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映画・テレビ

2020年4月10日 (金)

特別掲載「2020年春、福島テレビを退社した小田島愛アナウンサー」

 毎年春が来ると私は居た堪れない気持ちになる。もちろん、今年の新型コロナウイルスの脅威について言っているのではない。本来ならば桜が開花し、街角を薄紅色に装う1年で一番輝く良い季節なのだが、テレビ好きの私にとっては、憂鬱な気分にさせられる一幕が毎年展開される。

 それはFTV(福島テレビ)の年度末のアナウンサーの異動だ。他局に比べるとこの局だけはずば抜けて契約アナが多いことから、3月末には「テレポートプラス」や「サタふく」といった自主制作番組のエンディングでいつ退社の挨拶が飛び出るか不安でしょうがなかった。3年前は名切アナ、そして去年は松永アナ、福盛田アナ、神谷アナ、豊嶋アナと多くの慣れ親しんだアナウンサーが福島を離れた。
 そして今春、私がお気に入りの福島テレビのアナウンサーのひとりだった「小田島愛(おだしまあい)アナウンサーが、ひとりだけFTVを退社することとなった。

 彼女のプロフは・・・

 1993年10月、宮城県仙台市生まれの東京都江戸川区育ちの26歳
 東京女子大学を卒業後に北陸の「テレビ金沢」に入社し、自社制作の「となりのテレ金ちゃん」のリポーターとして出演。3年間在籍後、2019年4月にFTVへ移籍。「テレポートプラス」でキャスターや中継リポートを担当。木・金には同期入社の我如古莉乃アナと共に番組のMC、特に「福てれ防災ラボ」のコーナーを気象予報士斉藤さんとコンビを組んで天気予報などを伝えていた。
 彼女は学生時代はソフトボール部に所属していた。実は肉食系。色白で小顔、そして丸顔なのはO型の典型。  

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 では、ここで昨年4月4日に「テレポートプラス」に初登場した時の模様を画像で紹介します。

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 とても可愛らしくてチャーミング、FTVにはなかなかいないタイプだった。同期の我如古アナと仲が良かった。

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 そして今年3月27日(金)、最終出演の模様はこちら

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 動画サイトにアップされている映像もリンクします。


 私は、小田島アナは産休育休に入った「寺本緒麻里」アナの補助で短期間の採用だったと思っていた。しかし、小田島アナが福島を僅か1年で旅立った後も寺本アナが復帰することは今のところないようだ。
 だとしたら、僅か1年で退社した理由は何?もしかして寿退社?あるいは東京の「セントフォース」や「ライムライト」のようなフリーアナ専門の事務所に移籍したのか、あるいは現在、松永アナが在籍している生島ヒロシ事務所のようなアナウンサー専属の事務所に入ったかどちらかだろう。もしかすると、福盛田アナのように隣県のテレビ局に契約アナとして入社したのかもしれない。何か情報が入ったらこの記事の中で追記していきたい。

2019年3月30日 (土)

2019年春・福島を去ったアナウンサー

 春は別れの季節だ。これまで何度か同じタイトルで、福島県のテレビ局で活躍し、3月で転勤したアナウンサーの記事を書いた。その多くが他県出身者だが、メディアを通じてたくさんの県民に愛された局アナたち。その方たちを忘れないために、今年も同類の記事をしたためたい。
 なお、画像の一部にテレビ局の公式ブログやTwitterなどから引用させていただきましたこと、ご容赦ください。
 
                                                                           
 平川沙英アナウンサー 
                                                                                                              
 平成29年4月からNHK福島放送局に赴任。夕方のニュース情報番組「はまなかあいづToday」に吾妻謙キャスターと出演。岩間瞳アナとの隔週交代で出演していた。その可愛らしいあどけない笑顔でたちまちお茶の間の人気を得た。
 私は平成29年5月から平成30年3月までの約1年間、彼女の出演した番組はすべてブルーレイに録画し、彼女の存在と活躍を知って欲しくて隔週でブログでその画像を掲載した。今は非公開にしてあるが、それほど魅了された。
 また、昨春に開催された「ふくしま五七GO!の集い」では、私も参加し、会場で生の彼女を至近距離で拝見し、テレビと変わらぬ明るい彼女に接し、ますますファンになった。また、私の書いた句もイベントで読み上げられたため、よりこの番組が身近に感じられた。
                                                                
                                                            
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  平川アナからのお別れのメッセージ

 http://www.nhk.or.jp/fukushima-ana-blog/2000/317138.html

 「初めて東北・福島に来て、こんなに野菜や果物、お酒が美味しいこと、桜や紅葉、自然が美しいことを気づくことが出来ました。社会人として一歩踏み出す場所がここ福島で本当に良かったです。これからもずっと福島のことが大好きです。2年間、本当にありがとうございました。」

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  4月からは大学生時代に所属していた「ボイスワークス」というアナウンス専門の事務所に入り、「テレビ埼玉」の契約アナウンサーとして「ニュース」を中心としたキャスターとして活躍されている。 

 ボイスワークスのHP→   http://voiceworks.co.jp/works/hirakawa_s.html    

 学生時代の平川沙英アナはコチラ→  http://voiceworks.co.jp/wp/?p=925  

 テレビ埼玉のHP→ https://www.teletama.jp/announcer/       

 夕方のニュースを伝える平川アナの映像はコチラ ↓

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00010005-teletamav-l11

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 上は4月5日(金)に「テレビ埼玉」の夕方の「NEWS545」内でニュースを伝える平川アナだが、よく見ると、NHK福島の「はまなかあいづToday」の最後の出演場面の衣裳とまったく同じ。ということは衣裳提供ではなく、すべて自前だったようだ。
 そして、テレ玉のプロフで、彼女の血液型がA型であったことが判明した。小野紗由利アナ、梅田澪理アナ、名切万里菜アナに続き、彼女も含めて好きな女子アナが全員A型であったことが判明した。                                                                                                            

 岩間 瞳アナウンサー

 彼女は宮城県出身だが、福島大学を卒業され、キャスター5年。足掛け9年間、福島県でご活躍された。平川アナと同じ番組「はまなかあいづtoday」のキャスターとして隔週で出演した。安定感抜群のアナウンス技術で、番組を盛り上げてくれた。実は彼女は、利き酒師の資格を持つほどの日本酒通。そして金賞獲得6年連続日本一の我が福島県の地酒を愛してくれた。
 彼女には昨年の3月に開催された「ふくしま五七GO!」の集いの際、直接話をして、気さくにもメモ帳に快くサインをしてくれた。NHKのマスコットキャラクターの絵を描いてくれた。「あまりサインを書いたことが無い」と言いながらも、フルネームでサインを書いてくださった。そのイベントでは、事前に私がネットで送った俳句まで読み上げられ、その存在が身近なものに感じられた。
 福島でキャスターをされたことを佳き想い出とし、新天地で行かれても、そのバイタリティ溢れる人柄で頑張っていただきたいと思う。

