2017年7月
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旅行・地域

2017年7月 7日 (金)

盛岡出張1泊2日の旅

 今回の出張は仕事なので旅とは言えず掲載をどうすべきか迷ったが、4月に部長職に就任してしまい、仕事以外での旅行はかなり制限された生活を余儀なくされるために、観光ではないものの、敢えてアップする決断に至った。
 今回は盛岡市への1泊2日の強行軍となったが、何かの備忘録や参考資料になればと思い、記録としてしたためたい。

 7月6日(木)晴れ

  午前中は出張の準備のため、自宅で過ごす。
 12:45 自宅発 徒歩で郡山富田駅へ 5分くらいと思っていたら甘かった。12分もか
     かった。
 12:57 初めて富田駅を利用。しかし奥羽大学の生徒が10人程度いる。
     券売機で190円区間を購入。1分遅れ 優先席に座る。向かい側には若いカップ
     ルが我が物顔で優先席に陣取る。マナーもへったくりもないバカども。立ち席も多
     い。5分ほどで郡山駅へ。便利になった。以前なら車で行き、駐車場の心配があ
     った。新幹線改札口ですでに待っていた連れ2人と合流。待合室で30分時間を
     潰す。NEWDAYS お茶151円
 14:04 郡山駅発 やまびこ51号 女性車掌カッコいい。8号車4番ABC 話込んでい
     たらあっという間に仙台へ。早い。仙台駅乗り換え 隣りのホーム 8号車同士
     歩かずに済む。でも暑い・・。鈴木沙喜代アナのいる仙台 楽天スタジアムは見え
     ず・・・。
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 14:54 仙台駅発「はやぶさ51号」8号車12番ABCに やはりはやぶさは速過ぎ
 15:37 盛岡駅着 こちらも仙台から40分で到着の早業炎天下、ホテルまで結構歩く  
       北上川の橋を渡る 土手の花々きれい 盛岡は郡山より人口少ないが街が大
       きい。   
 15:50 ホテル東日本へ 赤茶色 ビューホテルアネックスのような作り チェックイン
       808号室 なんとツインにひとり!朝食のみで9,300円のカラクリはこれ!
       シャワーを浴びる!職場のメールが届く 遠野英治郎の水戸黄門再放送
       岩手はテレビ局が民放4局 フロントに宿泊証明依頼

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 17:00 ロビー集合 徒歩で夕食会(情報交換会)へ 街角に案内板を持ったオレンジ
             色のTシャツを着た方々があちこちに!わかりやすい
 17:15 メトロポリタンニューウィング盛岡へ なんと立食で2時間・・・
      先月、ハワイアンズで会ったいわき地区の女性と再会 美人の女性も
      福島地区の元同僚とも再会

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 17:30~19:30 バイキング形式の夕食会 セレモニーが長くて乾杯まで暇食う
       鏡割り 余興で地元出身のオペラ&ボサノバ歌手の歓迎ソング
       その後、ミスさんさ踊り4人+お囃子10人によるさんさ踊り披露
       ミスさんさ踊りの4人が全員美人揃い 本田美奈子似の小顔美人、私好みの
       色白美人も・・・来場者560人の視線を釘付けに。
       バイキング形式のオードブル+岩手県の地酒コーナー、盛岡三大麺(じゃじゃ
       麺わんこ、冷麺)の食べ放題も!何度も取りに行く。肉ばっかり 満腹
       途中から連れの会長が行方不明に・・・。副会長とお開き後に戻る
       徒歩でホテルに戻る。19時半過ぎても夕暮れで明るい 岩手山がくっきりシ
       ルエット 盛岡は一昨年の7月依頼 去年は秋田訪問で素通り

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 左から於本莉枝さん、駒井理咲さん、恒川舞さん、日山佳那子さん、村山優さん

 この日は村山さんはお休みだった。恒川さんの人気は凄かった!

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 19:37 ホテルへ すでに会長は部屋に戻っている
       その日は疲れて「モニタリング」を見ながらウトウト寝入る。
       この日の行事は、いわゆる歓迎レセプションで、明日が本番。

 7月7日(金)快晴

      七夕の日に盛岡の地にいる不思議。4時台に目覚める。6:30過ぎに会長の部
     屋へTEL 昨日消えた真相は、知り合いに会って、あちこち連れまわされていた
      何気に帰りのJR券を眺めていたら、近ツーやはり発見ミス 精算時にやけに
     安いと思ったら、乗車券は郡山駅までだったが、新幹線の仙台からのやまびこの
     新幹線特急券が福島駅までとなっていた。速攻で担当者の携帯に電話するが出
     ない。
      7:00朝食は14Fの朝日が眩しいスカイレストラン。バイキング形式。
     地元の食材の海鮮丼や冷麺もある。またしても食いすぎ 
      部屋に戻って近ツーから折り返しTEL 事情説明したら平謝り
      朝のうちに駅で切符の変更をして差額を支払うようアドバイスを貰う
      連れから3,000円ず徴収し、旅費と日当を渡す。押印。
      シャワーを浴びて速攻髪の毛乾かし
      8時半ロビー集合のはずが、先にチェックアウト 宿泊証明書を受け取る

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  8:23 先にホテルを出て、灼熱の中、700m歩いて8:28盛岡駅へ 地下から入り
     みどりの窓口探すのにひと苦労。朝からオレンジTシャツ案内係が道案内
     北口の窓口へ。いつもの通り、俺の前には客待ち多い。
      事情を話し切符3枚、乗り換えも含めて変更。せっかくはやぶさとやまびこ、出
     入り口近くの号車だったのに、2号車と6号車に変わる。差額2,250円(ひとり
     750円) 2人と合流 係員のTシャツお揃い 金遣うわ・・・。看板も
     東西通路を渡り、西口へ。郡山よりも都会で公共施設充実 駅近くにホールがな
     いと不便 岩手朝日放送も目の前 デッキも広い。革靴足痛い。

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 8:52 会場入り いったんエスカレーターで降りて受付 クロークあり わんこキャラ
     席は指定 前から4列目の中央の通路側
 9:30 オープニングセレモニー 詩の朗読 挨拶長い
     午前中、研究協議 各6県代表のプレゼン 最後の寸劇は笑い
12:00 昼食幕の内弁当とお茶 ホール内で食す 
      その間 演奏 古い・・・ピンクレディーメドレーほか
12:38~13:00 駅へ往復 暑い・・・地下道から入る遠回り みどりの窓口
     事情を説明し、領収書を発行してもらう その間、催しひとつ見逃す
13:00 毛越寺の住職の「藤里明久」氏の講演を聞く 
15:20 伝統芸能「鹿踊り」
15:40 最後のアトラクション(合唱)やはり古い ピンクレディー&キャンディーズほか
      引継ぎ楽都くん 最後は「川の流れのように」で会場一体となって大合唱
16:10 閉会 合唱でお見送り 駅の土産屋のレジめちゃ混む
      カモメの玉子ミニ3箱3,077円 連れにコーヒーとカフェオレをおごる。380円

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15:50発 はやぶさ24号 こどもが大挙して降りる。なかなか乗れず。2号車16番ABC
      E氏、他の乗客の迷惑を顧みず、大きな声でしゃべりっ放し ワゴンサービスの
      女性の足が綺麗でびっくり!いわきの元同僚女性も3つ前の席に
      同じく乗り換え

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16:29 仙台駅着 隣りにいたやまびこ148号に乗り換え 6号車まで歩く 7番ABC
16:35 仙台駅発 ここでもしゃべりっ放し スピードゆっくりに感じる 
17:14 郡山着 在来線の切符売り場へ 190円で購入 ここで東北本線のE氏と別れ
      1番戦へK氏と2人でホームに並ぶ 4両編成だが、17時台の帰宅ラッシュと
      重なり人だかり 気温30℃越える蒸し暑さ
17:42 郡山駅発 何とか座る K氏と別れる 次回は8月5日のバスによる視察研修
      13日後には仙台3泊4日、来月は新潟長岡へ 忙しい
17:46 富田駅下車 暑さの中徒歩。革靴きつく、左足の裏が痛む 水ぶくれ
      西日眩しい やはり徒歩12分は遠い。自転車が必要か?
18:00 帰宅 結局背広は手に持って2日間移動しただけで、シワになっただけ。

 費用

 旅費と宿泊代、弁当代は職場から
 お茶代 151円+380円
 JR代  380円
 土産代 3,077円          
 情報交換会(夕食)3,000円      総費用 6,988円  
        

    
 
          

 

 
      
 
 

 

2017年7月 3日 (月)

ありがとうの東北新幹線(35周年)

 かつてJRのキャッチフレーズで「ありがとうの新幹線」というのがあった。国鉄時代の1982年に大宮~盛岡間で暫定開業し、その後JRとなって、上野駅、東京駅開業に至った東北新幹線。私が住む郡山市もその恩恵にあやかり、それまで在来線特急で2時間半以上かかっていた上野までの片道所要時間が1時間半と大幅に短縮され、高速交通時代を迎えた。その後も、東北新幹線は北へと伸び、新青森までつながり、昨年は遂に道民悲願の函館北斗駅への北伸が実現した。
 このように時間の経過とともに新幹線は整備が進み、日本全国にそのネットワークが広がっている。新幹線の開通は人の往来を活発化し、交流が盛んになる。青森~東京間の日帰りはもはや夢ではなく現実のものとなった。
 そこで今日は、開業から35周年を迎えた東北新幹線が、どのような変遷を辿ったか、その歩みを画像や映像を交えながらDATAを紹介したい。

 画像貼り付け中心で 映像はリンクのみ

 1971年(昭和46年)11月28日 東北新幹線着工 福島・仙台駅など起工式

 1982年(昭和57年) 6月23日 大宮~盛岡間開業 「やまびこ」「あおば」

Omiyakaigyo Ohmiyaliner

 1985年(昭和60年) 3月14日 上野~大宮間開業

Ueno

 1987年(昭和62年) 4月 1日 JR東日本(民間営業)へ移行

 1990年(平成 2年) 6月23日 2階建てグリーン車登場

 1991年(平成 3年) 6月20日 東京駅開業

 1994年(平成 6年) 7月15日 オール2階建て新幹線「MAX」登場

 1997年(平成 9年)10月 1日 「あおば」廃止
               12月20日 新オール2階建て新幹線「MAX」登場

 2002年(平成14年)12月 1日 盛岡~八戸間開業 「はやて」運行開始

 2010年(平成22年)12月 4日 八戸~新青森間開業 東北新幹線全線開業

 2011年(平成23年) 3月 5日 「はやぶさ」運行開始
                3月11日 東日本大震災発生全線運行停止
                    4月29日  全線運転再開

