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芸能・アイドル

2018年4月24日 (火)

墓碑銘 2018 1~4月(終)

<1月>

2018/01  /4  星野仙一 【野球評論家】 岡山県出身
2018/01/14  夏木陽介 【俳優】 東京都出身
2018/01/22  片平晋作 【野球】 大阪府出身
2018/01/26   野中広務 【政治家】 京都府出身
2018/01/30 有賀さつき 【アナウンサー】 東京都出身 
2018/01/31   いときん   【ミュージシャン】兵庫県出身 ET-KING

Hoshino Natsuki
Nonaka Ariga

<2月>

2018/02/1  レッツゴー長作  【漫才師】 岡山県出身 レッツゴー三匹
2018/02/10 川地民夫 【俳優】 神奈川県出身
2018/02/21 大杉漣 【俳優】 徳島県出身
2018/02/24 左とん平 【俳優】 東京都出身

Ohsugi Hidari

<3月>

2018/03/10 ユベール・ド・ジバンシィ 【デザイナー】 フランス出身
2018/03/14 スティーブン・ホーキング 【物理学者】 イギリス出身
2018/03/18 新堀俊明 【アナウンサー】 東京都出身
2018/03/28 月亭可朝 【落語家】 神奈川県出身

Steven Tsukitei

<4月>

2018/04/4 藤森英二 【元郡山市長】 福島県出身
2018/04/18 ブルーノ・サンマルチノ【プロレスラー】 イタリア出身
2018/04/20 渡辺えりか【女子プロレスラー】 北海道出身
2018/04/23 衣笠 祥雄 【プロ野球選手・評論家】京都府出身

Fujimorieiji Kinugasa

  毎年年末に掲載していた「墓碑銘」ですが、今月27日で当ブログ終了に伴い、途中ですが4月までに亡くなられた方を本日紹介しました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2018年3月25日 (日)

福島県出身タレント増殖中!

 我が福島県出身の10代のタレントが今、全国区の人気を得つつある。最近は松井愛莉や武田玲奈、舞木香純(元AKBチーム8)、優希美青、「まこみな」らがいるが、従来とは違うジャンルで、華々しい活躍が期待されるヤングエイジだ。ぜひ応援して欲しい。

 竹内愛紗

 いわき市出身の16歳。血液型はAB型

 「いわき市に、すごくかわいい中学生がいる」という噂を聞きつけたスウィートパワーのスタッフによりスカウトされる。社長も自ら現地へ赴くなど、2016年4月から10か月近くかけて本人や家族と交渉を重ね、デビューにこぎつける。2017年4月の高校入学と同時に上京。

 2017年、芸能界入りとほぼ同時にY!mobileのCM出演を決め、デビュー3か月で『週刊ヤングジャンプ』表紙に起用される。10月スタートの『明日の約束』(フジテレビ)でドラマデビュー。12月23日に公開の『リベンジgirl』で映画デビュー。福島の奇跡と呼ばれる美少女。

  • 趣味:乗馬、音楽鑑賞。
  • 特技:トロンボーン(小中で全国大会出場・県選抜)。
  • 好きな食べ物:苺、オムライス、キャベツの千切り。
  • 尊敬する女優:高畑充希。
  • タイトスカートがお気に入り。
  •  「ブルガリ」Fit My Style Vol.4 ​ 桐谷美玲・竹内愛紗篇 ​ ​​ ブルガリの似合う女性をめざす“美人姉妹”

     https://www.youtube.com/watch?v=dgxwjVnfI34

     

     箭内夢菜

     生年月日:2000/6/21(17歳)
     出身地:福島県須賀川市
    ※郡山市在住(小原田中卒で清陵情報高校在学中との噂がある)
     身長:164cm スリーサイズ:B81 W67 H89
     趣味:雑誌を読むこと特技:柔軟職業:モデル所属事務所:irving(アービング)
     
     2代目ポカリガールに抜擢され、一躍注目のタレントとなった。

     「めざせ甲子園2017」 https://www.youtube.com/watch?v=UwyGhd83IdA

     彼女は地元では「福島民友」や「うすい百貨店」などのCMに出演しており、そのルックスの良さで引っ張りだこな状態。身長が高くスタイルが抜群なので、モデルとしても活躍している。「箭内」という姓は、福島県の田村郡に多い。須賀川市出身の有名人と言えば、ウルトラマンやゴジラの生みの親「円谷英二」、俳優の「ディーン・フジオカ」、東京五輪のマラソン銅メダリストの「円谷幸吉」らがいる。

     さて、今日は2人を紹介したが、今年ブレイクすること間違いない面々だ。福島県出身者がこんなに人気が出ることは、風評被害を払拭するステータスになり得るかもしれない。ぜひ、いろいろなジャンルに挑戦し、福島県の良さをPRして欲しいと願う。

     記事作成:3月20日(火)

    2017年9月29日 (金)

    芸能人「慶早」戦

     一般的に「早慶」という呼称が通例かもしれないが、私はOBでもあるので「慶早」と呼ぶのがなわらしだ。
     テレビ業界には、とりわけアナウンサーを中心に、この両校の出身者がやたらと多い。在学中にミスキャンパスになれば、半ば在京テレビ局への就職が約束されたかのような有様だ。 また、歌手や俳優などの芸能人の中にも両校のOBが多いことに驚く。
     そこで今日は、芸能人を始めとする著名人の中で「慶應義塾大学」と「早稲田大学」の出身者を列挙したい。流行り廃りが激しいこの業界では、やはり賢くないと生き残れないということが顕著になると思う。なお赤字表記は亡くなられた方

     <アナウンサー>

     慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者

     榎並大二郎               三宅正治 
     中村光宏                 軽部真一
     松尾由美子               宮澤  智
     竹内由恵                 三上真奈
     青木裕子                 宮司愛海
     弘中綾香                 竹内友佳
     大木優紀                 長野翼
     大下容子                 石本沙織
     上條倫子                 鈴木  唯
     久保田裕佳               菊間千乃
     久保純子                 八木亜希子
     岩本乃蒼                 近江友里恵  
     中島芽生                 寺門亜衣子
     徳島えりか                古閑陽子
     郡司恭子                 宮崎宣子
     水ト麻美                  馬場典子
     鈴江奈々                 下平さやか
     永井美奈子               須黒清華
     宇内梨沙                 岡副麻希 
     秋沢淳子                 上野優花
     福島弓子                 半井小絵
     松村未央                 堀尾正明
     秋元優里                 吉田照美
     平井理央                 寺川俊平 
     中野美奈子                久米宏
     紺野あさ美                酒主義久
     秋元玲奈                 野島 卓
     小川知子                 佐野瑞樹
     遠藤玲子                 笠井信輔
     萩野志保子               藺草英己(FTV)
     内田恭子                 土井敏之
     井田由美                               阿部華也子
     根本美緒              鈴木康一郎(元FTV)
     小澤陽子
     伊藤利尋
     角澤照治
     森本毅郎
     脊山麻理子
     坪井直樹
     立本信吾
     田中大貴
     須田哲夫
     藤井弘輝
     辻岡義堂
     藤井貴彦
     ラルフ鈴木
     寺島淳司
     藤森祥平
     釜井美由紀(TUF)
     宮崎緑 
     大橋照子
     

