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日記・コラム・つぶやき

2019年4月22日 (月)

お知らせ(H31.4.22)再掲載

 当ブログ「時遊人SUZUのひとり言」は、昨年の4月27日をもって終了しましたが、8か月を経過した今でも毎日1,000件を超えるアクセスをいただいていることや、たまに地元記事への郷愁コメントをいただいている点を鑑み、ブログを下記の要領で再開いたします。

 1 当ブログはすでに残り容量が3%程度しかありませんので、別のタイトルで新規に立
    ち上げます。正直に言いますと、すでに3月以降、200記事程度をアップしてあります。

 2 前回のブログ記事の執筆を終了した理由が、仕事多忙によるものでしたので、大変
    勝手ですが、毎日の更新は無理と思われますので、新しいブログでは2日~5日に1
    回のペースで新規記事の更新をしたいと考えています。

 3 当ブログを長年ご覧いただき、私の趣味、さらには書き方のクセ(傾向)等を認識され
    ている方は、ぜひ、新しいブログを見つけて当てていただきたいと思います。

   そしてこの記事のコメント欄に、私の新しいブログタイトルをご記入いただければ幸い
    です。コメントは公開しませんが、もし正解であれば、コメント欄にご記入いただいたハ
    ンドルネームを記載し、正解か不正解かのみをお知らせいたします。

   つまり、9年間、「時遊人SUZUのひとり言」をご愛顧いただいていた方には、新しい
    ブログ名をお知らせし、引き続きご覧いただけるようにしたいと思います。

   ヒント:新ブログは、タイトルに「時遊人」とか「SUZU」という名称は使用しません。

  以上、勝手な再開基準ですが、それでも引き続きご覧いただける方は、ぜひともコメント
をお寄せください。

2019年1月 1日 (火)

お知らせ(H31.1.1)

   平成最後の年が明けました。まずは「あけましておめでとうございます」。   

         Syogatsu    

 この記事をご覧いただいた方に、新年早々お知らせがあります。

 当ブログ「時遊人SUZUのひとり言」は、昨年の4月27日をもって終了しましたが、8か月を経過した今でも毎日1,000件を超えるアクセスをいただいていることや、たまに地元記事への郷愁コメントをいただいている点を鑑み、ブログを下記の要領で再開いたします。

 1 当ブログはすでに残り容量が3%程度しかありませんので、別のタイトルで新規に立
    ち上げます。正直に言いますと、すでに3月以降、200記事程度をアップしてあります。

 2 前回のブログ記事の執筆を終了した理由が、仕事多忙によるものでしたので、大変
    勝手ですが、毎日の更新は無理と思われますので、新しいブログでは2日~5日に1
    回のペースで新規記事の更新をしたいと考えています。

 3 当ブログを長年ご覧いただき、私の趣味、さらには書き方のクセ(傾向)等を認識され
    ている方は、ぜひ、新しいブログを見つけて当てていただきたいと思います。

   そしてこの記事のコメント欄に、私の新しいブログタイトルをご記入いただければ幸い
    です。コメントは公開しませんが、もし正解であれば、コメント欄にご記入いただいたハ
    ンドルネームを記載し、正解か不正解かのみをお知らせいたします。

   つまり、9年間、「時遊人SUZUのひとり言」をご愛顧いただいていた方には、新しい
    ブログ名をお知らせし、引き続きご覧いただけるようにしたいと思います。

   ヒント:新ブログは、タイトルに「時遊人」とか「SUZU」という名称は使用しません。

  以上、勝手な再開基準ですが、それでも引き続きご覧いただける方は、ぜひともコメント
をお寄せください。

2018年4月27日 (金)

時遊人SUZUのひとり言~グランドフィナーレ~

 2009年4月27日に開設した当ブログ「時遊人SUZUのひとり言」は、本日(2018年4月27日)を持ちまして終了させていただきます。長らくのご愛読に感謝と御礼を申し上げます。

 

 ブログタイトルの通り、昔と今の移り行く変化と現状を鑑みて、昔話として懐かしむといった趣旨で始めましたが、いつしか日々の雑感や旅行記、時々刻々の話題も取り上げ、さらには社会風刺や現在取り沙汰されている社会問題にまで踏み込んだ批判記事なども展開するに至りました。
 最後は、日常のストレス解消や認知症予防のための備忘録など多種多様な話題に首を突っ込み、無理して記事を書いてきたような状態に陥りました。

 そして気づけば、丸9年が経過し、3,500記事近くに上り、容量も残り僅かな状況となったことで、ネタ切れや仕事上の多忙化に見舞われ、体力的にもきつくなったことが終了を決断した大きな理由です。