 2016年(平成28年) 北海道新幹線開業(新青森~函館北斗間)

 東北新幹線車両

 200系・・・初代営業車両。先頭車両は2種類の形状があった。緑色のライン。通称「鼻
       高美人」。雪の多い東北を走るのに耐雪・耐寒設備が施された。
       昭和57年~平成25年まで使用

 E1系・・・・新幹線では初めて全車2階建て車両とされ、「MAX」の愛称で親しまれた。
       平成6年~平成24年まで使用

 E2系・・・JR東日本の新幹線標準型車両として位置づけられて登場した。現在でも東北   
      新幹線と上越新幹線で活躍している。平成9年以降使用

 E4系・・・E1系と同様に全車2階建て仕様車両。独特なロング・ノーズデザインが印象
      的。現在では上越新幹線でのみ使用。平成9年~平成24年まで使用

 E5系・・・最高速度320km/hを誇る東北新幹線の最新型車両。新幹線初の「グランク
      ラス」が設定された。 

 参考記事:6月23日付「福島民報」

さて、東北新幹線の東京駅乗り入れによって、我が東北も高速鉄道のネットワークの仲間入りを果たした。かつては特急や急行で上野駅まで行き、山手線か京浜東北線に乗り換えて東京駅まで向かったものだ。それが今やホームの移動で乗り換えが可能になった。これは楽チンだ。同時に時間短縮だけでなく、日本列島が近く感じられるようになった。今や函館北斗から鹿児島中央まで日本列島を縦断した。これがリニアへ移行すれば、半分の時間になる。その頃はもう私はこの世にいないが、おそらくは狭い日本がますます狭く感じるだろう。その礎を築いたのはこの新幹線の開業だと思う。
 私は個人的には旧国鉄カラーのクリーム色と赤いライン入りのL特急に思い入れが強いが、緑のラインが田園風景が多い東北の地にはよくマッチする。最近は「はやぶさ」や「こまち」、「つばさ」の新型車両が闊歩しているが、この新幹線が私の第二の故郷の札幌の地まで延伸することを楽しみに待ちたいと思う。

 記事作成:6月23日(金)

2017年6月19日 (月)

福島県の宝

 日本の都道府県で3番目の面積を誇る福島県は、観光資源に事欠かない。浜通り・中通り・会津と縦に3地方に分かれ、それぞれに特色がある。
 しかし、2011年の東日本大震災の大津波の影響で東京電力福島第一原子力発電所で爆発事故が起き、放射性物質拡散被害によって我々の生活は一変した。
 あれから6年、私たちの生活は少しずつかつてを取り戻しつつあるが、未だに立ち入りを制限されたり、通行を規制される場所も多い。復興と言う言葉だけが独り歩きしているが、除染によってフレコンバッグと呼ばれる真っ黒な大きな袋が、あちこちに点在する始末。
 しかし、私た県民は風評被害にもひるまずおののくこともない。昔の生活を取り戻すために前進あるのみだ。
 ぜひ皆さんも、ご支援をお願いしたい。そういう意味で、福島県の宝というタイトルの記事を書いて、名所や名産などをPRしたい決意だ。

 1 磐梯山と猪苗代湖・・・青空の時に湖に映える磐梯山 まさに天鏡!
                 冬にはしぶき氷が名物 裏磐梯は山体崩壊が顕著

 2 大内宿・・・江戸時代にタイムスリップしたかのような茅葺屋根の民宿通り
          長ネギ一本で食べる高遠そばが名物 「美人専用」のベンチがある

 3 金賞5年連続日本一の地酒・・・清冽な水と酒米のコラボで名酒がズラリ!

 4 フラガール・・・スパリゾートハワイアンズのダンシングチーム 全国きずなキャラバン

 5 安達太良山の紅葉・・・ゴンドラで楽しめる 夏はイルミネーションが綺麗

 6 尾瀬・・・群馬県との県境にある尾瀬 水芭蕉の里

 7 会津藩士と鶴ヶ城・・・幕末に起きた戊辰戦争で悲劇の舞台となった
                新撰組の足跡を辿り、会津藩士の生き様を学ぶ土地柄

 8 会津の農法・・・世界遺産に申請したいほどの古来からの卓越した農法

 9 安積疎水・・・国家事業で行われた干害対策工事 久留米から移植し従事した

10 滝桜・・・三春町にある日本「三大桜」 その子孫が全国に散らばっている 

11 花見山公園・・・春には大勢の観光客で賑わう。

12 喜多方蔵の街とラーメン 蔵の造りの馬車が走る 古い町並みとラーメンが名物

13 左下観音堂・・・会津美里町にある岩に沿って建てられた舞台造りの建造物

14 相馬野馬追・・・クライマックスの御神旗争奪戦がハイライト 勇壮な時代絵巻 

15 小名浜大花火大会・・・小名浜港で夏に繰り広げられる花火 海面に映える様は圧巻

16 名湯・・・土湯・飯坂・東山・野地・磐梯熱海・岳・芦ノ牧・常磐湯本・中の沢など温泉三
       昧

17 スキー&スノボパラダイス・・・磐梯山周辺には多くのスキー場が点在する

 <珍スポット>

 三春・遊郭跡・・・城下町だった三春の片隅に遊郭だった建物跡が密集している

 UFOの里・・・UFOで町おこし 町中いたるところに宇宙人 石焼きラーメンが名物

 原町無線塔跡・・・昭和56年まであった200mを超える大無線塔

 相馬百尺観音・・・製作途中で、今は上半身しか完成していない

 <福島が誇る偉人>

 円谷英二・・・ウルトラマン・ゴジラの生みの親 須賀川市出身

 円谷幸吉・・・東京五輪男子マラソン銅メダル 期待が重圧となって自ら命を絶った

 野口英世・・・黄熱病の研究に生涯を捧げた 南米やアフリカでは英雄 

 ディーン・フジオカ・・・須賀川市出身でアジアで活躍中 イケメンだけでなく多芸

 ほかにも春日八郎や俳優の西田敏行らがいる。

 <ホラースポット>

 雪割橋(西郷村)・・・自殺の名所 中島村の村長もここで自ら命を絶った

 お化けペンション(翁島)いろいろな噂が飛び交う廃ペンション 稲川淳二も訪ねた

 蓬莱橋(福島市)・・・投身自殺の名所

 西向ロッジ(箕輪スキー場近く)・・・廃墟となって放置されている全国一のホラースポット

 黒塚・・・二本松市安達ケ原にある鬼婆伝説発祥の地 

 さて、好き放題書き綴ったが、全国の方々の観光なくして、真の復興は成し得ないと考えている。ぜひ、我が福島県を訪れて、福島の良さに触れて感じてほしい。

 記事作成:6月6日(火)~

2017年4月23日 (日)

THE 激変北海道

 私が北海道で学生生活を送っていたのが1984年4月から1986年2月までの約2年間だった。もう33年も前の出来事になった。その間、時の経過と共に劇的に変わってしまったものが数多い。私にとってはちょっと前の出来事なのに、「歳月人を待たず」は確かだった。
 そこで、今日のテーマはタイトルが示す通り、劇的に変貌してしまったものを取り上げたい。

 1 駅舎

  ①岩見沢駅

  残念ながら  年に漏電が原因とみられる火災が発生し、昔の青い屋根の駅舎が影も形
 も無くなり、近代的な赤レンガとガラス張りの駅舎に生まれ変わった。

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  ②足寄駅

  国鉄時代は木造の小さな駅舎だったのに、最近立て替えられて、現代風にリニューアルされた。道東の小さな田舎町だった足寄を全国区に押し上げたのは松山千春の功績だ。
 私は千春の生家を2度訪ねたことがある。自宅のガレージの上に。彼のでかい肖像画が立てかけられ、一発でそれとわかる。彼はこの町のヒーローであり、この町の功労者だ。足寄と言えば松山千春、千春と言えば「足寄」なのだ。

Asyoro1Asyoro2

  ③ 上砂川駅

 歌志内線が廃止になり、その後、「昨日、悲別で」の悲別駅として登場した上砂川駅も解体か保存かで揺れた。しかしファンの聖地として残すことになった。線路は撤去されたが、駅舎自体は90度角度を変え、移築された。私がいた頃は、廃止前で、テレビドラマそのままの風景画展開されていた。ホームから見える、炭鉱の黒いズリ山など、雪とのコラボが悲壮感や荒廃感を醸し出していた。

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 ④ 函館駅

 私がいた頃は、青函連絡船が現役バリバリで就航していた。それが今や北海道新幹線が函館北斗まで開通し、函館がぐっと近くなった。古くさい駅舎だったのが、一新された。要塞っぽい鉄の塊のような印象になった。かつてはゴチャゴチャしていたが、スッキリスタイリッシュに変貌を遂げた。

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 ⑤ 稚内駅

 最果てを思わせるような萎びた駅舎だったのが、改築と言うより完全リニューアルして超近代的な駅舎に生まれ変わった。

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 ⑥ 幸福駅

 旧広尾線にあった幸福駅。昭和50年頃に「愛国から幸福へ」という記念切符が発売され、一大ブームを巻き起こした。その後、廃線になり、今は駅舎と僅かなレールが保存されているだけ。カップルの聖地として未だ根強い人気を誇る観光地だが、実際にディーゼル列車が運行していた当時を知る私としては、何か物足りなさを感じる。

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 2 函館五稜郭タワー

 私はここを4回訪れていて、2回ほど昔の五稜郭タワーに上ったことがある。しかし、1964年竣工の昔のタワーは高さ60mと低くて、星型の五稜郭の全景を見渡すことが出来なかった。それが今やタワー自体が建て替えられて、2006年に完成したタワーは107mと1.7倍も高くなって全景が収まるようになった。

