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経済・政治・国際

2012年12月11日 (火)

政治家の醜態と総選挙の行方

 これから記載する内容は、一部に政治に対する憤りや不信を顕にするような文言が含まれていることを予めお断りします。

 国民の意思や意向、切なる願いを無視し、相も変わらず醜い覇権争いや足の引っ張り合いが繰り広げられている政治の世界。泥仕合の様相を呈し、国民不在と閣議決定、それに自公との半ば談合の末に、民主党政権に終止符を打つべく、ついに衆議院が解散した。しかも卑しいことに、某国の瀬戸際外交ではあるまいし、あたかも交換条件であるかのように、解散カードをチラつかせながら、一票の格差を是正する目的の「選挙制度改革法案」をギリギリで可決させての姑息な手段だった。2009年秋の劇的な政権交代から3年あまりの民主党政権だったが、期待はずれだったと感じているのは私だけではないだろう。大風呂敷を広げ、できもしないマニフェストを掲げ、国民の関心を集めた仕掛けは見事だったが、蓋を開けてみれば景気の良い文言とは裏腹で、公約をことごとく反故にし、国民感情を逆撫でした挙句、大きな背信行為で終わった感が強い。

 まず、自民党政権時代と全く変わらなかったのが、仲良しこよしの政策グループが織り成す派閥闘争。そして1年も持たないような首相の首のすげ替え。小泉長期政権以降、安倍、福田、麻生と毎年の恒例行事のように総理の交代劇があった自民党政権末期と同じように、民主党においても、鳩山由紀夫は自ら選挙公約に掲げて国民をまんまと欺いたマニフェストが実現不可能と見るやいなや、早速さじを投げ、政権をまるごと放棄し、そそくさと首相の椅子を明け渡した。代役を買って出た頼みの菅直人は、強いリーダーシップを発揮しようとしたが、突如発生した東日本大震災の対応に追われ、肝心の景気回復策や社会福祉などの社会保障制度の改革まで手が回らなかった。その後バトンを受けた、誠実を絵に描いたような人柄の野田佳彦は、マニフェストを完全破棄して禁断の「消費税増税法案」に着手し、閣議決定してしまった。自公もこの時とばかり、民主党を悪者にしつつ、ちゃっかり便乗採決で可決させるという暴挙とも呼ぶべき強硬手段に出た。究極の相乗り採決で、国民の痛みを考えない目先の財政確保のためだけのあるまじき採決に呆れかえるばかりであった。この結果、民主党も国民の反発を買い、内閣支持率を急落させただけでなく、小沢グループの一斉離党という分裂を招いた。それからというもの、負の連鎖とも言うべき離党者続出の動きは衆議院解散の前後まで尾を引き、仕舞いには衆議院で過半数割れとなる非常事態まで招いた。もはや民主党政権は風前の灯で、誰もが勝てない苦し紛れの「やけくそ解散」に踏み切ったとの印象を抱いたに違いない。

 今回、大博打を打った解散劇は、自らの首を絞めただけでなく、この慌ただしい年の瀬にあって、再び政局混迷の火種を作り、政権再交代の事態を生み出しただけである。もしかすると、野田総理の心中には、第三の勢力の集結を恐れ、日本維新の会や太陽の党、みんなの党などが選挙協力態勢を確立する前に、つまり各党の選挙準備が整わない間隙を縫うように、先手を打って解散に踏み切ったとも受け取れる。いずれにせよ、国民目線では、今回の野田首相の独断専行の決断(あえて横暴と書く)は、この年の瀬にあってドタバタ解散劇にほかならなかった。そして、特段今に始まったことではないが、政治の混乱はとどまるところを知らず、戦後最大の15もの政党(その後保身をかけての合流で12に減少)が乱立する異常事態に陥った。こちらも国民感情を蔑ろにし、相変わらずのくっついた離れたの「花いちもんめ」状態。大志はどこにあるのかと疑うばかりだし、肝心要の政策の一致は軽視され、数合わせや生き残りを模索して奔走しているとしか思えない。

 一方では、抜群の知名度をフルに発揮し、4期に渡って都政を牛耳って、いや担ってきた石原慎太郎もまた、この機に乗じて不退転の覚悟をしたひとりである。任期途中の身でありながら、電撃辞任し、国政復帰を声高らかに宣言した。東京都の有権者の理解も得ないままでの我が儘かつ一方的な責任放棄である。やっぱりなりふり構わぬタカ派だけのことはある。しかし、彼をそこまで決断させたのは、不甲斐ない国会議員たちの顛末により、将来の日本を危惧し、また政府の気弱な外交交渉に業を煮やしての決断だったに違いない。しかも自民党ならば、とうの昔に引退年齢を超えている80歳という高齢での出馬宣言である。目指すはただひとつ、総理大臣の椅子しかないが、老骨にムチ打っての総選挙立候補はあまりにも痛々しい。しかし、生涯、政治家としても道を全うしたいという強い意志は感じられる。こういう気骨な政治家は一体どれくらいいるのだろうか。タカ派として発言が物議を醸すこともしばしばだが、何もしないで日和見的な政治家がゴロゴロいる中で、これだけ日本を行く末を案じている人物も類を見ない筈だ。

 しかしながら、石原氏の決断は別格だとしても、政党政治は本来、民主主義の議会政治であるならば、各政党の政策を国会の場で突き合わせて、十分議論を重ねて雌雄を決するべきだ。つまりは政策論争こそが大前提であろう。他党の政策であっても、協調すべき点は互いに認め合い、時に協力して目先の政治課題や難局に立ち向かう気概が必要だ。政権与党でありながら、目の前の責任を果たさずに、鶴の一声で、こぞって脱退するような「○○グループ」のような仲良しこよしの政治集団では、いつまでたってもブローカーのままで、政治の本懐を遂げることなどできはしない。また、国民は政党の政権公約を鵜呑みにせず、それが果たして本当に実現可能なマニフェスト(アジェンダ)かを慎重に吟味し、正当な判断をして一票を投じなければならない。朝令暮改の胡散臭い候補者の口八丁に引っかかってはならない。前回、国民感情を煽り、まんまと騙して政権奪取に成功して与党の座に居座った民主党政権だが、今回の総選挙では目も当てられないほどの大惨敗を喫することだろう。国民不在の政治を断行したツケがどんなものか国民の怒りを思い知らされることになるだろうし、民主党には猛省を促す必要があろう。

 かくいう私自身の判断基準は、選挙時に所属政党に散々お世話になりながら、少し旗色が悪くなった途端、それまでの恩義を忘れ、手の平を返したように離党するようなケツの軽い議員は金輪際お断りだ。「恥を知れ」と言いたい。しかもその際たる悪の化身は与謝野馨だ。自民党を捨てて、敵対する民主党の閣僚にまんまと収まり、民主党が役立たずとみるや、再び「自民党に復党したい」と言い出した。「よくもぬけぬけと」・・・。ずうずうしいも程がある。恥も外聞もないのかこの男には。こういうジプシー議員が閣僚の一翼を担っているようでは、日本の政治が良くなるはずがないだろう。こういったことも日本人の政治離れを促進している要因である。今もなお放出し続ける原発の放射性物質被害で苦しむ福島県において、被災者のひとりである私にとっては、政党間のお家騒動などどうでもいいことで、まず目の前の重要課題を片付けてから解散に踏み切ってもらいたかった。復興策も道半ばで、衆議院を解散するとは正気の沙汰ではない。福島県を切り捨てる腹積もりか?そんな民主党の弱腰政治にはこちらから三行半を突きつけ、とっととお払い箱にしてやりたい。

 そして、「東日本大震災の復興予算」の流用が発覚した問題も実に腹立たしい。私が愛する台湾や国内外から寄せられた巨額に上る義援金の行方は一体どうなったのか?その使い道や配分方法もまた被災者に明らかにされていない。それが善意の公金である以上、政府は被災地や被災者に対し、どのように分配され、どのように復興支援に充てられたのか詳細に報告する義務があるし、被災者はそれを知る権利を有する筈だ。よもや江戸時代の悪代官と廻船問屋の悪巧みのように、特定の大物政治家の袖の下に入っているなどということはあるまいな・・・。政府は義援金の額について、透明性を持たせ、その使途決算報告ならぬ収支報告で明確にして貰いたい。

 今回、民主党の愚行の果ての総選挙で再び政権が変わることは間違いない。おそらく、自民党が単独過半数の議席を獲得し、政権担当することになる。されど、私は個人的に安倍晋三は好きではない。理由は幾つかある。健康状態が優れないことがその理由であれ、自らの決心で総理の椅子を明け渡した者が、捲土重来とばかりに首相の座に収まることがあっていいものか。彼が談合によって、再び首相の座を射止めたところで、有権者は冷めた目で見ることだろう。もっと言おう。就任時の所信表明で「美しい日本創世」を豪語した張本人の顛末が日本を見捨てる辞任の道を選んだのである。これはれっきとした国民への裏切りだ。本人が最も醜い辞め方を実践しておきながら、いとも簡単に日本のトップの座に舞い戻れるとしたら、世も末だし、諸外国に馬鹿にされ、物笑いの種にしかならない。外交は頓挫し、「一時凌ぎの代役か」と上から目線を喰らうことは明らかだ。しかも彼が短い首相時代に、目玉として強行した「教育改革」によって、現場は混乱を来たしていると聞く。それは免許更新など教師側の資質向上にばかり気を取られ、肝心の児童生徒側の教育問題を棚上げし、いじめなどの重要案件を蔑ろに扱ったという点である。明らかに単なる時間の浪費であった。

 もし自民党が第一党に返り咲き、安倍晋三が再び国家権力の頂点に居座る事態に陥れば、国民はひとつの重大な覚悟を強いられることになる。彼は就任してすぐに憲法改正に向けた議論を仕掛け、口八丁手八丁のパフォーマンスで国民の同意を取り付け、間違いなく憲法改正に着手し、しかも決して触れてはいけない「憲法第9条」の改正論議を断行するだろう。田中角栄や小沢一郎、鈴木宗男、橋下徹と同じタイプ(B型)の彼は、なりふり構わぬ猪突猛進型で、独裁的かつ強権的な政治体制を発動し、民主主義とはおよそかけ離れた政治を断行するに違いない。そうした危険性を認識した上で、再び自民党を選択しなければならないのだ。

 私自身は「憲法改正」の必要性は感じない。なぜなら、昭和20年の終戦以降、現行の日本国憲法の制定以来、現憲法下において一度も紛争や戦争が日本で起きていないという事実からそう判断できる。必要なのはむしろ、「日米安全保障条約」の抜本的見直しではないのか。そして、日本全国に分散して駐留しているアメリカ軍の基地、兵士の数を大幅に減らすことを提案したい。そしてとりわけ、沖縄県民の長年の悲願である基地の移転問題など、汲々として来た諸々の負担を減らして貰いたい。もちろん、有事の際の対応を鑑み、減少分は、日本の自衛隊員を増員し、武力や歩兵数で同レベルを堅持するしかないと考えている。実際問題として、沖縄にアメリカ軍が居座っているおかげで、極東周辺の安全が図られ、中国や北朝鮮は日本に手を出せないということは重々承知している。しかし、これまで騒音問題や兵士の相次ぐ凶悪犯罪に多大な犠牲を払ってきた沖縄の人々の苦痛や不安を減らすことに今こそ性根を据えて取り組んで改善していかなければならない。沖縄県民の怒りは頂点に達し、もはや限界に来ている。綱紀粛正とは名ばかりで、一向に犯罪行為が減らない。極東地域の安全保障の見返りがこれでは目も当てられない。これまでの政府の対応は結論を先送りにするだけで、何一つ解決に至っていない。数合わせのためだけに存在しているような物言えぬ「政治屋」はお断りだ。国民の代弁者であることこそが真の政治家だろう。

 そして上海の運動家たちが一方的に尖閣諸島・魚釣島に上陸したことに端を発した反日運動に対し、在中日本人を守ることもできず、何ひとつまともな対抗措置も取れず、ただ事のなりゆきを傍観し、ほとぼりがさめるまで指を咥えて待っているだけの弱腰外交などいらない。尖閣諸島や竹島、北方領土が「我が国固有の領土」と主張するならば、緩すぎる外交交渉ではなく、断固とした対抗措置を発動しなければならない。一方的に暴動化した中国、東日本大震災の混乱に乗じて竹島を占拠するという暴挙に及んだ韓国、しかも日韓W杯や韓流ブームを契機に友好国としての関係を築こうとしていた矢先、韓国人の本性を垣間見る出来事があった。それは震災で日本中が打ちひしがれている時に、サッカーの試合で韓国サポーターが掲げた「日本の震災を祝います」という心無き横断幕。人道的にあってはならないし、被災者である私にとっては屈辱以外の何物でもない。まだ言おう。ロンドン五輪では、韓国のサッカーの選手が本末転倒の政治的な問題をピッチで「竹島は韓国の領土だ」というメッセージを掲げて世界中の非難を浴びた事件。常識もなければ後先考えないお構えなしの野蛮で卑劣な愚行。これが韓国人の本音なのと落胆させられた日本人は大勢いた筈だ。スポーツに政治を持ち込む愚かな行動である。韓国という国は、昔から外国への敵愾心や猜疑心、不信感や反抗心に凝り固まった国家ということを自らが露呈し、全世界にアピールしてしまった。中国も同様だが、少しでも感に触ると、当該国の国旗を焼き払ったり暴動化し、強烈な反社会的行動を助長させる。このような後先考えない愚直な発想は、アジアでは中国、韓国、北朝鮮でしか起こりえないものだ。また、領土問題は対中国、韓国だけではない。日ソ不可侵条約を一方的に破棄して樺太に侵攻して来た旧ソ連に関しても同様で、こうした謀略を真剣に許せないならば、武力を以て奪還し、国交を断つくらいの気構えで臨んでもらいたい。今の政治家たちに、はたしてどれくらいその覚悟があるだろうか。安倍次期首相にそれだけの先を見越した政治判断力が備わっているようには到底見えないのである。身を挺してでも命懸けで日本を守る気概が備わっているのか甚だ疑問だ。「美しい日本」などと美辞麗句を使うなら、それくらいの覚悟はあって然るべきだろう。

  また、北朝鮮のミサイル発射問題、中国による領空侵犯などに関しても、やりたい放題ではないか。日本政府は努めて「冷静に」とか「慎重に対応する」としか言えず、それは結局は何も手を打てず、傍観者に徹し、静観するしかないことを意味している。再三再四に渡る挑発、おちょくり、カマかけに何一つ有効な手段で対抗できない弱腰外交では、今に核弾頭を打ち込まれるのを黙って指を咥えて見ているしかないということだ。全くもって危機管理ゼロ。実に情けない。自民党が政権奪取したところで、55年体制で何一つ変わらなかったのだから、急に事態が好転する筈がなかろう。憲法改正とは、これまでと異なる緊急事態を招く恐れが高くなるということなのである。拉致問題もまた一向に進展が見られない。これこそ急いで対応しなければ、被害者家族が次々肉親に再会できぬまま、無念の死を迎えるということにもなりかねない。

 まぁもっとも冷静に考えれば、現在の「憲法第9条」が有効かつ有益に機能している限りは、武力を用いて領土・領海問題を平定・解決に導くことはまずありえない。武力の保持も許されず、交戦権も認めていない現憲法では、領土問題を解決しろというほうがおかしい。従って、武力を持たない日本に代わってアメリカ軍に駐留してもらい、有事の際はアメリカ軍が国境警備や防衛に当たるという、この発想が問題の出発点なのである。これを是正せずには何の進展もない。憲法改正はそのために必要だというのが安倍晋三の主張の原点だ。彼の主張する「国防軍」(つまり自衛隊ではなく軍隊)を組織し、各地で起きた紛争や問題を武力を用いて平定しようというのも、これまで出来なかった事案だけに彼の方針も一理あるとは思う。しかし、道は険しい。世論の反発は必至だろう。これをいかに賛同を取り付ける腹積もりなのか、何か秘策があるのだろうか。真っ先に反応するのはアジアを始めとする環太平洋諸国だろう。再び「大東亜帝国化し、日本が軍事大国の道を歩むのではないか」という懸念と脅威は計り知れない。国連でも猛反対に遭うのは必定だろう。安倍晋三にそれを乗り越えるだけの知恵と勇気、そして説得材料を持ち合わせているのだろうか。

 さて、今回の総選挙に話題を戻すと、今回の選挙の論点や争点は次の三つに集約される。

 ①消費税増税に関かわる社会保障制度改革
 ②TPP参加の是非
 ③憲法改正論議

 これだけみてもおわかりだろう。被災者にとっての最大の関心事の「原発問題」や「復興支援及び地方再生策」はいつの間にか本道から外された形だ。しかし、日本国民が今回の選挙の政権選択で判断する材料は次の3点だろう。

 ①平等かつ公正でわかりやすい政治
 ②老後まで安心して生活できる環境づくり
 ③雇用や経済の安定した社会

 福島県民には更に2つの施策が必要となる。

 ④恒久的な原発処理と経済・産業の復興を含んだ地方再生
 ⑤放射線被害に対する高度医療体制の充実

 国民生活に直結した内容でなければ、今回ばかりは国民の支持は得られないだろう。

 この中で、国民に真剣に考えて欲しいのは、TPP参加の是非である。個人的にはTPP自体、議論の余地は無いと思っている。TPPとは環太平洋パートナーシップ経済協定のことだが、これを安易に選択すると大変なしっぺ返しが待っている。国内の生産農家を打撃し、国内産業を停滞に陥れる可能性を持った爆弾である。どういうことか説明したい。
 TPPはAPECが素となり、アジアの少数国が経済協定を締結したことに端を発する。これが引き金となり、自由貿易の骨格が完成した。これを歓迎するアメリカが介入し、その後、オーストラリアやマレーシアなど計9ヵ国が参加を表明。一気に拡大が加速する中、着々と包囲網が築かれ、日本の対応が注目されている。もしTPPに無条件参加ということになればどういう弊害があるか。例えば日本の米は価格下落を引き起こさないために、政府によって手厚く保護されている品目である。しかし、TPPに賛同すれば、外国産の米が関税が撤廃されて、原則自由競争で無課税のまま市場に出回ることになる。国産米に比べ、安全性に疑問を抱いた米が大量に出まわることで、消費者は安く入手できることになる。日本の食卓は、米や農作物の大部分が、安全性が疑われるような得体の知れぬ外国産で賄われることになるのだ。よって日本古来の農業制度、食料管理制度は崩壊し、農業が立ちゆかなくなり、日本の農業経営者の生活を圧迫する。内閣府の試算では、海外への製品輸出が増えることで、GDPを3,2兆円ほど引き上げる効果があるという政府見通しを発表しているが一方で農林水産省は、安価な農産物の流入で国内農業関係分野に8兆円を超える被害が出ると見込んでいる。