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 岩間アナ直筆のサインがコチラ

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 「ふくしま五七GO!」の記事はコチラ ↓

 http://musoujin.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/go-3ce1.html

 岩間アナからのお別れメッセージ

 http://www.nhk.or.jp/fukushima-ana-blog/600/316881.html

 「5年間、本当にありがとうございました。大学時代を加えると通算9年、福島に住みました。私も福島のことが大好きです。番組をご覧の皆様、いつも話しかけてくださってありがとうございます。本当に皆さんに成長させて頂きました。これからは伝え手としてさらに頑張って成長して、いつかまた福島に戻ってきます。ありがとうございました。」

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 4月から、この絵面が見れなくなるなんて・・・あまりにも寂しい。生活の一部だったのに。岩間アナは4月から新潟市の在住し、フリーアナとして新潟県内のテレビやラジオ、イベントのMCを担当するようだ。 

 ちなみに「はまなかあいづTODAY」の4月からはフレッシュな5人のアナウンサーが日替わりで担当するようだ。
その中のひとり、「三谷咲都美(さとみ)」アナウンサーの紹介はコチラ
                                                                                                                                                                                    
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 どことなくFTVの神谷美寿々アナウンサーや大橋未歩アナウンサーに雰囲気が似ている気がする。
 そしてもうひとりは、東北放送の記者だった「髙石桃子」アナウンサーのようだ。
                                                                

 北村有紗アナウンサー

 今年のNHK福島はどうかしてると思えるほど、大型異動を強行した。はまなかあいづTodayの3人だけでも辛いのに、NHK一チャーミングな北村アナまでもが退社し、福島を離れることになってしまった。夕方のラジオ番組「こでらんに5」のパーソナリティーを務めていたし、県内ニュースにも出演していた。はまなかマラソン部として、県内のマラソン大会にも出場していた。宮城県仙台市出身
 彼女は2016年の3月にNHK福島放送局に入局した。明るく元気な性格で、私たち視聴者にパワーをくれた。「はまなかあいづToday」では各地からの中継でリポートした。

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 お別れの挨拶

 久々の投稿で、このようなご挨拶をするのは寂しいのですが… 3年間福島放送局にお世話になりましたが、このたび、福島を離れることになりました。
 福島の大好きなところ、たくさんあります。食べ物がおいしいところ。すてきな温泉がたくさんあるところ。
 道の駅が充実しているところ。気温の差が大きいからこそ、四季がしっかり感じられるところ。

 そして、みなさんが、しつこく取材の電話をしても、怒らないで対応してくれるところ。うまくいかない時も、やさしく見守ってくれるところ。「しゃべり手と受け手」ではなく、親しい友人のように接してくれるところ。私と同じくらい、番組を愛してくれるところ。

 福島を離れること、今までにないくらい、寂しく感じています。でも、またどこかでお会いできるはず!その日までみなさん、どうかお元気で!ありがとうございました!!!


 続いてFTV・・・
                                                               
 豊嶋啓亮アナウンサー
                        
 北海道札幌市出身 血液型はB型

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 5年前、「サタふく」の花見中継で、どこかの河原(土手)から「ゼンジ―北京」が着るようなチャイナ服をまとい、得意の中国語であいさつした初登場シーンを今でも覚えている。たぶん探せば録画したDVDのDISCがあると思う。あれから早、5年。甘いマスクで県内の女性視聴者を魅了した。




  3月22日(金)放送のFTVテレポートプラスのラストで、退社を自ら告げた時、隣りにいる菅家アナは号泣だった。同僚の伊藤アナの兄貴分として慕われていたため、その後、握手する彼もまた号泣だった。それほど人望が厚かった。

                                                              
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 松永安奈アナウンサー

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 4年前にFTVに入社した。「サタふく」デビューだったが、すぐに「みんなのニュース」のキャスターに転換となった。「ドキンちゃん」をほうふつさせる丸顔と大きな目で愛嬌があった。
 私は彼女の初登場の場面をよく覚えている。確か「サタふく」を録画し、DVDに焼いていると思う。藺草アナ&鈴木康一郎アナとロケ車のワゴン車に乗り込み、大きなフリップで自己紹介。神奈川県出身で血液型はA型、そして趣味がアマチュア無線とあった。そして福島県を知ろうという企画で、一日で小名浜、中通り、そして会津と名所を移動してまわった。
 その後、一番彼女の出演シーンで想い出深いのは、「サタふく」で藺草アナウンサーと取材した店で、アマチュア無線で見知らぬ人と交信した場面。そのシーンは動画サイトにアップされていたが、今はもう見られない。
 彼女の明るい笑顔は強烈な印象がある。それにしても、毎年この時期のアナウンサーの異動では、FTVが圧倒的に多い気がする。彼女は長澤彩子アナの代わりに着任したのだったが、あれから4年とは・・・。
 彼女が3月27日(水)の「FTVテレポートプラス」のラストで涙ながらに挨拶した場面はコチラ

 

 ありがとう、松永さん!
                        
 彼女は4月から東京にあるアナウンス専門の事務所「生島企画室」に所属するフリーアナウンサーとなった。あの生島ヒロシさんが主宰する事務所だ。詳しくは→ http://www.ikushimakikaku.co.jp/matsunaga-anna/
 
                                   
 福盛田悠アナウンサー
                                                
 彼女の卒業も唐突だった。「テレポートプラス」の月~水キャスターで、土曜日には「サタふく」にメインキャスターとして出演していた。
気象予報士・斎藤さんとのかけあいが抜群で、やや上から目線で物申す態度が最高だった。岩手県出身でフェリス女学院卒で血液型はO型だった。
 3月29日(金)のテレポートプラスの番組内で、突然に福島テレビ卒業をアナウンスし、私もショックを受けた。
                                                                                                                                                                      
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 お別れのメッセージ
   
 「今日で福島テレビを卒業することになりました。視聴者の皆さんからいただく応援のメッセージやお便りのおかげで、この2年間の放送を毎日、本当に楽しく頑張ることが出来ました。福島の皆さん、本当にありがとうございました。テレポートプラス、4月からさらにパワーアップしますので、これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。」
                                                                                    
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3月30日(土)の録画放送「サタふく」でのラストシーンがコチラ 

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 福盛田アナは4月からお隣りの日本テレビ系列の「ミヤギテレビ」のアナウンサーとなった。
 詳しくはコチラ→ https://www.mmt-tv.co.jp/announcer/profile/haruka_fukumorita/

