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芸能・アイドル

2017年6月16日 (金)

惜しまれつつ巨星逝く

 昭和の時代、その存在感を示した巨星とも言うべき方々が相次いで亡くなった。私が幼少の頃から、テレビやラジオを通じて見ていた雲の上の存在だが、それぞれの分野で一世を風靡した。ここ数年立ち続けにそうした巨星たちが天国へと旅立っていくことに一抹の寂しさを感じてしまう。 

 永六輔

 「見上げてごらん夜の星を」の作詞者でもあり、作家でもあった永さん。私は「咳こえのどに浅田飴」のキャッチフレーズCMのほうが印象深い。昨年4月に86歳の天寿を全うした。

 名もなき星たちへ 毎日100通程度届く手紙に、懇切丁寧に返事を書いていた。決して表沙汰にしない、密かな活動であった。そして年間100日は地方行脚を重ね、多くの方々と膝を交えて語り合う人柄は、亡き後も多くの人々に慕われ愛されている。

 小沢昭一

 夕方のラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で聞かせた陽気な語りと流暢な話術は今でも脳裏に焼きついている。そしてOPとEDの名調子のお囃子も小気味いい。

 大橋巨泉

 正直、生前はあまり好きなタイプではなかった。B型そのもので自己中心的で金に物を言わせるような人を見下した偉そうな態度。しかし、昭和時代、若くしてテレビの分野で活躍した。万年筆のCMで「はっぱふみふみ」という名言を残し、自分が企画し、司会を担当した番組はいずれも高視聴率の長寿番組となった。まさにテレビの申し子的な存在だった。
 晩年は全身がんとの闘いとなった。それでもテレビに出演続けた。
 一時は民主党から政界進出を果たしたが、我の強さから執行部に見切りを付け、さっさと引退。いかにも巨泉さんらしい振る舞いだ。
 永六輔さんと親友で、彼を追うように巨泉さんも続けてこの世を去った。

 他にも私が崇拝する故人に名ナレーターだった芥川隆行さん、ジェットストリームで魅せた痺れる声の持ち主・城達也さんがいる。

 記事作成:6月5日(日)

 追記

 この記事を書いた後、名母親役など女優として活躍した「野際陽子」さんが亡くなられた。中学時代に「キーハンター」の再放送を深夜の時間帯で見て、あのアクションドラマに虜になったことを思い出した。それにしても81歳とは、私の母親より年上で、芸能人はやはり若く見える。謹んでご冥福をお祈りしたい。

2017年6月14日 (水)

一時期大ブレイクしたユニット②

 昨日に引き続き、本日も「一時期大ブレイクしたユニット」を紹介したい。今日は3人組ユニットを取り上げたい。

 3 Mi-Ke

Mi-Ke(ミケ)は、宇徳敬子、村上遙、渡辺真美の3人のB.B.クィーンズの音楽コーラス隊 であり、後にアイドルグループとしてデビューした。
アイドルグループとしては1991年にデビュー。振り付けを意識した当時のアイドルグループの形態をとりながらも、アルバムごとにテーマを定めたリバイバル・カバープロジェクトであった。グループ名の由来は当時ヒットした「たま」をもじり、メンバー3名の個性を活かして三毛猫から取っており、白が宇徳、茶色が村上、黒が渡辺というように色が分けられていた。

「想い出の九十九里浜」、「好きさ好きさ好きさ」、「ブルーライトヨコスカ」、「白い2白いサンゴ礁」など、オリジナル曲をパロった曲名が多かった。

日本レコード大賞、日本有線大賞、全日本有線放送大賞(現・ベストヒット歌謡大賞)、日本ゴールドディスク大賞と各音楽賞の最優秀新人賞を総ナメにし、『第42回NHK紅白歌合戦』(「想い出の九十九里浜」)にも出場。
1992年4月、同月から放送が開始された『NHKヒットステージ』にてアシスタントとしてレギュラー出演。翌年3月の放送終了まで出演した。

 ボーカルを務める宇徳敬子は、、1990年に「B.B.クィーンズ」のコーラス担当でデビュー。その後、1991年に村上遙、渡辺真美と共にアイドルユニット「Mi-Ke」として活動。1993年にシングルCD「あなたの夢の中 そっと忍び込みたい」でソロデビューし、Mi-Keとしては同年にシングル「Please Please Me, LOVE」をリリース後、CD発売や音楽活動は自然に停止している状態である。

https://www.youtube.com/watch?v=n6B6yP2ioUA

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 4 トライアングル

 1977年、キャンディーズの解散表明後、「キャンディーズの妹分」としてキャンディーズJrという名前で結成されたが、熱狂的なキャンディーズファンの猛反発を受け、トライアングルに改名。
キャンディーズがレギュラー出演していた『8時だョ!全員集合』に、キャンディーズと共に出演するなど、この時期に結成された「女性3人アイドルグループ」の中では、もっともキャンディーズに近い扱いを受けていた。
キャンディーズが解散した1978年4月、「トライアングル・ラブレター」でデビュー、スマッシュ・ヒットとなったものの、オリコンチャートの30位以内に入ったシングルはこの1枚にとどまり、その後は徐々に活動も尻すぼみとなって行った。
 1981年解散。

ミッチ(森光子→もりみつこ→小森みちこ)、福島県いわき市出身。
マミ(上野真由美→上野マミ)、愛知県名古屋市出身。
クーコ(大塚邦子→大塚くに子)1979年脱退、東京都出身。
アキ(加藤明恵→藤本あき→ALALA→藤本あき)1979年、クーコに代わって加入、愛知県名古屋市出身。君塚良一夫人。

 3人組ユニットの走りは「キャンディーズ」で、その後も二番煎じを狙って多くのユニットが出たが、あまり売れなかった。「少女隊」、「きゃんきゃん」、「ソフトクリーム」、「Lady Oh!」などが代表例。ましてトライアングルの場合、ブレイクもしなかったが、これは3人組だと、お気に入りが可愛い子ちゃんひとり(通常はセンターになる子)に偏ってしまい、残りの2名が目立たないからで、ヒット曲も「トライアングルラブレター」くらいしか思いつかないほどすぐにいなくなってしまった。

  「シュガー」は売れたが、バンドという意味合いが濃いので今回の趣旨に合わないため除外した。
 しかし共通しているのは、両方ともピークから2年と持たない衰退したことだ。「おかわりシスターズ」は「オールナイトフジ」から、「うしろ髪ひかれ隊」はおニャン子クラブの中から出てきたために、違う意味で人気が出た。

 この頃の絶頂ユニットと言えばWINKが頂点に君臨した。今でもAKBグループを筆頭に、Perfume、ももクロ、私立恵比寿中学などがいる。

 記事作成:5月21日(日)~

2017年6月13日 (火)

一時期大ブレイクしたユニット①

 当ブログで何度も書いてきたが、芸能界とは流行り廃りが激しい世界で、一時期飛ぶ鳥を落とす勢いで売れた歌手やユニット、芸人なども、一過性のブームを過ぎれば、時代遅れと見向きもされなくなる。また、知らないうちに引退していたり、解散しているケースも少なくない。震災があった2011年の1月に「一時期大ブレイクした有名人」という記事を掲載したが、今回はそのユニット版としてお送りしたい。それにはアイドル全盛だった1980年代後半から90年代初期にかけてデビューしたユニットが多い。

 1 BaBe

 ベイブと読む。女の子2人組のダンスユニット
 1987年に、当時流行だったユーロビートのカバー曲「 Give Me Up」でデビュー。ダンスを踊りながら歌うスタイルで、洋楽のカバーを多数 リリースししたことでも知られたが、1990年に解散した。以下「Wikipedia」より引用

 近藤智子
  1968年2月17日東京都狛江市生まれ、神奈川県川崎市高津区育ち。愛称:こんちゃ
  ん。川崎市立西高津中学校、橘女子高等学校卒業。

 二階堂ゆかり
 
  1967年8月29日 東京都武蔵野市出身。愛称:にかちゃん。 

 1987年、「I Don't Know!」で、第29回日本レコード大賞新人賞、第14回FNS歌謡祭最優秀新人賞、銀座音楽祭最優秀新人賞、全日本歌謡音楽祭新人奨励賞、輝け! 第18回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を獲得。

