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2020年3月11日 (水)

震災の記憶(9周年)

 今日であの未曾有の大災害をもたらした「東日本大震災」から丸9年が経過し、10年目を迎えることとなった。2万人近い人々が地震や津波によって命を落とした。街を見渡せば、未だに瓦屋根があの日のまま放置されていたり、ブルーシートがかけられたままの光景があちこちに見られる。一見、表面上は平静を取り戻したかのように見えるが、主な施設や公園には忌々しい放射線値を測るモニタリングポストが立ち、未だに農業・水産業は大打撃を受けたままである。外部&内部被曝によって、いつ甲状腺がん発病するかわからない状況下で、我が故郷・郡山は、あまりニュースで取り上げられなくなった「原発」の見えない恐怖と背中合わせの中で、生活しているのである。今日は、丸9年を迎えた震災記念日にあたることから、早く忘れたい記憶ではあるが、決して忘れてはならぬあの日の出来事を記憶の中に残すべく、震災の日のことを回顧し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、合わせて黙祷を捧げ、追悼も行いたい。

 平成23年3月11日(月)午後2時46分

 その日は休暇を貰い、午前中、息子の中学校の卒業式に参列した。その後、和風レストラン「まるまつ」で昼食をとり、その後、「K'sデンキ」でブルーレイデッキの商談をし、時間潰しに思いつきで「ブックマート」に立ち寄り、立ち読みをしていたのだった。

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左上の場所で携帯の「緊急地震速報」が鳴り、急いでカウンター左側の出口へ駆け足。
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間髪入れずに体験したことがないような大きな揺れが襲いかかった。外では車が前後に激しく揺れ、今にも飛び出しそうだった。大きなガラスにヒビが入った。長くてなかなか収まらなかった。
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この外灯が倒れてきそうな感じだった。ほどなく入口から次々と人が外へ飛び出してきた。車に飛び乗り、車が前に飛び出ないように必死でブレーキペダルを踏み続けた。
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  車内から見ると、目の前の4階建てマンションが前後に傾くように大きく揺れ、隣りの和風レストランの瓦屋根が次々と落下。運転席で必死にブレーキをかけながら「早くおさまれ!」と祈りながら「うわっうわっ!」としか言葉が出て来なかった。この時、とんでもない大変な出来事が起こってしまったことを悟った。

 そして突如周辺は猛吹雪に・・・。この世の終わりを思わせるような長くて激しい揺れが続いた。3分くらい大きな揺れが続いた後、ようやく収まってきたところで、自宅や実家の状況が気になり、ひとまず自宅へ向かう。信号が消え、かっぱ寿司の東側の狭い通路を迂回した。ファミマの交差点から左折し、R49に入り、バイパスを駆け上がってとにかく自宅まで飛ばして帰った。すると幸いにも自宅は崩れてはいなかった。断続的に大きな揺れが襲いかかり、自宅前の電柱が大きく揺れる余震が続いた。家具が倒れ、玄関から容易に室内に入れない状況だった。やがて昼食から息子たちが帰宅し、家族の無事を確認した。更にワンセグで状況確認。次々飛び込んでくる情報で、災害の状況が明らかに。「大津波警報」という聞きなれない文言がテロップで流れ、アナウンサーの必死の形相で事の重大さを認識したのだった。幸い自宅は停電は免れたが、水道がストップした状態だった。電話は震災直後からまるで通じず、実家の安否は不明だった。

 動画で振り返る福島県(郡山中心)の状況

 ① ラジオ福島(2分41秒から)

 スタジオの物音から判断すると、2分41秒から5分24秒までずっと大きな揺れが続いていたことが解る。つまり2分43秒もの長い間、震度6クラスの大地震が継続して発生していたことになる。深作アナウンサーは努めて冷静に身の安全の確保を訴え続けた。一切取り乱すこともなく、アナウンサーの鑑だ。

 ② 郡山市内の店舗のカメラ

http://www.youtube.com/watch?v=iuL5szlZIkY

http://www.youtube.com/watch?v=RAA18wCKpzw

http://www.youtube.com/watch?v=FX7l1-0CXRc

http://www.youtube.com/watch?v=w3dy4DUPH88

 ③ 堂前の小料理屋の客が撮影した動画

http://www.youtube.com/watch?v=FqQIc0Jic0g

 ④ アミューズパーク郡山(旧郡山スケートセンター)

http://www.youtube.com/watch?v=DwP5VLVonJ4

 ⑤ FTVの社内カメラ

http://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

 ⑥ 4号バイパス(日和田のJUSCO前付近)

http://www.youtube.com/watch?v=hJvidAganrc

 ⑦ うすい百貨店周辺

http://www.youtube.com/watch?v=J7yubGtkKMQ

http://www.youtube.com/watch?v=QK2O5lrRurk

 ⑧ 郡山駅

http://www.youtube.com/watch?v=NWuwHtZtHfY

http://www.youtube.com/watch?v=emyJZTklhhs

 ⑨ 富田町界隈(カインズホーム)

http://www.youtube.com/watch?v=RUY5buYYLWM

 ⑩ 震災後の状況(外国人撮影)

http://www.youtube.com/watch?v=zUGs3V85uAo

http://www.youtube.com/watch?v=jWfNct5imr8

 ⑪ 福島第一原発の水蒸気爆発

http://www.youtube.com/watch?v=r3tG_E0XGck

http://www.youtube.com/watch?v=eLr5_UxhoTA

http://www.youtube.com/watch?v=7V-0XBdS86A&list=PLD19730E43CC6D63F

 「東日本大震災120秒で振り返る衝撃映像集」 *閲覧注意

 「東日本大震災」国家存亡の危機180秒映像! *閲覧注意

 「1000年後に残したい映像」

http://www.youtube.com/watch?v=dkdHZKefQOI

 「MIRAI2061」

 これは私の中学の同級生(同じクラスだった)箭内道彦がプロデュースしたムービーだ。私の好きな清野菜名さんが出演している。

 今も放射線被害が続き、風評被害にも苛まれている状況が続いている。農業、水産業は再開の目処が立たない状況が続いている。原発周辺の町(大熊・双葉・浪江・富岡)は未だに立ち入り制限されたままで、誰も住めない状態である。避難所生活や仮設住宅に移住したままである。県外に散らばった県民は、一体いつになれば故郷に戻れるかわからない。この2年、未曾有の災害だったこともあり、政府の対応は後手後手で、未だに私が暮らす郡山市は除染が進まないでいる。いつになったら元の平穏な生活に戻れるか先が見えないが、福島県民としてプライドを失わず、前を向いて協力しながら一歩ずつ前進していきたい。

 今、あの日から6年たっても未だに疑問に思うことがある。それは2,556人もの人たちが津波で行方不明になっているが、海沿いに住んでいた人たちは、あれほどの体験したことがない巨大地震に襲われ、「大津波警報」が出されていたにもかかわらず、なぜ津波の犠牲になったのか?津波の襲来まで20~30分は逃げる時間があった筈だ。津波に対しての過信があって逃げなかったのか?それとも逃げるための足が無かったのか?みすみす津波が来るのを傍観していたのか?家族の安否を気遣い、自宅に戻る途中で巻き込まれて犠牲になったのか?防波堤を越えて、まさかここまでは津波がやって来ないだろうという油断があったのか?
 私だったら、海釣りをやる身として、海の近くに住んでいる方々というのは、私以上に、地震や津波に対する備えや気構えはあったと思うのだが・・・。
 犠牲になられた方には不謹慎かもしれないが、逃げずしてみすみす命を落とした人も多いのではないだろうか?