 しかし、この9年で毎日3,000件を越えるアクセス数をいただき、当初の目的をほぼ達成でき、自身の中でやりつくした感(使命感を全うしたこと)もありました。

 その間、日本全国、時には世界各国から累計で800万件を超えるアクセスをいただき、その反響の大きさに驚くと共に、時には私の身勝手な記事に賛同や共感してくださる方のコメントに支えられ、また時には手厳しい叱咤激励があって、何とか今日まで続けて来れた次第です。改めて感謝×感謝です。

                                Kansya_2
 なお、終了を決断した昨年11月時点では、本日をもって「完全閉鎖」を考えていましたが、多くの方々から「終了」を惜しむ声がコメントとして寄せられたことから、以下のカテゴリー記事につきましては、引き続き閲覧できるようしたいと思います。

 4月28日(土)以降も閲覧可能なカテゴリーと記事

 1 郡山の話題(福島県の話題を含む)
  2 釣行記(余談)
  3 旅行・地域
  4 アクセス数が歴代10位以内に入る人気記事
 
   ① 若くして亡くなった有名人~続編~
   ② 郡山のミステリースポット
   ③ 福島県で起きたミステリー事件ファイル
   ④ B型男性に惚れやすいA型女性
   ⑤ O型女性に惚れやすいA型男性
   ⑥ 芸能人カップルに見る血液型相性
   ⑦ 今は無き郡山の建物・店舗
   ⑧ 芸能人に多い名前 ~男性編~
   ⑨ 引田天功の「世紀の大脱出」
   ⑩ 江戸川乱歩の「美女シリーズ」の亡き名優たち

 5 その他 管理人が必要と考えた記事

 6 ブログ終了後、再掲載を要望するコメントが寄せられた場合

 また、「ココログフリー」は、新規記事の更新がないまま一年が経過すると、自動的に閉鎖(削除)となってしまうため、「ようこそ釣り天国へ」と相互リンクしている「釣行記」に限り、不定期となりますが、備忘録も兼ねて随時更新したいと考えています。

 最後に、睡眠時間3~4時間という超多忙な日常から解放され、安息の日が訪れた時や、執筆意欲が再び湧いた時には別のブログ名で再開することもあるかもしれません。その際はまたよろしくお願いします。

                    
 

 それでは9年間お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。 (SUZU)

                  Kansya2

 

 

 

2018年4月22日 (日)

2018年4月期のCMベスト5 (終)

 その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。今回もこの4月に放送されたCMから気に入っているCMを5作品お送りします。

 1位 JRA 勝負服編

 松坂桃李、高畑充希、土屋太鳳、柳楽優弥の4人が出演している人気シリーズCM
 この4月は「桜花賞」で、勝負服がテーマ。見る側も勝負パンツ?を履いている気持ちの入れよう。そのやりとりが面白い。

 2位 新垣結衣 ビオリス新cm 「あまりにもきれいで」30秒篇

 ガッキーはスタイル抜群で脚が長い!今年三十路だとは思えない・・・。

 3位 『Cook Do(クックドゥ)』

 今をときめく竹内涼真と、「君の腎臓を食べたい」で一躍脚光を浴びた美少女・浜辺美波が兄弟役を演じるCM。今年イチ押しの大ブレイクする予感の女優さんだ。

 4位 WOWOWに入りましょう。「合唱篇 30秒」   

 

柳楽優弥、有村架純が出演するWOWOW新CM WOWOWに入りましょう。「合唱篇」
柳楽が幼少の頃、合唱に出演したVTRを見て号泣、それを慰める有村の図。ほのぼのしていて好感が持てる。しかし、実際は子供の頃の懐かしのVではなく、指揮をしていたという勘違い・・・。

60秒バージョンはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=xhvFOWUDRVg

 5位 ポカリスエットCM 「ぼくらの放課後」篇 30秒

 放課後、どこからともなく集まってくる高校生たち。新しい友だちとの出会い、面白いことの発見。ヒロインの八木莉可子さんを先頭に、原宿のストリートを約200人が全力で踊って駆け抜けます。
 連帯感、若さ、躍動感が溢れるこのシリーズ。今回も元気の良さがビンビン伝わって来る。   

60秒バージョンはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=CPeaUgUEjTU

 なお、このシリーズ記事は今月27日の当ブログ終了に伴い、今回が最終回となります。ご了承ください。

2018年4月16日 (月)

「時遊人SUZUのひとり言」をご覧いただいている皆様へ

 「時遊人SUZUのひとり言」をご覧いただいている皆様へのお知らせです。

 4月27日(金)の当ブログ終了に向けて、現在、既存の記事を非公開化する作業を行っています。
 4月15日(日)現在で、3,484記事あったうち、2,500余りの記事を非公開にする処理を行いました。

 突然、閲覧できなくなった記事もあるかと思いますが、もしお気に入りだった記事で、再掲を希望される方は、コメント欄でお知らせください。再アップを検討したいと思います。

 

2018年4月13日 (金)

昭和世代の私が持っていたゲーム集

 今日の記事はやや私的な内容になって恐縮だが、当ブログを終了するにあたり、少しでも昔の出来事や思い出深いものを取り上げ、生きた証ではないが、爪痕を残したいと考えた。