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 私が北海道に住んでいたのも31年も昔の出来事になった。当時はバイクを駆って北海道中を旅してまわった。今でも心の中にある原風景は色褪せることはないが、そんな想いとは裏腹に、この30年で、建造物は劇的に変化してしまっていた。3年前は道北や道東までは足を伸ばせなかったが、時間に余裕が出来たら、当時の面影を探し求めて旅してみたいと思う。

 逆に、当時とあまり変わっていないスポット

 ① ラーメン横丁
 ② 羊ケ丘展望台
 ③ 札幌テレビ塔
 ④ 時計台
 ⑤ 富良野駅

 記事作成:4月9日(日)

2017年4月22日 (土)

菅船神社&サタふくロケ隊追撃

 ここ福島県では、今、桜前線が東のいわき地方から西の会津地方へと移動中で、ここ郡山も西部地区まで移動して来た。去年より3週間遅れての開花で、17日(水)の暴風天候で一気に散ってしまった感がある。

 しかし、22日(土)放送の「サタふく」で浜ちゃんぽのコーナーで、浜中アナが浄土松公園から中継した桜がまだ満開なのを見て、急に「菅船神社」を訪ねたくなった。ロケ中の浜中アナが、次に移動するのが「逢瀬公園」と予想して、それを追跡することにした。もしかしてバッタリ遭遇ということもあるかのしれないと密かな期待を抱いて、11:45発、つまり「サタふく」が生放送中の時間帯に訪問したのだ。

11:45 自宅発 午前中、かかりつけの医院&薬局で2往復したばかり。あにくのくもり空
     で少々肌寒い。日差しはある。いきなりRFCラジオから私の大好きな玉置浩二の
      「メロディ」が流れ、くちづさむ。
      インター線に出て、R49を突っ切り、その後、コパルのセブンを左折、ベニマルの
    前を通り、右折して河内へ向かう片平街道へ。信号のタイミング、ことごとくOUT!
 
11:57 王宮伊豆神社前。いったん停車して写メ。

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12:00 河内入り口でグリーンメロディー番組始まる 長寿番組
12:07 菅船神社着 10.5km 先客はゼロ FTVの中継車もなし。実は過去7度訪れ    
     ている大好きなパワースポットだが、境内の桜を期待したが、杉並木しかなく、桜
     は全然ない。だから人も誰もいないのだ。いつものように写メを撮りながら参拝。
     石段が徐々にきつく感じられ、息切れも激しい。心臓バクバクでやばい。絵馬に市
     内の高校名と個人名が書かれて未だにぶら下がっている。お賽銭を投入し、お参
     り。
      神社は2月の伊勢神宮以来。2年前に初めて訪れて、すっかり気に入り、以来、
     1年で4回は訪れている。
      次に「サタふく」ロケ隊が逢瀬公園に行くと踏んで、そちらへ向かう。 浜ちゃんは
     おそらく、ここから2kmしか離れていない逢瀬公園を訪問中とみた。中継車がきっ
     とある筈だ。
      生中継に映るのは職業柄まずいので、遠巻きに見物&証拠写メを撮りたかっ
     た。

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12:10 菅船神社発。河内のクランク状の狭い路地で、カーブミラーに映っている筈なの
     に、突っ込んでくる軽。DQNだ。

12:16 逢瀬公園Pへ。満開の桜見物なのか駐車場は満車に近い。それでも中央階段の
     そばに駐車。FTVのロケバスや中継車なし。もしかして山頂の展望台のPに駐
     車?
      石段を上り、芝生の広場へ 桜の下で弁当食べてる家族連れあり。やがて植物
     園へ。そして桜の広場との分岐となる道路に出た途端、なんと上のほうから下って
     こちらに向かってくるロケ隊を発見!その距離100m!このままでは中継に映っ
     てしまうと慌てて方向転換。斜面の散策道へ逸れる。すると、浜中アナの話し声が
     異様にでかい。林の木立から歩いて芝生の広場へ向かうロケ隊を写メ。

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上から下って来るカメラをプリントした白いトレーナーを着ているのが浜中順子アナ
FTVスクールで彼女に会ったことがある姉の話だと、画面で見るあの人柄そのままで、気さくで気配りが素晴らしい人だったという。青学出身で血液型はB型だ。

 アップで見るとこんな感じ↓ 本人とスタッフ3人で移動中(カメラ・音声・ディレクター)
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      いったんやりすごし、滝のある展望台広場へ。桜と鯉のぼりのコラボ。展望台の
    頂上部で若い高校生くらいの男女がピクニックシートを敷いて宴会。展望台からの
    眺望を堪能。市街地はうっすらだが、ビッグアイや高層マンションも見渡せた。
     強風が吹いている。その後、ロケ隊を追って芝生の広場へ向かう。携帯でワンセ
    グが見えたのに忘れる。いつ生中継されているのかチェックすれば良かった。中継
        外の時に声をかけて話ができたのに・・・。

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     芝生の広場でロケ隊発見。浜ちゃんがカメラマンや音声さん、スタッフと大きな声
    ではしゃいでいる。周辺は桜並木で、家族連れや子供たちが芝生の斜面を滑り台に
    して遊んだり、お弁当を食べて、桜の季節を満喫していた。いったんトイレへ。

     50m離れた場所で証拠の写メを撮って、復路へ。スタッフらしき若い男が、漬物を
    お盆に乗せてロケ隊のほうへ。ちょうどすれ違う。

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     来た道を引き返し、中央階段を下りてPへ。黄色いレンギョウも綺麗。

12:42 Pへ戻り、すぐに出発。前の黄色いど派手な宇都宮ナンバーのロードスターが我
     が物運転のDQN野郎。50キロの道路を40キロで走ったかと思えば、いきなりア
     クセル全開で先行車に追いつき、煽ったり、こういう自分本位の運転は事故って死
     んだほうがいい!栃木県民の恥さらしだ。

                             Img_2026_r

12:46 王宮伊豆神社へ。桜吹雪が気持ちいい。ここも杉並木で、桜は街道添いの1本
     のみ。桜吹雪のシャワーを浴びた。

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12:48 同上 発 車内暑くなる。13℃ ぽか陽 信号OUTばかり

12:59 帰宅 走行距離は22.1km

 帰宅後、録画しておいた「サタふく」をチェック。自分が映っていないかドキドキ・・・

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 11:48、自宅を出発した直後に、展望台からの景色を中継していた・・・

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12:17はちょうど私が逢瀬公園のPに到着した時刻 浜中さんはサボテン園から中継中

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私が下山し、帰ろうと駐車場に戻った頃に、さきほどの芝生の広場から中継が始まった!

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私がすれ違った時にスタッフが持って行ったのはまさにこのお盆と漬物!
ちゃっかり生中継にも登場した・・・。

 編集後記

 本日(4月22日(土))は、北海道に関する記事「THE 激変北海道」をアップしましたが、急遽、桜見物を兼ねたこのロケ隊追撃の記事を差し込んだため、明日、再度アップします。

  記事作成:4月22日(土) 
     

2017年4月14日 (金)

THE 閉店・閉館

 長い歴史があるのに、経営危機によって、惜しまれながら閉店を余儀なくされた百貨店がある。また、客に長らく愛された劇場や会館にもかかわらず、老朽化や客離れでやむを得ず閉館したスポットがある。
 我が街・郡山ですら、過去、「丸光」、「津野」、「ダイエー」、「西友(後に西武)」、「丸井」とひしめきあっていた百貨店も、すべて姿を消した。現在は「イオン」、「イトーヨーカドー」、「うすい」、「THE MALL郡山」くらいしかない。過当競争によって閉店を余儀なくされ、駅前は活気が失せた。

 今は無き百貨店

 そごう(有楽町・札幌・錦糸町・多摩・船橋・木更津など)

 ダイエー(碑文谷・赤羽・大崎・練馬など多数)

 三越伊勢丹(新宿店・池袋店・吉祥寺店・横浜店など)

 丸井(中野本店・成増店・ヤング渋谷・高円寺店・大井町店・蒲田店など)

 西武(宇都宮店・大宮店・市川店・鎌倉店・八王子店・春日部店・静岡店・札幌店など)

 今は無き劇場

 日劇(有楽町)

 「日本劇場」(1933年12月24日 - 1981年2月15日閉館)は、かつて東京都千代田区有楽町に存在した劇場。日劇(にちげき)の通称で親しまれた。戦後は東宝映画と実演の二本立て興行を行い、特に実演は日劇ダンシングチーム (NDT) のレヴューと人気歌手のショーが注目を浴びた。とりわけ「日劇の舞台に出る事」が人気芸能人の登竜門となっていた時期があった。昭和30年代はロカビリー旋風に乗り、「ウエスタン・カーニバル」は大盛況となった。

https://www.youtube.com/watch?v=7UdcXXUqOak

 新宿コマ劇場

 東京都新宿区歌舞伎町一丁目にあり、 1956年(昭和31年)12月28日から2008年(平成20年)12月31日まで株式会社コマ・ スタジアムによって運営されていた劇場である。 「演歌の殿堂」として広く認知され、数々のミュージカル作品も上演された。コマ劇や新コマとも言う。

https://www.youtube.com/watch?v=BARDQLPdaXw

 中野サンプラザ(取り壊し後、新築)

 1973年(昭和48年)6月1日開業。東京都中野区にある宿泊・音楽などの複合施設で、特にコンサート会場として、またアイドルの「聖地」として有名である。

 渋谷公会堂(建て替え)

 東京・渋谷にあるコンサートホールである。渋谷区が設置し、指定管理者制度により株式会社パシフィックアートセンターが管理・運営を担当。後述の施設建て替えにより、2015年10月4日を以て閉館され、2018年に新装オープンする運びとなっている。ホールは1975年(昭和50年)頃から人気テレビ番組 『8時だョ!全員集合』(TBS)の公開録画会場としてしばしば使われた。また、歌番組 『NTV紅白歌のベストテン』、『ザ・トップテン』、『歌のトップテン』(日本テレビ系)の公開生放送にも、1988年の秋頃まで使用されていた。有名だった回転舞台は撤去された。