 最後に被災者の皆さんに激励のソングをお届けしたいと思います。

  門馬よし彦 「願い」

https://www.youtube.com/watch?v=KQP9WIPRwHc

 震災からの記録「願い」」が完成しました。写真は、3月11日の東日本大震災以来、ラジオ福島の大和田新アナウンサーが報道取材時に撮影したものです。写真一枚一枚に人々の苦悩や悲しみを感じ、復興への道を力強く歩まなければならないことを再認識させられます。まだまだこれからです。私たちは歩み続けます。子どもたちの未来のために・・・・

 群青

 福島県南相馬市小高区。東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置し、原発事故後に「警戒区域」に指定された。今もおよそ1万2000人の住民が避難生活を送っている。その小高区で唯一の中学校だった小高中学校は、現在、原発から北に37キロ離れた鹿島小学校の一角に建てられた仮設校舎で授業を行っている。

 <普天間かおり 「Smile Again」

  ♪負けないで 負けないで 生きてゆくこと あきらめないで

           がんばって がんばって たくさんの愛が見守っているよ♪

  福島県で亡くなられた方、1,612人、行方不明者202名 

 また東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

 

2018年4月21日 (土)

福島県の懐かしい映像集

 今日は、このブログを始めたきっかけというかコンセプトに回帰したい。「時遊人」とはタイムマシンの如く、昔の出来事を振り返ったり、昔慣れ親しんだものを回顧して懐かしむと言った趣旨で始めたのだった。来週で最終回を迎えるにあたり、原点回帰し、我が福島県で懐かしい物を特集し、映像で振り返りたい。

 原町無線塔

 1980年代まで存在した東洋一と言われた無線塔。高さ200mを越える高層建造物だった。原町市(現在の南相馬市)にあった。市内のどこからでも見えたシンボルタワーで、ラウンドマーク的な存在だった。老朽化によって1981年に解体された。

 https://www.youtube.com/watch?v=2REQsNrpu8U&t=17s

 8ミリのカタカタ音が時代を物語っている。

 以下「http://shi.na.coocan.jp/haramachimusentou.html」より抜粋します。

 原町無線塔は、大正10年に開局した磐城無線電信局原町送信所の主塔の通称で、原町市民及び私達原町市出身者は原町市(現在の南相馬市原町区)のシンボルとして親しんできました。
 無線塔は高さ約200mの鉄筋コンクリート製で、開局当時は東洋一の高さと機能を誇る送信所であり、周りに5本鉄柱製の塔がありその間にアンテナ線が張られていたそうです。
日本から外国に通信することができる唯一の施設で、大正12年に起こった関東大震災の第一報をアメリカほかの世界へに打電した事で有名です。昭和8年にはその役割を終えて原町送信所は廃止されました。
 無線塔は、原町市のシンボルとして市民生活の中に溶け込み、国道6号線で帰省するとき無線塔が目の前に見えてくると「あぁ、原町に着いたな」と私達の目印にもなっていました。
海で漁をする漁船からの目印としても使われていたそうです。
 
残念ながら、昭和56年に鉄筋コンクリートの老朽化のため解体されました。現在は、「憶原町無線塔」として20分の1のミニ無線塔が記念に建てられています。

 画像や映像を見ると、本当に高い。地震で崩れることはなかったのだろうか?まるでバベルの塔の如く聳え立っている。

 FTVニュースの歴代オープニング集

 FTVニュースの歴代オープニング全集です。(FTVニュース放送期間:1963年-2015年、
FTVこんやのニュース放送期間:2015年-2017年、FTVユアタイムクイック放送期間:2017年
FTV THE NEWSα Pick放送期間:2017年-)

 このFTVニュースは平日の20:54から3分間放送されている地元のニュースだ。

 平成30年3月末まで放送していた「FTVみんのニュース」のOPテーマはコチラ

 

 こういう映像を編集し、動画サイトにアップしてくれる方がいて有り難い。

 ワイドユー福島の番宣(1分2秒後から)

 1989年に流れていたCMなので、29年も前のもの。私が好きだった「佐藤千春」アナも出演している。佐藤アナの髪型はバブリーな雰囲気が漂う。ソバージュやワンレンが流行った時期だ。

 福島県内のタクシーCM

 これは懐かしい。昭和50年代に放送されていたマルイチ根本グループのタクシーCM。今は無き「共同石油」のGSも登場する。

  大七酒造

 二本松にある大七酒造は世界的に有名な醸造メーカーだ。主力の「大七生もと」はもちろん、「箕輪門」などがある。この蔵元は「全国新酒鑑評会」には目もくれず、世界的な権威の品評会に出品し、グランプリを獲得するなど、文字通りレベルもラベルも違う。
 このCMは1999年に放送されていた。つまりもう19年前だ。ついこの前のように感じてしまう。

 記事作成:4月15日(日)

 

2018年4月 8日 (日)

本日、桜日和・・・。

 今日(4月8日)、気温4℃の底冷えの中、早起きして開成山公園の花見に行って来た。この時期を逃すと一年先まで見られないため、どんよりとした曇り空の中だったが、満開の桜を堪能してきた。

 7:02 自宅発 内環状線経由でトライアルに立ち寄り、食料を買い込む。867円
 7:12 トライアルを発ち、内環状線、さくら通りへ。紺系の「ビュート」に煽られる。
 7:15 開成山の駐車場へ 「ヒロセ開成山陸上競技場」、「ヨーク開成山スタジアム」、
      「郡山しんきん開成山プール」など「ネーミングライツ」(命名権)が花盛りだ。

 7:15~7:45 僅か30分だけだったが、手がかじかむ冷たさの中、園路を歩いた。  

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上の画像の左下に写っているマンションから、昨日「サタふく」で浜中順子アナが中継した。去年は逢瀬公園で出くわした。芝生には気温4℃の底冷えの中、大学生らしき3人がビニールシートを広げ、毛布にくるまって場所取り。車に手袋を置いてきてしまった・・・。

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上の画像が映画「時をかける少女」で主演の仲里依紗がエンディングで歩いた桜並木。立入禁止だったため、背伸びして撮影した。ライトアップは22時まで行っている。

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 園路を進み、桜並木のトンネル付近まで来ると、「ダルライザー」?らしき戦隊ヒーローの着ぐるみを来た撮影クルーが目の前に・・・。ロケ中らしかったが、場違いな派手な衣装でかなり浮いていた・・・。
 中に入っている人とすれ違った際、「超恥ずかしいんですけど・・」と話しているのが聞こえた。上の画像の左側に小さく映っている面々だ。

 この日の「ゴジてれSUN×SUN」を見て、これが郡山に新しく誕生したご当地ヒーロー「ダバイザー」であることがわかった。どうやら郡山の語尾に使う方言「~だばい」から付けたようだ。

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昨日の強風で結構散り始めている。あと2~3日しか持たない。花の命は短い。

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 ある目的のために、持参した茶碗を取り出し、開拓記念塔の小滝から水を汲み、芝生に落ちていた桜の花びらを浮かべ、写メ。

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 あまりにも冷え込みがきつくて、30分の滞在に留まった。SL広場や開成山大神宮にも足を運びたかったが、限界だった。