 こうした自由貿易は価格破壊をもたらす一方で、多大な格差を生み出す元凶になる。小泉首相が断行した大掛かりな規制緩和政策により、どれほどの零細企業や中小企業が痛手を被ったことか。所詮、何の規制も伴わない完全自由化は、悪戯に競争原理を煽り、利点よりも弊害のほうが大きい。特定の資本力がある大手スーパーが競争に勝ち、生き残れる仕組みだ。小売の地元密着の個人経営の商店などは、大量入荷で薄利多売が利かないために、ひとたまりもなく、経営難により次々潰れ、閉店に追い込まれ、自然淘汰されている。ここ郡山市では、みどり書房、岩瀬書店の事業規模拡大により、古くから市民に親しまれ、老舗書店だった「東北書店」と「郡山書店」が相次いで閉店した。また、実家周辺の商店街を見ても、小売の雑貨屋、魚屋、八百屋、パン屋、パーマ屋、食堂、駄菓子屋が相次ぎ店を畳み、廃業してしまった。TPPはこのような惨劇を招くだけである。

 さて、これまで当ブログにおいて、幾度となく日本の政治腐敗や荒廃ぶりについては糾弾しようと筆をふるってきたが、一向に改善されない政治家たちの醜態ぶりにはほとほと呆れるばかりだ。離合集散が甚だしいし、「今日の友は明日の敵」状態である。それが繰り返されて、多数政党化してしまった。現状ではどの政党が政権獲得しようが、勝ち馬に相乗りするような不甲斐ない政治体制では、国民の政治離れに歯止めはかからないだろう。予想を立てるまでもなく、民主党は改選前の議席を半数近く減らすのではないか。また、背信行為を平然と行った離党議員たちも、身から出た錆とは言え、「裏切り者」のレッテルを貼られ、総スカンを食って苦戦したり落選するのは必至。逆に自民党は復活するだろうし、公明・共産などの古くからある既存政党の議席もまた伸びると予想される。大きなうねりをもたらした前回の総選挙から3年あまり、民主党による政治運営を評価すれば、甘く見積もっても20点程度だ。自民党政権への不信と怒りを代弁し、政権交代を実現したまでは良かったが、烏合の衆の集まりで、不協和音があちこちから聞こえ、マニフェストは次第にトーンダウンし、予算が底をつくとみるや政策を撤回。実体のない政治のまま終焉を迎えた印象が強い。震災の後始末に終始し、改めて日本の危機管理能力の弱さを露呈した。

 ではここで、日本の行く末を案じ、今回の選挙に絡み、前回の総選挙時と同様、私なりの各政党の獲得議席数を占ってみたい。

  政 党 名      選挙前勢力11/8現在     選挙後の勢力予想

   民主党           231                83
   自民党           118               277
   国民の生活が第一     38                 0
   日本未来の党        0                 19
   公明党             21                26
   共産党             9                10
   みんなの党          6                                    15
   社民党             6                                3
   日本維新の会        5                 42
   無所属            12                 4  
   その他            34                 1  

    合計            480               480

 その他には新党大地、真民主党、国民新党、みどりの風、減税日本、新党改革、
 たちあがれ日本、新党きづなが含まれる。

 なお、11月27日には、日本未来の党に「国民の生活が第一」と「減税日本」などが合流することが判明した。 
 
 選挙後、再び政権与党への道を模索すべく、政界再編の枠組みが変わる。選挙時には12もあった政党だが、生き残れないとみるや政党間の再合流や無所属組の議員の引き抜き工作や合流が相次ぐだろう。政党政治や数は力が物を言う現行の政治体制では、少数政党や無所属のままでは、政治活動には限界があり、政策の遂行はほぼ不可能だと思われるからだ。こうして見ると、各政党ともに人材不足は明らかだ。笑ったのは、民主党から離党を図った若手議員を引き止めようと、不適切交際を指摘された石川県選出の美人女性議員が国会内の部屋の扉の前に立ちふさがり、説得工作を試みる場面がテレビニュースで報道された。まるで自作自演の茶番劇。この民主党を見限った議員の箍が外れたような離党の連鎖に歯止めはかからなかった。さすればどうやって人材を確保するのか。手っ取り早い方法は著名人を勧誘する愚行に出る。以前から顔や名の知られたタレント議員や芸能人、スポーツ畑出身者を数合わせの目的で臨時に公認し、その場を凌いできた。政治のいろはも知らぬ新人議員たちである。現在も、元プロレスラーとか柔道家などが政治の世界に足を突っ込んでいる。声がかかり誘いを受けたからという理由だけで立候補して当選した者に、一体政治の何を語れるというのか。物珍しさや知名度だけでは政治は務まらないと心得てもらいたい。党首の心変わりひとつで、まるで金魚の糞のごとく、行動を共にしてしまう運命共同体であっては断じてならないのだ。政治の本分、政治家の本懐を理解してこそ、真の政治家として活動ができるのである。ビジョンやポリシー、政治哲学を持ち合わせずは、羅針盤を持たずに大海原に出航していく小舟にほかならない。俄政治家やなんちゃって政治家は今すぐ立候補を取り下げてもらいたい。そして民主党惨敗の構図は避けられないが、問題は大物議員の相次ぐ落選だろう。現職の首相が比例代表と重複立候補とはあまりにも覚悟がないが、それくらい危機感を抱いているということだ。それくらい原発に対する危機管理も持って欲しいところだ。また、閣僚経験者や現職の大臣ですらバタバタ落選し、失職するのは間違いない。国民の厳しい審判を受け、猛省してもらいたいものだ。

 最後に政治家たちに苦言を呈したい。

 1 今の政治では日本はダメになるという自覚はあるだろうか。
 2 私財を投げ打ってでも国のため、国民の幸福のために一命を捧げる覚悟はあるか。
 3 自らの主義主張、政治哲学、ポリシー、イデオロギーは持っているか。
 4 自らの目指す到達目標はあるか。社会保障はどうあるべきか、憲法はどうあるべきか、震災後の復興策と到達点、着地点は見えているだろうか。

 選挙の時だけ都合のいい美辞麗句を並べて支援を訴えるのではなく、実践力・行動力の伴う代議士になってもらいたい。日本の行く末を心底案じ、明確なビジョンと志を持ち、全体の奉仕者として、国民のために汗水たらして働き抜く覚悟のある人にだけ「日本丸」の舵取りを任せたいものである。

 記事作成:11月27日(火)

 追記

 政治思想はひとそれぞれ意見を異にするのが定石であるため、今回もコメントは受け付けません。ご了承ください。

 12月16日(日)追記

 予想を大きく超え、民主党が惨敗。自民党が絶対安定多数をはるかに超える議席を獲得した。やはりこの3年間の民主党政権はマニフェスト不履行および党内分裂を招き、政治が混乱する火種を作った責任は重かったようだ。しかも、予想した通りに、現職の閣僚や大物議員までもが落選した。何と前首相の菅直人氏までもが小選挙区で敗れ、前官房長官の仙石氏も落選。文部科学大臣の田中真紀子氏もまた同様。横路衆議院議長までもが落選。城島財務、三井厚生労働、藤村官房長官、原口前総務大臣なども揃って落選するなど散々たる有様だった。これで再び安倍が首相に就任することは確実となり、懸念したように憲法改正も含め、民主党政権下の政策は白紙撤回され、公立高校の無償化も白紙、高速無料化なども即時中止になる可能性大。そして国民が再び政権交代を実行したことによって、政治は重要な転換期に立ったことは間違いない。

2012年5月 3日 (木)

意外な店舗数ランキング

 地方都市にも大都会の資本が流入し、次々と出店してきた。ここ福島県もその例に洩れず、いたるところに全国チェーンの店舗が進出して来た。この10年で街道沿いの風景はガラリ、劇的に変わった。スタバやドトールなどの外資系の出現も記憶に新しい。レジャー産業もまた然り。地元の商店街は寂れる一方だが、商都郡山の復権は、こうした大都市圏の資本参入が鍵を握っていることは間違いない。そこで今回は、各業界のチェーン店の店舗数にスポットを当て、その序列化を検討してみたい。なお今回参考としたのは少々古いが2009年版の「勢力地図」だ。さすがに最新版は著作権の関係で使いづらいが、そんなにデータに差は無いと考えている。

<コンビニ> 国内店舗数

1位 セブンイレブン  店舗数12,000店 売上高 2兆5千億円
2位 ローソン      店舗数 8,500店 売上高 1兆4千億円
3位 ファミリーマート  店舗数  7,100店 売上高 1兆1千億円
4位 サークルKサンクス 店舗数 5,200店 売上高 9,000億円 
5位 ミニストップ  店舗数 1,800店 売上高 2,800億円

 他にも「デイリーヤマザキ」「セーブオン」「ampm」がひしめき合っている。

711

 福島県にはすべてある。コンビニ第1号はセブンイレブンで、郡山2中前の店舗が一番古い。ミニストップは最も出店が遅かった。潰れては再出店の繰り返しだ。立地条件や駐車場の有無で差があるようだ。ちなみに青森県にはセブンが無く、ほとんどサークルKサンクス。

<ファーストフード店>

1位 マクドナルド 店舗数 3,700店 売上高 4,000億円
2位 ミスタードーナツ 店舗数 2,870店 売上高 538億円
3位 モスバーガー 店舗数 1,643店 売上高 623億円
4位 ケンタッキーフライドチキン 店舗数 1,516店 売上高 未公表
5位 ロッテリア 店舗数売上高未公表

 他にも「ファーストキッチン」「ドムドム」などがある。

Mac

 マクドは並木店が古い。郡山にはロッテリアが多い。特に桑野にある店舗が一番古い。サラミ入りのイタリアンサンドが開店当時は持て囃された。

<ファミレス> 2~5位は店舗数未公表

1位 すかいらーく(ガスト・バーミヤン・夢庵) 店舗数 4,303店 売上高 4,000億円
2位 ロイヤルホスト 売上高 1,230億円
3位 デニーズ  売上高 1,100億円
4位 サイゼリア 売上高 830億円
5位 ジョイフル  売上高 640億円

 他には「ジョナサン」「ビッグボーイ(旧ミルキーウェイ)」「ココス」など。

Gust

郡山にはジョイフルは無い。昔は「カフェ&レストラン飛行船」が有名だった。

<牛丼チェーン>

1位 吉野家 店舗数 2,400店 売上高 1,500億円
2位 松屋 店舗数 売上高 617億円
3位 すき屋 店舗数 売上高 450億円

Yoshinoya

 郡山市内には「吉野家」が多い。さくら通り店や亀田店にはよく行くし、安積町や日出の山、駅前にもある。咲田店が潰れたのは痛い・・・。

<居酒屋系>

1位 コロワイド 店舗数 930店 売上高 1,060億円
2位 ワタミ 店舗数 売上高 870億円
3位 大庄 店舗数 売上高 868億円
4位 ヴィアホールディングス 店舗数 売上高 400億円
5位 チムニー 売上高 390億円

 他にも「ダイナック」「三光」「テンアライド」など。

Shirakiya

 昔は居酒屋と言えば「つぼ八」と「村さ来」、「養老乃瀧」と相場が決まっていたが、今はガラリと勢力図が変わった。福島県はモンテローザの「白木屋」と「魚民」、それに「はなの舞」が幅を利かせている感がある。

http://gyokai-search.com/4-izakaya-uriage.html

<ドラッグストア>

1位 マツモトキヨシ 店舗数 750店 売上高 3,900億円
2位 スギ薬局 店舗数 620店 売上高 2,500億円
3位 カワチ薬品 店舗数 売上高 2,250億円
4位 ツルハ 店舗数 売上高 750店 1,700億円
5位 サンドラッグ 店舗数 530店 売上高 2,180億円

Matsumotokiyoshi

 福島県には「スギ薬局」は無い。ツルハとカワチが多い。

<量販店>

1位 ダイソー 店舗数 2,500店 売上高 3,300億円
2位 チヨダ(東京靴流通) 店舗数 1,200店 売上高 1,800億円
3位 キャンドゥ 店舗数 780店 売上高 670億円
4位 西松屋 店舗数 600店 売上高 1,100億円
5位 オートバックス 店舗数 530店 売上高 2,600億円

 他には「無印良品」「トイざらス」「ニトリ」「イエローハット」「アスクル」「ゲオ」「ドンキ」「トライアル」など。

Daiso

 郡山市内ではダイソーはあちこちにある。イオンタウン内、ヨークタウン内(片平・八山田・堤下)、日和田店、安積町荒井、ヨーカドー内、島(旧カンセキ)、久留米、100均ブームはしばらく続くだろう。

 さて、我が地元・郡山市内を見ても、今世紀になって以降、次々と新しい資本が流入してきた。上記のほとんどの店がある。既存の商店街は閉店せざるを得ない状況だ。特に駐車場の確保が難しい駅前や中心市街地は昼間でもシャッターが閉まった店が多いし、アーケード街も空き地や更地が、目立つようになった。人々はどんどん郊外に住むようになり、それに釣られてイオンタウンやヨークタウン、ジャスコやザ・モールといった大駐車場を構えた大型店舗の優勢が目立つ。ドーナツ化やスプロール化は拍車をかける一方だ。震災以降1万人規模で人口が減り、今では33万人を割り込んだ。放射線の影響であさか舞ブランドも売れなくなり、かつて出荷数日本一を誇った「きゅうり」の生産もままならず、福島県産品は敬遠されている。一体いつになったらこの悪循環が収束するのかわからない。しかし、福島県の中心に位置する郡山市が元気を奮い立たせ、全権的なキャスティングボートを握っていかなければならない。郡山はもともと商業都市や産業都市として栄えた街。再び息を吹き返し、商都復権を期待していきたい。  

 記事作成:4月22日(日)

2011年5月27日 (金)

震災後の政府対応にモノ申す!

Touden2  今更だが、此度の「東日本大震災」は主に大津波によって太平洋沿岸地域に未曾有の甚大な被害を出した。今日現在、死者は15,000名を優に超え、未だに8千人を超える方々の安否が不明のままである。しかも自宅を追われ、避難している被災者は15万人を超えている異常事態。2か月経った今でも故郷に戻れる目途さえ立たないのである。これら一連の出来事はまさしく「驚天動地」の悪夢で、それは1995年の1月に起きた「阪神淡路大震災」を遙かに凌ぐ、我が国が初めて経験した大規模複合型の自然災害であった。しかし、学識者達が声を揃えて言うように、想定外の大津波が襲来したとは言え、原発問題に関してはあくまで人災であると言わざるを得ない。今回の一連の原発事故は、INESの評価基準では最悪の「レベル7」である。そもそも原子力発電所の設置については、1955年に「原子力基本法」が国会で成立して以降、国の原子力エネルギー政策が推進されるようになった。当初はどこも引き受け手がない状況の中、多額の給付金交付により、地域活性化の旗手として注目を浴びるようになった。我が福島県でもエネルギー革命により、常磐地区の石炭産業が斜陽化したため、新たなエネルギー源を模索していた。国と地方の思惑が一致したことにより、安全性より地方財政の安定を優先した当時の知事が建設招致を地元住民の反対を押し切って強行決定。1964年に用地買収が開始され、1967年の9月に1号基の建設開始、1971年の3月より営業運転を開始した。しかしながら、原発招致の際には、甘い餌をばらまき、二重三重の安全策が施されてあると「万全の安全体制」を強調しておきながら、ひと度、政府曰く「想定外の震災」が起こればこのザマで、「周章狼狽」の如くなすすべもない醜態を曝している。2ヶ月経った今でも現状把握がままならず、「メルトダウン」の定義を巡って「朝令暮改」の如く発言が二転三転する東京電力は、「権謀術数」を巡らしているように思われても仕方あるまい。結局は地震発生から72時間以内に水蒸気爆発を起こした全基(1~3号機)すべてで炉心溶融していたことを正式に認めた。しかも3月15日には、原子炉建屋の屋根が原型を留めないほど、跡形もなく木っ端微塵に吹き飛ぶほどの大規模爆発を起こし、原子炉格納容器に10センチの穴が開き、燃料棒が溶けて高レベル放射性物質が大量に漏れ出ていたことが判明した。日本の原子力に関する安全性がなおざりにされていたことを窺い知れるし、それを早期の段階から把握できなかった政府の見通しと東電の事故への認識の甘さ、それに対応の無策さがこれほど事態を悪化させ、なおかつ長期化している要因でもあろう。国益を優先するあまり人命を蔑ろにするような国策など非人道的で何の意味があるのか。その積年の代償を今払わされているのだ。

