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経済・政治・国際

2018年1月22日 (月)

許しがたき韓国の悪行

 これまで嫌韓に関する記事を書くたびに、何度か共産党系?と思しき方から嫌がらせと思えるような横槍コメントがあったことを前もってカミングアウトしておきたい。しかしかつて「なでしこりん」がそうであったように、権力には屈せず、怖気ずに韓国に対する持論を展開したい。その理由は、韓国のことあるごとの一方的かつ度重なる「日本バッシング」に日本人としての立場を明確にし、主義主張を明示したいからだ。それに憲法で定めるところの「表現の自由」を侵害する行為は断じて許せない。

 今回はまず、平昌オリンピックを機に、南北融和ムードの機運が高まっている朝鮮半島情勢について指摘したい。北朝鮮にいいように振り回され、あしらわれていると知ってか知らずか、政治とスポーツは別物とばかりに、少しでも北朝鮮が甘い顔を見せると、それに乗じて180度対応を変える韓国の変り身の早さと八方美人的で主体性のない日和見外交、そして自らのスタンスのブレには目をつむり、怒りの矛先をすべて日本に向け、敵視する強権的発想はもはや友好ムードなどありえない所業だ。

 しかしながら、これこそが韓国の本音で、かつて同一民族であった北朝鮮・韓国両国にとって、日本は完膚なきまでに叩きのめしたい宿敵だが、幾らいがみあって対立しているように見えても、心の底ではいつかは北朝鮮とは国家を統一して元の鞘に収まりたいという悲願があるように見える。

 一方では、韓国はアメリカ・日本との三国同盟を画策し、北朝鮮への警戒態勢を整えているが、それはあくまでやむを得ずの表向き外交であり、腹の底では隙さえあれば、日本を蔑ろにし、葬りたいという本心が見え隠れする。日本人の感情からすれば、70年以上も前の遺恨をいつまでも引きずり、誠意ある謝罪要求など歴史問題の清算を迫り、敵対関係を続け、執拗に責任追及をしている点が解せないし、日本人にとっては韓国のやることなすことすべてが癪に障る行為だ。

 しかも、3点セットである「竹島」「靖国」「慰安婦」の問題をネタに、とことん日本批判・反日感情を増幅させ、特に若い世代に日本憎しの感情を植え付けさせ、過激な運動に走らせている。恨みつらみ、禍根、憎悪の感情を叩き込む教育は、もはや未来志向ではなく、誠意ある謝罪などと要求しているが、一昨年前の12月に国家間交渉で不可逆的解決を結び、日本が百歩譲って10億円もの賠償金を引き出し、それを受け取っていながら、政権が変わった途端に、前政権批判を展開する事で国民の支持を取り付けようと画策する外交下手を露呈。

 こんな愚国を誰が信用できようか。しかも許せないのは、日本からの10億円を政府で保管し、韓国政府が10億円を捻出して慰安婦に支払うという本末転倒の対応策まで飛び出した。こうした汚いやり口はたちの悪い暴力団と同じで、日本からの誠意を反故にし、本来なら渡さなくても良かった10億円をまんまとせしめ、その出処や所在を蔑ろにする腹ではないのか。国民が少しでも騒げば、政府は言いなりというのが実体ではないのか?

 ゆすり集りを常套手段としてきた韓国にとっては、平和裏に解決してしまうと、こうした日本を叩きのめすための材料がなくなり、日本から金品を巻き上げる口実を失ってしまうことを危惧しているのだ。

 嫌がらせはこれだけに留まらない。自らが撒いた嫌韓感情なのに、一方では昔は日本人が韓国へ観光で訪れて、何でもしてくれたのに、今は見向きもしない。
一体どうなっているんだ日本は。と逆恨みまでする。反日行動ばかりを繰り広げていながら、いざ日本人が嫌気が差して愛想を尽かすと、上から目線で日本へクレームをつける。あまりにも自己中心的な概念と身勝手な論法しか持ち合わせていないと見える。

 また、今回の記事の主題である許しがたき韓国の最大の理由は、一昨年に政府間合意で解決を見たはずの従軍慰安婦問題なのに、今でも世界各国に慰安婦像を建造している事実だ。韓国人は頭がイカれているのか?火病を患い、正当な判断も出来ない「キチガイ集団」と目と耳を疑う所業だ。

 ではどんな国に、日本を批判する目的で慰安婦像を設立したか列挙したい。

 
 中国(香港)2017年7月 5体
 アメリカ カリフォルニア州グレンデール市 2011年12月
      ミシガン州デトロイト市
      ジョージア州ブルックヘブン市
      カリフォルニア州サンフランシスコ市
      ニューヨーク市マンハッタン
      カリフォルニア州フラートン市
      ワシントンD.C(計画段階)
 オーストラリア シドニーインナーウエスト・カウンシル
 カナダ  トロント市
 ドイツ  ヴィーゼント市
 フィリピン マニラ市


  

 ここまで巨費をかけてまで全世界に日本が70年も前に行った行為を知らしめ、断罪したいと願うのは、あまりにも執拗すぎるし、先進国で経済的に裕福な日本からいくらでも金を巻き上げたいという打算と、一方では日本とはいつでも断交
したいという本心もありありと見える。    

 韓国国内の12箇所だけならいざしらず、日本大使館前に設立したり、日本を陥れようと日韓併合や慰安婦とはまったく関係のない外国にまで建造していることは、非礼極まりないし、それどころか日本を叩きのめし、悪者、あるいは亡き者にしたいという概念そのものだ。日本のイメージダウンとなる材料を模索しているだけだ。
そんな狂った国と同盟関係を維持するなどちゃんちゃらおかしい。 
 もちろん、負の記憶を忘れず、日本人がいかに野蛮で非常識な民族かを若い世代や後世に残し伝える目的でこうした行動を続けている。もし韓国自体が国際問題や不況などで国の存続が危うくなったら、いつでも慰安婦問題をぶりかえし、ゆすり集りの材料にすることだろう。

 実際問題として、10億円の拠出は、これ以上問題をこじらせたくない懸念から日本側が100歩譲った結果だ。私は従軍慰安婦問題を世界に認めてしまった点で憂慮すべきと思っているし、個人的に慰安婦問題は貧困に喘ぐ韓国が日本から金銭をせしめるための工作だと思っている。
 日本の統治下にあった際、旧日本軍兵士の性処理として韓国人女性に正式に広告で呼びかけ、日当を払う契約で雇った方々だ。

 軍規が厳しかった旧日本軍において、強制連行で慰安婦にさせられたなどとは真っ赤な嘘で、韓国の謀略でしかないと信じている。

 今生き残っている従軍慰安婦とされる、当事者である女性達がそのことを一番よくわかっていよう。国際社会において、先進国の仲間入りを果たし、裕福となった日本が憎らしくてたまらないのだろう。あわよくば日本から金銭を巻き上げたいと考えている。そのために政府が事実を歪曲し、でっち上げた泣き女のように仕立て上げられたということを。慰安婦とされる老婆たちはそれ真実を知っている張本人だ。


 
 最後に、こうした韓国の暴挙を許してしまっている日本政府の対応の甘さも指摘したい。外交問題を何一つ解決できない弱腰連中ばかりだ。沖縄・北方担当大臣は何のためにいるのか?単なるお飾りか?「北方領土は日本固有の領土」と主張する割には去年1年間でロシアに何を働きかけたのだ?何一つ解決できていないではないか?

 竹島問題も何も変わっていない。韓国が主張する独島には韓国軍が実効支配している有様が何十年も続いているのに、教科書や地図帳に記載する努力をしているだけで、何かにつけて抗議くらいしか出来ていない。まるで腫れ物に触るように見てみぬふり対応が従来であった。こうしてみると日本はあまりにも外交ベタすぎる。
 安倍首相は東京五輪を花道に退任するだろうが、彼に代わる人材など自民党にいるのだろうか?石破さん?岸田さん?求心力はどれほどのものなのか?

 今後、数年越しで日本の旗振り、そして行く末を注視していきたい。
  

 記事作成:1月18日(木)

 

2011年5月27日 (金)

震災後の政府対応にモノ申す!

Touden2  今更だが、此度の「東日本大震災」は主に大津波によって太平洋沿岸地域に未曾有の甚大な被害を出した。今日現在、死者は15,000名を優に超え、未だに8千人を超える方々の安否が不明のままである。しかも自宅を追われ、避難している被災者は15万人を超えている異常事態。2か月経った今でも故郷に戻れる目途さえ立たないのである。これら一連の出来事はまさしく「驚天動地」の悪夢で、それは1995年の1月に起きた「阪神淡路大震災」を遙かに凌ぐ、我が国が初めて経験した大規模複合型の自然災害であった。しかし、学識者達が声を揃えて言うように、想定外の大津波が襲来したとは言え、原発問題に関してはあくまで人災であると言わざるを得ない。今回の一連の原発事故は、INESの評価基準では最悪の「レベル7」である。そもそも原子力発電所の設置については、1955年に「原子力基本法」が国会で成立して以降、国の原子力エネルギー政策が推進されるようになった。当初はどこも引き受け手がない状況の中、多額の給付金交付により、地域活性化の旗手として注目を浴びるようになった。我が福島県でもエネルギー革命により、常磐地区の石炭産業が斜陽化したため、新たなエネルギー源を模索していた。国と地方の思惑が一致したことにより、安全性より地方財政の安定を優先した当時の知事が建設招致を地元住民の反対を押し切って強行決定。1964年に用地買収が開始され、1967年の9月に1号基の建設開始、1971年の3月より営業運転を開始した。しかしながら、原発招致の際には、甘い餌をばらまき、二重三重の安全策が施されてあると「万全の安全体制」を強調しておきながら、ひと度、政府曰く「想定外の震災」が起こればこのザマで、「周章狼狽」の如くなすすべもない醜態を曝している。2ヶ月経った今でも現状把握がままならず、「メルトダウン」の定義を巡って「朝令暮改」の如く発言が二転三転する東京電力は、「権謀術数」を巡らしているように思われても仕方あるまい。結局は地震発生から72時間以内に水蒸気爆発を起こした全基(1~3号機)すべてで炉心溶融していたことを正式に認めた。しかも3月15日には、原子炉建屋の屋根が原型を留めないほど、跡形もなく木っ端微塵に吹き飛ぶほどの大規模爆発を起こし、原子炉格納容器に10センチの穴が開き、燃料棒が溶けて高レベル放射性物質が大量に漏れ出ていたことが判明した。日本の原子力に関する安全性がなおざりにされていたことを窺い知れるし、それを早期の段階から把握できなかった政府の見通しと東電の事故への認識の甘さ、それに対応の無策さがこれほど事態を悪化させ、なおかつ長期化している要因でもあろう。国益を優先するあまり人命を蔑ろにするような国策など非人道的で何の意味があるのか。その積年の代償を今払わされているのだ。