 Give Me Up(1987年2月21日)マイケル・フォーチュナティのカバー。フジテレビ系ドラマ『あまえないでヨ!』主題歌。

  •  I Don't Know!(1987年5月2日)フジテレビ系ドラマ『アナウンサーぷっつん物語』主題歌。
  • Somebody Loves You 〜明日の恋人〜(1987年7月22日)
  •  Hold Me!(1987年10月21日)ベルギーの歌手・サマンサ・ジルズのカバー。フジテレビ系アニメ『のらくろクン』エンディングテーマ。
  •  TONIGHT!(1988年1月21日)森永製菓「Hi-SOFT」CMソング(CMには本人が出演)。
  • Get a Chance!(1988年5月11日)フジテレビ系ドラマ『花のあすか組!』主題歌。英語版はアニメ映画『プロジェクトA子3 シンデレララプソディ』エンディングテーマ。
  •  WAKE UP!(1988年8月31日)
     
  •  She has a dream(1989年3月1日)

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     2 セイントフォー

     加瀬邦彦が音楽プロデュースをしていた80年代のアイドルグループで、激しい踊りと宇宙服のようなコスチュームは、ももクロを彷彿させる。同時期には「スタボー」というテクノカットのボーイッシュガールユニットもいた。 

     1982年「あなたもスターに!」というプロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の中から選ばれた4人。結成当初は岩間、鈴木、他2名による通称「四人組」としてレッスンをスタートしたが、他2名がグループ活動を辞退したため、浜田、板谷が加入しオリジナルメンバーとしてデビューを果たした。 デビュー当初は板谷・浜田・鈴木・岩間(立ち位置順)で構成され、後に板谷に替わっていわお潤が加入した。曲間にバック宙をするなど、アクロバティックなパフォーマンスが話題になった。

     岩間沙織  
      1964年7月7日生まれ。血液型O型。神奈川県出身。コーラス&バックダンス担当。技は側宙。イメージカラーは緑。称号:ファッショナブル・サオリ
     ※初代リーダー。グループ結成時からデビューするまでの2年間を務めた。

     浜田範子  
      1965年2月22日生まれ。血液型A型。埼玉県出身。リードボーカル担当。技は後方宙返り。イメージカラーはピンク。称号:ドラマティック・ノリコ

     鈴木幸恵 
      1966年5月15日生まれ。血液型A型。神奈川県出身。リードボーカル担当。技はピルエット。イメージカラーは青。称号:エキサイティング・ユキエ※二代目リーダー。デビューから解散まで務めた。

     板谷祐三子 
      1968年3月5日生まれ。血液型A型。神奈川県出身。コーラス&バックダンス担当。技はバック転。イメージカラーは赤。称号:パッショネート・ユミコ  ※1986年3月脱退。

     いわお潤 
      本名、岩男潤子。1970年2月18日生まれ。血液型AB型。大分県出身。※板谷脱退後に加入し、またグループ解散声明前に脱退。

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     意外にも長編になりそうなので、今日はここまでにしたい。明日も2組のユニットを取り上げるが、男子がジャニーズに集約されていた人気グループに対し、女子はピンクレディーやWINKなど2人組ユニットは人気が爆発したが、3人組はキャンディーズ以降、あまり大成しなかった。
     そこで続編となるが、明日は3人組の歌唱ユニットを取り上げたいと思う。どうぞ明日までこのテーマでお付き合い下さい。

     記事作成:5月21日(日)

    2017年5月27日 (土)

    坂井泉水の命日に寄せて~あれから10年~

     今日5月27日は、2007年のこの日に不慮の死を遂げたZARDのヴォーカル「坂井泉水」さんの10回目の命日にあたる。あの日から早10年とは、時の流れとは何と薄情なのかと一抹の悲しみを覚える。私はデビュー当時からずっとZARDの熱烈なファンだった。いやもっと遡れば、彼女が本名の「蒲池幸子」名義で、モデルとして登場していた頃から、ピュアで清楚でお嬢さん風の容姿に心惹かれていた。そしてどこか悲しげな影があって、謎めいた雰囲気にも。彼女のCDは毎回欠かさず購入し、聴き入っていた。
     しかし、あの日、NHKのニュースで彼女の急死が報じられ、我が耳を疑ったものだ。「何かの間違いだ!嘘であってほしい・・・」。そんな気持ちと共に、打ちひしがれた絶望感が全身を襲ったのだった。その衝撃のニュースはコチラ。

     https://www.youtube.com/watch?v=gqBj2x-eTwo

     彼女は生前、照れ性で自己表現が苦手な性質でありながらも、精一杯音楽を通じて私たちにメッセージを送り続けてくれた。時に悩みを吹き飛ばすような曲も書いてくれたし、人間が抱える内面の葛藤、悩みも打ち明けるように書き綴った詩歌は琴線に触れた。その美しくも儚い印象の詩は、人々の心に安らぎと癒しを与えてくれていた。それは今も変わらない。現に、私の車のCDにはいつも彼女のアルバムを入れている。彼女がその限られた命を燃やして訴えたかったことは何だったのか。切ない乙女心か?生への執着か?美しいものへの憧れか?人間の本質を包み欠かさず表現したと個人的には思っている。

     本日は彼女の命日にあたり、以前も当ブログで紹介した記事「坂井泉水FOREVER」を再掲することで、彼女を偲び、彼女の存在を永遠の記憶の中に閉じ込めたいと思う。10年経っても20年経っても、坂井泉水という素晴らしいアーチストがこの世に存在していたことを忘れないために。そして彼女の遺した遺作とも思える楽曲の数々を後の世代に語り継ぐために・・・。10年越しとなる哀悼の意を捧げたいと思います。ではお送りします。

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     「坂井泉水FOREVER」

     1990年代、その女性は日本のポップス界において最も光彩を放ち、輝いていた。彼女が出すシングルやアルバム曲は、毎週ヒットチャートの上位を独占。テレビアニメの主題歌に幾度となく起用され、誰もが口ずさめるシンプルでアップテンポでリズミカルなメロディーライン。しかし、神は無慈悲にも彼女に永遠の輝きを与えることはなく、試練を授けた。傍目には順風満帆の歌手人生に見えていたが、いつしか忍び寄る病魔に蝕まれ、あのような非業の死を遂げるとは思いもしなかっただろう。いやそれともそれも承知の上での覚悟の事だったのだろうか・・・。

     生前、彼女のデビューは秘密のベールに包まれていた。覆面歌手(ユニット)として、公の場に姿を見せることを頑なに拒むかのような身の置き方であった。まるで正体不明で、一時「彼女はこの世に実在しないのではないか」との憶測も飛び交うほどであった。デビュー当時の松山千春を彷彿させる、そんな不思議な存在だった。一体どんな人が歌っているのだろうと興味津々だった。独特な鼻にかかった甘ったるい声質。それでいて艶やかで伸びのある美声。初めて彼女の姿を見た時、私は言いしれぬ衝撃と感動を覚えた。「何て美しい女性なのだろう」と。ピュアな印象と透明感を醸し、現代の若い人には珍しいくらい独特な落ち着き。そしていつも伏し目がちで少し影を感じさせる妖しい雰囲気の持ち主。何もかもが魅惑的で神秘的。
     彼女はデビュー前、様々な職業をこなしていた。OL、レースクイーンやモデル、、そして時には、その美形な顔立ちとスタイリッシュな体型を活かしてカラオケのPVやセクシーイメージビデオにも出演した。
     しかし、もしかすると、そうしたシンガーとしての地位を確立する以前の過去を包み隠そうとしてテレビ出演を拒み、CDリリースのみで自分の感性を発表する場とし、そのような存在形態を確立しようと模索していたのかも知れない。そして彼女の雰囲気の中にあるそうした「影」の部分を自然に作り出していたのかもしれない。彼女のCDジャケットやZARDのボーカルとして撮影された画像は、殆どがカメラ目線はなく、素顔を見せることを避けているかのように伏し目がちかあるいは遠目に撮影したものばかりである。ファンならずともここで言う「彼女とは誰なのか」もうおわかりだろう。そう、彼女とはポップス系ユニット「ZARD」のボーカルだった「坂井泉水」である。