 
 神谷美寿々アナウンサー
                                                                                                      
 まさか、彼女まで福島テレビを卒業されるとは・・・。3月29日(金)の「テレポートプラス」のエンディングで、「神谷アナからご挨拶があります」とアナウンスされた際、嫌な予感が的中してしまった。
 福島テレビで一番美人で、落ち着いた印象の彼女。沖縄県出身で、ご結婚されている。福島に定住して、浜中アナのようにずっと福島県にいてくれると思っていたが、2年半で退社することになった。
 私は、彼女の初登場シーンを鮮明に覚えているし、録画してある。それは中途入社だったのか、平成28年7月から登場し、浴衣姿で福島わらじ祭りの中継だった。とても美しく、今までの福島テレビにいないタイプの印象だった。色白で、やはり血液型はO型。学生時代は、雑誌のモデルもされていて、水着を披露したこともある。
 
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  お別れのメッセージ
                                    
 「みなさんからのいつも応援をいただいて、本当に私自身、励まされてきました。いつまでも私にとって、ずっと福島は大切な場所です。本当にこれまでありがとうございました。」

                                                                                  
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 それにしても、FTVは新社屋移転に伴い、番組改変だけでなく、大幅にアナウンサーも入れ替える大異動となった。県民に親しまれた4人ものアナウンサーが福島県を離れることになってしまった。寂しい・・・。
                                                                 
 そしてTUF(テレビユー福島)・・・
                                                                                                                               
 釜井美由紀アナウンサー
                                                                
 テレビユー福島のアナウンサー。夕方の「Nスタふくしま」にキャスターとして出演していた。3年間という短い期間だったが、TUFの美人アナウンサーとしてお茶の間にニュースをお届けしてくれた。栃木県宇都宮市出身で慶應義塾大学法学部卒の才女だった。血液型はAB型

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 FCTでは・・・
                                                                 
 久保恵佳アナウンサー
                                        
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 彼女はFCTの女子アナとして「ゴジてれchu!」のお天気コーナーやリポーターを務めていた。また、時々、県内ニュースに出演していた。温和で笑顔が素敵な方で、この春ではなく、昨年11月末には退社された。
 県内には多い大阪府出身で、立命館大学を卒業された才女だった。血液型はO型
                                                               
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 FTVの一時休職は・・・

 寺本緒麻里アナウンサー
                                         
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 彼女は3月15日の「FTVテレポートプラス」で、「産休」のために番組を卒業することを発表した。たぶん退社はせず、産休明けにはまた、戻ってきてくれることを期待したい。私自身、アナウンサーフリークを自称していながら、彼女が2017年に結婚していたことを知らなかったし、妊娠されて、お腹が大きくなっていたことも気づかなかった。出産予定は5月ということだ。
 彼女もまた、27歳ながらFTVの看板女子アナに育っていて、柔らかくておっとした雰囲気が癒し効果をもたらし、世の男性のハートをがっちり掴んでいたことはゆるぎない事実だ。番組内のコーナーである「500mの小さな旅」も、他のアナに譲ったのも、お腹のお子さんへの気遣いだったと今は想像できる。

                                                                
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 3年前のTUFの「梅田澪理」アナ、2年前にはFTVの「名切万里菜」アナ、そして今年はNHKの「平川沙英」アナまでもが福島県を離れることとなった。いずれも私の大のお気に入りで、大げさかもしれないが、或る意味、心のよりどころだった彼女たちであった。
  参考までに「梅田澪理アナ」はコチラ

    
                                                                                                                 
 さて、冒頭で「春は別れの季節」と語ったが、かくいう私も転勤となった。新しい職場に馴染めるのか、幾つになっても不安は尽きないが、アナウンサーも同様だと思う。慣れない土地で、人間関係も一から作らなければならないという不安はどの職業でも同じだ。今年、福島を離れる局アナたちは、ぜひ福島県で培ったパワーを他県でも発揮して頂きたいと思う。
 そしてどこかの中継場面で、またお目にかかれれば嬉しく思う。
 他にも「ラジオ福島」の二大若手美人アナウンサーだった「稲本安里紗」アナと「菅原咲子」アナの両名も1月と3月で退社されてしまった。
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 肌が綺麗で秋田県由利本荘市出身、秋田美人の菅原アナは生まれ故郷に戻り、「秋田テレビ(AKT)」のアナウンサーになっていた!
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秋田テレビの公式ホームページはコチラ→ https://www.akt.co.jp/announcer/prof_sugawara

2018年3月20日 (火)

世紀の脱出王日米対決

 あなたは「スーパーマジシャン」と聞いて誰を想像しますか?
 1970年代の日本を超能力ブームに陥れた「ユリ・ゲラー」?それともサイキックエンターティナーとして1980年代後半から華々しく登場し、「超魔術」の世界を確立した「Mr.マリック」?はたまた異次元の奇才「セロ」?私なら迷わず2人の魔術師を挙げる。魔術師と言っても手品やマジックのような生易しい類ではなく、命を張った脱出劇を演じたスパーエキセントリックなHEROだ。ひとり目は、オーストリアが生んだ脱出王の「ハリー・フーディーニ」だ。彼は欧州出身だが米国で名声を挙げたため、アメリカ人として扱いたい。

 ハリー・フーディーニ

 1874年生まれの彼は、「脱出王」の異名を取った、オーストリア=ハンガリー二重君主国ハンガリー王国ブダペスト市七区(エルジェーベト町)出身のユダヤ人で、アメリカ合衆国で名を馳せた奇術師。本名ヴェイス・エリク (Weisz Erik) [ˈvæjsˌerik](ハンガリー人は姓を先に、名を後に表記するので、ヴェイスが姓)。「現在でもアメリカで最も有名な奇術師」と呼ばれるほど認知度は高く、奇術師の代名詞ともなっている。

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 飛行機や陸上競技への造詣が深かった。超能力や心霊術のいかさまを暴露するサイキックハンターとしても知られる。
 脱出術を得意とし、各国の警察の留置場や刑務所に収監されての手錠外しによる脱出や、また凍った運河やミルク缶からの脱出を行い、話題となった。「フーディーニに脱出できない所は無い」「不死身の男」「脱出王」と大規模に宣伝するなど、マスコミを利用した売り込み技術はずば抜けた才能があり、当時のアメリカのトップスターとなった。 また、それまであったトランクからの脱出を、助手と奇術師が一瞬で入れ替わるトリックへと進化させ、奇術にスピード性と鮮やかさをもたらした。妻のベアトリス(ベス)  と行ったこの入れ替わりマジックは「メタモルフォーゼ(完全変態)」と呼ばれる。

 https://www.youtube.com/watch?v=TFMngeJ8IHs

 https://www.youtube.com/watch?v=KrnCPoTky9s

 https://www.youtube.com/watch?v=iKG_S-nKu0I

 しかし1926年、楽屋に訪れた大学生のホワイトヘッドに「腹部を強く殴られても平気」という芸を見せる際、フーディーニが準備していない段階で殴られたことが原因の急性虫垂炎で10月31日に死亡した。葬儀に参列したフローレンツ・ジーグフェルドは、棺の前で「賭けても良いが、彼はこの棺の中にもういない!」と言ったという。フーディーニは死の直前、妻ベスに対して「死後の世界があるのなら、必ず連絡をする」と伝えたが、その後何のコンタクトも無かったとベスは語っている。