Shibuya

 蔵前国技館

 両国国技館(2代目)が造 られるまで東京での大相撲の本場所を開催していた場所である。外観は純和風で独特 の雰囲気のあるものであった。東京都台東区蔵前2丁目1-1に所在していた。1984年(昭和59年)9月場所千秋楽を最後に閉館。翌年1月場所からは現在の両国国技館へ興行場所が移った。蔵前国技館跡地は東京都に売却し、その売却益が両国国技館建設の資金となった。

 映画館・・・銀座テアトルシネマ、シアターN渋谷、浅草名画座、浅草シネマ、新宿国際名画座、池袋テアトルダイヤ、シネセゾン渋谷、恵比寿ガーデンシネマほか多数)

 郡山でも大映(駅前)、郡映(堂前)、東宝(駅前アーケード内)、ピカデリー(さくら通り八幡坂)、東映(駅前)、スカラ座(駅前・現在まめ膳)、大勝館(現在は駐車場でスカラ座の斜め向かい)など多数あった映画館がことごとく潰れた。今はテアトルの一人勝ち。

 その他

 記事作成:1月15日(日)

2017年3月28日 (火)

福島県の豆知識・豆情報

 これまでに福島県やわが街・郡山に纏わるご当地ネタを100回近く当ブログで書いてきた。それは震災以降、原発の風評被害で苦しむ福島県の現状を全国に発信したいという目的と、何かと疲弊気味の福島県民を元気づける意味合いから書いて来たつもりだ。

 ところで最近、「福島のおきて」という書物を某図書館で借りて読んだ。発行年月日をみると2014年10月が初版であることを考えれば、同じ年の春先、私に来たライター依頼を、当時多忙だった私が固辞したため、郡山市在住のほかの5人の方々に執筆をお願いし、草稿したものと思われるが、もし私が書いていたら、もっと面白いテーマで書けたのに・・・と自虐してしまった。しかもその内容から判断し、編集者に名を連ねているリサーチ協力者たちが私のブログ記事をパクッたと思われるものも多数含まれているし、うわべだけの情報でよくそこまで嘘八百並べて本にできたなと疑念すら感じるものばかりだった。

 
第一、その本では、郡山弁の「~だばい」というフレーズは安積野開拓で福岡の久留米藩から入植した方々の方言が、そのまま根付いたと書かれているが、それは眉唾で、その確証はどこにもない。想像にすぎないことが堂々と書かれている。読者に誤解と間違った知識を植え付ける意味で残念すぎるものだ。また、最近、KFBで郡山市富久山にある「自由の女神像」を猪俣アナが取材した放送(ふくしまニュースJチャンネル)を見たが、それだって私が5年以上も前に記事にした内容だ。もし参考にするなら、ひと言あっても良い気がする。

 このブログでは事実誤認のない間違いないものを厳選し、福島県の実情に即した内容でお送りしたい。

 1 桜前線のジグザグ紀行

 桜前線と言えば、通常は南から北へ向かって進むのが通常だが、我が福島県は少し勝手が違う。それはその地形によるもので、①いわき市→②相馬市(浜通りを北上)→③福島市→④郡山・須賀川→白河→⑤会津・喜多方→只見の順に桜が咲く。まるでジグザグというか、蛇行する。摩訶不思議な現象が毎年の風物詩になっている。浜通りは文字通り沿岸なので海抜0に限りなく近い。震災時には大津波の被害を受けた。そしてなぜ郡山の北45kmにある福島が先かと言えば、これは標高が違うからだ。福島も郡山も阿武隈山系と奥羽山系に囲まれた盆地だが、福島が標高65mに比べ、郡山はその4倍近い240m。小学校の理科で習ったと思うが、晴れの場合、100m登る度に0.98℃気温が下がるる。つまり2度以上郡山は低い。天気予報を見ていても、福島で最高気温が10℃の場合、郡山は7~8℃程度だ。また、郡山から福島に向かう国道4号線は伏拝交差点から、市街地までかなり下る。またいわき市に向かう49号線も、長沢峠から東は下り坂が続くことで理解してもらえるだろう。
 この標高差によって桜前線も蛇行するという訳だ。また、真夏の気温でも、福島県でもっとも気温が高くて暑いのが福島市で、ついで会津若松(標高218mだが山に囲まれているため)、一番涼しくて凌ぎ易いのが浜風が吹くいわき市だ。夏の気温も、福島が30℃でも、いわき市は25℃程度だ。

Sakura

 2 今もモニタリングポストが活躍中

 原発事故発生後のモニタリングポスト設置直後(H23.8)は、郡山市は1.0μSv/hを優に超える高い空間放射線量だったが、6年が経過した今では、私が暮らす八山田付近も0.1μSv/h程度まで下がり、自宅はもちろん公共施設や周辺道路でも除染が進み、日々の暮らしに影響が感じられないレベルまで落ち着いた。
 また、農産物については、その全てにおいて厳しいモニタリング検査を実施している。よって市場に出回る食品はすべて安全基準をクリアしているということだ。

Monitoring_post

 福島県内市町村の高さ1mの空間線量のリアルタイム値はコチラ↓

 http://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/

Fukushimamonitoring

 郡山市の放射線量推移(アニメーション)   
 https://www.city.koriyama.fukushima.jp/186000/shinsai/sui.html

 福島県の農産物のモニタリング情報はコチラ

 http://www.new-fukushima.jp/monitoring/

 http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/mon-kekka.html

 郡山市内で今も空間線量値が0.2μSv/hを超えるホットスポットになっているのは線量が溜まりやすい窪地だったり、低い平地部分、あるいは沼や池の周辺だ。以下、差別視するつもりはないが、3月16日(木)時点で、郡山市の大多数が0.2μSv/h未満であるのに対し、0.2μSv/hを超えている場所を列挙したい。0.2μSv/hを超えたから危険というわけではないのであしからず。あくまで郡山市内の中で比較的高い数値を今でも記録しているスポットとご理解ください。

 参考資料 http://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/area2.html

 五百渕公園 0.270        特別老人ホーム笑風苑 0.207
  鹿島池農村公園 0.266     ユーパロ室ノ木保育園 0.205
 西田スポーツ広場 0.258    梅林公園 0.205
 酒蓋公園 0.234          郡山駅東口 0.204
 宝沢沼公園 0.216                香久池公園 0.202         
 福島柔整専門 0.216             安積高校 0.201       
 開成館 0.214

  郡山市内でもっとも放射線値が高いのは五百渕公園だ。ここには桜小学校や郡山商業高校が近い。
                   

  3 福島県内にある日本遺産

 福島県は県としては岩手県に次いで第2位の面積を誇り、大自然に囲まれた雄大な土地柄である。国立公園や国定公園は多いものの、残念ながら世界遺産に認定されるものはないし、国宝もいわき市内郷にある白水阿弥陀堂の一箇所しかない。東北は、歴史的にもても文化の発展が遅れた土地なのでいたしかたないが、それでも、近年制定された「日本遺産」に認定されている文化財はある。豆知識として県外者にアピールしたい。

 3月16日現在、福島県の「日本遺産」認定は2箇所(日本全国各地では37箇所認定)

 ① 会津の三十三観音めぐり 〜巡礼を通して観た往時の会津の文化〜

 ② 未来を拓いた『一本の水路』-大久保利通"最期の夢"と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代

 私の予想では、廃炉作業がうまくいけば、20年後くらいには「福島第一原発」が世界遺産に認定されるかもしれない。「ノーモア福島」や「核廃絶」のモデルケースとして記憶遺産として後世に残す必要性が生じるかもしれない。

 4 この写真を見たら、絶対に行きたくなるスポット

 ここはどこ?

Tsurugajyo Aizu
Abukuma Takizakura
Tounohetsuri Mt_bandai
        Shibukikori       

 5 残念な今年の郡山市の「3.11」対応

 今年の「3.11」は6年目になり、震災後、初の土曜日だったせいか、行政対応にも配慮を欠く事態を招いた。私は、郡山市役所や行政センター、公共施設などには、事前に下のような、市民に黙とうを呼びかける掲示物が貼られた。

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 しかし、震災当日の市の対応は、この呼びかけとはまるで逆行するものだった。私は市の施設では、日の丸の半旗が掲げられ、震災で犠牲になられた方々へ弔意や哀悼の意を示すと思っていた。しかし、郡山市は、福島県民にとって忘れられない特別な日に、そうした対応をしなかった。さらには震災時刻の直前に、防災無線で黙祷を呼びかけるものと思っていた。しかし、それすら無かった。単に土曜日で関係市庁が休みだったからという理由では済まされない。公務員は襟を正し、然るべき対応をすべきだ。県民の手本として全体の奉仕者として仕事に専念する義務を負っているのは言うまでも無い。やはり親方日の丸のお役所仕事と揶揄されてもやむを得ないだろう。行政が事務的仕事に終始したのは残念でならない。

 冷淡な郡山市の対応を報じる毎日新聞の記事はコチラ

 http://mainichi.jp/articles/20170316/k00/00m/040/101000c

 もっとも郡山は、前郡山市長の原氏が震災直後に家族と共に真っ先に業務を丸投げして避難して行方不明に陥ったという驚きの噂が飛び交った。真偽のほどは不明だが、こういう無神経で冷ややかな対応だから、いつ市民課の窓口に行っても、年配者が怒鳴っている場面ばかり目にするのだろう。全く持ってお役所仕事で、感情の無いロボットのごとき、役人は目の前の仕事だけをやっているだけだ。親しみも感じないし、冷血な印象しかない。

 6 福島県の7大ソウルフード

 ① 喜多方ラーメン
 ② 会津味噌カツ
 ③ 福島円盤餃子
 ④ いわき市のあんこう鍋
 ⑤ 大内宿高遠そば
  ⑥ 会津こづゆ
 ⑦ 烏賊にんじん

  ちなみに福島県の5大スイーツ&ドリンク

 ① 郡山クリームボックス
 ② 太郎庵
 ③ 酪王カフェオレ
 ④ 味噌田楽
 ⑤ 

 福島県の5大洋菓子

 ① 三万石ままどおる
 ② 三万石エキソンパイ
 ③ 柏屋檸檬(れも)
 ④ 白土屋ジャンボシュークリーム
 ⑤ 

 福島県の7大和菓子

 ① 薄皮饅頭
 ② 太陽堂のむぎせんべい
 ③ 柳津のあわ饅頭
 ④ 田村市(旧船引町)のかりんとう饅頭
 ⑤ かんのやゆべし
 ⑥ 強清水てんぷらまんじゅう(鰊・餡・烏賊) 
 ⑦ 二本松玉嶋屋の玉羊羹