 ここへ来て次々と明るみにされる事実。外国からの支援の申し出を早々に断り、自力での解決を模索し続けた真の理由は、日本の弱点を暴露することを回避するため、つまり「日本の原子炉において、致命的な事故が起きてしまったことを国際社会に対して事実を覆い隠すことに懸命だった」ことを暗に示唆しているにほかならない。勘繰れば、極東アジアに位置する虚構で固めたどこぞの亡国と同じく、「外国には見られたくない極秘事項があったか」とさえ疑われる。更には、「日本の高水準の原子力技術や世界一とさえ謳われた安全神話が地に落ちた」と評価を下げることになるため、どこまでも体面ばかりを優先する日本人気質の悪い面が露呈した結果とも言えよう。それにしても一定の時間をおいてから、ほとぼりが冷めた頃合いを見て発表するこの狡賢さは一体何なのか?東電は福島県民である私の立場からすれば、元より「隠蔽体質」の巣窟であり、もっとも許し難き朝敵にも匹敵する存在で、端から信用できない。一番可哀相なのは底辺の5万3千人もいる、原発とは相関の薄い一般社員だろうし、その事故現場で明日も見えない暗黒の中、防護服に身を包み、命懸けで放射線と最前線で対峙している、電力の知識など一切持ち合わせていない日雇いで集められた原発作業員達である。また、社員にしてみれば、「雪案蛍窓」の甲斐あって総資産額14兆円(凍結)を超え、誰もが憧れの超一流企業である「東京電力」に入社したまでは良かったが、よもやこのような「四面楚歌」の窮地に立たされることになろうとは誰一人として予想だにできなかったことだろう。今では堂々と名刺を差し出すのも憚れるような状況に追い込まれてしまっている。しかも追い打ちをかけるように、数千億円に上るとも言われている莫大な損害賠償を捻出するため、苦肉の策ながら経営規模縮小の方針を打ち出し、その補填のため、相当数の持株や資産の売却を断行するようである。更には、これまで会社の歯車となり、「精励恪勤」してきた社員のリストラまで強行するようである。また、寸暇を惜しんでの行方不明者の捜索や遺体の収容作業を行い、相当数の疲労とストレスが蓄積されている自衛隊員にまでそのツケが廻されているのも合点が行かない。国家公務員と合わせて一律10%給与削減が時限付きながら閣議決定した。これにより30万円の給与の隊員は、有無を言わさずひと月3万円も減俸を余儀なくされる。通常勤務の何倍もの過酷な状況で捜索活動に携わって、本来なら「特別超過勤務手当」を貰わないと割に合わない筈なのに、血も涙もない減給措置とは・・・。気の毒としか言いようがない。改めて「想定外」という言葉で片付けられてしまった今回の災害の代償はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。

Genpatu2 Genpatsu

Genpatsu3 Touden1

 また、此度の一連の震災に関する政府対応を見ていると、先進国の一角を担っている日本という国家は、危機管理がおしなべて甘く、重大な非常事態に直面した時、こんなにも脆かったのかと大いなる疑念を抱かざるを得ない事象が相次いで起きている。政府は東京電力だけに責任の一切合切を擦り付けて見殺しにして潰すわけには行かない。電力供給が滞ると我々庶民の生活が麻痺してしまうだけでなく、日本経済や産業自体がブラックアウトしてしまう。普通の民間企業なら「破産宣告」に見舞われた場合、倒産後に管財人が財産を差し止めするが、東電の場合、電気自体、扱いを誤れば死をもたらす目に見えぬ厄介な代物だけに、日本航空の赤字処理の際と同様、見殺しにして潰すような訳には到底出来ないのだ。元々原子力エネルギー政策は、国の方策(つまりは国策)として推進してきた経緯がある。そのための法整備もまた国が推し進めてきた。そうした意図で行われてきた以上、責任の所在は一蓮托生である。国が本来あるべきは「経世済民」でなければならない。それをこの期に及んで大局を見失い、重箱の隅を突くかのように批判が渦巻く政界。政府内の一大臣や東電の発表を巡り、「言った言わない」で一悶着。こんなどうでもいい下卑な罵りあいの泥仕合は国益に何のメリットがYokokumeあろう。従前からそうであったように、「綸言如汗」とも言うべき政府高官の迂闊な一言は、身を滅ぼしかねないが、今はそのような些細ないざこざで、責任を追及したり、論破して失脚させようなどと画策している状況ではな い筈だ。一昨日、政権与党である民主党内で党分裂の危機を思わせるような若手議員の離党表明がクローズアップされた。この事態の収拾と収束に党執行部が丸一日も振り回された。離党を表明した横粂衆議院議員の決意は相当固い。ただでさえ小沢問題や、震災と原発の政府の対応を巡って党内から批判が続出して、党の協力体制が希薄であり、いかにも諸刃の剣で一枚岩ではないことが露呈されていた。まさに国家の中枢を担い、国民の代表者としてその執務を代行する国会議員が四分五裂といった危機に瀕している中、どうしても憂いに近い感覚で受け止めざるを得ない。そんなお家の窮地に直面しているのに、当の民主党は犬猿の仲だった本県選出の長老・渡部恒三議員と小沢一郎議員が袂を分けあっていた実態を暴露。政治家ともあろう者が「私はシカトしていたのですが」などと平然と宣い、自ら「人面獣心」の本懐を吐露していた。政界一の実力者と言われる大物がこうした発言に終始する日本の政治体質も論外である。そして首尾よくいやが応にも「挙党一致」の雰囲気を偽装アピールしていた。この国家の一大事に政権を担当する民主党内での内紛(内ゲバ)暴露はデメリットしかもたらさないだろう。「一体今まで政治家同士、何をやってたんだ!」と国民からは非難の集中砲火を浴びるのは必然だろう。同じ党内にもかかわらず、気の合う仲間が集う派閥や仲よしこよしのグループがあちらこちらに存在し、抵抗勢力まであるようではお先真っ暗。「青眼白眼」が政界(永田町)の論理らしい。事ここに及んで、「肝胆相照」を悟ったのか、はたまた「同病相憐」の心境だったのか、そこには小沢グループに距離を置いていたはずの前原誠司氏も会合に出席。しかし、何か不自然で、無理な演出で民主党の健在ぶりを内外に示す試みを画策したとしか映らなかった。ここまでやらないと分裂の危機を回避できない与党に成り下がってしまったのか。横粂議員ならずともこのような政党には愛想を尽かし、離脱したくなるのも無理からぬことと理解できよう。

 一方、対抗勢力の旗手として政権与党の座を虎視眈々と狙うべき筈の自民党も、何故か政府の後手後手の復興対策には努めて寛大であり、追及の手を緩め、模様眺めや高見の見物を決め込む傾向がありありである。通常ならこれほどの国民の不信を買い、打算的な見通ししか示せない政府に対し、内閣不信任案の最終カードを切るのが順当なのだろうが、そうしたカード自体も切れないで躊躇している様子が見て取れる。何故か?今、最終手段であるそれを駆使し、国会に提出すれば、民主党内にも、執行部の顛末振りに業を煮やした造反議員が多数出て、ひょっとすると可決するかも知れない。そうなれば、内閣総辞職するか下手すると破れかぶれ解散に踏み切って、国民に真意を問う事態になる可能性は無きにしも非ず。さすれば、逆に自民党を始めとする野党にとってもこれは青天の霹靂で、選挙の準備が追いつかないし、政局がらみで復興支援が更に頓挫する懸念も憂慮される。もちろんそうなれば、被災者を始めとする国民から痛烈な批判を浴びることは必至だろう。国の一大事に政治家は「何を流ちょうなことをやってるのだ」と。そのことを谷垣氏は誰よりも察知しているからこそ何も有効な手を打てないのだ。万が一、再び政権交代のうねりを起こせば、菅政権の復興支援や原発処理問題に関わる失態のツケをすべて背負わされることになるのは火を見るより明らか。そんな危険な橋を渡れるわけがない。本当に政権を奪取せんとする気構えがあるなら、両院議員総会を開催し、党が結束して政府の責任追及なり、最終カードを切るべきなのだ。その覚悟すら谷垣総裁にはない。だから今は、遠巻きに旗色を伺い、立つべき時勢を見極めている段階であることから、「狐疑逡巡」でお手並み拝見を決め込むしかないのが実状なのだ。

Kan Tanigaki

 また、菅直人首相が苦し紛れの策として模索した「大連立」構想も挫折を見た。呉越同舟的な発想は、所詮、「羅針盤を持たない泥の船」と一緒で、船頭だけ多くて山に登るようなものだ。短絡的な発想で危機を乗り切ろうと一国の主が思いついたのも末恐ろしいものがあるが、結局は「会従連衡」にしてその場しのぎの夢は潰えたのは公然の事実。結局のところ、「犬馬之労」は絵空事でしかない。長期的な見通しがなく「規矩準縄」もないまま「当意即妙」の打開策しか示せない状況で、「多士済々」と思しき政治家達が雁首を揃えたところで、有効な手立てを講じられない。そういう自分の面子ばかりを優先し、危急存亡の危機に何一つ有効な手立てを講じられない無能な政治家達は、単なる税金泥棒と一緒だ。国家としての毅然たる姿勢や方針がなければ国民はうらぶれた卑屈な感情さえ抱いてしまう。各政党もまた然り。「党利党略」ばかりが優先されて、自己の都合や利益だけを欲し、政権獲得を旗印に国家存亡の事態にさえもそればかりを追求し、与党の揚げ足を取ることしかできぬ日本の政党政治の実態。かの聖徳太子が諭した「和を以て貴と成す」という言葉は現世の日本の民主政治にはおよそ無縁のようだ。

Sugimura  かくなる上は根本的な政治システムの再構築が求められる。かつて当ブログに於いて、私が提唱したように、諸葛孔明の掲げた「天下三分の計」の構築が政治社会にも求められる時期に来ているのだ。つまり政党を3つに分け、「55年体制」の反省に立って、このような忌々しき事態に陥り、政権不安定になった際には、いつ如何なる場面でも政権委譲が簡素に行われるようなシステムに再編することが重要なのだ。10人未満の少数政党で一体何が出来よう。社民党や国民新党などのように、自らの政治信念を捻じ曲げてもどこかと連立を組み、結局は与党の座に収まることしかできなくなるのだ。結党時の主義主張は一体どこに消え去るのか。だから今こそ、政党政治の在り方を根本から見直す必要があるのだ。しかるに、以前に私が提唱したように再編するしかないのだ。つまり、民主・国民新党などで一党、自民・公明・社民などで一党、そして革新勢力として共産党を中心とする一党で構成する。無所属や少数野党は金輪際廃止する。方向性が異なる政党同士が、つかず離れずで轡を並べての「呉越同舟」的な連立政権は土台無理な話。必ずどこかで不協和音が出て、軋みが生じるのは必然。選挙制度もガラリ変える必要がある。政治家たるもの、身を粉にして国民のために働き、一命を投げ打って職責を全うするだけの覚悟を持って貰いたい。そういう確固たる信念の持ち主に立候補してほしい。言っちゃ悪いが、小泉チルドレンとして、独特なパフォーマンスを駆使して、たいした実力もないのに、物珍しさから周囲にチヤホヤされて、タナボタ状態で代議士になったものの、落選以降はへらへらとバラエティ番組に登場し、顔を売るだけで信念も何も持たない「杉村太蔵」なんかに政治を託した私達も愚かだった。タレントは出来ても彼に「政治のいろは」を語らせたのがそもそもの間違いだったのだ。元政治家ぶっているのなら一刻も早く被災地を訪れ被災者たちが「今何を考え、国に何を要望したいのかを聞いて来い!」と言いたい。今の政治家は、選挙では「金科玉条」、「美辞麗句」を並べ立て、「巧言令色」で「青雲之志」だけは一丁前だが、いつしか大志をなおざりにし、特定の所属政党の中で「主義主張」は影を潜め、角は削ぎ落ち、「井の中の蛙」で縮こまってしまう。「志操堅固」の者でさえ、気づけば朱に染まり、「臥龍鳳雛」を期待できず、「画竜点睛」を欠くしか道はない現行政治体制自体に問題があるのだ。

 では、結びに政治に期待できない中、「私達民間レベルで活動して、社会全体の大勢を変える新たな潮流を生み出すことも可能なのではないか」という結論に至る。もちろん外国の様に、クーデターを巻き起こそうという気はさらさらない。民主国家にはそれ相応の対応の仕方があるだろう。それには法律遵守の観点からも、一定の手順や段階を経なければならないし、相応の成果を上げるまでには相当な時間と手間がかかるだろう。しかし、現状に満足していては改革などあり得ない。TBSの「サンデーモーニング」の「風をよむ」のコーナーを見ていると、考えさせられることが多々あるが、総じて言えることは、私達は決して政治に無関心であってはならない。国や政治家が独断専行で決めた庶民の生活苦に拍車を掛けるような増税案を鵜呑みにして何の違和感も持たずに受け入れる、単なる言いなり状態では何の進展も得られないからだ。「YESかNOか」の態度を明確にし、今、何が必要で何を成すべきかを徹底討論して、ひとりひとりが意見や考えをしっかりと保持し、堂々と主張することこそがこの非常事態を乗り切る知恵を生み出すのだと信じている。「事なかれ主義」や「時代の傍観者」であってはならないのだ。だから反論を受けようが、私自身も慣れない稚拙な文章ながらこうして正々堂々と持論を捲し立てているのである。

  今回の記事では、政府批判や個人名を出しての評論も行ったが、あなた自身はこの意見をどう見るだろう。事ここに至ってもなお、単に「何も出来なくせに夜郎自大の外野が偉そうなことをほざくな」としか思わないだろうか?されど「横行闊歩」や「暴虎馮河」と蔑むなかれ。私は生粋の福島県民なので、これだけの意見を述べる権利を有していると思っている。しかも私の祖父が会津人の血を引く生真面目な性格で、私利私欲に一切走らず、一生を慈善活動に身を捧げた地方政治家だったこともあり、国民の代弁者として国政に赴きながら、その地位を有り難がってろくな政策も断行できず、適当に誤魔化す輩は断じて見逃しておけないのだ。同じ民族として、何か相通じるものがあったら、考えを聞かせて欲しいと思う。それが「気息奄々」に瀕している日本を救う第一歩になると信じて。一見、私が軽々しく日本政府を容易に批判しているように聞こえるかも知れないが、10年後、20年後の日本のあるべき姿を憂慮してのことであると察してほしいものだ。

 最後に、「大言壮語」かもしれないが、声を大にして言いたい。「これ以上、日本丸を羅針盤を持たないまま大海原を彷徨させてはならない」と・・・。

 記事作成:5月25日(水)

2011年5月 7日 (土)

自己主張ベタな日本民族

 私は仕事柄、ビジネスで外国人と接する機会も多い。名刺交換や印鑑などは日本独特のもので、日本人ほど挨拶や礼儀作法に五月蝿く、それを熟知し、長けた民族はいない。日本人は実にサービス精神旺盛で、相手を敬い、相手の意向や意見を尊重する一方で、自己主張が控え目で自分を蔑んで過少に扱う傾向がある。元々日本には「沈黙は金」という風習があり、従順で個性がないのはそうした気質の顕れ。それこそ「出る杭は打たれる」のが集団社会の掟のようなところがあった。日本人は自分を変にへりくだって表現したり、例えおおっぴらに自慢するような事があったとしても、欧米人に比べればさほど誇張せず、どちらかと言えば謙遜する行為こそ美徳とされてきた。逆にそれは、自分だけのことに留まらず、同じ日本人と接する際にもこのような性質を相手に求めていたりする。例えば、場を取り繕うとしたり、その場の空気を読む(KYなる言葉が存在することが証明になるだろう)ことを求めたり、本音を遠回りして伝える、つまり本音を間接的に、暗示や示唆という手法を用いて伝えようとする。だから、日本人は絶えず、相手の表情を探り、本心の裏読みが要求されたり、精神を研ぎ澄ましていないといけない人種かもしれない。故に、日本人ほど表の顔(建前)と内心(本音)が必ずしも一致していない民族はおらず、こうした性質は、国際社会ではマイナスの方が多い。自分を売り込むのが下手で、ストレートな表現や自己主張が不得手な分、相手から見れば、不信感を持つ原因とも成り得るのだ。

 毎度のことながら前置きが長くなったが、今回は日本人の気質を語る上で、密接に結びついている日本語(日本人が好んで使う謙遜な言葉)との関係から「なぜ日本人は自己主張が下手なのか」を探ってみたい。

 1.純日本風(和風)

 日本庭園は樹木の配置、石組み、飛び石、敷き砂利の工夫、砂の造形美、塀とのコントラスト、そして遠近法や借景、黄金比なる手法まで用いる。もちろん素材にとことんこだわる美的センスも一流である。とりわけ日本家屋は、ケバケバしさがなく、瓦屋根や木の家が多い。木は水分を上手に吸収し、杭や釘を一切用いない木組みの工法も自由自在。健康にやさしい漆喰やカビの発生を防ぐ檜の風呂、日向ぼっこのできる縁側、掛け軸や骨董品を飾れる床の間、畳の藺草の香りに落ち着く佇まい、雪見窓まで備えている。そこには古よりの生活の知恵が詰め込まれた、いわば集大成である。純和風、そこには何か日本人の性質を如実に表すに余りある奥ゆかしさの宝庫である。これは後に説明する侘び寂びとも重なる発想である。 

 2.「愚妻ですが・・・」

 これは外国人女性が聞いたら信じられない表現である。自分の夫が、第三者に対して自分のことを紹介する際に、「愚かな妻ですが・・・」という表現はあり得ない。自分の存在価値を真っ向否定するような表現は、アメリカ人女性ならずとも、女性なら聞き捨てられない、怒り心頭の発言ということになる。もしも、こんなことを我が夫が口にしよう物なら、即夫婦げんかの引き金になることはもちろん、ひょっとすると離婚問題に発展しかねない許し難い言動ということになる。日本人夫は、自分の妻を人前で褒めることに昔から慣れていない。というか、そういう風習がなかったと言った方が正しいかも知れない。江戸時代の武家社会に代表されるような「男尊女卑」の社会体制の名残なのだろうか?女性は三歩下がって男性の影を踏まないように歩いたという俗説もあるし、主人という言葉あるのも不自然だが、一家の大黒柱の帰りを玄関先で三つ指ついて待っていたという話もよく聞く。したがって、どんなに出来た嫁であっても、相手に対して一歩引いた発言が美徳とされる風潮があったとみるのが通説のようだ。当時の女性は、けっして出しゃばらず、慎ましやかで、肝心な所はしっかり押さえている、そんな女性が最高とされた時代だ。現代社会とは何という違いか?亭主関白は滅法減り、かかぁ天下がやたら多いこと。世の男性諸氏、大丈夫ですか?尻に敷かれていませんか?