 健康に感謝しながら、また来年、花見ができることを願いたい。

7:45発 内環状線経由
7:52 帰宅 すると小雨が降り始めた。1時間以内で桜見物ができる幸せをかみしめた或る朝の出来事となった。

 記事作成:4月8日(日)
 

2018年4月 5日 (木)

温泉リハビリと霞ヶ城桜見物の巻

 本日は台湾に関する記事を掲載する予定だったが、思わぬ形で有休が貰えたため、先週末にタイヤ交換の際に腰を痛めてしまったこともあって、リハビリを兼ねて昨秋の10月12日に訪れた中ノ沢温泉に療養に訪れることにした。平日なら比較的空いている三春滝桜見物でも良かったのだが、あまり人が多い場所には近寄りがたく、しかもテレビ中継に遭遇しようものなら、一発で家内に仕事を休んだことがバレてしまうので、それは回避した。

 4月5日(木)くもり/晴れ

 6:59 いつもと同じように自宅を出る。フロントガラスが黄砂で茶色く汚れていた。いつ
     もとは違うルートで喜久田街道を北西へ。バイパスと高速の下をくぐると、前方に
     青空にくっきりと浮かび上がるように見事な安達太良山が・・・。

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 7:08 藤田川沿いの駐車場へ 桜見物 なんと気温4℃ ひんやり冷たい外気 先客
     1名 七分咲きという感じ それでも今年初の桜を満喫 下ナイロンジャージでは
     寒い

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 7:22 トライアル喜久田店 買い物 なぜか衣料品3点と生寿司、サラダ巻、お菓子、電
     池、パン、おにぎり、ペット茶など13点購入で2,072円也

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 7:30 発 R49線を馬鹿みたいにのんびり進む 時間調整で熱海へ立ち寄る

 7:39 ユラックス熱海P着 ここは午前9時から営業開始 ゆえに風車の園内を散策
     寒い 桜はほぼ満開 梅や桃との競演 写真撮りまくる Pで生寿司を食す

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 7:55 ユラックス熱海発 駅前へ すると磐光ホテルがあった場所に人工芝のグラウン
     ドと立派なクラブハウスがほぼ工事完了していた!そこを素通りして駅のPへ駐車
     無人の熱海駅前足湯へ 5分ほど浸かるが火傷 足首から下が赤くゆで上がる
     傷口にはよさげ すぐに痒くなる 地元の老人、ひとり言を言い喫煙し始める無礼
     こういう老害はいらん

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 8:05 熱海駅前を出発 スポーツセンター周辺を散策し写メ その後8:08熱海発
     制限速度を遵守し、のんびり走る ふれあい牧場先、母成峠へ 50~60ペース
     道路に雪なし 冬枯れの木立のまま 道路の日陰に残雪少々ある程度ノーマル
     OK 県道34号

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 8:30 母成峠山頂Pへ 31.5km 気温2℃ 真冬並みの冷え込み 石碑
      磐梯山の稜線くっきり 沼尻スキー場の男坂女坂、雪まったくなし

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 8:42 大阪屋Pへ 36.4km フロントで500円払い 入浴へ 2回目 無人
     裸で外へ出たらめちゃ寒い 岩風呂、湯気が心地よい 湯の花 写メ撮りまくる
     石段からは隣接の旅館から男湯丸見え状態 県道の旅館通りやPからも丸見え
     気分爽快 傷口、全身のかゆみに効く シャワー、4つあるが、ひとつしかお湯出
    ない

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 9:07には風呂から上がる(約20分で十分) ドライヤーで髪や全身を乾かす

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 9:15 大阪屋旅館発 R115を福島方面へ すぐ左折。

 9:18 姫沼へ 誰もいない 姫沼レストランの廃墟が不気味 なぜか布団が散乱 犯罪
     の匂い・・・死体とかありそう 親父との想い出に浸る

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 9:21 姫沼発 土湯道路 ノーマルタイヤでOK 雪無し 箕輪の山、白銀 キラキラ眩し
     い 交通量少ない 箕輪スキー場青空に映える 雪も少なくなっているが営業中

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 9:28 箕輪の土湯トンネルへ 下り坂、カーブから福島市内を一望 光って綺麗
     我が娘はそこで仕事中・・・ 
 9:34 展望台P 先客いて写メ撮れない
 9:38 土湯レストハウス前左折 本宮(塩沢)方面へ左折ここまで55km
     塩沢スキー場方面へ右折してぐるり回り込む 県道354へ
 
 9:43 東北サファリパーク&エビスサーキットのゲートが・・・こんな場所にあったとは
     風もなく穏やかな日和 道沿い、石碑が多く不気味

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     霞ヶ城方面へ右折 高速沿いに進む 標識通りに進むと城公園の西側のアクセ
    スへ 里山の風景 山桜 アマチュアカメラマン多数 桜並木満開

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 9:55 霞ヶ城天守閣下のPへ 先客20人以上 シーズンで観光客いる
     安達太良山の稜線が青空に映える 風も弱く最高 ここに平川アナも来た・・・・

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10:05 霞ヶ城公園内箕輪門下のPへ移動 車内に醤油の臭いが充満

     歩いて園内を散策 二本松少年隊の像、戦死の碑で合掌 石垣と桜が映える
    箕輪門をくぐる 桜が一斉にお出迎え 露店が並ぶ 花見団子や玉嶋屋の玉羊羹
    薄桃色の桜が見頃 ここは「桜の名所100選の地」になっている名所 蓮沼 
    桜の写真撮りまくる ここまでで100枚! PC巡回

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10:29 霞ヶ城公園発 小学校の前を通り、次の三差路から右折し、坂を上り下り亀ヶ谷
    交差点へ 提灯祭りのハイライトの場所 かつては歩道橋があったロータリー

10:35 光現寺Pへ72.3km 母方のご先祖が眠る墓をお参り 比較的墓の周囲きれい
     10分ほどで出発 バイパスを行かずに市街地(旧4号沿い)を通る 信号多い
     ぽかぽか陽気 車内は暑いほど

10:55 枡記念病院前ー11:06 本宮IC前 4号線白バイ2台 この季節か
           R4 本宮付近でストリートビュー撮影と思しき車を発見

11:15 バイパス下り、郵便局経由(保険料過払い金払い戻し手続き)なぜか先客10人
     はいたのに、俺が終わり、帰る頃には1人。駐車場もそう 先に入られる不思議
11:29 帰宅 幸い 家内は不在 

     体から温泉の硫黄臭が出てバレそう

 午前中でこれだけ多くのことを満喫できた。午後から仕事でも良かったくらい。
 命の洗濯第二弾で明日から超忙しくなる前にのんびり楽しめた。桜で一句考えて「ふくしま五七GO!」に応募したいくらいだ。 
 

 
 
 

 

2018年3月26日 (月)

私が一番好きな場所

 人は誰しも自分のお気に入りの場所があると思う。悩みがある時、苦しい時、何かうれしいことがあった時、決まって訪ねたい場所が。そこに行けば妙に心が落ち着いて、自分自身を取り戻せる、そんな場所が。

 私にもそういう心のよりどころのような場所がある。それは、当ブログで何度も掲載しているが、郡山の西部、片平町よりさらに奥に行った河内という集落があるが、その外れの森林に覆われた小高い場所にそのスポットがある。