 彼の死に様もまだ予期せぬものだった。誰にも死を予感させず、急に逝った。

 引田天功(初代)

 水中や爆発などの極限状態からの脱出マジックを得意とし、「日本の脱出王」の異名を取った。また催眠術にも長けていた。
 1968年から1975年まで7回にわたって日本テレビの特番(主に木曜スペシャルの枠内)として放送された脱出イリュージョンは「死のジェットコースター大脱出」、「死の火煙塔大脱出」「死の水道管大脱出」「油地獄水面炎上大脱出」といった従来のマジックからは考えられないほどのスケールの大きさで毎回高視聴率を記録し、日本中に脱出ブームを巻き起こした。脱出のアイディアは自身が尊敬する“脱出王”ハリー・フーディーニの脱出劇にヒントを得たものであり、大量の火薬をセッティングした大掛かりなパフォーマンスであった。彼はこれらの脱出を成功させるため、練習中に瀕死のアクシデントを経験している。脱出の際の爆薬の威力は凄まじく音と熱と煙に相当悩まされたとも自身の著書に記している。

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 テレビメディアと組んだ大規模な脱出イリュージョンの日本におけるパイオニアとして、日本のマジック界をリードする存在だったが、中年期より心筋梗塞など重度の心臓疾患に苦しんだ。しかし、自身の病状の進行等の事情から果たせず、1979年大晦日に死去。45歳没。「引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした」「煙を吸い込んで、肺を痛めたのが早世につながった」との噂もたったが、公式の死因発表は心臓病死である。

 一世を風靡した世紀の大脱出

1.ダイジェスト

 2.「死のジェットコースター大脱出」(昭和48年3月)

 3.「死の火煙塔大脱出」(昭和50年4月)

 4.「油地獄水面炎上大脱出」(昭和50年10月)

 この油壺の脱出については、彼の死後、今から25年ほど前に彼がどのようにしてこの脱出を成功させたか、事細かに検証する番組を放送した。福留功男アナのナレーションで、いかに緻密に仕組んだ計画だったかを逐一解説して行った。私は当時VHSビデオに録画し、繰り返し何度も見て、彼の天才ぶりを賞賛した覚えがある。また、初期の「死の水道管大脱出」については映像がないので、こちらのHPをどうぞ!(削除の場合あり)

 http://homepage3.nifty.com/arb/subpage4-03.htm  

 フーディーニに憧れて脱出マジックを考案し、世間に衝撃を与えた彼は、奇しくも同じような境遇を辿り、早世してしまった。

 私は当時、小学生だったが、彼の織り成すスペクタクルな脱出劇にテレビの前でハラハラドキドキしながら手に汗握って固唾を呑んで見ていたのを覚えている。彼の急死の知らせもまた衝撃的だった。マジシャンの彼が病気で死ぬなどと思わなかったからだ。
 彼の壮大な計画の下で繰り広げられた世紀の脱出劇は、死後、彼の弟子だった2代目引田天功(現:プリンセス天功)に引き継がれた。
 あまりにも突然に死の報に、当時私は悲しみに暮れた覚えがある。今も存命ならば、その後も壮絶な脱出劇を見せていたに違いない。いや、逆に彼は早世したからこそ、伝説になっているのかもしれない。

 <参考資料>

 当ブログで掲載した記事「引田天功の「世紀の大脱出」」はコチラ

 記事作成:3月12日(月)

2018年3月 8日 (木)

福島のテレビ局のオープニング映像集

 テレビ局の放送開始時に流れるオープニング映像をご存知でしょうか?福島県のテレビ局だと、朝4時台に放送が始まり、夜中の2時過ぎにクロージング映像が流れて終了する。福島県には民放のテレビ局が4局あるが、そのOP映像とED映像はそれぞれ違う。
 古くは「福島テレビ」(本社・福島市)と「福島中央テレビ」(本社・郡山市)の2局体制がずっと続いていたが、その後、昭和50年代に「福島放送」(本社・郡山市)、「テレビユー福島」(本社・福島市)が相次いで開局した。
 福島テレビは以前はフジテレビとTBSをネットしていたが、今ではフジテレビ系列に、そして福島中央テレビは日本テレビとテレビ朝日をネットしていたが、4局体制になってからは「日本テレビ」系列になった。新設の福島放送が「テレビ朝日」をネットして、テレビユー福島は「TBS系列」に衣替えした。私が大好きな「テレビ東京」は4局どこでも放送している。番組だけを4局が買いとる方式で運営している。

 さて、話を戻すと、各局共に放送開始&終了時の映像は、工夫が凝らしてある。それぞれが開局前に宣伝媒体として流していた、今では使われていない映像は懐かしさ以外の何物でもない。今日はそれをテーマとしてお送りしたい。県内出身者はもとより、故郷を離れた方々にもぜひ懐かしんで貰えたら幸いです。

 1 福島テレビ(FTV)

  1986年当時のオープニング

 現在はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=QjUVOLDvEa0

 1986年当時のクロージング

 現在のクロージングはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=_MM74WXuUGY

 2 福島中央テレビ(FCT)

 昔のクロージング

 3 福島放送(KFB)

 「ビッグスカイ」の初代オープニング

 1989年のクロージング(20秒後より)

 開局前のジングルのようなPR映像は、外人女性がスピードスケートのような、あるいは「とんねるずのみなさんのおかげです」のモジモジくんのようなコスプレだった。

 4 テレビユー福島(TUF)

 現在はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=ip2abJlK8yc

 クロージング

 1983年のクロージング

 現在はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=NEBY9fflQMs

 さて、こんなことを記事のテーマにするのも、まもなく当ブログが終了するからで、何か福島愛を爪痕として残したかったからだ。我が福島県の魅力は様々あるが、テレビの話題でこれだけ盛り上がれるのもまた一興だ。私は往来のテレビっ子だったため、この関連であれば話題に事欠かない。

 記事作成:2月28日(水)

2018年1月 8日 (月)