    Sakai1 Sakai2 Sakai4 

     彼女の歌声は1990年代、世の中を席巻し、テレビ、ラジオ、CDショップなどでは毎日のようにBGM替わりに流されていた。リリースする曲がすべてメガヒット。私は8cmCDの時代から、ずっとZARDのシングルを所有していた。デビュー曲の「Good-bye My Loneliness」から遺作となった「グロリアスマインド」まで。シングルは実に45枚発表された。
     オリコン調べによる(2009年6月現在)ランキングによると、アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数)は3,743万枚で歴代7位の記録。
     シングル:1,768万枚(女性ボーカルアーティスト歴代2位)
     アルバム:1,971万枚(女性ボーカルアーティスト歴代4位)
     シングルTOP10獲得数:43作(歴代5位タイ)(女性ボーカルアーティスト歴代2位)
      90年代アーティスト・トータル・セールス:3位(女性ボーカルアーティスト1位)
     シングル1位獲得数:12作(女性ボーカルアーティスト歴代4位)
     シングルTOP100チャートイン数:45作(90年代デビューアーティスト歴代2位)
     アルバムミリオン獲得数:9作(歴代4位タイ)
     アルバム連続ミリオン獲得数:9作(歴代1位)
     アルバム1位獲得数:11作(女性ボーカルグループ1位タイ)

     以上、実に輝かしい記録を遺した。

     <私の好きなZARDの曲ベスト20>

     1位 「揺れる想い」・・・1993年5月19日発売 最高位1位
     2位 「心を開いて」・・・1996年5月6日発売 最高位1位
     3位 「永遠」・・・1997年8月20日発売発売 最高位1位
     4位 「負けないで」・・・1993年1月27日発売 最高位1位
     5位 「マイフレンド」・・・1996年1月8日発売 最高位1位 
     6位 「君に逢いたくなったら」・・・1997年2月26日発売 最高位2位
     7位 「きっと忘れない」・・・1993年11月3日発売 最高位1位
     8位 「この愛に泳ぎ疲れても」・・・1994年2月2日発売 最高位1位
     9位 「風が通り抜ける町へ」・・・1997年7月2日発売 最高位3位
    10位 「愛が見えない」・・・1995年6月5日発売 最高位2位
    11位 「こんなにそばに居るのに」・・・1994年8月6日発売 最高位1位
    12位 「Good-bye My Loneliness」・・・1991年2月10日発売 最高位9位
    13位 「眠れない夜を抱いて」・・・1992年8月5日発売 最高位8位 
    14位 「君がいない」・・・1993年4月21日発売 最高位2位
    15位 「運命のルーレット廻して」・・・1998年9月17日発売 最高位1位
    16位 「息もできない」・・・1998年9月17日発売 最高位3位
    17位 「瞳閉じて」・・・2003年7月9日発売 最高位4位
    18位 「もう少しあと少し」・・・1993年9月4日発売 最高位2位
    19位 「あなたを感じていたい」・・・1994年12月24日発売 最高位2位
    20位 「痛いくらい君があふれているよ」・・・1999年10月14日発売 最高位5位
    次点  「この涙  星になれ」・・・1999年12月1日発売 最高位5位

      シングル曲ではないが、「Oh my love」も大好きな曲だった。

     タイトルを見ると、彼女はまるで自らの死期を悟り、悲しい別れを暗示しているかのような意味深なネーミングばかりである。タイトルを知らなくても、そのサビの部分やメロディラインの一部を聴いただけでも一度は聞き覚えのある曲ばかりに違いない。

    Sakai7 Sakai5  

     次に、デビュー前から彼女がスターダムにのし上がるまでの経歴をここで簡単に振り返ってみたい。
     彼女は1967年2月6日神奈川県平塚市生まれ。秦野市育ち(小学校4年より)。本名は蒲池幸子。血液型はA型。秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高等学校卒業。中学時代は陸上部で活動をする傍ら、ギタークラブでも活動していた。高校時代は硬式テニス部に所属。松蔭女子短期大学を卒業後、不動産会社にOLとして約2年間勤務した。
     しかし、転機が訪れた。街頭でスカウトされ、スターダストプロモーションに所属し、本名「蒲池幸子」でモデル活動を行う。モデル時代の公式プロフィールは1969年生まれとなっていた。1989年(22歳) からドラマや人気歌手のPV、更にはバラエティ番組のアシスタントなどに多数出演する。東映カラオケのPR活動などで地方のカラオケ店を巡業する。この企画はZARDでの歌手デビュー後の1991年3月まで続いた。日本エアシステムのフルロードキャンペーンのキャンペーンガール。
     1990年(23歳)の時には日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーン。岡本夏生は同期。 6月、写真集『Body Works』出版。 6月21日、ビデオ『SEXY SHOOTING』(サザンクロスビデオアーツ)発売。7月24日、写真集『NOCTURNE』出版。モデルやグラビアアイドルとして順調に仕事をこなしていた。 冬にはフジテレビ系番組『オールナイトフジ』のグラビア美少女のコーナーに出演。 その他、雑誌グラビアに多数掲載される。これらは華やかで決して下積みとは呼べないが、彼女がひた隠しにしたかった過去だったのかもしれない。
     そしてまたまた一大転機が訪れた。1990年8月に所属の「スターダストプロモーション」の代表取締役、細野義朗にビーイング社長、長戸大幸を紹介されオーディションを受ける。長戸に才能を認められ、坂井泉水として音楽ユニット「ZARD」結成の準備に入る。そして念願だった歌手デビューを1991年(24歳)で果たすこととなった。2月10日にシングル「Good-bye My Loneliness」でデビューし、 以降、音楽活動を続ける。それ以降の活躍については前述の通り。

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     感動のクルージング初ライブ(1999)

     「美人薄命」とは彼女のために用意された言葉なのかも知れない。運命の悪戯に翻弄され、天国と地獄の両方を味わい、人知れず病気と闘い、ひとり天国へと旅立っていった。ファンにあまりにも突然の悲しい訃報を残しただけで・・・。彼女は素顔を晒すことはあまりなかった。あれだけの美貌の持ち主ながら、結婚もせず、女性としての幸せを掴むことすら望まなかったように思える。ここから先の文面は、ややショッキングなため掲載するかどうか迷いに迷ったが、彼女の人生を締め括るエピローグなので、やはり包み隠さず全てを掲載したい。

    Sakai11  2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。その年のNHK紅白歌合戦を「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査をうけたところ子宮頸癌が発見される。6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受けて、7月に退院。 2007年年4月、肺への転移が見つかり、再入院。入院中は抗ガン剤による治療を受け、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していた。しかし、5月26日朝の5時40分頃、目撃者の証言によれば、入院先の病院内のスロープの手摺りに腰をかけていたのだが、そこから3メートル下に予期せぬ転落をして、駐車場で仰向けに倒れているのを通行人に発見される。ICUで緊急処置を受けたが、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急死し、還らぬ人となってしまった。倒れていたのが早朝6時前という時刻で、あまりにも不自然で不可解な突然死に、事件事故の両面から検証が行われたが、自殺とみられる兆候はなかったことから事故として処理された。これからという矢先の40歳という若さでの孤独な旅立ちであった。しかし真相は本人にしかわからない。闘病生活に疲れ、死を予感して、または先行きを不安視しての発作的に自ら落ちたのかも知れない。彼女の葬儀は青山葬儀所で、しめやかに親族だけの密葬として執り行われた。そして、レコード会社と所属事務所の合同音楽葬としてファンとのお別れ会が6月27日に青山斎場で開かれ、往年のヒット曲が会場に流れる中、四万人を越える大勢のZARDファンが詰めかけ、あまりにも唐突で早すぎる死を悼むと共に、彼女との永遠の別れを惜しんだ。

     彼女の衝撃的な死から早いもので9年の月日が流れた。私は未だに彼女がもう過去の人だという事実を受け止めきれないでいる。彼女のPVを見ると居た堪れない気持ちになる。今でも「名探偵コナン」のエンディングテーマに坂井泉水の声が鳴り響く時がある。私は毎日のように彼女のベスト盤CD(MD)を聞きながら、職場までの道のりを往復運転している。彼女の甘い歌声、時には「彼女が生涯をかけて伝えたかったことは何だったのか」という文字通り命題に至るまで深く考えさせられ、身につまされて感じることもしばしである。もう二度と生で歌う姿を見ることは叶わないが、彼女のあの愛らしい、そしてちょっと照れた素振りで歌う姿やスタイル、笑顔、そしてその美声を永遠に忘れはしない。
    「坂井泉水、フォーエバー(永遠なれ)!」

    Sakai8 Sakai10

     最後に在りし日の彼女の歌声をどうぞ!