然るに、今日のテーマは、昭和世代の私が小学生当時に遊んだり、実際に持っていたおもちゃやゲームを取り上げたい。ぜひ同世代の方は懐かしんで欲しいと思います。

 画像ではなく、それらの玩具を映像で回顧します。下のURLをクリックすると、懐かしい世界へとあなたをいざないます。

 1 パーフェクション 

 1972年にエポック社から発売された懐かしのおもちゃです。制限時間内に様々な立体図形を同じ形の穴に差し込んでいく単純明快な遊び。タイムオーバーになると、せっかくあてはめたコマがすべて飛び出す、黒ひげ危機一髪的なゲームだった。

 https://www.youtube.com/watch?v=YTz7pPB89zQ

 2 ボウリングゲーム

 卓上でたのしめるゲーム。昭和40年代は中山律子さんや並木プロなど女子プロボウラーが花盛りで、スポ根ドラマも制作放送された。

 https://www.youtube.com/watch?v=QwgtdR3GU6Y

 https://www.youtube.com/watch?v=thlXprYUPE0

 https://www.youtube.com/watch?v=QwgtdR3GU6Y&t=3s

 3 エポック社野球盤 

 少年時代にプロ野球の大ファンだった私は、野球盤を買ってもらった。図柄がオールスター仕様で、初めて消える魔球を体験し、衝撃を受けた。巨人の星の大リーグボールの影響か。

 https://www.youtube.com/watch?v=mE6MfcFgDQ4

 4 ピッチングマシン 

 軽いプラスチックのボールが7~8個セットでき、部屋の中でバッティング練習ができる代物。カラバットでかっとばし、当時は王選手の真似をしたものだ。反射神経も養える優れものだった。

 https://www.youtube.com/watch?v=L5-xd9Op8IQ

 5 ヨーヨー 

 小学校時代に大流行した。手で遊ぶゲームは、アメリカンクラッカーやルービックキューブ、知恵の輪などもあったが、ヨーヨーはアメリカナイズドしてかっこよかった。材質がガラスで、デザインがコカ・コーラやファンタなどのロゴが記されてあった。東京タワーや箒、ブランコ、犬の散歩などの大技があって、誰もが特訓した。

 https://www.youtube.com/watch?v=RXqbGYX5sBg

 6 磁石コマのおもちゃ

 これは子供騙しだが、結構遊んだ人も多いのではないでしょうか。

 https://www.youtube.com/watch?v=7xnCy0mbCKI

 7 ポンジャン(ポンジャラ)

 ウチの亡き父親は、それは麻雀好きで、週末には、職場の仲間を家に呼び、徹夜で麻雀に明け暮れたほどだった。その影響か、車・飛行機・船の3種類の牌で絵柄を揃えて上がる「ポンジャン」を買ってもらった。たぶん今でも実家の押し入れに眠っていると思う。

 https://www.youtube.com/watch?v=Q9gb6RWa7Ew

 8 アスレチックゲーム 

 スタートからゴールまでボールを運ぶ、障害物競走のようなゲーム。

 https://www.youtube.com/watch?v=KXQUydIqwZU

 9 バンダイ たのしいポッポ

 こうしたおもちゃもかつてあった。電源を入れるとエンドレスで起伏のあるベルトコンベアーが動き出し、ターゲットを一周させる単純なゲーム。

 https://www.youtube.com/watch?v=z6fxbcdogRw

10 プラレール

 高価だったがNゲージにハマった。お年玉などで少しずつ車両を増やした。特急ひばり号のボンネット型と鉄仮面型の両方を持っていたし、ディーゼル特急もあった。SLも所有していた。金遣いの荒い子供だった。

11 ウォーターゲーム 輪投げ

 今でも家内の実家にあり、息子と娘を連れて行った時に夢中になって遊んだ。水中輪投げのような仕組みの物と、パチンコのようにチップを小さいバスケットに入れる物があった。

 https://www.youtube.com/watch?v=PQZ-7nqCsvo

12 超合金ゲッターロボ 

 マジンガ―Zのものもあったし、ガンダムもあった。男子小学生が憧れた。

 https://www.youtube.com/watch?v=doX8BY8gHh0

13 沈没ゲーム 

 自分のカラーの玉を、全て中央の自分の色の穴に入れれば勝ちというゲームです。
  1)はじめに玉を同じ色の一番外側の溝に置きます。 この際、玉が落ちないようリング部分をずらしておきます。
 2)自分の手番が来たら、自分の玉が乗っているリングを1つ選び、それを左右に動かして、玉が1つでも下のリングに移動したら手番は終わります。
  3)リングを回して、中央の自分の穴を目指します。 もし、他人の穴に落ちれば、その玉は一番外からやり直しです。

 https://www.youtube.com/watch?v=Zf0tZ3M924U

14 勝ち残り大作戦 

 70年代に大ヒットした運と頭脳の戦略ゲーム。順番に穴が重なりあうようにスライドバーを引いていき相手のボールを落としていきます。自分のボールが最後まで残った人の勝ちです!