 ここへ来て次々と明るみにされる事実。外国からの支援の申し出を早々に断り、自力での解決を模索し続けた真の理由は、日本の弱点を暴露することを回避するため、つまり「日本の原子炉において、致命的な事故が起きてしまったことを国際社会に対して事実を覆い隠すことに懸命だった」ことを暗に示唆しているにほかならない。勘繰れば、極東アジアに位置する虚構で固めたどこぞの亡国と同じく、「外国には見られたくない極秘事項があったか」とさえ疑われる。更には、「日本の高水準の原子力技術や世界一とさえ謳われた安全神話が地に落ちた」と評価を下げることになるため、どこまでも体面ばかりを優先する日本人気質の悪い面が露呈した結果とも言えよう。それにしても一定の時間をおいてから、ほとぼりが冷めた頃合いを見て発表するこの狡賢さは一体何なのか?東電は福島県民である私の立場からすれば、元より「隠蔽体質」の巣窟であり、もっとも許し難き朝敵にも匹敵する存在で、端から信用できない。一番可哀相なのは底辺の5万3千人もいる、原発とは相関の薄い一般社員だろうし、その事故現場で明日も見えない暗黒の中、防護服に身を包み、命懸けで放射線と最前線で対峙している、電力の知識など一切持ち合わせていない日雇いで集められた原発作業員達である。また、社員にしてみれば、「雪案蛍窓」の甲斐あって総資産額14兆円(凍結)を超え、誰もが憧れの超一流企業である「東京電力」に入社したまでは良かったが、よもやこのような「四面楚歌」の窮地に立たされることになろうとは誰一人として予想だにできなかったことだろう。今では堂々と名刺を差し出すのも憚れるような状況に追い込まれてしまっている。しかも追い打ちをかけるように、数千億円に上るとも言われている莫大な損害賠償を捻出するため、苦肉の策ながら経営規模縮小の方針を打ち出し、その補填のため、相当数の持株や資産の売却を断行するようである。更には、これまで会社の歯車となり、「精励恪勤」してきた社員のリストラまで強行するようである。また、寸暇を惜しんでの行方不明者の捜索や遺体の収容作業を行い、相当数の疲労とストレスが蓄積されている自衛隊員にまでそのツケが廻されているのも合点が行かない。国家公務員と合わせて一律10%給与削減が時限付きながら閣議決定した。これにより30万円の給与の隊員は、有無を言わさずひと月3万円も減俸を余儀なくされる。通常勤務の何倍もの過酷な状況で捜索活動に携わって、本来なら「特別超過勤務手当」を貰わないと割に合わない筈なのに、血も涙もない減給措置とは・・・。気の毒としか言いようがない。改めて「想定外」という言葉で片付けられてしまった今回の災害の代償はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。

Genpatu2 Genpatsu

Genpatsu3 Touden1

 また、此度の一連の震災に関する政府対応を見ていると、先進国の一角を担っている日本という国家は、危機管理がおしなべて甘く、重大な非常事態に直面した時、こんなにも脆かったのかと大いなる疑念を抱かざるを得ない事象が相次いで起きている。政府は東京電力だけに責任の一切合切を擦り付けて見殺しにして潰すわけには行かない。電力供給が滞ると我々庶民の生活が麻痺してしまうだけでなく、日本経済や産業自体がブラックアウトしてしまう。普通の民間企業なら「破産宣告」に見舞われた場合、倒産後に管財人が財産を差し止めするが、東電の場合、電気自体、扱いを誤れば死をもたらす目に見えぬ厄介な代物だけに、日本航空の赤字処理の際と同様、見殺しにして潰すような訳には到底出来ないのだ。元々原子力エネルギー政策は、国の方策(つまりは国策)として推進してきた経緯がある。そのための法整備もまた国が推し進めてきた。そうした意図で行われてきた以上、責任の所在は一蓮托生である。国が本来あるべきは「経世済民」でなければならない。それをこの期に及んで大局を見失い、重箱の隅を突くかのように批判が渦巻く政界。政府内の一大臣や東電の発表を巡り、「言った言わない」で一悶着。こんなどうでもいい下卑な罵りあいの泥仕合は国益に何のメリットがYokokumeあろう。従前からそうであったように、「綸言如汗」とも言うべき政府高官の迂闊な一言は、身を滅ぼしかねないが、今はそのような些細ないざこざで、責任を追及したり、論破して失脚させようなどと画策している状況ではな い筈だ。一昨日、政権与党である民主党内で党分裂の危機を思わせるような若手議員の離党表明がクローズアップされた。この事態の収拾と収束に党執行部が丸一日も振り回された。離党を表明した横粂衆議院議員の決意は相当固い。ただでさえ小沢問題や、震災と原発の政府の対応を巡って党内から批判が続出して、党の協力体制が希薄であり、いかにも諸刃の剣で一枚岩ではないことが露呈されていた。まさに国家の中枢を担い、国民の代表者としてその執務を代行する国会議員が四分五裂といった危機に瀕している中、どうしても憂いに近い感覚で受け止めざるを得ない。そんなお家の窮地に直面しているのに、当の民主党は犬猿の仲だった本県選出の長老・渡部恒三議員と小沢一郎議員が袂を分けあっていた実態を暴露。政治家ともあろう者が「私はシカトしていたのですが」などと平然と宣い、自ら「人面獣心」の本懐を吐露していた。政界一の実力者と言われる大物がこうした発言に終始する日本の政治体質も論外である。そして首尾よくいやが応にも「挙党一致」の雰囲気を偽装アピールしていた。この国家の一大事に政権を担当する民主党内での内紛(内ゲバ)暴露はデメリットしかもたらさないだろう。「一体今まで政治家同士、何をやってたんだ!」と国民からは非難の集中砲火を浴びるのは必然だろう。同じ党内にもかかわらず、気の合う仲間が集う派閥や仲よしこよしのグループがあちらこちらに存在し、抵抗勢力まであるようではお先真っ暗。「青眼白眼」が政界(永田町)の論理らしい。事ここに及んで、「肝胆相照」を悟ったのか、はたまた「同病相憐」の心境だったのか、そこには小沢グループに距離を置いていたはずの前原誠司氏も会合に出席。しかし、何か不自然で、無理な演出で民主党の健在ぶりを内外に示す試みを画策したとしか映らなかった。ここまでやらないと分裂の危機を回避できない与党に成り下がってしまったのか。横粂議員ならずともこのような政党には愛想を尽かし、離脱したくなるのも無理からぬことと理解できよう。

 一方、対抗勢力の旗手として政権与党の座を虎視眈々と狙うべき筈の自民党も、何故か政府の後手後手の復興対策には努めて寛大であり、追及の手を緩め、模様眺めや高見の見物を決め込む傾向がありありである。通常ならこれほどの国民の不信を買い、打算的な見通ししか示せない政府に対し、内閣不信任案の最終カードを切るのが順当なのだろうが、そうしたカード自体も切れないで躊躇している様子が見て取れる。何故か?今、最終手段であるそれを駆使し、国会に提出すれば、民主党内にも、執行部の顛末振りに業を煮やした造反議員が多数出て、ひょっとすると可決するかも知れない。そうなれば、内閣総辞職するか下手すると破れかぶれ解散に踏み切って、国民に真意を問う事態になる可能性は無きにしも非ず。さすれば、逆に自民党を始めとする野党にとってもこれは青天の霹靂で、選挙の準備が追いつかないし、政局がらみで復興支援が更に頓挫する懸念も憂慮される。もちろんそうなれば、被災者を始めとする国民から痛烈な批判を浴びることは必至だろう。国の一大事に政治家は「何を流ちょうなことをやってるのだ」と。そのことを谷垣氏は誰よりも察知しているからこそ何も有効な手を打てないのだ。万が一、再び政権交代のうねりを起こせば、菅政権の復興支援や原発処理問題に関わる失態のツケをすべて背負わされることになるのは火を見るより明らか。そんな危険な橋を渡れるわけがない。本当に政権を奪取せんとする気構えがあるなら、両院議員総会を開催し、党が結束して政府の責任追及なり、最終カードを切るべきなのだ。その覚悟すら谷垣総裁にはない。だから今は、遠巻きに旗色を伺い、立つべき時勢を見極めている段階であることから、「狐疑逡巡」でお手並み拝見を決め込むしかないのが実状なのだ。

Kan Tanigaki

 また、菅直人首相が苦し紛れの策として模索した「大連立」構想も挫折を見た。呉越同舟的な発想は、所詮、「羅針盤を持たない泥の船」と一緒で、船頭だけ多くて山に登るようなものだ。短絡的な発想で危機を乗り切ろうと一国の主が思いついたのも末恐ろしいものがあるが、結局は「会従連衡」にしてその場しのぎの夢は潰えたのは公然の事実。結局のところ、「犬馬之労」は絵空事でしかない。長期的な見通しがなく「規矩準縄」もないまま「当意即妙」の打開策しか示せない状況で、「多士済々」と思しき政治家達が雁首を揃えたところで、有効な手立てを講じられない。そういう自分の面子ばかりを優先し、危急存亡の危機に何一つ有効な手立てを講じられない無能な政治家達は、単なる税金泥棒と一緒だ。国家としての毅然たる姿勢や方針がなければ国民はうらぶれた卑屈な感情さえ抱いてしまう。各政党もまた然り。「党利党略」ばかりが優先されて、自己の都合や利益だけを欲し、政権獲得を旗印に国家存亡の事態にさえもそればかりを追求し、与党の揚げ足を取ることしかできぬ日本の政党政治の実態。かの聖徳太子が諭した「和を以て貴と成す」という言葉は現世の日本の民主政治にはおよそ無縁のようだ。

Sugimura  かくなる上は根本的な政治システムの再構築が求められる。かつて当ブログに於いて、私が提唱したように、諸葛孔明の掲げた「天下三分の計」の構築が政治社会にも求められる時期に来ているのだ。つまり政党を3つに分け、「55年体制」の反省に立って、このような忌々しき事態に陥り、政権不安定になった際には、いつ如何なる場面でも政権委譲が簡素に行われるようなシステムに再編することが重要なのだ。10人未満の少数政党で一体何が出来よう。社民党や国民新党などのように、自らの政治信念を捻じ曲げてもどこかと連立を組み、結局は与党の座に収まることしかできなくなるのだ。結党時の主義主張は一体どこに消え去るのか。だから今こそ、政党政治の在り方を根本から見直す必要があるのだ。しかるに、以前に私が提唱したように再編するしかないのだ。つまり、民主・国民新党などで一党、自民・公明・社民などで一党、そして革新勢力として共産党を中心とする一党で構成する。無所属や少数野党は金輪際廃止する。方向性が異なる政党同士が、つかず離れずで轡を並べての「呉越同舟」的な連立政権は土台無理な話。必ずどこかで不協和音が出て、軋みが生じるのは必然。選挙制度もガラリ変える必要がある。政治家たるもの、身を粉にして国民のために働き、一命を投げ打って職責を全うするだけの覚悟を持って貰いたい。そういう確固たる信念の持ち主に立候補してほしい。言っちゃ悪いが、小泉チルドレンとして、独特なパフォーマンスを駆使して、たいした実力もないのに、物珍しさから周囲にチヤホヤされて、タナボタ状態で代議士になったものの、落選以降はへらへらとバラエティ番組に登場し、顔を売るだけで信念も何も持たない「杉村太蔵」なんかに政治を託した私達も愚かだった。タレントは出来ても彼に「政治のいろは」を語らせたのがそもそもの間違いだったのだ。元政治家ぶっているのなら一刻も早く被災地を訪れ被災者たちが「今何を考え、国に何を要望したいのかを聞いて来い!」と言いたい。今の政治家は、選挙では「金科玉条」、「美辞麗句」を並べ立て、「巧言令色」で「青雲之志」だけは一丁前だが、いつしか大志をなおざりにし、特定の所属政党の中で「主義主張」は影を潜め、角は削ぎ落ち、「井の中の蛙」で縮こまってしまう。「志操堅固」の者でさえ、気づけば朱に染まり、「臥龍鳳雛」を期待できず、「画竜点睛」を欠くしか道はない現行政治体制自体に問題があるのだ。