     <俳優・女優・歌手・タレント>

     慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者
     
     石原裕次郎                 堺  雅人
     加山雄三                   内野聖陽
     石坂浩二                   藤木直人
     中村雅俊                   北大路欣也
     石原良純                   松本幸四郎
     小出恵介                   長塚京三
     水嶋ヒロ                    藤村俊二
     ミッツマングローブ             森繁久弥
     櫻井翔                     石田純一
     岩田剛典                   タモリ
     尾崎裕哉                   上田晋也
     市川猿之助                 ラサール石井
     中田敦彦                   小島よしお
     DaiGo (メンタリスト)             小田和正
     KABAちゃん                   小室哲哉
     別所哲也                     デーモン小暮
       中川勝彦                               渡瀬恒彦
                                假屋崎省吾

     竹内まりや                 市川紗椰
     二階堂ふみ                吉永早百合 
     トリンドル玲奈                室井  滋
     菊池麻衣子                橋田壽賀子 
     黒柳徹子                  箕輪はるか 
     miwa               
      一青 窈
     谷村有美
     二谷友里恵
     紺野美沙子
     
     <スポーツアスリート>

     慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者

     高橋由伸                 鳥谷 敬
     武藤嘉紀                 青木宣親 
     反町康治                 斎藤佑樹
     柳田将洋                    岡田彰布
     山縣亮太                    岡田武史
                               釜本邦茂
                               川淵三郎
                               瀬戸大也
                               五郎丸歩
                               萩原健司・次晴
                         坂井聖人
                         渡辺一平
                         羽生結弦
                         有原航平
                         ディーン元気 
                         柿谷曜一朗
                         福井優也   

                    渡部香生子
                    星 奈津美
                    福原 愛
                    荒川静香
                    八木沼純子
                    

     <文化人> 
        
     慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者

     池上彰                 田原総一朗
     木村太郎               辛坊治郎
     櫻井よしこ               尾木直樹
     宮崎哲哉               乙武洋匡
     阿川佐和子             やくみつる
     八代英輝               北村晴男 
     荒俣 宏                村上春樹
     玄侑宗久               野坂昭好
     向井千秋               永 六輔
     
    梅沢由香里            筑紫哲也
     
    壇ふみ               大橋巨泉
     つかこうへい               五木寛之
                            綿矢りさ
                            俵 万智
                            小保方晴子

     <政界>

     慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者

     小泉純一郎             竹下 登
     小沢一郎               海部俊樹
     海江田万里             小渕恵三
     石破 茂                森 喜朗
     石原伸晃               福田康夫 
     甘利 明                野田佳彦
     河野太郎               渡邊喜美
     長妻 昭                東国原英夫 
     橋本龍太郎             橋下 徹
                            稲田朋美
                            小渕優子

      記事作成:9月15日(金)
     

    2017年9月21日 (木)

    魔性と呼ばれた女たち

     今日の話題は、別段批判をするためではない。とかく女性は年齢が若い時(10~20代)にチヤホヤされ、男性は歳とともにかっこよさが増す。特に芸能界はそうした傾向が強い。そんな特異な世界において、生存競争は激しく、生き残るためには話題づくりが不可欠のようで、生活面も派手になりがちだ。10代で人気が出すぎると、通常の教育を受けられず、一般常識や教養、社会規範が育たず、時に常軌を逸した言動や行動で世間を驚かせたりする。女性の場合、「魔性の女」と呼ばれる人がいるのは、そうした理由からかもしれない。
     今日の話題は、ファンの人には申し訳ないが、一時期、魔性と呼ばれた芸能人を取り上げたい。 

     石原真理子

      現在は石原真理として活動している。スキャンダル女優として世間のバッシングを浴びた。彼女に対するマスコミの冷たく、厳しい追及は凄まじかった。しかし、デビュー当初は、代表作となるテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」シリーズなどを通じて、1980年代は清純派女優として人気を得た。
     しかし、交際相手の13人の名前一覧や男性遍歴の3人がいるなど、プレイガール振りを発揮。
     2009年(平成21年)2月25日、かつて交際していた玉置浩二と婚約(再婚)したが、米国人の前夫との結婚が解消されていないため、婚姻届は受理されていなかった。同年8月24日、石原真理に芸名を変更。同年9月に玉置とは破局状態となった事が報じられた。
     平成29年8月に弁当とお茶を盗んだとして万引き容疑で逮捕された。

     林葉直子 

     1980年代から1990年代にかけてライトノベル(ティーンズ向け小説)を執筆。その後も「かとりまさる」というペンネームで漫画原作を執筆する。

     1994年5月29日、心身ともに疲労を感じ極限状態にあるのですべての活動を停止ししばらく休養したい、棋士としての処遇は日本将棋連盟理事会の決定に従うという旨の休養願いを提出。 6月9日、10日の対局に現われなかったとで、6月11日の失踪報道となる。7月18日に滞在先のイギリスから帰国。将棋連盟から10月末日までの出場停止と約150万円の損害金の支払いなどの処分を受けた。そして翌年の1995年8月24日に、将棋連盟を追われる様に去る。段位は女流五段だった。

     1995年、将棋連盟を退会した同時期に写真集『CONFESSION 告白』にてヘアヌードを発表。続く一連の写真集でも豊胸術後の乳房をはじめ、肢体を露出させる。

     1998年、将棋界に衝撃が走った。当時、将棋界で確固たる地位を確立していた 中原誠・十六世名人が、将棋界のアイドル的存在だった元女流棋士・林葉直子(当時29歳)と不倫関係にあると『週刊文春』が報じたのだ。ワイドショーから報道番組まで、テレビは連日この一大スキャンダルの話題を取り上げた。
    六本木で「Woo Curry」というインド料理店を経営する(2004年開店、翌2005年11月閉店)。タレント、タロット占い師としても活動する。2006年ころに自己破産し、1億2千万円の実家を差し押さえられる。

     こうしてみると、彼女の場合、魔性というよりも波乱万丈の人生を送っている。

     宮沢りえ

     彼女も浮き沈みの激しい人生を送っている。美少女として早くから芸能界で注目され、モデルや女優、歌手としてオールマイティーに活躍。マネージャーを務める実の母親との二人三脚で一見順風満帆な芸能生活を送っていた。
     すると突如18歳でヌード写真集「サンタフェ」を発売し、世間に衝撃を与え、さらには貴乃花関(当時貴花田)との婚約解消事件、また男性との交際、さらに拒食症の噂など、芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期は芸能活動休止状態となった。