 https://www.youtube.com/watch?v=I6fqyUmksOo

 ほかにも「アメリカンクラッカー」、「ホッピング」、「ローラースルーGOGO」、「卓上パズル」、「オセロ」、「将棋」、「人生ゲーム」、「ソフトビニール怪獣」なんかもヒットしたおもちゃだ。

 記事作成:4月9日(月)~10日(火)

2017年10月15日 (日)

浜田省吾に心酔した学生時代

 一週間の充電期間の中で、自分がこのブログを通して何を伝えたいのか考えたときに、まず自分自身の足元を見つめ直したいと考え、原点回帰してみた。すると、私の人生の応援歌であり、大きな影響を与えてくれた人物のことを書こうという考えに至った。
 この9年間、拙い記事の連続で、恥ずかしい思いを自分自身で感じながら書き続けてきましたが、下手くそでも続けることで何かを感じとってもらえればそれでいいという結論に達し、ブログを再開することにしました。もうしばらくお付き合いいただければ有難いです。

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 学生時代の私は北海道で過ごした。今思えば34年も前の出来事で、懐かしい青春時代の想い出だが、当時は初めての親元を離れての生活のためか、自炊すらしたことがなく、すぐにホームシックになった。それでも同じアパートの隣室が同郷の友人で、浜田省吾を聴き、流行のスタジャンを格好良く着こなすオシャレなナイスガイで、私も彼の影響を受け、「sand castke」というLPレコードを聴いて、徐々に浜田省吾ワールドに引きずり込まれていった。毎日のようにラジカセで聴いて、彼の詩の美しさと楽曲に心酔していったのだった。
 以来、彼のアルバムはすべてレコード(当時はまだCDが無かった)からカセットテープに録音したものだった。貧乏学生だった私はすべてのLPレコードを購入できる訳も無く、専らレンタルレコードで我慢していた。
 たぶんここまで読んだだけでも、私の「浜田省吾愛」は感じ取っていただけたと思いますが、ではここで個人的趣向になって申し訳ないが、私が好きだった楽曲を挙げると以下の通りになる。

 1位 19のままさ             11位 陽のあたる場所      
 2位 家路                 12位 風を感じて
 3位 愛という名のもとに        13位 路地裏の少年
 4位 America                   14位 ラストショー
 5位 Midnight Flight                15位 遠くへ
 6位 もうひつとの土曜日              16位  散歩道
 7位 J boy                   17位 終わりなき疾走
 8位 丘の上の愛              18位 傷心
 9位 片想い                     19位 いつかもうすぐ
10位 君に会うまでは           20位 愛の世代の前に

 <この曲に寄せられたコメント>

 どんなに遠くても、孤独でも『この道(現在)』が『空(理想)』に出会える場所を目指し、懸命に生きるしかないんだと。深いね...。人生の応援歌です

 昔、別れた妻を思い出しました。辛い時、この曲を聞いています。毎日を一生懸命生きています。与えられた命、頑張って生きて行きます

 この歌で自殺するの止めました

 トラックに乗って30年目の秋に慢性腎不全になり緊急入院し透析が必要な体に。仕事を失い夢も希望もなくしてた時、この曲を聞いたらこみあげてくるものがあり涙が....思い切り泣いた。そして勇気をもらい前向きになれて社会復帰して10年。負けそうな時もあるけどこの曲を聞いて頑張れます。

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 こういうコメントを読むと彼の楽曲はメッセージソングそのものだし、人生の代弁者のような気がする。偽りのない感情で率直に表現する彼の作風は、ぐんぐん魂に響き渡る。人生の応援歌として聴いている人も大勢いることがわかる。

 ところで、こうしてランキング表示してしまうとよくわかるが、何か30年以上前の古い楽曲ばかりだ。当時、それくらい彼の曲との出会いは衝撃的で、本気で聴いていたことが窺い知れる。長髪にサングラス、ジーンズというお決まりのスタイルに、ストラップで肩からぶら下げたギター。私が学生時分に傾倒した彼も、今年12月で65歳を迎える。彼の演奏スタイルや作風はあまり変わらない。彼の奏でる名曲は私の人生そのものである。未だに恋愛模様を創作できる才能は敬服に値する。