NHKが最近、壊れたと思える映像集

 ここ数年、お堅い公共放送の筈のNHKがふざけている。というよりぶっ壊れている。前にも同様の記事を書いて指摘したが、ニュース番組でもこれまでの路線変更は顕著で、本来の存在価値を逸脱している。これは国民への人気取り、いわゆる迎合なのか。それとも親近感を持たせようとしてあえてはっちゃけて、これまでの堅い印象から脱却を図ろうとしているのか?はたまた現NHK会長である上田良一氏の指図なのか?あまりにも変わり過ぎて、従来のNHKのイメージ抱いているお年寄りは、相当な違和感を持って見ていると思う。

 では、今回もこのように述べる根拠としていくつかの映像を紹介したい。なおリンクした動画は私が「YouTube」にアップしたものではないため、予告なく削除されることがあることを申し添えます。

 1 軽くなったアナウンサー

 生放送中に物まねですか(1分27秒から)

 NHKのアナウンサーは、退社された膳場アナや現役の小野アナ、和久田アナにしても東大卒や早稲田卒の超エリート社員だらけだ。なのに、このような教養の微塵も感じられないお粗末な放送では見る気になれない。NHKの放送使命は、こんな低レベルに成り下がったということだろう。若者への人気とりとしか思えない沙汰だ。

 生放送中のおふざけ&じゃれあい

 視聴者がどんなふうに番組を見ているのか、まったく無視して身内ウケすればいいような俗物根性しか感じられない。アットホームさや温かみのある雰囲気を演出したいのだろうが、それはNHKに求められることではなく、ふざいけあいの茶番にしか映らない。こういうことは民放がやることだ。残念過ぎる。

 2 緊張感のないハプニング報道

 3 良識に欠ける動向(放送事故レベル)

 

https://www.youtube.com/watch?v=LolfNpaxqok

https://www.youtube.com/watch?v=VYbRTVql1Eg

 これらの映像を見て感じることは、NHKも民放並みに成り下がったということだ。国民、特に若い世代にウケれば何でもいい。視聴率さえとれれば、教養もへったくりもないという印象だ。
 断っておくが、私は年払いでNHKの受信料を適正に払っている。だから、余計にこのような民放ばりの「悪ふざけ報道」は腹が立つ。昔の知性と教養溢れる番組放送、報道姿勢に回帰して貰いたい。

  記事作成:1月5日(金)

2018年1月 4日 (木)

今年注目の台湾女優

 台湾へ感謝の旅行に出向いたのがもう5年前になるとは俄かに信じがたい。東日本大震災の際に、世界一となる200億円超えの義援金を送ってくれた台湾。私は実の母親が台湾生まれということもあって、何か特別の間柄の気がして親近感しかなかった。
 さて、本題だが、なぜ、今日の記事の冒頭で台湾の話を持ち出したかと言うと、世の女性が韓国ドラマにハマっている中、強烈な嫌韓の私は、台湾女優にお熱を上げている。リー・チンリンさんは別格として、「言えない秘密」のグイ・ルンメイや「台北に舞う雪」に出演したトン・ヤオが大好きなことは、以前当ブログでカミングアウトしたことがあったが、今年再ブレイク間違いない台湾女優が今日取り上げる「ジエン・マンシュー」だ。今年29歳になった彼女は、10歳年上のヘアアーティストの男性と電撃結婚し、妊娠を発表した。

 それでもその美しさは決して色褪せることはない。日本では、同じO型の加藤綾子アナに似ているとか相武紗季似だとか言われるが、私は川口春奈(O型)や鶴田真由(O型)、宮﨑あおい(O型)、さとう珠緒(A型)に似ていると思ってしまう。論より証拠、彼女の画像をご覧ください。

 「ジエン・マンシュー」

Taiwan1 Taiwan2 Taiwan3 Taiwan6

 1988年10月16日生まれの29歳 てんびん座のO型

 台湾藝術大学在学時に台湾教育部のテレビ広告に起用される。2010年にデビューし、同年ドラマ『あの日を乗り越えて(Year Of The Rain)』で第45回金鐘賞(台湾テレビ番組、ドラマアカデミー賞)の主演女優賞にノミネートされた。2015年に映画『菜鳥~Maverick』で第52届金馬獎の最優秀助演女優賞ノミネートされた。2016年に映画『菜鳥~Maverick』で第18届台北映画祭の最優秀助演女優賞。

Taiwan5 Taiwan4 



  しかし、彼女の存在を日本でも知られるようになったのは、2017年に日本で封切られた映画『ママは日本へ嫁に行っちゃ ダメというけれど。』だ。

 Facebookでの出会いを通じて国際結婚した日本人男性と台湾人女性の実話を、俳優の中野裕太と台湾の女優ジエン・マンシューの主演で映画化。原作は、2人の遠距離恋愛や結婚生活をつづり、32万人以上のファンを持つFacebookページ「雖然媽媽説我不可以嫁去日本。」をブログにまとめ、後に書籍化した「ママは日本へ嫁に言っちゃダメと言うけれど。」(新潮社刊)。テレビドラマ「拝啓、民泊様」を手がけた谷内田彰久監督がメガホンをとった。日本のドラマやアニメが大好きで、大学では日本語を専攻している台湾の女性リン。ある日、彼女のFacebookに、モギという名の日本人青年からメッセージが届く。モギは、震災の復興支援で日本に友好的な台湾に興味を抱き、まだ見ぬリンにメッセージを送っていた。これをきっかけにFacebook上で交流を始めた2人の仲は、急速に縮まっていく。

 <予告編>

http://www.taipeinavi.com/special/5059172

 さて、私はアジアの女優で好きになったのは、20代では「チャイニーズゴーストストーリー」の「ジョイ・ウォン」で、30代後半が「冬ソナ」の「チェ・ジゥ」、40代は「僕とスターの99日」の「キン・テヒ」だった。40代半ばからは台湾女優にハマるようになった。それは昔の日本人女性が持っていた清純で清楚な印象とダブるからだ。恋愛観も1960年代生まれの私にとっては理想の女性像がドンピシャだ。
 日本でもどんどんメジャーになってくれることを願っている。

 記事作成:12月29日(金)

2017年11月29日 (水)

私が好きなO型女子アナ

 今日は私的なことをカミングアウトするようで申し訳ないが、私が大好きな女子アナの中でも、どういうわけか惹かれ易いO型の女性アナ限定で特集してみたいと思う。
 なお、掲載する順番はアットランダムだ。

新井恵理那(セント・フォース)

1989年12月22日生まれの27歳 アメリカ・カリフォルニア州出身 青山学院大学卒業

伊藤弘美(セント・フォース)

1988年8月31日生まれの29歳 静岡県袋井市出身 立教大学卒業

Araierina Itohiromi

長野美郷(セント・フォース)