     激痩せから回復して来たと見られる頃から、徐々に芸能活動を再開し、2002年の『たそがれ清兵衛』で落ち着いた演技を見せ、映画の成功以降は、女優としての活動の幅が広がり、本格派女優としての評価が定着しつつある。2009年2月、妊娠6か月であることを所属事務所からのFAXで発表。後日の2月20日の報道で、相手は40歳代のハワイ在住、日本人実業家で元プロサーファーであることが明らかになった。同年4月上旬に婚姻届を提出。同月6日に東京都内で挙式した。同年5月20日に女児を出産した。
     2012年5月8日、一部のメディアにより離婚することが報じられ、同日に所属事務所からのFAXで離婚協議中であることを認めた。2016年3月18日に正式に離婚を発表した。

     そして現在は週刊誌によればV6の森田剛との交際が取り沙汰されている。

     葉月里緒菜

     1995年、映画で共演した真田広之との不倫が報じられた。雑誌「週刊朝」誌上でのインタビューでは「恋愛相手に奥さんがいても平気です」と語り、真田は当時の妻・手塚理美と離婚するなど、「魔性の女」と呼ばれ、以降バッシングを受けることになるが1998年にハワイ州在住の寿司職人と電撃結婚するも、わずか2ヶ月で離婚。2004年に別の男性と再婚、同年11月7日に長女を出産。2017年5月、2年前(2015年)に2度目の離婚をしていたことが明らかになった。
     1998年、篠山紀信撮影のヌード写真集を出し話題となる。様子が見て取れる
     彼女の生き様を見ていると、ひとつ歯車が狂うと転落していくことを実感できる。しかし最後の女の武器である「ヌード」で、起死回生や捲土重来を期すというのもわかりやすい。

     斉藤由貴

     過去の尾崎豊、川崎麻世に対する恋愛感情に続き、またしても文春砲で50代医師との不倫が取り沙汰された。女優としてのイメージダウンは避けられない不祥事だ。B型の彼女はマイペースで自由奔放、ゆえに規範意識も薄いと見えて同じ轍を何度も踏んでいる。

     高岡早紀

     保坂尚輝と離婚後、恋多き女として週刊誌に取り上げられ、芸能リポーターの格好の標的となった。悩ましいくらいの豊満なポロポーションと色気仕掛けで男性のハートを鷲掴みにした感がある。

    1994年、映画 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』に出演し、ヌードを披露。同作品では日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞などを受賞する。翌年には、篠山紀信撮影のヘアヌード写真集 『one, two, three』を出版。映画、写真集と相次いでヌードを公開した。
     俳優の保阪尚希とは1996年に結婚後、保阪との間には1998年に長男、2000年に次男と二人の男の子がもうけている。2004年に保阪と離婚後、2011年に女児をもうけた。
     彼女の軽率な振る舞いは首をかしげることが多い。子供のことを最優先してほしかった気がしてならない。父親が誰なのかわからない子を産んで、子供が気の毒の思えてしまう。「シングルマザー」というと格好がいいが、父親の顔を知らない子供は不幸ではないのか?

     華原朋美

     プロデューサーとして楽曲を提供していた小室哲哉に恋愛感情を抱いていたが、失恋し傷心のため薬物依存で何度も緊急搬送される騒ぎを起こした。一節によると自傷行為をしたと報じられた。精神状態が崩壊し、一時休業状態に追い込まれた。こちらも恋多き女と言え、そのため自分自身が傷つきなかなか立ち直れない印象。

     矢口真理

     元モー娘。というアイドルだった彼女、元夫である中村 と結婚し、身長差婚と呼ばれた。しかし、別の男性との浮気現場を夫に目撃され、それが原因で離婚。世間の非難を浴び、一時謹慎生活を送るに至った。

     ほかにも大竹しのぶ、荻野目慶子、吉高由里子、南野陽子らがこのテーマに合致する方々だと思う。

     まぁ好き勝手に書きたい放題書いたが、ファンの人には怒り心頭かも知れないが、こうした振る舞いは一般人に与える影響が大きいため、身の振り方には細心の注意を払って欲しいものだ。芸能人として、自覚と責任を持って行動をして貰いたい。

     記事作成:9月12日(火)

    2017年9月16日 (土)

    丸山夏鈴さんの墓参り~夢を叶え、そして旅立ったアイドル~

     本宮市にある「日輪寺」、そこは今から4年前の2013年9月23日、私が伊達政宗の足跡を追って訪ねた場所だった。しかし、今回はそれが目的ではない。その2年後、郡山市出身のアイドルで2015年に夭折した「丸山夏鈴」さんがこの境内にある墓地に眠っていることを知り、その墓参りで再訪することになった。
     不思議なことに、生前の彼女は、若くして夭折したアイドルということくらいしか知らなかった私だったが、最近になって彼女の存在が徐々に私の中でクローズアップして来た。重い病と闘い、息を引き取る最後の最後までアイドルとして生き続けた彼女の姿は、痛々しい部分もあったが、精一杯生きた証を遺した彼女の生き様に感銘を受け、同じ年齢くらいの娘のいる私にとっては胸に迫るものがあった。
     よって今回は彼女の活躍を振り返るとともに、墓参りの模様をお送りしたい。

     なお、彼女の墓所は、多くのファンの方々にもお参りしていただきたいというご家族の意向で公開されていますが、当ブログをご覧になった方は、冷やかしや物見遊山の軽率な気持で訪れないようお願い申し上げます。故人が眠る神聖な場所であることを念頭に置いて神妙な気持でお参りしていただきたいと思います。

     では最初に、彼女の経歴をここに記したい。

     「丸山夏鈴」

     1993年8月2日、郡山市生まれ (夏に生まれたから「夏鈴」)血液型はA

    Maruyama 小学2年の時に脳腫瘍が発見され、摘出手術を行ったという経緯がある。その後、デビューまでに中学2年時には1回、高校3年の時には2回の手術を受けている。手術による入院中、テレビで見たアイドルの姿に影響を受け、自分も彼女たちのようになりたいと思うようになったことをブログに綴っている。
     尚志高校時代は生徒会長を務めていた。
     2012年、ネットで見つけたミスiD2013のオーディションに入院中でありながら応募を行い、一次審査を通過した。その後、一般投票の期間中に芸能事務所HappyStrikeへの所属が決定し、7月からアイドルとしての活動をスタートさせる。
     2013年の入院中に脳腫瘍が肺へ転移したことが確認され、治療を続けていたものの手術は困難な状態であった。病気は徐々に進行しており、2015年2月に「Eternal Summer」のPVとジャケット写真を撮影した頃には頬が痩けていたため、病気の進行が顕著になっていた。しかし、発売記念イベントでは座りながら「Eternal Summer」をアコースティックギターの伴奏によるゆっくりとしたテンポで歌うなど、身体への負担を減らしながらアイドル活動を継続していた。その後、2015年3月末に入院して公の場での活動は休止状態となったが、4月5日よりYouTubeを通じてスマートフォンを使った自撮り映像を毎日配信し、5月21日夜まで撮影と配信を行っていた。
     5月22日、昼食後に容態が急変し、13時10分に死去。葬儀は5月25日に福島県郡山市にて、生前の本人の希望や母親・まち子の判断により、一般のファンも参列可能な形で華やかに執り行われた。戒名は「唄安夏鈴清信女」 (Wikipediaより)