 彼のナンバーに耳を傾けると、その詩の情景が浮かんでくるから不思議だ。たとえば私が1位に挙げた「19のままさ」は、一年間予備校通いをして浪人生活をしていた自分の境遇とドンピシャで当てはまり、共感できるし、「America」では、アメリカンドリームを夢見ていた若き日の自分と重なる。その歌詞は当時、英語をマスターしたくて必死でもがいていた日々と相通じる。
 20代の頃になって一人前に彼女が出来た私は、浜田省吾の歌詞に出てくるような恋愛を手本に、そうした雰囲気を演出した。「もうひとつの土曜日」の世界観や「愛という名のもとに」のような別れのシーンも経験し、まるでそれらは若き日の恋愛ストーリーそのものだった。「家路」は辛いときに人生の応援歌になった。このように、自分の人生を写した鑑であるかのように、彼の独特な世界をオーバーラップして、追従していたような気がする。そして「真実の愛」を探し求めていた気がする。
 今、この歳になってさすがに恋愛ソングはギャップがあって厳しいものがあるが、若き日の佳き想い出として脳裏に深く刻まれている。私にとっては終生、人生の手本であり、宝物であると思う。

 最後に、私のHP「趣味-ING」内の「風越波海(SUZUの詩のペンネーム)の世界」に掲載した詩をここでお送りし、結びとします。今回もお読みいただきありがとうございました。

 「海とバイク、そしてSYOGOと歩いた青春」

 学生時代の僕は バイクを愛し ひたすら海を目指していた
広い大空と大地に憧れて やってきた北海道の片隅で
僕は自分自身と向き合い 本当の自分を探すことができた
今思い返せば 夢のような日々を送った


あの頃の僕は夢も希望もなく 魂を隠して 
ただ毎日を平凡に過ごしてきただけの ただの道化師
北海道に来て僕は生まれ変わった 生きていることに疲れた時
人生につまずいた時 僕は決まってバイクを駆り より遠くを目指した

心を癒す潮騒のメロディー オホーツクの調べへのいざない
あの日見た朝焼けと心地よい潮風 海を渡るさざ波との競走
蜃気楼の彼方に続く一本道 焼け焦げたオイルの匂い
道すがら 幾多の場面が一服の清涼剤だった

ひたすらスロットルを握り、コーナーと一体になり
まるで自分の居場所を探し求めているかのように
必死にブラインドの先にある何かを追いかけていた
とりとめのない詩を心に綴り 生きた証をどこかに残したかった

北の大地で僕を慰めた心の風景 それは神無月の竜宮
夕日を背負い サロマとオホーツクの隙間をバイクで駆けた
瞳の奥に刻み込んだあの日の記憶
徒然なる旅先で心を洗い 生きる勇気を取り戻した愛しき日々


もうひとつ僕の心の支えだったもの それは一人身の孤独に耐え 
その傍らでいつも聞いていたSYOGOのラブソング
人生の応援ソングは いつも決まって SAND CASTLE
それを心の拠りどころにして 命の炎を燃やし続けた

SYOGOの歌詞に励まされ SYOGOの旋律に魂を揺さぶられ
SYOGOの歌声に 自分自身と向き合う勇気をもらった
いつしか彼の歌を口ずさんでいる自分がそこにいた

自分の存在意義を確めて 耐え切れず涙した夜もあった
時の移ろいに ただ虚しくて 人を妬みやるせない夜もあった
自らの過ちを認めたくなくて 葛藤した懺悔の日々
SYOGOと出会い 僕はこれまでの生き方を悔い改めた

ワインディングロードは人生そのもの 容赦なく迫り来る
コーナーを登るにつれ やがて拓ける視界 太陽は近づき 
今にも手が届きそうな雲のかけら 時の礫と必死に闘いながら
霧に行く手を阻まれた時も 嵐の夜も ひたすら駆け抜けた

それでも諦めず根を上げず 自分を信じた末に待っていたのは七色の虹
何も飾らず 奢り高ぶらず ありのままの自分をぶつけて歩いて行こう
格好じゃなく 見せ掛けでなく うわべだけの人生に終止符を打って
タフな奴には女神微笑む それを合言葉に僕は 北の大地を後にした


かつて北の大地の片隅で孤独と闘い 自分探しをしていた奴がいた
やがてそいつは大人になって夢を追いかけることの大切さを学んだ
北の大地で手に入れたもの それは夢を紡ぎ生きることへの道しるべ
北の大地で過ごした2年の歳月は 本当の自分を見出すための日々

やがて訪れる筈の憧れ地 東京は 北の大地の前で霞んで見えた
今 静かに瞳を閉じれば 瞼の裏に焼きついた風景画の数々
夕焼けに染まるオホーツクの砂浜 確かな足跡をそこに刻み込んだ
あの日の情景を 僕は胸にしまい込み 証に変えて今日も生きている

 「風越波海の世界」はコチラ http://tsuriten.la.coocan.jp/kazakosi.htm

 記事作成:10月11日(水)

 

 

2017年6月25日 (日)

私がお参りした有名人の墓

 生前会うことのできなかった方々に近づくには、歴史書や自伝を読むこともそうだが、その歴史の現場となった場所を訪ねて歩くことが手っ取り早い。しかし、大偉業や歴史に名を轟かせた偉人たちを偲ぶことが何よりの供養であり、思いを馳せるには近道だ。
 私は旅の先々で、こうした有名人たちの墓参りを実施してきた。今日ままず、それを題材にしたい。