 ほかにも「いわきじゃんがら」も有名

 福島県の5大特産品

 ① 地酒(飛露喜・天明・大七など)
 ② 桃
 ③ 米(うつくしま夢酵母使用・DASH村男米、あさか舞など)
 ④ いわき産メヒカリ
 ⑤ カジキマグロ

 意外なもの

 ① 納豆消費量日本一
 ② 会津白孔雀のジャンボとんかつ
 ③ 郡山グリーンカレー

 福島県の懐かCM

 1 喜多方ラーメン村 五十嵐製麺
 2 西尾舞生の福島民友
 3 キャラバンモータース
 4 ホクシンオート(会津若松市恐竜が目印の中古車屋)
 5 うすい百貨店(アヒル)
 6 サンシティ島崎和歌子(3分9秒後)
 7 ハマツグループ
 8 郡山眼鏡院
 9 アサカヤの磐梯そば
10 からしまボウル
11 ホテル聚楽
12 福島りょうぜん漬
13 石のカンノ
14 石の丸正
15 今野貴石
16 佐藤石材店
17 石の店やまき (30秒後)
18 サンキョウ自動車

 今は無き7大レジャーランド

 1 高子沼グリーンランド
 2 磐光グランドホテル&パラダイス
 3 おおすごスキー場
 4 いわき市三函座
 5 照島ランド
 6 郡山レジャーランド
 7 磐梯熱海温泉秘宝館

 平のぺピーランドもかつて存在した遊園地

 福島県の巨大廃墟

 1 横向ロッジ(猪苗代町)
 2 大黒屋(いわき市)
 3 星総合病院(郡山市大町)
 4 太田綜合病院(郡山市中町)
 5 寿泉堂病院(郡山市駅前)
 6 阿武隈高原ホテル(大越)
 7 うすい女子寮
 8 東京電力福島第一原子力発電所(廃炉作業中)
 9 DASH村(浪江町)→復活話あり

 福島県の9大温泉郷

 1 土湯温泉
 2 飯坂温泉
 3 野地温泉
 4 東山温泉
 5 母畑温泉
 6 岳温泉
 7 湯本温泉
 8 芦の牧温泉
 9 磐梯熱海温泉

 福島県の7大民芸品

 1 三春駒
 2 白河だるま
 3 でこ屋敷の張子人形
 4 会津起き上がり小法師
 5 土湯温泉こけし
 6 会津唐人凧
 7 会津漆器(会津塗り)
 8 赤べこ

 記事作成:3月16日(木)

2017年3月27日 (月)

福島県の歴史年表

 我が福島県は震災以降、好奇の目で見られることが多くなった。被害者にもかかわらず、移転先でいじめられ、二重の苦しみを味わっている。実にやるせない思いだ。震災前は、それは緑豊かで、観光資源がふんだんにあって、「浜・中会津」の三地方でそれぞれの特色を生かした名産があった。飯館牛、相馬野馬追、おいしい米、野菜、滝桜、喜多方ラーメン、日本一の地酒など、それだけで客を呼び込める産業が栄えていた。
 我が愛する福島県の魅力を取り戻す意味で、福島県民でも忘れている歴史や出来事を振り返る意味で、いつ、何が起きたかを年表形式で取り上げたい。なお居住地である郡山中心になってしまうことを予めご容赦ください。

