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2017年11月17日 (金)

ジェット気流が夜空を闊歩する時刻

 本日は、これでで3回目の掲載となる、私の大好きな詩を6年振りに公開いたします。

 八十年代 僕が大学生活を送っていた頃
世間はバブルの絶頂期 人々は身も心も潤い飽食の時代とまで云われた
そんな物がありふれた日常にあって
僕が欠かさずに聞いていたFMラジオの長寿番組があった

午前零時 誰もが寝静まった夜半に 80.0MHzにダイヤルを合わせれば
そっと流れてくる癒しの音楽 そして魅惑の世界へのいざない

その人はラジオの向こう側から異国のBGMに乗せて
独特の低い口調で リスナーにせつせつと語りかけてきた
心を酔わせる甘い囁きは 星の輝きにも似た煌く夢の欠片を優しく包み
やがていつもと変わらぬナレーションが この胸をときめかせる

「遠い地平線が消えて ふかぶかとした夜の闇に心を休める時
遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は たゆみない宇宙の営みを告げています
満天の星を頂くはてしない光の海を 豊かに流れゆく風に心を開けば
煌めく星座の物語も聞こえてくる 夜の静寂の何と饒舌な事でしょうか
光と影の境に消えていった遥かな地平線も 瞼に浮かんで参ります」

その番組の趣旨は 日本にいながらにしてさまざまな国々の街角を旅し
異国情緒を存分に満喫できるところにあった
彼がコックピットで奏でる言葉のメロディーに 乗客たちは酔いしれて
やがて安らぎを覚え まことしやかな憩いのひとときを見出す
いつしかジェットストリームの虜になっている自分自身に気づかされる

まるでリスナーは雲上を漂う夜間飛行をナレーションと共に追体験する
機内の窓辺では星屑たちが夜空を乱舞し 目映い光の渦を演出する
心地よい銀河の子守唄 過ぎ行く時間は太平洋上で一日の元に舞い戻る

当時 暇を見つけては旅に出ていた自分の生き方と相通ずるものがあり
詩をしたためながら 好んで聴いていた至福の一刻(ひととき)

しかし物の道理には 初めがあればいつかは終止符を打つ時が訪れる
彼は声優の魂ともいえる喉の病を患い 四半世紀務め上げてきた
機長の座を降り後進に道を譲ることを決断した 1995年暮れの事だった

彼のフライトでは エピローグはいつだって穏やかだった

「夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは 遠ざかるにつれて
次第に星の瞬きと区別がつかなくなります
お送りしておりますこの音楽も美しく あなたの夢に溶け込んでいきますように
また明日 午前零時にお会いしましょう・・・」
それが決まりごとになっていた いつもの約束のメッセージだった

そして最終フライトで彼の遺した最後の言葉は その後語り継がれる伝説となった

「25年間 私がご案内役を務めて参りましたジェットストリームは
今夜でお別れでございます 長い間本当にありがとうございました
またいつの日か 夢も遥かな空の旅でお会いしましょう
では皆様 さようなら よいお年をお迎えください」

その時彼は 自分の死期が近いことを悟っていたに違いない
そして操縦桿を静かに置いてから わずか二ヵ月後の翌年二月 
新しい時代の夜明けを迎えることなく 見果てぬ夢とその美声を残し  
彼は永遠の眠りに着いた 享年六十三

ジェットストリーム それは心地よい夜の静寂へいざなう音楽の定期便
その後彼の遺志は受け継がれ 午前零時の同じ時刻に今もフライトは続いている

世相とは無縁の天上夢幻の世界 ジェット気流が夜空を闊歩する時刻
彼は今夜も 世界のどこかの空を旅していることだろう

Jyo Jet_stream

 この詩は、2007年2月に「城達也」を回想して彼に追悼の意を捧げる意味で書き綴ったものであった。彼はFM東京の「ジェットストリーム」の初代パーソナリティー(パイロット)であった。私が学生時代に深夜零時、80MHzにダイヤルを合わせれば、いつも彼の低くて甘い美声が響いていた。彼は声優としても「ローマの休日」のグレゴリーペッグやロバートワグナーの吹き替え、更には様々な番組のナレーションを担当していた。彼の人を魅了する声質は、聞く者を虜にする独特な語り口調にあった。「夜の静寂(しじま)のなんと饒舌なことでしょう・・・」は名言で、いつまでもリスナーの記憶に残るものだった。彼は死してもなお、人に感動を与える伝説を残している。私は彼の「JET STREAM」の復刻版CDを10巻セットで所有するほどのファンである。この詩が少しでも彼の存在を回顧できるものになれば幸いだと思っている。なおこの詩は、2009年5月26日に掲載したものの再掲である。

 報道ステーションで流れた回顧録

 最後に、懐かしい「JET STREAM」の音源をお聞きください。

 ラストフライト https://www.youtube.com/watch?v=OEcY_udsUq8

Jyo_tatsuya

 「FM TOKYO」の「JET STREAM」の公式HPはコチラ↓
 http://www.tfm.co.jp/jetstream/stage.html

2017年5月16日 (火)

人生の落日 ~花散る日~

 この日(5月16日)は私にとって尊敬してやまなかった亡き祖父の命日という特別な日にあたるため、今回で7度目になるが、この詩を再掲載し、亡き祖父に捧げたい。

 人生の落日 ~花散る日~

また僕は人生で大切な人を失った 
親父が死んで ずっと父親代わりだった心の支え
あなたは僕にとって大きな存在 
幼少の頃は未熟児だった僕に剣の道を説いた
尊敬する人は誰かと聞かれれば 
僕は迷わず祖父の名前を挙げるだろう・・・

明治生まれの生粋の会津人 
「ならぬものはならぬ」の精神が体の髄まで宿り
威厳と風格に満ち溢れ怖い存在 
でも孫には優しく自分にとって良きおじいちゃん
あなたは僕の人生そのもの 
身を持ってその手本を示してくれた

忙しく日本中を駆け巡る姿 議員 市の役員 
そして自らが創設した踊りの協会
幾つもの役職をこなし 
すべて一銭にもならない慈善活動 
社会貢献に身を投じ一生を捧げた 
そんなあなたの実直で懸命な生き方に周囲は
黙ってついて行った 
苦労の甲斐あって功績が世に認められ 数々の褒章と受勲
それでもあなたは驕ることも偉ぶる素振りも見せなかった
その人柄を慕って多くの人が寄ってきた 
あなたの演説は「金べろ」と称され 
あなたが話せば爆笑の渦と拍手喝采の嵐

そんなあなたでも僕が困った時は必ず
救いの手を差しのべてくれた
いつもあなたは眩しい存在 強くて大きくて 
そして近くて遠い存在 僕の誇りだった

しかし人生七十五年の節目に大きな転機が訪れた 
長年連れ添った妻との死別
それでもあなたは悲しい顔ひとつ見せず気丈に振る舞い 
元気を装っていた

その後あなたは寂しさを振り払おうと
孫娘を連れだって講演や踊りに没頭した
やがては一人身の暮らしにも慣れていった 
でも寂しくない筈はなかった

その自慢の健脚も八十歳を過ぎて翳りが見え 
あなたは健康を患い入院をした
年を重ね 徐々に体の自由が効かなくなり 
気弱な面を見せるようになると
不思議にあなたは穏やかになり 
とても身近な存在に思えてきた

そして平成十五年 あなたが卒寿を迎えたばかりの冬 
長男の突然の死 愛する妻と息子に先立たれ 
どんなにあなたは辛かったことだろう
戦友 親友 仲間を毎年少しずつ見送り 
次は自分の番がいつ来るのかと
背中合わせの死の恐怖に怯え 闘うことを強いられた 
そして周囲の誰も気づかぬうちに 
少しずつ病魔が忍び寄っていた
 