 ~私がお参りした歴史上の人物のお墓~

 1 近藤勇・・・新撰組組長 会津若松市天寧寺 過去2度お参りした。

 2 正宗・・・ 天下の名刀「正宗」を生んだ刀鍛冶職人 鎌倉大覚寺にお墓がある

 3 中野竹子・・・薙刀の名手で、会津戊辰戦争で活躍した 坂下の法界寺にある

 4 佐々只三郎・・・坂本龍馬を暗殺したと言われる 京都見回り組 会津武家屋敷内

 5 西郷頼母・千恵子・・・会津藩の筆頭国家老で会津戊辰戦争で中心的役割を果たし
              た。妻の千恵子は、西郷頼母邸で身内21人と共に自刃した。

 6 萱野権兵衛・・・会津戊辰戦争の家老で、戦争責任を一手に背負い切腹 天寧寺

 7 松平容保・・・会津藩最後の君主 松平家御廟にある

 8 白虎隊士・・・自刃した飯盛山に眠っている 唯一生き残った飯盛貞吉も分骨された

 9 二本松少年隊士・・・二本松市の大隣寺に墓がある

 ~私がお参りした芸能人・スポーツアスリートの墓~

 1 天知茂・・・明智小五郎役として一世を風靡した。知性とニヒルさに長けていた

 2 石原裕次郎…日活の大スターで「太陽にほえろ」や「西部警察」のボス役 

 3 坂井泉水・・・ZARDのヴォーカル 2007年5月に不慮の死を遂げた 墓の場所は秘密

 4 円谷幸吉・・・1964年東京五輪の男子マラソン銅メダリスト 郷土の誇り

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 死ぬまでにお参りしたい有名人

 1 乃木希典・・・日露戦争時の陸軍大将 明治天皇崩御の際に夫人と共に自決

 2 三島由紀夫・・・作家だったが、革命を起こそうと自衛隊員に決起を呼びかけ自決

 3 福沢諭吉・・・私の大学の創始者 学問のすゝめの著者 

 4 諸葛孔明・・・三国志の英雄にして名軍師 「三顧の礼」「水魚の交わり」 

 5 手塚治虫・・・漫画の神様 ブラックジャック、ジャングル大帝レオ

 6 土方歳三・・・新撰組副長 会津のために戦い、函館戦争に参戦して戦死した

 7 山本五十六・・・連合艦隊の総司令官 

 8 赤穂浪士四十七士・・・忠臣蔵の英雄 泉岳寺に眠っている

 9 いかりや長介・・・ザ・ドリフターズのリーダー

10 尾崎豊・・・カリスマシンガー 若くして謎の怪死を遂げた

11 美空ひばり・・・戦後の銀幕のスター 数多くの伝説を残した

12 テレサ・テン・・・時の流れに身をまかせ、愛人、つぐないなど日本で活躍した台湾人歌手

13 村下孝蔵・・・ギターの弾き語りで「初恋」「踊り子」「少女」など名曲を生んだ

14 河島英伍・・・ギターやピアノの弾き語り 男臭さが滲み出た

15 高倉健・・・孤高の名優 「網走番外地」「幸福の黄色いハンカチ」「駅」「鉄道員」

16 津田恒美・・・広島カープの守護神 炎のストッパーと呼ばれた 脳腫瘍で若くして亡くなった

17 シンボリルドルフ・・・1980年代に活躍した最強馬 トーカイテイオーの父

18 オグリキャップ・・・奇跡の名馬 引退レースの有馬記念で伝説を残した

19 田中好子・・・キャンディーズの元メンバー 解散後は女優として復帰した

20 夏目雅子・・・未だに語り継がれる名女優 「鬼龍院花子の生涯」の演技は圧巻

21 河島英五・・・男臭い歌が良く似合う「酒と泪と男と女」「時代おくれ」「野風増」

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 私が思う往年の名優30人

 1 高倉健          16 森繁久彌      31 牟田悌三
 2 石原裕次郎       17 志村喬        32 岡田英次
 3 天知茂          18 芦田伸介      33 荒井柱
 4 萬屋錦之助       19 三国連太郎     34 若山富三郎
 5 渥美清          20 原田芳雄      35 根津甚八
 6 勝新太郎         21 長谷川一夫     36 夏夕介 
 7 大滝秀治         22 上原謙        37 荻島真一
 8 松田優作         23 加藤嘉        38 田村高廣
 9 緒形拳          24 宇津井健      39 川口浩
10 夏八木勲         25 竹脇無我      40 松山英太郎
11 丹波哲郎         26 蟹江敬三      41 和田浩二
12 小林桂樹         27 川谷拓三      42 中条静雄
13 菅原文太         28 名古屋章      43 大川橋蔵
14 二谷英明         29 松方弘樹      44 赤木圭一郎 
15 笠智 衆         30 小林昭二      45 本郷功次郎 

   記事作成:5月23日(火)

2017年6月 3日 (土)

念願のフラガールショーを満喫!