1160年 国宝・白水阿弥陀堂完成(いわき市)
1340年 白河小峰城築城
1649年 二本松城完成(霞ヶ城)
1804年 会津藩校日新館完成
1852年 柏屋創業、日本三大まんじゅうの「薄皮饅頭」製造開始
1855年 福島県会が県庁を郡山への移転を決議 しかし実現せず
1860年 かんのや「ゆべし」製造開始
1868年 会津戊辰戦争 三春城、守山城、二本松城、相次ぎ落城
1872年 公立岩瀬病院開設
1874年 郡山開成館完成
1876年 福島県が成立
1880年 安積疎水着工
1882年 喜多方事件
1883年 安積疏水灌漑開始
1876年 開成山大神宮創建
1887年 日本鉄道会社・黒磯~郡山開通
1888年 磐梯山噴火
1889年 蛇の鼻遊楽園開園(本宮市)
1892年 大原総合病院開設
1895年 太田病院開設
1898年 郡山絹糸紡績郡山工場設立
1899年 岩越鉄道山潟-若松間開通(郡山-若松間全通) 日本銀行福島出張所開設
       沼上発電所運転開始
1902年 旧会津藩士 山川健次郎が東大総長になる 冷害凶作と台風被害で飢饉
1904年 開成山競馬場開場
1905年 大凶作
1907年 煙草専売局郡山製造所設立
1908年 鏡閣完成(旧有栖川宮家別荘、猪苗代町)
1909年 郡山に初の電話開通
1914年 本宮映画劇場開場
1915年 白河ハリストス正教会完成 沼尻スキー場オープン
1917年 平郡線郡山-平間全通、磐越東線に改称
1918年 福島競馬場開場 日本化学郡山工場設立 郡山で米騒動起きる
1920年 日本国有鉄道郡山工場設立
1921年 飯坂軌道㈱設立(→福島飯坂電気軌道㈱→飯坂電車㈱)
       磐城無線電信局長波用無線塔完成(原町市) 丸守発電所運転開始
1922年 福島銀行の前身湯本信用無尽株式会社設立
1923年 日東紡績郡山第一工場・第二工場創立 
1924年  福島飯坂電気軌道㈱福島-飯坂(→花水坂)間で運転開始
       郡山公会堂完成 郡山町が市制施行
1925年 郡山駅前で東北初のメーデーデモ行進
1926年 三函座完成(いわき市、映画館)東部電力発足
1928年 郡山合同銀行設立
1929年 福島県立図書館開館(10月14日開館式) 岳温泉スキー場開場
1930年 郡山市役所完成(現・福島県郡山合同庁舎) 
1931年 郡山聖ペテロ聖パウロ教会完成  
1933年 小田原屋創業
1939年 野口英世記念館開館(猪苗代町)
1941年 東邦銀行設立 NHKラジオ開局(福島・郡山)
1942年 大東相互銀行設立 徳定に郡山第一海軍航空隊を設置
       保土ヶ谷化学郡山工場で電解法苛性ソーダ製造開始 
1943年 会津乗合自動車㈱設立 常磐交通自動車設立
1944年 飯坂大火発生 郡山図書館開館 郡山市が軍都に指定される
1945年 郡山大空襲
1946年 「三万石」創業
1947年 ヨークベニマルの前身「株式会社紅丸商店」設立 日本大学工学部設立
1949年 平事件・松川事件発生
1950年 磐梯朝日国立公園指定 郡山女子大学短期大学部設置
       郡山高等技術専門学校(現・テクノアカデミー郡山)設立 竹田総合病院開設
       株式会社ライオン堂を会津若松市に開業
1951年 平競輪開設(→いわき平競輪) 郡山信用金庫設立 郡山駅大改築
       日本大学東北工業高等学校創設
1952年 福島市役所新庁舎が落成 第7回国体開催
1953年 自衛隊福島駐屯地設置 ラジオ福島開局 郡山駅前に平和の女神像建つ
1954年 会津若松に現在の「幸楽苑」の「味よし食堂」開店 郡山市民の歌が完成
1955年 「二本松の菊人形」祭り開始 郡山市民会館開館 
1956年 白虎隊記念館開館(会津若松市)
       開成山競馬場廃止 小名浜が国際貿易港に
       背炙り山空中ケーブル第1ケーブル開業(会津若松市)
1957年 ベルマークが福島県において発祥
1958年 裏磐梯高原ホテル開業 裏磐梯スキー場開場 郡山~須賀川国道舗装完工
1959年 田子倉ダム完成・発電開始 磐梯吾妻道路開通 猪苗代スキー場開設
       NHK福島放送局がテレビジョン放送を開始する
1960年 国鉄 黒磯~福島電化 奥只見ダム完成
1961年 東北本線福島-仙台間電化 会津若松駅改築 郡山市児童文化会館開館
       安積商業高校(現・帝京安積高校)開校
1962年 背炙り山空中ケーブル第2ケーブル開業(会津若松市) さくら通り拡張工事
       福島ステーションビル完成 三森峠開通 福島交通観光設立
1963年 新宮熊野神社「長床」が国の重要文化財に指定
              白河「花市」が「だるま市」と呼ばれるようになる 福島テレビ開局
       西部自動車学校が西の内に設立 コパル精密工業株式会社操業
1964年 あだたら高原スキー場開業 東京五輪開幕(円谷幸吉が男子マラソン銅メダ
       ル)裏磐梯国民休暇村オープン 常磐郡山地区が新産業都市に指定
       尚志学園設立(日本女子工業高等学校)開校       
1965年 若松城(鶴ヶ城)天守閣再建工事落成  第1回うねめ祭り開催
       郡山市の大同合併でマンモス市議会開催 郡山に東洋一の操車場完成
1966年 常磐ハワイアンセンター開業 新栗子トンネル開通式(国道13号)
       国立磐梯青年の家開所 郡山女子大学開学 福島学院短期大学部設立
1967年 磐越西線電化 飯坂ホテル聚楽開業 郡山レジャーセンターオープン
       日産サニー事件発生 丸光デパートが仙台から進出し郡山駅前に開店
       福島県民の歌が制定 三万石「ままどおる」発売開始
1968年 照島ランド開館(水族館、遊園地)那須ロイヤルホテル本館開業
       磐光パラダイスオープン 郡山市庁舎が朝日一丁目に新築落成 
       郡山市大町に「星総合病院」設立
1969年 磐梯熱海温泉「磐光ホテル」で火災、30人死亡、41人重軽傷
       常磐交通 平-郡山-会津若松線運行開始 あぶくま洞発見(滝根町)
       上野-平間特急「ひたち」運行開始 イトーヨーカドー郡山進出 
       ホテル辰巳屋創業
1970年 磐梯ゴールドライン開通 D51開成山公園へ移設 フジグランドホテル開業
       相馬港開港 福島中央テレビ開局  第1回福島わらじ祭り開催
       長崎屋福島店開店
1971年 東電福島原子力発電所運転開始 磐梯グランドホテル、磐光パラダイス開業
       国設甲子高原スキー場オープン  猪苗代スキー場町営リフト営業開始
       グリーンホテル会津開業 福島市内の路面電車が廃止される 常磐炭鉱閉山
       開成山球場で「巨人対ボルティモア・オリオールズ戦」が開催される
       長崎屋会津若松店開店
1972年 あだたら高原スキー場開業(二本松市より安達太良スキー場を買収)
       開成山公園開園 ダイマツボウルオープン 磐梯吾妻レークライン開通
       東北歯科大学開学
1973年 ホテルサンルート郡山開業 あぶくま洞公開(滝根町)平駅落成
       ホテル辰巳屋開業 福交ゴルフガーデン開場 西吾妻スカイバレーライン開通
       東北自動車道白河-郡山間開通 ホテルリステル1猪苗代開業
       紅丸商事が社名を「ヨークベニマル」に変更  郡山総合体育館が開館
       郡山中央公民館が麓山に落成 中学校給食センターが開所 中合福島店移
      転
1974年 東北自動車道矢板-白河間開通 会津が記録的豪雪
       郡山市制50周年で市の花・木・鳥がハナカツミ、ヤマザクラ、カッコウに決ま
      る。ワンステップフェスティバルが郡山開成山陸上競技場で開催される
              開成山球場で「巨人対ニューヨークメッツ戦」が開催される
       エンドーチェーン福島駅前店開店
1975年 東北自動車道白石-郡山間開通 いわき市フラワーセンター開園
       会津武家屋敷開業 西友、丸井、ダイエーが相次いで進出
       東北歯科衛生士専門学校設立・開校 喜多方ラーメンブーム始まる
1976年 ゴルフ場「棚倉田舎倶楽部」開場 東北本線二本松駅新築 常磐炭砿閉山式
       高玉金山閉山 母成グリーンライン共用開始 南東北総合卸センター完成
       酪王乳業郡山工場が竣工
1977年 ホテルサンルート須賀川開業 あだたら高原富士急ホテル開業
       国立那須甲子少年自然の家開設 台風11号で大被害 
       郡山郵便局を中町から朝日二丁目へ新築移転 郡山「郡映」が閉館
       ビバホーム福島県第一号店(須賀川)開店 福島市黒岩ダイユーエイト第1号
      店
1978年 郡山ビューホテル開業 那須甲子有料道路開通 スターホテル郡山開業
       日本大学高等学校開校
1979年 東北サファリパーク開園(二本松市) 福島東急イン開業 会津歴史館開館
       福島大学教育学部が金谷川へ移転 郡山シティホテルオープン
       「サンキョウ」をいわきから郡山市に本社移転
1980年 ホテルサンルートいわきオープン 福島ワシントンホテル開業 冷夏で冷害発
      生
              ふるさと村白河関の里オープン 郡山市クリスマス豪雪で大停電 丸光撤退
1981年 「いわきおどり」初開催 福島放送開局 郡山中央図書館(麓山)が開館
       総合南東北病院開院 郡山高等厚生学院郡山準看護高等専修学校に改称  
1982年 ニコニコ共和国独立宣言(岳温泉) 東北新幹線開通(大宮ー盛岡間)
       郡山サンシティ営業開始 会津高原アストリアホテル開業
       だいくらスキー場開設(田島町) 長波用無線塔解体(原町市)
1983年 裏磐梯高原ホテル開業 郡山ワシントンホテル開業 羽鳥湖スキー場開設
       三春歴史民俗資料館オープン  テレビユー福島開局
1984年 日中線廃止(喜多方-熱塩間) 背炙り山空中ケーブル休止 郡山南IC開所
       福島県立美術館開館 福島市音楽堂開館 いわき石炭化石館開館
              福島市音楽堂ができる 河内清掃センター開所
1985年 いわきマリンタワーオープン 猪苗代リゾートスキー場完成
       郡山市の人口が30万人を超える
1986年 福島ビューホテル開業 阿武隈急行開業 京急猪苗代リゾートホテル開業
       野岩鉄道会津鬼怒川線開業、東武鉄道と相互乗入れ運転開始
       県立博物館開館(会津若松市) リステル・スキー・ファンタジアオープン
       裏磐梯猫魔スキー場オープン 福島交通経営破たん(負債740億円)
       八・五~六水害発生 「郡山そごう」が青木市長就任で出店を断念
1987年 会津若松ワシントンホテル開業 裏磐梯ロイヤルホテルオープン
       ラフォーレ白河ゴルフコースオープン 会津鉄道開業  津野百貨店廃業
              会津慈母大観音建立 ゴジラの卵制作(須賀川市ゴジラの里)
       サンキョウをゼビオに改称 
1988年  常磐自動車道日立北-いわき中央間開通 磐梯山噴火記念館開館
       大規模年金保養基地「グリーンピア二本松」オープン  福島ルミネ営業開始 
              古関裕而記念館オープン(福島市) 県立医大新キャンパス落成 
       会津東山おおすごスキー場開設
       郡山国際ホテル(現・ビューホテルアネックス」オープン
1989年  第一イン郡山開業 芭蕉記念館オープン 「キョロロン村」オープン
              「郡山ユラックス熱海」落成式  みのわスキー場オープン
              郡山カルチャーパークオープン  クレストヒルズゴルフ倶楽部オープン
              郡山で暴力団抗争で組事務所に銃弾4発撃ち込まれる事件が発生
       中山峠新トンネル開通 
1990年  ホテルプルミエール箕輪開業 ルネサンス棚倉クアハウスオープン
              常磐ハワイアンセンターがスパリゾートハワイアンズに改称
       磐越自動車道郡山~磐梯熱海開通 テキサスA&M郡山校開校
       日本女子工業高校を尚志高校に改称 郡山火葬場(薬師堂)が閉場
1991年  エビスサーキット開設 ホテルハマツ開業 郡山ビューホテルアネックス開業
              東横イン郡山オープン  白河小峰城天守閣再建  郡山東山悠苑が開所
              石井舞ちゃん行方不明事件発生 麓山の滝が復元される
       エンドーチェーン福島駅前店閉店
1992年 福島-大阪間高速バス「ギャラクシー号」運行開始 パルセいいざか落成式
      モスクワボリショイサーカスのライオンが脱走、射殺 山形新幹線開通
              磐越自動車道猪苗代磐梯高原-会津坂下間開通 郡山市立美術館開館
              いいのまちUFOふれあい館オープン(飯野町)いわき市アンモナイトセンター
              オープン グランデコホテル&スキーリゾート開業 裏磐梯猫魔ホテル開業
       東北歯科大学が奥羽大学に名称変更 郡山女子大学大学院設置
1993年 福島空港開港(2000m) リカちゃんキャッスルオープン(小野町)
       安達ヶ原ふるさと村オープン アルツ磐梯スキー場オープン  会津大学開学
1994年 ブリティッシュヒルズ開業  メローウッドゴルフクラブオープン
              遊びと学びのミュージアムオープン(霊山こどもの村) 平駅がいわき駅に改称
        飯坂温泉若宮旅館本店で火災、6人死亡 いわきサンマリーナオープン
              會津風雅堂開館 弥彦競輪場外売場「サテライト会津」オープン
       トポス郡山店閉店 郡山市役所分庁舎完成 第1回郡山シティマラソン開催
       福島四季の里オープン
1995年 ふくしま国体開催(第50回国民体育大会) キビタンがマスコットキャラクターに
       柳津西山地熱発電所営業運転開始 福島テルサオープン 
       磐越自動車道いわき-郡山間開通  世界のガラス館開館(猪苗代町)
              飯盛山のさざえ堂が国の重要文化財に指定 エフエム福島開局
1996年  町営宿泊施設「季の郷湯ら里」オープン 磐越道会津坂下-西会津間開通
       東北最大の前方後方墳「大安場古墳」が発掘される ジャスコ郡山店オープン
       富久山清掃センター開所
1997年  須賀川市の巨大モミュメント「ゴジラの卵」撤去 いわき・ら・ら・ミュウオープン
              三春ダム資料館開館  安達太良山で登山客が硫化水素ガスで4名死亡
       磐越自動車道全線開通(西会津-津川間開通)ハワイアンズ「江戸情話与一」
       郡山市が中核市に移行  
1998年 ふくしまスカイパーク開場 福島-新宿間高速バス運行開始
       草野心平記念文学館開館 ボートピア玉川オープンウインズ新白河オープン
       ビッグパレットふくしま完成  福島空港2500m滑走路供用開始
       帝京安積高校教諭に対する銃撃・脅迫事件発生 
       集中豪雨被害発生
1999年 東横イン福島駅西口オープン  磐越西線SL(C57)定期運行開始
              福島-上海、ソウル定期便就航 諸橋近代美術館開館 いわき市中核都市に
       高子沼グリーンランド営業終了  うすい百貨店リニューアルオープン
       阿武隈川平成の大改修工事  長崎屋福島店閉店
2000年  磐梯グランドホテル営業終了  アクアマリンふくしま開館 
       こおりやま文学の森開館 ザ・モール郡山オープン
              東日本旅客鉄道総合研修センター開設  福島DASH村開拓スタート
2001年  裏磐梯観光ホテル(裏磐梯猫魔ホテル経営)が破産宣告を受け営業停止
              大黒屋デパートが破産宣告を受ける  からむし織の里落成式
              第11回ジャパンエキスポうつくしま未来博開催(須賀川市、~9月30日)
              ムシテックワールド(ふくしま森の科学体験センター)開館(須賀川市)
       ビッグアイ竣工 県文化財センター白河館「まほろん」オープン
       郡山市総合地方卸売市場が竣工 ライオン堂をリオンドールに改称
2002年 いわきワシントンホテル開業 グリーンピア二本松閉鎖 福島~伊丹線開設
       フェスタ観覧車開業 長崎屋会津若松店閉店 ゼビーをゼビオスポーツに統合
2003年 県内スキー場ホテル相次ぎ民事再生法 道の駅そうまオープン
       アウシュヴィッツ平和博物館移転開館 片岡鶴太郎美術庭園オープン
              コラッセふくしまオープン  東横イン福島駅東口オープン
       二十一世紀記念公園(細沼)、平成記念郡山こどものもり公園(日和田)開園
2004年  鎌房興業が破産宣告を受ける(羽鳥湖スキー場)裏磐梯猫魔ホテル営業再開
              グランディ羽鳥湖スキーリゾートオープン グランデコスキーリゾート営業開始
       磐梯熱海温泉ケヤキの森散策路完成
       平成の市町村合併開始2008年までに90市町村が55に
2005年 さくら野百貨店福島店閉店 只見線(西若松~喜多方間)と直通運転開始
       絵本美術館オープン(いわき市) ふくしま屋台村こらんしょ横丁オープン
       福島~成田間バス運行開始 ラウンドワンスタジアムオープン(福島市)
       郡山市西ノ内の雑居ビルに銃弾が撃ち込まれる事件発生
       郡山市が鳥取市と姉妹都市提携
2006年  ホテルメッツ福島開業  あづまスキー場閉鎖 東横インいわき駅前オープン
                