1986年11月27日生まれの31歳 愛知県出身 上智大学卒業

伊藤友里(セント・フォース)

1987年8月26日生まれの30歳 福岡県福岡市出身 立教大学卒業

Naganomisato1 Itoyuri2

 上の2人が一番のお気に入りだ。

高見侑里(セント・フォース)

1987年6月30日生まれの30歳 神奈川県出身 立教大学卒業

堤 礼実(フジテレビ)

1993年11月23日生まれの24歳 アメリカカリフォルニア州出身 大妻女子大学卒業

Takamiyuri Tsutsumiremi

 なぜかセント・フォースはO型ばかりを買い占めている。私が大好きだった山岸舞彩さんもO型だった。

宮澤 智(フジテレビ)

1990年3月1日生まれの27歳 埼玉県所沢市出身 早稲田大学卒業

宮司愛海(フジテレビ)

1991年7月29日生まれの26歳 福岡県出身 早稲田大学卒業

Miyazawatomo Miyajimanami

久慈暁子(フジテレビ)

1994年7月31日生まれの23歳 岩手県奥州市出身 青山学院大学卒業

加藤綾子(元フジテレビ・フリー)

1985年4月23日生まれの32歳 埼玉県三郷市出身 国立音楽大学卒業

Kujiakiko Katoayako

夏目三久(元日本テレビ・フリー)

1984年8月6日生まれの33歳 大阪府箕面市出身 東京外国語大学卒業

松尾由美子(テレビ朝日)

1979年8月9日生まれの38歳 宮崎県宮崎市出身 慶應義塾大学卒業

Natsume Matsuoyumiko

竹内由恵(テレビ朝日)

1986年1月20日生まれの31歳 東京都出身 慶應義塾大学卒業

林美沙希(テレビ朝日)

1990年5月2日生まれの27歳 愛知県出身 明治大学卒業

丸い顔立ちは20代の頃の夏目三久アナウンサーにそっくりだ。

Takeuchi Hayashimisaki

田中 萌(テレビ朝日)

1991年6月29日生まれの26歳 山形県山形市出身 明治大学卒業

Tanakamoe2

 往年の好きな女子アナはO型が多かった。西尾由佳理アナ、永井美奈子アナなどがそうだ。ほかにA型で好きだったのは日本テレビの菅家ゆかりアナ、関谷亜矢子アナ、フジテレビの寺田理恵子アナ、元TUFの梅田澪理アナ、現役では皆川玲奈アナ、名切万里菜アナ、地元・福島中央テレビの小野紗由利アナくらいだ。B型で好きなのは高島彩アナと川田裕美アナくらい。

 O型は色白で丸顔、綺麗系というより愛嬌のある可愛い系が多く、ベビーフェイスな感じの人が多い。癒し系の雰囲気で、明るく朗らかでほんわかしている印象がある。アナウンスもギスギスしていないし、A型のようにそわそわしていたり、早口ではなく、おっとりしているし、声質もよく通る発声で聞き取り易い。ピリピリ張り詰めた印象が強い報道には向かないが、バラエティーのMCやアシスタントにしたら最高。場を盛り上げることが出来る。 

記事作成:9月11日(月)~11月27日(火)

2017年9月11日 (月)

医療ドラマと志願者数の因果関係

 以前も同じテーマで検証記事を書いたことがある。その時は人気職業のパイロットやキャビンアテンダントなど航空業界のテレビドラマ放送後に、その職業を希望する国家試験の受験率を調査した。今回は、刑事ドラマに次いで放送が多い、医師や看護師などの活躍を描いた医療系ドラマ放送後、その職業に就きたい人がどれくらい増加したかを調べたい。つまり職業ドラマと志願者の因果関係を明らかにしたいということだ。中3や高3など、進路を決める時期にあって、テレビドラマの影響がどの程度あるかを調べ、分析したい。
 まずはバブル以降に放送された医療系ドラマの視聴率から検証したい。人気ドラマであれば若者の就業意識に多大な影響を及ぼすからだ。

医療系ドラマ視聴率トップ10(%は最高視聴率)

1位 2003年(H15) 白い巨塔 32.1% フジテレビ
2位 2013年(H25)  Doctor-X ~外科医・大門未知子~ 26.9% テレビ朝日
3位 2011年(H23) JIN-仁- 26.1% TBS
4位 2006年(H18) Dr.コトー診療所2006 25.9% フジテレビ
5位 2001年 (H13)  救命病棟24時 第2シリーズ 25.4% フジテレビ
6位 2001年 (H13) 白い影~Love and Life in the white~ 23.8% TBS
7位 1993年 (H3)   振り返れば奴がいる 22.7% フジテレビ
7位 2000年 (H10)  ナースのお仕事3 22.7% フジテレビ
9位 2013年 (H25)  DOCTORS2 最強の名医 21.7% テレビ朝日
10位 2008年 (H20)  コード・ブルー -ドクターヘリ救急救命- 21.2% フジテレビ

田宮二郎  白い巨塔 (外科医)1978年 第1話 18.6% 最終話 31.4%
水前寺清子 ありがとう(看護婦)1972~1973年 第2シリーズ 最高視聴率 56.3%

 医師の場合、医学系の大学に進み、6年間学び、卒業前に医師国家試験を受け、その後2年間の研修医生活が待っている。なので、研修医になるのは最短で24歳正式な医師になるのは26歳といえる。その後、医師に必要なのは、経験と場数を踏むことで、一人前になるには相当数かかるのが普通だ。
 「コードブルー」のように20代の若手ばかりで医療チームを組むことはまずありえない。特に人の生死に直結する救命救急の場では、経験豊かで専門知識、そして不眠不休でも勤まるほどの体力がないと潰れる。そのいずれも備えたスーパードクターでなければ務まらない。実際の現場は35歳~45歳がもっとも多いようだ。

 看護師は正(准)看護学校もしくは大学の看護学部に進むが、早くても3年、通常は4年が目安。現場には22歳くらいから配属になるため、医師より若い看護師が多い。こちらも国家試験に合格した者のみ採用されるが、中には看護師見習いで入るものもいるが、医療行為は狭められる。一度、国家試験に通れば、一生有効である。
 では、本題だが、このような人気ドラマが放送されてどう希望者がどう変わったかを見たい。