    http://www.youtube.com/watch?v=lvYW1KDIPlI&feature=related

     「心を開いて」

    「♪人と深く付き合うこと 私もそんなに得意じゃなかった
    でもあなたを見ていると 私と似ていてもどかしい
    そういうところが たまらなく好きなの♪」

     この部分歌詞が大好きで、おそらく彼女自身もこういう生き方をしていたのだと思う。

     Oh my love

    http://www.youtube.com/watch?v=dbqrY2vmSQ4&list=RD02OZEt21pk6pM

     関連記事(我が永遠なる歌姫)はコチラ↓

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-abd8.html

     彼女を追悼するファンの想い

     ZARD 坂井泉水さん 追悼◆その足跡と魅力

     彼女の面影を偲ぶ「ZARD Small Live」はコチラ

    https://www.youtube.com/watch?v=fU494K-3cps

     貴重な映像集(長嶋茂雄とのデュエット映像あり)

    https://www.youtube.com/watch?v=bCnvub0JtFo

     
     記事作成:3/26(木)

     <関連記事>

     坂井泉水さんのお墓参りの記事はコチラ ↓

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1022-6804.html

     * ご親族の強い意志により場所が特定できないような処置を施してあります。予めご了承ください。

     坂井泉水さんの転落事故現場訪問の記事はコチラ ↓

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1023-1efb-1.html

    2017年5月21日 (日)

    80年代アイドルめちゃ可愛い動画集

     今日はミーハーな記事で恐縮だが、私が高校生や大学生の頃に流行っていた1980年代のアイドルブームを回顧し、お気に入りの可愛かったアイドルたちを取り上げたい。なお、まったくの個人的趣味なのであしからず。おそらく、今見ても「乃木坂」にも引けをとらないくらいのルックスだと思う。

     小泉今日子

     

    「素敵なラブリーボーイ」 https://www.youtube.com/watch?v=veDWWG-woGA

    「半分少女」  https://www.youtube.com/watch?v=3RfYLPEt4a0

    「真っ赤な女の子」 https://www.youtube.com/watch?v=tZVld0LNCos

     私の中で80年代アイドルと言えば、松田聖子でもなければ中森明菜でもなく、彼女を真っ先に思い浮かべる。スター誕生出身の正統派アイドルで、色白・丸顔はO型の典型。ファッショナブルで、髪型もちょくちょく変えてイメチェンを図った。NHKの「あまちゃん」でも魅せたが、彼女のアイドル時代の顔は有村架純にそっくりだ。

     菊池桃子

    「Summer Eyes」 https://www.youtube.com/watch?v=PsWueep4QJ4

    「雪にかいたLOVE LETTER」    https://www.youtube.com/watch?v=HeC10zZbG8U

     私が浪人~大学1年生の頃に一番盛り上がっていたアイドル。とにかく可愛かった。「卒業」というドラマをビデオに録画して何度見たことかしれない。制服姿が良く似合っていた。

     南野陽子

     「吐息でネット」 https://www.youtube.com/watch?v=VYQ7HJQrRxY

     「ハイカラさんが通る」 https://www.youtube.com/watch?v=NgWl8CWYJHM

                    https://www.youtube.com/watch?v=1-707S32Su4 

     彼女は1980年代のアイドルの中でも長いストレートの黒髪と背丈があった。衝撃的な生い立ちの「二代目麻宮サキ」を名乗る「鉄仮面伝説」の「スケバン刑事Ⅱ」を演じきった。個人的には明治時代の着物スタイルで歌った「ハイカラさんが通る」が大好きだった。CMや歌番組に引っ張りだこだった。

     堀ちえみ

    「潮風の少女」 https://www.youtube.com/watch?v=PJiVZ0FwjRw

     この時代のアイドルは、小柄な美少女風が多かった。彼女はその典型。しかし、スチュワーデス物語の「教官!」という臭い演技で、ストイックな面を見せた。その後、結婚離婚を繰り返し、子宝に恵まれ過ぎた。清純派で売り出したのに、性格がB型そのもので、凝り性で天然が入っていた。

     島田奈美

     「内気なキューピッド」 https://www.youtube.com/watch?v=jms41mxP8-M

     「ほほえみをあなたに」 https://www.youtube.com/watch?v=Gl7W0GfKyJ0

    夢見る少女という印象が濃かった彼女。アンニュイな魅力とO型らしい丸顔で愛嬌のある笑顔は当時のアイドル像ドンピシャ。

     河合その子

    「落ち葉のクレッシェンド」 https://www.youtube.com/watch?v=HHGH-HJZinw

    「恋のチャプターA to Z」 https://www.youtube.com/watch?v=yPuCeLWoGRc

     おニャン子クラブの会員番号12番だった彼女。実は現役高校生アイドルグループだったおニャン子の中で、彼女は20歳だった。歯科衛生士を目指した中島美春と共に一番早く卒業したが、彼女はソロデビューも一番早かった。「涙の茉莉花LOVE」、「青いスタスィオン」などがヒットした。同じB型の相田翔子や小倉優子のように、まるでお人形のような美少女だった。
     プレイボーイ男だったやはりB型の後藤次利と結婚し、芸能界を引退した。

     さて、まだまだ多くのアイドルたちが登場しては消えて行ったアイドル全盛の頃を振り返ってみた。今日紹介したのは紛れもなくA級アイドルたちだ。 
     不思議なことに、当時のアイドルはB型とO型が多かった。上で紹介した6人のうち4人がB型でほかの2人がO型。ほかにもO型は中山美穂や浜田朱里、原真佑美、岡田有希子、西村知美、B型は酒井法子、松本伊代、荻野目洋子、吹田明日香、伊藤美紀、A型は石川秀美、早見優、立花理佐、浅香唯、水野きみ子、小出広美、ユニットはおニャン子クラブ、WINKなど大勢いた。

     今思えば、古き佳き時代だったのだろう。ニューミュージックブームとバンドブームの狭間でこのような時代があったことを私は忘れ得ない。

     記事作成:5月5日(金)

    2017年5月13日 (土)

    可愛い系 VS 綺麗系

     女性というのは、いつの時代も綺麗なものや美しいものに憧れを抱き、それを追求する生きもののようで、美容やダイエットに励むのはその一例だろう。それは男性がかっこよさを求めるのと似ている。しかし、女性の場合、「美」に対して2つの観念があって、ひとつは綺麗だが、もう一つ、可愛いという表現がある。果たして女性はどちらに強い憧れを持つのだろうか?

     芸能界を見ていると、私個人は可愛い子を好む傾向がある。別にロリ趣味があるとかではなく、確かにTVタレントやモデル、女優には美人が多いのだが、綺麗な人は近寄りがたいオーラがある。ツンデレだったり、見下すような印象だ。それは年齢的に25歳以上の大人の女性である場合が多く、メイクアップやスタイルに気遣い、ファッションもエレガントであり、まるで別世界の人間という印象を抱くからだ。

     一方、可愛い子というのは、10~20代前半が多く、キュートで親しみがあって、妹的な存在で、誰からも好かれる雰囲気がある。国民的美少女とかNHKの朝ドラのヒロインに抜擢されるのもそうした傾向を見越しての起用かもしれない。

     では、芸能人で綺麗な人と可愛い人とを分別してみたい。なお、あくまで個人の感想や趣向なのであしからず。羅列するだけでは見づらいので、毎度のことで申し訳ないが、血液型別にわかりやすく分類したいと思う。

     女優・歌手・モデル・アスリート

     綺麗系

     A型 吉瀬美智子・石原さとみ・桐谷美玲・武井咲・白石麻衣・中谷美紀・石田ゆり・
         壇れい・松嶋菜々子・水野真紀・黒木瞳・堀田茜・坂井泉水・泉里香・葉月里緒奈

