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2017年5月17日 (水)

運転マナーワースト県

 おことわり

 今回の記事は、香川県民を誹謗するわけでも非難する意図もない。ただ、全国の人が、交通マナーの欠如が著しいことを危惧し、香川県民の運転マナーの酷さを指摘する様々な動画をアップしている現状を真摯に受け止めて改善して欲しいのと、今年こそはワーストを返上してほしいからだ。大きなお世話だが、事故って人を死に追いやる前に交通ルールの意味をもう一度理解して貰いたいと思う。

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 「JAF」がアンケートを実施し、その結果、運転マナーが悪い「ワースト県」が発表されたのだが、そのランキングが実に興味深かった。関西や四国など西日本にマナー違反が集中している現実が浮き彫りとなった。
 個人的には交通事故死が毎年多い北海道や愛知県がダントツなのかと思ったが、交通事故死者数と運転マナーが悪い県は必ずしも一致しないことがわかった。
 驚くべきことに、ワースト第1位は四国の香川県で、次いで徳島県という結果。四国勢がワン・ツーフィニッシュという珍しい結果。あまり四国にはそんなイメージがない。よく言われるのは、高知県民は気質が荒く、高知県出身者を嫁さんに貰うと喧嘩が絶えず、苦労するという話を聞いたことがある。高知県の離婚率は全国で第7位(1位は沖縄県)で1,000人あたりの離婚率は1.94人ということで証明がつく。
 しかし、香川県と言えば温暖な土地柄で、金毘羅さまや讃岐うどんなどが有名。つまり観光誘致で生計を立てている地域だ。なのにこうした全国最下位の運転マナーの悪行は、おもてなしどころかせっかく訪れた観光客を気分不快にさせるもので、きわめて逆行している。

 ではまず、不名誉なワースト10とベスト10を紹介したい。 出典:「JAFのホームページ」

 <運転マナーワースト10>      <運転マナーベスト10>

 1位 香川県                 1位 島根県
 2位 徳島県                 2位 岩手県
 3位 茨城県                 3位 長崎県
 4位 沖縄県                 4位 神奈川県
 5位 福岡県                 5位 山口県
 6位 愛知県                 6位 東京都
 7位 大阪府                 7位 秋田県
 8位 岡山県                 8位 岐阜県
 9位 福井県                 9位 鹿児島県
10位 山梨県                10位 滋賀県

 マナーが悪いのは西日本に多く、東日本や北日本はマナーは比較的良いという結果が見て取れる。これは首都圏は特に、取り締まりが厳しく、いたるところに白バイや覆面パト、警官が鋭い目を光らせているから、自然に規範意識も身に付くと思われる。個人的には渋滞が多く、イライラすることが多い東京は、マナーが悪いと思っていただけに、この結果は意外だった。このリストを見ると、県民性がはっきり表れると言って良い。

 ちなみに我が福島県は、ベスト12位で良い方だ。同じ四国の愛媛はワースト16位、高知はワースト28位。毎年、死亡事故ワースト1位を記録する北海道がワースト15位だ。

 では、「YouTube」にも象徴的にアップされている「香川県民の交通マナー」の動画をまとめて掲載したい。これは批判しているのではなく、自身の啓発に役立ててほしいからだ。事故に遭うのは割に合わない。まして相手を死に至らしめた後で悔やんでも遅すぎるのだ。償いの日々を送らずに済むように戒めとしてほしい。

 まずマルチな無法ドライバー

 交差点での追い越して割り込み、市街地道路で無理な追い越し、右折レーンから交差点を斜めに入って追い越し、更に追い越しを繰り返す。こういう奴は交通規則など無縁で、免許はく奪か一生交通刑務所に入れておくべきだ。

 大多数が一時停止無視の踏切

 強行突破するワゴン https://www.youtube.com/watch?v=JIe_QOOBrCM

 信号無視

 こういう輩ははっきり言って社会のゴミ。他人に迷惑のかからない自損事故で自滅した方がいい。横断歩道を渡る歩行者も命がけだ。ゆずりあいの精神など微塵もないのかと県民の人間性まで疑われる。