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      ではお墓参り当日の経過を記したい。

     9月16日(土)くもり

     翌日には台風18号が襲来し、天気が崩れるため、行くならこの日しかなかった。来週がお彼岸だが、あいにく私は仕事でそれも叶わない。よって16日に行動に移した。

     自宅6:28発ー6:32イオンフェスタ前ー6:39東北病院信号を右折ーコクブン理容左折ー日輪寺6:43着(15分)11km

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     7:00 広い墓地の中から丸山家の墓を探すが見つからず。事前の調査で、そばに木のある場所だということは「Yahoo!画像」で知っていたため、木の周辺を探して一周してようやく発見。本堂の左の細い坂道を登り、天然記念物のシダレザクラをくぐりその先を右に折れて20m先の左側に「丸山家の墓」を見つけた。
     しかし、墓石には「夏鈴」の文字もなければ彼女の戒名も一切刻まれていない。そこで人違いだったらいけないので、さらに広い墓地を2~3回捜索。4号線の上に架かる橋に出る。太陽GSの右上にある墓地だ。

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      橋の上から郡山方面         本宮市内方面

     戻ったら、他の参拝客が近くにいて、いったん時間を潰すために本堂に戻る。「仙道第4番安達30番札所崋蔵院」の文字。また石段の下には震災時に崩壊した本堂の屋根の鬼瓦が左右に移設してあった。
     7:25再度墓の前へ。本人のお墓か確認取れなかったが、後ろの塔婆を見たら2本のうち新しいほうに「夏鈴」の文字が見え、ここで間違いないと確信。3~4回墓地を隅々まで捜索したが、他に「丸山家」という文字が刻まれた墓石はなかった。
     早速、前夜に購入した花を供えて手をあわせる。しかし、水がない。彼女のトレードマークのひまわりが両側に供えてあったがどちらも造花だった。失礼のないように気を遣いながらお参りする。その後、本堂に備えてある桶と柄杓を借り、水を入れて坂を登って花筒に水を足す。そして何度も合掌して拝礼。その隣には小さなお地蔵さま。そこに備えてあるカーネーションも造花だった。この墓と正対するように向かい側には、ここの住職が建立した「心」と刻まれた墓石が建っていた。

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     7:35日輪寺発(通勤ラッシュの時間帯)ー7:43ビール園前ー7:49バイパスを降りる
    ー7:53BIG買い物ー8:11帰宅 往復の走行距離23.3km

     お墓の場所を探してタイムロスしたが、40分もあれば自宅から往復可能だとわかった。

     芸能人の墓参りを実施したのは5年前以来二度目だ。その時は天知茂、坂井泉水、石原裕次郎の墓所を回って、在りし日の彼らの功績を偲び、静かに手を合わせたのだった。
     今回は僅か21歳という若さで、早すぎる旅立ちをした丸山夏鈴さんだけに、感慨深いものがあった。まだまだ遣り残したことがたくさんあったに違いない。幼少の頃から命の病と闘い、それでも決して挫けずに、向日葵のような明るい笑顔を周囲に振りまく天使のような存在だった。そして自分の夢であったアイドルになるために、懸命に努力した。その甲斐あって、自分の夢を手繰り寄せ、叶えてアイドルになった。
     そして死の間際までブログで近況を発信続けた。彼女の生き様とその存在は何年経っても決して色褪せず、ファンの方々の心に生き続けていくに違いない。それが証拠に2年以上経った今、月命日でもないのに、彼女のお墓にはお花が供えてある。それほど彼女の人生は、ファンの心に焼き付いているし、夢や希望を追いかける大切さを一生をかけて伝えてくれたのだ。
     若くして天国へと旅立った彼女の人生を忘れず、私自身も恥ずかしくない生き方をしていこうと心を新たにした次第だ。彼女は私にとって娘のような存在だが、亡くなった後も、彼女に元気を貰っている。ちょっとした仕事の悩みや躓きにも、彼女の体験した辛さや苦しみを思えば、これしきのことでへこたれてはならないと思っている。

     最後に、彼女が亡くなった後に、テレビ報道されたドキュメンタリー映像をここに刻み込みたいと思います。

     告別式の模様が「めざましテレビ」で放送された際の映像

     https://www.youtube.com/watch?v=6CgZkT-Jhb4

     最期までアイドル 夏鈴という奇跡はコチラ

     改めて彼女のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

     記事作成:9月16日(土)

    2017年9月15日 (金)

    有名人が亡くなった年齢一覧

     昨日に引き続き、芸能人の年齢に纏わる話題を提供したいと思う。それは人それぞれ寿命が違うように、亡くなる年齢も異なっている。「美人薄命」という言葉のように、私がこよなく好きだったZARDのヴォーカルの坂井泉水さんは40歳でこの世を去ってしまった。もちろん岡田有希子さんのように自ら命を絶った方は、平均寿命よりも遥かに早く亡くなっているし、本田美奈子さんのように予期せぬ病魔に侵され、若くして志半ばで天国へ召された方も多い。
     人生は「太く短く生きるか」、「細く長く生きるか」のどちらかのような気もするが、かつて一世を風靡した俳優や女優、そして歌手の人たちが一体何歳で亡くなったのかについて今回はスポットを当てたい。

     91歳以上 
         杉村春子 金田一春彦 小野田寛郎 森光子 市川崑 淡路のり子 池部良
         市川右太衛門 水木しげる 松下幸之助 田端義夫 原節子 森繁久弥
         安藤百福 川上哲治 小森和子

     90歳 三國連太郎 山村聰 松村達雄
     89歳 吉田茂 横山大観 金田一京助 淀川長治 岡田嘉子
     88歳 黒澤明 志賀直哉 山崎豊子 笠智衆
     87歳 昭和天皇 宮澤喜一 大滝秀治 淡島千景 市川房枝 柳家小さん
     86歳 高峰秀子 木下恵介 小林桂樹
     85歳 土井たか子 野坂昭如

     84歳 船越英二 岡本太郎
     83歳 納谷悟郎 井上靖 鶴岡一人 高倉健 高橋昌也 丹波哲郎 岡本太郎
          本田宗一郎 岡本太郎 北杜夫 浜田幸一  永六輔 小沢昭一
     82歳 宇津井健 平幹二朗 永井一郎 千秋実 来宮良子  大橋巨泉
     81歳 佐藤慶 菅原文太 藤山一郎 上原健 二谷英明 芦田伸介