     B型 ローラ・綾瀬はるか・井川遥・堀北真希・比嘉愛未・大塚寧々・佐藤美希

     O型 北川景子・天海祐希・蛯原友里・朝比奈彩・佐久間由衣・森高千里・桜庭ななみ

    AB型 松下奈緒・鈴木えみ・鈴木杏樹・永野芽郁・中村アン・手塚理美・森下愛子

     綺麗系は黒髪のロングで色白の方が多い。

     可愛い系

     A型 新垣結衣・長澤まさみ・芳根京子・磯山さやか・山川恵里佳

     B型 有村架純・小倉優子・相田翔子

     O型 土屋太凰・深田恭子・上戸彩・鶴田真由・柳ゆり菜・映見くらら・広末涼子・
         有森也美・島田奈美・木之内みどり・岡田奈々・裕木奈江

    AB型 佐々木希・広瀬すず・木村文乃・橋本環奈・加藤夏希

     可愛い系は小柄で丸顔の人が多い。瞳が大きく、人形的

     女子アナ

     綺麗系

     A型 秋元玲奈・椿原慶子・名切万里菜・青山愛・小田切いくみ

     B型 鈴江奈々・鈴木奈穂子・伊藤綾子・鷲見玲奈

     O型 山岸舞彩・首藤奈知子・堤礼実・新井恵里那・曽田麻衣子

    AB型 大江麻理子

      不明 膳場貴子・森川夕貴

     可愛い系

     A型 皆川玲奈・田中みな実・三田友梨佳・近江友里恵・桑子真帆・小林麻耶・
         岡村真美子・平井理央・広瀬麻知子 

     B型 高島彩・皆藤愛子・狩野恵里・川田裕美・牧野結美・狩野恵里・小野塚愛美

     O型 伊藤友里・長野美郷・宮澤智・宮司愛海・夏目三久・伊藤弘美・竹内由恵
         松尾由美子・加藤綾子・田中萌・林美沙希・生野陽子・宇垣美里・

    AB型 三ト麻美・江藤愛・中島芽生・畑下由佳・尾崎里紗

     不明 宇賀なつみ

     なお、外見重視でこのように分類したが、性格的に分類もできるだろう。天然(B型に多いが)が入っていると、見た目は綺麗であっても、可愛い印象を持つ。ローラや綾瀬はるかは綺麗系だが、あの性格で国民的に好かれる存在になるのはそのためだ。

     記事作成:4月16日(日)

    2017年3月26日 (日)

    AKBグループにいても売れそうな80年代アイドル

     過去に当ブログで「80年代アイドル」についてのミーハー記事を何度も書いた。私が高校生から大学生の頃は、空前のアイドルブームで、その影響からか、未だにアイドルには目がない。ロリコンオヤジと罵られそうだが、自分の娘と同じくらいの年齢の子たちが、アイドルとしてデビューし、トップスターを夢見て頑張っている姿には、ついつい親心として応援したくなってしまう。決して不純な怪しい動機からではない。
     この歳になって思うのは、80年代のアイドルは皆、健康的な少女たちが多かった。それは血液型がB型とO型が圧倒的に多く、天真爛漫で陽気で裏表がなさそうな性格と多少天然がかった癒し系のおおらかな雰囲気を醸していたからにほかならない。当時のアイドルたちは、今でも乃木坂や欅坂、AKBグループにいてもセンターが狙えそうな可愛い娘ちゃんばかりだった。今日は、またまたミーハーを絵に描いたような話題で恐縮だが、そんな80年代アイドルを取り上げたい。
     

     1 水谷麻里

      生年月日:1971年7月18日  (45歳) 出身地:愛知県津島市 血液型はO型

     水谷 麻里は、1980年代後半に活動した日本の元女性アイドル歌手。本名、江口 葉子。旧姓:水谷。 愛知県津島市出身。現役時代の所属事務所はサンミュージック、レコード会社はビクター音楽産業。堀越高等学校卒業。デビュー年はアイドルブーム真っ只中で、年末には銀座音楽祭・メガロポリス歌謡祭・新宿音楽祭・日本レコード大賞など多くの音楽祭が行われており、山瀬まみ・ポピンズ・真璃子・少年隊らと各新人賞を争い、彼らと共に多くの新人賞を獲得した。漫画家の江口寿史と結婚した。

    https://www.youtube.com/watch?v=JMAnFcMX0Z8

     ちなみにこの「乙女日」和は、夜の「FTVお天気情報」のOPテーマに使われている。

    FTVお天気情報→ https://www.youtube.com/watch?v=JVqm8XcuskA

     2 伊藤美紀

     愛知県 名古屋市名東区出身。かつてホリプロに所属していた。血液型はB型。現在は45歳。
     1986年 - ホリプロタレントスカウトキャラバン・グランプリ。
     1987年5月21日 - CBS・ソニーのHOLLYWOOD LABELより『小娘ハートブレイク』で歌手デビュー。

     3 中山忍

     東京都小金井市出身。現在は44歳。所属事務所はオフィスミューズ。血液型はB型

     グラビア写真集 https://www.youtube.com/watch?v=lzLv6JR78Zo

     ご存知、中山美穂の実の妹。男なら守ってあげたくなるような妹にしたいアイドルだった。

     4 島田奈美

     東京都出身。私立富士見中学校・高等学校卒業。46歳。現在も島田奈央子の名前で音楽活動を続けている。血液型は色白丸顔の典型のO型

    https://www.youtube.com/watch?v=jms41mxP8-M

    https://www.youtube.com/watch?v=ZwUz2aam3JY

    https://www.youtube.com/watch?v=hsaAIBHgfLM

    笑って歌えなくなる https://www.youtube.com/watch?v=QnDq-0TPRmg

     明るくて陽気な健康的アイドルの典型だった。笑顔がたまらなくキュートで「クレアラシル」のCMに出演していた。同じO型のおニャン子クラブの高井麻巳子(現在・秋元康夫人)に似ていた。

     5 吉田真里子

     1980年代後半から1990年代前半にかけて活躍した日本のアイドル、シンガーソングライター。 兵庫県姫路市出身。身長156cm、体重45kg。B型。スリーサイズはB79cm W59cm H80cm。ヤングマガジンのグラビアクィーンとなった。現在46歳。

    https://www.youtube.com/watch?v=vXpmX6buenQ

    https://www.youtube.com/watch?v=VGFBi8ZIOW4

    https://www.youtube.com/watch?v=o_gBeclq2z8

     私が社会人1~3年目に活躍したグラビア系アイドル。写真集がバカ売れした。やはり妹にしたいロリフェイスで、アンニュイな感じも男心を刺激した。
     今でいう橋本環奈に似ていた。

     6 志村香

     東京都墨田区出身の歌手、タレント。堀越高等学校卒業。血液型:B。現役当時の所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビア。47歳

     彼女のVTRを見るたびに、なぜか私は欽ちゃん球団の片岡安祐美(彼女もB型)とイメージがダブる。やはりB型同士、雰囲気が似たり、相通ずるものがあるのだろう。

     7 河合その子

     1985年、夕やけニャンニャンから生まれた「元おニャン子クラブ」、会員番号12番。血液型はB型。フランス人形を彷彿させるようなアンニュイでロリっぽい雰囲気があった。

     https://www.youtube.com/watch?v=bmAM87GjKhs

     https://www.youtube.com/watch?v=d9HPUKPYojs

     https://www.youtube.com/watch?v=QB0-aeYvq-k

     https://www.youtube.com/watch?v=TygQdaUagZs

     かつて70年代アイドルだった木之内みどりと恋の逃避行を行ったプレイボーイ、後藤次利(B型)と結婚して芸能界を引退した。

     80年代はB型アイドルが多かった。

     松本伊代、堀ちえみ、吉本美代子、三田寛子、菊池桃子、斉藤由貴、南野陽子、伊藤さやか、伊藤美紀、伊藤麻衣子、吹田明日香、志村香、中村由真、中山忍、河合その子、酒井法子、かわいさとみ、吉田真里子、本田理沙などがそうだ。

     ところで、現在のアイドルでB型は少ない。乃木坂46はB型が多いが、個人ではトップアイドルとまではいかない。AKBでは柏木由紀、松井珠理奈くらいだ。B型は個性が強く、天然っぽい印象がある。女優の綾瀬はるかやタレントのローラが典型で、マニアックというか、特別な目線で見られがちだ。
     しかし、今日取り上げた7名の80年代アイドルは、今、AKBに加入したとしても、「神セブン」的な存在で、センター候補になるのは間違いない。南野陽子や菊池桃子のように、独特なカリスマ的な存在で、熱狂的なファンがつく。よって、グループ内にいても目立つことうけあいだ。

     記事作成:3月8日(水)

    2017年2月27日 (月)

    頑張る昭和の大御所俳優たち

     去年の暮れに俳優・根津甚八さん、そして1月に松方弘樹さん、2月には藤村俊二さんが亡くなられた。昭和生まれの人間にとって、この時代に大スターとして活躍された巨星が次々と天に召されるニュースを聞くと、一抹の寂しさを禁じえない。私は、石原裕次郎さん、美空ひばりさん、三船敏郎さん、天知茂さん、鶴田浩二さん、森繁久彌さん、勝新太郎さん、萬屋錦之助さん、緒形拳さん、藤田まことさん、夏八木勲さん、高倉健さん、菅原文太さんが亡くなられた時に、「昭和がまたひとつ終わった」と思ったが、現在、頑張っている昭和の名優や大御所がほかにもいること忘れてはいけないと思い、エールを送る意味で掲載したい。なお、還暦以上の大御所限定であることをご理解ください。

     1 里見浩太朗 

     彼こそ大御所俳優という代名詞が似合う。主に時代劇で大活躍。長らく務めた「水戸黄門」、1980年代の年末の大型時代劇シリーズ「忠臣蔵」「白虎隊」「田原坂」などで主役を張った。存在感があってオーラも他の役者とはひと味もふた味も違う。現在80歳のご高齢になられたが、歴代の黄門様は「おじいちゃん」という印象が濃かったが、里見さんは体格の大きさもあってか、若々しい以外の何者でもない。やはり長年務めた「助さん」のイメージが強いからか?