 <酷い信号無視シリーズ>

 https://www.youtube.com/watch?v=DQEhlz0Ms64

 https://www.youtube.com/watch?v=KixDT2yN6dA

 https://www.youtube.com/watch?v=htaMUJCCQeE

 https://www.youtube.com/watch?v=aTPnVreZcRk

 https://www.youtube.com/watch?v=j-qSFaH8VWs

 青信号が待ちきれない無法ドライバー

 

 こういう輩はビシバシ取り締まらないといけない。罪の意識が薄い。こうした行為を見逃しているから、ちゃんと信号を守っている善良ドライバーが馬鹿を見て、こういう悪例を真似するのだ。こうなるともうルールなど無に等しい。

 煽りから追い越し禁止を無視するオバンドライバー

 

 こういう運転をされたら誰だって不快だ。この運転者は怒りの車種とナンバー公表!

 右折レーンから直進する無謀車

 

 救急車を無視し、誰も道を譲らないDQN車

 右側運転するキチガイドライバー

 自己中の超煽り運転

 https://www.youtube.com/watch?v=VrhbXBjzkjM

 こうした目に余る暴走運転の数々は、香川県では特段珍しいことではなく、日常茶飯事だというから驚き。香川県を運転する際には決死の覚悟でハンドルを握る必要がありそうだ。貰い事故やこうした無法ドライバーの巻き添えになるのだけは御免被りたい。

 このワーストというアンケート結果は、一歩間違えば重大事故に繋がる項目ばかり。

 ① 横断歩道で歩行者が渡ろうとしているのに一時停止しない。
 ② ウィンカーを出さずに車線変更や右左折する。
 ③ 信号機が青に変わる前に発信する車が多い。
 ④ 運転中にスマホを使用している割合が高い。
 ⑤ 不用意にクラクションを鳴らす。
 ⑥ 無理な割り込みをする。
 ⑦ 運転中によく後続車に煽られる
 ⑧ 踏切や止まれで一時停止しない。

  ちなみに日本方向指示器(ウィンカー)を出さない県は岡山県で、香川県と岡山県にだけ、路上に「方向指示で合図せよ」という表示がある。

 当たり前のように守らなければならない事項なのに、それが当たり前のように無視しているドライバーが香川県にはなんと多いことか?独りよがりな発想をする人が香川には多いのか?有名人では、高畑淳子、要潤、中野美奈子、南原清隆、石倉三郎、田尾安志などがいる。香川県民は短気な人が多く、待っていられないのか?

 この記事に立腹して反論する前に、自ら襟を正しての気遣いや思いやりという人間の原点に立ち返って、他人に不快な気持ちを抱かせたり、迷惑をかけない運転マナーを励行して欲しい。それが観光立県としての義務だと心得てほしいものだ。

 記事作成:5月1日(月)

2016年11月14日 (月)

近未来実現映像(夢の乗り物)

 今は2016年。つまり21世紀だ。昭和生まれの私にとって、映画「2001年宇宙の旅」で見た未来の世の中の映像が凄すぎて、やはり未来は違うなと期待に胸を膨らませながら、その中に登場するものの実用化を待ちわびたものだが、実際に21世紀を16年過ぎた今年、普段の生活は、あまり変化がない気がする。未だに交通事故は減らないし、がんも根治できる特効薬は生まれていない。ましてリニアもまだ実用化していないし、新幹線だって全国に整備されているとは言い難い。テレビ電話やスマホくらいしか主だった夢の機器は誕生していない気がする。そこで今回は、これこそ21世紀と呼べるような開発を紹介したい。

 1 空飛ぶ車

 