 「スパリゾートハワイアンズ」。旧名は「常磐ハワイアンセンター」。そこは私にとって因縁の曰くつきの場所だった。
 幼少の頃、プールで迷子になった私は、危うくプールに落ちそうになったところを近くにいた人に助けてもらったという出来事があったらしい。3~4歳の頃のことで、私は全く記憶に無い。また、平成初期、いわきの職場にいた時に、忘年会で訪れたことがあった。そして6年前にフラガールのロケ地を探訪した際に、無人の仮設ステージを見物しに建物を覗いたとき以来だった。

 その時の記事はコチラ
 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-245b.html

 今回、6月1日(木)・2日(金)の両日、仕事で会議がこの場所であって、久し振りに訪れたのだが、私にとって「フラガール」の踊りを生で見るという長年の悲願がようやく叶った。今日はその模様を画像で紹介したい。

 夜の部のショーは、20:40から21:10まで連日レイトショーで行われているが、その日は強制的に二次会への出席を義務付けられ、途中、抜け出してちゃっかり見物したのだった。

 フラガールは私にとって憧れの存在だった。それは震災で「全国きずなキャラバン」を展開し、被災者たちを勇気づけ、義援金への感謝を伝えるものであった。

 当時の主要メンバーであるマルヒア由佳里さん(震災時リーダー)やソロダンサーのプアリリア樹さん、オーリノ苑未さん、モアナ梨江さんなどは引退されてしまったが、今も多くがメンバーとして残っていて、知り合いであるウイラニ綾華さんやロゼラニ幸恵さん、マカレア麻衣さん、レイピカケ水貴さんなどは未だに現役で頑張っている。

 私が見たのは21:00~21:30までの「ポリネシアン・グランドステージ」だった。

 前半は見過ごしたが、ハワイノ踊り、「負けないで」、体験コーナー(50人以上がステージ上へ)、ファイヤーナイフダンス、タヒチの踊りからメインの「オテア」、エンディングの「虹を」までだった。次回はいつ見られるかわからなかったため、100枚以上デジカメで撮影し、同時に動画撮影も実行した。

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 有料の予約席「プレミアムシート」(土日1,500円)の観客は、ショー終了後、フラガールと一緒に記念撮影が出来る時間があった。
 ところで、私の知り合いの大河原綾華さんは、「ウイラニ綾華」というソロネームを貰い、練習中の怪我で若干遅れたが、3月3日にソロデビューを果たしていた。
 私が見に行った時は、ソロでのダンスはなかったが、今や「レイピカケ水貴」さんと二枚看板(ツートップ)になった彼女のデビュー時の映像をリンクしてこの記事を閉じたい。

 3月3日の映像→ https://www.youtube.com/watch?v=aNMz8VdrWC4

 高校時代、高飛び込みの選手だった彼女は、度胸が素晴らしい。彼女の笑顔は癒しを与えてくれる。今ではリーダー格と言っても良いくらい、ダンシングチームの中でも欠かせない存在となった。

  時間が無くて、フラガールミュージーアムを見ることが出来なかったのは残念だった。

 記事作成:6月2日(金)

2017年5月 6日 (土)

ちょっと昔の旅 ~想い出の場所回顧~

 このGWを利用して、過去にタイムスリップする意図で、想い出のスポットへ足を運んでみた。それはもう四半世紀近く経つ、家内と出会った場所や結婚式を挙げた場所、そして14年が経過した実の父とお別れをした場所だ。
 時間と言うのは無情なもので、人を老化させるだけでなく、記憶まで薄らいでしまうものらしい。そうした想い出のひとコマまでも奪われないように、今回、この訪問を思い立った次第だ。ちなみに訪問したのは朝から快晴青空の5月4日(金)のAM6:14~AM7:00だ。
なお、時系列ごとではなく、この日に訪問した順番に掲載します。

 1 家内と出会った場所 「カフェテラス四季」

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                                                内部はこうなっている
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 平成5年に私たちは叔母の紹介で出会った。ガーデンテラスがあってオシャレな造りだった。ここのパスタは美味かった。「ワンスアポンアタムインアメリカ」や「カフェドカフェ」、「飛行船」が定番の食事場所だった。

 https://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7000242/

 https://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7003718/

 2 結婚式を挙げた場所 「椿山荘」(現在は記憶の森)

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 久留米の桜の名所、五百渕公園のほとりにある結婚式場。平成6年7月3日、ここの神殿式で結婚式を挙げ、その後、新装なった「グランプラス」(実際は当て字の漢字表記)という会場で披露宴を行なった。

 https://kiokunomori.cocolonet.jp/

 訪れて見て驚愕。純白なイメージを漂わせえる白亜の式場にリニューアルし、昔の面影はどこにもない。外観もエントランスの造りも劇的に変わった。一周したが、池の周囲では付近住民によるボランティア活動が朝早くから行われていた。

