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2010年6月12日 (土)

絶版車狂走曲(トヨタVS日産)

  20世紀末から21世紀にかけて一世を風靡した名車の数々が、一斉に姿を消したのをご存知だろうか。バブル絶頂期の1980年代、世相は隆盛を極め、都心部のウォーターフロントを中心に億ションが林立し、人々の懐は潤い、市場は拡大し、消費は際限なく膨れ上がった至福の時期だった。それに伴い、自家用車や家電製品が飛ぶように売れ、暮らし向きは豊かになり、折からのグルメブームと相まって飽食の時代とさえ風刺された。今振り返るとそんな夢のような時代に、開発され、販売された数多くの車があった。今なら到底燃費(コストパフォーマンス)の良いコンパクトカーや地球にやさしいエコカーが主流であろうが、当時は「いつかはクラウン」どころの騒ぎではなく、その上のソアラ、セルシオ、ランクル(トヨタ)、フェアレディZ、スカイラインGT-R、シーマ(日産)、パジェロ、GTO(三菱)に代表されるような超高級国産車が市場を席巻した。この頃の車と言えば、ハイクオリティに加え、ハイラグジュアリーで、その形状が箱型から丸みを帯びた流線型が持て囃された。400万円を超える車はザラにあって、まさしく豊かさが繁栄を極めていた時代だったと言えよう。

 さて、そんな夢物語はバブル崩壊によって1987年頃を境として消費が急激に落ち込み、途中のIT産業が台頭する時期を経て、いつ底をつくか知れぬ、現在まで20有余年も続く景気低迷の中で喘ぎ苦しんでいる。バブル景気時に3万円台を越えた株価は1万円台を割り込み、6%あった預金利息も0%台にまで落ち込む始末。更に外為は、100円を割り込むほどの円高によって輸出は振るわず、「山一證券」に代表されるようにバッタバッタと大型倒産が相次いだ。あの三大財閥や大手都市銀行、一流の保険会社であっても、生き残るために企業統合を余儀なくされた。日本の産業界をリードし続けて来た自動車メーカーも決してその例に漏れず、まるで津波のように見境なく新規開発され、市場に溢れ出た無数の車種は、瞬く間に消え去る運命を辿る事となった。ホンダシティ、インテグラ、プレリュード、CRX、三菱ディアマンテ、デボネア、ユーノスロードスターや、この頃脚光を浴びていたRVやクロカン車はその典型であろう。その時代を彩り、闊歩した車がことごとく廃車に追い込まれたのは車好き、バイク好きの私にしたら慙愧に堪えない。そこで今回は、懐疑主義的かもしれないが、そうした時代の犠牲となった、或る時期に街角に溢れていた人気車について、トヨタ車と日産車を限定に回顧してみたいと思う。オールドファンには申し訳ないが、私が自分の車を所有し、車に興味を抱いたのが23歳頃であるため、モデルチェンジをしている車も多いが、ここでピックアップするのは1980年~2000年を中心に私が印象に残る車とさせて頂きたい。

 <トヨタ>

 ・コロナ(1957~2001)・・・一般大衆車として市中に数多く出回った。セダンである。
 ・スプリンター(1968~2002)・・・カローラの姉妹車として、エンジン等の部品を共用。こちらも大量生産型の入門カーだった。
 ・マークⅡ(1968~2004)・・・ハードトップのFR車で、グランデやロイヤルサルーンなどハイソサエティな大人向きの車だった。現在はマークXに引き継がれた。
 ・セリカ(1970~2006)・・・GT-RやGT-FOURなども話題となった。元来はクーペ型のスポーツカーというコンセプトだった。
 ・カリーナ(1970~2001)・・・こちらも大衆向けで、カローラとコロナの中間車。パーソナルクーペのEDも人気があった。姉妹車のEXIVも絶版となった。

Mark2 Cellica 

 ・カローラレビン(1972~2000)・・・カローラの中でもスポーティーに改良したクーペ。今でこそFFだが、かつてFRだった頃の86レビンは中古市場でも高値で取引される大人気車。改造し、チューンを加え、峠でローリングしている姿をよく見かけた。
 ・スプリンタートレノ(1972~2000)・・・レビンの姉妹車。こちらはリトラクタブルライト。
 ・スターレット(1973~1999)・・・かっとびスターレットの愛称で親しまれた。コンパクトカーながら、俊敏で小回りが利き、軽いためにスタートダッシュはピカイチだった。
 ・チェイサー(1977~2001)・・・クレスタ・マークⅡと3姉妹を構成。部品は共用。FRで、ハードトップ型のハイラグジュアリーカーだった。フロントマスクが洗練されていた。
 ・コルサ/ターセル(1978~1999)・・・こちらも兄弟車で、これにカローラⅡが加わった。2枚ドアのコンパクトカーだった。丸みを帯びたスタイルは女性にも人気があった。
 ・セリカXX(1978~1986)・・・こちらは若者に大人気で憧れの車だった。国産車初のリトラクタブルライトを採用し、スタイリッシュでいかにもスポーツカーという流線形デザインは持て囃された。価格が多少高く、夢の車だったと言える。デビューは衝撃的だった。
 ・スープラ(1978~2002)こちらはセリカXXの進化型。重量感が増し、よりスポーティー感があった。シャコタンにしてヤンキーが乗り回していた印象がある。

Corollalevin Xx 
 
 ・クレスタ(1980~2001)・・・マークⅡ、チェイサーと兄弟車。FRでやや箱型でライトに特徴があった。
 ・ソアラ(1981~2005)・・・当時国産車の中で、400万円と一番価格が高かった。FRのスポーツ系クーペで、「湘南爆走族」などのモデル車に使用され、改造されることが多かった。より丸くなった2代目が大ヒットし、日産シルビアと並び、街で見かけない日はなかった。金持ちのエリートカーというステイタスのようなハイラグジュアリーカーで、初めてオートクルーズ機能が搭載された。グレード的にはツインターボが爆発的に売れた。生意気にも中古ながら私が初めて自分で買ったのがこの車(初代)だった。
 ・カリブ(1982~2002)・・・スプリンターをベースにした、こちらは悪路にも強い、トヨタ初のRV車として販売された。当時一大ブームを巻き起こしたスキーに持って来いの4WD車で、大人気だった。
 ・ビスタ(1982~2003)・・・アルデオも同様。私が初めて新車で買った車。ハードトップで、ディーゼルターボだった。リアスポイラーもオプションで付け、250万円ほどだった。他にもセダンがあった。この車はカムリと基本性能は同じで、姉妹車だった。
 ・カローラⅡ(1982~1999)・・・コルサ・ターセルと部品共用。2枚ドアでハッチバック式を採用した。

Soarer Sprinter_carib 
 
 ・MR2(1984~1999)・・・国内初のミッドシップでツーシーターだった。走り屋をコンセプトに、実際峠ではその身軽さとコーナリングの俊敏さで大人気となった。この車もまた若者には一種のステータスシンボルだった。
 ・セルシオ(1989~2006)・・・クラウンを超える国産最高峰の高級車として鳴り物入りで登場した。外見だけでなく内装も高級品をあしらい、社長御用達の車というイメージだった。現在は欧米仕様でレクサスとして販売している。
 ・セラ(1980)・・・国産車初のガルウイング(はね上げ式ドアの1500ccクーペ)を採用した。屋根もガラス面が多く、デザインも風変わりだった。
 ・サイノス(1991~1999)・・・カローラをベースに開発された軽量な2枚ドアクーペ。外見もスタイリッシュで、女性にも大人気だった。