 スロバキアのAeroMobilが、最新試作機空飛ぶ車「AeroMobil 3.0」をお披露目されました。このモデル10月29日に開催された「Pioneers Festival 2014」で公開されたのですが、近未来的な外観でとにかくカッコイイヽ(;▽;)ノ
空飛ぶ車と言っても、駐車スペースも確保できる2人乗りのコンパクト設計なので普通に道路も走れちゃいます。
でもって、燃料はレギュラーガソリン...
って、ちゃんと飛ぶの?って感じですが、レギュラーガソリンでもお空は飛べるのです!
「空飛ぶ車」というネーミングは伊達ではありません(*'ω'*)
車としての最高速度は160キロ以上で飛行機としては時速200キロ以上となっています。
空飛ぶ車ですから、リミッターカットすれば、普通の市販車よりも早くなるかも~。時速300キロぐらいはでるのでしょうか?
これで注目度UP間違いありません。( ̄▽ ̄)
これで白バイも怖くありません。それでもやばくなったら、お空に逃げれます(*'ω'*)

 2 水陸両用バイク

 水陸両用バイク 陸でも山でも海でも川でも湖でも!!バイクで突っ走れ~~~~~
米ミシガン州にあるアス・スポーツ・アンフィビアンス社が水陸両用車「クアッドスキー」(ジェットスキー)を開発したらしい。この水陸両用車は約5秒で陸用のタイヤを収納しクアッドスキーへChange!! 世界最速バイク隼のエンジン搭載ジェットスキーの破壊力!は見ものです!!道路や林道はもちろん、川の中でも海の上でも自由自在に走り回れる夢のバイクが誕生!

 3 水中走行可能車

 水陸両用の車やバスはあったが、水中を潜水艦にように移動する車なんて見たことがない。水中でドライバーはアクアラングを装着し、何事もなかったように水中を進む。そんな夢の車が開発された!ジェムズボンドも顔負けの実車だ。

 4 超低車高のうつ伏せに乗り、操縦する近未来レーシングカー

 ジェットエンジンを積み、まるでF1マシンのような形状で、時速400キロは出そうな気配を感じる。とても実用向きではないが、デモンストレーションとしては最高。

 5 空飛ぶ人間、その名は「ジェットマン」

 いつかタケコプターで実際に空を飛べる時代が来ると思っていたが、ムササビスーツのような形状のジェットエンジンをつけた羽根を背負うような形で飛行するマシンが開発された。これであらゆる空の上を自由自在に闊歩できる時代が訪れた!

 富士山を飛ぶジェットマン 

 https://www.youtube.com/watch?v=We7qqLFmkmk

 https://www.youtube.com/watch?v=9HvB912X4o8

 おまけ・・・公道を走れるレーシングカー

 おそらく50年も前に、21世紀の世の中では、簡単に実現されていたものと想像できた。21世紀を迎えて16年、ようやく日の目を見た感じだ。こんな車が公道を走れば注目を集め、視線を釘付けにすること請け合いだ。

 記事作成:11月5日(土)

2016年8月28日 (日)

車の今昔物語(雑感)

  8月18日(木)のYahoo!ニュースで自動車販売に関する興味深い記事を見かけたので、見出しの一部を引用して紹介したい。

 7月28日にトヨタ自動車が発表した1~6月期(上期)の世界販売台数の結果を見て、多くの関係者が不思議に感じたのではないか。トヨタの世界販売台数は前年比で0.6%減少し、499万台にとどまった。一方、排ガス不正問題を引き起こした独フォルクスワーゲン(VW)は511万台(同1.5%)に増加した。その差はわずか12万台ではあるが、昨年の失速から早くも切り返し、VWが世界トップに立った。