その後 あなたはすっかり元気を失くし 
表舞台から身を引き 寝たきりとなった
「命ある者はいつかは必ず朽ちる 
命の期限は人によって違うが 太く短く生きるか
細く長く生きるかの何れかだろう 
長く生きることは悲しみをすべて受け入れること」

やがてあなたの体に病変が見つかり 
少しずつ蝕んでいき 入退院を繰り返した
剣道で鍛えた強靭な精神と体も 
寄る年波の前でたじろいで見えた
「年内持てば良い」と医師から宣告され
十六年の暮れ 誰もが覚悟した最後の入院
初めてあなたは病院で正月を迎えた 
見舞い客の前では決して弱気を見せず 
何度も「大丈夫だ」を繰り返し強がって見せた 
それが自分への勇気づけ 

その後 あなたは不屈の精神で命の炎を燃やし続け 
何度も危機を乗り越えた
春 「桜を見たい」という最後の願いを己の気力で叶えた
誰もが奇跡を信じた 一時退院が認められ 
車内から通りすがりに見る卯月の空に映える満開の桜
あなたがこよなく愛し 
何度も足を運んだ公園のソメイヨシノの桜並木 
桜吹雪が車道を埋め 
その中をあなたを乗せた車がゆっくりと潜り抜けた 

「嗚呼 綺麗だな・・」
あなたはポツリ独り言のように呟き 
静かに瞳を閉じ いつまでも余韻に浸っていた

そしてその数日後 花びらが散るようにあなたの命も散った

朝 仕事先にかかった兄からの一本の電話 
「危篤 すぐ来い・・・」
とるものもとりあえず 病院へ向かう車の中 
涙で滲んで前が見えない

前日あなたは珍しく気弱で 初めて僕に我儘を言った 
「このまま死んでしまうんじゃないか」「眠るのが怖い」 
付き纏う不安
あなたが眠りに着くまで僕は傍に寄り添い 
励ましながら痛がる背中を擦ってあげた
これが僕にできる最後の孝行となった

「待っていて もうすぐ行くよ」
焦る気持ちと裏腹に無情に変わる信号 一秒が惜しい
仕事帰りに通い慣れた病院への道 
来るべきものが来たことを悟った
階段を駆け上がるといつもと違う病室 
扉を開けると一縷の望みを賭け
懸命の救命処置が続いていた 
しかしその甲斐なく再び息を吹き返すことはなかった

別れの時刻が主治医から告げられ 
張りつめていた力が一瞬で抜け床に崩れ落ちる
「おじいちゃん よく頑張ったね お疲れ様」
その言葉しか見つからなかった

ベッドの上であなたは これまでの苦しみから解き放たれ
安らかで それでいて 満足そうな死に顔を湛え 
「悔いのない人生だった」と周囲に伝えているようで
それは立派な大往生だった・・・

愛妻と死に別れてから十八年後 
ようやくあの世で再会を果たした

今 同じ位牌に二つの戒名 
それだけが残された僕たちにできるせめてもの恩返し

ほどなくして昔世話になったという見覚えのある人たちが
最期の別れに集まる
皆が「会長」と過ごした時間の思い出話に花を咲かせ
故人を偲んで語り合う 

晩年あなたが過ごした一軒家にて 
遺品の整理で出てきた想い出の品々
従軍時代の貴重な日記 
そして人生を物語る数々の色褪せた白黒写真
戦争で一度は死を覚悟し 家族に宛てた手紙 
そして所々に添えられた見事な挿絵
隠居後は孤独に耐えて 本当の死の恐怖と闘い続けた 
そんな祖父の生涯だった

耳を澄ませば 今も聞こえる電話の向こうの
凛としたあなたの声
背筋をしゃんと伸ばし 茶の間で寛ぐあなたの面影が 
この胸に去来する

「ありがとう 僕の大切な人 でもさよならは言わない」

だってあなたはいつでも僕の人生そのものだから・・・・


 平成十七年五月十六日 祖父他界 享年九十六歳 合掌



Cherry_trees

 あれから丸12年。あの日は月曜日だった。祖父との思い出はいつも「大徳」にある。祖父の生き様を手本とし、自分があの世へ導かれた時に、恥じない生き方をして、胸を張って報告をしたいと考えている。

http://homepage3.nifty.com/tmsuzu/jinseinorakujitu.htm

2017年2月 5日 (日)

疑問

 時々僕は考える それは人から見ればどうでもいいことかもしれない

 宇宙を支配しているのは誰 地球を創り出したのは誰

 人が神と呼んで崇める者の仕業なのか

 時々僕は考える それは人から見たら馬鹿げたことかもしれない

 どうして僕は人としてこの世に生を受けたのだろう

 別に虫でも 植物でも 魚でもよかったはずなのに

 どうして人間として生まれ出たのか

 時々僕は考える それは現実とはかけ離れたことかもしれない

 どうして僕は今ここにいるのだろう どうして死なないのだろう

 世の中には気持ちとは裏腹に、若くして事故や急病で死ぬ人がいる

 その人は単に生命線が短かっただけなのか 

 それともそれを宿命(さだめ)というのだろうか

 時々僕は考える 僕が生まれたのは前世の存在の行いが良かったからなのか

 どうして今の両親の子で生まれたのだろう 俳優の政治家の息子でも良かった筈だ

 世の中科学では証明できない 解決できないことだらけ 

 そして自分はあと何年生きて、どんな死に方をするのだろう

 最期を迎える時に、愛する人たちに囲まれて、看取られて死ぬのだろうか

 人知れず孤独の身で 息絶えるのか それはやはり神のみぞ知るのか

 嗚呼、人生とは時に無情で 時には安らぎを与える
 嗚呼 人生とは不可思議なものよ 僕をどこにいざない、連れ去るのか

 知っている人がいたら教えてほしい 私の生き様を そして死に際を

 目を開けたらすべてが夢だったことを期待しながら今宵も眠りに就きたい

 記事作成:12月6日(火)  

2016年12月29日 (木)

親父の背中 ~亡き父に捧げる鎮魂歌~

 個人的なことだが、この日は亡き父の命日にあたるため、毎年詠んでいる詩を掲載させて頂くことを予めご了承願いたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

 「親父の背中 ~亡き父に捧げる鎮魂歌~」

年の瀬も押し迫った師走の朝 突然親父は逝った 
誰にも看取られず 別れの言葉を交わす暇さえなく 
覚悟も無いままたった独りきりで旅立った

昔気質で大の病院嫌い 体の不調を口にせず
人知れず断末魔の苦しみや 痛みに耐えていたのだろう
元来人に気を遣いすぎる性格 それが災いし 
余計な心配をかけまいと
自らの死期が近いことをひた隠しにしていたに違いない

その前夜 あなたは周囲の説得に耳を貸さず
最後まで病院へ行くことを躊躇った
今思えば あの時あなたは二度と生きてここへは戻れないことを
悟っていたに違いない

翌朝 医師から呼ばれ伝えられた真実
そしてほどなく「ご臨終です」という突き刺す悪魔の言葉
一瞬我が耳を疑った

昨夜まで我が家で生きていた筈の父が目の前で冷たくなっている現実
嗚呼 夢なら早く覚めてくれ されど生きる証を示す心電計は
真横に一直線に流れ 無情にも命の炎が尽きたことを物語っていた
手を握れば まだ柔らかく温もりのある体を冷やさないようにと
必死で母と擦った

やがてそれも叶わぬ願いと知り 唇を噛んで遺体に縋りつく母
震えるその肩を抱き寄せ ただじっと病室の天井を見つめていた
どうしてこんなことに いったい誰がこんな別れを仕組んだのか
受け入れ難い現実を突きつけられ 心の整理がつかない