 では、結びに政治に期待できない中、「私達民間レベルで活動して、社会全体の大勢を変える新たな潮流を生み出すことも可能なのではないか」という結論に至る。もちろん外国の様に、クーデターを巻き起こそうという気はさらさらない。民主国家にはそれ相応の対応の仕方があるだろう。それには法律遵守の観点からも、一定の手順や段階を経なければならないし、相応の成果を上げるまでには相当な時間と手間がかかるだろう。しかし、現状に満足していては改革などあり得ない。TBSの「サンデーモーニング」の「風をよむ」のコーナーを見ていると、考えさせられることが多々あるが、総じて言えることは、私達は決して政治に無関心であってはならない。国や政治家が独断専行で決めた庶民の生活苦に拍車を掛けるような増税案を鵜呑みにして何の違和感も持たずに受け入れる、単なる言いなり状態では何の進展も得られないからだ。「YESかNOか」の態度を明確にし、今、何が必要で何を成すべきかを徹底討論して、ひとりひとりが意見や考えをしっかりと保持し、堂々と主張することこそがこの非常事態を乗り切る知恵を生み出すのだと信じている。「事なかれ主義」や「時代の傍観者」であってはならないのだ。だから反論を受けようが、私自身も慣れない稚拙な文章ながらこうして正々堂々と持論を捲し立てているのである。

  今回の記事では、政府批判や個人名を出しての評論も行ったが、あなた自身はこの意見をどう見るだろう。事ここに至ってもなお、単に「何も出来なくせに夜郎自大の外野が偉そうなことをほざくな」としか思わないだろうか?されど「横行闊歩」や「暴虎馮河」と蔑むなかれ。私は生粋の福島県民なので、これだけの意見を述べる権利を有していると思っている。しかも私の祖父が会津人の血を引く生真面目な性格で、私利私欲に一切走らず、一生を慈善活動に身を捧げた地方政治家だったこともあり、国民の代弁者として国政に赴きながら、その地位を有り難がってろくな政策も断行できず、適当に誤魔化す輩は断じて見逃しておけないのだ。同じ民族として、何か相通じるものがあったら、考えを聞かせて欲しいと思う。それが「気息奄々」に瀕している日本を救う第一歩になると信じて。一見、私が軽々しく日本政府を容易に批判しているように聞こえるかも知れないが、10年後、20年後の日本のあるべき姿を憂慮してのことであると察してほしいものだ。

 最後に、「大言壮語」かもしれないが、声を大にして言いたい。「これ以上、日本丸を羅針盤を持たないまま大海原を彷徨させてはならない」と・・・。

 記事作成:5月25日(水)

2010年1月30日 (土)

短命で終わる日本の首相  後篇

 国民不在の中、半ば談合とも言える「タナボタ」状態で決まり、第85(86)代内閣総理大臣の椅子に座ったのは森喜朗だった。この時の政権与党は、小沢氏が率いる自由党が離脱した矢先のことで、自民・公明・保守党の3党による連立内閣であった。この森内閣は、自民党結党以来、最悪の内閣と呼ぶに相応しい散々たる有様で、お粗末にも程が過ぎる超弱体内閣となった。2000年の4月5日に発足して間もなく、閣僚の失言や官房長官に抜擢した中川秀直の愛人スキャンダル事件が相次いで発生。また、自民党内からもYKKトリオによる「加藤氏の反乱」も勃発。いきなり出鼻をくじかれ支持率は常にジリ貧状態で低迷。そこに重大事件が輪をかける。ハワイ沖で日本の高校の練習船(えひめ丸)がアメリカの原子力潜水艦と衝突。多数の生徒が海に投げ出されて死亡する惨事となった。この報を受けた首相は呑気にゴルフの真っ最中。しかも事故の報告を受けてもなお1時間半もゴルフを続行するという失態を演じ、大きな反発と非難を浴びた。危機管理の甘さを露呈しながら、本人は悪びれた様子すらなく、首相を続投。その後、自らも立場を弁えない「神の国」発言や「無党派層は選挙には行かず寝ててくれればいい」などと資質と配慮に欠ける失言を連発。支持率低迷や国民の批判を浴び続けてもなお自らの進退には言及せず、首相の座に居座り続けた。「最低の総理大臣」との烙印を押された。国民の信託ではなく密室で選ばれた大臣だけに、こうなることは目に見えていた筈だ。在位387日(2000年4/5~2001年4/26)

 相次ぐ政治腐敗に国民感情は爆発寸前。国民の政治離れが一層加速する中、救世主の如く颯爽と登場し、国民的アイドル首相として近年稀にみる長期政権を維持したのが郵政民営化を改革の本丸と位置付け、熱弁を振るい国民の圧倒的支持を取り付けた小泉純一郎だった。彼の人気は一国の首相としては異常とも思えるほど加熱フィーバーぶり様相を呈した。5年(1980日)に及ぶ在位期間は歴代首相の中で、大政治家・佐藤栄作、吉田茂に次いで第3位となり、彼の内閣は第3次改造内閣まで息長く続いた。彼は2001年4月の総裁選で橋本龍太郎、麻生太郎、亀井静香らと共に出馬した。清新なイメージで人気があった小泉待望論に加え、主婦層に圧倒的人気があった田中真紀子氏の応援協力を受け、優位に選挙戦を展開。大衆の圧倒的な信任を得て小泉旋風なる社会現象をも起こし、予備選で地滑りを起こして圧勝。4月26日に第87代首相に就任した。組閣に当たっては、慣例となっていた派閥からの推薦や意見を一切聞かず、全て自分の独断で決めるなどのっけから改革を実行。「官邸主導」と呼ばれる流れを構築した。行政改革大臣に国民に人気がある若手の石原伸晃を充て、民間経済学者だった竹中平蔵を経済財政担当大臣に起用。また竹馬の友の田中真紀子を外務大臣に抜擢し、知名度抜群の強力な布陣でスタートした。「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに道路4公団、石油公団、住宅金融公庫などの特殊法人を次々と民営化し、「小さな政府」、国と地方の三位一体の改革を含む「聖域なき構造改革」を打ち出し、自らの持論である郵政3事業の民営化を大々的に宣言した。発足時の内閣支持率は驚異的な87.1%を記録し、歴代内閣の最高を叩き出し、国民の期待の大きさを窺わせた。そして就任してすぐの、すっかり恒例となった両国国技館の大相撲の表彰式では、負傷しながら優勝を成し遂げた横綱貴乃花を讃え、「痛みに耐えて良く頑張った。感動した!」と絶叫し、多くの共感を呼び、ボルテージはうなぎ登りに。この小泉人気に乗って7月の参院選で自民党は圧勝。また、終戦の日には靖国神社を参拝することを公約した。9月11日に突如勃発した米同時多発テロを受け、アメリカの「テロとの戦い」を全面的に支持。テロ対策特措法を成立し、海上自衛隊を後方支援に出動させた。その後、外務省機密費流用事件で世論の批判を受けた外務省は、スキャンダル暴露もあった田中真紀子外相を更迭。彼女もまた後に秘書給与疑惑が持ち上がり、議員辞職することとなった。彼が残した功績で一番輝かしいものは、2002年9月に突然北朝鮮を電撃訪問し、金正日総書記と初の日朝首脳会談を実現。日朝平壌調印した。ここで日本人拉致を公式に認めさせ、5人の被害者を帰国させた。この成果により、田中氏更迭で一時冷えかけた支持率は再び上昇した。2003年にはイラクへ米軍が侵攻してフセインを打倒した。これに伴い7月にはイラク特措法を可決成立。更に勢いに乗って有事関連3法案をも成立させた。その後の内閣改造で、彼は直近に迫った選挙戦を睨み、女性ウケが良かった若き安倍晋三を幹事長に抜擢する刷新人事を断行した。11月の総選挙では、絶対安定多数の確保に成功。第2次小泉改造内閣を発足させた。2004年に陸上自衛隊をイラクのサマーワへ派遣。同年6月には、国民保護法などを含む有事関連七法案を成立させたものの7月の参院選で自民党が改選議席割れとなり、安倍幹事長が辞任。武部勤が幹事長職に就いた。破綻しかけた年金制度改革にも着手し、6月に年金改革法を成立させた後、いよいよ悲願である本丸の郵政民営化に乗り出した。しかし実際は、郵政民営化法案は党内や族議員の反対に遭い党内は分裂。民営化反対派の亀井、平沼、綿貫ら大物議員と執行部の対立を招き、衆院本会議で小差で可決されたものの、反対票を投じた者を厳しく断罪、また閣僚ポストにありながらで唯一署名しなかった島村農林水産大臣を罷免。参院で自民党所属議員22名が民営化に反対票を投じ、否決となった。国会は紛糾し、小泉首相は民営化の是非を国民に問うとして突如衆議院の解散を宣言。総選挙に打って出た。反対者には公認を取り消し、無所属での出馬という厳しい処分を行い、「自民党をぶっ壊す」との公言通りの展開となり、事実上自民党は分裂した状態で選挙戦に突入。「郵政選挙」と銘打ったこの選挙では、ベテラン揃いの反対派議員に刺客を差し向け、あえて新人をぶつけた。結果は反対派がことごとく議席を失う結果となった。この一連のドタバタ劇は「小泉劇場」と呼ばれ、郵政民営化推進派が圧勝。大挙して初当選を果たした新人議員達は「小泉チルドレン」と呼ばれた。その後、2005年9月21日に小泉純一郎は第89代総理大臣に任命された。そして、特別国会で再び提出された郵政民営化法案は、賛成多数で可決された。悲願達成で、諸般の目的を達成した彼は、次期総裁選には出馬しないことを公言し、後進に道を譲る決断を行った。2006年8月15日、任期満了を前に彼は公約通りに靖国神社へ紋付き袴という正装で訪れ、戦没者に哀悼の意を捧げた。ここに足かけ5年に及んだ「小泉劇場」は完結し、自らその幕を引いた。高い支持率をバックボーンに、決して信念を曲げず、初志貫徹で政策を断行した類まれな人気首相となり、惜しまれつつ退任。2009年9月には政界からも静かに身を引いた。

 ここから先は、記載するのも憚りたくなるような、目を覆いたくなる悲惨な状況の連続となる。いずれも2年の任期を全うできず、1年程度で政権を投げ出した面々である。たいして功績がないので手短にすることとする。

 絶大な国民の支持を誇った小泉氏の後継に選ばれたのは、安倍晋三だった。彼は、実父が外務大臣や党三役など内閣の重要ポストを歴任した安倍晋太郎、祖父は岸信介元首相という政界のサラブレッドで、成蹊大卒業の苦労知らずのボンボンだった。しかし、あまりにも急ぎ過ぎた小泉内閣の構造改革のツケ(負の遺産)を一手に払わされることになる。所信方針演説では「美しい日本」というテーマのもと「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」など学識者からのウケ入り的な理想論に振り回され、持論が展開できなかった。すべてが後手後手に回り、誠実でスマートなイメージとは裏腹で、若さゆえの強いリーダーシップは感じられなかった。郵政造反組の議員達を禊も済んでいないうちから復党させたり、慰安婦問題で失言し「二枚舌」と罵られた。教育改革として導入した「教員免許更新制度」は日教組の反発を買い、「愚策の骨頂」とまで言われた。在任中に相次ぐ閣僚の暴言や失態、疑惑まみれで渦中にあった松岡農林水産大臣が自殺、年金記録改ざんなどの問題が続出。政策の実行どころか後始末に奔走する毎日だった。首を挿げ替えた赤木農林水相もまた更迭、この遅すぎる対処に非難が殺到、国民だけでなく自民党議員からも執行部の弱体に対して不満が噴出、「安倍おろし」が公然と行われた。8月27日に内閣改造し、急場を乗り越えようと画策したものの、組閣直後にも任命した閣僚の不祥事が明るみになり、一気に求心力を失うこととなった。9月10日の所信表明演説で「職責を全うする」と表明した僅か2日後の9月12日に突如退陣を表明。国民の信頼と期待を著しく裏切っただけのお粗末さだった。表向きは病気だが、これは個人の名誉を守るためであって、事実上は無責任極まりない「政権の丸投げ」であった。人気を優先し、当選僅か3回の経験不足の若手を総理に抜擢した自民党の罪は重い。私自身も、この一件で自民党に見切りをつけたひとりである。第90代首相(2006年9/26~2007年9/26)在位366日