Mr2 Sera 
 
  ・ウィンダム(1991~2006)・・・セルシオの下に位置するクラスで、やはり内装も豪華だった。セルシオがセダンタイプに対し、こちらはハードトップで精悍なイメージだった。プロミネントと同様にカムリと統合。
 ・カルディナ(1992~2007)・・・こちらはコロナをベース車両として、よりスポーティーに改良した。
 ・スプリンターマリノ(1992~1998)・・・コンパクトカークラスのセダンでセレスの姉妹車。
 ・カローラセレス(1992~1998)・・・マリノと共通部分を持ち、フロントマスクとレアテールの形状が異なっていただけ。1500cc~1600ccのみの設定だった。
 ・カレン(1994~1998)・・・セリカの姉妹車だった。2枚ドアクーペでありながらセダンっぽい雰囲気をもっていた。1.8Lと2Lに2系統でモデルチェンジすることなく製造終了。
 ・グランビア(1995~2002)・・・トヨタ初のミニバン。アルファードに移行した。
 ・スパシオ(1997~2007)・・・カローラベースのミニバンスタイル車。コンパクトカーサイズながら6列シートを初めて採用。1600ccと1800ccの2種類で販売された。
 ・ナディア(1998~2003)・・・イプサムをベースとして開発されたミニバン風トールワゴン。2000ccのD-4エンジンを搭載した。
 ・ガイア(1998~2004)・・・初代イプサムの姉妹車として登場。リアテールの形状が異なるくらいで、瓜二つ。2000ccと2200ccエンジンの2車種。
 
Windom Spacio

  ここに挙げただけでも31車種がもはや製造中止で、新車でお目にかかることは二度とない。寂しい限りだ。これらはいずれも、かつて町じゅう至る所で目にした車だ。トヨタの場合、販売店が系統別に取り扱い車種が異なる為、ディーラー同士で姉妹車対決が過熱し、販売合戦がヒートアップした。また同じ車種でもトヨペット店とビスタ店で取り扱うなど、同メーカーでの熾烈な競合や販売商戦が展開された。

 <日産>

 日産と言えば、スカイライン、Z、シルビア、180SXなど若者受けしそうなスポーツカーというイメージが強い。ファミリーユース向けはあまり玉数が豊富ではなかった。しかし、玄人好みの車や奇抜なデザインで期間限定商品が多かった。また、トヨタへのライバル意識が剥き出しで、対抗馬を必ずぶつけた。ソアラに対してレパード、マークⅡに対してローレル、クラウンに対してセドリック、セリカに対してシルビア、セルシオに対してシーマ、ハイラックスサーフに対してテラノ、カローラに対してサニー、スターレットに対してマーチ、コロナに対してブルーバードという具合だ。ではもう製造中止になった車を挙げてみよう。

 ・ブルーバード(1959~2001)・・・日産と言えばこの車が代名詞だった。日本の代表的なミドルセダンとして大ヒットした。最大の競合車種はトヨタ・コロナ。1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。セダンとハードトップの2車種で、高級感漂う「マキシマ」や「スーパーサルーン」、更にはスタイリッシュな「SSS」や「ARX」、「アテーサ」などが順次投入された。
 ・グロリア(1959~2004)・・・元々はプリンス自動車工業の自社製品だったが、経営が行き詰まり日産と合併した。その時、売れ線だったこの車を残し、生産を継続した。その後セドリックの姉妹車として扱われるようになった。
 ・セドリック(1960~2004)・・・クラウンのライバル車。価格帯からクラスまで同一。覆面パトに多く使われ、日産の中では高級ソサエティ車である。

Bluebird Sedric

 ・シルビア(1965~2002)・・・'80~'90年代の「エアフォースシルビア」は大ブレークし、一日20台は見た車で、町じゅうに溢れかえっていた。スタイリッシュクーペで空気抵抗を抑えた流線形のデザインは若者のハートをガッチリ捉えた。 
 ・サニー(1966~1994)・・・対カローラ戦略として打ち出された一般大衆向けファミリーカー。長く日産の売り上げNo.1をキープしたが、残念ながら退役した。
 ・ローレル(1968~2002)・・・これはマークⅡのライバル車で、高級志向の内装でトータルバランスに優れた通好みの車だった。黄土色とベージュのツートンががメインカラーだった。メダリストはクラス最高峰。

Silvia Laurel
 
 ・パルサー(1978~2005)・・・この車もコンパクトカーとして市中に数多く出回っていた。廉価で取り回しも楽なチョイ乗り向きな利便性の高い車だった。EXAはスポーツクーペだった。
 ・ガゼール(1979~1986)・・・ツードアクーペで直列4気筒の2000cc。トヨタのGT2000やセリカXXを意識した作りとなっていた。
 ・レパード(1980~1999)・・・この車もツードアのスポーツクーペで、対ソアラ戦略として開発。エンジンも2000ccと2800ccだし、直列6気筒で、オートクルーズ内蔵、ターボ車の設定もソアラと全く同一。
 ・リバティ(1982~2004)・・・プレーリーと姉妹車でハッチバック5ドアを採用。RV車としてもSUVとしても使い勝手の良いミニバンだった。ライバルはイプサムだった。
 ・テラノ(1986~2002)・・・本格的RV車としてハイラックスサーフの対抗馬として開発。ピラーが斜めに入り、その結果窓の形状が変わっていた。スキーの必須アイテム。

Pulsarexa Terrano

 ・Be-1(1987~1988)・・・この車は一風変わっていた。キュートでコンパクト。女性にモテモテの車として1982年に発売されたマーチの車体を改良して1年限定で製造販売された。
 ・セフィーロ(1988~2003)・・・スポーティーな高級中型セダンとして開発。スカイライン、ローレルと部品共用。電子制御サスペンションや4輪操舵システムなどを装備した。井上陽水の「お元気ですか~」のCMが話題に。昭和天皇の容体悪化で放送が自粛された。
 ・シーマ(1988~2010)・・・バブルの申し子とまで呼ばれた日産のトップに君臨する超高級車。セルシオの対抗馬だった。ヘッドランプやドアミラーにワイパーを装備した。内装のインテリアにも贅沢の粋を究め、時代を象徴した。

Be1 Cima
 
  ・パオ(1989~1990)・・・B-1が大当たりしたことで二匹目のドジョウを求めて開発されたのがこれ。平坦で屋根が低く、昔のドラマに出てきそうなコンパクトカーだった。メインカラーがみずいろで、やはり女性ユーザーが飛びついた。
 ・エスカルゴ(1989~1990)・・・これは商用に開発。フロントマスクはスバルの豆タンクを彷彿させ、荷台スペースは大きく高い構造。可愛らしい印象ととり回しが楽なことから、個人経営の店で購入申し込みが殺到した。この成功で三菱もミニカTOPPOを発売した。
 ・180SX(1989~1998)・・・シルビアの姉妹車として開発されたスポーツクーペ。デザインが斬新。後ろから見ると球形イメージ。空気抵抗を考えた設計で、ガラス面が多い。とにかく速そうな印象。DOHCターボエンジンを搭載し低扁平率タイヤを装着し、摩擦を抑えグリップ力を高めた。