     80歳 大島渚 植木等 片岡千恵蔵 和田勉 江戸家猫八 加藤芳郎 ミヤコ蝶々
          牟田悌三  北村和夫
     79歳 横溝正史 今村昌平 塩沢とき 永井荷風  並木路子 平尾昌晃 藤本義一
     78歳 谷啓 大沢啓二 牧伸二  草薙幸二郎
     77歳 三船敏郎 三波春夫 児玉清 花菱アチャコ 長門裕之 田村高廣 宮尾すすむ
          仲谷昇 高松英郎
     76歳 三遊亭円楽 藤田まこと 北大路魯山人 フランク永井 岸田今日子
          長谷川一夫 遠藤実 嵐寛寿郎 坂上二郎 南田洋子 竹下登 志村喬
          犬養毅 水野晴郎 藤岡琢也
     75歳 井上ひさし 立川談志 横山ノック 藤村富美男 島倉千代子 加藤嘉
                田中角栄 勝海舟 岡田英次

     74歳 青島幸男 水谷八重子 西村晃
     73歳 宇野重吉 龍虎 斎藤晴彦 村田英雄 湯川秀樹 西村晃 殿山泰司
          大友柳太朗
     72歳 野沢那智 小暮実千代 小野ヤスシ 名古屋章 水原茂 筑紫哲也 
          遠藤周作 古賀政男 夏八木勲 中谷一郎 山岡久乃 川端康成

     72歳未満は死因も記載いたします。

     71歳 原田芳雄(病死)金子信雄(病死)緒形拳(病死)星新一(病死)荒井注(病死)
          高峰三枝子(病死)新珠三千代(病死)伊藤エミ(病死) 棟方志功 司馬遼太郎
          川端康成(自殺)深作欣二(病死)大鵬幸喜(病死)赤塚不二夫(病死)
          長谷川町子(病死) 三原脩(病死) いかりや長介(病死) 

     70歳 江戸川乱歩(病死)吉川英治(病死)阿久悠(病死)地井武男(病死)
          稲尾和久(病死)海老一染太郎(病死)細川俊之(病死)岡田真澄(病死)
          笠置シズ子(病死)乙羽信子(病死)林隆三(病死)
     69歳  尾崎紀世彦(病死)米長邦雄(病死)大山康晴(病死)蟹江敬三(病死)
          千利休(切腹)大坂志郎(病死)
     68歳 渥美清(病死)橋本龍太郎(病死)円谷英二(病死)鈴木その子(病死)
          横山光輝(病死)伊達政宗(病死)中条静夫(病死)
     67歳 春日八郎(病死)三ツ矢歌子(病死)
     66歳 市川団十郎(病死)福澤諭吉(病死)小林千登勢(病死)

     65歳 三橋美智也(病死)大瀧詠一(病死)勝新太郎(病死)榎本健一(病死)
          小林昭二(病死)峰岸徹(病死)
     64歳 萬屋錦之介(病死)石立鉄男(病死)小林一茶(病死)京塚昌子(病死)
     63歳 東條英機(処刑)伊丹十三(自殺)オードリーヘップバーン(病死)城達也(病死)  
          はらたいら(病死)北公次(病死)
     62歳 藤本弘(病死)山田康雄(病死)大原麗子(病死)藤圭子(自殺)鶴田浩二(病死)
          萩原流行(事故死)ジョニー大倉(病死) 若山富三郎(病死)萩昌弘(病死)
          小坂一也(病死)小渕恵三(病死)
     61歳 ジャイアント馬場(病死)森田芳光(病死)千代の富士貢(病死)

     60歳 手塚治(病死)小津安二郎(病死)石ノ森章太郎(病死)鈴木ヒロミツ(病死)
     59歳 坂東三津五郎(病死)夏夕介(病死)レオナルド熊(病死)
     58歳 忌野清志郎(病死)開高健(病死)荻島真一(病死)
     57歳 坂口良子(病死)中村勘三郎(病死)青山孝史(病死)
     56歳 双葉山(病死)

     55歳 田中好子(病死)成田三樹夫(病死)
     54歳 林家三平(病死) 天知茂(病死) 小池朝雄(病死)川谷拓三(病死)
     53歳 平尾誠二(病死) 熊谷俊哉(病死)
     52歳 美空ひばり(病死)石原裕次郎(病死)
     51歳 横山やすし(病死)阪東妻三郎(病死)早乙女愛(病死)川口浩(病死)

     50歳 マイケルジャクソン(不審死) 松尾芭蕉(病死)スティーブマックイーン(病死)
     49歳 ジャンボ鶴田(病死)清水由貴子(自殺) 山下清(病死)明日香(病死)
                西郷隆盛(戦死)
     48歳 逸見政孝(病死)川口浩(病死)河島英五(病死)アル・カポネ(病死)
          ホィットニーヒューストン(不審死)太地喜和子(事故死)松山英太郎(病死)
     47歳 寺山修司(病死)出門英(病死)ジュディガーランド(自殺)織田信長(謀反)
     46歳 村下孝蔵(病死)三沢光晴(事故死)アンドレザジャイアント(病死)
          J・F・ケネディ(暗殺)三浦洋一(病死)

     45歳 三島由紀夫(自殺) 引田天功(病死) 江利チエミ(病死)古尾谷雅人(自殺)
          フレディマーキュリー(病死)
     44歳 田中実(自殺)たこ八郎(水死)
     43歳 坂本九(事故死) 植村直己(遭難)田宮二郎(自殺)甲斐智枝美(自殺)
          ナタリーウッド(事故死)岸田森(病死)
     42歳 松本友里(自殺)水原弘(病死)伊良部秀輝(自殺)テレサ・テン(不審死)
          ブルーザーブロディ(刺殺)エルヴィスプレスリー(病死)
          ゲーリーコールマン(病死)
     41歳 ジャッキー佐藤(病死)

     40歳 松田優作(病死)ジョン・レノン(殺害)橋本真也(病死)坂井泉水(不審死)
          伊藤俊人(病死)徳永善也(病死)
     39歳 力道山(刺殺)
     38歳 太宰治(自殺)本田美奈子(病死)奥大介(事故死)
     37歳 市川雷蔵 佐田啓治(事故死) 戸川京子(自殺)桜塚やっくん(事故死)
          宮沢賢治(病死)
     36歳 沖田浩之(自殺)池田貴族(病死)飯島愛(不審死)ダイアナ(事故死)

     35歳 泉政行(病死)芥川龍之介(自殺)アンディ・フグ(病死)
     34歳 小林麻央(病死)アイルトンセナ(事故死)土方歳三(戦死)松田直樹(病死)
     33歳 近藤勇(斬首)
     32歳 中川勝彦(病死)津田恒美(病死)可愛かずみ(自殺)阿部典史(事故死)
     31歳 沖雅也(自殺)坂本龍馬(暗殺)