翠ヶ丘公園、ブリティッシュヒルズが「恋人の聖地」に認定される
       旧国立病院郡山診療所跡地に「ビッグハート」開院
2007年 スパリゾートハワイアンズ「WaiWai OHANA」オープン
       「ウェルサンピア会津」が「大江戸温泉物語湯屋あいづ」に改称 
       東横イン福島駅東口2オープン リッチモンドホテル福島駅前開業
       いわき駅ビル「ヤンヤン」閉館 フラ・ミュージアムオープン
       郡山布引風の高原オープン
2008年 いわき芸術文化交流館ALIOSオープン ルートインいわき駅前開業
       福島交通が会社更生法適用申請(負債73億9千万円)
       伊佐須美神社出火、拝殿焼失(会津美里町) 納豆年間消費量日本一
              芦ノ牧温泉駅の初代ネコ駅長に「ばす」就任 郡山音楽都市宣言
2009年 飛鳥Ⅱが小名浜港に初入港 いわき東急イン営業終了
       ホテルエクセルいわきオープン ニコニコこども館開館 大安場史跡公園開園
2010年 「アクアマリンえっぐ」開設 いわき市石炭・化石館リニューアルオープン
       旧堀切邸オープン 福島東急イン閉館ホテルクラウンヒルズ福島プレオープン
       東京電力福島第一原発3号機でプルサーマル営業運転開始
       郡山市のイメージキャラクター「がくとくん」 開成山球場リニューアルオープン 
       第1回いわきサンシャインマラソン開催 中合会津店閉店
2011年 東日本大震災発生、福島第1原発が津波で被害 水蒸気爆発で避難
       福島県立美術館、アクアマリンふくしま再開 45年ぶりフラガール全国キャラバン
              鶴ヶ城天守閣リニューアルオープン 白河市立図書館オープン
       新潟~福島集中豪雨で只見線が寸断 オリジナル米「天のつぶ」デビュー  
2012年 からしまボウル湯本火災全焼  福島競馬再開 小名浜遊覧船運航再開
       スパリゾートハワイアンズ「ウオーターパーク」営業再開「モノリス・タワー」開業
       グランシア須賀川に改称 東北サファリパーク「ゾウの森」オープン
       郡山カルチャーパークジェットコースターで死亡事故
2013年 リカちゃんキャッスル改装オープン いわき回廊美術館(SMoCA)開館
       四倉海水浴場3年ぶり海開 いわき蟹浜温泉2年4ヶ月ぶりプレオープン
        裏磐梯リニューアルオープン 旅館「不動湯温泉」全焼
              NHK大河ドラマ「八重の桜」放送開始(会津藩、新島八重)
              いわき市ご当地アイドル、アイくるガールズ結成
2014年  塩屋埼灯台修復工事完了 旧伊達郡役所復旧再オープン
       磐線広野-竜田間営業再開 サンライズインいわきオープン
       道の駅あいづ湯川・会津坂下オープン 郡山でB-1クグランプリ開催
       磐自動車道浪江-南相馬間、相馬-山元間開通
       郡山市ご当地アイドル、せせらぎ小町結成
2015年 常磐自動車道常磐富岡-浪江間開通 新千歳-福島線撤退(全日空が継承)
              ザ・セレクトン福島に改称 島さくら遊学舎」オープン(三春町)
              野口英世記念館リニューアルオープン 「フルーティアふくしま」運行開始
       火山性ガスにより「磐梯吾妻スカイライン」を全面通行止めにする 
       スパリゾートハワイアンズ「フィッシュゴーランド」オープン
       アクアマリンふくしま屋外展示施設「わくわく里山・縄文の里」オープン
       裏磐梯レイクリゾートリニューアルオープン 郡山逢瀬ワイナリーオープン
2016年  土湯温泉東鴉川親水公園足湯「土ゆっこ」5年ぶり復活
             ホテルグランデコが裏磐梯グランデコ東急ホテルに改称
       磐城平城本丸跡地に「一夜城」設置 福島沖地震発生(M7.4)、津波発生
       福島県の神社で100体以上の石像を壊したとして韓国人の男を逮捕
       全国新酒鑑評会で4年連続金賞受賞数日本一

2017年 アパホテル福島駅前オープン 常磐線浪江―小高間運行再開
       ダイワロイネットホテルオープン
       郡山富田駅開業(4月) 開成山屋内水泳場オープン(7月) 


 参考資料 http://web2.nazca.co.jp/xu3867/page070.html

        郡山の歴史

 震災日のこの日、福島県の復興・再興を願って、このような記事を記してみた。わが福島県は復興はまだ道半ば。あと25年はかかるであろう東京電力福島第一原発の廃炉作業。かつて広島と長崎に原爆が投下され、多大な被害を受けながら、両県は観光地として再興した。福島もあと何年かかっても、必ずや元の福島県を取り戻せると信じている。

 記事作成:3月11日(土)

2017年3月11日 (土)

震災の記憶(6周年)

 今日であの未曾有の大災害をもたらした「東日本大震災」から丸6年が経過し、7年目を迎えることとなった。2万人近い人々が地震や津波によって命を落とした。街を見渡せば、未だに瓦屋根があの日のまま放置されていたり、ブルーシートがかけられたままの光景があちこちに見られる。一見、表面上は平静を取り戻したかのように見えるが、主な施設や公園には忌々しい放射線値を測るモニタリングポストが立ち、未だに農業・水産業は大打撃を受けたままである。外部&内部被曝によって、いつ甲状腺がん発病するかわからない状況下で、我が故郷・郡山は、あまりニュースで取り上げられなくなった「原発」の見えない恐怖と背中合わせの中で、生活しているのである。今日は、丸4年を迎えた震災記念日にあたることから、早く忘れたい記憶ではあるが、決して忘れてはならぬあの日の出来事を記憶の中に残すべく、震災の日のことを回顧し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、合わせて黙祷を捧げ、追悼も行いたい。

 平成23年3月11日(月)午後2時46分

 その日は休暇を貰い、午前中、息子の中学校の卒業式に参列した。その後、和風レストラン「まるまつ」で昼食をとり、その後、「K'sデンキ」でブルーレイデッキの商談をし、時間潰しに思いつきで「ブックマート」に立ち寄り、立ち読みをしていたのだった。

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左上の場所で携帯の「緊急地震速報」が鳴り、急いでカウンター左側の出口へ駆け足。

                     ↓

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間髪入れずに体験したことがないような大きな揺れが襲いかかった。外では車が前後に激しく揺れ、今にも飛び出しそうだった。大きなガラスにヒビが入った。長くてなかなか収まらなかった。

                     ↓
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この外灯が倒れてきそうな感じだった。ほどなく入口から次々と人が外へ飛び出してきた。車に飛び乗り、車が前に飛び出ないように必死でブレーキペダルを踏み続けた。

                     ↓

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  車内から見ると、目の前の4階建てマンションが前後に傾くように大きく揺れ、隣りの和風レストランの瓦屋根が次々と落下。運転席で必死にブレーキをかけながら「早くおさまれ!」と祈りながら「うわっうわっ!」としか言葉が出て来なかった。この時、とんでもない大変な出来事が起こってしまったことを悟った。

 そして突如周辺は猛吹雪に・・・。この世の終わりを思わせるような長くて激しい揺れが続いた。3分くらい大きな揺れが続いた後、ようやく収まってきたところで、自宅や実家の状況が気になり、ひとまず自宅へ向かう。信号が消え、かっぱ寿司の東側の狭い通路を迂回した。ファミマの交差点から左折し、R49に入り、バイパスを駆け上がってとにかく自宅まで飛ばして帰った。すると幸いにも自宅は崩れてはいなかった。断続的に大きな揺れが襲いかかり、自宅前の電柱が大きく揺れる余震が続いた。家具が倒れ、玄関から容易に室内に入れない状況だった。やがて昼食から息子たちが帰宅し、家族の無事を確認した。更にワンセグで状況確認。次々飛び込んでくる情報で、災害の状況が明らかに。「大津波警報」という聞きなれない文言がテロップで流れ、アナウンサーの必死の形相で事の重大さを認識したのだった。幸い自宅は停電は免れたが、水道がストップした状態だった。電話は震災直後からまるで通じず、実家の安否は不明だった。

 動画で振り返る福島県(郡山中心)の状況

 ① ラジオ福島(2分41秒から)

 スタジオの物音から判断すると、2分41秒から5分24秒までずっと大きな揺れが続いていたことが解る。つまり2分43秒もの長い間、震度6クラスの大地震が継続して発生していたことになる。深作アナウンサーは努めて冷静に身の安全の確保を訴え続けた。一切取り乱すこともなく、アナウンサーの鑑だ。