 ダメ政権を引き継ぐ羽目になったのは、これまた元首相の息子・福田康夫だった。彼は小泉政権下で官房長官を務め、真面目で誠実な人柄は国民の信頼を得ていた。参議院が、民主党が第一党を占めるねじれ国会の中、2007年9月25日に開かれた衆議院本会議の首班指名選挙において当選。第91代内閣総理大臣に就任した。彼はとにかく冷めた感じで、首相になったことさえ「なりたくてなったわけではない」「仕方なくやってるんだ」というような他人事の様相だった。自らを「背水の陣内閣」と命名し、11月には安定した政権運営に向け、民主党との「大連立構想」を模索したが頓挫した。参議院で問責決議が採択される異常事態を招いた。彼ほど在任中、影が薄く、何の功績を残さなかった首相はいないだろう。しかし、家柄が良いためプライドだけは人一倍強く、質問した記者に対してぶっきらぼうの応答。仕舞いには「あなたとは違うんです」と捲し立てる。学者肌の彼は首相の器ではなく、その資質に欠けていた。「自立と共生」「ストイック型社会」「男女共同参画社会」「道路特定財源制度」「知的財産権の策定」などを提唱したが、看板だけ掲げていずれも道半ばで断念した。2008年9月1日、突然緊急記者会見を開き、その席上、退陣を発表した。周囲の誰もが予想だにし得なかった突然の表明だった。無責任を絵に描いたような失政だったが、引き際もまたあっさりしたものだった。(2007年9/26~2008年9/24)在位365日

 福田の後を引き継いだのは「総理になりたくて仕方なかった男」、麻生太郎の出番となった。彼もまた系譜だけは素晴らしい。先祖は大久保利通に始まり、祖父があの大政治家・吉田茂、そして鈴木善幸元首相を義父に持つ。本人はハードボイルド気取りだったが、内情は学習院大学出のお坊ちゃまだった。独特な濁声と自ら「漫画と秋葉原好き」と公言し、若者の人気を集めようと画策した。彼は第92代首相に就任し、自公連立内閣として発足した。彼は様々な要職を歴任していたことから政策通として知られていたが、論理で罵倒するタイプではなく、どちらかと言えばキャラクターで誤魔化し、その場を切り抜けていくタイプだった。一度は選挙対策に「定額給付金」をばら撒き、国民の機嫌を伺ったが、結局の所は景気回復は見込めず、彼もまた支持率は低迷し続けた。「政局よりも政策の実行」を旗印に、なかなか辞めず、空気の読めない首相だった。自ら「日本経済は全治3年」と言い放ちながら、対策は打つものの経済回復の兆しは見えず、発言は朝令暮改の如くブレまくりであった。郵政民営化推進派だった「小泉チルドレン」を蔑に扱い、自らも閣僚の一員だったにもかかわらず、「私は民営化には本当は反対だったんです」と呆れる答弁。主体性を欠き首相としての資質はなく、国民からも見放されていった。また、所信表明演説や各種委員会の会合では、官僚が書いた原稿を読もうとして漢字を読み違えたり、2009年2月のG7では、盟友・中川昭一の酩酊状態でのお粗末な記者会見により、更迭を余儀なくされた。彼自身の任命責任も鋭く追及された。更に、天下り問題、雇用悪化、年金記録改ざん問題などの懸案事項を解決策を見いだせないまま悪戯に時間だけが過ぎた。4月の北朝鮮のミサイル発射に関しても危機管理が甘く対応が遅れた。自己認識が無いのか、はたまた後継者不在なのか不明だが、連日マスコミに叩かれ続けても頑として首相の座を降りようとしなかった。解散総選挙を先送りにし、政策の実行をあくまで優先させた。しかし政権交代を旗印に機運を盛り上げ攻勢を仕掛ける民主党の前に苦戦を強いられ、やむなく衆院の任期満了直前での解散となった。法律の範囲をフルに使った真夏の40日間に及ぶ選挙戦が繰り広げられ、2009年8月30日の投開票日で自民党が歴史的大敗を喫した。与野党の議席数が正反対に逆転する結果となり、民主党を始めとする新与党が安定多数を確保し、ここに「政権交代」が実現した。この時点でようやく麻生首相は退陣を表明した。あまりにも遅すぎた決断だった。その後、中川氏の急死もあって魂の拠り所を完全に失った。この一件は落ちぶれた自民党政治の末路を象徴する出来事のように思えた。自民党は政権を失った訳だが、これで自民党の首相は3代連続で一年程度しか政権を維持できない短期政権となり、国民の怒りは頂点に達し、逆風が一段と強まる結果となった。

 圧倒的な国民の支持と「政権交代」の追い風を背景に民主党・社民党・国民新党の三党が連立を組み、細川政権以来となる非自民政権による与党の座に就いた。2009年9月16日の本会議で、鳩山由紀夫が第93代内閣総理大臣に指名され、同日就任した。支持率は70%を超え、期待の大きさを窺わせた。組閣では、「国家戦略室」の設置を明言。党三役のひとつ、幹事長には長年袂を分かちあって来た盟友・小沢一郎を起用。内閣府特命担当大臣と経済財政担当を兼務した最重要ポストには、民主党を取り仕切り、支えて来た功労者の菅直人が拝命。総務大臣には若手きっての弁達者・原口一博(50歳)を起用。外相に岡田克也元党首、国土交通大臣には元党首で若手No.1の前原誠司が担当。財務大臣にはベテランで政策通の藤井裕久を起用し、豪華フルキャストの盤石な布陣で臨んだ。そして連立組からは、福島瑞穂社民党党首が消費者・食品安全担当に、国民新党代表の亀井静香は金融担当としてそれぞれ入閣を果たした。そして当面の政治課題である「脱官僚依存・政治主導」「高速道路無料化」「税金の無駄遣いの排除」「公立高校の無償化」「2000億円規模の子育て支援」など55項目に及ぶマニフェストの実現に着手した。真っ先に話題となり、矢面に立たされたのは前原国交大臣だった。早々に「八ツ場ダム」の建設中止を明言、「関空・羽田の国際空港ハブ化」をぶち上げ、様々な物議を醸した。また、行政刷新会議を新設。事業仕分けにより税金の使い道や無駄遣いを明確にし、透明性を持たせるなど新たな取り組みを大々的に行い、改革をアピールしている。選挙の総括や事後処理に追われる自民党を尻目に、世論を味方につけて順風満帆の船出となった「鳩山丸」だったが、思わぬところから綻びや亀裂が見え出した。それは昨年暮れ以降に表面化した政治資金疑惑である。首相御自ら、実母からの総額11億円にも上る献金を受け、それを政治資金報告書に記載しなかったことに端を発した。また、側近中の側近である小沢幹事長もまた、西松建設からの違法献金疑惑が露呈。土地売買を巡り、4億円もの資金の出どころが不明であることが問題になっている。これにより、会計を担当する陸山会の政治資金収支報告書に不記載、または虚偽記載があることが判明し、現職の国会議員(当時は小沢氏の秘書)や公設秘書合わせて3名の関係者が逮捕される事件へと発展した。当の小沢氏は関与を全面的に否定し、行き過ぎた検察庁の捜査を強く批判。暫くは事情聴取にも応じず、真っ向対立の構図を深めた。この一件は、鳩山首相の政権運営にも大きな打撃となり、連日ニュースや雑誌にも取り上げられ、支持率低下につながっている。ところがこの件を巡り、公正な立場である筈の総理大臣が、小沢氏を終始擁護する態度を貫いた。挙句の果てには、清廉潔白を主張し、検察側と全面対決する姿勢を示した小沢氏に対し、「どうぞ戦ってください」と発言。仮にも検察庁を始めとする行政のトップたる首相が、このような偏った発言をしたことに野党自民党が猛反発。今国会においても予算審議の前に、追及の手は長時間に及んだ。こうして今日に至っている。政権以上から4か月経過したが、相変わらず小沢氏を巡る「政治とカネ」の問題は解消されず、また、あれほど破竹の勢いだったマニフェスト実行の気勢は、ここに来て一気にトーンダウン。「暫定税の撤廃」は地方自治体の猛反発に遭って見送り、「高速道路無料化」はいつしか地域限定になるなど、案の定、財源不足が露呈して公約自体を縮小。描いた青写真はセピア色に褪せてしまった。この辺りはO型内閣に相応しく、八方美人の日和見傾向がありあり。その不安を自らが振り払うように、昨日、国会で施政方針演説を行い、「命を守る」というキーワードの基に、歴代首相の中で最長となる51分間にも及ぶスピーチを行った。抽象的で具体性に欠くとも揶揄されたが、自身の信条や強い決意は伝わったと思う。

 さて、二回に渡ってお送りした「短命で終わる日本の首相」、如何だっただろうか。「いつかは総理大臣になろう」と夢を見て政治家の道を志しておきながら、このようなお粗末ぶりについ感情的な表現になってしまったことをお詫びしたい。しかし、今の日本の政治は腐敗そのものだ。鼎の軽重を問う場面が多いため、政局が混迷しやすく、互いの足の引っ張り合いに終始して来た結果がこれである。平成以降、20年の間に15人もの首相が替わった。一国の顔でもある首相がこれほど入れ替わるのは日本を置いてほかにはない。アメリカはこの20年間に、大統領は4人(ブッシュ・クリントン・ブッシュ・オバマ)だし、イギリスも首相は4人(サッチャー・メジャー・ブレア・ブラウン)、ロシアも大統領は4人(ゴルバチョフ・エリツェン・プーチン・メドベージェフ)、韓国は大統領が4人(金泳三・金大中・蘆武絃、季明博)、フランスに至っては20年でたった3人(ミッテラン・シラク・サルコジ)である。日本の首相がいかに短命政権で「責任放棄」の丸投げかがよくわかる。平成の間に、長期政権を維持した小泉首相を除けば、昨年末までで首相の平均在位は386日となり、僅か一年あまりで次々と首相が入れ替わって来たのがよくわかる。これでは腰を落ち着けて政策の実行など成せる筈はない。毎年優勝を期待される巨人と同じで、早々に結果を求めすぎる国民感情も悪いのかもしれない。