 そこは「菅舩神社」だ。実は、3月25日(日)の午前中にもお参りに行った。その時の模様をルポしたい。

 8:37 自宅発 小雨の中をインター線を西へ R49を横切り、セブンを左折
     片平のベニマルの前を通過し、右折して県道河内線へ。気温7℃
     小雨だが西の空は明るい 王宮伊豆神社前を通過 ここからまだ3.5kmある
     左折すれば逢瀬公園へ向かう十字路交差点をそのまま直進 河内集落を右左折
     菅舩神社の石碑へ。そしてくねくねした田んぼの一本道へ 小さな明神橋を渡る

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 8:52 菅舩神社の鳥居下へ到着 自宅から15分で来た 距離は10.1km
     いつものことながら誰も参拝者はいない。し~んと静まり返っている。
     早速苔むした石段を上る。距離にて150mくらいだ。
     各鳥居をくぐる際に立ち止まって拝礼。いつも誰もいない社務所に明かりが・・・
     みると宮司らしき人と目が合い、挨拶するが、無視された。ちょっと落胆

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     2分ほどで境内の門へ ここでも一礼 ここは皇后陛下も訪れ、植樹した由緒正し
    き場所。境内(本堂)も立派。もちろん二礼二拍一礼して賽銭を入れ儀礼にのっとっ
    て拝礼し、平成29年度のお礼と新年度からの安全祈願をした。
     ここは訪れる人も少ないのに、なぜか防犯カメラがセットしてある。賽銭泥棒でもい
    るのか?3分ほどで戻る。何か祭事でもあるのか?駐車場の大きな家から荷物を
    持った男の人が石段を上がって社務所へ向かっていた。普段、人影がない場所でこ
    の動きは初だった。

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 9:01 菅舩神社を後にした。帰りトライアル喜久田店で買い物をし、9:44に帰宅した。
     自宅から往復で25.6km 1時間7分で往復し、寄り道も可能なお手軽スポット
     だ。

 さて、私のブログはあとわずかで終了するが、私のブログを読んで、行ってみたいと思ってくれた方がいれば嬉しいし、たまたま偶然に居合わせて、「SUZUさんですか?」と訊かれるのを密かに期待していたが、そんな体験は今まで一度もない。それもそのはず、これまで私は2年前にこの神社の存在を知り、以来、土日を中心に10回以上足を運んで来たが、いつ行っても無人。そういう嬉しい出逢いなど起きようもない環境にある。 
 
 たぶん、郡山市民でもこんな素敵な心安らぐ場所があるなんて気づかない知らない筈だ。足掛け45年間も郡山に住んだ私でも知らなかったくらいだから・・・。

 次回は、逢瀬公園の桜が満開の週末に訪れたい。去年は「サタふく」の浜ちゃんぽの生中継中の浜中さんとすれ違った。今年もそんな偶発的な出逢いを期待したい。

 ぜひこのブログをご覧になった方も一度訪れてほしい。侘び寂を感じられる幽玄なパワースポットで、何か活力を得られる唯一無二の場所だ。「こんなところが郡山にあったのか」と驚くことうけ合いだ。地図はコチラ

 動画サイトに挙がっていた映像

  記事作成:3月25日(日)

2018年3月22日 (木)

近頃話題の福島県出身者

 我が福島県には、野口英世博士を始め、有名人を多く輩出しているが、ここ数年は、良きにつけ悪しにつけ、県内出身者が多くの話題を振りまいている。
 今日は、そうした方々をテーマにしたい。

 唐橋 充

 イラストレーター兼俳優。血液型はB型。文教大学卒業。早稲田大学の演劇研究会・劇団「Cretan Crete」(現在は解散)に所属する舞台専門の俳優だった。祖父は政治家で元喜多方市長の唐橋東、妻は女優の水野美紀。

Karahashi

 喜多方には唐橋という姓が多い。アナウンサーの唐橋ユミも喜多方市出身。

 田母神俊雄

Tamogami  福島県郡山市田村町の農村に生まれる。その後地元の中学校をへて福島県立安積高等学校へ進学。1967年(昭和42年)3月、福島県立安積高等学校を卒業。防衛大学校に入校し、1971年(昭和46年)3月に卒業(第15期、電気工学専攻)。防衛大学校卒業後、航空自衛官となる。その後、航空自衛隊の主要ポストを歴任した。2007年(平成19年)3月28日:第29代航空幕僚長に就任するほどのエリートとなった。

 2016年4月14日、都知事選における選挙運動の中に、公職選挙法違反と疑われる行為があり、逮捕となった。

 立候補した東京都知事選で運動員らに現金を配ったとして、公選法違反(運動員買収)罪に問われた元航空幕僚長、田母神俊雄被告(69)の控訴審判決で、東京高裁(青柳勤裁判長)は3月13日、懲役1年10月、執行猶予5年とした一審東京地裁判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。
  判決によると、2014年2月に投開票された都知事選に立候補した田母神被告は同年3~5月、選対事務局長らと共謀し、運動員ら6人に計480万円を渡したとされる。

 佐川宣寿

 元理財局長、前国税庁長官で日本の財務官僚。第48代国税庁長官。
 
 Sagawa福島県平市(現在のいわき市)生まれ。平市立平第一小学校、いわき市立平第一中学校で学ぶ。中学3年の時、父を亡くす。その後、東京都内の中学校に

転校。九段高校に進学した際には、3人の兄が学費を負担してくれた。 1982年、東京大学経済学部卒業、大蔵省入省。 1984年、大阪国税局調査部。 1987年、名古屋国税局高山税務署長。 1998年7月、近畿財務局理財部長。 2001年、財務大臣秘書官。 2004年、財務省主計局主計官。2008年、主税局総務課長。2010年、財務省大臣官房審議官(主税局担当)。2011年7月1日、東日本大震災復興対策本部事務局次長。2012年2月10日、復興庁統括官付審議官。2013年6月28日、大阪国税局長。2014年7月、国税庁次長。2015年7月7日、関税局長。2016年6月17日、理財局長。2017年7月5日、国税庁長官(第48代)などの高級官僚ポストを歴任。

  •  2018年3月9日、森友学園問題で、電子データ書き換えに関与したとして麻生太郎財務大臣により懲戒処分(減給20%3ヶ月)を受け、同日、依願退官。
  •  この問題は「とかげの尻尾切り」という政治家の逃げ細工が見え隠れする。現に自殺者まで出しているのだから徹底的に究明しなければ犠牲になった本人も遺族も浮かばれない。
     だが、予算委員会の審理を見ていると、政治家が佐川氏に全責任をなすりつけて幕引きを図ろうという意図(裏工作)が見え隠れする。
     かつて汚職(ロッキード・リクルート・佐川急便)で自民党の政治家が辞職に追い込まれたように、安倍首相もこの一件で退陣に追い込まれなければいいが。なぜなら、今の日本の政治家で、世界各国首脳と対等に渡り合えるのは安倍氏以外に見当たらないからだ。
  •  岸田氏では党内を指導できない。石破氏はウンチクは素晴らしいが、求心力は無い。政治思想や方向性が独特すぎて、彼を全面バックアップできる挙党一致態勢を築くのは難しく、不協和音が増幅しそうだ。あの仏頂面では若者ウケはしないだろう。
  •  梅沢富美男

    Umezawa かつては下町の玉三郎として女形として活躍した、大衆演劇「梅沢劇団」第3代座長。血液型はB型。

     福島県福島市出身。1939年に旗揚げした剣劇一座「梅沢劇団」の創設者にして戦前・戦後まもなくの大衆演劇隆盛期のスターであり、浅草「常盤座」などの劇場を満員にした花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の間に8人兄弟の五男(7番目)として生まれる。