     30歳 羽生未来(病死)
     29歳 川田亜子(自殺)毛利公子(病死)
     28歳
     27歳 沢村栄治(戦死)円谷幸吉(自殺) 夏目雅子(病死)ジミヘンドリックス(不審死)
          高杉晋作(病死)
     26歳 尾崎豊(不審死) ニックドレイク(不審死) 岡田れいな(病死)
          加藤大治郎(事故死) 石川啄木(病死)

     25歳 沖田総司(病死)
     24歳 ジェームズディーン(事故死)上原美優(自殺)神戸みゆき(病死)
     23歳 大場政夫(事故死)堀江しのぶ(病死)高橋徹(事故死)
     22歳
     21歳 赤木圭一郎(事故死)

     20歳 
     19歳 志賀真理子(事故死)柳原尋美(事故死)富沢祥也(事故死)
     18歳 岡田有希子(自殺)
     17歳 山田かまち(感電死)遠藤康子(自殺)
     16歳 高橋良明(事故死)
     15歳

     記事作成:9月5日(火)

    2017年9月 1日 (金)

    アンチエイジングの女性⑬

     TBSの「ひるおび」、水曜日・午後の部でコメンテーターとして出演中の伊藤聡子さん。彼女の年齢を聞いて驚いたが、今の50歳は10年20年前と比べて雲泥の差で、とても若い。決して若作りしている云々ではなく、見た目も可愛い人が多いし、肌の状態も良い印象を受ける。
     名前は知らなくても、この顔を見れば、ひと目で思い出す美人、それが伊藤聡子さんだ。容姿端麗にして才色兼備。そんな言葉がピッタリの彼女を今日は取り上げたい。まずはプロフ紹介から。

     「伊藤聡子」

     1967年7月3日生まれの50歳 血液型A 唐橋ユミアナと同じ「三桂」所属
     
     新潟県糸魚川市出身。新潟県立新潟高等学校を経て、東京女子大学文理学部英米文学科卒業。事業創造大学院大学修了。

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      大学在学中の1989年から、TBSの『サンデーモーニング』にリポーターとして出演。その後も『スーパーモーニング』『ベストタイム』などのワイド番組のキャスターを務めた後、2002年から1年間ニューヨークのフォーダム大学に留学した。2010年からは事業創造大学院大学の客員教授を務める一方、文部科学省「原子力分野の研究開発に関する委員会」委員、川合俊一や永井大らと共に「糸魚川ジオパーク大使」を務めている。 またこの傍ら、講演会やシンポジウムにも出演している。

      やはり有名女子大を卒業されているだけあって、才色兼備という感じ。しかも大学院まで行っている才女。しかも、大学院の教授というからそのキャリアは確か。やはりアナウンサーと同じで知性と教養がある方は、美へのこだわりもあって、魅力を感じる。

     記事作成:8月16日(水)

    2017年8月28日 (月)

    謎の死を遂げた有名人(日本人スター編)

     本日も前日に引き続き、「謎の死を遂げた有名人」をテーマにした記事をお送りしたい。今日は、日本人スター編。芸能人や有名スターの中には理解できないような不可解な死に方をしている方も少なくない。昨日も彼らの名誉を傷つけたり、ファンの感情を逆撫でする意図はまったくないことを予めお断りしておきます。

     <日本人編>

     尾崎豊

     1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。ライブでの熱烈で破壊的なパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼び、カリスマ的存在となる。その作品と活動と精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは死去から20年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンにリスペクトされている。



     1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、当時、社会的にも大きな衝撃を与えた。死後20年を過ぎてもなお、尾崎を慕うものは絶えず、新たなファンを生んでおり、彼が遺した曲の数々は多くのアーティストにカバーされ続けている。
     1992年(平成4年)4月25日早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる。診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄と共に自宅マンションに戻る。しかし、10時ごろになって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。搬送先の日本医科大学付属病院で手当を受けるも、午後0時6分に死亡した。死因は覚醒剤中毒 (メタンフェタミン中毒) による肺水腫。
     この発見当時の様子では、全身に殴られたような打撲痕があった。自傷行為では考えられず、複数犯にリンチに遭って倒れていて、それが致命傷に繋がったのではないのかという謎が、死亡直後から巻き起こった。なぜ、事件として処理されなかったのだろうか?それとも彼の名誉を傷つけるような事実が判明し、それを覆い隠そうとしてこのような発表に至ったのだろうか?

     坂井泉水

     1991年2月10日、ZARDのヴォーカルとして、シングル「Good-bye My Loneliness」でデビュー。以降、音楽活動を続け『負けないで』『揺れる想い』『マイ フレンド』など9作でミリオンヒットを記録。90年代アーティスト・トータル・セールス:女性ボーカル・アーティスト1位(オリコン調べ)に輝いた。
     2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。2000年に自曲「Get U're Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になった縁から2000年のNHK紅白歌合戦の出演に前向きだったと報じられたが、その後「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。
     2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査をうけたところ子宮頸癌が発見される。6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受けて、7月に退院。
     2007年4月、肺への転移が見つかり、再入院。入院中は抗がん剤による治療を受け、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していた。

  •  5月26日朝5時40分頃、入院先の病院内のスロープから3メートル下に転落し、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見される。集中治療室で緊急処置を受けるも、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急逝する。40歳没。
  •  私は実際に母校である大学の附属病院の事故現場を訪れ、手を合わせてきたが、私はあんな場所で手すりに後ろ向きでもたれかかることはありえないと感じた。よって、覚悟し、自らの意思で後ろ向きに倒れ、後頭部を痛打したとしか思えない。あれだけの美貌で、顔を傷つけたくないという乙女心があって、事故を装った自殺だったように思えてならない。あえて明確な自殺を決行しなかったのは、これまで積み上げてきたZARDの功績を汚したくなかったのと、残されたファンへの影響だったと思う。
     ZARDとして登場した時も神秘のベールに包まれていたが、自らの幕引きもまるでオブラートに包まれた謎の死を自らの手で演出したものと思う。合掌
  •  飯島愛

     1972年10月31日、東京都江東区生まれ
     中学在学中から不良仲間と毎晩ディスコ等で夜遊びに耽るようになり、遊ぶお金の為に万引きやカツアゲを繰り返す生活をしていた。高校には入学したものの全く通学しておらず、すぐに中退する。中学卒業前後には既に家出同然の状態であり、家出後の彼氏との短い同棲生活等を経て、六本木でホステスとして働いていたところをスカウトされ、1992年にAV女優となる。
     1994年頃、AV女優を引退。テレビ番組への出演等によってタレントとしての知名度を得たことで、引退後は完全にタレント業へと転身を果たした。
     2000年、半自伝的な小説『プラトニック・セックス』でリンチ被害、AV出演や性病感染、中絶手術、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、以来作家活動も行っていた。
     2007年3月3日、芸能界引退の報道が流れる。