 上のドラマを時系列順に並べ、その後の医学部志望者の増減と医師国家試験受験者数の増減の変化を見ればどれくらい影響を与えたかがわかりえよう。

     放送された主な医療系ドラマ    医師(看護師)国家試験受験者数
昭和47年~昭和48年 ありがとう              医 4,080人                   
昭和49年                            医 4,346人 ↑
昭和50年                            医 4,528人 ↑ 
昭和51年                            医 5,015人 ↑
昭和52年                            医 5,373人 ↑    
昭和53年~昭和54年 白い巨塔                          医 6,145人  ↑  7,010人  
昭和55年                                     医 7,889人 ↑
昭和56年                                     医 8,229人 ↑
昭和57年                                     医 8,478人 ↑                  
昭和58年                                     医 8,643人 ↑
昭和59年                                     医 9,105人 ↑

  昭和53~54年に高3で「白い巨塔」を見て医師を志た者が6年後に国家試験を受けたとると、昭和60年頃に受験することになる。田宮二郎の白い巨塔はそれほどインパクトが大きかった。天才外科医でありながら、自らがんに蝕まれていき、最後は壮絶な死を遂げる。 
 医師国家試験者数が増加の一途を辿っているいおとから判断して、このドラマを学生時代に見て「ガンを治したい」と医者を志した若者が数多くいたことが証明している。やはりドラマの影響は大きいようだ。

昭和60年                                     医 8,805人 ↓ 
昭和61年                                     医 9,507人 ↑
昭和62年                                     医 9,940人 ↑
昭和63年  熱っぽいの                             医 9,672人 ↓ 
平成元年                                      医10,037人  ↑
平成2年                                       医 9,488人 ↓
平成3年  振り返れば奴がいる                        医 9,812人 ↑
平成4年                                       医 9,515人 ↓
平成5年                                       医 9,664人 ↑
平成6年                                       医 9,255人 ↓   看 40,445人
平成7年                                       医 9,218人 →  看 42,532人
平成8年                                       医 9,057人  ↓  看 45,600人
平成9年                                       医 8,898人  ↓  看 49,774人
平成10年 ナースのお仕事                          医 8,716人 ↓   看 53,052人 
平成11年                                     医 8,692人 ↓   看 55,404人  
平成12年  ナースのお仕事3                         医 8,934人 ↑   看 48,568人 
平成13年 救命病棟24時                           医 9,266人 ↑   看 48,332人
         白い影~Love and Life in the white~       
平成14年 ナースマン                              医 8,719人 ↓    看 53,187人

  ナースのお仕事はどちらかといえばおちゃらけていた。新米看護婦の奮闘ぶりを描いていたが、当時、看護師は3Kの典型のような職業で、加えて医療ミスや院内感染が多く発生し、過酷な職場を避ける人が大勢いた。我がままな入院患者やクレイマーが多く裁判沙汰になるケースも見られ、志望者が大幅に減ったが、男子の看護師の登場で志願者増に転じた。ナース=女性という時代からの転換期がこの頃だ。
 また、長引く不況や不景気により、5千万円もかかる就学費用を賄えず、医師を断念した者も多く、結果的に医学部進学を諦め、受験者数減になった。

平成15年 白い巨塔(唐沢寿明)                      医 8,551人 ↓  看 53,680人
       ブラックジャックによろしく
平成16年                                            医 8,439人 ↓ 看 49,204人
平成17年 1リットルの涙                           医 8,495人 →  看 48,299人
平成18年 Dr.コトー診療所2006                              医 8,602人  ↑ 看 48,914人
                医龍-Team Medical Dragon- 
平成19年 医龍2-Team Medical Dragon-               医 8,573人 ↓  看 50,766人 
平成20年 コード・ブルー-ドクターヘリ救急救命-①   医 8,535人 →  看 51,313人
               風のガーデン  チームバチスタの栄光                 
平成21年 ヴォイス~命なき者の声~             医 8,428人 ↓   看 50,906人
平成22年 コード・ブルー-ドクターヘリ救急救命-②   医 8,447人 →   看 52,883人
平成23年  JIN-仁-   ※東日本大震災発生    医 8,611人 →   看 54,138人
       最上の名医
平成24年 サマーレスキュー~天空の診療所~    医 8,521人 ↓   看 53,702人
平成25年 Doctor-X ~外科医・大門未知子~     医 8,569人 →   看 56,530人
         DOCTORS2 最強の名医 / LAST HOPE          
平成26年                                    医 8,632人 ↑   看 58,891人
平成27年                                    医 9,057人 ↑   看 60,947人
平成28年                                    医 9,434人 ↑   看 62,154人
平成29年 コード・ブルー-ドクターヘリ救急救命-③   医 9,618人 ↑  

 平成15年以降は、立て続けに医師をテーマにしたドラマが多くなった。天才外科医など
かっこいい部分にスポットを当て、若くてスマートな印象を受け、医師を志そうと考えた
者も少なくない。そして2011年に発生した東日本大震災で、生命の尊厳について考える機
会が増え、人の命に関わることや社会貢献できる職業に注目が集まった。

 中3時に感化されて医師を志そうと思った者は、受験年齢が24歳なのでドラマ終了の
9年後に増加するはず。また高3時に医学の道を決意した者は6年後の受験者数を見れば
一目瞭然だ。もちろん、大学の医学部の志願者数を見ればもっとわかりやすいが、日本
全国の医学部のある大学を総ざらいで調査するには相当の時間がかかるため、それは実
施しませんのであしからず。

総括すれば、医師というのは誰にでもなれる訳ではなく、医学部進学の道は険しく、また
相当の出費を伴う。ドラマで放送されたからといって、航空業界のように、すぐ飛びつけ
る職業ではない。受験科目には難解の数学Ⅲと物理が必須で、それで全科目9割以上取るな
ければ合格は厳しい世界だ。医学用語は難解で、英語も自由自在に使いこなせなければな
らない。カルテは昔はドイツ語、今は英語で書く場合が多い。ハードルは高く、誰でもす
ぐになれる職業ではないようだ。

 記事作成:8月29日(火)

2017年8月26日 (土)

あのロケ地に行きたい②

 人間、歳を重ねると古いことや昔の出来事は不思議と覚えているもので、それは夢中で見ていたテレビ番組においても同様だ。特に1970年代後半、私が中学生時分に見た探偵や刑事ものはインパクトが大きかった。とりわけ土曜ワイド劇場は影響大で、「江戸川乱歩の美女シリーズ」については過去、何度も当ブログで特集記事を書いた通りだ。

 今日は昨日の「金田一耕助」シリーズに続き、記憶に残る探偵ドラマとして挙げたいのは、田中邦衛と浅茅陽子の迷探偵コンビが織りなした「幽霊シリーズ」だ。このドラマも殺人事件が起きるシリアスでいて、しかしどこかコミカルで、フィルム撮影当時の重厚感があった。やはり「土曜ワイド劇場」の枠内でシリーズ化した。
 では「土曜ワイドステーション」というサイトと「Wikipedia」の力を借りて、当時の制作された作品を振り返りたい。

<幽霊シリーズ>

~主要人物~ 赤字は故人

  • 永井夕子(女子大生探偵) - 浅茅陽子(第1作 - 第7作)、藤谷美和子(第8作・第9作)
  • 宇野喬一(迷刑事・警部) - 田中邦衛
  • 警視庁捜査課長 - 小沢栄太郎
  • ~作品名と主なキャスト~

     第1作「幽霊列車」(1978年)

     殿山泰司内田朝雄信欣三桑山正一山本麟一

     なんと、この映像が「Youtube」にアップされていたので、冒頭部分だけリンクします。

     続きの全映像は「Youtube」でどうぞ!