 3.「つまらないものですが・・・」「お口汚しですが・・・」

 これも愚の骨頂のような発言。外国人が聞いたら腰を抜かす。相手のお宅を訪問する際などに、日本に限らず外国でもお土産やご進物を差し上げる習慣は万国共通のようだ。しかし、問題は相手方に贈り物を渡す時に用いる言葉である。日本人がよく用いる謙遜語が「つまらないものですが・・・」とか「お口汚しですが・・・」などという社交辞令的な言葉である。これほど相手(特に外国人)にとって失礼千万な言葉はないのだ。貰う身にとっては、「つまらない物を人にあげるとはどういうつもりなのか?」となるのは必定。そんなことを前もって言われたら、たとえ最高の物を頂いても価値が下がってしまうように受け取られてしまうのだ。これも自己主張が下手な原因になっている。

 4.侘びと寂び

 日本の美意識の1つ。一般的に、質素で静かなものを指す。本来侘(わび)と寂(さび)は別の概念であるが、現代ではひとまとめにされて語られることが多い。

 侘に関する記述は古く、万葉集の時代からあると言われているが、「侘」を美意識を表す概念として名詞形で用いる例は、江戸時代の茶書『南方録』まで下り、これ以前では「麁相」(そそう)という表現が近いが、千利休などは「麁相」であることを嫌っていたから必ずしも同義とは言い難い。「上をそそうに、下を律儀に(表面は粗相であっても内面は丁寧に)」(山上宗二記)。強いて言えば「priceは高くないが、qualityは高い」という概念になろうか。茶の湯では「侘」の中に単に粗末であるというだけでなく質的に(美的に)優れたものであることを求めるようになったのである。この時代、「侘び」の語は「侘び数寄」という熟語として現れる。これは「侘び茶」の意ではない。侘び茶人、つまり「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者」(宗二記)のことを指していた。「貧乏茶人」のことである。後の千宗旦の頃になると「侘」の一字で無一物の茶人を言い表すようになる。ここで宗二記の「侘び」についての評価を引用しておこう。「宗易愚拙ニ密伝‥、コヒタ、タケタ、侘タ、愁タ、トウケタ、花ヤカニ、物知、作者、花車ニ、ツヨク、右十ヶ条ノ内、能意得タル仁ヲ上手ト云、但口五ヶ条ハ悪シ業初心ト如何」とあるから「侘タ」は、数ある茶の湯のキーワードの一つに過ぎなかったし、初心者が目指すべき境地ではなく一通り茶を習い身に着けて初めて目指しうる境地とされていた。この時期、侘びは茶の湯の代名詞としてまだ認知されていない。ただし宗二は「侘び数寄」を評価しているから、侘び茶人が茶に親しむ境地も評価され、やがて茶の湯の精神を支える支柱として「侘び」は静かに醸成されていったのである。

 一方の寂びは、本来は良い概念ではなかったが、『徒然草』などには古くなった冊子を味わい深いと見る記述があり、この頃には古びた様子に美を見出す意識が生まれていたことが確認される。室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆく。さらに松尾芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、松尾本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされる。俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことで、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだという。具体的な例で挙げられるのは、コケの生えた石がある。誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てたとされている。

 いずれも質素であることが第一条件で、日本人の美意識にはもっとの最優先される項目であることから、物事の真髄を見出す基本概念として用いられる。このあたりに日本人の本質を垣間見ることができるかもしれない。

 5.小生

 「小生」は自分をへりくだって言う時に使う言葉で、手紙文などで用いられる。しかし、この言葉は自分を相手より下に置く言葉だが、実際は同輩か目下の者に対して使うのが通例であるので、間違っても目上の方や上司、先輩に対して使ってはいけない。これと似たような表現で、漢文にも寡人という言葉が登場する。これは自分自身を謙遜して呼ぶ言い方で、もともとは徳の少ない人の意味である。中国でも古来にはこのような表現があったようだ。自分を小さく見せたり、脇役に徹する感じで相手を立てる。やはり日本はA型民族だ。

 6.弊社

 これも日本人特有の自分の側をへりくだって言う時に用いる表現。日本ではお得意様など相手方を御社と呼び、一方自社のことを弊社という呼び方をする。これは「自分の会社よりあなたの会社の方が上ですよ」という細かい心遣いが含まれている。取引を行う際、相手に不快な思いはさせず、あくまで相手を立てた表現を用いる。弊とは弊害などあまり良い意味の言葉ではない。辞書で調べてみると、一般的に顧客や取引先に対しては、弊社、社員やグループ企業については当社などと使い分けるようである。

 7.日本特有のビジネスマナー

 よく返信などの封書に書かれている宛名書きで、「~行」と書かれた箇所をご丁寧にも二重線で消し、「様」や「御中」と記入する。何か常識力を試されており、それをしないで返送すると、非常識のレッテルを張られるような感覚がある。これと似ているのが、結婚式や同窓会、会議などの招待状の返送はがきの書き方。ご芳名、ご出席などの正しい書き方、迂闊に知らないまま出すと、思わぬ恥をかく必要がある。

 他にもタクシー内や飲み会での席次、敬語の使い方、名刺交換の手順、身だしなみ、電話対応、お茶の出し方、接客の心得、アポの取り方、宛名の書き方、挨拶状の出し方、外部への文書の書き方、お辞儀の仕方、訪問時のマナー、コートを脱ぐタイミング、先輩や上司との付き合い方、特に注意が必要なのが冠婚葬祭の立ち居振る舞いである。宗教によって作法及び礼法が異なる。くれぐれも失礼にならぬよう気を遣うのが日本人であろう。最近では常識検定やビジネスマナー検定なるものも登場し、ビジネスマンをサポートしている。

 8.時候の挨拶

 これも心得ていないと思わぬ恥をかく。書面にて文書を発送する場合、文頭に必ず記載するのがこの時候の挨拶である。これも季節によって、文言が大幅に変わる。ややこしいのは昔の暦(旧暦)に合わせて作られており、必ずしも現在の時候と一致しない点である。ひょっとすると2か月程度もズレているように思う。初春の候とはいえ、これはいつまで使って良い文言なのか、季節と合わない時候を用いても気分が出ないだろう。やはりここは社会人としての常識力を高める意味でも勉強が必要だろう。また、よくわからないで使っている人が多いが、「ますますご健勝のことと存じます」と「ますますご清栄のことと存じます」というのがよく使われるが、この意味の違いを認識しないで使っている方が多いことに驚く。「Yahoo!知恵袋」によれば、どちらも先方の健康の安否を問う挨拶言葉で、ほぼ等しい意味合いですのでどちらを使っても構わないが、『ご清栄』には繁栄のの安否を問う意味が入って来るので、会社宛ての文面ではこちらを使うのが主流らしい。逆にリタイヤした方に『ご清栄』はちょっと違う感じ。個人宛には『ご健勝』、会社宛には『ご清栄』が無難ではないでしょうか、という回答だった。なるほどである。ちょっとしたことだが、その人の人間力に関わることである。

 9.ご祝儀の額と贈り物のマナー

 社会人ともなれば、冠婚葬祭に関して、いわゆる交際費が思いのほか嵩むことに気づくことだろう。友人が多ければ多いほど、身銭を切る部分は多い。結婚式のご祝儀は、友人であれば3万円が相場。これが兄弟や親類、会社関係の部下ではもっと跳ね上がる。包む側も年齢に応じてその額も異なるのだ。門出を祝う筈が、かなりの出費を頭に入れる必要がある。

 一方葬式では、通常は5千円だが、これも故人との関係が近ければ包む額は当然高くなる。法事にかかる費用も馬鹿には出来ない。また、よくわからないのが冠費用である。つまり出産祝い、節句や七五三のお祝い、卒業・入学祝、お年玉、更には新築祝いやら今回の震災などでのお見舞いなどを含めると大変な出費だろう。人間関係は大変だ。また、お悔やみ(香典)の熨し袋でも、表書きは「ご霊前」と「ご仏前」と2種類あり、どっちがどうだかわかるだろうか?何でもよい訳ではない。

 ところで、私は既婚者だが、経験から談話として言えば、新生活を始めるにも何かとモノ入りである。まず私の場合を例にとれば、まず結納に結婚式場を借りて、両家のお食事会を段取った。これで10万円。そして結納金として私は家内の実家に100万円渡した。そして婚約指輪を購入。確か50万円程度だった。ダイヤモンドの指輪だったが、これもカラットやカットの仕方、ブリリアント(輝度)などピンキリ。大きいから高いという訳ではない。当時は円高で、100万円の物が50万程度で売りに出されていた。そして挙式・披露宴にかかる費用。これは私はタキシード、家内には白無垢、白いウエディングドレス、お色直しでブルーのドレスまで着させた。衣装代は何と3着で60万円以上。これって買う訳ではない。2時間そこそこの披露宴で着るために借りるだけでこの値段。信じられない。その他、ウエディングケーキ入刀やキャンドルサービス、司会料、お客様へのお料理、引き出物など合わせて、120名程度の招待客だったが、総額800万円以上の金がかかった。もちろん半分は招待客がご祝儀として包んでくれる訳だが、これは貯蓄がないとまともに式を挙げることもままならない。更には新婚旅行の費用。ハネムーンとして相場はハワイ7日間。これで2人分で約50万円程度。そして、その後、新生活を営むためには新居を構える費用がかかる。平均的に2DKであれば家賃6万円が相場で、そうしたアパートやマンションに住む場合、敷金・礼金・前家賃1か月分、更には不動産への仲介手数料1カ月分を合わせると、入居費用が約36万円かかる、更に新居への引っ越し費用10万円程度、家財道具(タンス・布団などの家具や電化製品)を買い揃えるのにも30万円以上はかかる。ということはまともに新婚生活を送るには1千万円以上の金が動くことになるのだ。お金をかければ幸せが自動的に得られる訳ではないが、これくらいの覚悟はしておいた方が良い。結婚してまで親に面倒を見て貰うのでは前途多難で先が思いやられる。

10.尊敬語と謙譲語の使い分け

 基本的に尊敬語とは、相手または相手に関係のある人や持ち物、状態、動作を敬って使う言葉で、謙譲語は自分または自分に関係のある人や持ち物、状態、動作をへりくだって使う言葉である。またややこしいのはプラス丁寧語というのがあり、これは尊敬の気持ちを込めて言葉自体を美しく言う際に用いる。
 尊敬語の用例としては「~されましたか」や接頭辞として「御(ご)」や「お」などを付ける。「ご意見」「ご存知」など。また「様」などを接尾辞として用いる。また、「~なさる」や「~くださる」という表現も使う。「ご検討下さる」などがそうだ。また、一般的によく使われる尊敬語には、「おっしゃる」「いらっしゃる」「ご覧になる」「お客様」などがこれに当たる。

 謙譲語の用例では、自らを中心にして発する言葉であり、「ご案内する」「お待ちいただく」というように「~していただく」や「させていただく」という語が代表格。「見せて頂いてもよろしいでしょうか」など。一般的な用例としては、「拝見いたします」「すぐに参ります」「わたくし(ども)」「父」「母」など。社内では電話の応対で「部長の佐藤でございますね」という言い方もこれに当たる。私もよく得意先で耳にするのが「あいにく担当の高橋は、本日休みを頂いておりますが」とか「外に出ておりますが」などである。

 そしてプラス1の「丁寧語」まで来ると混同すること然り。これは語尾に「です」「まず」「ございます」を付け、読んで字の如く「丁寧」な表現と区別されたしである、「頑張ります」とか「○○でございます」など。また尊敬語と同様、接頭辞に「お」や「ご」を用いることも多い。「良いお天気ですね」など。

 では最後に尊敬語と謙譲語の言い換えを列挙したい。

             尊敬語            謙譲語

言う・話す  おっしゃる・お話し下さる    申す 申し上げる
行く      いらっしゃる・おいでになる   参る うかがう 
来る     おこしになる・おみえになる   参る うかがう
見る     ご覧になる            拝見する
食べる    召しあがる            いただく

 「美辞麗句」という言葉があるように日本人ほど言葉を巧みに使いこなす民族はいないだろう。日本人は卓越した頭脳の持ち主だ。以前、当ブログで取り上げたように、日本人ほど繊細で賢い種族はない。ひらがな・カタカナ・漢字を使いこなし、外来語も取り入れて使用する。また、「四字熟語」や「格言」、「ことわざ」なども言葉に織り込む。また外国人が日本語を習得する際に、もっとも難解で戸惑うのが、物の数え方。対象物によって使い分けなければならない。車は1台、本は冊、鉛筆は本、消しゴムは1個、鳥は1羽、動物は匹や頭、建物は1戸、紙は1枚、豆腐は1丁、ぶどうは1粒や1房と数える。実にややこしく、頭がパニックになる。極めつけは「本」という数え方も複数で読み方が異なる。「1本(いっぽん」、「2本(にほん)」、「3本(さんぼん)」と変わって行く。信じられない。数字もまた妙。「ひとつふたつ」や「いちにさん」、さらには「ひーふーみーよー」なる原始的な数え方まで存在する。これほど多種多様にある日本語、50音を正しく使いこなせる日本人は世界一賢いと言わざるを得ない。用いる言葉の節々にその方の知性を感じ、その方の教養や品格を表すと言っても過言ではない。稚拙な言葉や流行語、短縮言葉などいわゆる俗語もあるが、正しい日本語を使っている若者は少なくなっているように思う。私自身、正しい日本語を伝承しなければならないという危機感を常に抱いている。

 さて、さまざまな角度から「日本人の自己主張ベタ」という観点を分析・考察して来たが、どのように感じとってくれただろう。もちろん、日本人が全員、自己主張が下手という訳ではなく、平均的な日本人の傾向を話したまでだ。もちろん性格が千差万別であるように、外国との取引や商談で成功している方は大勢いる。私達の40代以上の年代だと、外国人に対して媚びへつらう部分があって、これは戦争で負けたという卑屈な過去の体験が残像としてあるからではないだろうか。そして、スパルタ式で詰め込み教育や学歴偏重社会を過ごして来た世代にあっては、まんざら自分の意見を堂々と口にすることもおこがましい時代。目上の人へのご意見などもってのほかだった。だから50代以上の方は特に、「イエスマン」だった方も多いのではないだろうか?その反動が「学生運動」だったのかもしれない。そして、昭和40年代頃は、個性も何も認められない時代。皆、「右習え」の横並び世代だった。誰かが突拍子もない、あるいは途方もないことを口走ろうものなら、周囲が寄ってたかって諌め、考えを正そうとした。だから個性など育たないし、自分の意見を持つことなどあり得ない時代だった。

 一方、国際化の教育を受け、外国人が別段珍しくない現代社会を生きている若者世代は、外国人に対する偏見や特別な感情を持たない。対等な立場で接することが可能だ。日本人の自己主張下手は、元をただせば、江戸時代の長年の鎖国政策を取り、外国との交易や交流を拒んで来た末の末路だったように思える。極東アジアのの隣国のように、殻の中に閉じこもり、井の中の蛙状態であったがために、あまりにも閉鎖的な発想に凝り固まり、外国に対して自己主張する機会を奪われていたのだ。島国日本は、ペリー来航によって開港するまでは、あまり外国の文化や外来語(英語やオランダ語など)を耳にする機会などなかったのだ。南蛮渡来や舶来の物を受けつけて来なかった結果だろう。実際、学校教育の場において、中高と6年間英語を学んでも、文法力は身についても会話力や実践的な英語力は身につかないのが実情だ。第一、サミットで東大出の日本の首相が通訳を介さないとろくに会話が出来ないようでは話にならないし、恥ずかしい。コミュニケーションの基本は言葉である。国際社会で堂々と自分の意見や考えを述べるためには、是が非でも公用語化している英語の習得は不可欠であろう。グローバリズムの概念が一般化して久しいが、今後は自己主張や世界に向けて発信できる人間を育てていく必要がある。それには何より外国語を寄り身近に感じる環境作りと実践できる力の育成が何より必要であろう。

 記事作成:5月3日(火)

 

2011年3月 2日 (水)