 しかし、このままでは日本は間違いなく滅びるだろう。経済ではすでに中国に抜かれ、インドも僅少差に迫っている。両国が急成長した経済状況の背景は、爆発的な人口増にある。一方の日本は、少子高齢化によって若い生産者の数が減少し、新卒の雇用状況も過去最悪であることから、就労意欲そのものが低下している。反面、平均年齢が老齢化したことで国全体の総人口の減りも著しい。こうなると事態は深刻で、内需は縮小し、経済発展などは到底見込めない。こうなった原因は、日本の政治が長らく政権交代がなく、自民党がずっと独裁で幅を利かせてやって来たことの代償である。増税ばかり行い、国民から絞り取った税金を無駄遣いし、その結果、国民の生活は苦しくなり、子供を二人以上持てるような生活環境ではなくなったのだ。財布の紐は固くなり、国民は無駄遣いをやめ、切り詰めた節制生活を強いられ、当然ながら消費は滞った。すべて自民党の悪政のなれの果てが主たる要因で、国民がそのツケを払わされ、犠牲となった格好なのだ。ご承知の通り、自民党の総裁の任期は2年となっている。順番待ちの派閥の領袖やニューリーダー達が次の総理の椅子を虎視眈々と狙っていることや派閥順送りの人事をやって来た結果なのだ。だから、派閥間で利権争いが激化し、党内であっても協力するどころか、いろんな所にお目付け役が多くいて、何かのミスに付け込んでは「首相下ろし」が公然と罷り通って来たのである。自民党総裁に登り詰めながら、首相になれなかったのは、河野洋平と現総裁の谷垣禎一だけである。また、私はこうした自民党政権下で、ずっと疑問に感じていたことがある。それは選挙敗北の責任をとって辞任したり、失言などの不祥事を起こして職を追われた者が、次の内閣改造人事でより重要なポストに重用されることである。これは民間ならあり得ない人事である。通常なら懲戒解雇や運良く会社に残れても窓際族が関の山。どうも霞が関の習わしやしきたりは理解し難い。高学歴や派閥所属だけを有難がって、人柄や政治信条、求心力を重要視しない体制下では、到底未来永劫など望める訳がない。今の日本を救えるのは、かつての敗戦後の日本を窮地から救うために奔走した吉田茂やロッキード事件でその職を追われはしたが、日本列島を高速交通網ネットワークでつなぎ、物流を活性化して経済を立て直した田中角栄、更には大平元首相が在職中に急逝した時に、首相代行を無難に務め、首を縦に振れば首相になれたものを、「自分では役不足で、若い人を立てるのが本筋」と敢えて首相の椅子を蹴った男、ご存知生粋の頑固者の会津人・伊東正義のような、個性的であり、求心力も兼ね備えた大物政治家の出現なのだ。そして何より言葉で言うのは簡単だが、強い結束力の挙党体制で政治に当たることこそ肝要だと心得る。政治家は初心を忘れず、国民の代表者としての自覚と責任を持って政を司って貰いたい。選挙の時だけ地元に帰って愛想を振りまいたくらいでは有権者はもはや騙されない。「オラが先生」の時代は、当の昔の出来事となったのだ。このことを肝に銘じ、政局ではなく政策遂行を第一に考えて欲しいものである。さて我々が藁をもすがる思いで託した民主党・鳩山内閣は、果たして長期安定政権となるだろうか。この苦境をどう乗り越えるか、まずはお手並み拝見である。

2010年1月29日 (金)

短命で終わる日本の首相  前篇

 平成になって21年が経過し、今年で22年目に突入した。昨年、日本の政治史上大転換期となる自民党政権が終焉を迎え、新たな時代の幕開けとなった。政権交代が実現し、新政府への期待が大きくなると同時に、過去を振り返るとこの僅かな期間に一体日本では何人の首相が交替したのだろうか。今回は、なぜか長続きせず、短命政権で終わってしまう日本の歴代首相に焦点を当て、政治腐敗や政治問題を論点に考察したい。

 昭和天皇が崩御し、年号が平成と改まった1989年。当時首相の座に君臨していたのは、第74代内閣総理大臣・竹下登である。ご存知タレント・DAIGOの祖父である。常に政界の中心的役割を担い、「数は力」を基本理念に最大派閥として大物議員を数多く有し、七奉行を抱えた大所帯・旧田中派の流れを汲み、経世会の創始者として影響力はもとより、強権体制で猛威を振るっていた。しかし、政治とカネの問題が露呈し、リクルート事件が明るみになると失脚。総辞職となった。(首相在位576日)

 続いてバトンを受けたのは、宇野宗佑だった。これが首相在位の中でも超短命政権で終わった。古風な黒ぶちの眼鏡をかけた、語るのも忌々しいほど情けない総理大臣だった。彼は党三役の経験もないまま、外相だった折に、突如退陣した竹下登の後釜として名前が急浮上した。参院選とサミットを目前に控え、総裁選を行う時間的余裕がなかったことから急場を凌ぐ形、つまり代行という感じで横滑りしたのが間違いの元で、その後短命政権が相次ぐ負の連鎖の始まりとなった。彼は1989年の6月3日に第75代首相に任命されたが、僅か2ヶ月余りの在任期間69日という短さで首相の座を追われた。その原因は、お堅いイメージの外見とは裏腹の、何と前代未聞の女性スキャンダルだった。就任直後、週刊誌によってこの一件が明るみとなり、金まみれの実態と共に報道され、支持率は急落。そのまま突入した同年7月の参院選で消費税問題とセットで国民からNOを突きつけられ、改選議席の半分近くを失う大敗を喫した。全責任を取る形で辞任に追い込まれたが、その会見では、憮然とした表情で記者の質問に答え、「明鏡止水の心境だ」と述べていた姿が妙に印象に残っている。

 次に、政治不信の最中に貧乏くじを引く形で首相になったのが第76・77代の首相となった海部俊樹だった。彼は二階堂派に所属し、三木元首相の秘蔵っ子として三木を尊敬していた。総裁選には林義郎や石原慎太郎らが出馬したが、竹下派の支持を取り付けた海部が圧勝した。彼の出現はまさに起死回生、歴代首相に比べ、爽やかでクリーン、スマートなイメージで就任直後から女性ファンの喝采を浴びた。特に「水玉模様」のネクタイはトレードマークとなり、センスの良さを見せつけた。政治的手腕にも長け、政権運営も順調で、数々の修羅場を切り抜けて行った。在位2年半(1989年8/10~1991年11/5)、818日の長きに渡り政権を担当した。主な功績は、在任途中で勃発した湾岸戦争の多国籍軍に130億ドルの資金提供など。しかし政策の目玉の一つだった政治改革関連法案が参議院で議席を失ったことによるねじれ国会で苦戦を強いられ、YKKなどの自民党内にも反発があって頓挫。結局廃案に追い込まれた。これを受け、本来解散総選挙を意味する「重大な決意で臨む」と発言したことにより、党内で異論が噴出、紛糾は決定的となり、「海部おろし」の大合唱の中、責任を取る形で内閣総辞職を選ぶことを余儀なくされた。若かった海部首相は、「身近な存在の総理」というイメージで、国民から絶大な人気を誇っていた。退任直前でさえ、支持率は50%を超え、時には64%という抜群の国民支持があった。この首相交代劇は、自民党内の勢力争いの構図によるもので、何一つ汚点を残さなかった首相を辞任にまで追い込んだことへの国民世論の批判は大きかった。

 海部退陣の後を受け、満を持してやっと首相の椅子に座ったのが宮澤喜一(1991年11/5~1993年8/9、在位644日、第78代内閣総理大臣)だった。大蔵省の官僚上がりで常にエリート畑を歩き、英語が堪能で外相を始めとして閣僚経験が豊富な彼だったが、過去に数回ニューリーダーとして出馬した総裁選にいずれも敗北。「宮澤はもう首相になれないのでは」と囁かれ出した矢先に、幸運が巡って来た。当時、72歳としては高齢の首相就任となった。保守本流のエースとして、国際感覚を持った大物の総理として期待は大きかったが、竹下派の支配下にあって思い通りの政権運営とはならなかった。主な在任中の施策は、PKO協力法成立と自衛隊カンボジア派遣、バブル崩壊後の金融不安を巡って対応に苦慮。自らの失言も相まって求心力は低下。政治改革を断行できないまま1993年6月に内閣不信任案が提出され、自民党内が分裂。解散を選択して選挙戦に突入するが敗北し、自民党38年間の長期支配にピリオドを打った際の最後の首相となった。

 自民党一党独裁体制に終止符を打ち、第79代首相になったのは、日本新党・新生党・新党さきがけ・社会党・公明党ら8会派から成る、烏合の衆が相乗りする形となった、いわゆる民主改革連合だった。その初代総理になったのが、「熊本の殿様」細川護煕だった。彼はおしゃれでスマート、クールな物腰で国民の人気を独り占めした。発足直後の支持率は7割を超えた。彼は就任するや否や新しい試みを行った。記者会見は欧米スタイルを取り入れ、記者をペンで指名することや内閣発足時には屋外にてワイングラスにシャンパンを注いで乾杯と斬新なアイディアで従来の慣例を打ち破ると共に、様々な改革に着手した。就任直後に襲った冷夏によるコメ不足を背景に食管法を改正し、ヤミ米を合法化した。ブレンド米の輸入については慎重だったが、深刻化するコメ不足を前に決断した。また、政治関連4法案の成立に向け、調整を行うも難航。選挙制度に関する新たな定数・区割りを提案するが与党内の造反に遭い、廃案に追い込まれた。その後、新たな選挙改革案を模索し、現在の「小選挙区比例代表並立制」を提案。野党自民党の河野総裁と折衝を続け、何とか合意を取り付け成立。これが細川内閣の数少ない実績のひとつになった。しかしその後小沢一郎の入れ知恵によって消費税を3%から7%に引き上げ、名称を福祉目的税とすることを模索。これに新党さきがけの武村代表と社会党の村山委員長が反対し、折からの佐川急便の借入金未返済疑惑も明らかになり、自民党の厳しい追及を招く事態となった。そして国会は空転し、首相は四面楚歌の状況に陥った。4月5日に「やめたい」と漏らしたことが報じられ、総予算審議の直前の8日に退陣を表明した。国民の大きな期待を背負って誕生した細川内閣は、1年にも満たない短命政権で終結した。これにより、新党さきがけは日本新党との統一会派を解消、連立与党から離脱することとなった。中曽根元首相の「雇われマダムにしてはよくやった」という同情にも似た発言が、未だに私の耳に残っている。首相在位263日(1993年8/9~1994年4/28)

 細川内閣の退陣を受け、第80代内閣総理大臣に就任したのは、新生党の党首だった羽田孜だった。羽田内閣の船出は前途多難、誰の目にも短期政権で終わることは明らかだった。彼が首相だったことを何人の日本人が覚えていることだろう。首班指名と政策調整を巡り、社会党が政権を離脱したため、羽田内閣は少数与党政権に転落した。彼は「改革と強調」を掲げ、平成6年度予算の成立に全力を注いだ。しかし永野法相の失言があって早々と罷免。予算案こそ成立したが、社会党の連立復帰交渉が決裂、追い打ちをかける様に自民党が内閣不信任案を提出。否決不可能な情勢に羽田首相は6月25日に内閣総辞職を選択し、羽田内閣は政策を実行する前に、政局のごたごたに巻き込まれた格好で在任64日間という戦後2番目の短命に終わった。単なるお飾りで、不本意に終わった不運の首相となった。(1994年4/28~1994年6/30)

 超短命におわた羽田内閣を受け、日本社会党が突如政策転換し、まさかの予期せぬ寝返り。「自社連立が成った暁には首相をお願いしたい」旨の密約と打診が自民党側からあったとされる。連立与党側は海部元首相を担ぎ出し、国会で首班指名選挙に臨んだが、衆院で過半数に達せず、決選投票の末、村山富市が実に片山哲以来47年振りとなる社会党総理に指名され、ここに自社さきがけの連立政権誕生となった。まさに「今日の友は明日の敵」である。55年体制で、あれほど「自衛隊は違憲」を叫び、マドンナ旋風を巻き起こし、売上税を廃案に追い込んだ自社の対決の歴史を一切かなぐり捨て、180度方針を転換し、よもや自民党と手を組むなどと誰も予想し得なかったに違いない。ここまで来るともはや茶番である。土井たか子元党首が衆議院議長に就任し、緊張しながらも国会を取り仕切った光景は未だに忘れられない。第82代となる村山内閣は1994年6月30日に発足し、1996年1月11日までの561日間在任した。その間「自衛隊合憲・日米安保堅持」という立場を貫き、従来の社会党の存在意義を自らが否定した形となり、国民は冷ややかだった。首相自身は垂れ下った長いまゆげがトレードマークで、その親しみやすい風貌から「黄門様」と慕われた。しかし、その翌年1月に未曾有の大惨事・阪神淡路大震災が起こり、政府の対応の遅れが取りざたされ、批判の的となり支持率は急落した。また、3月には「オウム真理教」幹部らによる地下鉄サリン事件が起き、事件や事故に振り回され、その対応に追われる内閣だった。主な実績は、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議(不戦決議)」を可決。「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」を発足。1996年に、住専の6800億円を超える不良債権の財政支出問題で紛糾した責任をとり首相を退陣した。可もなく不可もなく、波風も立たぬ「長老によるつなぎ」的な政権イメージだった。