その夜 通夜には不似合いなくらい 空一面に瞬く銀の星
天に召されたあなたも きっとそのどこかにいる筈と
必死であなたの名を星に向かって叫んだ

突然の訃報にうな垂れて訪れた喪服姿の弔問客
その日を境に未亡人と化した母は気丈に振る舞う
生前親交があった人々の悲痛な面持ちと嗚咽
そしてお悔やみと慰めの言葉に

これが現実であることをようやく受け入れた
取り付く島を与えず 矢継ぎ早に始まる葬儀の仕度
家族はその日から遺族と呼ばれ 不幸の眼差しを一身に浴びる

真夜中過ぎ客足が途絶えた頃 
死化粧と白い布を顔にあてがわれ 守り刀を胸に抱いて横たわる 
変わり果てたあなたの亡骸と向き合い
久しぶりに親子二人で話をした

額に深く刻まれた皺 やつれた頬 仕事中 
誤って怪我をし足の甲に拵えた傷の跡 気づかなかった 
こんなにあなたが疲れていたことを

線香の煙の中で交わす心の会話
「この大きな空の小さな町の片隅であなたは生まれ育ち
七十歳という生涯を人知れず閉じた」
「遣り残したことはないの」「幸せな人生だったの」
無言の父は身動きひとつせず ただ黙っているだけ
明るく気さく 忠義で誰にでも優しかった親父
頭に浮かぶは在りし日の面影

幼い頃いろんな所へ連れて行ってもらったこと
空き地でキャッチボールしてくれたこと
大学や就職が決まった時 手放しで喜んでくれたこと
昨日のことのように甦る

子供の時 あんなに大きく見えた背中が いつの間にか小さくなっていた
あなたの体を蝕み命を奪い取った煙草 死ぬまで肌身離さず持っていた
いつも家族に窘められ それでも一向にやめようとはしなかった
焼香代わりに香炉の灰に立て火を点す

「今宵は好きなだけ吸っていいよ・・・」

大晦日 あなたを野辺送り 火葬場にて最期の別れ
経帷子を身に纏ったあなたとあなたの代名詞だった遺品を 棺に納め 
天に昇る煙をこの目で見届けた

翌日 我が家に初めて正月は来なかった
楽し気に初詣に向かう家族連れを茫然と見送った
放心状態と極度の虚脱感が全身を襲う

正月が明け 吹雪の中でしめやかに執り行われた告別式
葬儀を終えた瞬間 我々遺族は言い知れぬ深い悲しみに包まれた
参列者に気丈に振る舞いお辞儀を繰り返していた母が
ひとつ深い溜息をつき崩れるように床に落ちた
子供の前で一度も弱音を吐かず強かった母の初めて見る真実の姿
僕は拳を握りしめ人生を噛みしめた

あれから早幾歳月 未だ信じ難いあまりにも早すぎた父の死
いつも当たり前のようにそこにいたはずの人がいない
できなかった親孝行 自分を責め続けた日々

でも遺影の父はいつも黙って微笑んでいる  
掌を合わせる度にあなたは無言で語りかけてくる

「これが人生 これが男の生き様 生きてこその絆 
限りある命 今を精一杯生きろ」それが父の教え 

いずれ私もおっつけ逝くだろう
それまで その後の自分の人生を胸を張って報告できるようにしよう
そう墓前で固く誓った

心の支えはもういない かつてあなたがそうであったように
気づけば自分も親の身となった
此の頃少しずつあなたの気持ちがわかってきた
今の僕ならあなたの苦労が痛いほどよくわかる

家庭を築くこと 愛する人を守ること 
男として生きていくことが どんなに辛く大変だってことかを
あなたが僕にしてくれたことを 今度は僕が自分の子供にしてあげよう
「あなたはこの世から旅立ったけど 
これから先もずっと僕の心の中で 生き続けるだろう」

そのことを自分自身に言い聞かせ ありきたりだけれど
生前言えなかったこの言葉を今 あなたに捧ぐ

「こんな僕を育ててくれてありがとう あなたの子供で本当に良かった」

「またいつか 空の上でキャッチボールをしよう・・・」   

平成十五年 十二月二十九日 父他界 享年七十歳  合掌  

追 記   

 この日ばかりは、私や家族にとって生涯忘れられない日となった。最愛の父親があの世に旅立ってから今年で丸13年が経過した。「光陰矢の如し」を実感する。父が亡くなった病院も、震災の影響で取り壊され、今は更地となっている。父の存在を永遠に忘れないために、そして追憶と追悼の念を忘れないために例年同様、亡くなった時刻11時21分に亡き父に捧げる詩を再掲させて頂いた。
 毎年思うことは、死んだ人間は二度とこの世に戻らないという非情なまでの事実だ。実家に行けば今でも父親に会えるような気がしてしまう。しかしそれは叶わぬ夢だと悟る。  いずれ遅かれ早かれ、自分もあの世に逝くことだろう。その時に、ご先祖様に顔向けできないような真似だけは絶対にしないと思っている。自分がどんな一生を送ったかを胸を張って報告できるようにしたいと強く願っている。そのためには、親よりも一日でも多く長生きすることが必要だ。これまで大病はないが、あと19年で父親と同じ年齢に自分も達する。そこまでは生きながらえたいと切に願ってやまない。

2015年12月29日 (火)

親父の背中 ~亡き父に捧げる鎮魂歌~

 個人的なことだが、この日は亡き父の命日にあたるため、毎年詠んでいる詩を掲載させて頂くことを予めご了承願いたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

 「親父の背中 ~亡き父に捧げる鎮魂歌~」

年の瀬も押し迫った師走の朝 突然親父は逝った 
誰にも看取られず 別れの言葉を交わす暇さえなく 
覚悟も無いままたった独りきりで旅立った

昔気質で大の病院嫌い 体の不調を口にせず
人知れず断末魔の苦しみや 痛みに耐えていたのだろう
元来人に気を遣いすぎる性格 それが災いし 
余計な心配をかけまいと
自らの死期が近いことをひた隠しにしていたに違いない

その前夜 あなたは周囲の説得に耳を貸さず
最後まで病院へ行くことを躊躇った
今思えば あの時あなたは二度と生きてここへは戻れないことを
悟っていたに違いない

翌朝 医師から呼ばれ伝えられた真実
そしてほどなく「ご臨終です」という突き刺す悪魔の言葉
一瞬我が耳を疑った

昨夜まで我が家で生きていた筈の父が目の前で冷たくなっている現実
嗚呼 夢なら早く覚めてくれ されど生きる証を示す心電計は
真横に一直線に流れ 無情にも命の炎が尽きたことを物語っていた
手を握れば まだ柔らかく温もりのある体を冷やさないようにと
必死で母と擦った

やがてそれも叶わぬ願いと知り 唇を噛んで遺体に縋りつく母
震えるその肩を抱き寄せ ただじっと病室の天井を見つめていた
どうしてこんなことに いったい誰がこんな別れを仕組んだのか
受け入れ難い現実を突きつけられ 心の整理がつかない

その夜 通夜には不似合いなくらい 空一面に瞬く銀の星
天に召されたあなたも きっとそのどこかにいる筈と
必死であなたの名を星に向かって叫んだ

突然の訃報にうな垂れて訪れた喪服姿の弔問客
その日を境に未亡人と化した母は気丈に振る舞う
生前親交があった人々の悲痛な面持ちと嗚咽
そしてお悔やみと慰めの言葉に

これが現実であることをようやく受け入れた
取り付く島を与えず 矢継ぎ早に始まる葬儀の仕度
家族はその日から遺族と呼ばれ 不幸の眼差しを一身に浴びる

真夜中過ぎ客足が途絶えた頃 
死化粧と白い布を顔にあてがわれ 守り刀を胸に抱いて横たわる 
変わり果てたあなたの亡骸と向き合い
久しぶりに親子二人で話をした

額に深く刻まれた皺 やつれた頬 仕事中 
誤って怪我をし足の甲に拵えた傷の跡 気づかなかった 
こんなにあなたが疲れていたことを

線香の煙の中で交わす心の会話
「この大きな空の小さな町の片隅であなたは生まれ育ち
七十歳という生涯を人知れず閉じた」
「遣り残したことはないの」「幸せな人生だったの」
無言の父は身動きひとつせず ただ黙っているだけ
明るく気さく 忠義で誰にでも優しかった親父
頭に浮かぶは在りし日の面影