 この記事を見て、30年前の私が20代だった頃、つまりバブル景気の時代には車は若者にとって憧れであり、飛ぶように売れたことを懐かしく思った。今は「やれ、低燃費だ」、「エコだ」と叫び、排気ガス規制の基準をクリアした車や、ハイブリッド、電気自動車、水素自動車などが開発されて実用化されたことで人気を集めているが、当時の若者にとって、かっこいいスポーツカーに乗るのはある種の夢であり、そのために辛い仕事を頑張ったものだ。
 たとえば当時大流行した車は、フェアレディZ、サバンナRX-7を筆頭に、シルビア、その姉妹の180SX、プレリュード、セリカXX、スープラ、ソアラ、レパード、ロードスター、86レビン、MR2、CR-X、GTO、スカイラインGT-R、クイントインテグラなど、いかにもスピーディーでハイクラス、ハイセンス、ラグジュアリーな車が市場を闊歩した。リトラクタブルライトを搭載したハイスタイリッシュなスポーツカーやサンルーフ車が時代の寵児と化した。

 そして景気が良くなると、高級車もバカ売れし、次々ハイソサエティカーが発売された。センチュリー、プレジデント、デボネアから始まり、セルシオ、インフィニティ、シーマ、ローレルメダリスト、クラウン、セドリック、グロリア、マークⅡ(クレスタ・チェイサー)、インスパイア(ビガー・アコード)、ディアマンテ、プロミネント(カムリ)などが街中に溢れていた。

 また、1980年代後半の空前のスキーブームによって、4WD車の普及に伴い、クロカンやRV車、ツーリングワゴン(ステーションワゴン)が売れ出した。パジェロ、ハイラックスサーフ、テラノ、サファリ、ランドクルーザー、プラド、ビッグホーンや実用性を重視したパジェロJr.やRVR、RAV4、CRV、エスクード、シャリオ、グランディスなどが爆発的ヒットとなり、ツーリングワゴンもレガシィを筆頭に、CARIB、カルディナ、アベニールが売れ、その後もグループ旅行や家族旅行に最適なワゴン車が発売された。デリカ、タウンエース、ハイエース、エスティマ、ステップワゴン、ノア、アルファード、セレナ、エルグランドなどだ。そのほぼ同時期に、家族の形態に応じたファミリーユーザー向けのミニバンが登場。イプサム、ウィッシュ、オデッセイ、MPVなどのミニバンまで売れに売れた。

 そして、こうした市場に流通した大衆車だけでは物足りない若者には、独特かつ個性的なコンセプトカーも流行った。Be-1がバカウケし、パオ、フィガロ、エスカルゴ、シティ、フェスティバ、ラシーンなどが売れまくり、そして市販車では嫌という超個性派にはミツオカ自動車の受注生産車も販売された。日本初のガルウィングのセラ、これまた大ヒットしたオープンカー仕様のロードスター、そして軽のオープンカー「ビート」も街中に溢れていた。

 また、ミニカーではトッポ、ミラ、アルト、ミニカ、キャロルが女性や主婦層を中心に販路を拡大した。

  しかし、日本人が外車をあり難がって、あるいは金持ちのステータスとなった古き時代もあった。中身はどうでも、金持ちをアピールできればそれで良しという俗物根性の風潮があった。たとえば、巨人の選手は皆、「ベンツなどの外車に乗れ」という指令があったし、競輪選手は一流の証として「ポルシェ」に乗るものだという、ルーティーンのような気運が強くあった。

 他には1970年代には外国のスーパーカーブームが沸き起こった。日本中が箱型のコンパクトカーしか無かった時代に、ガルウィングだったり、車高が低く、流線型のスーパースポーツカーが日本でお披露目された。「ランボルギーニカウンタック」や「フェラーリ」を始め、「デトマソパンテーラ」、「ポルシェ」など憧れの車が日本にも勢ぞろいした。今でも東京都内で「フェラーリ」を走行させれば、あの爆音とスタイリッシュさで目立つことうけあいで、そして操縦性の難しさで注目の的だが。そうした舶来品を有難がる風潮が日本にはあった。当時、私は小学生だったが、外国の車文化の先進ぶりを目の当たりにして、日本車との大差に絶句した記憶がある。日本の技術では到底太刀打ちできる技術は無く、ミニカーやスーパーカー消しゴムで遊ぶのが関の山だった。あのフォルム、質感、そして爆音を轟かせる大迫力のエンジンに、「怪物マシン」の名をほしいままにしていた西洋のレベルの高さに舌を巻いたものだった。