Pao 180sx
 
 ・アベニール(1990~2005)・・・ライトバンタイプのステーションワゴンで、フルタイム4WDで2000ccだったことからカリブの対抗馬として開発された。
 ・プリメーラ(1990~2008)・・・この車も斬新なデザインと初のガンメタ車ということで脚光を浴びた。仕様は1800cc/2000ccのSR型エンジンに5速MTと4速ATの組み合わせだった。スタイリング、動的性能両面で欧州車を強く意識して開発された。
 ・プレセア(1990~2000)・・・ローレルスピリッツの後継車としてサニーの部品を共用。ヘッドライトが細い横長の目で変わったフロントマスクだった。ネーミングはスペイン語の「宝石」に由来する。

Primera Presea  
 

  ・フィガロ(1991~1992)・・Be-1、パオに続くバイクカーシリーズ第三弾の期間限定生産車。マーチベースだが全体的の丸い形状。ターゲットは若い女性。レトロな風貌にノスタルジック調の車内。本革シートステアリングで、2枚ドアのオープンカーだった。唯一ターボエンジンを積んでいた。
 ・ラシーン(1994~2000)・・・これも廃車かという感じ。今でも街を流れている。屋根が低く平べったい四角い車である。デザイン的にはパオをひと回り大きくした感じ。こちらも外観はオールドカーのイメージだ。サニーの4WD車のシャシーをベースとし、コンパクトRVとして開発された。テールゲートは上下2段開閉構造となり、その後方に金属製バーを介してスペアタイヤを装備しているのが特徴。

Figaro Lasene

 如何だったろう。「えっ、あの車も絶版なの?」と驚きと衝撃が交錯したのではないか?一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった車種もかなりたくさんある。活気に満ちていた頃の日本経済を象徴していた超高級サルーン車もあれば、世相を反映して若者を中心に高級スポーツカーが持て囃された時代もあった。故に車は一種のスタータスだったのだ。しかし、時代の流れと共に、日本の経済も移ろい、あれほどやみくもに新規開発・市場に投入され、無際限なまでに街角に溢れ出た日本車だが、長引く不景気や消費減退の影響をもろに受け、減産や廃車を余儀なくされた。何か栄枯盛衰めいたものを感じる。自動車は紛れもなく日本の産業の屋台骨を支える根幹を成すものであり、自動車の輸出や販売台数を見れば日本経済の本質を窺い知ることが可能なのだ。冒頭でも述べた通り、今はそのツケの代償を払わされているようで、新車販売は頭打ち。売れる車は政府援助による環境対応のエコカーとハイブリッド車くらいのものだ。今回紹介したトヨタと日産については、日本が誇る二大自動車メーカーだけに、日本経済の浮沈のカギを握ると言って良い。従って過去の栄光にすがりつく訳ではないが、かつて日本の優れた技術力と卓越した開発力が世界の市場を席巻したように、現在の窮地を跳ね返す強い意志とプライドを取り戻して貰いたい一心でこの題材を設定した次第である。30年以上前の「スーパーカーブーム」、バブル景気時のような「高級車・RVブーム」の再来を是非心待ちにしたいものである。 

2009年11月 4日 (水)

若者の自動車離れ

 世相を反映してなのか、一向に自動車業界に陽が射して来ない。昨日発売された「日経TRENDY」の2009年に売れた商品ベスト30によれば、堂々の1位は、トヨタプリウスやホンダインサイトに代表されるエコカーだった。これは1位が自動車だからと言って素直に喜べない。今回このプリウスが売れた最大の理由は、旧自民党政府が打ち出した税制の優遇制度があったからこそである。燃費が良く、経済性に優れるだけでなく、環境にも優しいことを売りに、爆発的なヒットを生んだ訳だが、もし政府主導による自動車取得税や重量税などの減税措置やエコポイント導入がなければ、ハイブリッド車は依然高嶺の花のままだったと考えられる。逆に言えば、エコカー以外はあまり売れなかったということだ。では何故政府がこのような減税策を講じなければならなかったのかと言うと、車が売れなければ、日本経済の活性化はもとより、産業の発展はあり得ないからだ。しかし、幾ら日本でプリウスが売れたからと言っても、所詮国内需要の話止まりである。円高が進み、本日現在1ドル90円台の推移では、到底輸出は滞り、外貨獲得は見込めない。自動車が冷え込めば、生産量調整しかなくなり、減産する以外に手立てはなく、人件費が嵩み、やむを得ず季節従業員や期間契約の準社員から順送りに解雇となり、メーカー各社は人減らしで対応せざるを得なくなる。当然、その関連企業や下請けの部品工場・組み立て工場は、その煽りをもろに受ける訳で、雇用状況も悪化し、深刻な状況に陥るのだ。

 そうした厳しい現況にあって、トヨタは、F1からの全面撤退を表明。既にホンダも撤退しており、これで日本の自動車メーカーは、自動車レースの最高峰のF1から姿を消すことになった。かつては、アラン・プロストやアイルトン・セナといった一流ドライバーと数億円の契約を交わし、ウィリアム・ホンダやマクラーレン・ホンダとして年間チャンピオンの座に君臨した時期もあった。F1に関しては、とにかく莫大な資金を要する。マシンの研究開発費、レーシングチームの維持費及び人件費、そしてこのドライバーとの契約料である。しかし反面、これほど資金提供するからには見返りがある。日本車を世界にPRする滅多にないチャンスだし、もしF1で勝ったとなれば、宣伝効果は大きい。自社製の車を売り込むことにつながるからだ。日本車は高性能でメンテナンスフリーなので、故障知らずだし、会社に比べてコンパクト設計なので維持費や修繕費はさほどかからない。ましてホンダの創始者、本田宗一郎の長年の夢だったF1参入は、華々しい日本経済の象徴でもあったのだ。

 しかし、そんな繁栄の時代はとうの昔に過ぎ去り、残されたのは、作っても物が売れない空虚な経済情勢だけである。それに追い打ちをかけたのが、昨今の若者の風潮でもある「自動車離れ」である。現代の若者は、金銭感覚にはシビアなようで、あまり自動車に夢や希望、浪漫といった憧れを感じない人々らしい。とかく新規高卒者の新車・中古車の買い控えが進み、自動車全体が敬遠されている節がある。以前だと、高校3年生ともなれば、就職が内定すれば、我先にと先を争うように教習所通いを始め、冬休みや年明けには予約を取るのが至難の業という状況があった。それが今や、交通手段は公共の乗り物を使い、車には大金を賭けない、徹底した倹約ぶりである。地下鉄や私鉄各社がしのぎを削るほど、恰も網の目のように発達した首都圏の交通環境下ならまだしも、地方に至ってもこうした状況はあまり変わらない。むしろ若い人の多くは、主な移動手段として、鉄道やバスを頻繁に用いるケースが目立って来ている。

 これには私が考えるに二つの理由がある。1つはもちろん、経済事情。車のオーナーになれば、金は否が応にも湯水の如く出ていく。新車を購入するとなれば、車両本体価格は平均で200万円はするだろう。もちろんこれだけでは済まない。まず、オプションを付けるだろう。フロアマットやバイザー、ナビ、オーディオ、アルミなどである。更に租税公課と各種経費がかかる。購入段階で掛かる税金には、取得税と重量税、それに消費税だ。これは元々贅沢品である車に対して課した税で、これは自動車専用道路の建設や国道などの保全修繕費用に充てられる。また、ガードレールや照明の電気代、信号機の設置なのにも使われる。もちろん、燃料費(ガソリン代)も決して無税ではない。1ℓ当たり、原油価格はその6割程度で、残りの4割が税金となっている。昨年の今頃、原油代が高騰した折には、1ℓ=190円台という常識外の高値。ところが、暫定税率が期限切れとなった際には、一気に125円程度にまで下がった。その後、すぐに自民党が延長法案を通して再可決され、再び上昇したのは記憶に新しいところだ。税以外に掛かる費用としては、保険(自賠責や任意)、そしてこの数年内に導入されたリサイクル料金、登録費用などがある。これらを考えれば、200万の車を買ったところで、乗り出すまでには更に35~40万円近い出費が必要となる。