日経発!人気企業ランキング2011

 日経は、経済状況の把握や株価の動向はもちろんだが、世の中の仕組みを知る上で、様々な統計資料を私達庶民に提供してくれる。とりわけ、バブル崩壊以降、雇用状況は20年来冷え切った状況下にある。そして今年度は、新卒大学生の全国の就職内定率が60%台に沈んでいる。これは一説によると、首都圏を中心とした有名私大(早稲田上智慶應、東京理科、MARCHクラスや成城成蹊、神武国明、日東駒専、大東亜帝国など)や元から就職率の良い国公立大学をサンプリングとした調査結果から判明した数値であり、偏差値45を切るような底辺にある定員割れを起こしている大部分の大学では、40%台に留まっている例もあるようだ。では、40%もの学生の進路はどうなってしまうのだろうか?このうち約10%は、大学院などの上級学校へ進学し、2年後の景気回復に期待するという。これは学費だけでも大学4年分の50%分の出費を余儀なくされ、経済状況に喘ぐ一般家庭では、なかなか踏み切れない選択かもしれない。そして同じ約10%が、大学卒業後、資格取得を求めて、各種専門学校へ再入学するという。結果、24歳まで学生を続ける者が必然的に増えることになる。もちろん6年間の学費は大学院進学と同様に痛手であろう。この中には、公務員ビジネス系も多いが、最近富に男女を問わず、看護医療系の専門学校へ入学し直す大学生が急増中らしい。国際医療福祉大学の看護学部などは大人気で志願倍率が、前年と比較して1.5倍に膨れ上がり、超狭き門となっているようだし、関連の高等看護学校でも、軒並み高倍率で、中には子育てを終えた主婦の入学希望者が相当数増加しているという。そうなると、玉突き現象となって、中卒から入学が可能な准看護学校への門も狭くなるであろう。高等看護学校に入れなかった学生が、希望を下げて降りて来るからだ。高看の場合、最低3年間は学業に専念し、更には看護師の国家試験にパスしなければ、看護師にはなれない。その看護師の合格率も100%ではなく、例年88%程度だという。ここまで看護流行りの原因は、いったんなってしまえば、一生ものの資格であり、近年の医師不足、看護師不足の現状が拍車をかけていることはもちろん、男子学生の看護人気も背景にあるようだ。全学生のうちの2割近くは男子学生の志願者である。そして残りの20%のうち、5%は卒業に必要な単位を修得済みにもかかわらず、敢えて卒業せずに学生を継続して大学に留まる者、そして約15%は卒業しても無職、二ート、あるいはフリーターになるという。かなり厳しい状況が現実となっている。地方出身者が首都圏の私大に進学し、4年間の大学生活を過ごせば、学費と生活費で、文系学生の場合でも1千万円以上かかると言われている。医歯薬学系の場合だと3千万円を越える場合もなきにしもあらずだ。そこまでお金を使って就職できないとあらば、仕事は選べないが、高校卒業してすぐに就職したほうが得策かもしれない。あるいは猛勉強して公務員を目指すべきかもしれない。

 冒頭、今回のテーマと逆行するような文言を並べ立てたが、先日「日本経済新聞」が別冊刷りで発表した、「大学生の人気企業ランキング2011」を紹介したい。著作権の関係上、新聞紙上のように100位までは紹介できないので、項目別に上位30位までをピックアップし、簡単な私見を添えたいと思う。

 <総合ランキング30位> 今年の順位(昨年順位) 企業名の順で記載

 1 (1) 東京海上日動火災保険       16  (20) 電通
 2 (4) 日本生命               17  (6)  JTBグループ
 3 (2) 三菱東京UFJ銀行         18 (11) パナソニック
 4 (13) 三井住友海上火災保険      19 (19) サントリーホールディングス
 5 (3) 三井住友銀行            20 (22)  日本郵政グループ      
 6 (14) みずほフィナンシャルグループ   21 (-)  明治グループ
 7 (18) 第一生命保険             22 (51)  大日本印刷
 8 (15) ソニー                  23 (25) 丸紅
 9 (7) 三菱UFJ信託銀行         24 (16)  伊藤忠商事
10 (12) 東日本旅客鉄道           25 (10)  三井物産
11 (5) 全日本空輸             26 (21)  オリエンタルランド
12 (37) 損害保険ジャパン          27 (23)  住友商事
13 (-) 住友信託銀行             28 (31)  NTTドコモ
14 (8) 東海旅客鉄道            29 (40)  ロッテグループ
15 (9) 三菱商事               30 (32)  東芝

 1位の東京海上に日動火災保険は3年連続の首位で、学生に最も人気のある超エリート企業の座を今年も射止めた。上位30傑をざっと眺めただけでも傾向は一目瞭然。ベストテンに金融機関が8社ランクイン。これは経済不況や雇用危機の中、一生涯勤められる、堅実で安定志向の顕れであろう。30位までを見ても、いずれも一流の有名企業ばかり。以前と変化しているのは、一流商社が順位を軒並み下げている実情。三菱商事(9→15)、丸紅(23→25)、伊藤忠商事(16→24)、三井物産(10→25)、住友商事(23→27位)、双日に関しては70位である。これは、採用枠を海外の支店で現地採用や実用英語力に優れた外国人を増やすことにシフトしたため、狭き門になったのが要因かもしれない。また、同じ金融機関でも、証券会社は最近の学生には不人気傾向がありあり。大和証券Gが31位(前年24位)、野村證券が34位(前年30位)という具合だ。日経記事によれば、就職したい企業の志望理由では、「仕事が面白そうだ」が80%前後を占めトップ、次いで「規模が大きい」、「社風がよい」、「社会貢献」となっているが、総合ランキングトップ10の企業は、仕事が面白そうは少なく、「規模」や「一流」という杓子定規で選んだことが判明した。ここでは31位以下100位までは割愛させて頂いたが、いずれも日本の産業界、経済界をリードする、優良有名企業ばかりが名を連ねる結果となった。 

 <文系人気ランキング>

 1 (1) 東京海上日動火災保険      16  (20)  日本郵政グループ      
  2 (4) 日本生命               17 (16)  東日本旅客鉄道 
  3 (2) 三菱東京UFJ銀行         18 (19)  サントリーホールディングス
 4 (11) 三井住友海上火災保険      19 (12)  東海旅客鉄道 
  5 (3) 三井住友銀行            20  (13)  伊藤忠商事
  6 (10) みずほフィナンシャルグループ   21 (25)   丸紅
  7 (14) 第一生命保険             22  (47)  大日本印刷
 8 (7) 三菱UFJ信託銀行        23 (9) 三井物産   
  9 (35) 損害保険ジャパン         24 (22) 住友商事    
10 (-) 住友信託銀行               25  (23)  オリエンタルランド 
11 (6) 全日本空輸             26 (-)   明治グループ
12 (27) ソニー                           27 (17)  パナソニック
13 (5)JTBグループ                         28  (21)  大和証券グループ
14 (8) 三菱商事                  29  (38)  ロッテグループ
15  (18) 電通                                    30  (28)  博報堂

  文系はやはり女性が多いせいか、OLに人気の金融業界を始め、実務系への業種に集中している。特に面白いのはトップ10がすべて金融業界で占めている点だ。堅実な安定志向が浮き彫りとなっている。CMイメージなのか、損保ジャパンは昨年より大幅ジャンプアップしてのランクインだった。やはり転職を考えるのではなく、一生涯添い遂げるというかつての労働形態が復権しているように思えてならない。

 
 <理系人気ランキング>

 1 (2) ソニー                16  (24)  鹿島      
  2 (3) 東日本旅客鉄道         17  (15)  サントリーホールディングス 
  3 (1) パナソニック           17 (48)  三井住友海上火災保険  
 4 (7)  東京海上日動火災保険     17 (30)  シャープ  
  5 (4) 東海旅客鉄道          20  (72)  大林組
  6 (6)  東芝                 21 (8)   三菱重工業
  7 (9)  富士通                     22  (17)  キャノン
 8 (-) 明治グループ           22  (50) ロッテグループ   
  9 (14) NTTデータ            24 (26) 旭化成グループ    
10 (10) ホンダ                   24  (38)  電通 
10 (12) NTTドコモ              26 (66)  三井住友銀行
12 (36) 日本生命                     27 (18)  トヨタ自動車
13 (29) 三菱東京UFJ銀行                27   (66) 三菱UFJ信託銀行
14 (5) 全日本空輸              29  (22)  東京電力
15  (10) 日立製作所                          29 (44)  西日本旅客鉄道
                         29  (59) NEC 

 一方、理系は男子学生が多いせいか、生産製造系の技術職中心のランキングとなった。特に鉄道関係や大手電機メーカー、ゼネコンなど工業関連企業が圧倒的多数を占めた。商品開発や機械オペレーターなどの職種も人気集中傾向。トヨタ自動車が毎年、順位を下げているのが、自動車が振るわない現状に見事に合致している。  

  <男子学生人気ランキング>

 1 (1) 東京海上日動火災保険      16  (6)   三井物産       
  2 (5) 日本生命保険            17  (59)  損害保険ジャパン 
  3 (2) 三菱東京UFJ銀行        18 (13)  伊藤忠商事
  4 (14) 第一生命保険             19 (27)  NTTドコモ  
  5 (3) 三井住友銀行            20  (21)  東芝
  6  (9) ソニー                  21 (23)  丸紅
  7 (18)  三井住友海上火災保険       22  (14)  全日本空輸  
 8 (8) 東日本旅客鉄道           22  (32)  ホンダ    
  9 (12) みずほフィナンシャルグループ  24  (14) 住友商事    
10 (6) 東海旅客鉄道               25  (22)   サントリーホールディングス 
11 (4) 三菱商事                 26 (19)   野村證券
12 (11) 三菱UFJ信託銀行              27 (100)  大日本印刷
13 (10) パナソニック                28  (19)   大和証券グループ
14 (17) 電通                          29  (28)   富士通
15  (-)  住友信託銀行                         30  (38)  三井不動産

 最近の男子学生の傾向として、昔ながらの一流企業への固執が挙げられる。特に難関国公立(東大・一橋など)や超有名私大(早慶など)は、こぞって東証一部上場の有名会社への就職が目立つ。男子学生の特徴として、名の通った、いわゆるネームバリューの高い企業への憧憬がまず先立つようだ。

 <女子学生人気ランキング>

 1 (6) 日本生命保険             16  (13)  サントリーホールディングス        
  2 (1) 東京海上日動火災保険      17  (40)  ソニー 
  3 (3) 三菱東京UFJ銀行         18 (34)  ロッテグループ
  4 (10) 三井住友海上火災保険        19 (26)  電通  
  5 (15)みずほフィナンシャルグループ   20  (10)  資生堂
  6  (5) 三井住友銀行ソニー          21 (41) 大日本印刷
  7  (9) 三菱UFJ信託銀行            22  (22)  丸紅 
 8 (4) 全日本空輸               23  (23)  東日本旅客鉄道    
  9  (2) JTBグループ            24  (16) パナソニック    
10 (-)  明治グループ                25  (19)  伊藤忠商事   
11 (35) 損害保険ジャパン         26 (12)  ベネッセコーポレーション
12 (13) 日本郵政グループ                26  (31)  住友商事
13 (17) 第一生命保険             28  (28)  カゴメ
14  (-) 住友信託銀行               29  (19)  凸版印刷
15  (8)  オリエンタルランド                     29  (54)  Plan・Do・See

 男子に比べると女子の人気企業はわかりやすい。好き嫌いで物事を判断しやすい女性の特徴が仕事選びにも如実に反映されている。ネームバリューで選ぶ学生は少なく、実際に働く上で重要な職種で選択する傾向が強い。そして企業のイメージアップ戦略やキャリアアップにも有効な場面での活躍が見込まれる。具体的には企業のイメージアップに繋がるセクションでの起用だ。そして生命保険などのセールスレディなどは特権的な仕事が可能で、男性以上の働きが期待できる業種であろう。また。明確なのは女性特有の業種も多い。特に食品メーカー関係への興味が高いように思える。明治グループ、ロッテ、サントリー、カゴメ、更には化粧メーカーの資生堂や教育系のベネッセなど男子学生には見られない特徴が垣間見える。 

 他にも各業種別のリストが日経には掲載されていた。ぜひ2月21日付の朝刊をご覧いただきたい。総括すれば、人気の企業は自ずと平均給与が高く、休日も多い。そして資本金や年間の総売上高が高く、安定感は抜群である。これは「四季報」を眺めてみれば一目瞭然だ。以前、当ブログにおいて、平均給与比較の記事を掲載した際に、業種別に給与が高い順にランキングを発表したが、総合商社が断トツに高かった。このご時勢、やはり安定志向が何よりも優先される最重要事項になっている。再就職が厳しく、就職活動が上手く行かない学生にとって、参考になるかどうかは不明だが、これからの企業が求める人物像は、実践的な英語力があり、バイタリティ溢れる者ということが出来る。様々な経験を踏み、危機的状況にも動じない図太い神経を持ち、冷静で的確な判断が出来る人間を欲しがっている。早目に行動を起こすに越したことはないが、かといって大学3年時から就活に東奔西走しているようでは、本来身につけておくべき専門教養が疎かになる。私が思うに、一流企業ほど社内の公用語は英語になるだろう。留学生に雇用枠を奪われないよう、語学力に磨きをかけることが何より肝要である。生きた英語を使いこなせる実践力のある大学生になりたいものである。

 記事作成:2/25(金)

2010年12月20日 (月)

日経発!2010企業売上高ランキング

 今年もいよいよ押し迫り、カウントダウンが囁かれる本日12月20日、何気なしにブログネタを探して、あちこちネットサーフィンで探し回っていたところ、行き着くところはやはり経済情勢に特化してしまった。そして日経のネットマネー項目をクリックしたところ、今年の不景気にあって、上場企業の中でも売上高がトップ50にランキングされた超優良企業に関しての一覧が掲載されていた。日々売り買いが激しく行われ、乱高下が著しい株価にあって、株式市場を大きく左右する優良銘柄である企業には間違いないし、大口の投資家が競ってマネーゲームを演じている東証の中でも、順調に売り上げを堅持している会社ということが出来る。これは同時に各企業の経営指標を示す最重要資料にもなる。そこで今回は、その記事を元に、7年前(2003年度時点)の売上高ランキングと比較しながら、分析を行い、日本経済がどう変化し、どの企業が安定して業績を伸ばしているか、はたまたどの業種が落ち込みが激しいのかを考察して、現状認識に努めたいと考えている。

順位会社名売上高
(百万円)
業種2003年順位   
1 トヨタ     18,950,973   自動車    4位  
2 三菱商事 17,098,705 商社    3位
3 伊藤忠商事 10,306,799 商社    7位
4 NTT 10,181,376 通信  32位NTT東日本
5 三井物産 9,358,379 商社    2位
6 日立 8,968,546 電気機器   26位 
7 ホンダ 8,579,174 自動車   17位
8 丸紅 7,965,055 商社    9位 
9 住友商事 7,767,163 商社    6位
10 日産自動車 7,517,277 自動車

  14位   

11  パナソニック

7,417,980 電気機器   12位

12  ソニー 7,213,998 電気機器   20位
13  東芝 6,381,599 電気機器   19位
14  JT 6,134,695 食品      23位
15  セブン&アイ 5,111,297 小売業     ・・・・  
16  豊田通商 5,102,261 商社      30位
17  イオン 5,054,394 小売業     46位 
18  東京電力 5,016,257 電力      11位      
19  富士通 4,679,519 電気機器   21位
20  NTTドコモ 4,284,404

通信      24位

 まず、ベスト20位を見ると、相変わらず貿易関連の総合商社は強い。社員の給料も他とは比較にならないほど高い。この詳細については、現在も当ブログで人気ランキング1位の座に君臨している記事「日本人の平均年収と貯蓄額」を参考にして欲しい一流商社がいかに収益が大きいか理解できよう。やはり顔ぶれを見れば、毎年差異はない。商社以外では自動車関係や大手電気メーカーが日本経済を牽引している様子が見て取れる。テレビCMにしょっちゅう顔を出し、いかに大々的な宣伝で自社製品をPRすると共に、広告料を大盤振る舞いし、その下請け会社まで含めると、一本の巨木から数多く枝分かれして、下部組織まで甘い汁を吸っているかが窺い知れる。電気メーカーは、地デジ対応の液晶テレビやブルーレイ、3D技術を駆使したAV関連製品の売り上げがピークで、それをてこ入れした政府のエコポイント制度導入や自動車関連の補助金、エコカー減税などの政府支援策まで含めると、かなり景気の後押しを行ったと言える。しかし、それも今年いっぱい。来年は再び窮地に立たされる。以外なのは、税制優遇措置でてこ入れを行ったはずの大手ゼネコンなどの建設会社や戸建ての住宅関連メーカーの衰退ぶりは顕著であった。建築業界は以前お寒い状態のままである。地代が下がったとは言え、少子高齢化に加え、一戸建ての需要は下がり、逆に維持管理が比較的楽で、都心や中心市街地に澄むことが可能なマンションに人気が集中したようだ。

順位会社名  売上高
 (百万円)
業種   2003年順位
21 双日          3,844,418 商社      ・・・
22 NEC 3,583,148 電気機器   25位
23 新日鉄 3,487,714 鉄鋼業     42位
24 KDDI 3,442,146 通信      31位
25 三菱電機 3,353,298 電気機器   39位 
26 キヤノン 3,209,201 電気機器   36位
27 出光興産 3,112,305 石油      35位
28 デンソー 2,976,709 電気機器   47位
29 三菱重工 2,940,887 機械      40位    
30 JFE 2,844,356

鉄鋼業     ・・・

31 ソフトバンク 2,763,406 通信        ・・・
32 シャープ 2,755,948 電気機器    43位
33 コスモ石油 2,612,141 石油       48位     
34 関西電力 2,606,592 電力       28位    
35 ブリヂストン 2,597,002 ゴム        ・・・
36 JR東日本 2,573,723 鉄道・バス   41位
37 メディパル 2,546,029 商社       ・・・
38 三菱ケミHD 2,515,079 化学       ・・・
39 スズキ 2,469,063 自動車      ・・・
40 キリンHD 2,278,473 食品       ・・・

 この21位から40位までは傾向が顕著。電気通信関連会社と機械化学重工業関連企業が名を連ねる。新日鐵やJFE(川崎製鉄と日本鋼管の合併)はかつて日本の産業を支えた立役者である。もちろん、石油を用いて機械・化学・電機産業が発展することから一蓮托生の部分はありあり。面白いように関連して同程度の業績を上げている。そして41位以下の順位を見れば、よりハッキリする。

順位会社名売上高
(百万円)

業種    2003年順位

41 中部電力 2,238,551 電力       37位     
42 富士フイルム 2,181,693 化学       ・・・
43 マツダ 2,163,949 自動車     50位
44 東燃ゼネラル 2,111,753 石油       33位     
45 アルフレッサ 2,059,269 商社       ・・・
46 アイシン 2,054,474 自動車      ・・・
47 昭和シェル 2,022,520 石油       49位
48 リコー 2,016,337 電気機器    ・・・
49 ヤマダ電 2,016,140 小売業     ・・・
50 住友電工 1,836,352 非鉄金属製品・・・