幼い頃いろんな所へ連れて行ってもらったこと
空き地でキャッチボールしてくれたこと
大学や就職が決まった時 手放しで喜んでくれたこと
昨日のことのように甦る

子供の時 あんなに大きく見えた背中が いつの間にか小さくなっていた
あなたの体を蝕み命を奪い取った煙草 死ぬまで肌身離さず持っていた
いつも家族に窘められ それでも一向にやめようとはしなかった
焼香代わりに香炉の灰に立て火を点す

「今宵は好きなだけ吸っていいよ・・・」

大晦日 あなたを野辺送り 火葬場にて最期の別れ
経帷子を身に纏ったあなたとあなたの代名詞だった遺品を 棺に納め 
天に昇る煙をこの目で見届けた

翌日 我が家に初めて正月は来なかった
楽し気に初詣に向かう家族連れを茫然と見送った
放心状態と極度の虚脱感が全身を襲う

正月が明け 吹雪の中でしめやかに執り行われた告別式
葬儀を終えた瞬間 我々遺族は言い知れぬ深い悲しみに包まれた
参列者に気丈に振る舞いお辞儀を繰り返していた母が
ひとつ深い溜息をつき崩れるように床に落ちた
子供の前で一度も弱音を吐かず強かった母の初めて見る真実の姿
僕は拳を握りしめ人生を噛みしめた

あれから早幾歳月 未だ信じ難いあまりにも早すぎた父の死
いつも当たり前のようにそこにいたはずの人がいない
できなかった親孝行 自分を責め続けた日々

でも遺影の父はいつも黙って微笑んでいる  
掌を合わせる度にあなたは無言で語りかけてくる

「これが人生 これが男の生き様 生きてこその絆 
限りある命 今を精一杯生きろ」それが父の教え 

いずれ私もおっつけ逝くだろう
それまで その後の自分の人生を胸を張って報告できるようにしよう
そう墓前で固く誓った

心の支えはもういない かつてあなたがそうであったように
気づけば自分も親の身となった
此の頃少しずつあなたの気持ちがわかってきた
今の僕ならあなたの苦労が痛いほどよくわかる

家庭を築くこと 愛する人を守ること 
男として生きていくことが どんなに辛く大変だってことかを
あなたが僕にしてくれたことを 今度は僕が自分の子供にしてあげよう
「あなたはこの世から旅立ったけど 
これから先もずっと僕の心の中で 生き続けるだろう」

そのことを自分自身に言い聞かせ ありきたりだけれど
生前言えなかったこの言葉を今 あなたに捧ぐ

「こんな僕を育ててくれてありがとう あなたの子供で本当に良かった」

「またいつか 空の上でキャッチボールをしよう・・・」   

平成十五年 十二月二十九日 父他界 享年七十歳  合掌  

追 記   

 この日ばかりは、私や家族にとって生涯忘れられない日となった。最愛の父親があの世に旅立ってから今年で丸12年が経過した。「光陰矢の如し」を実感する。父が亡くなった病院も、震災の影響で取り壊され、今は更地となっている。父の存在を永遠に忘れないために、そして追憶と追悼の念を忘れないために例年同様、亡くなった時刻11時21分に亡き父に捧げる詩を再掲させて頂いた。
 毎年思うことは、死んだ人間は二度とこの世に戻らないという非情なまでの事実だ。実家に行けば今でも父親に会えるような気がしてしまう。しかしそれは叶わぬ夢だと悟る。  いずれ遅かれ早かれ、自分もあの世に逝くことだろう。その時に、ご先祖様に顔向けできないような真似だけは絶対にしないと思っている。自分がどんな一生を送ったかを胸を張って報告できるようにしたいと強く願っている。そのためには、親よりも一日でも多く長生きすることが必要だ。これまで大病はないが、あと19年で父親と同じ年齢に自分も達する。そこまでは生きながらえたいと切に願ってやまない

2015年5月16日 (土)

人生の落日 ~花散る日~

 この日(5月16日)は私にとって尊敬してやまなかった亡き祖父の命日という特別な日にあたるため、今回で6度目になるが、この詩を再掲載し、亡き祖父に捧げたい。

 人生の落日 ~花散る日~

また僕は人生で大切な人を失った 
親父が死んで ずっと父親代わりだった心の支え
あなたは僕にとって大きな存在 
幼少の頃は未熟児だった僕に剣の道を説いた
尊敬する人は誰かと聞かれれば 
僕は迷わず祖父の名前を挙げるだろう・・・

明治生まれの生粋の会津人 
「ならぬものはならぬ」の精神が体の髄まで宿り
威厳と風格に満ち溢れ怖い存在 
でも孫には優しく自分にとって良きおじいちゃん
あなたは僕の人生そのもの 
身を持ってその手本を示してくれた

忙しく日本中を駆け巡る姿 議員 市の役員 
そして自らが創設した踊りの協会
幾つもの役職をこなし 
すべて一銭にもならない慈善活動 
社会貢献に身を投じ一生を捧げた 
そんなあなたの実直で懸命な生き方に周囲は
黙ってついて行った 
苦労の甲斐あって功績が世に認められ 数々の褒章と受勲
それでもあなたは驕ることも偉ぶる素振りも見せなかった
その人柄を慕って多くの人が寄ってきた 
あなたの演説は「金べろ」と称され 
あなたが話せば爆笑の渦と拍手喝采の嵐

そんなあなたでも僕が困った時は必ず
救いの手を差しのべてくれた
いつもあなたは眩しい存在 強くて大きくて 
そして近くて遠い存在 僕の誇りだった

しかし人生七十五年の節目に大きな転機が訪れた 
長年連れ添った妻との死別
それでもあなたは悲しい顔ひとつ見せず気丈に振る舞い 
元気を装っていた

その後あなたは寂しさを振り払おうと
孫娘を連れだって講演や踊りに没頭した
やがては一人身の暮らしにも慣れていった 
でも寂しくない筈はなかった

その自慢の健脚も八十歳を過ぎて翳りが見え 
あなたは健康を患い入院をした
年を重ね 徐々に体の自由が効かなくなり 
気弱な面を見せるようになると
不思議にあなたは穏やかになり 
とても身近な存在に思えてきた

そして平成十五年 あなたが卒寿を迎えたばかりの冬 
長男の突然の死 愛する妻と息子に先立たれ 
どんなにあなたは辛かったことだろう
戦友 親友 仲間を毎年少しずつ見送り 
次は自分の番がいつ来るのかと
背中合わせの死の恐怖に怯え 闘うことを強いられた 
そして周囲の誰も気づかぬうちに 
少しずつ病魔が忍び寄っていた
 


その後 あなたはすっかり元気を失くし 
表舞台から身を引き 寝たきりとなった
「命ある者はいつかは必ず朽ちる 
命の期限は人によって違うが 太く短く生きるか
細く長く生きるかの何れかだろう 
長く生きることは悲しみをすべて受け入れること」

やがてあなたの体に病変が見つかり 
少しずつ蝕んでいき 入退院を繰り返した
剣道で鍛えた強靭な精神と体も 
寄る年波の前でたじろいで見えた
「年内持てば良い」と医師から宣告され
十六年の暮れ 誰もが覚悟した最後の入院
初めてあなたは病院で正月を迎えた 
見舞い客の前では決して弱気を見せず 
何度も「大丈夫だ」を繰り返し強がって見せた 
それが自分への勇気づけ 