     富美男が中学校に進学した年に兄の武生が清から一座を引き継いだ。富美男は当初男役を演じていたが、1975年以降は兄の勧めで女形に変身する。独学で得た女形の美しさが一躍話題となり、「下町の玉三郎」と呼ばれる一座のスターになった一方で、副座長として兄を支えた。2012年10月に武生から座長を引き継ぎ、武生はその後見に回る。梅沢劇団は、歌舞伎演目のパロディー芝居、ミュージカル仕立てのショー、レビューを得意とする(これらに富美男の歌謡ショーを織りまぜた3部構成で舞台が行われている)。

     歌手としては、1982年に『夢芝居』が大ヒットしている。翌1983年には同曲で『第34回NHK紅白歌合戦』に初出場。

     最近は、リバイバルで大人気。それは毒舌で世の中の悪しき風潮をバッサリ切り捨てる活舌の良さで、ご意見番としての立ち位置を確立した。
     また、マイペースで自己中ながら、プレバト!!などでは俳句の特待生として、時には生け花のセンスのよさでそのマルチな才能を発揮し、人気が再爆発した。

     ちなみに私が考える福島県出身の有名人は以下の通りだ。

     1 野口英世     11  秋吉久美子    21 本名徹次      31 西郷四郎
     2 西田敏行     12 円谷幸吉     22 田部井淳子    32 松井愛莉
     3 齋藤 清      13 箭内道彦     23 江川卓       33 先代 栃東関
     4 渡部恒三           14 中畑 清       24 芦名 星      34 川島廣守
     5 加藤 茶      15 市川昭介          25 野村沙知代    35 遠藤一彦
     6 佐藤栄佐久        16 児玉誉志夫    26 白鳥久美子    36 山猿
     7 春日八郎           17 あばれる君    27 柏原竜二      37 大熊正二
     8 ディーンフジオカ    18 猪俣公章     28  大山忠作      38  小林浩美
     9 円谷英二     19 高村智恵子       29  三瓶         39 酒井美紀(ゴルフ)
    10 伊東美咲        20 松平容保      30  武田玲奈      40 相楽晴子 

     福島県は東北の田舎というイメージが付きまとうからなのか、福島県出身というのを隠している芸能人がいるのは残念だ。伊東美咲や秋吉久美子もかつてはそうだった。
     あと他には元宝塚の娘役だった白羽ゆりや俳優の佐藤慶、佐藤B作、齋藤暁、千葉麗子、芸人のあかつ、ゴージャス、アルコ&ピースの平子なども福島県出身

     記事作成:3月12日(月)

    2018年3月11日 (日)

    震災の記憶(7周年)

     今日であの未曾有の大災害をもたらした「東日本大震災」から丸7年が経過し、8年目を迎えることとなった。2万人近い人々が地震や津波によって命を落とした。街を見渡せば、未だに瓦屋根があの日のまま放置されていたり、ブルーシートがかけられたままの光景があちこちに見られる。一見、表面上は平静を取り戻したかのように見えるが、主な施設や公園には忌々しい放射線値を測るモニタリングポストが立ち、未だに農業・水産業は大打撃を受けたままである。外部&内部被曝によって、いつ甲状腺がん発病するかわからない状況下で、我が故郷・郡山は、あまりニュースで取り上げられなくなった「原発」の見えない恐怖と背中合わせの中で、生活しているのである。今日は、丸7年を迎えた震災記念日にあたることから、早く忘れたい記憶ではあるが、決して忘れてはならぬあの日の出来事を記憶の中に残すべく、震災の日のことを回顧し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、合わせて黙祷を捧げ、追悼も行いたい。

     平成23年3月11日(月)午後2時46分

     その日は休暇を貰い、午前中、息子の中学校の卒業式に参列した。その後、和風レストラン「まるまつ」で昼食をとり、その後、「K'sデンキ」でブルーレイデッキの商談をし、時間潰しに思いつきで「ブックマート」に立ち寄り、立ち読みをしていたのだった。

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    左上の場所で携帯の「緊急地震速報」が鳴り、急いでカウンター左側の出口へ駆け足。

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    間髪入れずに体験したことがないような大きな揺れが襲いかかった。外では車が前後に激しく揺れ、今にも飛び出しそうだった。大きなガラスにヒビが入った。長くてなかなか収まらなかった。

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    この外灯が倒れてきそうな感じだった。ほどなく入口から次々と人が外へ飛び出してきた。車に飛び乗り、車が前に飛び出ないように必死でブレーキペダルを踏み続けた。

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      車内から見ると、目の前の4階建てマンションが前後に傾くように大きく揺れ、隣りの和風レストランの瓦屋根が次々と落下。運転席で必死にブレーキをかけながら「早くおさまれ!」と祈りながら「うわっうわっ!」としか言葉が出て来なかった。この時、とんでもない大変な出来事が起こってしまったことを悟った。

     そして突如周辺は猛吹雪に・・・。この世の終わりを思わせるような長くて激しい揺れが続いた。3分くらい大きな揺れが続いた後、ようやく収まってきたところで、自宅や実家の状況が気になり、ひとまず自宅へ向かう。信号が消え、かっぱ寿司の東側の狭い通路を迂回した。ファミマの交差点から左折し、R49に入り、バイパスを駆け上がってとにかく自宅まで飛ばして帰った。すると幸いにも自宅は崩れてはいなかった。断続的に大きな揺れが襲いかかり、自宅前の電柱が大きく揺れる余震が続いた。家具が倒れ、玄関から容易に室内に入れない状況だった。やがて昼食から息子たちが帰宅し、家族の無事を確認した。更にワンセグで状況確認。次々飛び込んでくる情報で、災害の状況が明らかに。「大津波警報」という聞きなれない文言がテロップで流れ、アナウンサーの必死の形相で事の重大さを認識したのだった。幸い自宅は停電は免れたが、水道がストップした状態だった。電話は震災直後からまるで通じず、実家の安否は不明だった。

     動画で振り返る福島県(郡山中心)の状況

     ① ラジオ福島(2分41秒から)

     スタジオの物音から判断すると、2分41秒から5分24秒までずっと大きな揺れが続いていたことが解る。つまり2分43秒もの長い間、震度6クラスの大地震が継続して発生していたことになる。深作アナウンサーは努めて冷静に身の安全の確保を訴え続けた。一切取り乱すこともなく、アナウンサーの鑑だ。