     2 高橋英樹 

     1961年、高校在学中に日活ニューフェース第5期として日活株式会社に入社。第5期の同期には、中尾彬や竜崎勝(高島彩の父)がいる。同年の映画「高原児」でデビュー。「桃太郎侍」はシリーズ化し、その風変わりな衣裳と奇抜な決め台詞で視聴率が高かった。

     3 仲代達也 

     御年84歳のベテラン俳優。劇団俳優座出身で演劇・映画・テレビドラマで活動を続け、戦後の日本を代表する名優の1人とされている。代表作は「人間の条件」、「切腹」、「新・平家物語」、「二百三高地」などで主演をはった。1975年には無名塾を開設。若手の俳優の育成にも尽力した。2003年には勲四等旭日小綬章を受章した。

     4 田中邦衛 

     加山雄三の「若大将シリーズ」では「青大将」として親しまれた。また「北の国から」はレギュラーシリーズだけではなく、数年に一度の特番として何度も登場。純と蛍の父親である黒板五郎役で、北海道富良野に大自然に包まれて、子どもたちの成長を見守る姿は感動的だった。独特な語り口調で物まねされることが多かった。

     5 松平 健 

     「暴れん坊将軍」がシリーズ化し、将軍・徳川吉宗を演じきった。あの風貌は20代からで、意外にもまだ若い。お御所ながら「マツケンサンバ」などおちゃらけコスプレなどでイメチェンを図ったり、奇想天外、天然ぶりを発揮した。

     6 渡 哲也 

     石原裕次郎の盟友。「大都会」「西部警察」シリーズなど刑事役で一世を風靡した。ハードボイルドで硬派なイメージ。 

     7 北大路欣也 

     昭和の時代劇や戦争映画などの大型番組には欠かせない存在だった。最近は社長役が板に着いて来た。

     8 梅宮辰夫 「明日の刑事」

     50年来の大親友だった松方弘樹を失い、意気消沈して憔悴しきっているとともに、自らも重病と闘っている。かつては日活映画や刑事ドラマのボス役でその存在感を示した。

     9 小林  旭

     日活映画「ギターを抱いた渡り鳥」など、「渡り鳥シリーズ」で人気を博した銀幕のスターという印象。美空ひばりと結婚・離婚し、話題となったり、「自動車唱歌」や「昔の名前で出ています」、「熱き心に」など歌手としてもヒット曲を飛ばしている。

    10 宍戸  錠

     かつて銀幕を席巻した「日活」の大スター。タフでハードボイルドな役柄で、小林旭らとともに名を知られ、日活アクション映画の需要もあって、その強面から悪役が多かったが、「エースのジョー」と呼ばれて親しまれた。とりわけ「渡り鳥シリーズ」では大人気を博し、一世を風靡した。 

    11 加山雄三

     「若大将シリーズ」でその時代の寵児となった。私の中では、慶應卒のお坊ちゃまで、名優だった上原謙の息子で「サラブレッド」という印象。近年はドラマ出演を控え、もっぱら歌謡ショーに出演したり、24時間テレビでしかお目にかかれなくなった。私の中では石原裕次郎と並ぶ往年の大スターという認識。

    12 山崎 努

     去年80歳になられた大ベテラン俳優。「必殺シリーズ」の梅安役がハマリ役 
     2007年、秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。ほかにも「八つ墓村」、「お葬式」、「おくりびと」に主演し、強面だが、熟達した味のある役をこなした。

    13 古谷一行

     私の中では1970年代から80年代にかけて放送されたテレビドラマ版の「横溝正史」シリーズの金田一耕助役の印象が濃いが、「オレゴンから愛」とか「金曜日の妻たちへ」、「失楽園」など不倫を扱った妖しい男役が多かった。『混浴露天風呂連続殺人』シリーズにも主演した。今年73歳になられたが、数年前には自らがん告白を行っただけに健康が気遣われる。

    14 役所広司

      彼の印象は「Shall We Dance?」だ。当初は所属する無名塾の舞台公演に出演。1980年(昭和55年)のNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』でテレビデビューを果たす。主に時代劇で評価を得ていた。1983年(昭和58年)のNHK大河ドラマ『徳川家康』の織田信長役で注目を集め、1984年(昭和59年)のNHK新大型時代劇『宮本武蔵』の主人公・武蔵役で初めて主演に抜擢される。民放の時代劇作品では、『三匹が斬る!』シリーズなどが代表作。映画では、伊丹十三監督作品の『タンポポ』などに出演。オーロラの下で』で初めて日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を獲得する。

    15 渡辺 謙

     世界各国において映画を中心にテレビドラマ、舞台、テレビコマーシャルと幅広く活躍している俳優の一人。1987年(昭和62年)のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で主役(伊達政宗役)を演じ、39.7%という大河ドラマ史上最高の平均視聴率を獲得。一躍全国的な人気を獲得、スターダムにのし上がる。しかし、1989年、映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板。再起はおろか生命も危ぶまれたが、約1年の闘病の後、治療を続けながらも俳優業に復帰。妻は女優の南果歩で、娘は女優の杏

     語幣があるといけないので、ここでお断りしておきますが、今回取り上げたのは、昭和しか活躍していない「往年の名優」ということではない。今も第一線で活動中であり、昭和の時代から継続して映画やテレビドラマなどで、知らない人がいないくらい有名で、平成29年1月現在もご健在で大御所となられている名優であるということを力説しておきたい。

     さて、昭和の時代から活躍している名優たちも、さすがに歳をとった。毎年のように訃報が舞い込み、ひとり去りまたひとりと天国のスターになっていく。同じ時代を生きた者として寂しい以外の何ものでもない。

     今回名を挙げた方々は、ぜひお元気で長く活躍し、ひとつでも多くの名作を残して欲しいと願ってやまない。

     記事作成:1月24日(火)

    2017年2月 7日 (火)

    伝説の男⑳ ~CM作曲の第一人者~

     2017年の今年、彼は今もご健在で84歳となられた。最近は彼の息子さんの小林朝夫氏の予言が脚光を浴びているが、彼は私が幼少の時から、多彩な才能を発揮し、「テレビの申し子」とさえ思える活躍をしていた。「伝説の男」として、今回私が名を挙げたい人は作曲家の「小林亜星」さんだ。
     彼はその巨漢体型にして、愛らしい風貌、しかし、昔から日本の父親を彷彿させる「頑固親父」キャラでドラマで主役も張った。俳優という印象があったが、本業は作曲家だというから二度驚く。彼は高齢になったせいか、最近はマスコミにあまり登場しなくなったが、彼の顔を見れば、すぐに思い出すと思う。ではまず、彼の存在を知らない若い人でも、彼の作品を耳にすれば理解できるということを示したい。何故、今回私が彼を取り上げたのか?彼がどれほど凄い人物なのかを振り返りたい。

     <小林亜星> 

    Asei 1932年8月11日、東京都杉並区生まれの84歳。
      昭和30年、慶応義塾大学経済学部卒業。作曲を服部正氏に師事。
     昭和36年のCMソング、レナウン「ワンサカ娘」「イエイエ」をはじめ、サントリー「オールド」、明治製菓「チェルシー」、ブリヂストン「どこまでも行こう」、日立「この木なんの木」等、 次々とヒットCMを作曲。他に、ドラマ音楽(向田スペシャル、裸の大将、三匹が斬る、他)、歌謡曲、ポップス、アニメ(狼少年ケン、ガッチャマン、ひみつのアッコちゃん、魔法使いサリー、他)の音楽を作曲。 昭和47年、ピンポンパン体操が200万枚を超す大ヒット。レコード大賞童謡賞を受賞。
     昭和49年には巨体を買われて、向田邦子作のTVドラマ「寺内貫太郎一家」に主演、大好評を得る。以来、作詞・作曲、タレントの両面で活躍する。今までに古賀賞、中山晋平賞、ギャラクシー賞を受賞し、昭和51年には都はるみ「北の宿から」でレコード大賞を受賞する。
     クラシックからジャズ、ロック、演歌まで、小林亜星ならではの音楽活動を続ける。また平成14年4月から9月まで放送されたNHK連続テレビ小説「さくら」では、主人公さくらの祖父として出演した。(小林亜星オフィシャルサイトより)