 40位以下では製油関連業種が一時の原油高の苦境から抜け出した感がある。やはりそれに寄り添う形でガソリンを燃料とする自動車関係メーカーや電機関係が名を連ねている。全く持って面白いDATAである。そして驚きは、金融関係がベスト50の中に皆無だったという事実。銀行、保険業、そして証券会社までもがランキングから外れているのだ。ちなみに2003年度のDATAでは、第1位が日本郵政公社だった。これはお馴染み小泉郵政改革によって分割民営化され、ランキングから姿を消したのは衆知のところ。そして第5位が全国共済農業協同組合、いわゆるJA関連である。更に第8位に日本生命保険、第15位に第一生命保険、18位には世相を反映してJRAが入っていた。以下、22位が住友生命保険、27位が明治安田生命保険、45位に地方公務員共済組合連合会が入っていた。この奇想天外の衰退振りは、原因を探ればなるほどである。相次ぐ金融危機によるものであると容易に想像がつく。2008年9月に発生したリーマンショック、2009年11月のドバイショック、同じ時期から今年にかけて全世界に衝撃が走ったギリシャの財政危機など一連の世界的規模で起きた金融の危機によって、金融不安が一気に高まった。この10年間で銀行の吸収合併や経営統合が相次いで起きたことからも理解できるのではないか。そして日本でも日銀のゼロ金利政策で実感があるだろうが、銀行にお金を預けても利息は雀の涙程度も付かず、タンス預金が増えたことも一因である。

 総じて述べれば、ここ数年の傾向として外資系が強く、株式市場を牛耳っている感は否めない。株式を買い占め、経営権を奪取し、筆頭株主として影響力を行使する傾向が見えてきた。生き残りをかけて株式も食うか食われるか、会社も乗っ取るか乗っ取られるかの勝負となっている。では日本にある有名どころの外資系会社を列挙してみよう。

アクサホールディングス(アクサ生命)
アメリカンファミリー保険
アリコジャパン
EMIミュージックジャパン(旧東芝EMI)
AIGエジソン生命保険
エスエス製薬
キャタピラージャパン
コロンビアミュージックエンターテイメント
昭和シェル
三通
シンドラーエレベーター
住友スリーエム
西友
ソニーエリクソンモバイルコミュニケーションズ
中外製薬
東亜石油(東亜製薬)
東京コカコーラボトリング
東燃化学
東燃ゼネラル石油
日産自動車(日産車体)
日本ヒューレットパッカード(hp)
日本IBM
日本トイザらス
日本マクドナルドホールディングス
ノキアジャパン
ハーゲンダッツジャパン
プロクター&ギャンブルジャパン(P&G)
ベクタージャパン
ボシュロムジャパン
ポリスター
マイクロソフト
マカフィー
三菱ふそうトラック・バス
モルガンスタンレー
Yahoo! Japan
ユーエスジェイ(ユニバーサルジャパン)
ユニリーバジャパン
ワーナーマイカル
ワーナーミュージックジャパンなど

 よく耳にする企業をピックアップしただけでもこの有様である。最近はメキメキと経済大国化した中国による企業買収も目立つようになってきた。レアアースの受注率は中国の専売特許だったが、一カ国集中依存では危険だと言うことが、日本政府や民間企業もようやく気づいてきたようだ。競争力を煽らないと価格は下がらないことは資本主義経済では当然の生業である。また、大規模事業の発注で韓国との一騎打ちで日本が負ける場面も決して珍しいことではなくなった。かつては日米貿易摩擦などといったが、人件費の安い東南アジアに生産拠点を移し、大がかりな設備投資や技術力の伝授を行ってきた結果、技術の盗用や真似事が大好物な中国に、皮肉にもGDP2位の座を明け渡す結果となった。中国は今や世界をリードし始めた。あの豊富な大地と10億を超える人口である。経済力を身につければ鬼に金棒だろう。需要はいくらでもあるし、世界の大型市場である。日米の経済パートナーシップは脆くも崩れ、いずれ日本は安全保障と同様アメリカに見捨てられる時代が近い将来訪れるような気がしてならない。最後は私見もかなりのウェートを占めたが、今の日本の政治力では対症療法しかできず、国際社会で強いリーダーシップを発揮する時代はとうの昔に過ぎ去ったと言わねばなるまい。企業買収と同様、国家自体も乗っ取られ、買収されるようなことがなきよう、足の引っ張り合いしかできず大局を見失いがちなお粗末な政治に「喝!」を入れ、結びとしたい。

・引用HP記事は下をクリック(他の細かいDATAを入手できます)

http://markets.nikkei.co.jp/ranking/keiei/uriage.aspx

記事作成:12/20(月)

2010年11月 2日 (火)

最近のニュースから

 「領土問題、中露の言いなりの腰砕け内閣」

Onkaho  日本周辺の海域で、ここ最近注目を浴びる事件が相次いだ。昨日、政府がようやく重い腰を上げ、尖閣諸島で勃発した中国漁船の衝突に関してVTR公開に踏み切った。外国の言いなりで、主張を展開できない弱腰、いや腰抜け外交と言わざるを得ないお粗末ぶりである。VTRを見た政府関係者やTVのCG再現によると、中国漁船の故意の体当たりは明確で、しかも衝突後、乗組員は指を立てて挑発したという。そこまでされて、正論を堂々と展開できぬ日本政府。しかもその事件に対して中国側に損害賠償を請求するどころか、逆ギレされて大がかりな反日デモや暴動にまで発展し、在中日本企業への投石や襲撃を許す始末。中国人の集団心理やねじ曲がった愛国心、そして放置すれば次第にエスカレートし続ける過激な行動もどうかと思うが、日本製品の不買運動や日の丸を焼かれる事件まで勃発した。盗っ人猛々しいとはこのことで、責任転嫁も甚だしい。先のアジア会議では、日中会談を一方的に中国側が拒否。いかにも中国は経済・軍事大国で小国日本など相手にしないという横柄さである。逆に反日感情を爆発させ、積年の恨みとばかりに暴動やデモを繰り返す中国人の歪曲した人民気質。経済的な豊かさを手に入れた途端の中国の激変ぶりは(いや敢えて豹変ぶりと言うが)、目を覆うばかりである。経済ではアメリカに次ぐ世界No.2へ成金の如く熨し上がり、北京五輪の成功で国内外に強国・中国をアピールし、「日本ごとき恐るるに足らん」とばかりに世界の表舞台でその存Vs_japan在感を誇示しようとする。そして過日閉幕した上海万博では、大阪万博をも凌ぐ旅行客、見物客を集め、中国の発展ぶりを全世界に見せつけた。この躍進に、日本政府はたじろぐばかりである。数は力とはよく言ったもので、10億を優に超える豊富な人口を前にすれば、日本などひとたまりもないし、太刀打ちできる訳がない。その多彩な民族を抱える中国に於いてひとたび暴動が起これば、中国当局ですら沈静化するのは難しいだろう。いずれにしても30年遅れで日本を追いかけていた中国に、完全に追い越された日本という図式である。ちょっと前までは舗装されない道を人民服を纏った人々が大勢、隙間なく自転車を漕いで移動する場面や、広場で輪を描き、閑かに太極拳に精を出す映像が主流だった中国とはもはや劇的ビフォーアフター状態で、今や世界を牽引する自他共に認めるリーダーである。日本としては65年以上前の歴史をよもや引きずってはいないだろうが、その積年の恨みの復讐に狼狽えることなく、正々堂々と自国の立場や権利を主張し、互角以上に渡り歩いて貰いたい。とりわけ本題を取り違えた中国を日本政府は見過ごしてはならないし、海容してはならない。菅直人首相と前原外相には、特に日本の命運を握っている当事者だけに強いリーダーシップと指導力を期待したい。中国側には、せっかく経済大国化し、真の意味での国際社会を正の道へと誘う舵取り役を期待したい。大国なら大国らしく、威風堂々とした立ち居振る舞いを内外に示したらどうなのか。未来永劫、いつまでも過去の歴史を引きずらず、未来志向で世界平和を念頭に置いた発言や行動をしてこそ、中国4千年の歴史の重みを国内外に知らしめる良案であることを自覚して貰いたいものである。

 また、昨日は北方で許し難き、屈辱的な事件があった。ロシアのメドベージェフ大統領が、北方領土を視察のため国後島を訪問したのだ。ロシアの最高首脳の北方領土入りはソ連時代を含めて初めてのことで、現地のインフラ整備の進捗状況を視察すると共に、第二次世界大戦終結時から続く実効支配を強固にする狙いがあるとみられる。北方領土は北海道の北東に点在する4つの島とその群島のことである。最も北に位置し最大の択捉を始め、知床半島は羅臼のすぐ東海上に浮かぶ国後、そして根室の納沙布岬から目と鼻の先、つまりは指呼の間にある色丹と歯舞群島である。ハッキリ明言しておくが、ここは列記とした日本固有の領土である。それを日ソ不可侵条Hoppo約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻してきた旧ソ連軍が敗戦の混乱に乗じて北方領土を不法に占領したのだ。1945年の出来事だった。以来、65年間の長きに渡り、スターリンに端を発したこの返還問題は、書記長や大統領が替わる度にことごとく暗礁に乗り上げ、交渉は決裂。今回もロシア高官の声明では、「日本の主張は到底受け入れられない」と対応冷ややかで門前払い。「北方領土はロシアの領土だ」と言って憚らない。いつもこのように双方の主張は平行線を辿ってきた。何か日本政府にはこの苦境を打開する方策はないのか?65年間もただ手をこまねいてずっと野放しにしてきた責任をどうするのか?ロシア側にしてみれば、北海道を回り込むようにして太平洋側に点在している国後や色丹、歯舞まで自分の領土だとは違和感が相当あるに違いない。それをこれだけ長い年月を放置してきた日本政府の対応も責任重大で、既成事実を作られてしまった感がある。もっともその海域はサンマやスケトウダラが海流に乗って集まる宝の海。そこに陣地を確保しておけば、水産漁業が栄え、食糧危機に喘ぐ極寒の地ロシア本土の暮らしが潤うため、是が非でも占拠しておく必要があったことは見え透いている。しかも200海里が国際法上、あるいは社会通念上ルールとして存在しているからには、択捉や国後を手中に収めておけば、漁業権も格段に広範囲となる。ロシアとしてはしてやったりで、何としても返還論争など葬りたい訳で、よもやの非常事態は避けたいのは当然の生業なのだ。かつて日本人が暮らし、先祖代々の墓まであるにもかかわらず、一向に解決をみない忌々しき現状。かくなる上は鈴木宗男氏のような政党の垣根を越えて活動できる大人物の出現以外、こうした難局を乗り切る手立てはないように思えてならない。今回の電撃的訪問は、傷口に塩を塗られたという感じがしてならない。尖閣諸島沖の日中漁船の衝突事件を機に日中関係が冷え込む中、今度はそれに乗じてメドベージェフ大統領が北方四島の国後島を訪問した。まるで北方領土を不法占拠した1945年の再現を見ているかのようだった。次々と突きつけられる日本外交への試練が相次ぎ、菅直人総理大臣の毅然とした姿勢と対応が問われているのは言うまでもない。

 「裁判員制度、早くも岐路に立つ」

Ejiri  一昨日、「耳かき店」で起きた凄惨な殺人事件の判決公判が行われ、裁判長は被告の42歳の男に無期懲役を言い渡した。この事件は昨年8月、耳かき店店員の江尻美保さん(当時21歳:写真右)とその祖母(78歳)が客として出入りしていた林貢二に殺害された事件である。これは裁判員制度で行われ、「初の死刑判決になるのでは」と世間から注目された事件であった。しかし、無情にも極刑は回避された。何の罪もない善良な市民を複数殺しておきながら、本人は平然と命を長らえている。事件後反省しているように取り繕っていれば、自分は死刑を免れるというのか?これでは言われ無き事件に巻き込まれ、命を落とした本人はもちろん、その遺族の感情も浮かばれまい。殺人事件を裁く場合、よく永山基準を持ち出すが、殺意や計画性にかかわらず、意図的に人を殺めた者は冤罪の可能性がなければ、いかなる理由があるにせよ極刑を持って然るべきだ。何度も言うが、「生きて罪を償う」とは詭弁であって、遺族感情を逆撫でするだけのことで、例え事件後どんなに深く反省しようが、死んだ人間はそれっきり、二度と生き返ることはないのだ。僅か21歳で、自分の父親ほどの年の差もあろう男に交際を迫られた挙げ句、逆上されて訳のわからぬままに命まで奪われ、さぞかし無念だったことだろう。これからやりたいことは山ほどあっただろうに。それをゲーム感覚で殺されたらひとたまりもない。第一生きながらえて亡くなった人の人生をどう償えるというのか?同じ苦しみや痛みを負って然るべきなのだ。やはりこの裁判員制度は間違っている。一般庶民の良識や感覚を法廷の場に持ち込み、庶民レベルでの常識的な判断を求めたこの制度自体、所詮はボタンの掛け違えであろう。法律の知識に乏しい専門家でない人間が、見ず知らずの人間に死刑を宣告できる筈などないではないか?おそらく、裁判に関わった者は、苦渋の選択と判断を迫られるのは必至で、もし死刑を選択すれば、良心の呵責に苛まれ、後生は終始、死生観について自問自答し、自分のせいで尊い人命が奪われたと悩みもがき続けるに違いない。この裁判員制度は、司法が責任逃避から一般人を巻き添えにし、判断を人任せにして下駄を預けただけに過ぎない。裁判官や検事、弁護士は己が志願し、猛勉強の末難関の司法試験を受験してなった経緯を考えれば、そのような専門家が毅然とした態度で真摯に法と向き合い、適切な判断をすればいいだけのことである。ましていわんやそれをプロの職業としているのだから責任をなすりつけるべきではない。一方、裁判員に指名された一般人はそうはいかない。わざわざ本業の仕事を休んでまで裁判所に出向き、やりたくもない判断を求められ、人の一生を左右しかねない選択をしなければならない。そういった稚拙な法制度こそ改めなければならない。逆に一般庶民に判断を委ねることは、単に被害者や被告人を愚弄している気がしてならない。また、死刑宣告となると、裁判員自体も一生重い十字架を背負うことになり、中には精神的疾患を患う者も出てきよう。心身症などの重度の精神病に陥った場合、そのケアは誰が行うのか?国はそこまで責任をとってくれるというのか?だから裁判員裁判では、言葉は悪いが「人を何人殺めようが、死刑を選択するには躊躇せざるを得ない」場面を国自体が作り出してしまったということになるのだ。私がむしろ危惧するのは、複数の人間を殺害しながら死刑を免れてしまうという点で、犯罪を助長する懸念があることだ。嘱託殺人などの事例が急増するかもしれない。いよいよもって日本の司法制度もアメリカ並みになり、刑務所は常に終身刑の受刑者で満杯状態になることだろう。そしていずれは収容しきれなくなり、本来は死刑執行されるべき極悪非道の犯罪者まで、恩赦で釈放などということが罷り通れば世も末である。
 
 (永山基準とは・・・刑罰として死刑を適用する際の判断基準。拳銃で4人を連続して殺害した永山則夫元死刑囚に対する判決で、最高裁が昭和58年(1983)に示したもので、(1)犯行の罪質、(2)動機、(3)態様(特に殺害方法の執拗さや残虐さ)、(4)結果の重大性(特に殺害された被害者の数)、(5)遺族の被害感情、(6)社会的影響、(7)犯人の年齢、(8)前科、(9)犯行後の情状等を総合的に考察し、やむを得ないと認められる場合には死刑の選択も許される、としている。)

 さて、今日は直近の社会情勢(と言うよりむしろ事件)を取り上げたが、国の対応が後手後手だったり、日和見主義的で全く筋が通っていない。国際情勢全般を見た時に、日本の存在が薄らいできているのは否定しようのない事実である。中国や北朝鮮にいいように振り回され、ロシアに背後を突かれ、同盟関係のアメリカにそっぽを向かれるようでは、日本の将来は極めて暗いと言わざるを得ない。日本には確固たる主義主張、つまりは成竹を持ち、広い視野で多角的にモノを見て適正な判断をして貰うことを願っている。前首相が辞任する際、「影響力を残すのは不適切」として政界引退を談話として発表した鳩山由紀夫氏が、ほとぼりも冷めないうちに「状況が変わった」と朝令暮改の如く発言を撤回。このような主体性の欠片もなく、口先だけ、しかも風見鶏で八方美人な人間に日本を託していたのかと思うと反吐が出そうだ。タカ派と言われようが、田中角栄や石原慎太郎のような強いリーダーシップの下、今こそ強国日本をアピールし、存在感を示すべきであり、まさにその過渡期(ターニングポイント)にいることを最後に強調して結びとしたい。  

 

2010年8月28日 (土)

刑場公開の是非

 昨日、千葉景子法務大臣の指示によって、初めて東京拘置所にマスメディアが入り、「死刑執行」の現場である刑場が公開された。これまでは御法度であり、極秘事項とされ続けたそのベールが遂に暴かれたのである。閣僚就任後、死刑執行を頑なに拒んできた彼女だが、そもそもの翻意の発端となったのは、世論の風当たりと参議院議員選挙で自身が落選し、批判の矢面に立たされた経緯からである。自分の主義主張をねじ曲げて、やむを得ず180度方向転換の舵を切って死刑執行命令書に署名したのだった。実際に先月28日にも2名の死刑囚が、まさにその場で執行され絶命した。しかもその際、自分自身が刑の執行に立ち会うというパフォーマンスまで行い、民衆の批判を交わそうと懸命な姿勢が窺えた。