     ② 郡山市内の店舗のカメラ

    http://www.youtube.com/watch?v=iuL5szlZIkY

    http://www.youtube.com/watch?v=RAA18wCKpzw

    http://www.youtube.com/watch?v=FX7l1-0CXRc

    http://www.youtube.com/watch?v=w3dy4DUPH88

     ③ 堂前の小料理屋の客が撮影した動画

    http://www.youtube.com/watch?v=FqQIc0Jic0g

     ④ アミューズパーク郡山(旧郡山スケートセンター)

    http://www.youtube.com/watch?v=DwP5VLVonJ4

     ⑤ FTVの社内カメラ

    http://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

     ⑥ 4号バイパス(日和田のJUSCO前付近)

    http://www.youtube.com/watch?v=hJvidAganrc

     ⑦ うすい百貨店周辺

    http://www.youtube.com/watch?v=J7yubGtkKMQ

    http://www.youtube.com/watch?v=QK2O5lrRurk

     ⑧ 郡山駅

    http://www.youtube.com/watch?v=NWuwHtZtHfY

    http://www.youtube.com/watch?v=emyJZTklhhs

     ⑨ 富田町界隈(カインズホーム)

    http://www.youtube.com/watch?v=RUY5buYYLWM

     ⑩ 震災後の状況(外国人撮影)

    http://www.youtube.com/watch?v=zUGs3V85uAo

    http://www.youtube.com/watch?v=jWfNct5imr8

     ⑪ 福島第一原発の水蒸気爆発

    http://www.youtube.com/watch?v=r3tG_E0XGck

    http://www.youtube.com/watch?v=eLr5_UxhoTA

    http://www.youtube.com/watch?v=7V-0XBdS86A&list=PLD19730E43CC6D63F

     「東日本大震災120秒で振り返る衝撃映像集」 *閲覧注意

     「東日本大震災」国家存亡の危機180秒映像! *閲覧注意

     「1000年後に残したい映像」

    http://www.youtube.com/watch?v=dkdHZKefQOI

     「MIRAI2061」

     これは私の中学の同級生(同じクラスだった)箭内道彦がプロデュースしたムービーだ。私の好きな清野菜名さんが出演している。

     今も放射線被害が続き、風評被害にも苛まれている状況が続いている。農業、水産業は再開の目処が立たない状況が続いている。原発周辺の町(大熊・双葉・浪江・富岡)は未だに立ち入り制限されたままで、誰も住めない状態である。避難所生活や仮設住宅に移住したままである。県外に散らばった県民は、一体いつになれば故郷に戻れるかわからない。この2年、未曾有の災害だったこともあり、政府の対応は後手後手で、未だに私が暮らす郡山市は除染が進まないでいる。いつになったら元の平穏な生活に戻れるか先が見えないが、福島県民としてプライドを失わず、前を向いて協力しながら一歩ずつ前進していきたい。

     今、あの日から6年たっても未だに疑問に思うことがある。それは2,556人もの人たちが津波で行方不明になっているが、海沿いに住んでいた人たちは、あれほどの体験したことがない巨大地震に襲われ、「大津波警報」が出されていたにもかかわらず、なぜ津波の犠牲になったのか?津波の襲来まで20~30分は逃げる時間があった筈だ。津波に対しての過信があって逃げなかったのか?それとも逃げるための足が無かったのか?みすみす津波が来るのを傍観していたのか?家族の安否を気遣い、自宅に戻る途中で巻き込まれて犠牲になったのか?防波堤を越えて、まさかここまでは津波がやって来ないだろうという油断があったのか?
     私だったら、海釣りをやる身として、海の近くに住んでいる方々というのは、私以上に、地震や津波に対する備えや気構えはあったと思うのだが・・・。
     犠牲になられた方には不謹慎かもしれないが、逃げずしてみすみす命を落とした人も多いのではないだろうか?

     最後に被災者の皆さんに激励のソングをお届けしたいと思います。

      門馬よし彦 「願い」

    https://www.youtube.com/watch?v=KQP9WIPRwHc

     震災からの記録「願い」」が完成しました。写真は、3月11日の東日本大震災以来、ラジオ福島の大和田新アナウンサーが報道取材時に撮影したものです。写真一枚一枚に人々の苦悩や悲しみを感じ、復興への道を力強く歩まなければならないことを再認識させられます。まだまだこれからです。私たちは歩み続けます。子どもたちの未来のために・・・・

     群青

     福島県南相馬市小高区。東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置し、原発事故後に「警戒区域」に指定された。今もおよそ1万2000人の住民が避難生活を送っている。その小高区で唯一の中学校だった小高中学校は、現在、原発から北に37キロ離れた鹿島小学校の一角に建てられた仮設校舎で授業を行っている。

     <普天間かおり 「Smile Again」

      ♪負けないで 負けないで 生きてゆくこと あきらめないで

               がんばって がんばって たくさんの愛が見守っているよ♪

      福島県で亡くなられた方、1,612人、行方不明者202名 

     また東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

    2018年2月27日 (火)

    福島のソウルソング(再掲)

     今日は2015年に作成した記事を多少改良した記事を再掲したい。

     福島県の有名観光地を題材にした歌は数多い。たとえば美空ひばりの「みだれ髪」や春日八郎の「別れの一本杉」、民謡の「会津磐梯山」、岡本敦郎の「高原列車は行く」、そしてご当地アイドルたちが歌うご当地ソングもある。

     しかし、福島県を感動の渦に巻き込む歌があるのをご存じだろうか。おそらく、福島県民すら知らないであろう「福島県の歌」があるのだ。それは「こめら」という曲だ。普通の暮らしが出来ていた頃(2001年頃)の福島県です。応援歌でもなければプロの­方が歌っているのでもありません。
    ふるさとを愛する皆が自分の言葉で気持ちを込めて未来の子供たちに残したい故郷を歌っ­ています。一度聞いただけ耳から離れない感動の曲です。では論より証拠。まずは聞いていただきたいと思う。

     この曲に登場する「こめら」とは、 福島県の方言で 「子供たち」 の意味。何かメッセージソングとして強い息吹と確かな絆を感じさせる。
     実はこの曲、NHK・BS「おーい、ニッポン」の「あなたが歌う県のうた」として、秋元康が各都道府県ごとにその県の歌を プロデュースし、その都道府県の県庁所在地のNHK放送局で一般参加者の中からオーディションを行い、最終選出された参加者がその県の歌を歌うというプロジェクトを敢行した。番組内でオーディションの模様などが紹介された後、当日生中継で歌が発表されるというものだった。全曲とも秋元が作詞し、後藤次利が作曲を担当、全49曲が製作された。福島県の歌は「HAPPY ISLAND」が歌う、この「こめら」だった。2001年2月に発売されたが、当時は全く知られていなかった。

     しかし、震災を経験した私たちが聞くと、故郷愛がビンビンに伝わってくる。福島県の豊かな風土、郷愁漂うのどかな風景、そしてそこに暮らす人情味あふれる県民性、福島県民には大切な目に見えない絆が備わっている。

     サビの部分を聞くと、放射線被害のために福島県を離れた方々へのメッセージとして聞こえて来る。

    ♪こめら いがっせ 明日へ明日へあきらめないで
     未来の福島は みんなの愛でひろがる

     こめら いがっせ ずっとずっと塩屋の岬
     心の灯台を忘れず 迷わず行くんだ

     こめら 集まれ ここがここが約束の地だ
     おめぇの故郷に 自分の足で立つんだ

     こめら 集まれ はるかはるか磐梯山に
     背中を向けないで 真っすぐ歩いて行くんだ♪

     秋元康が、代表一人に絞るより、全員の合唱曲にしたほうがいいと、それが福島らしいと­、例外的な扱いになりました。この姿が福島県の姿です。

     「予定~福島に帰ったら」 CMで流れている曲です!

     みんなが福島を思い、そして自分の故郷を思う。そのきっかけになるために。
    そして、風評撲滅のために。皆さんも故郷の好きな風景や好きな人の写真を使ってオリジナルのPVをつくってみてください。美しい福島の写真は、福島民報社と財団法人福島県観光物産交流協会にご提供いただきました。

     この曲を聴いた方のコメント

     福島に生まれてよかったぁ。俺は何があっても福島から離れないぞ!福島県民であることを誇りにおもう。放射能がなんだ!