その後 あなたは不屈の精神で命の炎を燃やし続け 
何度も危機を乗り越えた
春 「桜を見たい」という最後の願いを己の気力で叶えた
誰もが奇跡を信じた 一時退院が認められ 
車内から通りすがりに見る卯月の空に映える満開の桜
あなたがこよなく愛し 
何度も足を運んだ公園のソメイヨシノの桜並木 
桜吹雪が車道を埋め 
その中をあなたを乗せた車がゆっくりと潜り抜けた 

「嗚呼 綺麗だな・・」
あなたはポツリ独り言のように呟き 
静かに瞳を閉じ いつまでも余韻に浸っていた

そしてその数日後 花びらが散るようにあなたの命も散った

朝 仕事先にかかった兄からの一本の電話 
「危篤 すぐ来い・・・」
とるものもとりあえず 病院へ向かう車の中 
涙で滲んで前が見えない

前日あなたは珍しく気弱で 初めて僕に我儘を言った 
「このまま死んでしまうんじゃないか」「眠るのが怖い」 
付き纏う不安
あなたが眠りに着くまで僕は傍に寄り添い 
励ましながら痛がる背中を擦ってあげた
これが僕にできる最後の孝行となった

「待っていて もうすぐ行くよ」
焦る気持ちと裏腹に無情に変わる信号 一秒が惜しい
仕事帰りに通い慣れた病院への道 
来るべきものが来たことを悟った
階段を駆け上がるといつもと違う病室 
扉を開けると一縷の望みを賭け
懸命の救命処置が続いていた 
しかしその甲斐なく再び息を吹き返すことはなかった

別れの時刻が主治医から告げられ 
張りつめていた力が一瞬で抜け床に崩れ落ちる
「おじいちゃん よく頑張ったね お疲れ様」
その言葉しか見つからなかった

ベッドの上であなたは これまでの苦しみから解き放たれ
安らかで それでいて 満足そうな死に顔を湛え 
「悔いのない人生だった」と周囲に伝えているようで
それは立派な大往生だった・・・

愛妻と死に別れてから十八年後 
ようやくあの世で再会を果たした

今 同じ位牌に二つの戒名 
それだけが残された僕たちにできるせめてもの恩返し

ほどなくして昔世話になったという見覚えのある人たちが
最期の別れに集まる
皆が「会長」と過ごした時間の思い出話に花を咲かせ
故人を偲んで語り合う 

晩年あなたが過ごした一軒家にて 
遺品の整理で出てきた想い出の品々
従軍時代の貴重な日記 
そして人生を物語る数々の色褪せた白黒写真
戦争で一度は死を覚悟し 家族に宛てた手紙 
そして所々に添えられた見事な挿絵
隠居後は孤独に耐えて 本当の死の恐怖と闘い続けた 
そんな祖父の生涯だった

耳を澄ませば 今も聞こえる電話の向こうの
凛としたあなたの声
背筋をしゃんと伸ばし 茶の間で寛ぐあなたの面影が 
この胸に去来する

「ありがとう 僕の大切な人 でもさよならは言わない」

だってあなたはいつでも僕の人生そのものだから・・・・


 平成十七年五月十六日 祖父他界 享年九十二歳 合掌



Cherry_trees

 あれから丸10年。あの日は月曜日だった。祖父との思い出はいつも「大徳」にある。祖父の生き様を手本とし、自分があの世へ導かれた時に、恥じない生き方をして、胸を張って報告をしたいと考えている。

http://homepage3.nifty.com/tmsuzu/jinseinorakujitu.htm

2014年12月29日 (月)

親父の背中 ~亡き父に捧げる鎮魂歌~

 個人的なことだが、この日は亡き父の命日にあたるため、毎年詠んでいる詩を掲載させて頂くことを予めご了承願いたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

 「親父の背中 ~亡き父に捧げる鎮魂歌~」

年の瀬も押し迫った師走の朝 突然親父は逝った 
誰にも看取られず 別れの言葉を交わす暇さえなく 
覚悟も無いままたった独りきりで旅立った

昔気質で大の病院嫌い 体の不調を口にせず
人知れず断末魔の苦しみや 痛みに耐えていたのだろう
元来人に気を遣いすぎる性格 それが災いし 
余計な心配をかけまいと
自らの死期が近いことをひた隠しにしていたに違いない

その前夜 あなたは周囲の説得に耳を貸さず
最後まで病院へ行くことを躊躇った
今思えば あの時あなたは二度と生きてここへは戻れないことを
悟っていたに違いない

翌朝 医師から呼ばれ伝えられた真実
そしてほどなく「ご臨終です」という突き刺す悪魔の言葉
一瞬我が耳を疑った

昨夜まで我が家で生きていた筈の父が目の前で冷たくなっている現実
嗚呼 夢なら早く覚めてくれ されど生きる証を示す心電計は
真横に一直線に流れ 無情にも命の炎が尽きたことを物語っていた
手を握れば まだ柔らかく温もりのある体を冷やさないようにと
必死で母と擦った

やがてそれも叶わぬ願いと知り 唇を噛んで遺体に縋りつく母
震えるその肩を抱き寄せ ただじっと病室の天井を見つめていた
どうしてこんなことに いったい誰がこんな別れを仕組んだのか
受け入れ難い現実を突きつけられ 心の整理がつかない

その夜 通夜には不似合いなくらい 空一面に瞬く銀の星
天に召されたあなたも きっとそのどこかにいる筈と
必死であなたの名を星に向かって叫んだ

突然の訃報にうな垂れて訪れた喪服姿の弔問客
その日を境に未亡人と化した母は気丈に振る舞う
生前親交があった人々の悲痛な面持ちと嗚咽
そしてお悔やみと慰めの言葉に

これが現実であることをようやく受け入れた
取り付く島を与えず 矢継ぎ早に始まる葬儀の仕度
家族はその日から遺族と呼ばれ 不幸の眼差しを一身に浴びる

真夜中過ぎ客足が途絶えた頃 
死化粧と白い布を顔にあてがわれ 守り刀を胸に抱いて横たわる 
変わり果てたあなたの亡骸と向き合い
久しぶりに親子二人で話をした

額に深く刻まれた皺 やつれた頬 仕事中 
誤って怪我をし足の甲に拵えた傷の跡 気づかなかった 
こんなにあなたが疲れていたことを

線香の煙の中で交わす心の会話
「この大きな空の小さな町の片隅であなたは生まれ育ち
七十歳という生涯を人知れず閉じた」
「遣り残したことはないの」「幸せな人生だったの」
無言の父は身動きひとつせず ただ黙っているだけ
明るく気さく 忠義で誰にでも優しかった親父
頭に浮かぶは在りし日の面影

幼い頃いろんな所へ連れて行ってもらったこと
空き地でキャッチボールしてくれたこと
大学や就職が決まった時 手放しで喜んでくれたこと
昨日のことのように甦る

子供の時 あんなに大きく見えた背中が いつの間にか小さくなっていた
あなたの体を蝕み命を奪い取った煙草 死ぬまで肌身離さず持っていた
いつも家族に窘められ それでも一向にやめようとはしなかった
焼香代わりに香炉の灰に立て火を点す

「今宵は好きなだけ吸っていいよ・・・」

大晦日 あなたを野辺送り 火葬場にて最期の別れ
経帷子を身に纏ったあなたとあなたの代名詞だった遺品を 棺に納め 
天に昇る煙をこの目で見届けた

翌日 我が家に初めて正月は来なかった
楽し気に初詣に向かう家族連れを茫然と見送った
放心状態と極度の虚脱感が全身を襲う

正月が明け 吹雪の中でしめやかに執り行われた告別式
葬儀を終えた瞬間 我々遺族は言い知れぬ深い悲しみに包まれた
参列者に気丈に振る舞いお辞儀を繰り返していた母が
ひとつ深い溜息をつき崩れるように床に落ちた
子供の前で一度も弱音を吐かず強かった母の初めて見る真実の姿
僕は拳を握りしめ人生を噛みしめた