 私は8月27日の夕方のテレビニュース報道、そして翌朝の新聞紙面、更にはネットを飾った画像及び解説記事を食い入るように見た。そこには刑場の所在地の詳細は伏せてあったが、取材した記者による刑場の見取り図までもが掲載されてあった。正直、意外な印象を抱いた。死刑台と言うと、何か暗い場所で恐怖に満ちた、何か重々しくも恐怖を与えるような「暗黒世界」をイメージしていたが、そこには俗に言う13階段もなく、やたらと近代設備で、異様なまでに明るい照明が使われてあった。よもやこのような場所で、再三再四問題視されるような死刑が執行されているとは、空想と現実の間にはかなりの隔たりがあった。そして最も意外だったのは、死刑囚に執行を告知するのは当日の朝だという事実だった。てっきり私は、前日の夜に本人に伝え、覚悟を決めさせ、現世に思い残すことがないように気持ちの整理をさせ、通常よりも豪華な夕食(つまりは最期の晩餐)を振る舞い、身を清めるために入浴させ、この世への未練を断ち切らせた上で、あの世に旅立たせるものと思い込んでいた。恐らくそうさせないのは、一晩おいてしまえば、死への恐怖で悶々と苦しみ、死刑囚によっては、耐えきれずに執行の前に自らの命を絶つ行為に走らないとも限らない。そういう懸念を事前に回避する意味と、死刑囚に対する人権擁護という観点と配慮があるかららしい。

 今回公開された刑場は、実際に取材した記者によると、思わず合掌するほどの厳粛な雰囲気が漂い、神聖な印象を受けたという。実際、ここは凶悪犯罪に加担した極悪死刑囚であるにせよ、数十人の尊い人命を奪った場所である。公開されたのは、絞首刑が行われる執行室、執行室の踏み板を開けるボタン室、拘置所長や検事らが執行を確認する立ち会い室、宗教者の教誨(きょうかい)を受けられる教誨室、執行室と隣接し、執行を告げられるとともに、直前にも教誨を受けられる前室など。生々しい絞首用のロープや死刑囚が、奈落に落ちる執行室下段(地下室)部分の公開はされなかった。理由は「生命を絶つ極めて厳粛な場で、死刑囚や家族、刑務官の心情を考慮した」として立ち入りを認めなかったようだ。それを見ていた私自身も、何か強い圧力を感じ、気持ちが悪くなるほどであった。当初、マスコミの代表者が撮影した画像を、ここで掲載しようと思ったが、とてもそれは社会通念上、許されざる行為のように思えるし、死者の魂が浮遊しているだろう現場の画像公開は、死者への冒涜と受けとられかねないため、掲載を見送り、イラストのみとさせて頂く。まず、記者たちが見た光景とは次の様なものだった。

     ~死刑廃止と死刑存置の考察・死刑制度の問題点より~

Keijyo2 Keijyo1

 最初に入ったのは「教誨(きょうかい)室」。収容されている単独室(独居房)から連れてこられた死刑囚は、まずここで執行の事前告知を受ける。遺言を委ねたり、希望すれば教誨師と話すこともできる。壁に大きな仏壇があり、机を挟んで向かい合うように二つのいすが置かれていた。廊下を伝い「前室」へ。正面の壁に金色の仏像がはめ込まれ、右手の青いカーテンが開いた奥に執行室が見えた。広さは約14畳。10人も入れば窮屈だ。執行当日、ここで死刑囚に拘置所長が執行を正式告知する。更に、医療用ガーゼで目隠しされ、両手に手錠を掛けられると隣接した執行室のカーテンが開く。死刑囚が直接執行室を見ることはないという。4.8メートル四方の執行室も約14畳。床の真ん中に1.1メートル四方の踏み板が赤いテープで囲われ、その中央部にさらに同じテープの四角形。視線を移すと、ロープを設置する四つの銀色の大きな輪が床から壁を伝い、天井をくりぬいて設置した滑車に延びていた。その高さは3.8メートル。直径約3センチとされるロープは付いていないが、存在感の強い堅固な機材が、ここが刑場であることを物語る。ボタン室の壁には黒いボタンが三つ。踏み板の上に立つ死刑囚の首に縄がかかり、拘置所幹部の合図とともに3人の刑務官が一斉にボタンを押す。誰のボタンが作動したのか分からない仕組みで踏み板が開くと、死刑囚は約4メートル下の「死の世界」に落ちていく。前室から執行までに要する時間は数分という。全体を見渡せる立ち会い室から、下へと階段が延びる。下りることは許されなかった。吸い込まれそうな深さを感じながらコンクリートの打ちっ放しの床を見ると、踏み板のちょうど真下に当たる場所に排水溝が見えた。公開が認められたのは15分ほど。「刑場は死者の魂のいる厳粛な場」と、沈黙を求める職員の説明が耳に残る。ありのままの刑場は宗教色も相まって、死刑囚の最期の息遣いを脳に直接、訴えかけてきた。これは毎日新聞記者の石川氏の感想であった。今回敢えて、文面にて引用させて頂いた。恐らく、自分自身がこの部屋に入ることはまずないとは思うが、人命を法の力によって絶つ刑場とは、このような場所だと認識することが必要であろう。

 また同時にマスコミ各社は、元刑務官の苦悩についても取材を敢行し、報道していた。人によっては死への恐怖で暴れる死刑囚を、無理矢理押さえつけ、首に縄を括り付け、それはまさに、死神が行うような目を背けたくなるような所作だったと発言しているし、死刑執行のボタンを押す行為ですら、正気ではとても断行できないという。そこには仕事とはいえ、改悛の情や良心の呵責に苛まれることも多く、夢にまでその場面が登場したり、相当なストレスがあるという。毎日新聞の記者はこう書いている。拘置所に勤務する刑務官はあくまで「犯罪者の更生」を目指す職業であり、「死刑執行人」ではない。処刑を待つ死刑囚に接すること自体が職務上特殊で、執行に立ち会っても周囲にその事実を伝えない刑務官も多い。究極の刑罰を下す厳粛な現場を報じられることに、複雑な感情を抱くのは当然だろう。立会人が死亡を確認し、遺体を片づける一連の流れなのだが、執行現場で最期まで見続けた立会人や刑務官の発言によれば、絞首刑というのは、心臓が鼓動を止め、絶命に至るまで、までもがき苦しむ残忍な処刑方法らしいのだ。アメリカでは州によって異なるが、電気椅子や医師による薬物注射だったりする。また、中世に欧州において公衆の面前で執行されていたギロチンはさすがに人道的でないという理由から、撤廃されたが、中国や北朝鮮では、公衆の面前で銃殺で処刑を決行するというかなりショッキングな場面を、敢えて国民に見せることで「悪いことをすればいずれこうなる」とメッセージを注入することで犯罪の抑止力や警鐘としているようだ。

 しかしながら、今回の刑場公開に関して、それを指示した千葉法務大臣の意図はどこにあったのか。彼女は元々弁護士であり、「アムネスティ・インターナショナル」という死刑廃止を求める人権保護団体に所属し、幹部として活動するなど熱烈な死刑廃止論者だった。したがって、死刑執行現場の現状を国民に直視させ、人間の命を絶つという行為を私達はどう受け止めるのかについて真剣に考える機会を与えたかったという意図が見て取れる。そして人間の手で人間を死に追いやることの重大さや死と向き合わせることで、死刑廃止論の気運を少しでも喚起・助長したいという腹が見え隠れする。また、前述したように、死刑という行為は、このような場所で行われているという凄惨な現場を見せることで、犯罪の抑止力になるという判断をしたからなのかもしれない。されど直近の世論調査では、凶悪犯罪については、場合によっては死刑もやむを得ないと考えている国民が85%以上にも及ぶ。つまり死刑制度存続派が多数を占める。一方で、死刑はどんなことがあっても回避すべきと主張している人は、僅か10%にも満たないのが日本人の死刑に対する普遍的な考え方である。確かにそうだろう。被害者遺族の感情からすれば、ある日突然、訳の分からない自己中心的で悪魔に身を売ったような輩の所業によって、肉親を奪われた衝撃と悲しみは筆舌に尽くしがたいものがある。まさに青天の霹靂であり、犯人への憎しみは想像を絶するものがあるに違いない。世間の常識から言っても、人を死に至らしめたものは、無条件で死を以て償うべきだという見方が一般的に相違ないのだ。自分は複数の人命を奪っておきながら、無期懲役(終身刑)でどうやってその罪を償うというのか。被害者遺族は、そんな犯人がどれほど詫びたところで許しようがないし、顔を拝むことすら拒絶するに違いない。例えどれだけ改心したところで、それは犯人側の視点に立った物の見方であり、死んだ人間は二度と帰ってこないという真実を私達はもっと強く認識すべきであろう。私自身は、自分の都合や身勝手な行為によって、人を死に追いやったものは、断固強い姿勢で対処しなければならないと考えている。そうでなければ社会秩序は保てないのだ。

 死刑制度に異論を唱える詭弁者たちは、冤罪の可能性や人権保護を盾にし、まるで正義の味方という仮面を被って自分たちの主張や論理の正当性を主張しているが、もし自分の家族が割に合わない犯罪の巻き添えとなり命を落としたら、その人は平然と同じ主張を繰り返すことができるというのか。恐らく答えは「NO」であろう。冷静でいられる筈などないのだ。真っ先に犯人を憎悪の念から直接自分の手で殺してやりたいと思うだろう。だから当事者でない限り、意味のない「死刑廃止論」などはただのきれい事であり、所詮他人事でしかないのだ。そして、昨年5月の裁判員制度の導入により現状を認識させ、国民に死刑判決の判断をさせないようにするための啓蒙を促すような姑息な手段のような気がする。

 結びに、総括すれば今回、刑場を国民の目に触れさせた千葉法務大臣の政治決断と戦略は失敗だったと言わざるを得ない。恐らく悲惨な処刑現場を直視すれば、「死刑廃止へと世論の方向性が傾倒して行くのではないか」というささやかな打算があったのだろうが、私はむしろ逆効果だったように思う。「人を何名殺そうが、本人はひょうひょうとこの世に生き続ける」という不公平な道理が罷り通るようであれば世も末だし、犯罪を助長するように思えてならないのだ。しかも、このご時世にあって、犯罪者は食事と住む場所が約束されている。下手に死刑を廃止すれば、何の希望も見出せず、明日寝る場所も保証されない世知辛い社場に見切りを付け、わざと犯罪を犯し、刑務所にいたほうが気楽と考える者まで現れるかも知れない。それより、死刑囚を作らない、犯罪者を生みださない社会システムの構築の方がより重要だろう。犯罪が起きてから人を裁くのではなく、犯罪を起こさせない、あるいは人命尊重を重視した教育を幼少期より行う改革こそが、今求められているのではないだろうか。それが本当の意味での犯罪被害者と死刑囚の心の叫びであるような気がしてならないのである。

 参考映像

 http://www.youtube.com/watch?v=Jn_JdUgxFCQ&feature=related

 http://www.youtube.com/watch?v=gQmtjR1yaS8

2010年8月13日 (金)

金融業界の経営統合の経緯

 近年、ドバイショック(2009)や今年になってギリシャで突如発覚した財政危機、アメリカのサブプライムローンの回収不能となった、いわゆる不良債権が原因で巻き起こったリーマンショック(リーマンブラザーズの破綻)などに端を発し、世界各地で株の暴落や為替レートの乱高下が顕著に見られる。この世界的な「信用不安」が各国で発生し、金融機関の資金は枯渇してしまった。こうした「流動性リスク」の発生が世界金融危機から世界同時不況へと繋がっていった。結果、欧州諸国の金融機関もまた損失を被り、イギリス、スペインなどの住宅バブルも崩壊した。かつては1929年に起きた世界恐慌が有名だが、このような金融危機に見舞われる度に、体力のない企業は倒産するか、新たな経営再建を求めて吸収合併、あるいは統合の道を模索することになる。日本も決して例外ではなく、これまで幾多の企業統合が執り行われてきたのは周知の事実であろう。とりわけ、大手銀行が膨大な不良債権の処理などにあたり、経営の健全化を進める過程で、金融機関の大規模な合併・再編が行われた。その結果、形成されたメガバンク(巨大銀行)を軸とする金融機関連合を3大銀行グループに集約された。各グループは、金融持株会社のもとで、銀行・信託・証券などの金融サービスを総合的に提供しており、具体的には、旧第一勧銀・富士銀行・日本興業銀行を母体に設立された「みずほフィナンシャルグループ」、旧住友銀行・さくら銀行の合併で誕生した三井住友銀行を中核とする「三井住友フィナンシャルグループ」、そして東京銀行・三菱銀行・三菱信託銀行などを傘下に持つ「三菱東京フィナンシャルグループ」、旧三和銀行・東海銀行の統合で発足したUFJ銀行・UFJ信託(旧東洋信託)などから構成される「UFJグループ」の4大銀行グループに再編されたが、2005年10月、三菱東京とUFJが経営統合し、持株会社「三菱UFJフィナンシャルグループ」が発足したことで、3大銀行グループへと再々編されたのだった。

 続いて、最近誕生した新しい部類の金融関連会社を見てみたい。ご承知のように、金融グル―プは何も銀行に限ったことではない。その範疇には証券会社や信託銀行、更には生命保険会社、損害保険会社と多様にある。そして近年は、新手の新型銀行も登場した。それは広い範囲の銀行業務を行う既存の銀行とは一線を画し、特定の業務や特定のチャンネルに限定したニッチ戦略を採用する銀行。例えば、イトーヨーカドーグループは、現在セブン&アイ・ホールディングスという名称だが、コンビニにATMを設置し、現金の出入れ、振込みのサービスなどを提供するセブン銀行という決済専門銀行を展開。更に家電メーカーのソニーや通信機器の日本テレコム、そして一流総合商社である伊藤忠商事は、インターネット上で営業する個人向けネット専業銀行(それぞれソニー銀行・イーバンク銀行)を設立したこれらはIT革命以降、新型の銀行形態を誕生させたのである。これら店舗を持たない新型銀行は、建設費や人件費がかからないため、低コストで運営が可能となり、結果的に既存の銀行に比べて、高い預金金利や低い手数料を設定できるメリットがある。また、コンビニやインターネットで24時間いつでもどこでも金融サービス(預け入れ・引き出し)を受けられるため、顧客の利便性が格段に向上している。このように、規制緩和や自由競争がもたらす恩恵は、消費者にとってことのほか大きな利益をもたらすのである。

 次に、次々企業統合を繰り返してきた金融グループだが、先に例示した3大銀行グループについて、その相関を考えてみたい。まず最大規模のメガバンクである「みずほフィナンシャルグループ」は、その傘下に証券部門で「みずほインベスターズ証券」と「みずほ証券」を置く。信託銀行部門には、「みずほ信託銀行」を抱き込み、更に資本提携や業務提携先として生命保険分野において、「朝日生命」・「第一生命」・「富国生命」・「明治安田生命」などと連携を強固にし、経営基盤を盤石に敷いている。また、損害保険分野では、統合したての「損害保険ジャパン」と「日本興亜損保」を抱え込んだ。一見してメガバンクと呼ばれる所以が一目瞭然だろう。続いて「三菱UFJフィナンシャルグループ」は、元の三菱東京UFJ銀行を基盤とし、証券部門に今年経営統合した「三菱UFJ証券」と「モルガンスタンレー」を傘下に置いた。信託銀行部門では、三菱UFJ信託銀行を従え、生命保険分野の提携先は、「明治安田生命」、東京海上日動火災と日新火災から成る東京海上グループなどがある。また、三菱東京UFJ銀行自体はT&D保険グループ(大同生命・太陽生命・T&Dフィナニャル生命)などとも繋がっている。最後の「三井住友フィナンシャルグループ」だが、こちらは「三井住友銀行」を中心とし、証券部門に大和証券グループ(大和証券・同SMBC・日興コーディアル証券・SMBCフレンド証券)を指揮下に置いている。信託銀行部門は敢えて独立しているが、「住友信託銀行」に「中央三井トラスト・グループ(中央三井信託銀行・中央三井アセット信託銀行)」を加えた基盤強化を実現している。また、驚異的なのは、生命保険と損害保険分野への進出で、業務提携先として子会社である「住友生命」のほか、「三井生命」、業界最王手の「日本生命」をも抱き込んでいる。そして損保分野では「三井住友海上」、「ニッセイ同和損保」、「あいおい損保」を子会社化した。これは、2006年4月に施行された法改正によって、銀行の100%子会社に限定する規制が撤廃され、他業務との兼業も認められたことによって、一気にその動きが加速したことが背景にある。また、少なからず、小泉郵政改革によって、2007年に日本郵政公社が分割民営化されたことが契機となったのは明らかだ。特に郵便貯金事業を受け継いだ「ゆうちょ銀行」は2009年3月末時点での雪ん量は177兆円で、これはメガバンクを遥かに凌ぐ世界最大規模の銀行となったことで、危機感を強めたことも一因としてあるようだ。

  また、金融の規制緩和によって、様々な形態の銀行代理店がお目見えした。これは、銀行の委託を受けて、銀行業務の一部を代行するものである。銀行代理店の業務範囲は、預金・貸し出し・債務保証・手形の引受け・金銭の収納等、保護預かり、両替に限定されている。銀行にはこの代理店への業務指導が義務付けされており、融資を取り次ぐ場合には、金融機関の勤務経験者を配置しなければならないなどの規制がある。しかし、2006年の法改正に伴い、規制緩和が進み、スーパーやコンビニの流通業、旅行代理店、自動車ディーラーなどが参入に意欲を示しており、消費者の利便性向上が期待されている。そして近年、ノンバンクという独自スタイルの金融形態が登場した。これは、預金を受け入れないで与信業務行う機関である。クレジットカード、消費者金融(アコム・アイフル・武富士・ポケットバンクなど)、事業者金融、リース会社などがこれに当たる。免許制の銀行とは異なり、貸金業法に基づいた登録によって営業が可能になる。銀行と比べ、貸出金利は高めに設定されているが、審査や手続きが早いことなどから、利用者を拡大してきた。しかし、異業種の参入によって競争が激化していることで、中小のノンバンクでは廃業に追い込まれるケースが少なくない。大手でも、メガバンク主導で再編が加速しており、規模拡大によって競争力の強化を図るほか、重複業務の統合なのでによって経営の効率化を目指す狙いがある。そして、民間ばかりではなく、政府主導の金融機関もある。いわゆる政府系金融機関というのがそれで、経済発展や国民生活の向上といった産業政策・社会政策を金融面から支援するために、特殊法人として政府が全額もしくは大半を出資して設立した金融機関である。債券の発行などで資金を調達し、民間金融機関が融資することが困難な分野に融資を行う。農業・中小零細企業、産業の育成、住環境やインフラ整備、国際協力などが対象分野となる。行財政改革の一環として、「国民生活金融公庫」、「中小企業金融公庫」、「農林漁業金融公庫」、そして、「国際協力銀行」の国際協力銀行の国際金融業務を統合し、政府全額出資の持株会社として、2008年10月に「日本政策金融公庫」が発足した。沖縄振興開発金融公庫もまもなく統合される予定だ。