     何故か涙が出ます。 泣きたいときにストレス発散になります。

     変わらないでいて欲しい場所・・・(;ω;

     私の故郷はいわき。 いわきに帰ったら、たまごやの相馬きゅうりとレーズンココが食べたいw

     私は東北の出身ではありませんが聞いてて泣けました~ 全ての福島の方々が故郷に帰られる日が近いことを 祈るしかありません~ なんて美しい福島でしょうか!

     

     最後に、福島県民には切っても切り離せない「福島県民の歌」もリンクしておきたい。県外の方は知らないだろうが、こちらも名曲だと思う。

    1. しゃくなげ匂う山なみに
      呼びかけよう若い理想をかざして
      あしたの夢がはてなく伸びる
      明るいふるさと福島をつくろう
      みどりひかる この空いつまでも
      ああ 福島県
    2. けやきの樹にしあわせの
      虹かけよう若い血汐を燃やして
      嵐をこえて雪崩に耐えて
      豊かなふるさと福島をつくろう
      ちから満ちる あしおと高らかに
      ああ 福島県
    3. きびたき歌う尾根を背に
      手をつなごう若いあこがれむすんで
      町から村へ ひとつにみのる
      楽しいふるさと福島をつくろう
      こころあわせ つち音絶やさずに
      ああ 福島県

     「県民の歌」制定を望む県内の意見に呼応する形で歌詞と曲の一般公募を実施して1967年(昭和42年)に制定され、2月11日に福島市公会堂で歌手の立川澄人を招いて発表会が行われた。

     

     さて、我が福島県は、郷土愛に満ち溢れた土地柄だ。西側の会津地方は雪深く、人情が厚い。酒どころにして米どころ。中通りは交通や物流の中心、そして東側の浜通りは太平洋が連なる温暖な土地柄で、漁業の町が点在していた。
     今、福島は震災の原発事故から4年半以上が経ち、少しずつではあるが、昔の平穏な暮らしを取り戻しつつある。まだ復興の道半ばだが、着実に美しい故郷の風景を取り戻している。被災者を始め、頑張っている方々に励ましのエールを送る、そんな歌がこの「こめら」のように思えてならない。

     記事作成:2015年11月8日(日)

    2018年2月20日 (火)

    福島県民には懐かしいモノたち

     このブログもあと僅かで終了になるが、その前に、思いの丈を述べておきたい。それは永久保存版にしたいくらいだが、私が福島県で過ごした約半世紀の中で、想い出深い懐かしい物たちをこぞって紹介し、自らの備忘録としたい。

     福島県民の歌

     震災で福島県を離れた方々もぜひこの曲を聴いて郷土愛を再び抱いてほしい。

     CM曲「エンドーチェーン」https://www.youtube.com/watch?v=dCpS7qIVy5o&t=27s

     CM曲「丸光」 https://www.youtube.com/watch?v=C3YX63aNvtE
     
     CM曲「赤トリヰ」https://www.youtube.com/watch?v=jd2pRSQfRos

     CM「ハマツグループ」 https://www.youtube.com/watch?v=gr7hudWMLbU

     ふくしま国体テーマソング「アルフィー」の「JUMP!」

     平成7年に開催された「友よ、ほんとうの空に飛べ」のキャッチフレーズで行われた「ふくしま国体」。県内のあちこちに全国からアスリートたちが訪れ、連日熱戦を繰り広げた。国体では、開催県が優勝しなければ面子が立たないとばかりに、よその県のトップアスリートをかき集め、天皇杯(男子)皇后杯(女子)を獲得するのに躍起だった。福島県も御多分に漏れず、他県出身のアスリートたちが、この年ばかりは福島県代表で出場し、ポイントを稼いだ。不思議な慣習だ。

     うつくしま未来博

     「うつくしま未来博」は今から17年前の2001年7月7日から9月30日までの2か月半に渡って繰り広げられた一大イベント。
     須賀川と玉川村にまたがる山中を開拓し、一大博覧会会場を築き上げた。日本全国から一流企業がスポンサーがパビリオンを出店し、最先端技術や科学の粋を集めた催しものがあった。山を潰し、広大な敷地面積を誇る場所に大きな池や階段式で底にステージがあるイベント会場、3Dシアター、民芸茶屋、そして各パブリオンを繋ぐ、ゴンドラケーブルがあった。



     福島県民はなぜか複数回、ここを訪れる仕掛けになっていて、幼稚園から高校までの学校は必ず遠足で訪れるようお達しがあった。私は確か3回ここを訪れた。
     今も「昆虫のミュージーアム」が残っているが、小高い丘の分譲地になっているが、市内からやたら山奥で遠すぎて、あまり売れ行きは良くない。

     うつくしま未来博イメージソング「永遠の心」 by岩崎宏美

     福島空港が開港した日

     福島県民待望の空港が玉川村に開港したのは1993年(平成5年)3月20日だった。当時、私は28歳だった。勿来に職場があった私は、毎週末、郡山の実家に帰る度、国道118号線を通り、空港へのアクセス道路入口に「開港まで○○日」という電光掲示板を横目で見ながら車を100回往復以上走らせたものだ。
     開港当初は、札幌便、函館便、大阪便、帯広便、名古屋便、沖縄便、福岡便などと勢いがあった。そして上海便やソウル便などの国際線も開設され、滑走路も2,000mから2,500mへと延長され、活気があった。そして佐藤栄佐久元知事が首都機能移転の招致に乗り出し、最有力候補にもなった。港は小名浜、空港、そしてトライアングルハイウェイ計画と、飛ぶ鳥を落とす勢いでインフラ整備が進んだが、石原東京都知事就任で鶴の一声で移転計画はとん挫してしまった。
     震災の影響もあって客足は遠のき、今では札幌便と大阪便が就航しているのみだ。 ア 開港の3月20日、私はマチュアバンドレシーバーでエア無線で機長と管制官との英語でのやり取りを聴き、福島にも空港が出来たことを実感したものだ。

     https://www.youtube.com/watch?v=48zDTeGPqxI&t=25s

     乙字ヶ滝にゴジラの卵があった時

     昭和末期の頃、須賀川市出身の映画監督・円谷英二氏の功績を讃え、町おこしの一環で、須賀川市の東部の山肌に電飾でゴジラを描いたり、名勝・乙字ヶ滝のほとりに岩を削って広場を作り、そこに直径5m高さ3mほどの巨大な卵(モニュメント)が出現した。その名も「ゴジラの卵」。私は大学生の頃にバイクで何度か訪れたことがあった。またその付近には「ゴジラの足跡」も築かれた。客集めのためとはいえ、ついつい訪ねてしまう代物だった。
     しかし、残念ながらその数年後に不審火が原因で火災に見舞われ、撤去されてしまった。

     https://www.youtube.com/watch?v=0dos0CHyJmc

     他にも以下のことを鮮明に覚えている。

     ① 郡山の上空を飛行船&零戦が飛んだ日

       私が高校生くらいの時に、シルバーで魚の目のようなデザインの飛行船がゆったりと
      郡山市上空を遊覧飛行したのを覚えている。何かのイベント(こどもまつり?)の宣伝を
      兼ねて飛行船を飛ばしたのだと思う。結構、巨大物体だった。
       また、郡山市内の上空を「零戦」が飛び回ったことがあった。緑色の機体で両翼に日
      の丸があしらわれていた。「ブーン」という独特なプロペラ音が郡山上空にこだました。
      たぶん1970年代から1980年代にかけての頃の出来事だった気がする。

     ② ワンステップフェスティバル(1974年)