 次に、自動車を所有しているだけでかかる費用がある。毎年掛かるのが、自動車税。排気量で階級分けされ、2,000ccクラスでも年額は39,500円だ。他に車に乗れば必ず燃料を消費する。走行距離数が多いドライバーは、毎月のガソリン代が家計に重く熨しかかる。燃費がいくら良くても実質10km程度。となると日々の通勤で車を使用すれば、あっという間にひと月1万円を超える。年間だと15万円は軽く行く。また、定期的にオイルを交換したり、冬場にはスタッドレスタイヤ(1本15,000円程度)が必要となる。そして更に2年(新車は3年)ごとに車検に出さなくてはならない。保険料の更新や税金、点検整備などで10万円は掛かるだろう。これだけでも嫌になるくらい金が掛かる。まさしく金食い虫である。給料が低い10~20代の若者にとって、車を持つことがどれだけ生活費を圧迫することかになるか。魅力が沸かないのも頷けよう。

 ひと昔前なら、車は若者の憧れだった。カッコいい車に乗りたいがために仕事を頑張るという時代風潮さえあった。スポーツカーを乗り回し、彼女を乗せてドライブというのがステータスでもあった。昔は、所ジョージ氏のように、車にお金をいくらかけても良いという思いから、あちこちいじくり、ドレスアップし、点検整備も自分でやりたいという「カーキチ」が身近にいたのだ。バブルの頃は、若者はソアラ・MR2・スープラ・セリカ(トヨタ)、シルビア・180SX・スカイラインGT-R・フェアレディZ(日産)、プレリュード・NSX(ホンダ)、RX-7・ロードスター(マツダ)等のクーペのスポーツカーに乗り、それは人気絶頂で時代を席巻するほど街角に溢れていた。今、その手のモデルチェンジしたスポーツクーペ車を買うのは、当時車にのめり込んだオヤジ達である。これが俗に言う若者の「車離れ」なのだ。

 もう一つの理由は、昔と比べてデザインが出尽くして、あまり変わり映えしなくなった、つまり個性的な車が少なくなったことである。加えて、近頃の地球環境に優しいエコブームが、ますます車を遠ざけることに拍車をかけている。よって一世を風靡した車でさえ、生産中止に追い込まれてしまった。売れるのはエコカーと税金や維持費が安い軽自動車ということになってしまう。しかし、政府も単に手をこまねいているだけではない。いつ底を打つかわからない不景気に業を煮やし、冷え冷えした景気を回復させるために、不退転の覚悟で苦肉の策とも思えるような施策に打って出た。その顕著な例が、ETC全国千円高速乗り放題。車が高速で動けば、当然人も動く。地方の観光地に金がばら撒かれることを期待して思案し、実行された政策だ。政権交代が実現し、現民主党が打ち出したのは「首都圏を除き、全国津々浦々の高速道路の完全無料化」である。そしてマニフェストの公約にも掲げた、暫定税率の撤廃である。実は、この是非を巡っては、党内や学識者の間で賛否両論。もちろん暫定税率に含まれる地方分の分配金が廃止されることに危機感を強めた地方都市の首長はこぞって反対。都道府県にとって、道路特定材財源は巨額な歳入となることから、必死に存続を求めている。この議論が今、存続か廃止か、はたまた内容を一部変えて施行かで大きく揺れている。

 もともと燃料課税である、揮発油税と地方の取り分を合わせれば、現行1ℓ当たり54円の税額を得ている。つまり、1ℓで考えれば、この金額とガソリンスタンドの利益を除いた額が、本来の原油価格ということになる。本則税率分だけだと、年間1兆5,500億円、暫定税率分も1兆3,500億円とほぼ同額なのだ。いかに暫定税率の割合が高いかが解るだろう。また他の項目で見ると、現行では、自動車重量税は0.5トン当たり年6,300円、2ℓ車では年額25,200円も掛かっている。これは本則税分(2,849億円)より暫定税率分(3,611億円)のほうが断然高いのだ。これはどうみても税金の掛け過ぎ。もうひとつの税金である自動車取得税は、購入金額の一律5%と決まっているので、200万円の車を買えば、10万円が税額という計算になる。こちらの本則適用分は1,698億円、暫定税率分が1/2相当の835億円。いやはや国はどれだけ自動車で国民から税金をふんだくっていることやら。とてもじゃないが、金食い虫以外の何物でもないという結論になってしまうだろう。

 こうした厳しい懐事情もあって、若者の自動車離れは一層深刻化してきている。今後、ただでさえ少子化が進む時勢の中で、豊かさの象徴だった自動車が、切り捨てられて行くのは実に忍びない。次世代の水素自動車や電気自動車などの環境に負荷をかけない新エネルギーの開発も大事だが、それ以上に各メーカーは、若者の内面にアピールするような斬新な発想で車作りをぜひ進めて貰いたい。そして価格設定も極力抑えて貰えれば、より車に目を向けてくれると思う。アイディアは無限にある筈。コンピューターをもっと活用し、事故を未然に察知するシステム。一般道でのスピードの出し過ぎを防ぐ安全装置、人が車に衝突する直前にバンパーから外側にエアバッグが飛びだして衝撃を吸収する装置、もうすぐ実用化されるらしいが、死角となる交差点での侵入車を知らせてくれる機械、また、ひき逃げの際に証拠が無くなることから実用化されないが、車のシャシーを形状記憶合金で覆えば、事故ってもあっという間に元通り。また、洗車が一切不要なボディペイントの開発、水陸両用の車、悪路では車体の下からキャタピラーが登場し、どんな急な坂でも上れる、そして絶対にスタックしない車などいろいろ考えてほしい。若者が車に何を望み、何を求めるのか。そうした努力をぜひ積んで欲しいと考えている。