 その頃の日本のスポーツカーは、それらのデザインを模倣したような日産「フェアレディーZ」とマツダのロータリーエンジンを搭載した「RX-7」、そして名車の誉れ高き「2000GT」くらいしかなかった。トヨタの「セリカ」や日産「スカイライン」は、当時はとてもスポーツカーとは呼べない作りだった。日本で初のスーパーカーと呼べる、販売合戦で外国に対抗できる車の開発は、1980年代後半のホンダの「NSX」だと思う。この成功はあったが、最低でも700万円以上する超高級車だったため、バブル崩壊後は、販売台数は頭打ちだった。地方の郡山でも年に数台しか見かけなかったし、たまに運良く見かけたら、注目の的で、傷つけられそうとか盗難に遭うのではと余計な心配をしたほどだった。それに、燃費は悪そうだし、タイヤ交換や維持費も半端な額でなく、見栄で所有しているようなものだった筈だ。ちょっと買い物や街中のチョイ乗りには相応しくなかったと思う。そのNSXが、今年新車で再発売されるようだ。価格はなんと2,400万円!これも金持ちのステータスで、見栄で乗るか、生活を犠牲にした相当な車好きしか乗れない超高級車となりそうだ。

 私の世代から見れば、ドイツやフランスの高級車やGM、クライスラーなどのアメ車から日本のTOYOTAが売り上げ世界一にたった時などは狂喜乱舞したものだ。日本の技術が世界を追い越して「世界一」になったと。しかし、今回、そのTOYOTAからドイツのVW車がその覇権を奪い返した。ガリレオではないが、「実に面白い」。日本もうかうかしていられなくなったということだ。

 しかしながら、私の上の世代(60代以上)の時代であれば、ケンメリーが一世を風靡した「スカイライン」や「いつかはクラウン」というCMに感化されて「クラウン」が夢の車だったといえる。このように車も時代の変遷に呼応するかのように、変化を遂げた。
 一方で、残念なことに、近年、若者の車離れが進んでいる。携帯ゲームが時代の寵児となり、アウトドアよりもインドアで過ごす人たちが増えてきた。新車が毎年数多く開発・販売されて、ドキドキしていた世代からすると、少し物足りなさを感じてしまう。

 さて、好き放題、私なりの車への思い入れと言うか雑感を書き綴ったが、いかがでしたか?今から30年ほど前の話でも、その後、客の意識というか時代背景によって劇的に変化したと言える。私が「車やバイクに憧れていた時代」は、今となっては夢幻であり、製造中止や廃車になってしまったものが大多数だ。あの一世を風靡したサニーやブルーバード、シビック、インテグラ、スターレット、ファミリア、ローレル、ソアラ、シルビア、コロナ、セリカですら製造中止になってしまった。

 現代の若者はゲームやサブカルには夢中になるが、車にはあまり興味を抱かないらしい。それが実に寂しい。何のために毎日の仕事に精を出すのだろうか?価値観の変容とともに、車への関心が薄らいでいる現代社会において、個性的な車の登場や過去の売れ線で廃盤となった車がリバイバルで再登場するのは本当に夢物語なのかもしれない。

 記事作成:8月18日(木)

2014年12月 1日 (月)

街に溢れていた車

 1980年代から90年代、特にバブルの頃は、人々が豊かな暮らしを志向した。ディスコやスキーブームから「億ション」まで流行語になり、購買意欲は高かった。その象徴的な物こそ車だと思う。自動車は、「時代を写す鏡」だと言って差し支えない。今回は、私が社会人になりたての頃に街中を闊歩し、流行していた車を取り上げたい。ただし、以前特集したクロカンタイプやRV車は今回は除きます。解説は手短かに、かつCMをリンクします。