                                                                                                                         
     2008年12月24日、東京都渋谷区桜丘町の渋谷インフォスタワーの自室にて死亡しているのが、親戚の女性によって発見された。その後、警察などの捜査によって、発見時現在で死後1週間ほど経過していたことが判明した。死亡推定日は発見日である12月24日から起算して12月17日前後であると考えられている。36歳没。2009年(平成21年)2月4日、東京都監察医務院による病理検査の結果が警視庁渋谷警察署より発表され、死因は肺炎であったことが判明した。

     彼女の人生は波乱万丈だった。AVタレントから芸能界でも姉御肌で多くの友人がいた。

     大原麗子

     1964年、テレビドラマ『幸福試験』の出演でデビューし、翌年、東映へ入社。『孤独の賭け』で初めて本格的な映画に出演し、高倉健の『網走番外地』シリーズ、千葉真一主演作品での助演、『夜の青春』シリーズをはじめ、数々の映画に出演したが、梅宮の主演映画では酒場のホステスやパンスケ役が多かった。1971年に東映との契約切れを機に渡辺プロダクションに移籍。以降テレビドラマを中心に一転して「しっとりとした日本的美人像」を演じ、映画『おはん』の魔性の女などさまざまな役を演じ分け、独特の存在感を発揮した。

     1975年に神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症。47歳のときには乳がん手術を受けた。1999年11月から翌年にかけてギラン・バレー症候群が再発したとして芸能活動を休止した。
     2008年11月には足元がふらついて自宅で転倒、右手首の骨折と膝の打撲という重傷を負った。

     2009年8月6日、連絡が取れず不審に思って警察に通報していた実弟らによって、自宅で死亡しているのが発見された。行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。死因は不整脈による脳内出血であると診断された。 満62歳没(享年64)。

     あれほどの大女優が孤独死とは一般人からすると想像が付かない。二度の結婚・離婚で身寄りがなく、誰にも見取られずに天国へ旅立ってしまった。表向きの華やかさとは裏腹で、私生活は質素で人知れずひっそりとした暮らし向きだったようだ。

     どれも自殺を想像させる不可解な死に方だが、故人の名誉と生前の活躍に対するファンへの影響を考え、事故死と発表したのかもしれない。数奇な運命を辿り、儚く散ったスターたち。しかし、彼らの遺した作品は決して色褪せることなく、私たちの記憶の中で生き続けて行くことと思う。

     記事作成:8月14日(月)

    2017年8月27日 (日)

    謎の死を遂げた有名人(外国人スター編)

     なぜか大スターの中には不可解な亡くなり方をしている人が多いのをご存知でしょうか。JFKやジョン・レノンなどは暗殺されているし、ダイアナ元皇太子妃はパパラッチの追跡が原因で事故死した。彼らの死亡の知らせは世界中を駆け巡り、世間を騒がせるとともに大きな失望を与え、影響があったことは言うに及ばない。
     今日は、そうした大スターたちの奇妙な最期を取り上げたい。彼らの名誉を傷つけたり、ファンの感情を逆撫でする意図はまったくないことを予めお断りしておきます。

     <外国人編>

     マリリン・モンロー

     1926年6月1日ロサンゼルス生まれ
     1953年までに、モンローは、彼女の性的魅力に焦点を当てたノワール「ナイアガラ」と、「紳士は金髪がお好き」、「百万長者と結婚する方法」の3つの映画で主役を演じ、「頭の悪い金髪女性」というスターイメージを確立。ハリウッドの最も有名なスターの1人となった。
     モンローの悩ましい私生活は大きな注目を集めた。彼女は薬物乱用、うつ病、不安に苦労した。野球のスター選手だったジョー・ディマジオと劇作家のアーサー・ミラーと結婚した。

    1962年8月5日、彼女はロサンゼルスの自宅でバルビタールの過剰投与により36歳で死亡。モンローの死には、陰謀論が提唱されている。彼女の突然の死は世間を驚かせ、ファンを嘆き悲しませた。彼女の死後、彼女の死因を巡ってマスコミが騒いだ。他殺説や自殺説など多くの憶測を生んだ。
     とにもかくにも彼女は1950年代、プレスリーと並ぶ欧米を代表するトップスターで、世の男性の熱視線を浴び、セックスシンボルとしての地位を確立した。

     エルヴィス・プレスリー

     1950年代にチャック・ベリーやファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、バディ・ホリーらと共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大な影響を与えた。その功績からキング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1950年代に、アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀の音楽の中でも最大級のムーブメントを引き起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされる。

     1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで没した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3時30分、プレスリーの死亡を確認した。42歳没。検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。
     晩年、プレスリーはストレスからくる過食症に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、1975年くらいからは主治医だったジョージ・ニコポウラスから処方された睡眠薬などを「誤った使い方」で服用していた。

      ジミ・ヘンドリックス

     ギタリストとして多くのミュージシャンに多大な影響を与えたロックミュージックのパイオニアの一人。右利き用のギターを逆さまにして左利きの構えで演奏するスタイルで知られる。ギターを歯や背中で弾いたり、火を放ったり、破壊したりするパフォーマンスでも有名。
     「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第1位、2011年の改訂版でも第1位に選ばれている。2008年5月にブラジルのメタル専門誌『ROADIE CREW』が行った「HR/HM系ミュージシャンが選ぶギタリスト・ランキング」、『ギター・マガジン』2010年12月号の「ギター・マガジンが選ぶ! 史上最も偉大なギタリスト100人」で1位となっている。
     また、「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100組のスター」においては第6位に選ばれている。



     1970年9月18日未明(深夜から早朝)、モニカ・ダンネマンという女性と2人でロンドンのホテルに滞在中に急逝。死亡時は27歳。デビューからわずか4年ほどでの死だった。
     死亡原因は、睡眠前に酒とバルビツール酸系睡眠薬を併用し、睡眠中に嘔吐したことによる窒息死とされる。「自殺したのでは」等の憶測も飛んだが、現在では否定されている。

     テレサ・テン

      1953年1月29日、中華民国(台湾)雲林県出身。台湾のみならず日本、中国大陸、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、北朝鮮等で人気を誇り、「アジアの歌姫」と呼ばれた。
     1974年、21歳の時に日本での歌手活動を開始する。すでにアジアのスターだった彼女は、アイドル歌謡曲路線の「今夜かしら明日かしら」により鳴り物入りで日本デビューを果たすが、売れ行きは思わしくなく、不発に終わった。そこで演歌歌謡曲路線に転向したところ、日本でのデビュー2作目となる「空港」が大ヒットする。第16回日本レコード大賞新人賞を獲得して日本でもトップ・スターの仲間入りを果たし、歌手活動も軌道に乗った。その後も香港を拠点に台湾や日本などアジア各地を行き来する多忙な日々を送る。
     1984年、日本の音楽ファンの強い要望もあって、再来日が許可される。レコード会社もポリドールからトーラスレコードに移籍、「つぐない」で日本再デビューを果たす。「つぐない」は有線放送を通じてじわじわと人気に火が付いて大ヒット、日本有線大賞など数々の賞を受賞する。
     翌1985年にリリースした「愛人」も大ヒット。この曲で第36回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。「愛人」有線放送のリクエストチャートで14週連続1位。1986年、荒木・三木コンビによる三曲目となる「時の流れに身をまかせ」をリリース。これも大ヒットとなり、紅白に二年連続出場する。「つぐない」と「愛人」は、それぞれ日本で150万枚、『時の流れに身をまかせ』は200万枚を売る大ヒットとなる。
     1984年から1986年にかけ、『日本有線大賞』および『全日本有線放送大賞』の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞。