 日本シリーズ第4戦総括

 今日の試合は、語るのが嫌になるくらい落胆させられたものはない。予想通り、出来不出来の差が激しい高橋尚が先発。彼もベテランの域に達した。大試合の経験の豊富なジャイアンツの貴重な先発左腕。制球力があって、多彩な変化球を操る。そして何より投球術を心得ており、緩急をつけた変幻自在のピッチングが持ち味。立ち上がり三者三振にこそ仕留めたが、私はあまり彼を信用していなかった。早速気になったのは、このシリーズ、主審の判定が巨人に対して辛いということ。そして日本ハムの打者は、カウント2-3になるまでじっくり見てくること。無駄打ちをしない。一方、日本ハムの先発は9勝3敗で、交流戦でも巨人から白星を挙げている八木。坂本は初球からガンガン振り回してくる。なかなか先頭打者としての役割を全うできないでいたが、じっくり球筋を見極めて四球を選ぶ。続く松本は、バントを失敗するが、ファールで粘り、ミートを心掛けてレフト前へ。無死一二塁で小笠原。初球こそバントの構えをするが、2球目を打ち上げて内野フライに倒れ、次のラミレスもセンターフライでランナーを還せず。この時点で嫌な予感はしていた。立ち上がり苦しい八木を自ら助けてしまった。ピンチの後にはチャンス。2回は巨人と同じ状況を日本ハムが作る。一死一二塁。ここも高橋が何とか無得点で切り抜ける。すると巨人にもチャンスが来る。私がMVP候補に挙げた谷がツーベースを放つ。続く阿部は一塁方向にゴロを転がし、きっちり走者を三塁に進塁させるが、その後、木村がスクイズと思いきや内野ゴロでランナー突っ込めず。高橋も凡退でチャンスを潰す。その次の回、流れが完全に日本ハムへ。一死後、1番の厄介な田中を痛烈なセンター前ヒットで塁に出すと、森本に素直にバントさせればよかったものをさせず、内野ゴロの処理を木村が誤り、ピンチを広げる。更に2塁ランナーを無警戒だった高橋が3塁盗塁を許す。ここで稲葉を歩かせ、満塁。出さなくても良いランナーまで出す羽目に。ここで私は予言した。「高橋信二は三遊間うを抜いてレフト前に打つから見ててみ」と。そしたら高橋は私が指図したかのようにきっちり鋭くレフト前にクリーンヒット。もちろんレフトは守備がお粗末なラミレス。バックホームで刺せる筈は無く、結局労せず2点を献上。ここで粘ればよかったものを、巨人は踏ん張りきれない。続く小谷野の時、またしても審判の判定に苦しむ高橋が不用意に真ん中に投げ、右中間を深々と破られ、走者一掃で2点追加。中継プレーがお粗末で、何とバッターランナーまで3塁を陥れる始末。やることなすこと日本ハムの思う壺。これらはすべて1・2回のチャンスを潰した巨人の拙攻がもたらした得点だ。この時点で4-0と序盤で勝負ありだった。取れると所で点を取っておかなければ痛い目に遭う典型である。巨人は先制すれば滅法強さを発揮できるが、こういう展開では、まるで借りてきた猫に等しい。もろさを露呈する。試合展開は、第2戦と酷似してきた。

 まだまだ巨人のちぐはぐ野球は止まらない。2巡目の3回裏、先頭の坂本が右中間を破り、このシリーズ、暴投が多い日本ハムバッテリーのミスが出て、3塁へ進塁。ここで松本が第一打席に続き、しぶとく一二塁間を破り、1点を返す。しかし後が続かない。続く小笠原のボテボテのサードゴロを小谷野がファインプレーでセカンドで刺す。巨人と決定的に違うのは、この安定した守備力。ラミレスはボールを芯で捕らえられず、当たりそこねゲッツー。どうもラミレスがブレーキだ。4回も可笑しな攻撃。先頭の亀井が粘ってライトへ痛烈なヒット。毎回無死から走者を出す。期待の谷がセカンドゴロでフォースアウトでランナー入れ替わり。ここでまた予想的中。「阿部は内野ゴロ打ってゲッツーだよ」と言った途端、ピッチャーゴロでダブルプレー。5回表でも予言的中。二死無走者で高橋に打順が回る。「高橋はこの場面、思い切って振りまわせるからホームランかもよ」と言った直後、レフトスタンド最前列へライナー性のホームラン。シーズンで8本しか打っていない4番の高橋にスタンドまで運ばれるとは・・・。これで中押しとなる5点目。(5-1)5回裏には、5度、ノーアウトから走者が出る。木村が右中間を破るが、稲葉が上手く回り込み、シングルヒットに止める。これが見えないファインプレーなのだ。しかし巨人の拙攻に助けられ、八木は切り抜ける。このあたりで1~2点でも返しておけば、一方的な展開にならずに済むものを。6回に入ると、リリーフの豊田が縦に大きく割れるカーブで日本ハム打者を翻弄。三者連続三振。六回裏からは日本ハムは継投策に転じる。建山にラミレス、亀井、谷が自分のバッティングをさせて貰えない。体勢を崩されて凡打。7回には、田中が一塁線を抜く当たりが何と3塁打に!次の森本がきっちりスクイズを決め、6点目が入りダメ押し(6-1)。巨人のラッキー7は、先頭の阿部がまたまたノーアウトから右中間へのヒットで出塁。ここでも日本ハムの守備力が物を言う。稲葉が回り込み、単打で止める。木村がさっぱりで三振でチャンスを潰す。すると流れはまた日本ハムへ。今シリーズのラッキーボーイになりつつある小谷野が勝負強さを見せつける。レフト前ヒットで2人を還す。これでダメ押しのダメ押し。これで勝負あり。完全に息の根を止められた。巨人の投手は火の車で抑えが利かない。8回裏、一死一二塁から不調のラミレスに待望の3ランホームランが飛び出(8-4)し、反撃を試みるが、時すでに遅し。続く、一二塁の好機に凡退。9回は日本ハムの守護神・武田久がマウンドへ。ランナーを出すものの、最後はまたしても稲葉の好返球で小笠原が二塁ベース上でタッチアウトでゲームセット。日本ハムが一枚も二枚も上手で、一つ一つのプレーにそつがない。力の差をまざまざと見せつけた試合となった。巨人は、自分たちの野球をさせて貰えなかった。打線のつながりが悪過ぎ。ちぐはぐだった。もっと個人個人の果たすべき役割を認識すべきだろう。バントで確実に送るとか、中継プレーを再確認するとか、もっと基本に忠実にならないと、このシリーズやられると思う。これで星勘定は2勝2敗のタイになったが、今日の敗戦は痛すぎる。明日は久保か東野を担ぐことになるが、これで札幌に戻ることになった。ということは第7戦まで縺れれば間違い無くダルビッシュの再登板があるだろう。今日の完敗でどうやら日本ハムがこのシリーズを制する可能性がぐっと高くなった気がする。巨人は個人の力は卓越しているが、チーム力となると1番から9番まで役割がしっかりしている日本ハムの方が分がある。俊足巧打の一番・田中の存在は何より大きいし、勝負強さと堅守で度重なるピンチを救ってきた小谷野のMVPも決して夢物語ではないかもしれない。林・二岡の貢献度も大である。超重量打線を抱えていても、所詮打線はやはり水もので、好投手の前では手も足も出ない。4戦目を終えた段階で予想を覆すのは早計かもしれないが、このシリーズ、前半の戦い方を通して、日本ハムの良い面ばかりが目立ってしまい、実力の差は拮抗どころか完全に日本ハムが上回っている。したがってこの流れに乗った日本ハムが4勝3敗で優勝を果たすような気がして来た。明日からの巻き返しに期待しよう。

 

2009年10月15日 (木)

自動車業界の光と影

1964年、東京オリンピックがアジアで初めて開催された。第二次大戦終結から19年後、日本がようやく敗戦のショックから立ち直り、名実ともに復興を果たし、国際社会への復帰を成し遂げた瞬間だった。その東京五輪の前後、日本は朝鮮戦争の特需以来の好景気に沸く。1955年から約2年間続いた神武景気、1958年から3年ほど続く岩戸景気、そしてこのオリンピック景気、成功裏に終わった後も1966年から5年ほど続いたいざなぎ景気というように、オリンピック開催が決定となった後から首都圏を中心にインフラ整備が進んだ。特に「夢の超特急ひかり号」として期待が大きかった東海道新幹線(東京~新大阪)や突貫工事で行われた首都高速道路が次々竣工となり、高速交通網が着々完成し、今から想像するに、当時の人々は夢と希望に満ち溢れた、或る意味、古き佳き時代だったと言えるだろう。