 1 シティ

 女性受けしそうな丸いフォルムに小回りが利きそうなコンパクトカー。初代のCMは大流行した。外国人が並んで奇妙な歩き方をする奴だ。

https://www.youtube.com/watch?v=8yrbDh9yN3k

 2 ロードスター

 最初はマツダの系列店取り扱いだったが、ユーノス系列に名称変更。日本では当時珍しかった、幌を畳んでオープンカー仕様にアレンジできる車で、若者を中心に大流行した。パレードにも大いに持て囃された。

https://www.youtube.com/watch?v=9tBXQmJolvM

 3 キャロル

 街中では派手なフラッシュピンクが闊歩していた。この車を運転する若い女性は、不思議にも皆可愛かった。たまにオバさんが運転していると妙に腹が立った。

https://www.youtube.com/watch?v=xtTvh5rRCEE

 4 シルビア

 通称「アートフォースシルビア」。ライバル車は、ホンダ「プレリュード」だった。デザインが丸みを帯び、スカイラインと並んで若者のステータスのクーペだった。彼女とデートで乗りたい人気車No.1だった。街中でもっとも多く見かけた車だ。

https://www.youtube.com/watch?v=Kv59FyAYU8g

 5 ソアラ

 対抗馬は日産の「レパード」。この車は平成初期に街中に見ない日はなかった。ドライブ中、アートフォース・シルビアとどちらを多く見かけるか競ったほどだ。当時は、セルシオが発売されるまで、国産車でもっとも高い最高級クーペだった。湾岸爆走族の影響で、族車に改造する輩が急増した。何を隠そう、私が初めて買ったのが初代ソアラのVRだった。人気絶頂で、駐車場にとめておいた時に、二度もトランクの「SOARER」のエンブレムを盗まれた。

https://www.youtube.com/watch?v=HbpBnl0uBfg

 6 フォード・フェスティバ(キャンバストップ)

 こちらも屋根が幌式の開閉タイプで、外国製のコンパクトカーでは価格が手頃だったせいもあって、爆発的に売れた。オートラマの取り扱いだった。100万円を切る安さ!

https://www.youtube.com/watch?v=bsU_XjLdecI

 7 クレスタ

 こちらはマークⅡ3兄弟のひとつ。30~40代のミドルエイジ世代に受け入れられた。もうひとつはチェイサーだが、マークⅡの次に売れたのが四角の4個並列ライトがトレードマークだったクレスタだった。6気筒エンジンは、とても静かだった。この頃の車の名前はアルファベットのCかSが大多数を占めていた。

https://www.youtube.com/watch?v=l6ypHerfAww

 8 シャリオグランディス

 この頃の三菱自動車飛ぶ鳥を落とす勢いだった。業界4位とは思えない躍進だった。パジェロ・ミニ・イオ、GTO、デリカ、RVR、ギャランVR、マグナム、ランサーなどその勢いは凄まじかった。 

https://www.youtube.com/watch?v=f-_dcX9QnAE

 9 レガシィ 

 スバルの最終兵器。高級タイプのセダンとキャンプやアウトドアに使えるツーリングワゴンの2本立て。街中に溢れていた。私の友人も20代の頃、4WDのセダンを所有していた。

https://www.youtube.com/watch?v=QxUsBFfMxDY

10 ディアマンテ

 発売当初はデザインがそっくりで「BMWのパクリか」と思わせるくらいフロントマスクが酷似していた。CMも「あの車とは違う」というナレーション入りで、思い切り意識していた。

https://www.youtube.com/watch?v=zCyiDYIw83I

11 セルシオ

 バブルの頃に、オールドエイジや会社のお偉いさん方の送迎用として使用されることが多かった超高級車。外国人の窃盗犯のターゲットになることが多かった。クラウンやソアラよりも高級イメージが強かった。

https://www.youtube.com/watch?v=W2Zt_Zk2g1A

12 シーマ

 バブルの申し子ともいうべき車で、装備がすごかった。ドアミラーやフロントライトにワイパーがついていたり、シートが最高級本皮で、普通では考えられない贅を尽くしていた。