 ② 郡山市内の店舗のカメラ

http://www.youtube.com/watch?v=iuL5szlZIkY

http://www.youtube.com/watch?v=RAA18wCKpzw

http://www.youtube.com/watch?v=FX7l1-0CXRc

http://www.youtube.com/watch?v=w3dy4DUPH88

 ③ 堂前の小料理屋の客が撮影した動画

http://www.youtube.com/watch?v=FqQIc0Jic0g

 ④ アミューズパーク郡山(旧郡山スケートセンター)

http://www.youtube.com/watch?v=DwP5VLVonJ4

 ⑤ FTVの社内カメラ

http://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

 ⑥ 4号バイパス(日和田のJUSCO前付近)

http://www.youtube.com/watch?v=hJvidAganrc

 ⑦ うすい百貨店周辺

http://www.youtube.com/watch?v=J7yubGtkKMQ

http://www.youtube.com/watch?v=QK2O5lrRurk

 ⑧ 郡山駅

http://www.youtube.com/watch?v=NWuwHtZtHfY

http://www.youtube.com/watch?v=emyJZTklhhs

 ⑨ 富田町界隈(カインズホーム)

http://www.youtube.com/watch?v=RUY5buYYLWM

 ⑩ 震災後の状況(外国人撮影)

http://www.youtube.com/watch?v=zUGs3V85uAo

http://www.youtube.com/watch?v=jWfNct5imr8

 ⑪ 福島第一原発の水蒸気爆発

http://www.youtube.com/watch?v=r3tG_E0XGck

http://www.youtube.com/watch?v=eLr5_UxhoTA

http://www.youtube.com/watch?v=7V-0XBdS86A&list=PLD19730E43CC6D63F

 「東日本大震災120秒で振り返る衝撃映像集」 *閲覧注意

 「東日本大震災」国家存亡の危機180秒映像! *閲覧注意

 「1000年後に残したい映像」

http://www.youtube.com/watch?v=dkdHZKefQOI

 今も放射線被害が続き、風評被害にも苛まれている状況が続いている。農業、水産業は再開の目処が立たない状況が続いている。原発周辺の町(大熊・双葉・浪江・富岡)は未だに立ち入り制限されたままで、誰も住めない状態である。避難所生活や仮設住宅に移住したままである。県外に散らばった県民は、一体いつになれば故郷に戻れるかわからない。この2年、未曾有の災害だったこともあり、政府の対応は後手後手で、未だに私が暮らす郡山市は除染が進まないでいる。いつになったら元の平穏な生活に戻れるか先が見えないが、福島県民としてプライドを失わず、前を向いて協力しながら一歩ずつ前進していきたい。

 今、あの日から6年たっても未だに疑問に思うことがある。それは2,556人もの人たちが津波で行方不明になっているが、海沿いに住んでいた人たちは、あれほどの体験したことがない巨大地震に襲われ、「大津波警報」が出されていたにもかかわらず、なぜ津波の犠牲になったのか?津波の襲来まで20~30分は逃げる時間があった筈だ。津波に対しての過信があって逃げなかったのか?それとも逃げるための足が無かったのか?みすみす津波が来るのを傍観していたのか?家族の安否を気遣い、自宅に戻る途中で巻き込まれて犠牲になったのか?防波堤を越えて、まさかここまでは津波がやって来ないだろうという油断があったのか?
 私だったら、海釣りをやる身として、海の近くに住んでいる方々というのは、私以上に、地震や津波に対する備えや気構えはあったと思うのだが・・・。
 犠牲になられた方には不謹慎かもしれないが、逃げずしてみすみす命を落とした人も多いのではないだろうか?

 最後に被災者の皆さんに激励のソングをお届けしたいと思います。

  門馬よし彦 「願い」

https://www.youtube.com/watch?v=KQP9WIPRwHc

 震災からの記録「願い」」が完成しました。写真は、3月11日の東日本大震災以来、ラジオ福島の大和田新アナウンサーが報道取材時に撮影したものです。写真一枚一枚に人々の苦悩や悲しみを感じ、復興への道を力強く歩まなければならないことを再認識させられます。まだまだこれからです。私たちは歩み続けます。子どもたちの未来のために・・・・

 群青

 福島県南相馬市小高区。東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置し、原発事故後に「警戒区域」に指定された。今もおよそ1万2000人の住民が避難生活を送っている。その小高区で唯一の中学校だった小高中学校は、現在、原発から北に37キロ離れた鹿島小学校の一角に建てられた仮設校舎で授業を行っている。

 <普天間かおり 「Smile Again」

  ♪負けないで 負けないで 生きてゆくこと あきらめないで

           がんばって がんばって たくさんの愛が見守っているよ♪

  福島県で亡くなられた方、1,612人、行方不明者202名 

 また東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

 記事作成:平成29年2月3日(金)

 

 

2017年3月10日 (金)

福島県民を救った男たち

 福島県は「東日本大震災」が発生するまでは、緑豊かで長閑な田園風景と風光明媚な観光地、そして自然の恵み豊かな食料が溢れ、それは裕福な土地柄だった。しかし、原発事故を境に人々の生活は一変した。私自身、いつ福島県や職を捨て、避難をしなければならなくなるのか不安だらけの日々を送った。GSからガソリンが消え、コンビニからは食品が無くなった。「もう終わった」と誰もが思った中、県民に希望を与える救世主となった人たちが存在した。今日はそんな福島県民にとって「命の恩人」と言えるような男たちを紹介したい。

 吉田昌郎所長

 東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故当時、所長として勤務し、指示を出す本社や首相官邸とのやり取りの中、現場に留まり、その収束に向けて指揮を執り続けた。本社の意向を無視し、海水による原子炉を冷却することを懇願したり、一刻も猶予のない切迫した中で、放射能漏れや拡散の恐怖と闘い続けた。そして退職後、すぐに胃がんを発症し、この世を去った。これは紛れもなく、間近で放射線を浴びた結果と誰もが予想した。そしてこの事故を自分の責任において処理したいという熱意が、逆に彼の体をストレスが襲い、知らず知らずのうちに蝕んでいたに相違ない。 

 所長として、体調不良を押しながら4号機燃料プールの補強工事を行っていたが、人間ドックで食道癌が発見され、2011年11月24日に入院した。その後2011年12月1日付で病気療養のために所長職を退任し、本店の原子力・立地本部事務委嘱の執行役員に異動となった。東京電力によると被曝線量は累計約70ミリシーベルトで、医師の判断では、被曝と病気との因果関係は極めて低いとされている。米山公啓聖マリアンナ医科大学医学部第二内科元助教授は職責などからくる極度のストレスが原因ではないかと指摘している。

その後入退院を繰り返し、抗癌剤治療を経て、2012年に食道切除術を受けた。その後東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の調査などを受けていたが、2012年7月30日、東京電力は26日に吉田が外出先で脳出血のため倒れ緊急入院し、緊急手術が行われたと発表した。容態については「重篤だが意識はあり、生命に別条はない」とした。

治療のかたわら、原発事故に関する回想録の執筆を行なっていたが、2013年7月8日の深夜に容態が悪化、翌7月9日、食道癌のため慶應義塾大学病院で死去。58歳没。死去に際し、広瀬直己社長から「決死の覚悟で事故対応にあたっていただきました。社員を代表して心より感謝します」との声明が出された。
 事故から2年4か月後であり、どう考えても放射線が影響したことは間違いない。私は文字通り命を懸けて職責を全うした「命の恩人」だと思ってやまない。

 高野英男医師

 原発事故現場から一番近い病院として知られ、広野町にある「高野病院」。そこでたったひとりで患者に寄り添い、80歳の高齢で、満足に歩けない体で最後まで医師として診察を行ってその生涯を全うした医師。患者に慕われ、絶大な信頼の元、血の通った医療を実践したその人は、昨年の暮れ(12月30日)、不慮の火災により、その生涯を突然閉じた。患者を始め、地域の方々の悲しみと絶望感は大きく、今もなお、彼の死を悼んで多くの方々が病院を訪れ、彼の遺影に向かって手を合わせ、お供えをしている。
 彼は政府関係者や警察消防が避難を呼びかけても、患者を無理に搬送することで、容態が悪化する高齢者が多く入院していたことを危惧し、その要請を断り、一人で診察や患者の治療を継続したのだった。彼の穏やかな性格に、高齢者を始めとする患者たちは彼をしたい、信頼していたのだった。医療の真の姿を彼の生き様を通じて知った思いがする。彼の遺した功績を誰かが継いでほしいと心から願う。

 東京消防庁の特命消防士たち

 日本を救うため、原発事故に勇猛果敢に挑んだ特殊チームの面々。アラームが鳴りやまぬほどの高レベルの放射能の中、原子力建屋を冷やすために、消防車でメルトダウンした原子炉の直近まで迫り、命がけの放水活動を行った。
 2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の巨大地震。大津波が福島県沿岸を襲った。海岸端に建つ原子力発電所に津波が飲み込まれ、まさかの全電源喪失の危機的状況。原子炉が冷やせず、異常高温となり、炉心が溶け出し、燃料が漏れる非常事態。我が国初の「原子力非常事態宣言」が発令され、危急存亡の危機を迎え、付近の住民は緊急避難を余儀なくされた。着の身着のままで故郷を脱出した人々。第二のチェリノブイリと化す危険の中、彼らが特命を担い、死と背中合わせの状況の中、「誰かがやらなければ日本は滅びる」との信念から、果敢に任務に挑み、見事その職務を果たし、日本を救ったのだった。彼らにだって愛する家族がいる。誰も好んで死に直面した現場に向かうのは怖かったに違いない。しかし、彼らの懸命な姿を見て、地元の人々は勇気づけられたことは間違いない事実だ。

 石原元都知事の感涙と感謝の言葉

 彼らの勇敢な姿を見て、消防士になりたいと思った若者が多かった。国を守り人を救うという使命感に燃える彼らの姿は、被災者の希望の星となった。6年近く経った今でもこの映像を見ると涙が込み上げて来る。 

 最後に、東日本大震災で交通網が寸断される中、被災地に石油を届けるために奔走した鉄道マンの底力を描いた画像集をご覧いただき、感謝の気持ちをここに表したい。

 明日は震災から丸6年となる震災祈念日。毎年掲載している「震災の記憶」を地震発生時刻の午後2時46分にアップしたいと思う。

 記事作成:2月3日(金)

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