この東京オリンピックを契機とした一連の好景気を総称して高度経済成長期(1955~1973)と呼ぶが、内需拡大に伴いGNPが増大し、庶民の懐具合も潤い、個人所得も大幅に向上した。人々の暮らし向きが良くなり、いわゆる家電の三種の神器(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)が世間に普及するようになったのもこの頃だ。その時代の繁栄を支えていたのが、鉄鋼業(新日鉄・日本鋼管・川崎製鉄)や機械工業、重工業、さらには石炭産業から移行した石油化学工業だった。初期の頃は公害問題が深刻化するという負の遺産もあったものの、国民は一様に伸びゆく「日本の未来」に多くの夢を馳せ、地方からは出稼ぎ労働者や集団就職による若い労働力が都会に流入し、それはそれは活力に満ち溢れていた。

その後、産業界も貿易黒字を溜め込み、外貨を獲得するようになると、経済的にも国際社会の中で中心的な役割を担うまでとなり、やがて先進国の仲間入りを果たすことになる。その産業界をリードしたのが、紛れもなく自動車産業だった。そして1960年代には、三種の神器を引き継いだ3C(カラーテレビ・クーラー・カー)が時代の寵児としてもてはやされるようになった。その頃にこの自動車産業の繁栄ぶりを示す格好の歌が登場した。それは小林旭の「自動車ショー歌」である。車名を唄の歌詞にコミカルに盛り込んだ曲で、一度は耳にしたことがあるだろう。やがて1970年代に入り、「日本列島改造論」を引っ提げて田中角栄が首相に就任。全国的に高速道路や新幹線が整備され、ますます自家用車の需要が増え、それと同時に車の利便性が高く評価されるようになり、もはや車は一家に一台の時代となった。このことは、同時にいわゆるマイカーの時代が到来したことを意味していた。そこで今回は、これまで日本の経済界、産業界をリードしてきた国産の自家用自動車に限定し、市場の移り変わり(変遷)と販売事情に関してさまざまなアングルから各項目に分けて考察していきたいと思う。

まず、60年代から70年代にかけては、自動車業界は時代のニーズに合わせた車づくりを目指していた。普通乗用車の生産はトヨタと日産自動車、三菱自動車の三社が担い、ホンダ、スズキなどは二輪と軽四輪というように政府が過当競争で共倒れにならないよう保護的な枠組みや線引きを行っていた。特にその時代は、デザインや形状をとことん追求し、若者にターゲットを絞ったスポーツカー部門とあくまで実用性や利便性を重視し、実社会への普及を目指した一般ユーザー向けのファミリー部門車というように両極端だった。今から思うと、もはや死語となり、懐かしい響きすら感じるスポーツカーは、当時若者の夢であり、「憧れの車」というコンセプトから開発された。特長としては空気抵抗を極力抑えた流線型で、2枚ドアのクーペ。代表的な車は、コスモスポーツ、フェアレディZ、トヨタ2000GT、マツダRX-7、いすゞ117クーペ、そしてスカイライン。80年代に入り、本田宗一郎の念願が叶い、基本的に自動車製造の寡占製造が廃止、排気量による製造制限も撤廃となり、どのメーカーでも自動車の製造に関しては原則自由化されたのを機に、開発競争が一気に激化。ホンダがスポーツ性能重視のCR-X、大衆向けのインテグラ、国産最高峰のNSXというスポーツカーを発売すれば、トヨタも無改造でそのままサーキットを攻められそうな走行性能やレスポンスを重視したMR2、ハイラグジュアリーなセンスとスタイリッシュさで若者に絶大な人気を誇ったソアラ、初のリトラクタブルライト搭載のセリカXX(その後はスープラに移行)、映画で取り上げられスキーにも引っ張りだことなったセリカGTFOUR、軽くて峠道をドリフト走行も可能な懸架方式(FR)で、今も中古車市場では高値で取引されているカローラレビン、その姉妹車のスプリンタートレノを次々販売した。そして更に、一時期ではあるが安上がりで軽量化に踏み切ったサイノスやカレンも開発され、販売台数を伸ばした。また日産は、完全に若者ユーザーにターゲットを絞ったエアフォース・シルビア、その姉妹車で、丸みを帯びたボディーが印象的な180SXが爆発的に売れた。町でシルビアを見ない日はなかった。セフィーロもまた2枚ドアのクーペだった。そしてトップクラスの加速性能や0→400m(ゼロヨン)では他の追随を許さない夢のスポーツカーが今もバリバリ現役のスカイラインGT-Rだった。また、レパードはソアラの対抗馬だった。一方、三菱はあくまで独自路線を貫き、ランサーを一般大衆向けのクーペとして開発。その後ハイクオリティのレース仕様車として市場に投入したレボリューションは根強い人気を誇っている。また、インプレッサも手頃なスポーツカーとして人気がある。スタリオンも他社にはない奇抜なモデルだった。そして満を持して登場したのが次世代4WDスポーツのGTOだった。同グレードの最高峰、日産スカイラインを異常なまでにライバル視しかつ意識したこの車は、コンセプトから価格帯までもが酷似していた。その後FTOも発売された。

またファミリー部門では、大衆向けの4枚ドアのセダンが普及した。一番売れたのはトヨタカローラ(セレス)である。その兄弟車のスプリンター(マリノ)も市場を席巻した。カリーナやコロナ、プレミオも大衆車の最たる車。広島に本拠地を置くマツダはファミリアやペルソナ、三菱はミラージュとギャラン、ホンダはアコードやアスコットがそのクラス。日産はサニーがカローラの好敵手としてこのグレードの市場を独占した。ブルーバード(ARXを含む)やパルサーもまた街角でよく見かけた。その後、プリメーラやプレセアもファミリーには人気が高いセダンとなった。スバルはレオーネを販売していた。マツダは大衆車カペラやクロノスが売れ筋だった。この頃は女性や大衆向けの取り回しが楽なコンパクトカー部門にもメーカー各社は新車を導入し、販売台数は急激に伸びた。その旗手としてチョイ乗りや街乗りに最適なホンダのシティやシビックが爆発的に売れ、ハッチバック式の車も登場し始めた。後にSM-Xがバカ売れし、最近はフィットが好調に売れている。また、可愛いスタイルから女性の人気を独り占めにした日産マーチ、独特なスタイルが若い世代に受けたBe-1、パオ、フィガロ、商用としての使い勝手のいいカタツムリ型のエスカルゴもよく売れた。トヨタは、それまで高級志向が強かったが、他社に押され、かっとびスターレットを始め、コルサやターセルという低価格な大衆車も世に送った。最近ではVitzが好調のようだ。一方マツダはデミオが主軸でダイハツはシャレードだった。

80年代半ばには、セカンドカーとしての位置づけや奥さまや初心者の女性にターゲットを絞った軽乗用車が多くなった。ダイハツミラ、ムーブ、スズキアルト、ワゴンR、三菱ミニカ・トッポ、ホンダトゥディが挙げられる。マツダAZワゴン、若い女性の圧倒的支持を取り付けたピンク色のキャロルなどが台頭した。スバルはヴィヴィオやプレオで対抗した。