       日本のトップミュージシャンや人気ロックバンドが郡山市開成山競技場に一堂に会
      し、5日間、音楽の祭典で盛り上がった。日本中からロックファンが詰めかけ、その後の
      嬬恋や中津川フォークジャンボリーの礎となったビッグイベントだった。矢沢永吉、沢田
      研二はもちろん、あのオノ・ヨーコまで来日して出演した。今では伝説となっている。

     

     さて、今から30年前くらいの映像などを紹介しましたが、懐かしんで貰えたでしょうか。こうして映像で当時を振り返るなんて夢のようだが、まだまだ記憶を掘り起こさないといけない部分は多い。ぜひ、コメント欄などで懐かしい話題や取り上げてほしい話題があればお知らせください。

     記事作成:2月6日(火)

    2017年10月20日 (金)

    金髪とヤンキーが多い都道府県

     今日の記事は批判や誹謗ではなく、中立的な立場から事実を指摘したい。世の中には変なくくりがある。「日本三大××」などもその類だ。最近知ったことが、女性蔑視と受け取られかねないのが「日本三大ブス」というのがあって、仙台・水戸・名古屋なのだそうだ。私はその全ての都市を訪問したが、いずれも女性の美しさのレベルが高く、とてもブスなどとは言えない状況だった。私は美人との誉れ高い秋田県に4度行ったが、素肌や色白という点ではダントツだが、ファッションや化粧して美しく見せる技量は3県のほうが上に思えた。
     さて、今回お送りしたいテーマは、田舎に行くにしたがって、身なりや外見が柄が悪く、派手になるという点だ。大都会ではまずひと目を気にして出来ないド派手な服装や髪型も、地方のほうが多くいるし、車も改造し、酷くなる。人はどこかで目立ち、注目されたいという意識があるようで、地方に行くほどその歯止めが利かなくなる。そう論じる根拠を示したい。「ド派手ヤンキーが多い都道府県はどこか?」というアンケートの結果を見たら、私の予想通り、あの県が1位だった。

     1位 茨城県        11位 兵庫県
     2位 千葉県        12位 東京都 
     3位 福岡県        13位 愛知県
     4位 大阪府        14位 岡山県
     5位 沖縄県        15位 京都府
     6位 神奈川県       16位  青森県
     7位 広島県        16位 滋賀県 
     8位 栃木県        18位 静岡県
     9位 埼玉県        18位 奈良県 
    10位 群馬県        20位 佐賀県 

     資料:Uタウンネット調べ「全国ヤンキーが多そうな県は?」

    http://j-town.net/tokyo/research/results/188543.html?p=all

     イメージどおり茨城がダントツで901票。2位の千葉が368票なので、3倍近い票を集めた。それほどガラが悪く、垢抜けしない。派手で目立とう精神が多い県だというのが認識できる。東京から比較的近いのに、こうなるのは、バカにされないように目立ちたいという心理の表れのような気がする。
     不思議だが、ヤンキーや金髪が多いのは関東地方に集中している。東京を除き、ベスト10の中に6県すべてが入っている。世間の人はそういうイメージを持っていることにほかならない。
     また、関東以外では、もともと福岡と広島はヤ~さんが多い。何か意気がっている印象で、自分を大きく見せ、威圧するようなイメージがある。これは個人的見解かもしれないが、任侠映画に多く出演した「菅原文太」さんの影響が強い。また、沖縄、千葉、神奈川は「成人式」での悪態行為で有名だ。人口が多いから目立つということもあるが、まさに「やんちゃ」な県と言えそうだ。
     それに関東出身者に言わせると、関西人は「我が強く、怖い」という印象がある。ズケズケと人の心に土足で踏み込んでくるイメージがある。

     逆に東日本大震災で大打撃を受けた東北の太平洋側の3県はヤンキーは少ない。全国の方々に支援をしてもらい、善意のありがたさを十分身にしみて知り、そんな意気がっていられないのだ。苦労を分かち合い、絆の力で復興を目指している福島県は、あれ以降、ヤンキーはグッと減った。震災3年後に行われたこのアンケート調査では宮城は21位、福島は29位、岩手は40位。昔に比べ、ガラが悪いという印象はかなり薄らいだ。
     このアンケートは決してイメージ先行ではなく、地元茨城県民もその自覚があるようだ。茨城県民がヤンキーで金髪が多いと思う人は72%とダントツに多かった。

    試しにヤクザが多い都道府県の統計を調べてみた。

     1位 大阪府
     2位 京都府
     3位 岡山県
     4位 三重県
     5位 福岡県・愛知県

     続いて暴走族が多い県

     1位 福岡県 (59グループ921人)
     2位 広島県
     3位 神奈川県(横浜ナンバーの暴走族が圧倒的に多い)
     4位 埼玉県
     5位 茨城県
     6位 千葉県

     東京は江戸川区や足立区が突出して多い。

     ちなみに茨城県出身の有名人(芸能人)を挙げると

     鈴木奈々、劇団ひとり(デビュー当時は茨城県民のヤンキーネタ)、池内博之、白石美帆
     アントニオ猪木(でしゃばって北朝鮮へ単独訪問)、梅宮辰夫、田村英里子、永作博美
     栗山千明、倍賞美津子、本田博太郎、三浦春馬、羽田美智子、中島ゆたか、柳生博
     渡辺篤史、渡辺徹、渡辺裕之、磯山さやか、来栖あつこ、高橋朱里、マギー司郎
     松居直美、江戸むらさき、綾部祐二、渡辺直美、ノブ、武双山、雅山、稀勢の里、高安
     水戸泉、瀧本誠、塚田真希、小林孝至、豊田泰光、仁志敏久、広澤克実、美馬学
     曽ヶ端準、大津祐樹、京川舞、片山晋呉、柴田国明、藤田菜七子、梶山静六

     歴史上の人物

     中臣鎌足、平将門、徳川光圀、徳川斉昭、徳川慶喜、間宮林蔵

     さて、これを読んで、さぞかし茨城県民はご立腹かと思うが、これは私の私見ではなく、全国の方々がイメージしているアンケート結果から明らかになった事実だ。全国の人は茨城をこいうイメージで見ているということだ。「やっぱり」と共感できる部分も多いと思うが、茨城は関東の一角として埋もれてしまっている。この現状を打破できるかどうかは県民の意識改革にかかっているのはいうまでもない。

     記事作成:10月7日(土)

      追記

     この記事を書いた後の10月12日(木)に、「2017全国都道府県魅力度ランキング」が発表された。この記事に相通じるものがあって、茨城県が5年連続最下位となった。東京からも近いにもかかわらず、それがかえっていつでも行けるというドキドキ感やワクワク感を掻き立てないということか。日本三大名瀑の「袋田の滝」や水戸の偕楽園など、観光地はあるのになぜなのか?我が福島県も原発事故の風評被害もあり、2011年以降、ジリジリと順位を下げているが、それでも34位。せっかく今年、NHKの朝ドラ「ひよっこ」の舞台となったのに、あまり誘客に繋がっていない。それは観光協会などが、大々的な誘客キャンペーンなどのPR作戦をしていないのではないだろうか。
     そして何より、今回のテーマのように、茨城は田舎臭くて、三大ブス、垢抜けしないヤンキーが多い、納豆などのマイナスイメージが多いからではないだろうか。
     茨城県民がこうしたデータを紳士に受けとめて、危機感を持つことこそが重要なのではないだろうか?

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