 3 父親を見送った「懐想記念館久留米」(現:たまのやこころ斎苑久留米)

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 父親の高校時代の同級生が社長を務めていた「サークル」という互助会に入会していたため、やはり久留米にあったセレモニーホールで葬儀告別式を執り行った。平成15年の年も押し迫った12月29日に亡くなり、大晦日に須賀川市の火葬場で焼骨し、正月明けの1月6日、雪が降る中で告別式を行った。

 http://www.e-sogi.com/detail_hall/id1000000000-009676.html

  訪ねたこの日は催事はなさそうで、駐車場もガラガラで閑散としていた。催事場が暇なのは喜ばしいことと認識・・・。

 4 水天宮

 小学生の頃に亡き父親と何度もキャッチボールやノックをしてもらった想い出の場所。親父が亡くなった時、この目の前にある「懐想記念館」で通夜をやった折、夜中に水天宮を訪れ、夜空を見上げたら、真冬だったため、満天の星空が美しかったことを思い出した。

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 子供の頃はあんなに広く感じたのに、とても小さく狭く感じたのは、自分が成長した証と実感した。早朝にもかかわらず、バックネット付近で親子がキャッチボールしていた。あの日の自分と重ね合わせることができた。

 5 結納を交わした場所 

 平成6年1月に結納を交わした。家内の振袖姿を初めて見た。家内は当時、鈴木杏樹に似ていて、身長も164cmあってスリム美人だった。

 http://www.homemate-research-wedding.com/dtl/20000000000000001147/

 残念ながら、いくら探しても持つからず。もしかしてもう解体した?趣のある屋根がドーム型でエレガントな造りの建造物だったのだが・・・。
 その後、内環状線沿いのステーキ宮と郡山信金にあったその建物は「オフィスタツミ」という会社になり、そこからR49線を越え、200mほど南東に行った「記憶の森」の北側へ移転したことが判明した。

 6 父親が亡くなった病院跡

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 震災で損傷を受け、その後閉鎖。しばらくはそのまま建物自体はそこにあったが、希望が丘へ移転した。その後、取り壊された。
 平成15年12月28日の仕事納めに母親から電話を貰い、病院嫌いで渋る親父を無理やり連れて行ったら、40℃の高熱で即入院。翌朝には亡くなってしまった。私は痰を器官に詰まらせた医療ミスだと疑っていたが、タバコの吸いすぎで肺気腫を患い、呼吸器疾患だったと思う。翌日、医師に呼び出されたときには意識不明。心電計は横に一直線の波形で、長男到着時を死亡時刻とした。看病もせず、ひとりで天国へと旅立ってしまった。
 年の暮れだったこともあり、実家から至近で、当番医がここしかなかったため、やむを得ずこの病院に連れて行ったが、大病院に行っていたら、もしかしたら助かったかもしれないという懺悔の気持ちがしばらく続いた。

 7 結婚前、結婚後に最初に移り住んだ富久山町のアパート

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 「愛の巣」はR288から少し入ったところにあった久保田字本木のアパートだった。平成6年4月から移り住み、子供が生まれた後の平成7年12月下旬まで約1年8か月暮らした。当時は益子建築工業の参加のマストモ設備が工事を請け負った新築物件だった。部屋が3つある3DKで、家賃は56,000円だった。2階の南端の角部屋だった。
 家内の実家からも近く、当時私は船引町にある職場へ通勤していたので、郡山市街地を通らなくて良かったので、通いやすいメリットがあった。

 http://www.homes.co.jp/archive/b-9182694/u-20476940/

 実際に訪ねてみると、住んでいたのはもう20年前なので、いくら当時新築とはいえ、かなり年季が入って古くなっていた。20年の歳月とはこんなにも変わらせてしまうのか・・・。

 さて、個人の感傷に浸るような手前味噌な記事になったが、「人に歴史あり」を地で行くものとなった。この四半世紀、様々なことがあった。2人の子供に恵まれ、両者ともに大学生となり、長男は一流のハウスメーカーへの就職が内定した。技術職で設計を希望している。

 今回は個人情報を暴露してしまった感が強い記事になってしまったが、他人が見たら何の変哲も無い個人の感傷のようなものになってしまった。しかし、人には忘れられない人生の足跡や証のようなものがあり、それを備忘録としてどこかに留めておきたいと願ってのものだということを理解いただきたい。

 最後に、長い歳月を経て、名称が変わったスポットも多い。いろいろあったが、半生を振り返ると決して良いことばかりではなかったが、波乱万丈ではなく、大過なく、安定した生活を送れたことは、家内に感謝しなければならないだろう。

 記事作成:5月4日(木)~5日(金)

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