 以上見てきたように、政界再編ならぬ金融業界再編の波は留まるところを知らない。これでは昔の公武合体ならぬ財閥解体に、更に拍車を掛けた形である。1980年代のバブル景気で日本経済が沸き返っていた頃に、よもやこのような事態を誰が予測できただろう。国際的な経済不況の中、日本経済を支えてきた金融業界でも、統合せずには生き残れない時代が到来したのだ。それは最大手の「山一證券」の経営破綻や「日本航空」の多額の累積赤字による会社更生法申請や経営再建を期しての社員の大量削減策でも容易に現状認識が出来よう。そして国産自動車製造の旗振り役であるトヨタ・日産自動車ですら、世界同時不況の煽りをもろに受け、今日現在、遂に84円台に突入と言う未曾有の極端な円高の悪影響もあって輸出関連の貿易はふるわず、減産や大幅なリストラを断行し、あるいは生産ラインを減少する理由から生産中止に置き込まれた車は数多い。かつてオールドファンに親しまれたスターレット・スプリンター・セリカ・サニー・シルビア・ローレル・ブルーバードなどはすべて過去の遺物と化してしまった。日産は当の昔に経営権を外国人に委ねて再建を図るなど、生き残りを賭けてあれこれ策を巡らせている。トヨタもまた、昨年来降って沸いたようなブレーキ故障のリコール問題で大打撃を受け、その対応に追われると同時に信用を失い減産減益に追い込まれたのは記憶に新しい。世界をリードした日本の自動車産業は一気に斜陽を迎え、過去の栄光はどこへやらである。民間企業にばかり負担を強いて政治は一体何をやって来たのか。かつての「吉田茂」や「田中角栄」など、強いリーダーシップで難局を乗り切るだけの救世主たる大政治家の出現が待たれるのだが、現在の民主党政権は諸刃の剣であることを露呈した。「政治改革」や「経済復興」という意気込みだけは立派だったが、肝心の中身がお粗末すぎる。これからの日本の政治は、諸外国の顔色伺いや協調路線の中で進行していくに相違あるまい。

 その典型例がつい先日、菅直人首相が談話を発表した「日韓併合」への反省と謝罪であり、靖国参拝見送り発言である。このような意向と政府としての公式な声明を発すれば、かつて植民地支配に苦しんだ多くの韓国住民の理解と一定の評価を取り付け、未来志向での日韓の協力体制にはプラスとなるだろうが、従軍慰安婦問題や竹島の領有権問題、更にはアジア諸国に与えた苦痛に対する責任と補償問題など、山積する様々な外交問題において、とことんつけ込まれることにもなりかねない。首相は歴史的認識や諸外国との関係、日本としての立場に十分配慮するなど、すべての懸案について総括的に判断して、あのような発言を行ったのか甚だ疑問を感じてしまう。逆に国交正常化や韓国との結束力を高める目的なのは見え透いており、独断専行かつ打算的な発想で、あのような発言を行い、アジア列国のご機嫌取りに走ったのではあるまいかとさえ勘ぐってしまう。無論諸外国への配慮は必要かもしれないが、靖国には国の為に命を捧げ、死を選択せざるを得なかった大勢の戦没者が祀られていることも念頭に置いて決断すべきだった。戦没者遺族の立場からすれば、居た堪れない判断だったし、腰抜け外交と言わざるを得ない。何故に、日本政府は、首相が変わる度に、こうも態度をころころ変えるのか不思議でならない。立場がブレるほうが日和見主義的で主体性がなく危険極まりない選択であることをどうして認識しないのか。却って諸外国からは日本の立場や基本路線が固定せず、逆に不信感を買うということを。今の外交姿勢は腑に落ちない点があまりにも多く甚だ遺憾である。

 恐らく、まもなく行われる民主党の代表選で、先の参議院選挙の敗北を受け、責任を問われることは必至で、党内で露骨に「菅おろし」が行われる気運となれば、首相交代という異常事態に陥り、最近では宇野首相や羽田首相に匹敵するほどの超短命内閣で終わる可能性もある。するとただでさえねじれ国会という状況下で、更に国会運営が難しさを増し、鳩山政権で実証済みの政権放棄とばかりにやぶれかぶれの衆議院解散選挙に打って出ることも大いにあり得る。これまで民主党が政権奪取した後、行った各種の政策は軌道に乗るどころかマニフェストのすり替えだらけで、何一つ真っ当な政治主導で達成した実績はない。「事業仕分け」など奇を衒うような派手なパフォーマンスは斬新だったが、予算を削り取るだけでは無味乾燥と同じである。予算も税制改革整合的な政策体系の中で位置づけられなければならない。マクロ経済政策の方向付け、特に日本の経済を窮地に追い込んでいる悪の根源である円高にどう対処するのか極めて重要だ。

 最後に、日本経済の立て直しには、消費税を上げる議論とか更なる負担を国民に強いることでは断じてない。より積極的な経済刺激策を展開しなければ、「ゼロ成長」すら確保は困難となり、日本は中国や他の経済発展を続ける国々の前で没落していくばかりである。菅直人氏は首相に留まるからには、いかなる経済構造を目指すのか、十分な策を持ち合わせていなければならない。そうした「経済立て直し」への強い自信や方策を備えていない限りは、首相の椅子に留まるべきではない。真っ先に取り組むべきは、いかなる政策体系を構築するのか、国民が納得する国家戦略を打ち出すことである。そして最終目標は、経済成長率を高めることではなく、国民生活の豊かさを実感できる政治を断行していくことである。それを実行できなければ、民主党の政権維持はおろか日本経済自体が風前の灯火となるのを、ただじっと指をくわえて見ているだけで終わってしまうことにもなりかねない。

参考:「現代用語の基礎知識」(自由国民社)・「日本の論点2010」(文藝春秋)

2010年7月12日 (月)

参議院議員選挙と国民の審判

 7月11日投開票で行われた国政選挙、第22回参議院議員選挙は、予想通りとはいえ、選挙公示の直前に大上段に構えて「消費税の増税」を示唆した民主党の戦略が、物も見事に国民の強い拒絶反応を招いた結果と言うことが出来るだろう。唐突な政権丸投げとも言うべきお粗末な鳩山前首相の顛末記に加え、小沢一郎も一蓮托生で運命共同体の如く幹事長を辞して、執行部総入れ替えの中で、新たなスタートを切った菅直人内閣であったが、蓋を開けてみれば保守・民主党は改選議席前の勢力10も減らして惨敗し、連立を組む国民新党も獲得議席ゼロ、与党にとっては逆風が吹き荒れた選挙となった。相反するように13も議席を伸ばし、与野党逆転のねじれ国会を創出した谷垣自民党総裁、みんなの党の渡辺代表は1議席から一気に11もの議席を得て、笑いが止まらなかったに相違あるまい。結局、沖縄基地移転問題が頓挫し、宮崎の口蹄疫問題もまた、その処理の遅れが取りざたされ、そこへ来て消費税増税を持ち出し、自ら墓穴を掘った形となった。一連の鳩山・小沢の不祥事問題は、みそぎは済んではいなかったと見るのが一般的な見方だし、自然の理だろう。

 我々国民の目は一様に民主党に厳しかったようだ。事実、あれほどの期待感を持って、政権交代のうねりを起こし、政権を民主党に託したのに、僅か10ヶ月余りでその期待は無惨に打ち砕かれた。私がこれまで何度も取り上げて来た千葉景子法相もやはり大差で落選した。当然と言えば当然だろう。しかし、本人が閣僚を辞任する意向を示しても、内閣に対する野党の批判を回避する目論見から、首相は慰留に終始し、本人も翻意し現職に留まることを決意した。一体どこまで墓穴を掘るつもりなのか・・・。民意は明らかに彼女では力量不足と判断したのに、その大事な国民の審判すら無造作に独断で切り捨てる民主党政治。「民主」という看板を返上して貰いたいくらいだ。こんなお粗末な政治しかできないから今回国民からそっぽを向かれたのではないか。私だったら、更迭はしないまでも、説き伏して早急に彼女には勇退して貰い、代役を立てるだろう。人を何人殺そうが、決して死刑を執行しない法務大臣は、やはり国民感情に合わないのだ。反省の色も薄く、長らく刑務所暮らしをさせれば、それだけ私達の血税がどんどん使われていくのを知っているだろうか?死刑廃止論者は「生かして罪の償いをさせることのほうが死刑執行するよりも重要」と言うが、そんな改悛の情など持ち合わせていない極悪非道の鬼畜的な所業をしでかして、何故、亡くなった者を差し置いて、犯罪者の情状ばかり優先しようとするのか理解に苦しむ。忠臣蔵ですら仇討ちが美談になるくらいなのだから、遺族側からしたら、犯人が何食わぬ心持ちでこの世に生きていることは、人生最大の屈辱であり、憎しみだけが倍加することに相違ないのだ。そうした世論を無視した独断専行のやり方だからこそ失職に追い込まれたことを、党執行部を始め、行政を司る内閣は冷静に判断すべきなのだ。

 更には、私が最も痛烈に批判してきたタレント候補擁立についても、大方が落選した。しかし、比例代表制で名簿順が上位だった国民的柔道家の谷亮子氏(B型)は当選してしまった。「一応公務に専念するが、柔道を続けられるように努力します」とコメントした。国会議員の仕事の一体何を理解してそんなことを平然と宣うのか・・・。開いた口が塞がらない。小沢氏の熱烈なラブコールに応えての出馬だったとは言え、あまりにも安易な決断だったとしか言いようがない。また、秋田県の地方選挙区では、自民党の推薦を受け、公認候補として出馬した元・プロ野球選手の石井浩郎氏(O型)も当選した。今後、どれだけの政治手腕を発揮できるか見物である。また、ツッパリ少女役で数々のドラマに出演した女優の三原順子候補(B型)も当選した。彼女は当選したら女優業を辞めて執政に専念するときっぱり宣言して選挙戦に臨んでいて、多少は好感をもった。自らも苦しんだ子宮頸がんの撲滅を訴え、女性層の共感を得た形となった。どんな働きをするのか、舌先三寸で終わらぬことを期待したい。その一方で、堀内恒夫・前巨人軍監督(O型)や体操でソウルオリンピックで活躍したメダリスト・池谷幸雄氏(O型)も相次いで落選した。そして我等の郷里が生んだスター・中畑清氏(A型)、俳優の原田大二郎氏(O型)もまた早々と落選確実がついた。堀内氏には悪いが、巨人をどん底に叩き落とし、監督在任中に一度も優勝争いに絡めなかった張本人が、畑違いの場所で捲土重来を期しても周囲の目は冷ややかでそれを認めなかったようだ。ようやく国民も有名人だからと言ってそれを有り難がって、彼等の人気に触発されて、投票するような安易な発想では駄目だと気づいたようで、タレント候補人気に便乗しての投票行動は回避したようだ。

 今回、国民の厳しい審判が下った訳だが、過半数割れを起こし、参議院で与野党逆転のねじれ国会の構図が再燃化してしまった。かつて自民党が同じ立場に立たされたように、今度は自民党の巻き返しが民主党主体の政治運営を一層困難なものにしそうだ。民主・国民新党の連立は従前と変わらないようだが、今後更なる政界再編の動きが活発化するかもしれない。実際、野党各党も議席を減らしている。共産党はマイナス1、公明党もマイナス2、舛添要一率いる新党改革がマイナス4、与党を離脱し、野に下った福島瑞穂社民もマイナス1という結果。そう考えれば、プラス10も大幅増を見たみんなの党の躍進がいかに凄まじかったがわかるだろう。しかしながら、今回、みんなの党へ投票した有権者に聞くと、「アジェンダ(政策課題)に賛同できる」が44%、「民主・自民に期待できない」が34%、以下、少数派の意見は「新党に期待したい」、「渡辺氏が信頼できる」と続く。何とその3分の1は他力本願的な考え。新党ブームと言うよりは、「どこにも入れる政党がなく、仕方なく」、とか「民主・自民よりはマシ」という消極的な考えの無党派層が圧倒的に多かったことを裏付けている。

 一方で、大幅に議席を減らす残念な結果に終わった民主党代表兼総理大臣の菅直人氏は、早々と続投の方針を表明した。当然であろう。これらの結果を招いたのは、菅直人が直接の原因ではない。前首相の失政やその側近の失態が最大の理由。ここで再び首相の退陣や交代劇があるようでは諸外国の物笑いの種であろう。もっとも代わって首相を務められそうな人材も民主党内にいないと思うが。今回の大敗の反省を行い、じっくり時間を掛けて対策を講じ、名誉挽回、汚名返上、更には捲土重来を期して貰いたい。改革は始まったばかり。財政難だからと初志貫徹せず、弱音を吐く前に国民生活改善の為に粉骨砕身、ぎりぎりまで政治に邁進して貰いたい。衆議院では3分の2の圧倒的勢力を保持しているのだから、政局運営がどうのこうの言う前に、昨年衆院選で大勝ちした大元であり、旗印でもあったマニフェストを、もう一度精査し、それらを実行に移すしか信頼回復の道はないだろう。我々国民は、あのマニフェストに心躍らされ、期待して投票した人が大多数だったのだから。今更政策転換とか財政難で事業見直しとか規模を縮小するなどの弱音は通用しないのだ。今、民主党は「言うは易し、行うが難し」を身をもって噛みしめていることだろう。間違っても、社民党に替わる連立相手を模索してみんなの党や公明党あたりに色仕掛けや食指を伸ばすような見境いない、なりふり構わないような政局運営だけは避けて貰いたい。恥の上塗り以外の何物でもない。選挙戦では、互いのけなし合いを演じ、それで掌を返したようにコロッと国民を欺く様な真似は致命傷で、党の存続に関わる大問題だ。良識ある行動を願いたい。

 しかし、今回、自民党に投票した有権者は、よもや10ヶ月前の自民党の迷走ぶりを忘れてはいまい。麻生内閣のブレまくりの政治運営にはっきりと「No!」を突きつけたことを。それを何を今更、馬を乗り換えるが如く自民党に票を投じたのか理解に苦しむ。この変わり身の早さは何なのか?もともと消費税10%案は自民党が先に言い出したことである。それを民主党が「参考にしたい。」と公言しただけの話である。なのに民主党ばかりが矢面に立たされ、攻撃の標的になるとはいささか道理が通らないのではないか。人の上げ足を取るのは誰にでもできることと悔い改め、更に重箱の隅を突く様な外道で姑息なやり方は金輪際辞めて貰いたい。そして日本の行く末を、今の子供達が夢を堂々と胸を張って語れるような世の中にして行って貰いたい。今の政治は他党への批判の応酬で、潔くないしみっともなさすぎて魅力がない。政治不信を招く最大の理由はそこにあると気づいて貰いたい。政権獲得を目指すのが政党の本丸なのは理解できるが、手段を選ばないやり方は日本を滅ぼすだけではないだろうか。今回の国民の声は天の声と心得、与野党が日本の将来について真っ向から議論を戦わせ、メンツがどうのこうのではなく、大局を見て政(まつりごと)を行って貰いたいと考える。

 追 記

 サッカーワールドカップがついに決着した。延長後半までもつれ込む大熱戦の末に、1-0で栄冠を手にしたのは、見事、預言ダコのパウル君の予想通り、スペインに凱歌が輝いた。このタコ、7戦全的の凄さだった。一家に一匹飼いたいくらいだ。西洋では悪魔の化身として、口にすることを憚ってきた国もあるやに聞いているが、オランダにとっては、まさに悪の預言者だったに違いない。個人的には日本が敗れたオランダに勝って欲しかった。実質日本が準優勝だったと胸を張れるからだ。スペインも無敵艦隊と異名をとる強豪ながら、今回初優勝だったとは意外だった。最終順位は1位スペイン、2位オランダ、3位ドイツ、4位ウルグアイだった。日本のベスト16は立派だったし、ガーナやパラグアイの健闘が光った大会だった。ブラジル、イングランド、イタリア、フランスはフィールド外のいざこざがあって自滅した感じだ。私はドイツとアルゼンチンを押していたが、ベスト8でこの両チームが直接対決したことが予想を外した最大の原因だ。グループリーグ初戦で黒星を喫し、予選敗退を予想したスペインがまさかの優勝となったのは青天の霹靂だったし大番狂わせだった。欧州勢の特徴である精度の高いパス回しと組織力が勝運を引き寄せた最大の要因だったと言えるだろう。個人技や卓越した身体能力に任せ、荒削りな南米サッカーより組織サッカーが勝った(まさった)結果だったと言えるだろう。ベスト4のうち、3チームが欧州のチームだったことがすべてを物語っている。サッカーワールドカップフィーバーと参議院選挙の盛り上がりで、すっかり陰に隠れたのが大相撲である。金輪際見ないと心に決めた相撲については、あまり語る気はないが、批判の矛先が民主党に向いたので、逆に大相撲関係者は安堵しているのでないだろうか。人の関心なんて所詮そんなものだ。

 

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