 村山首相の退陣により、自社さきがけ3党の協議により、自民党総裁だった橋本龍太郎を首班指名することで連立政権維持の合意を取り付けた。そして1996年の1月11日の内閣総辞職を受け、第1次橋本連立内閣が誕生した。彼は旧田中派・竹下派に所属し、政界のプリンスかつ若手大物である彼の首相就任を国民は待望していた。多くが安定政権を望んでいた。就任間もなく大相撲初場所の表彰式に歴代首相として初めて本人が姿を表し、満場の喝采を浴びた。一部には人気取りとの批判もあったが。施政方針演説では改革の必要性を訴え、「強靭な日本経済の再建」「長寿社会の建設」「自立的外交」「行財政改革」の4点を重要課題に据えた。しかし住専の不良債権処理でもたつき批判を浴びる。翌2月にはクリントン米大統領と会談し、普天間基地の飛行場の返還を要求し、4月には全面返還と名護への移転で合意。これにより支持率は69%に回復した。その後、59歳の誕生日に1996年7月29日に現職総理として11年振りに靖国神社を参拝し、外国からの非難を浴びる。9月には小選挙区制への改革後、初の総選挙が行われ、自民党は239議席を獲得して復調し、橋本人気は最高潮を迎えた。これで内閣を改造し、11月には第2次改造内閣が発足したものの、議席を減らした社会党と新党さきがけが閣外協力に転じ、3年振りの自民単独政権となった。「行政改革」「財政構造改革」「経済構造改革」「金融システム改革」「社会保証構造改革」「教育改革」の6大改革を提唱した。彼の在任中の業績は、「ペルー日本大使公邸占拠事件」の解決、2000年までにロシアとの平和条約締結を取り付けたこと、11月の財政構造改革法案成立、アメリカ駐留軍用特措法成立など。しかし、第2次橋本内閣発足時に、中曽根元首相の強い押しに屈し、ロッキード事件で有罪が確定している佐藤孝行を総務庁長官に起用したことで世論の非難が集中。この一件だけで支持率は30%台まで急落。1998年の7月の衆院選では、景気低迷や失業率の悪化、恒久減税に関して発言が迷走したことなども響き、当初70議席を獲得すると見られていた自民党が44議席と惨敗。この責任を取る形で橋本内閣は総辞職に追い込まれた。(1996年1/11~1998年7/30)在位932日だった。

 橋本首相の退陣を受けて、後継首相の座を射止めたのは小渕恵三だった。彼を一躍有名にしたのは、昭和天皇崩御に際しての元号改正に当たり、記者会見で「平成」と公表したことだった。当時竹下内閣の官房長官だった彼は、大喪の礼などの重要行事を取り仕切った。参院選の敗北の責任を取って辞任した橋本元首相と同派閥出身で外相だった小渕氏の首相起用は各方面から批判を浴びた。田中真紀子氏からは「凡人」と罵られながら7月30日に第84代内閣総理大臣に指名された。与野党が逆転した参議院では、民主党代表の菅直人氏が首班指名を受けるねじれ状態の中での船出となった。彼は目指すべき国家像として、「富国有徳」を打ち出す。11月に公明党が押し切る形で導入に踏み切った「地域振興券」だが、バラマキと酷評された。その後安定政権を目指し、自由党との連立政権を発足。日米ガイドライン、憲法調査会設置、国旗国歌法、通信傍受法案成立、住民コード付加法(国民背番号制度)など重要法案を次々と成立させるなど、近年では順風満帆にその政治的手腕を発揮した首相となった。そして、日本で久し振りに開催された沖縄サミットを記念し、後に流通せずに無用の長物と言われた「2千円札」の発行に踏み切った。在任中は日銀のゼロ金利政策やアメリカの好景気もあって経済は比較的好調。加えてITバブルが発生し、経済を後押しした。2000年には衆院の比例代表の定数を20議席減らす定数削減法案を強行採決。3月には教育改革に本腰を入れ始めた。しかし、翌月に自由党との交渉が決裂し、連立離脱を通告されたまさにその翌日に脳梗塞を発症して緊急入院する予想外の事態に苛まれた。執務不能に陥り、意識が戻らないまま自民党執行部は次期首相選びに乗り出す。青木参院幹事長ら5人組による国民不在の中、密会の会談を催し、4月4日には首相不在のまま総辞職を決行。森喜朗を総理とする森内閣が発足した。小渕恵三首相はその40日後、帰らぬ人となった。在職616日で、大平正芳氏に次ぐ現職首相の死去に国民は嘆き悲しんだ。

 本日はスペースの都合上ここまでとさせて頂きたい。原稿は既に完成しているが、続きは明日までお待ちください。次回は小渕内閣を引き継いだ森内閣の顛末記から政権交代を実行した民主党・鳩山首相発足までの政局動向を振り返り、結論を申し添えたいと思う。お楽しみに!

2009年11月30日 (月)

死刑廃止論の是非

 「あなたは死刑廃止についてどう思いますか?」 唐突にこう質問されても誰もが戸惑うだろう。では「もしあなたの愛する人(家族や恋人、友人)が、ある日突然、残忍極まりない方法で殺されたら、あなたはその犯人を許せますか?」「犯人に対し何を言いたいですか?」「犯人がどうなってほしいですか?」おそらく十中八九、答えは「死んで詫びろ!」となることは必定だろう。この質問に対する国民世論は、圧倒的に死刑廃止に反対である。つまり、「死を以て償いをする」現在の死刑制度の存続(死刑存置)を求めている。その数79.3%。一方で強く廃止を求めている人は、8.8%に過ぎない。なのにどうして毎年のように死刑廃止論が脚光を浴び、弁護士を中心に「人権擁護」が叫ばれるのだろうか?まずはそれぞれの主張を考えてみたい。

 まず、死刑制度存続派の意見。「死刑制度が犯罪の抑止力になる」と考えている国民は少なくない。死刑を廃止してしまえば、「人を何人殺そうが自分は死刑にならない」という発想が社会に蔓延し、殺人行為などの凶悪犯罪を助長するのではないかという懸念がある。私たち庶民感覚では、それに対して畏怖の念や危惧を抱くことになる。つまりは「死刑を廃止すれば箍が外れたように犯罪が増えるのではないか」と言う懸念だ。死刑があることで、犯罪への歯止めになるだろうと考えられるのだ。これが現在存続派の方の大多数の意見だ。そしてあくまで被害者や社会規範という立場で物事を考えるというのがこの制度の原点となっている。ただでさえ、最近は凶悪かつ凄惨な事件が多い。テレビや新聞に目を通せば、連日のように日本各地で殺人事件が起きている。地下鉄サリン事件や秋葉原の無差別殺傷事件など、いつ何時どんな事件に巻き込まれて命を落とすかわからない怖さがあるのもあながち否定できない。そしてもう一つは、被害者の遺族は、犯人への憎しみや復讐心から、自らの手で犯人を殺してやりたいと思うだろう。それを防ぐためにも死刑制度は法の名の下にそれが実行できるという点で有効なのだ。現在、全国の死刑確定囚の数は103人。執行しなければ、今後ますます増えることだろう。

 一方、死刑制度反対論者の意見はこうだ。第一に死刑を執行した後で、真犯人が出たら冤罪となり、取り返しがつかなくなる恐れがある。また、犯罪者が真実を語らなかった場合、死刑執行してしまうと事件の真相究明が不可能になる。第二に、たとえ人を殺害するようなどんなに憎むべき犯罪者であっても、同じ人間である私たちが、その尊い人命を奪って良いのか?つまりは死刑は、「人権侵害に当たる」という人権擁護の思想から来る主張。第三に、法に携わる者なら誰でも知っている「罪を憎み人を憎まず」という言葉に代表されるだろう。人を殺すような重大な犯罪行為を犯したとしても、犯罪を犯すからには何か特別な事情があってのことであり、情状酌量の意を汲み取るべきだという意見。そして第四には、国際的な傾向として、全世界が死刑廃止に向けて動き出していること。そして第五は、死刑執行したからと言ってその罪が消える訳ではなく、もちろん被害者も帰っては来ない。それよりむしろ、犯罪者は一生重い十字架を背負い、罪の重さ、大きさを十分に認識させ、心から反省させて更生させるという人道的な考え方によるもの。

 以上が、死刑廃止論がいつまでも燻っている要因だろう。言論・思想の自由や信教の自由が憲法で保障されている限り、誰が何を言ってもお咎めはない訳で、この問題に関して収拾を図る方がむしろ困難だろう。それより私が疑問に感じるのは、法務大臣が「死刑執行命令書」にサインをすることで、実際に死刑が執り行われる訳だが、歴代の法相を見てみると、時代背景や個々の判断、または死生観の相違によってサインする人と拒否する大臣がいるという事実だ。また、「宗教上の理由」を掲げて任期中、一度もサインをしなかった人までいた。これはどう考えても法務大臣の責任放棄であろう。もしそのような立場を貫くのであれば、始めからそのような重大な判断を迫られる主要ポストへの就任を断ってもらいたいと思う。また、別の見方として悪行を繰り返し、「必殺仕事人」にこの世から葬り去られるような極悪人もいるかもしれないが、テレビの前でそういう者がやっつけられれば、国民感情からすると長年の仇打ちが達成されたり、鬱積した恨みや復讐心、憎しみがスカッと晴れて痛快だろう。しかし、それだって仕事人自身が人を殺めているという事実は変わらないのだ。そこには矛盾が生じる。また、死刑執行に当たる刑務官の苦悩もあるだろう。上司である法務大臣の命令が下れば、自分の良識や呵責、私情にかかわらず、人の命を奪うことに自らの手を下さなければならない。これは相当のストレスを伴うらしい。法令の基準に則って死刑を行っても、人を死に至らしめた事実は消えないからだ。

 ところで、一歩間違えば国民新党の亀井静香郵政金融担当大臣が、法務大臣の役職に就いていたかもしれない。彼は元来、強烈に死刑反対を唱え、推進する性善説論者だった。彼の主張は、死刑制度が廃止になったからといって、犯罪が増えるとは思っていないのだ。もし彼の言うとおり、死刑が廃止になれば、最高刑が無期懲役(終身刑)となる。すると刑務所は、死刑囚に代わる膨大な数の終身刑受刑者で膨れ上がり、すぐに定員オーバーになってしまうだろう。極論を言えば、現在の長引く不景気下で、収入保障もないような世知辛い世の中(シャバ)にいるよりも、衣食住が保障される刑務所の暮らしの方がずっと良いと考え、犯罪を繰り返す輩が出て来ないとも限らない。そうなると弊害も生じる。刑務所を増築せざるを得ないし、それを管理する刑務官の数も足りなくなる。また、犯罪者を一生涯刑務所に服役させることになれば、その生活費(食事代)は、私達の税金(血税)が使われるのだ。もっと怖いのは、無期懲役の犯罪者は、現法制度下では、模範囚であれば、刑期が短縮され、最短で10年服役すれば仮出所申請が可能となる。終身刑が増えれば、収容しきれなくなり、もっと早い段階で出所を認める可能性が出て来るだろう。人を殺して10年で出所。果たしてそれで本当に罪が償えたと言い切れるのだろうか?口惜しくも「死んだ人間は浮かばれない」と言わざるを得ない。