     第2作「幽霊海岸」(1978年)

     市毛良枝、伴淳三郎福田豊土河内桃子、根岸とし江、井口恭子

     第3作「迷探偵コンビ危機一髪!善人村の幽霊まつり」(1979年)

     山本亘、 浜田寅彦橋本功滝田裕介草野大悟金田龍之介、小川亜佐美
    殿山泰司、山本昌平、 山本麟一

     第4作「迷探偵コンビは死なず!幽霊湖の花嫁」(1979年)

     池上季実子、加藤嘉、香野百合子、殿山泰司千石規子草薙幸二郎、森下哲夫
    玉川良一梅津栄

     第5作「迷探偵コンビ潜入せよ!幽霊学園祭」(1981年)

     高峰三枝子、中尾彬、日向明子、中野誠也、森下哲夫、本城ゆき

     第6作「幽霊温泉 迷探偵コンビ死の旅へ!」(1981年)

     岡本富士太、夏桂子、下元勉花沢徳衛、原悦子、佐藤佑介
                                                          
     第7作「迷探偵コンビの危険旅行 幽霊結婚」(1982年)

     荻島真一、結城しのぶ、山本紀彦、高橋恵子、嵯峨善兵大塚道子

     第8作「迷探偵新コンビ誕生!幽霊半島 古代鏡に映る妖しい女の影!?」(1984年)

     神山繁、夏桂子、益岡徹

     第9作「幽霊同窓会 少女誘拐!真犯人は同級生?岩風呂の湯けむりに白い肌が…」(1984年)

     井川比佐志、結城しのぶ、萩原流行

     この探偵ドラマも、出演者の多数が亡くなられている。なぜならこの「幽霊シリーズ」は地方の閑村地帯が事件現場となっていて、出演者はおじいちゃん・おばあちゃん役の俳優が多かったからだ。

     さて、私が訪れたいこのシリーズのロケ地は第6作の「幽霊温泉」だ。このシリーズあ、金田一耕助シリーズと同様、地方の田舎でロケが行われることが多く、「幽霊温泉」も萎びた古くさい、お年寄りが訪れる湯治場と言えそうな温泉旅館が使われた。

     「幽霊温泉」の詳細はコチラ 

    http://loveantlers.blog31.fc2.com/blog-entry-1594.html

     もし、この記事を読まれた方で、この温泉旅館をご存知であれば、コメントをください。長年の疑問(“幽霊の呪縛”)から解放されたいと思います。よろしくお願いします。

     「法師温泉長寿館」に似た造りで、木造の古い佇まいで、渡り通路があったような気がします。もしかすると「幽霊温泉」ではなく「幽霊列車」かもしれません。

    Chojyukan
    上の長寿館のような造りで、もっと大きかった気がします。

     記事作成:8月9日(水)

    2017年8月25日 (金)

    あのロケ地に行きたい①

     「聖地巡礼」という言葉が言われて久しい。この起爆剤となったのが、映画「君の名は。」だったが、ミーハー好きな私は、35年も前からこれらを敢行している。しかし、仕事に就いてからはなかなか時間が無くて足を運べないのが現状だ。
     退職まではあと10年ないので、リタイヤ後はぜひそれを実行に移しながら余生を送りたいと思っている。
     さて、以前にも似たような記事を書いた時、「同窓会へようこそ~遅すぎた夏の帰郷~」を真っ先に挙げたが、今回は、私が中学生から高校生の頃にかけて、土曜日22時からTBS系列で放送していた「横溝正史」シリーズのエンディングで流れた映像の中で取り上げられたスポットを備忘録も兼ねて書き留めたい。

     1.「あざみの如く棘あれば」 24秒後から

     フルバージョンはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=6NNP3h5ygas

     実際のロケ地を特集した投稿動画

     私はてっきり富岡製糸場でロケをやったと勝手に思い込んでいたら、まったく違っていて、京都市の龍谷大学がそのスポットだった。

     ところで皆さんはこのテレビ版の金田一耕助が活躍するドラマを覚えているでしょうか。シリアスかつおどろおどろしいストーリーで、情念や怨念が殺人を生み出す。主人公の探偵・金田一耕助は映画版は石坂浩二が熱演したが、私はドラマ版で主役を張った「古谷一行」のほうが、泥臭さや人間臭さが出ていて、はまり役だと思った。そして警部役に長門勇(故人)が出演し、名コンビだった。

    <1977年シリーズⅠ> 赤字は故人

    第1作「犬神家の一族」 京マチ子・月丘夢路・小山明子
    第2作「本陣殺人事件」 淡島千景佐藤慶荻島真一
    第3作「三つ首塔」 黒沢年男・真野響子・小池朝雄
    第4作「悪魔が来たりて笛を吹く」 草笛光子・江原真二郎・檀ふみ
    第5作「獄門島」 中村翫右衛門河原崎国太郎金子信夫
    第6作「悪魔の手毬唄」 佐藤友美・高岡健二・池波志乃

    <1978年シリーズⅡ>

    第1作「八つ墓村」 鰐淵晴子・荻島真一・神崎愛
    第2作「真珠郎」 大谷直子・原田大二郎・中山仁
    第3作「仮面舞踏会」 草笛光子・木村功・三ツ木清隆 
    第4作「不死蝶」 竹下景子・江木俊夫・栗田ひろみ
    第5作「夜歩く」 范文雀・谷隼人・南風洋子
    第6作「女王蜂」 岡田茉莉子・片平なぎさ・夏夕介

     ほかにもこのシリーズは第9作まで続いたが、私が見ていたのは「女王蜂」くらいまでだった。オカルトチックなこのドラマだが、見終わった後、怖くてなかなか寝つかれなかったことを覚えている。
     それにしても今から40年近く前に放映されたとは言え、私の中では映像が脳裏に焼き付いていて未だに記憶に残っている。
     そして、年を追うごとに、出演した名優たちがひとり、またひとりと鬼籍に入られている。残念でならない。
     私も記憶が確かなうちにこのロケ現場を巡りたいと考えている。

     記事作成:8月9日(水)

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