あれから早幾歳月 未だ信じ難いあまりにも早すぎた父の死
いつも当たり前のようにそこにいたはずの人がいない
できなかった親孝行 自分を責め続けた日々

でも遺影の父はいつも黙って微笑んでいる  
掌を合わせる度にあなたは無言で語りかけてくる

「これが人生 これが男の生き様 生きてこその絆 
限りある命 今を精一杯生きろ」それが父の教え 

いずれ私もおっつけ逝くだろう
それまで その後の自分の人生を胸を張って報告できるようにしよう
そう墓前で固く誓った

心の支えはもういない かつてあなたがそうであったように
気づけば自分も親の身となった
此の頃少しずつあなたの気持ちがわかってきた
今の僕ならあなたの苦労が痛いほどよくわかる

家庭を築くこと 愛する人を守ること 
男として生きていくことが どんなに辛く大変だってことかを
あなたが僕にしてくれたことを 今度は僕が自分の子供にしてあげよう
「あなたはこの世から旅立ったけど 
これから先もずっと僕の心の中で 生き続けるだろう」

そのことを自分自身に言い聞かせ ありきたりだけれど
生前言えなかったこの言葉を今 あなたに捧ぐ

「こんな僕を育ててくれてありがとう あなたの子供で本当に良かった」

「またいつか 空の上でキャッチボールをしよう・・・」   

 

平成十五年 十二月二十九日 父他界 享年七十歳  合掌  

追 記   

 この日ばかりは、私や家族にとって生涯忘れられない日となった。最愛の父親があの世に旅立ってから今年で丸11年が経過した。「光陰矢の如し」を実感する。父が亡くなった病院も、震災の影響で取り壊され、今は更地となっている。父の存在を永遠に忘れないために、そして追憶と追悼の念を忘れないために例年同様、亡くなった時刻11時21分に亡き父に捧げる詩を再掲させて頂いた。
 毎年思うことは、死んだ人間は二度とこの世に戻らないという非情なまでの事実だ。実家に行けば今でも父親に会えるような気がしてしまう。しかしそれは叶わぬ夢だと悟る。  いずれ遅かれ早かれ、自分もあの世に逝くことだろう。その時に、ご先祖様に顔向けできないような真似だけは絶対にしないと思っている。自分がどんな一生を送ったかを胸を張って報告できるようにしたいと強く願っている。そのためには、親よりも一日でも多く長生きすることが必要だ。これまで大病はないが、あと20年で父親と同じ年齢に自分も達する。そこまでは生きながらえたいと切に願ってやまない

2014年5月16日 (金)

人生の落日 ~花散る日~

この日(5月16日)は私にとって尊敬してやまなかった亡き祖父の命日という特別な日なので、今回で5度目になるが、この詩を再掲載し、亡き祖父に捧げたい。

 人生の落日 ~花散る日~

また僕は人生で大切な人を失った 
親父が死んで ずっと父親代わりだった心の支え
あなたは僕にとって大きな存在 
幼少の頃は未熟児だった僕に剣の道を説いた
尊敬する人は誰かと聞かれれば 
僕は迷わず祖父の名前を挙げるだろう・・・

明治生まれの生粋の会津人 
「ならぬものはならぬ」の精神が体の髄まで宿り
威厳と風格に満ち溢れ怖い存在 
でも孫には優しく自分にとって良きおじいちゃん
あなたは僕の人生そのもの 
身を持ってその手本を示してくれた

忙しく日本中を駆け巡る姿 議員 市の役員 
そして自らが創設した踊りの協会
幾つもの役職をこなし 
すべて一銭にもならない慈善活動 
社会貢献に身を投じ一生を捧げた 
そんなあなたの実直で懸命な生き方に周囲は
黙ってついて行った 
苦労の甲斐あって功績が世に認められ 数々の褒章と受勲
それでもあなたは驕ることも偉ぶる素振りも見せなかった
その人柄を慕って多くの人が寄ってきた 
あなたの演説は「金べろ」と称され 
あなたが話せば爆笑の渦と拍手喝采の嵐

そんなあなたでも僕が困った時は必ず
救いの手を差しのべてくれた
いつもあなたは眩しい存在 強くて大きくて 
そして近くて遠い存在 僕の誇りだった

しかし人生七十五年の節目に大きな転機が訪れた 
長年連れ添った妻との死別
それでもあなたは悲しい顔ひとつ見せず気丈に振る舞い 
元気を装っていた

その後あなたは寂しさを振り払おうと
孫娘を連れだって講演や踊りに没頭した
やがては一人身の暮らしにも慣れていった 
でも寂しくない筈はなかった

その自慢の健脚も八十歳を過ぎて翳りが見え 
あなたは健康を患い入院をした
年を重ね 徐々に体の自由が効かなくなり 
気弱な面を見せるようになると
不思議にあなたは穏やかになり 
とても身近な存在に思えてきた

そして平成十五年 あなたが卒寿を迎えたばかりの冬 
長男の突然の死 愛する妻と息子に先立たれ 
どんなにあなたは辛かったことだろう
戦友 親友 仲間を毎年少しずつ見送り 
次は自分の番がいつ来るのかと
背中合わせの死の恐怖に怯え 闘うことを強いられた 
そして周囲の誰も気づかぬうちに 
少しずつ病魔が忍び寄っていた
 


その後 あなたはすっかり元気を失くし 
表舞台から身を引き 寝たきりとなった
「命ある者はいつかは必ず朽ちる 
命の期限は人によって違うが 太く短く生きるか
細く長く生きるかの何れかだろう 
長く生きることは悲しみをすべて受け入れること」

やがてあなたの体に病変が見つかり 
少しずつ蝕んでいき 入退院を繰り返した
剣道で鍛えた強靭な精神と体も 
寄る年波の前でたじろいで見えた
「年内持てば良い」と医師から宣告され
十六年の暮れ 誰もが覚悟した最後の入院
初めてあなたは病院で正月を迎えた 
見舞い客の前では決して弱気を見せず 
何度も「大丈夫だ」を繰り返し強がって見せた 
それが自分への勇気づけ 

その後 あなたは不屈の精神で命の炎を燃やし続け 
何度も危機を乗り越えた
春 「桜を見たい」という最後の願いを己の気力で叶えた
誰もが奇跡を信じた 一時退院が認められ 
車内から通りすがりに見る卯月の空に映える満開の桜
あなたがこよなく愛し 
何度も足を運んだ公園のソメイヨシノの桜並木 
桜吹雪が車道を埋め 
その中をあなたを乗せた車がゆっくりと潜り抜けた 

「嗚呼 綺麗だな・・」
あなたはポツリ独り言のように呟き 
静かに瞳を閉じ いつまでも余韻に浸っていた

そしてその数日後 花びらが散るようにあなたの命も散った

朝 仕事先にかかった兄からの一本の電話 
「危篤 すぐ来い・・・」
とるものもとりあえず 病院へ向かう車の中 
涙で滲んで前が見えない

前日あなたは珍しく気弱で 初めて僕に我儘を言った 
「このまま死んでしまうんじゃないか」「眠るのが怖い」 
付き纏う不安
あなたが眠りに着くまで僕は傍に寄り添い 
励ましながら痛がる背中を擦ってあげた
これが僕にできる最後の孝行となった

「待っていて もうすぐ行くよ」
焦る気持ちと裏腹に無情に変わる信号 一秒が惜しい
仕事帰りに通い慣れた病院への道 
来るべきものが来たことを悟った
階段を駆け上がるといつもと違う病室 
扉を開けると一縷の望みを賭け
懸命の救命処置が続いていた 
しかしその甲斐なく再び息を吹き返すことはなかった

