しい笑顔が印象的な長い黒髪の女の子だった。一見して育ちの良い、いいところのお嬢さん風の彼女だった。ひと目彼女を見て、僕はそれまで経験したことがないほどの胸の高鳴りを覚えた。英語塾といっても、女性教師一人が自宅でやりくりしている、1クラス6名程度の少人数制で、アットホームな所だった。僕はひとつのテーブルを挟んで、彼女とは対角線の席で、毎回90分のレッスンを週2回受けていた。彼女は英語が得意で、いとも簡単に英文を暗記し、定期テストはいつも満点だった。出来損ないの僕とは釣り合わない憧れの存在で、俗に言う高嶺の花だった。その後、僕と彼女は中3の夏まで同じ時間、同じ空間を共有していた。その間も彼女のことがずっと気になっていて、当たり前のようだがもっとよく彼女のことを知りたくなって行った。すると彼女と塾の先生が交わす何気ない会話から、彼女の祖母が塾の近くで書道教室を開いていることが判明した。そして彼女の家が、僕の家からは10km以上も離れた隣町であることも。

 当時、僕は野球部に所属し、毎日へとへとになるまで練習し、その後で週2回、その塾にも通っていた。そのため疲れてしまい、塾では居眠りや自分の頭の悪さを被い隠そうと時々席を離れてはおふざけばかりしていた。そんな僕を彼女が相手にしてくれるはずはないし、きっと迷惑な存在だろうと勝手に決めつけていた。でも彼女に会える、いや正確に言うと彼女の横顔を眺めていられる週2回の塾は、僕にとって至福の時で、特別な時間だった。

 そんな時間は束の間で、やがて転機となるような運命の出来事が2人に訪れた。彼女が家の都合で、僕とは違う曜日に塾通いの時間を変更してしまったのだ。「もう二度と彼女に会えないのか…」そう思うと僕はすっかりやる気が失せ、塾に行くのも嫌になった。きっとうるさい僕に嫌気がさして、自ら僕と顔を合わせなくて済む時間帯を希望したんだろうとさえ思った。このまま会えなくなってしまうのが我慢できず、僕は意を決して、当時僕にできる精一杯の或る行動に出た。中3の正月に、書道教室に彼女の名前で年賀状を送った。「塾で会えなくなって残念です」という文章と共に、「笑顔の素敵な君へ」の言葉を添えて。突然の葉書にさぞかし驚いたに違いない。すると思いもよらぬ返事が僕の元に届いた。そこには「私が笑顔が素敵な君」なら、僕は「笑顔が爽やかなあなたがぴったりです」という一筆が綴られてあった。僕は一瞬自分の目を疑った。「もしかして彼女も僕のことを・・・」「いやそんな筈はない・・・妄想だ」などと自問自答を繰り返した。でも、お互い高校受験が目前だったので、支障をきたさぬよう、その後何回か励ましの手紙をやり取りするだけにとどまった。

 その数ヶ月後、僕はなんとか無事、希望の公立高校に合格し、塾の先生に挨拶をしに行った。同じく合格を果たした塾生達が何人か報告に来ていたが、そこに彼女の姿はなかった。僕は気になって久しぶりに彼女に手紙を書いた。すると「高校受験に失敗してあなたに会わせる顔がない。でも、もし私立高校に通う私でも良かったら、今までと変わらぬおつきあいをしてほしい」そんな旨の返事だった。「もしかして僕が余計な葉書を送ったから、それまで成績優秀だった彼女を悩ませてしまい、受験に身が入らなくなってしまったのだろうか」僕はその事が心配になった。僕にとっては、彼女がどこの高校にいようが関係なかった。彼女と何とかしてつながっていたい。その一心だった。そして、手紙にはその高校の制服を身に纏った彼女の凛々しい写真も同封されていた。その後、手紙のやりとりが半年くらい続いた。かたことだが、2人が出会うきっかけとなった英語を使って、気取って手紙を書いたこともあった。また、3年間も一緒の塾にいたのに、実はお互いのことを知らないことが多くあったので、それぞれ好きなものなどを書き綴ってプロフィールの交換などをした記憶がある。

 そんな純粋かつ楽しいやりとりがしばらく続いた後、塾で会えなくなってから1年くらい経った頃、僕はどうしても彼女の顔が見たくなり、久しぶりに2人で会う約束をした。しかしその当日、急な用事ができてしまい、僕は待ち合わせの公園に行けなくなった。もちろん、彼女の家の電話番号を知らず、当時はケータイなどなかった時代。それを知らせる術などなかった。きっと怒って愛想をつかすに違いなかった。後日、そのことを詫びる手紙をしたためた。すると「その日、私も用事があって遅れてしまい、待ち合わせ場所に着いた時は、既に僕の姿はなく、会えなくてゴメンなさい」とだけ書かれてあった。「なんという思いやりのある子だろう」 僕は彼女がますます愛おしくなった。しかしその後、お互い高校生活が忙しくなり、手紙の回数が徐々に減り、音信不通の状態が1か月、2カ月と過ぎ、それでお互い気まずくなったのか、いつしかそのまま手紙を出さなくなり、2人の関係は自然消滅してしまった。

 お粗末ながら、これが僕の初恋だった。人から見れば「なんて情けないやつだ」「お前は本当に彼女のこと大切に思っていたのかよ」とお叱りを受けそうな醜態ぶりだが、当時の僕には「女の子と付き合うことがどういうことなのか」「デートってどうすればいいのか」「2人っきりで何を話せばいいのか」それすらもわからない、初心な意気地無しのダメ男だった。その後、何人かの女性とお付き合いしたが、彼女のことがいつも心の片隅にあって、時々「今頃、彼女はどこで何をしているだろう」と気に掛けていた。やがて僕が25歳くらいの時、人づてに「彼女は高校卒業後に出逢った彼と、彼女が20歳の時に結婚して、隣の県にお嫁に行き、今では子供もいる」ことを聞いた。私自身、それを知って長年の呪縛から解放された気がした。私も妻子持ちの身となった今、彼女もきっとどこかの空の下で幸せな家庭を築いているに違いない。そうあってほしいと心底思っている。

 えてして初恋は実を結ばないもの。でも「あの時、公園に行って彼女と会っていたらどうなっていただろう。」と思い返す時がある。もしかして運命はその時変っていたのかもしれない。(すべては神様が仕組んだことだと思うが・・・) しかしそれ以来、なぜか僕は近所にありながら一度もその公園を訪れてはいない。 

 いったんは若き日の佳き想い出として、胸の奥に仕舞い込んだ私の淡い初恋は、甘酸っぱくもほろ苦い経験とともに、まるで空に浮かぶうろこ雲のように、風に吹かれ今もさまよい続けている・・・。

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