https://www.youtube.com/watch?v=zZKiknAte5w

13 MR2

 ツーシーターミッドシップ。FRで峠の王者だった86レビンの後継のような存在だった。峠の走り屋やローリング族、ゼロヨン、首都高トライアルなど続出し、騒音や危険運転などが社会問題化した。すべて映画の影響。「よろしくメカドック」でも取り上げられた。

https://www.youtube.com/watch?v=MLKsGT3Q7g4

14 ビート

 こちらは軽のツ-シーターオープンカー。小柄で取り回しが楽。しかし、軽量のため、カッとびのイメージが強かった。トヨタのスターレットのコンセプトのようなイメージが自分の中にあった。ライバルはスズキのカプチーノだった。赤と黄色がイメージカラーだった。

https://www.youtube.com/watch?v=CKPDAn7w-Sw

15 バラードスポーツCRX

 MR2と並び、ミッドシップでカッ飛ぶイメージの車をHONDAが開発した。しかし、スタンダードがウルトラマンカラーだったため、思い切り引けた。峠をガンガン攻めるというモデルではなかった。やはりツーシーターなので購入者は限られていた。

https://www.youtube.com/watch?v=4SlS1mAAu8o

16 インテグラ

 「クイント」という冠がついていた。初代は、この頃主流だったリトラクタブルライトでデザインもカッコ良かったが、2代目にチェンジしてから、細長いライトで、スケベ顔っぽく売れなかった。それでもウチの兄は好んで乗っていた。1600ccながら、軽量のためかキビキビ走った。山下達郎のBGMがこの車のコンセプトにドンピシャだった。

https://www.youtube.com/watch?v=Tt6o1EupSk0

https://www.youtube.com/watch?v=52JeZnR4lQg

17 アコード(インスパイア・ビガー)

 この車も兄弟姉妹車を多く排出した。高級イメージで30~50代の人にブレイクした。特にインスパイヤはデザインも良く、ライトの下に同じ長さで長方形の横長透明フォグランプを備え、シートやコックピット周りのラグジュアリーも良く、ハイソサイエティの高級車としての地位を確立した。

https://www.youtube.com/watch?v=ZI31nTW4lro

18 タウンエース・ライトエース

 ファミリー向きのワゴン車としてこの2台は姉妹車ながら大流行した。アウトドアにはもってこいで、車内で寝ることも可能だった。丸みを帯びたデザインが大流行した。

https://www.youtube.com/watch?v=Vg5xOwJwTdM

19 セフィーロ

 昭和末期の頃に流行した車。昭和天皇崩御の前、井上陽水出演のCMが自粛され、お蔵入りになった。「くうねるあそぶ」がテーマで、「お元気ですか」が現状にそぐわないという理由だった。

https://www.youtube.com/watch?v=Dm75mxOFMnU

20 サイノス

 カローラをベースに2枚ドアクーペの若者向け大衆車というコンセプト。1500~1600ccクラスながら、色合いやデザインに長け、いかにもTOYOTAという作り。内装やシートデザイン、パネル周りなど、大衆受けしそうな作り。トータルバランスという点では、TOYOTA車がぴか一だった。イメージカラーはモスグリーンと水色だった。「友達以上、恋人未満」のキャッチコピーが流行語となった。

https://www.youtube.com/watch?v=hNvqljRNrF8

https://www.youtube.com/watch?v=lLnXbnWG4rc

21 180SX

 シルビアの姉妹車だが、シルビアが都会にマッチしたデザイン重視の街乗りオシャレクーペだったのに対し、こちらは流線形が目を引くスポーツカーとしてのコンセプト。徹底的に軽量化をはかり、若者の飛ばし屋が乗るイメージがあった。リアガラスがスケルト域が大きくて、視野が広く保てた。リトラクタブルライトはその当時の標準装備だった。