別れの時刻が主治医から告げられ 
張りつめていた力が一瞬で抜け床に崩れ落ちる
「おじいちゃん よく頑張ったね お疲れ様」
その言葉しか見つからなかった

ベッドの上であなたは これまでの苦しみから解き放たれ
安らかで それでいて 満足そうな死に顔を湛え 
「悔いのない人生だった」と周囲に伝えているようで
それは立派な大往生だった・・・

愛妻と死に別れてから十八年後 
ようやくあの世で再会を果たした

今 同じ位牌に二つの戒名 
それだけが残された僕たちにできるせめてもの恩返し

ほどなくして昔世話になったという見覚えのある人たちが
最期の別れに集まる
皆が「会長」と過ごした時間の思い出話に花を咲かせ
故人を偲んで語り合う 

晩年あなたが過ごした一軒家にて 
遺品の整理で出てきた想い出の品々
従軍時代の貴重な日記 
そして人生を物語る数々の色褪せた白黒写真
戦争で一度は死を覚悟し 家族に宛てた手紙 
そして所々に添えられた見事な挿絵
隠居後は孤独に耐えて 本当の死の恐怖と闘い続けた 
そんな祖父の生涯だった

耳を澄ませば 今も聞こえる電話の向こうの
凛としたあなたの声
背筋をしゃんと伸ばし 茶の間で寛ぐあなたの面影が 
この胸に去来する

「ありがとう 僕の大切な人 でもさよならは言わない」

だってあなたはいつでも僕の人生そのものだから・・・・


 平成十七年五月十六日 祖父他界 享年九十二歳 合掌



Cherry_trees

 あれから丸9年。あの日は月曜日だった。祖父との思い出はいつも「大徳」にある。祖父の生き様を手本とし、自分があの世へ導かれた時に、恥じない生き方をして、胸を張って報告をしたいと考えている。

http://homepage3.nifty.com/tmsuzu/jinseinorakujitu.htm

2013年12月29日 (日)

親父の背中 ~亡き父に捧げる鎮魂歌~

 個人的なことだが、この日は亡き父の命日にあたるため、毎年詠んでいる詩を掲載させて頂くことを予めご了承願いたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「親父の背中 ~亡き父に捧げる鎮魂歌~」

年の瀬も押し迫った師走の朝 突然親父は逝った 誰にも看取られず
別れの言葉を交わす暇さえなく 覚悟も無いままたった独りきりで旅立った

昔気質で大の病院嫌い 体の不調を口にせず人知れず断末魔の苦しみや
痛みに耐えていたのだろう
元来人に気を遣いすぎる性格 それが災いし 余計な心配をかけまいと
自らの死期が近いことをひた隠しにしていたに違いない

その前夜 あなたは周囲の説得に耳を貸さず
最後まで病院へ行くことを躊躇った
今思えば あの時あなたは二度と生きてここへは戻れないことを
悟っていたに違いない

翌朝 医師から呼ばれ伝えられた真実
そしてほどなく「ご臨終です」という突き刺す悪魔の言葉
一瞬我が耳を疑った
昨夜まで我が家で生きていた筈の父が目の前で冷たくなっている現実

嗚呼 夢なら早く覚めてくれ されど生きる証を示す心電計は
真横に一直線に流れ 無情にも命の炎が尽きたことを物語っていた

手を握れば まだ柔らかく温もりのある体を冷やさないようにと
必死で母と擦った
やがてそれも叶わぬ願いと知り 唇を噛んで遺体に縋りつく母
震えるその肩を抱き寄せ ただじっと病室の天井を見つめていた

どうしてこんなことに いったい誰がこんな別れを仕組んだのか
受け入れ難い現実を突きつけられ 心の整理がつかない


その夜 通夜には不似合いなくらい 空一面に瞬く銀の星
天に召されたあなたも きっとそのどこかにいる筈と
必死であなたの名を星に向かって叫んだ

突然の訃報にうな垂れて訪れた喪服姿の弔問客
その日を境に未亡人と化した母は気丈に振る舞う
生前親交があった人々の悲痛な面持ちと嗚咽
そしてお悔やみと慰めの言葉に
これが現実であることをようやく受け入れた
取り付く島を与えず 矢継ぎ早に始まる葬儀の仕度
家族はその日から遺族と呼ばれ 不幸の眼差しを一身に浴びる

真夜中過ぎ客足が途絶えた頃 死化粧と白い布を顔にあてがわれ
守り刀を胸に抱いて横たわる 変わり果てたあなたの亡骸と向き合い
久しぶりに親子二人で話をした

額に深く刻まれた皺 やつれた頬
仕事中 誤って怪我をし足の甲に拵えた傷の跡
気づかなかった こんなにあなたが疲れていたことを

線香の煙の中で交わす心の会話
「この大きな空の小さな町の片隅であなたは生まれ育ち
七十歳という生涯を人知れず閉じた」
「遣り残したことはないの」「幸せな人生だったの」
無言の父は身動きひとつせず ただ黙っているだけ


明るく気さく 忠義で誰にでも優しかった親父
頭に浮かぶは在りし日の面影
幼い頃いろんな所へ連れて行ってもらったこと
空き地でキャッチボールしてくれたこと
大学や就職が決まった時 手放しで喜んでくれたこと
昨日のことのように甦る

子供の時 あんなに大きく見えた背中が
いつの間にか小さくなっていた
あなたの体を蝕み命を奪い取った煙草
死ぬまで肌身離さず持っていた
いつも家族に窘められ それでも一向にやめようとはしなかった
焼香代わりに香炉の灰に立て火を点す
「今宵は好きなだけ吸っていいよ・・・」

大晦日 あなたを野辺送り 火葬場にて最期の別れ
経帷子を身に纏ったあなたとあなたの代名詞だった遺品を
棺に納め 天に昇る煙をこの目で見届けた

翌日 我が家に初めて正月は来なかった
楽し気に初詣に向かう家族連れを茫然と見送った
放心状態と極度の虚脱感が全身を襲う

正月が明け 吹雪の中でしめやかに執り行われた告別式
葬儀を終えた瞬間 我々遺族は言い知れぬ深い悲しみに包まれた
参列者に気丈に振る舞いお辞儀を繰り返していた母が
ひとつ深い溜息をつき崩れるように床に落ちた
子供の前で一度も弱音を吐かず強かった母の初めて見る真実の姿
僕は拳を握りしめ人生を噛みしめた


あれから早幾歳月 未だ信じ難いあまりにも早すぎた父の死
いつも当たり前のようにそこにいたはずの人がいない
できなかった親孝行 自分を責め続けた日々
でも遺影の父はいつも黙って微笑んでいる
 掌を合わせる度にあなたは無言で語りかけてくる
「これが人生 これが男の生き様 生きてこその絆 限りある命
今を精一杯生きろ」それが父の教え いずれ私もおっつけ逝くだろう
それまで その後の自分の人生を胸を張って報告できるようにしよう
そう墓前で固く誓った

心の支えはもういない かつてあなたがそうであったように
気づけば自分も親の身となった
此の頃少しずつあなたの気持ちがわかってきた
今の僕ならあなたの苦労が痛いほどよくわかる
家庭を築くこと 愛する人を守ること 男として生きていくことが
どんなに辛く大変だってことかを
あなたが僕にしてくれたことを 今度は僕が自分の子供にしてあげよう

「あなたはこの世から旅立ったけど これから先もずっと僕の心の中で
生き続けるだろう」

そのことを自分自身に言い聞かせ ありきたりだけれど
生前言えなかったこの言葉を今 あなたに捧ぐ


「こんな僕を育ててくれてありがとう あなたの子供で本当に良かった」
「またいつか 空の上でキャッチボールをしよう・・・」


   平成十五年 十二月二十九日 父他界 享年七十歳  合掌


 追 記 

 この日ばかりは、私や家族にとって生涯忘れられない日となった。最愛の父親があの世に旅立ってから今年で丸10年が経過した。「光陰矢の如し」を実感する。父の存在を永遠に忘れないために、そして追憶と追悼の念を忘れないために昨年に引き続き、亡くなった時刻11時21分に亡き父に捧げる詩を再掲させて頂いた。毎年思うことは、死んだ人間は二度とこの世に戻らないという非情なまでの事実だ。実家に行けば今でも父親に会えるような気がしてしまう。しかしそれは叶わぬ夢だと悟る。
 