     1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳だった。富と名声を得ながらも、晩年は孤独な独身生活を送っていた。同月28日に台北で国葬が執り行われ、世界各国から3万人ものファンが詰め掛けた。彼女の棺は中華民国の国旗と国民党党旗で覆われ、台湾での国民的英雄ぶりがうかがえた。
     1990年代にアジア各国で二回ほど彼女の死亡説が流布している。一度目は1990年5 - 6月に父親の葬儀への欠席をきっかけとした病死説、二度目は翌1991年4 - 5月に病死説・暗殺説が流れ、それを否定する本人のコメントが新聞記事などに取り上げられた。

     マイケル・ジャクソン

      1958年8月29日、アメリカ合衆国 インディアナ州ゲーリー出身
     1968年1月、スティールタウン・レコードから「Big Boy」でデビュー。
     1969年10月、「I Want You Back」でジャクソン5としてメジャーデビュー。デビュー曲でありながらいきなり全米チャート1位に登り詰めた。
     1971年10月、「Got To Be There」でソロデビュー。
     1983年1月、のちに自身最大のヒットシングルとなる「Billie Jean」を発表。5月にはモータウン25周年記念に出演しムーンウォークを初披露する。続けて革新的なミュージック・ビデオを次々と発表。中でも「Thriller」はギネス記録に「史上最も売れたアルバム」として認定されている。
     1985年、アフリカ飢餓救済のためのプロジェクト「USA for Africa」に参加。ライオネル・リッチーと共に作詞作曲を手掛けた。

     2009年6月25日、マイケルが自宅にて心停止・呼吸停止状態に陥り、マイケルのボディーガードが救急隊に通報。12時26分に救急隊が到着。13時14分にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) 付属病院へ救急搬送される。約42分間に及ぶ蘇生活動を行うも、カルフォルニア時間14時26分に死亡が確認された。
     7月11日、ロサンゼルス市警察は、プロポフォールの不適切な使用が死因である疑いは強く、処方医による重過失致死の可能性がある、と表明した。
     7月22日、ロサンゼルス市警察は、マイケル死亡時に心肺蘇生を行ったとされる心臓内科医専属医のオフィスを家宅捜索。
     7月28日には元主治医の自宅と診療所が捜索を受け、8月2日には元主治医に77万ドルの借金があることが明らかになった。元主治医がマイケルの治療を月額15万ドルで請け負った背景にはこの金銭状況があった、とAFPは指摘している。
     8月24日、警察の事情聴取に対する元主治医の宣誓供述書とされるものが報道された。その宣誓供述書によると、元主治医はマイケルの不眠治療のため、6週間にわたって毎晩プロポフォールを投与したという。依存症になることを懸念して、6月22日には処方はプロポフォールから催眠鎮静剤であるロラゼパムとミダゾラムへと切り替えられた。
     ところがその後マイケルは不眠の状態に陥り、死の当日である6月25日には深夜から早朝にかけてロラゼパム、ミダゾラムやジアゼパムを断続的に投与するも眠りにつかせることができず、10時40分頃にはマイケルの度重なる要求により25mgのプロポフォールが点滴投与された。それによりマイケルが眠りに就いた後、元主治医はトイレのため2分ほどマイケルの元から離れたが、トイレから戻った時にはすでにマイケルの呼吸は停止していたという。
     8月28日、ロサンゼルス検視当局が死因を公式発表。急性プロポフォール中毒とした上で、第一の死因はプロポフォールとロラゼパムの複合使用と指摘した。故殺であることも断定した。
     裁判の結果、2011年11月に元主治医は過失致死罪で禁錮4年の有罪判決を言い渡された。

     さて、今日お送りした世界的に有名なスターの死に様はどれも自殺を想像させる不可解な死に方だが、故人の名誉と生前の活躍に対するファンへの影響を考え、事故死と発表したのかもしれない。

     記事作成:8月14日(月)

     

    2017年8月10日 (木)

    アンチエイジングの女性⑫

     1990年代にトレンディ女優としてテレビドラマに引っ張りだこだったのが石田ゆり子。最近は露出度が減ったが、同じ女優の石田ひかりは実の妹。彼女は昨年「逃げるは恥だが役に立つ」に出演し、エンディングで流れた「恋ダンス」がブームに。
     彼女は今年10月、48歳になるが、年齢とは似つかわないほど若々しい。それは独身を貫いているからなのか?20代の頃に熱愛していた俳優I氏との破局を今でも引きずっているとは思えないが、なぜあの美貌で結婚しなかったのか複雑怪奇だ。アンチエイジングを実感するCMが下。

     オルビス ORBIS 「素顔のままで」篇

     石田ゆり子のプロフ 

     生年月日:1969年10月3日 (47歳)
     出身地:名古屋市
     学歴:女子栄養大学
     血液型:A型
     身長:164cm 

      主な出演テレビドラマ

    『101回目のプロポーズ』『君のためにできること』『不機嫌な果実』
    『できちゃった結婚』『Dr.コトー診療所』『プライド』
    『今週、妻が浮気します』『はだしのゲン』『専業主婦探偵〜私はシャドウ』
    『カエルの王女さま』『夜行観覧車』『医師たちの恋愛事情』
    『逃げるは恥だが役に立つ』

      主な映画
                                                                                                                         
    『悲しい色やねん』『解夏』『四日間の奇蹟』『北の零年』など

     彼女の20代の頃に出演したCMで、私のお気に入りがこれ

    女房を酔わせてどうするつもり?

     アンチエイジングを地で行く現在の彼女の出演作はこちら

    【最高…!かわいいと話題に…!】石田ゆり子 出演 キリンチューハイビターズ CM 5本まとめ
    1.キリンチューハイ ビターズ 「あなたの顔 」篇 15秒
    2.キリンチューハイ ビターズ 「あなたの顔 」篇 25秒
    3.キリンチューハイ ビターズ 【3月9日限定CM】ありがとうの日篇
    4.キリンチューハイ ビターズ 「夏の愉しみ」篇
    5.キリンチューハイ ビターズ 「夏の愉しみ」篇(7月WEB)

     私は吉田栄作と共演した「君にためにできること」が大好きだった。

     記事作成:8月3日(木)

     

     

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