 そして、残念ながら現鳩山内閣の法務大臣は、参議院選出で女性の千葉景子氏である。彼女は元弁護士であり、これまで「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属し、死刑廃止を訴えてきた側の人間である。したがって、彼女のような立場の人が、重要閣僚になったからと態度を豹変させて「死刑執行命令書」に判を押せる筈がない。もしそうであれば、人間性自体を疑問視されることになる。現に9月の就任以降、一度も死刑を執行していない。被害者の遺族感情を蔑にしている張本人だし、彼女を法務大臣というポストに起用した鳩山首相の任命責任は極めて重いと言わざるを得ない。

 私自身は死刑制度存続に賛成、廃止には反対である。絶えず被害者の人権や無念さ、その遺族の感情を優先して貰いたいと考えているからだ。日本は、世界各国と比較しても刑が軽すぎる。外国では、大麻を持ち込んだだけでも死刑(中国・シンガポール)である。人命を奪ったとしても、人ひとりを殺害した程度では、平均7~8年の有期刑で、最高でも15年程度である。判例を見ても、死刑は複数殺害しなければまずあり得ないだろう。この法制度自体が問題なのである。私は、正当防衛や偶発性(過失致死)の場合を除き、故意や計画殺人だった場合は、被害者の人数にかかわらず否応なしに死刑を宣告しても罰は当たらないと思っている。そもそも鬼畜同様の残忍な方法で、一方的に被害者の人権を踏みにじった上に殺害行為に及んだ者に、人道的配慮や人権など存在するのだろうか。人を殺すことに正当な理由など見当たらないからだ。私は、そうした犯罪者には厳罰を以ってしかるべきだと考える。江戸時代の時代劇のような「敵討ち」などが認められていない以上、法の裁きによって合法的に死刑に処すしか、被害者や遺族に報いる手段はないのだ。人を殺めた凶悪犯罪の加害者が生きながらえて、何の落ち度もなく命を奪われた被害者は何の補償もない。やはり死んで罪を償うしか方法はないのだ。

 しかし、このことを論じる前に、今、私は無性に法律を学びたい衝動に駆られている。法律を知らずして感情論だけで死刑廃止を叫ぶのは説得力に欠けるという思いがあるからだ。今年から始まった裁判員制度もまた然り。一般論や常識だけで状況証拠を元に冷静に人を裁けるとは思えないからだ。法律の仕組みや条文をきちんと覚え、その運用方法も習得した上で、適切な判断を下したいと考えている。国会議員や学識者達は、死刑廃止の是非を論じる余裕があるのなら、犯罪を減らす方策や憲法第25条で保障している「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」が実現できる国づくりに全精力を傾けてもらいたいものである。そのほうがよっぽど犯罪の未然防止に役立つと思う。そして、世界中が死刑廃止に傾倒したとしても、独立法治国家として日本特有の法制度を確立してもらいたいと考えている。それが日本の文化を守り、独自の価値観を持つことに繋がるのだから。そして更にマスコミに対して言いたいことがある。それは報道の在り方である。一見、マスコミに携わる者には良識がないのかという場面も数多く見られる。スクープ欲しさに常識外れの行動や根も葉もないうわさをでっち上げ、タレント等に名誉棄損で告訴されるケースが後を絶たない。これはともすれば騒乱罪にも匹敵する。憲法第21条で保障している「言論・表現の自由」の真の意味を取り違えているだけである。「道徳心を失ったら人間一貫の終わり」であることを再認識する必要があるだろう。

 今回、2年半に渡る逃亡生活の末に、英国人英会話講師を殺害した容疑で逮捕された市橋容疑者の扱いもそうだ。食事を摂った摂らないで騒ぎすぎ。どれだけ残忍な方法で殺人行為をしたかを棚上げし、逃亡中の足取りや、その間の生活ばかりをクローズアップしている。どうしてここまで警察の手を逃れ、逃げ遂せたのかばかりに注目している。自分の都合の悪いことには口を閉ざし、自分の悪行を、自分が医師になれなかったことを理由に、さも自分が正しいかのように両親を逆恨みしたり、責任転嫁も甚だしい。そして尊い人命を奪った事実を棚上げし、権利ばかりを主張しても説得力はない。顔まで整形し、最後まで逃げ通そうとした事実の方が言語道断であろう。最も許しがたいのは、「殺すなら誰でもよかった」という、いわゆる無差別殺人である。また、自殺の道連れとして関係のない人を巻き込む行為も同様である。弁護士も仕事とはいえ、そういう良心の呵責の欠片もないような人間を擁護する必要があるのだろうかと疑念さえ抱く。さてあなたはどう考えるだろう?

 最後に、死刑廃止論とは結びつかないが、明日から師走。犯罪が多発する時期にあって、防犯意識という観点から、我が町で起きた殺人事件を取り上げて結びとしたい。どこの町でも犯罪は起こり得るだろうが、我が故郷は、森と緑に囲まれた住みやすい街だが、その昔、「東北のシカゴ」と例えられたほど犯罪は多く、物騒な所だった。そこで平穏を取り戻した今、昔話を穿り返すようで悪いが、私が40年近く暮らしている郡山市で、かつて起きた凄惨な殺人事件(私が覚えているもの)を取り上げ、犯罪防止への啓蒙や防犯意識の向上に役立ててもらいたい。念のため断っておくが、被害者の感情を逆なですることは一切ない。慎んで被害に遭われた方々のご冥福をお祈りするものである。

① 郡山一の進学校の前にあった小料理屋の女性経営者殺人事件(1990年)

② 郡山市富久山町4号線沿いマンションでの殺人事件(時期不明)

③ 郡山市麓山の土木塗装会社社長が殺害された事件(1993年)→時効

④ 富田町の某小学校前の理髪店での韓国人殺害事件(時期不明)

⑤ 女子高生が県立高校の男子生徒に殺害され、その母親が死体遺棄を幇助した事件(1996年)

⑥ 公立高校教師が清水台の自宅で刃物で刺され殺害された事件(発生時期不詳)

⑦ 逢瀬町大久保川17歳無職少女殺害事件(2000年)→未解決

⑧ 現金輸送車強盗殺人事件(2001年)

⑨ 未成年者による女性暴行殺人事件(2002年)→家裁から逆送刑事告訴

⑩ 国道49号線沿いビリヤード場殺人事件(時期不明)

⑪ 国道49号線近くマンション1Fゲーム喫茶店主殺人事件(2002年2月19日)

⑫ スーパー店長による店員暴行死事件(時期不明) ⑩~⑫は半径300m以内で発生。

⑬ 中田町民家老女殺人事件(2004年)

⑭ 郡山市町東アパート歯科技工士殺人事件(2005年)

⑮ 細沼町アパート住人殺人事件(時期不明)

⑯ 熱海町ホテルで日本青年会議所宴会で火を付け殺害(2006年)→傷害致死事件で処理

⑰ 久留米アパート息子の嫁殺害事件(2008年)

⑱ 富久山町久保田73歳無職男性殺害事件(2009年12月8日)→記事掲載以降発生

⑲ 逢瀬公園東側入口で43歳の男性が殺害された事件(2010年8月18日)    

 

2009年8月 3日 (月)

「裁判員制度」にモノ申す!

 今日、法治国家の根源を揺るがす大きな出来事があった。朝の情報番組からお昼のワイドショー、NHKのニュースまでずっとこの話題で持ちきりだった。そう、いよいよ我々一般人が裁判員として公判に出廷し、人を裁くことを義務化した「裁判員制度」が実際にスタートした。この導入については、去年暮れあたりから急に脚光を浴び始め、今年になってその認知度がようやく高くなった新制度であり、我々にとっては自由権、生存権そのものを奪われかねない今世紀最大の愚策であるように思える。一体いつの間に国民不在の中で、こんな議論を重ねていたのか、一般人には十分告知されないまま、見切り発車となってしまった感は否めない。ここでは、敢えて異論を唱える形でさまざまな角度、視点からこの制度を検証したい。

  問題点① その選出方法

 まず、この裁判員制度の候補者資格であるが、日本国籍を有する20歳以上の者ならば、誰でも選出される可能性がある。本日初公判が開かれた東京都の場合、裁判員の候補者となる名簿登載者は295,000人もいる。本制度を日本でも検討し、導入するまでに至った経緯は、単に先行実施している先進諸国の踏襲が主な理由で、法の名の下に出席を義務化したのが大きな論点である。候補者として選出された者は、正当な理由なくしては拒否できないのである。民主国家・日本である筈なのに、なぜ個人の時間や自由を奪われた上に、仕事を休んでまでしてそんなわけのわからないものに出席しなければならないのか大きな疑問である。本日の6名に絞った経緯についても、ちゃんちゃらおかしい選出方法である。無作為に選んだ100名の裁判員候補者に呼び出し状を一方的に送りつけ、正当な理由だと裁判所によって欠席を認められた人や引っ越しなどで手元に呼び出し状が届かなかった人を除き、実際に裁判所に出向いたのは47名。更に、当日時間をかけて説明を受けた後、質問票を記入するなど時間を拘束された末に、最終的に6名に絞った。その選出方法が全くもって遺憾で合点がいかない。何とパソコンを使って無作為に選出されたのだ。裁判員となる人の知識や教養など一切物差しを入れず、年代や性別までも関知せず、勝手に機械任せにしている点。運命まで左右するであろう人を裁くという重責をそんな素性もはっきりしない人物に、司法の判断を委ねていいのか。人生経験が乏しい人間、心身に問題や欠落のあるものが公正な判断ができるのか。結果、機械が選んだのは女性5名、男性1名とかなり偏りがあったのも理解に苦しむ。もし、審理内容が女性が最も憎むべき犯罪(強姦・強制猥褻・暴行などの性犯罪)だった場合、女性側の立場で共感的にとらえてしまい、被害者感情が増幅し、偏重した意見が大勢を占め、状況証拠や証言、質疑応答など慎重審議を経たとしても、冷静な判断ができないのではないか。

 問題点② 憲法で保障する思想良心の自由に反していないか。

 ある日突然、召喚状が裁判所から送りつけられる。否応なしに時間が拘束される。正当な理由なく断れない。民主国家日本では到底ありえない義務化である。これは言うまでもなく憲法第19条で定める「思想良心の自由」を奪うものである。この制度は見切り発車の感が否めない点から、国民にその情報や内容について十分な説明がなされていない。よって制度自体が周知徹底がされていない訳で、たとえ裁判開始から判決まで最短で4日間の審理だとしても、そんなに連続で仕事を休めるだろうか。当然、周囲の環境は整っていないだろう。また、決して他言できないことだけに、仕事を休んでいる間、自分が裁判所に出向いていることをどうやって理解してもらえるのだろうか。仕事に穴を開けるのは必至だし、自営業者は、閉店を余儀なくされ、まるまるその日数分の売り上げがなくなる。その損害を裁判所が肩代わりすることは一切ないのだ。また、裁判の内容をうっかり酒の席などで他人に話してしまうかもしれない。そうなると自身も処罰の対象となり得る。そんな危ない橋は誰しも渡りたくないと思っていることだ。できれば回避したいことだろう。また、選ばれた場合の精神的なプレッシャーは想像を絶する。何の因果で望みもしないのに人を裁く立場にさせられるのか?もし自分が指名されたら、自分がそんな権利を有する人間ではないと主張し、そんな役目は御免こうむりたい。なぜなら無知が故に気づかぬ所で法令に反している可能性もあるからだ。また、個人の時間や自由を法律で規制したり、束縛することはもはや民主国家や自由権そのものを否定していることにほかならないのだ。このようなことは義務化すべきではない。実際、今回呼び出しに応じなかった人も2名いた。何かペナルティが科せられるというのだろうか。おちおち病気にもなれないのか。

 問題点③ 税金の無駄遣い

 今回、74名が裁判所に出向いた。当然、日当が支払われた。ひとり1万円である。ということは、抽選に外れた人がほとんどになるが、本日だけで74万円、その人たちに支払われたことになる。もちろん、我々の血税が使われた。今回は、初の試みということで、大きく注目されたが、これが全国各地で、毎週のように繰り返される訳で、今後、日当として一体どれだけの税金が使われるのだろうか。また、裁判を容易にわかりやすく進めるために、複数のパソコンを利用しての審理を行ったようだ。そのための設備投資だってばかにならない額になる。こんな馬鹿げた使われ方をしていいのだろうか。まさしくこれは税金の無駄遣い以外の何物でもない。

 問題点④ 審理が長引くとどうなる?