その後80年代後半のバブル期には、経済的にゆとりができたユーザーがこぞって購入した高級車がもてはやされた。いつかはクラウンを筆頭に、高級志向のセルシオ、政治家やヤクザ御用達のセンチュリー、サラリーマンにも手が届くマークⅡ、チェイサー、クレスタ3兄弟、プロミネント、カムリ、ビスタ、ウィンダム、アリストなど。日産はシーマを頂点にプレジデント、クラウンとライバルのセドリック、グロリア、マークⅡクラスのライバルのローレルがもてはやされた。ホンダはレジェンドに加え、アコードからのハイコンセプトとして開発されたインスパイヤーやビガーが飛ぶように売れた。スバルはレガシーを切り札として発表し、三菱は「あの車とは違う」というキャッチフレーズでBMWの真似ごとではないことを懸命に訴えた、ガチでクリソツのディアマンテがかなり人気を集めた。デボネアは年配ドライバー向き。

この頃はメーカーにも余力があり、次々と個性的な車を発表した。当時オープンカーの代名詞となったマツダ(ユーノス)ロードスターは物珍しさと希少価値とがあいまって一時期、爆発的ヒットとなった。また、軽ながら独自路線のオープンカー、ホンダビートやスズキのコンパーチブルカー・カプチーノもまた、ユーザーのハートをがっちりと掴んだ。トヨタは日本車初のガルウィングドアを採用したセラを発売して話題を呼んだ。ダイハツはコペンを発売し、女性ユーザーが飛びついた。

90年代に入るとバブル崩壊が自動車業界にも深く影を落とし、高級志向にも翳りが見え始めた。ところが、若い世代を中心に新たなジャンルが脚光を浴びることになる。それはクロカンブームである。4WDで雪道に強いRV車とかSUVと言われた車たちである。空前のスキーブームが起こり、それが後押ししたことは言うまでもないが、この手の車は車重があり、場所を取るとか小回りが利かないなどの短所もあったが、スパイクタイヤが粉塵問題により緊急自動車を除くすべての車での使用が禁止となり、スタッドレスでは心もとないユーザーにとっては冬の雪道では心強く頼りになった。代表的なのは火付け役になった三菱パジェロで、その後Jr.やミニまで出した。陸上自衛隊を彷彿させるJEEPもまた根強い人気があったし、新規開発のRVRは、小回りが利いて新境地を開くまさにレクレーショナルビークルだった。現在は、アウトランダーが大人気である。トヨタはクロカンRVの代名詞として一時代を築いたハイラックスサーフ、ランドクルーザー、プラドなど大型化し、リフトアップ車まで世に出回った。その後、高級志向のハリアー、軽快なRAV4、最近ではクルーガ―なども大ヒットとなった。日産と言えばミスターRVのテラノが売れに売れた。大型ではランクルーに対抗してサファリ、面白い位置づけでは荷台が外にあるダットサントラック、現在はその火を消さないようにエクストレイルが引き継いでいる。ラシーンも独自路線を行くユニークカーだった。また、いすゞ自動車はビッグホーンやコンパクトなのに横幅があるミュー、ビークロスもまた面白いユニークな趣向の車だった。ホンダはCR-VRAV4の対抗馬としてぶつけた。また、HR-VというGoodデザイン車も登場した。マツダはこの分野への進出は出遅れたものの、後にトリビュートで巻き返しを図った。スズキはスポーツメーカーやファッションメーカーとのタイアップで限定車を多く発売したが、その代表格はエスクードだった。更に軽のクロカンは当時斬新だったジムニーも売れた。スバルは最近フォレスターが市場に出回っている。しかし、繁栄を極めたRVもスキーブームが下火になるにつれ、大型車だけに、特に燃費が悪く、街乗りでは使い勝手が悪いこともあり、徐々に姿を消した。

また、この時期はRVに近い存在で、荷物スペースが広く取れるステーションワゴンが流行った。その代表格は、スバル重工のレガシーのステーションワゴンだった。そしてトヨタは、コロナのバンとカリーナをベースに改良を施したカルディナが町を闊歩した。ビスタは生き残りをかけてアルデオを発売した。ホンダはアコードワゴンが相当数世に出回っていた。日産はアベニールを皮切りにやがて新しく開発されたステージアが現存している。三菱はリベロやハイラグジュアリーなレグナムが流行った。

やがて2000年を迎えると、ワゴン車やミニバンが脚光を浴びることになった。これは若い世代の車離れや少子化により、スポーティーな車の需要が見込めなくなったメーカーが、かつて車の虜となり、相当のめり込んだユーザー達が家族を持ち、通勤にも使え、家族揃ってのお出かけやレジャーにも使えるというコンセプトから誕生したジャンルである。ワゴン車では、昔から箱形のハイエースはあったが、どちらかというと商用車のイメージが強かった。それをオシャレに改善し、内装もハイソサエティ化し、8人乗りの定員を確保し、シートアレンジにも気を配った。そしてラゲージスペースにも配慮した。代表作はトヨタのライトエースとタウンエースの姉妹車。それがやがて爆発的ヒットとなるエスティマへと引き継がれた。その後、高級車レジアスやアルファード(ベルファイヤー)も重用された。また、この分野でおそらく旗振り役をしたのは三菱自動車で、80~90年代にデリカ(スペースギア)がバカ売れした。日産はキャラバンから始まり、ホーミーやラルゴを始めとして、高級志向でトヨタアルファードのライバル車としてエルグランドを発表した。マツダは独自路線で、キャンピングカー的な発想から屋根にテントが備え付けのボンゴフレンディが売れた。ホンダは、クリアランスが広く取れるステップワゴンを皮切りに、最近になって高級志向のエリシオンを発売し、市場に殴り込みをかけた。

次に、やや大型のワゴンから派生した車で、現在も大ブームとなっているのがミニバンというジャンルだろう。その火付け役がトヨタのイプサムとホンダのオデッセイだ。6~7人乗りのコンパクトサイズが売りだった。その後トヨタは二番煎じを狙い、グランビア、ノア・VOXY、両面ドア開きのラウムやスパシオ、ガイア、ナディア、アイシス、ウィッシュなどを次々世に送った。日産は、ウィングロードやセレナ、リバティ、プレーリー、ハイウェイスター、パルサージュで対抗。マツダはプレマシーとその進化型のMPV、三菱はディオンを皮切りにグランディスが飛ぶように売れた。

このように時代時代で流行り廃りを繰り返し、車でその時代や世相を語ることができるまでになった。残念だが、かつては一世を風靡しながら今はもう製造中止や廃車となった車も決して少なくない。

さて、次の話題は、車の名前に纏わることである。車が爆発的に売れた80年代バブルの絶頂期に、共通項となりえるような不思議な法則があった。それは、車の名前には頭文字のアルファベットがSかCで始まるものが圧倒的に多く、次いでMとL、そしてTとPの順だった。ここではその例を紹介したい。メーカーや車種など順不同だが、まずSとC。セルシオ・クラウン・コロナ・カローラ・スプリンター・スターレット・サイノス・クレスタ・チェイサー・セリカ・ソアラ・カムリ・カリーナ・セラ・センチュリー・カルディナ・カレン・セレス・スープラ・コルサ・スパシオ・シーマ・シルビア・サニー・スカイライン・セドリック・セフィーロ・セレナ・サファリ・キャラバン・センティア・シティ・シビック・CR-X・CRV・ステップワゴン・ストリーム・SM-X・カプチーノ・クロノス・コルト・ステージア・スタリオンなど。MはMPV・ムラーノ・ミュー・MR2・マリノ・ミラ・ミニカ・ムーブ・マーチ、Lはレガシー・レオーネ・ローレル・ランサー・レジェンド・レビン・リバティ・ルネッサ・ルキノ・リベロ、Tはタウンエース・トルネオ・トゥディ・ターセル・テラノ・ティーダ・ティアラ・トレノ、Pはパジェロ(Jr.ミニを含む)・プレセア・プラド・プレリュード・プリメーラ・パルサー・ペルソナなど。こう考えると数ある車名には、語呂が良いものや響きの良いカタカナを組み合わせたものが使われ、どうしてもサ行やカ行それにタ行が多くなる傾向にあるようだ。