     絶対に聞き覚えのある彼の代表作

     <CM>

     1. 日立グループ 「この木なんの木」

     2. 明治製菓 「チェルシー」

      3. 積水ハウス 「家に帰れば、積水ハウス。」   

     4. サントリー 「オールド」

     5. ブリジストン 「どこまでも行こう」

     6. 大関 「酒は大関心意気」 https://www.youtube.com/watch?v=5XbKfe-w6hA

     7. ライオン 「振り向かないで」 https://www.youtube.com/watch?v=94gJ5jjnDxI

     8. ライオン 「ブルーダイヤ」 https://www.youtube.com/watch?v=DCscXrYDxzA

     9. 日本生命 「モクセイの花」(ニッセイのおばちゃん)

     https://www.youtube.com/watch?v=md7EF4mm614

    10. ファミリーマート 「あなたとコンビに」

     https://www.youtube.com/watch?v=fqt1lWOIJa8

     次点 レナウン 「わんさか娘」 https://www.youtube.com/watch?v=EvqFvUeDYno

     ここに挙げたのはほんの一部で、実際にCMなどで使われたものは、この3倍以上に上る。それほどCM業界では重鎮であり、彼を起用すればヒット間違いなしの状況が続いた。

     彼が凄いのは、CM作品だけに留まらない。テレビドラマなどの主題歌や有名歌手に楽曲を提供し、重賞を獲得している点も特筆しなければならない。ほんの5曲を提示しただけでも彼の凄さを窺い知れよう。

  •  1.科学忍者隊ガッチャマン初期オープニング、のちエンディング「倒せ!ギャラクター」、
                初期エンディング、のちオープニング「ガッチャマンの歌」/子門真人
  •   https://www.youtube.com/watch?v=_sxKcF4VE9s

  •  2.魔法使いサリーオープニング「魔法使いサリーのうた」
  •   https://www.youtube.com/watch?v=0F0xAFaJApk

  •  3.ひみつのアッコちゃんオープニング「ひみつのアッコちゃん」、
                    エンディング「すきすきソング」/水森亜土
  •   https://www.youtube.com/watch?v=KykhC2-WP7s

  •  4.まんが日本昔ばなしエンディング「にんげんっていいな」
  •   https://www.youtube.com/watch?v=EGQSWNgi7iE

  •  5.花の子ルンルンオープニング「花の子ルンルン」/堀江美都子、
                 エンディング「女の子って」/猪股裕子、小林亜星
  •   https://www.youtube.com/watch?v=vaXuVSR3Tk8

     そして大ヒットした名曲

     1. 北の宿から ※『第18回日本レコード大賞』(1976年)大賞受賞、東京セレナーデ(都はるみ)
      https://www.youtube.com/watch?v=QKmma_bRdQE

  •  2. 野に咲く花のように(ダ・カーポ)※『裸の大将放浪記』挿入歌
  •   https://www.youtube.com/watch?v=mjkOFpyKSiQ
  •  3. ピンポンパン体操 ※『ママとあそぼう!ピンポンパン』挿入歌 ※200万枚を超す大ヒット
      https://www.youtube.com/watch?v=1BO7KwRplj4

     どうでしたか?彼の偉大さを身にしみて感じてくれたことと思う。私は小さい頃から彼の曲を間接的に身体で覚えてきた世代なので、彼の存在感はもとより、人間性など素晴らしい人物と崇拝している。最近はテレビなどであまりお目にかかれなくなっているので、残念でならない。もしかして健康的なことなのか・・・。84歳になられてはいるが、私は引退はされていないと思うし、まだまだ私たちを感動させる作品を残していただけることを願っている。

     記事作成:1月15日(日)

    2017年1月14日 (土)

    衝撃的だった芸能人の自殺

     2016年も日本では自殺者の数が3万人を超えた。同じく年間の交通事故死者数が4,000人を割ったことを考えれば、9倍以上にも上る。そして2013年の統計では、日本の自殺者数は世界で7番目に多い。これは先進国では1位で、アジアでは3位の韓国に次いで多い。
     神様から与えられた、たったひとつのかけがえのない命を自らの意思で絶つからには、そこには人には言えぬ悩みや病気を苦に、あるいは介護疲れ、育児ノイローゼ、家庭問題、うつ病、仕事のストレス、人間関係、借金苦、生活苦などさまざまな理由があるにちがいない。
     私は残された家族、周囲への影響、迷惑を考えれば、自殺を踏みとどまり、誰かのサポートを得ながら、生きていれば、やがていつかは光が見えることもあると信じている。残念ながら、日本では、自殺が大きな社会問題になりながら、そうした支援体制が十分ではないために、毎年、自殺者が絶えないでいる。
     そこで今回は、過去、芸能人の自殺で世間に衝撃を与えたと思われる事例を、私の主観で10ケース選んでみた。自ら死を選んだその理由とは一体何だったのだろうか。

     1 田宮二郎 猟銃自殺 まるでヘミングウェイ・・・

      映画、ドラマ、さらにはクイズ番組の司会者としても大活躍した往年のスター・田宮二郎 が自殺をとげたのは1978年8月25日のこと。人気ドラマ『白い巨塔』(フジテレビ)の放映中に、自ら足で猟銃を引くという壮絶な最期だった。享年43歳で、これからもっと主演を張れる逸材だった。
     過密スケジュール、心労が田宮の身体を蝕み、異変が表面化していく。現場で異常な言動を重ね、家庭内でもささいなことで激昂するようになったのだ。旧知の精神科医に診断されたのは「うつ病」だった。(exciteニュースより)

     均整取れた日本人離れした顔立ちとクールな振る舞いで女性ファンを中心に人気が高かった。私も「白い巨塔」は大好きなドラマだったし、「クイズタイムショック」も大好きで毎週見ていた。それだけに彼の猟銃による自殺は当時、13歳だった私には衝撃的だった。血液型はB

     彼の息子で俳優の田宮五郎も47歳で亡くなった。

     2 沖雅也 高層ホテルから飛び降り

     〈おやじ、涅槃で待つ〉 沖が養叔父だった日景氏に宛てた遺書にこう書き残して、ホテルの最上階から飛び降りたのは1983年6月12日である。「日景は、私に『沖の自殺は、事故みたいなものだった』と話していました」
     「沖はホモではなく、女好きの普通の男でした。日景は嫉妬深くて束縛するタイプで、沖はそれに嫌気がさしていた。で、日景の財布から50万円抜き取って家出し、ホテルに2日間滞在。日景氏は生前、沖は自殺する3年前から躁鬱病だった、と明かしている。
     「さらに沖が亡くなった後、日景は、彼が飛び降りる直前に声を掛けたというガードマンにも話を聞いた。すると、飛び降りたというより、バルコニーの縁に座っていた沖に“何やってんだ”と声を掛けたら、驚くような感じで振り向き、バランスを崩して落ちた、と説明したというのです」
     沖が当時、精神的に不安定であったことは間違いない。ただ、日景氏は、沖は本気で死のうとは思っていなかった、と見ていたのだ。(デイリー新潮より)

     私は「太陽にほえろ!」のニヒルなスコッチ刑事役、「俺たちは天使だ」の麻生探偵役、そして姿三四郎の桧垣源三郎役などを見ていたので、私も自殺以前に訪れたことがあった京王プラザホテルから身を投げて自殺を図ったというのは、衝撃以外のなにものでもなかった。血液型はB

    映像はコチラ

    https://www.youtube.com/watch?v=z-9SKUEI9HM&list=PLCE7E38DFAD043A2A

     3 岡田有希子 所属事務所の屋上から投身

     1980年代中期のトップアイドルの一人。ポスト松田聖子として期待され、活躍 していたが、アイドルとしての絶頂期に自殺してしまった。それは衝撃的だった。当時の報道では思いを寄せる俳優にフラれたことがきっかけで(真相は謎だが)、自宅マンションで手首を切り、それでも死に切れず、ガス自殺未遂、更にはその治療直後に所属する四谷の芸能事務所の屋上近くから投身自殺を遂げてしまった。
     1986年4月8日の夕方に【放送していた「夕やけニャンニャン」の番組中、ニュース速報で伝えられ、我が目と耳を疑った。その時、自分は大学3年生で東京(三軒茶屋)に住んでいた。私は彼女の熱烈なファンではなかったが、人気アイドル歌手の衝撃の急死のニュースはショックだった。もちろん若者にも大きな影響と波紋を与えた。