 被告が罪状認否で、素直に自分の犯した罪を認め、審理が短期間で済めばいいが、万が一否認した場合どうなるのか。証拠の提出や証言者の召喚、弁護人と検察側の質問の応酬などで審理が1ヶ月間と長期化した場合、裁判員となる者はそんなに休めるはずがない。判決までずっと公判に出廷し続ける訳にはいかない。そんなに休んだら会社から自分の席はなくなってしまうことだろう。休業補償も無論ない。また、法律の専門家でも心理学者でもない者が、責任重大な決定事項である有罪か無罪かの判断やその量刑にまで踏み込んで適正な判決が下せるわけはない。曲解すれば、本当は無実の人間を有罪(冤罪)にしてしまうこともあるだろうし、犯罪者の証言台での嘘を見抜けず、誤って無罪判決を下せば、取り返しがつかない重大なミスとなるのだ。

 問題点⑤ 裁判員のこころのケア、プライバシーは大丈夫か?

 望みもしない裁判員にある日突然選出されて自由を奪われただけでも、相当な苦痛なのに、実際の裁判の審理では、殺人事件など重要犯罪も含まれる。よって証拠提示で、生々しい殺害場所や死体の画像も目の当たりにすることになる。もちろん、本来ならば見たくもない、見なくていい写真であろう。それを見た時の精神的なショックは想像を絶する。場合によっては、公判中に極度の緊張から具合が悪くなったり、耐えきれない場面も出てくる可能性もあろう。精神的ストレスを抱え、心身症などを発症した場合、誰が責任をとるのか。また、裁判員に選ばれ、裁判に立ち会った人のプライバシーを含めた身の安全はどこまで保証できるのか。逆恨みや仕返しなどの対象にならないのか。本人だと判明するような個人情報の管理は、はたして大丈夫なのか。また、傍聴人は、裁判員の容姿や名前、顔など覚えてしまい、それが流失するようなプライバシーの侵害が起こることはないのか?また、一番厄介なのは、裁判員となった本人が、事件や裁判の様子、秘密などをうっかり酒の席で他言・吹聴してしまうという危険がある。守秘義務がどこまで統一できるのか。ここまで考えて導入に踏み切ったとはどうも考えにくい。まったくもって国の考えること、やることは庶民的発想とは相当のズレがあるようだ。また、一番腹立たしかったのは、裁判を担当した者には全員シリアルナンバー入りの記念バッヂが貰えるということだ。何故人を裁くことが記念になるというのだ。こんなことを考えた人の良識を疑いたい。日本の法制度はこの程度なのか。たかが知れてる。こんなはた迷惑な制度は即刻廃止すべきだと思う。

 日本人は、何かにつけ物分かりがよすぎる。争いを好まぬ平和主義者が多い。民意も反映できず、ただの国のいいなりではないか。特に今の世代は、政治に無関心で、昔の安保理の際の学生運動のような団結力や社会への問題意識も希薄すぎる。もっと声を大にして訴えたほうがいいような気がする。総じて、この制度は導入が時期尚早すぎたと考えている。右習えで何でも欧米化する必要など鼻っからない訳で、食事でも欧米の模倣した結果、肉食化してメタボ中年が増えたようになるだけである。日本国憲法を尊び、我が国独自の法制度の整備をしていく必要があるのだ。

 最後に、犯罪に対する私個人の意見を述べたい。私自身は、人を殺すような重犯罪は、厳罰をもって臨むべきだと考える。過って人をあやめようが、計画的であろうが、一人であろうが複数であろうが、また、情状酌量があろうがなかろうが、どんな理由があっても尊い人命を奪った事実に一切変わりはない。ゲームとは違って「一度死んだ人間は二度と戻らない」のだ。裁判員となるべき人間は、常に被害者やその遺族の立場で考えるべきだと思っている。私は、弁護というと聞こえがいいが、冤罪を救うという意味では欠かせない存在だが、犯罪者の味方につくという意味では、あまりその存在自体も疑問が残る。もし、弁護人本人が自分の子供を殺されたとして、憎しみの感情を持たずに、冷静にそうした犯人(被告人)の弁護が出来るかと言えば、絶対にできない。まして情状酌量を求めたり、減刑を望むなどと言った感情は起こり得ないだろう。「二度と戻らない人の一生を奪った」ということは肝に銘じておくべきだし、人数にかかわらず極刑もやむなしと考えたい。しかし、死刑を肯定し、死刑判決者や執行者の数を増やしたからと言って犯罪の抑止力にはならない。今回の「裁判員制度」実施を契機に、法律に対する知識の啓蒙を図り、決して他人事ではなく、いつか自分にも降りかかってくる重要問題という意識でこの問題をとらえ、冷静に考えて判断し、対処していく潮流となることを祈ってやまない。

 

2009年7月30日 (木)

「18歳成人」についてモノ申す!

 「エッ 18歳で成人?」「マジ?」そんな声が聞こえてきそうな政府報告があった。

 7月29日に政府の法制審議会部会は、選挙権年齢引き下げを前提に民法の定める成人年齢を18歳に引き下げるとする最終報告をまとめ、総選挙後の法制審総会で承認されれば法相に答申、その後国民投票を経て、早ければ2010年に施行したい考えだ。この決定に対しては、各年齢層で反応はまちまちで、共に賛否両論あり、今後施行までの期間、異論反論さまざまな物議を醸し出しそうな気配だ。

 今朝の情報テレビ番組によると、この「18歳成人制」について、比較的若年層は一様に肯定的で歓迎ムードが見てとれる。これは私にも経験があるが、未成年だと法的に権利や自由が狭められてしまい、その結果、行動が制約されてしまうことが多い。早く一人前の大人として認めてもらいたいという願いからである。しかし一方で、それを不安視する学識者や世代もいる。現代のティーンエージャーは、身体の成熟は早いが、精神面の成長はそのスピードに追いついていない。なぜなら、「ゆとり教育」という、従来の学生と比較して、履修内容が大幅に削減された教育を受けて来た世代であり、、本来学ぶべきはずの基礎学力や一般常識、教養といった社会生活に最低限必要な事項が十分に身についていないからだ。もちろん人生経験が不足し、問題解決能力が乏しいこともあながち否定できない。もし、これを容認すれば、世間に常識の無い大人たちが蔓延るのではないかといった懸念がある。満20歳で迎える成人式で、毎年テレビで良識の無い若者が飲酒して暴れまわったり、式典をぶち壊したりして警察が出動する光景を見たことがあるだろう。20歳でさえあの様なのだから、18歳に引き下げることが何を意味するかは、火を見るより明らかだ。早く大人として認めてもらいたいというのは、若者の都合で、果たしてそれに見合うだけの自覚や素養、責任感といったものを身につけているかと言えば、いささか疑問である。

 また、冷静に考えると18歳と言えば、現役の高校3年生が達する年齢である。今回の議論のメインテーマである、選挙権を与えようという発想は見方を変えれば意義があることかもしれない。高校生であっても参政権が得られることは、それまで縁遠く、他人事としてあまり関心がなかった政治や経済、そして選挙に目を向けることを意味し、私たちの生活に直結する現実の問題として考えるようになり、或る程度の知識も深まるだろう。これには納得できる点もある。しかし、18歳という年齢で一有権者としてその権利を公正な立場で判断し、適正に行使できるのだろうか。単に「投票所に行くのが面倒くさい」という短絡的な理由で棄権したり、「誰がなっても政治は変わらない」などと、最初から諦めてしまって、せっかくの権利を自ら放棄したりしないだろうか。現時点でさえ、20代・30代の若年層ほど投票率は低く、政治への関心は希薄なのである。

 次に、従来「20歳成人」で認められていた権利について考えるとどうだろう。第一に喫煙や飲酒が可能となる。高校生であっても18歳であれば、白昼堂々と制服でもコンビニや自販機でタバコが購入できる。そうなると、法的に認められている以上、校舎内で吸おうがその人(大人)の判断に委ねられ、校則で禁じることはできない。学校側としては喫煙所を設ける必要が出てくるのではないか。身体への悪影響も含めて教育的にどうか。もし校則の範囲内で下手に喫煙禁止を謳えば、同じ18歳でも有職無職少年は何のお咎めもないのに、高校生と言うだけで停学などの謹慎処分ともなれば、法律上ねじれ現象となり、矛盾が生じるだろう。飲酒についても、「部活や勉強疲れに学校帰りに居酒屋でちょっと一杯」とか行事のたびごとに「打ち上げだ」なんてことにもなりかねない。まぁこれは極端な例かもしれないが、生徒指導は至極やりづらくなるだろう。

 第二に、現在20歳で許されているパチンコや競馬など、いわゆるギャンブルが高校生を含めて18歳から可能となる。教室では「昨日パチンコで~万円儲けた(擦った)」とかいう会話が平然と罷り通る。高校生が放課後、制服姿のままパチンコをしている光景は珍しいことではなくなる。教室に馬券が落ちている日が来るのもそう遠いことではない。そうなると、遊び金欲しさに強盗や恐喝、金銭強要といった犯罪を助長してしまうかもしれない。何か末恐ろしい気がする。

 第三に、契約事項に関して親権者の同意や承諾が不必要となり、個人の意思で消費者金融や各種ローンから自由にお金を借りられてしまう。クレジットも保護者の印鑑や年齢制約が取り払われ、衝動買いや無計画な借り入れで借金がネズミ算式に膨れ上がり、返済が滞って、いつの間にか借金地獄に陥り、自己破産や思い悩んだ末の自殺が増える危険性も孕んでいる。株取引も同様である。高校生などは、学業が本業でなので、自ら金を稼ぐという意識も機会も少ない。金銭感覚に乏しい者は、ネット等を介して悪徳商法にひっかかって消費者被害が拡大する恐れもある。親の知らないところで多額の借金を抱え、就学困難な状況となることも容易に想像できてしまう。

 第四に、そもそも成人年齢を18歳にしたということ自体が問題なのだ。これで何かにつけて未成年者を擁護していた少年法の適用を外れる訳で、犯罪を犯した場合、これまでは精神的知能の未発達や本人の将来を鑑みて、新聞やテレビでは実名報道はされないなどの特別措置があった。これが一切排除される訳で、高校生であっても例外ではなく、殺人などの重犯罪では、否応なしに死刑判決と言うのもありえるだろう。また、18歳と17歳は同じ高校生で見た目はそんなに変わらない。喫煙や深夜徘徊で補導するにも判断が難しくなり、取り締まりにも公平性を欠く恐れがある。

 以上ざっとデメリットばかりを述べたが、寛容的な見方をすれば、大人としての自覚が早期の段階から芽生え、自立心を伸長させてくれるかもしれない。「罪を犯せば顔が出る」という意識が備わり、犯罪の未然防止にも一役買うのかもしれない。いずれにしても恐らくは、国民投票を経て来年度早々にも施行となることが見込まれるこの新制度は、公職選挙法、民法、少年法の改正も必要になることから、今後全国民レベルで議論に議論を重ね、周知徹底を図り、誰もが不平不満を持たず、納得した上で導入となることが望ましい。そして施行されたからには、個々が一社会人として責任ある行動をとることを願いたいものだ。

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