いずれ遅かれ早かれ、自分もあの世に逝くことだろう。その時に、ご先祖様に顔向けできないような真似だけは絶対にしないと思っている。自分がどんな一生を送ったかを胸を張って報告できるようにしたいと強く願っている。そのためには、親よりも一日でも多く長生きすることが必要だ。これまで大病はないが、あと21年で父親と同じ年齢に自分も達する。そこまでは生きながらえたいと切に願ってやまない。

2013年5月16日 (木)

人生の落日 ~花散る日~

 この日(5月16日)は私にとって尊敬してやまなかった亡き祖父の命日という特別な日なので、今回で四度目になるが、この詩を再掲載し、亡き祖父に捧げたい。

 人生の落日 ~花散る日~

また僕は人生で大切な人を失った 
親父が死んで ずっと父親代わりだった心の支え
あなたは僕にとって大きな存在 
幼少の頃は未熟児だった僕に剣の道を説いた
尊敬する人は誰かと聞かれれば 
僕は迷わず祖父の名前を挙げるだろう・・・

明治生まれの生粋の会津人 
「ならぬものはならぬ」の精神が体の髄まで宿り
威厳と風格に満ち溢れ怖い存在 
でも孫には優しく自分にとって良きおじいちゃん
あなたは僕の人生そのもの 
身を持ってその手本を示してくれた

忙しく日本中を駆け巡る姿 議員 市の役員 
そして自らが創設した踊りの協会
幾つもの役職をこなし 
すべて一銭にもならない慈善活動 
社会貢献に身を投じ一生を捧げた 
そんなあなたの実直で懸命な生き方に周囲は
黙ってついて行った 
苦労の甲斐あって功績が世に認められ 数々の褒章と受勲
それでもあなたは驕ることも偉ぶる素振りも見せなかった
その人柄を慕って多くの人が寄ってきた 
あなたの演説は「金べろ」と称され 
あなたが話せば爆笑の渦と拍手喝采の嵐

そんなあなたでも僕が困った時は必ず
救いの手を差しのべてくれた
いつもあなたは眩しい存在 強くて大きくて 
そして近くて遠い存在 僕の誇りだった

しかし人生七十五年の節目に大きな転機が訪れた 
長年連れ添った妻との死別
それでもあなたは悲しい顔ひとつ見せず気丈に振る舞い 
元気を装っていた

その後あなたは寂しさを振り払おうと
孫娘を連れだって講演や踊りに没頭した
やがては一人身の暮らしにも慣れていった 
でも寂しくない筈はなかった

その自慢の健脚も八十歳を過ぎて翳りが見え 
あなたは健康を患い入院をした
年を重ね 徐々に体の自由が効かなくなり 
気弱な面を見せるようになると
不思議にあなたは穏やかになり 
とても身近な存在に思えてきた

そして平成十五年 あなたが卒寿を迎えたばかりの冬 
長男の突然の死 愛する妻と息子に先立たれ 
どんなにあなたは辛かったことだろう
戦友 親友 仲間を毎年少しずつ見送り 
次は自分の番がいつ来るのかと
背中合わせの死の恐怖に怯え 闘うことを強いられた 
そして周囲の誰も気づかぬうちに 
少しずつ病魔が忍び寄っていた
 


その後 あなたはすっかり元気を失くし 
表舞台から身を引き 寝たきりとなった
「命ある者はいつかは必ず朽ちる 
命の期限は人によって違うが 太く短く生きるか
細く長く生きるかの何れかだろう 
長く生きることは悲しみをすべて受け入れること」

やがてあなたの体に病変が見つかり 
少しずつ蝕んでいき 入退院を繰り返した
剣道で鍛えた強靭な精神と体も 
寄る年波の前でたじろいで見えた
「年内持てば良い」と医師から宣告され
十六年の暮れ 誰もが覚悟した最後の入院
初めてあなたは病院で正月を迎えた 
見舞い客の前では決して弱気を見せず 
何度も「大丈夫だ」を繰り返し強がって見せた 
それが自分への勇気づけ 

その後 あなたは不屈の精神で命の炎を燃やし続け 
何度も危機を乗り越えた
春 「桜を見たい」という最後の願いを己の気力で叶えた
誰もが奇跡を信じた 一時退院が認められ 
車内から通りすがりに見る卯月の空に映える満開の桜
あなたがこよなく愛し 
何度も足を運んだ公園のソメイヨシノの桜並木 
桜吹雪が車道を埋め 
その中をあなたを乗せた車がゆっくりと潜り抜けた 

「嗚呼 綺麗だな・・」
あなたはポツリ独り言のように呟き 
静かに瞳を閉じ いつまでも余韻に浸っていた

そしてその数日後 花びらが散るようにあなたの命も散った

朝 仕事先にかかった兄からの一本の電話 
「危篤 すぐ来い・・・」
とるものもとりあえず 病院へ向かう車の中 
涙で滲んで前が見えない

前日あなたは珍しく気弱で 初めて僕に我儘を言った 
「このまま死んでしまうんじゃないか」「眠るのが怖い」 
付き纏う不安
あなたが眠りに着くまで僕は傍に寄り添い 
励ましながら痛がる背中を擦ってあげた
これが僕にできる最後の孝行となった

「待っていて もうすぐ行くよ」
焦る気持ちと裏腹に無情に変わる信号 一秒が惜しい
仕事帰りに通い慣れた病院への道 
来るべきものが来たことを悟った
階段を駆け上がるといつもと違う病室 
扉を開けると一縷の望みを賭け
懸命の救命処置が続いていた 
しかしその甲斐なく再び息を吹き返すことはなかった

別れの時刻が主治医から告げられ 
張りつめていた力が一瞬で抜け床に崩れ落ちる
「おじいちゃん よく頑張ったね お疲れ様」
その言葉しか見つからなかった

ベッドの上であなたは これまでの苦しみから解き放たれ
安らかで それでいて 満足そうな死に顔を湛え 
「悔いのない人生だった」と周囲に伝えているようで
それは立派な大往生だった・・・

愛妻と死に別れてから十八年後 
ようやくあの世で再会を果たした

今 同じ位牌に二つの戒名 
それだけが残された僕たちにできるせめてもの恩返し

ほどなくして昔世話になったという見覚えのある人たちが
最期の別れに集まる
皆が「会長」と過ごした時間の思い出話に花を咲かせ
故人を偲んで語り合う 

晩年あなたが過ごした一軒家にて 
遺品の整理で出てきた想い出の品々
従軍時代の貴重な日記 
そして人生を物語る数々の色褪せた白黒写真
戦争で一度は死を覚悟し 家族に宛てた手紙 
そして所々に添えられた見事な挿絵
隠居後は孤独に耐えて 本当の死の恐怖と闘い続けた 
そんな祖父の生涯だった

耳を澄ませば 今も聞こえる電話の向こうの
凛としたあなたの声
背筋をしゃんと伸ばし 茶の間で寛ぐあなたの面影が 
この胸に去来する

「ありがとう 僕の大切な人 でもさよならは言わない」

だってあなたはいつでも僕の人生そのものだから・・・・


 平成十七年五月十六日 祖父他界 享年九十二歳 合掌



Cherry_trees

 あれから丸8年。あの日は月曜日だった。祖父との思い出はいつも「大徳」にある。祖父の生き様を手本とし、自分があの世へ導かれた時に、恥じない生き方をして、胸を張って報告をしたいと考えている。

http://homepage3.nifty.com/tmsuzu/jinseinorakujitu.htm

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