次に、一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだった三菱自動車について語ってみたい。バブル景気に沸く80年代は、三菱自動車が繁栄の時代を築いていた。元々パジェロというエース格の実績はあったが、スキーブームで更に多人数でも対応可能なデリカ(スペースギア)を発売し、ブームに完全に乗っかった。次にセダンタイプでは、昔から大衆車として販売実績が高かったギャランを時代受けするように改良を加えたVR4が売れ、次いで一世を風靡したのがBMWに外観が酷似したディアマンテ。これはCMもすごかったが、高級感があった。また、RVブームにも後れを取らず、コンパクトカーながら個性的なRVRを発売するとこれも狙い通り当たり、その後スポーツカーの分野に挑戦したGTOも価格帯は割高だったが、デザイン、4WD,リトラクタブルライト採用で若者のハートを鷲掴みにした。次に市場に投入したのはファミリーに的を絞ったRV系のミニバンのグランディスである。フロントマスクやハッチバックデザインも受け、シートアレンジ次第でラゲージスペースも広くとれる7人乗りタイプで、アウトドアや街乗りにも対応可能な人気車となった。更に攻勢はまだまだ続いた。パジェロはリセールバリューこそ高いが、元々の価格設定がかなり高いので、また車体が重く、目線が高いため取り回しが難しいことから、かなり割安で女性にもターゲットを置いたJr.や軽のミニを追加設定した。これらが発売されるや否や一気に人気爆発し、入庫半年待ちの大人気となった。さらにスポーツカーとして一番の古株だったランサーを大胆にチェンジし、レボリューションとして見事再生させた。まさにこの当時の三菱には勢いがあった。2台に一台とまで言われたトヨタをいずれは越えるのではないかとまで囁かれた。しかし、パジェロのリコール隠しが発覚すると、次々ユーザーの不満や対処の悪さが露呈。まるで夢物語だったかのように一気に社会的信用を失墜した。傲慢さと足元を見ることを怠ったことがこのような非常事態や失態を招いたと言って過言ではない。

これまで自動車産業の光と影を見てきたが、最後に総括した上で、なおかつ今後の展望を語って結びとしたい。現在、自動車業界は危機的状況といって良い。長引く不況からなかなか抜け出せない。貿易では円高が80円台まで進んだため、肝心の自動車の輸出が頭打ち。外貨を獲得できない。自動車の下請けだった零細企業は、車の受注の減少に伴い、運転資金が底を打ち、従業員に給料も払えず、解雇や就労時間を減らす始末。かつての地方にあった部品製造などを賄う大きな工場も統合や閉鎖が相次いだ。また、労働力の面でも賃金の安い外国へ工場を移転するなど、日本経済にとってはマイナス材料ばかりが目立ち、負の連鎖が続いている。また、社会全体も二重構造により、貧富の格差がますます広がり、歪やしわ寄せが大きくなり、庶民の財布のひもはますます固くなっている。更に輪をかけて少子高齢化により、若者の車離れも深刻化している。車は贅沢品という固定観念からか、以前から課税割合が高い。主だったものを挙げると、自動車を買う時に課税される取得税や重量税、車検の際にも重量税がかかる。排気量に応じて毎年課税徴収される自動車税、更には自賠責保険、任意保険、2年に一度(新車は3年に一度)車検にも出す。また、リサイクル法によって一律1.5万円を徴収。また、維持費も馬鹿にならない。200万円の新車を購入すれば、諸経費で乗り出すまでには240万円にもなるが、毎月のガソリン代やタイヤ代、オイル交換に修理代などを含めれば相当な出費を強いられるのだ。車を持てば金が湯水のごとく出て行く金食い虫でしかなくなったのだ。現在の雇用状況も考えれば、とても車など持てない時代なのだ。よく俗世間的に「車は時代を映す鏡だ」と言われる。まさしく今の世相を反映している。ようやく最近、政府もトヨタを始めとする自動車産業が活気を取り戻さないと日本経済の浮揚はないということを悟り、ETCの高速道路1,000円措置やエコカー特別減税で窮地を脱しようとする試みは見られる。またメーカー側も敢えて子ども店長を担いで懸命に減税を訴え、PRに躍起となっている。しかし、毎回、満員大入り大盛況となっていた新車や未来の車のコンセプトのバロメーターとなり、先行きを占う意味で開催される「東京モーターショー」も年々出品車の数や参加メーカーの数が激減。こういうところにも自動車業界の衰退ぶりがあからさまに如実に見てとれる。 

では今後はどうなるのだろうか?21世紀に入って10年近くが過ぎた。子どもの頃は、この時代には車は空を飛んでいると考えられていた。ところが、未だ交通戦争と呼ばれるほど交通事故は頻繁に起きるし、犠牲となる死者も後を絶たない。更にはNOXガスの放出で地球温暖化という招かれざる副産物まで生んでいる。そこで今秋、政権交代が実現して民主党政権が発足し、鳩山首相が真っ先に全世界に発信したことは、日本が地球温暖化の防止策として二酸化炭素の放出を25%削減すると訴えたことだ。一見して実現不可能な高水準の目標のブチかましに、さぞかし自動車業界は戦々恐々したことだろう。これは更なるエネルギー革命をも意味する。現在環境に優しいエコカーの開発は、プリウスに代表されるようなガソリンと電気モーターの組み合わせによるハイブリッドが主流。これをさらに研究開発を重ね、これを更に発展させた車が登場するだろう。たとえば電気自動車の低価格化による普及を図ったり、水しか出ない水素エンジンを主体とした車の実用化を図ることなどが挙げられる。実際、現在の価格はかなり高いが、電気自動車は一部で実用化されている。科学テクノロジーを始めとした産業技術は日進月歩だが、今後、さまざまな面でコストを下げる試みや解決に取り組まなければならない課題が山積している。植物から抽出するバイオエタノールを燃料とする開発、燃料電池の効率化、1回の充電で走れる距離の延伸、充電時間の短縮、充電できる施設の拡充などの問題をひとつひとつクリアーしていく必要がある。

1964年生まれの私にとっては、日本の自動車産業の反映と衰退、光と影をつぶさに見てきた訳で、これから先、日本の行く末を左右する自動車に新たな革命が起きてほしいと願う。かつて戦後のどん底から這い上がって、見事に復興を果たした先人たちの知恵と勇気、そして日本人が元来が持ち合わせている不屈の精神力、そして高い技術力を駆使し、自動車産業の息を吹き返して貰いたいと切に願うものである。そこには発想の転換も必要だろうし、新たな取り組みや新素材の開発も必要になるだろう。官民一体となって、この不況から脱する糸口を見出していければ何とかなるだろうと考えている。そして、かつて子どもの頃、マイカーを持つことが夢だった時代のようにいつまでも自動車が私たちの心ときめかせてくれる存在であってほしいと思っている。

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