     彼女は名古屋市熱田区の出身で、1983年にオーディション番組『スター誕生!』の第46回決戦大会チャンピオンとなり、芸能界入りした。1984年4月に『ファースト・デイト』でアイドル歌手としてデビュー。同年、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。「ユッコ」の愛称でファンから慕われた。1986年1月、カネボウのキャンペーン・ソング『くちびるNetwork』がオリコン初登場1位となる。憧れだった歌手として順風満帆そのものだったのに、あのようなショッキングな自殺をしたことがあまりにも唐突で信じがたい事実だった。その後、後にユッコ・シンドロームと呼ばれることになる、類例のない規模の後追い自殺(ウェルテル効果)が起こり、当時の衆議院文教委員会で取り上げられる大きな社会問題になった。その人数はなんと115人とも言われた。O型。

     4 沖田浩之 首吊り

     アイドル歌手から俳優に転身を図ったが、師匠の津川雅彦から「芝居が下手」とか強く叱責され、思いつめることが多かった。そして1999年3月27日首吊り自殺を遂げた。自殺の原因は当時、仕事が減っていたことに悩んでの自殺ではないかと囁かれた。なお沖田だけでなく、弁護士の祖父、企業経営者であった父(1996年9月)、父の生前から経営を引き継いでいた兄(2002年4月)など、置鮎家は3代で4人の自殺者を出している。血液型はA

     5 上原美優 首吊り

     「貧乏アイドル」として貧しい家庭でのエピソードを明るく話し、プラチナムプロダクションの看板タレントの一角までに成長。グラビアタレントとしてその愛くるしい笑顔を振りまき、人気があった。

     2007年のクリスマス(当時20歳)に恋人に振られた寂しさから睡眠薬を服用し自殺を図ったが一命を取り止めた。
    2010年3月29日に母親が心筋梗塞で他界した。本人は仕事で最期を看取れなかったものの、家族全員で揃って葬儀を終えたが、彼女のショックは大きく以後精神的に不安定な様子が見られたという。
     2011年5月11日午後11時頃、東京都目黒区のマンション自室で交際中の一般男性と過ごしていたが、「2時間ほど一人にしてほしい」と男性を外出させたという。その後、外出先の男性の携帯電話に死をほのめかすメールが送られ、折り返し電話をかけても彼女が出なかったため、男性が上原宅に向かったところ、自室のドアにスカーフとベルトで首を吊っており、5月12日午前3時37分、病院で死亡が確認された。満24歳没 血液型はA


      
     6 可愛かずみ 投身

     1997年5月9日、当時、交際が噂されていた元ヤクルト投手、川崎憲次郎の自宅マンションから飛び降り自殺を図った。その年の七夕婚が噂されていただけに、突然の破局が自殺の引き金となったといわれた。その後、川崎氏は交際報道があった女性が、自分の住むマンションから飛び降り自殺を図ったにもかかわらず、ノーコメントを貫いた。

     私は同年代だったが、高校時代に放送していた「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」で「中森明菜」になりきって歌っていた姿や、片岡鶴太郎主演の「季節はずれの海岸物語」の準ヒロイン「徳子」役を演じていた姿を忘れることはできない。血液型はA

     7 松本友里 首吊り

     1984年にアイドル歌手としてデビューした。2004年10月に、松平健だけが出演した舞台を松本が観劇したことで交際に発展した。2005年10月11日、松平と入籍した。

     2010年6月に母・和歌鈴子が死去した。その頃から母親の介護疲れや死別の影響などにより、うつ状態となる。
     2010年11月15日午前3時ごろ、自宅のドアノブにロープで首をつっているのを泊まり込みのベビーシッターが発見し警察に通報、死亡が確認された。遺書の有無は明らかにされていない。血液型はA

    https://www.youtube.com/watch?v=TF85LarRj1I

     8 甲斐智枝美 首吊り

     もっとも衝撃的な亡くなり方をした元アイドル。愛息の目の前で首を吊って亡くなったのだ。
     彼女は1979年、日本テレビの人気オーディション番組「スター誕生!」で第29代グランドチャンピオンを獲得。これをきっかけに芸能界入り。1980年、ポスト山口百恵を狙ったホリプロ所属のアイドルとしてシングル曲「スタア」で歌手デビュー。
     2006年7月10日、2階の寝室で首を吊っていたところを中学校3年生(当時)の長男が発見した。救急隊員が駆けつけたが、午前6時45分ごろ、心肺停止を確認。習志野署が検死を行い、自殺と断定した。43歳没。血液型はA

    https://www.youtube.com/watch?v=vFwLp-m0Re0

     9 古尾谷雅人 

     味と曲のある細身の俳優として活躍していた。2003年3月25日、東京都文京区の自宅で首つり自殺を図り死去。45歳没。晩年は事務所兼自宅マンションの住宅ローンや、亡父の遺産相続をめぐって継母との民事裁判を抱えていた。

     彼の姿は「北の国から」のダンプ運転手役や「丑三つの村」での殺人鬼の役が強く印象に残っている。血液型はB

    https://www.youtube.com/watch?v=jdbmZjSHTsw

    10 牧伸二 川への飛び込み

     ウクレレ漫談で寄席や演芸を大いに盛り上げた。

     2002年に脳出血で療養とリハビリを余儀なくされるが、復帰後の2003年に文化庁長官賞を受賞。
     2011年7月3日、自宅でタバコの火の不始末からボヤを起こした。自身と妻、娘の3人で消火にあたり、消防車が到着した頃にはほぼ鎮火していた。
     2013年4月29日午前0時15分頃、東京都大田区の多摩川丸子橋付近で投身し、病院に搬送されたが死亡が確認された。入水自殺とみられる。78歳没。

     前日の28日午後1時半に上野広小路亭で舞台に出演し、その後、午後4時10分から浅草東洋館でも舞台に出演する予定だったが、「少しお茶を飲んでくる」と言って席を立ち、午後3時頃に喫茶店を出た後行方不明になっていた。

    https://www.youtube.com/watch?v=PNDsZksxkAU

     他にも日本テレビの米森麻美、大杉君枝、TBSの松宮一彦、川田亜子アナらが衝撃的な自殺を遂げ、当時は大きな話題となった。米森と大杉は日テレ出身の女子アナで、持病や育児ノイローゼがその原因と見られている。ほかにも時を置かずに日テレは山本真純アナも自殺を遂げた。いずれも育児ノイローゼからうつ病に陥ったとも言われている。若い方の自殺は、ことのほか衝撃が大きい。
     また自殺するのは落語家や漫才師にも多い。桂三木助や二代目桂枝雀、Wヤングの中田治雄、大平シロ―などもそうだ。

     シンガーでは「X-JAPAN」のhideの死も衝撃的だった。女優では戸川京子さんの死も当時、大きな話題となった。宇多田ヒカルの実母の歌手・藤圭子もまた投身自殺で自ら命を絶った。

     不審死

     尾崎豊、伊丹十三、坂井泉水、飯島愛 

     政治家の自殺

     新井将敬、松岡利勝、中川一郎、永田寿康

     作家

     芥川龍之介、川端康成、太宰治、三島由紀夫

     作家は自殺しているケースが多い。特に太宰治は二度、心中を図り、無実の女性を巻き込んでいる。芥川龍之介は服毒、私が崇拝する三島由紀夫は自衛隊駐屯地で隊員に決起を呼びかけたが誰も賛同せず、もはやこれまでと割腹自殺を図った。ノーベル賞作家の川端康成は執筆稼動をしていた逗子市のマンションでガス管をくわえて自殺を遂げた。

     今回の記事は、故人の名誉を傷つけるものではなく、かつて芸能界で、しかも第一線で活躍されていた方々の姿を偲ぶためのものであり、絶頂期の時にファンを置き去りにしてどうして死を選んだのか、それを明記したかったのだ。愛する家族を残し、自ら死を選ぶからにはそれ相応の苦しい胸の内や誰にも言えぬ悩みを抱えていたに相違ない。
     そして若ければ若いほど、その自殺という手段での絶命は、ファンの衝撃度は大きいだけに、ぎりぎりのところで踏みとどまって欲しかったというのが私の切なる願いだ。

     

     記事作成:平成28年12月初旬~1月4日(水)

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