https://www.youtube.com/watch?v=enVuXKNxFfo

22 カローラレビン

 一番有名なのは1986年製の通称「86レビン」。この年まではFRだった。つまり、軽量小型なので峠のローリングには最適仕様。若者をターゲットにして大ヒットした。今でも中古車市場では高値がつき、復刻版まで製造される人気。その後、1990年になると、スタイル重視のデザインに変更され、1600ccという軽さから、女性にも人気が出た。何を隠そう、私が20代で交際していた彼女は、純白のレビンRSに乗っていた。当時、若手ドライバーとして人気実力No.1だった片山右京のドライビングテクに惚れ惚れした。B’zのBGMとマッチしていた。

https://www.youtube.com/watch?v=Px-k0qJLAJg

 歴代レビンはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=YvEwew1p6bI

23 スプリンタートレノ

 カローラレビンの姉妹車がこれ。こちらはデザインと性能はほぼ共通。トレノはリトラクタブルライトを採用していた。レビンに比べて、街角で見る確率は低かった。

https://www.youtube.com/watch?v=J07JRI-PiCg

24 セリカ(XX・GT-R・GT-FOUR)

 セリカはトヨタが誇るスポーツクーペだった。1980年代初頭の若者が憧れた初のリトラクタブルライトを装備し、流線型のフォルムに次世代スポーツカーと囃し立てた。高級でかなり値が張ったが、ローンを組んでまで購入する若者で溢れた。GT-FOURは私をスキーに連れてってで使用され、スキーブームと相まって、飛ぶように売れた。4WDのスポーツカータイプは当時は珍しく、価格は半端なく高かった。GT-Rは売れ線を狙った中間廉価車。

https://www.youtube.com/watch?v=uTbCJZ46Er4&list=PL6tDnM0s_93mq81RRYYjH1lVwp0wXIb5F

https://www.youtube.com/watch?v=nWn7j0eUNWg

25 スープラ

 セリカXXの後継機として開発されたのがスープラ。ツインターボ搭載の2枚ドアクーペ。重厚感があり、高級スポーツカーというイメージ。峠を攻める姿を何度も見かけた。

https://www.youtube.com/watch?v=LZj8OgzpIi0

26 ローレル(メダリスト)

 1970年代以降、日産の最高級セダンだった。黄土色がイメージカラーだった。まるでベンツを意識したかのようなエンブレムをボンネット先端に配し、それは高級感たっぷりだった。私が印象に残っているのは、5代目のやや角ばった車体と6代目のやや丸みを帯びたデザインのものだった。

https://www.youtube.com/watch?v=p-_D6CN6t3w

27 ブルーバード(SSS・ARX・ATTESA)

 トヨタカローラや日産サニー、ホンダシビック、マツダファミリアが大衆車の筆頭なら、そのやや上のクラスとして、TOYOTAはコロナがあり、そのライバル車としてあったのがブルーバードだった。この車も大ヒットし、街角で見ない日はなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=qwhbPgSuryI

28 カムリ/ビスタ

 ハイソサエティーでハイラグジュアリーをコンセプトにし、オジサマ世代をターゲットにして、売れに売れた。何を隠そう、私はソアラを下取りにして28歳でビスタ(ピラードハードトップ)に手を出した。もちろん新車で、ディーゼルターボながらトランクの上にテールランプ込みのスポイラーを付け、スポーティー使用にした。FFだったが、これで何度かスキーにも行った。カラーは紺色で高級イメージだけあって、内装は素晴らしかったし、コンライトやコーナーライトも標準装備だった。確か2000VRだった。リアトランクにモービル用のアマチュア無線のアンテナをセットした。警察の機捜車のような印象もあった。

https://www.youtube.com/watch?v=zWf0LXYHvfk

https://www.youtube.com/watch?v=Aexx4Ja0u-E

29 カムリプロミネント

 こちらはカムリのハイグレード車。高級感が合って、若者には手が出せないオジサン車という位置づけだったが、1990年代初期には結構見かけた。

https://www.youtube.com/watch?v=kZ3EDhNNRm4

30 ウィンダム

 1990年代の後期に大流行した車。プロミネントのさらに上を行く高級車だった。紺と紫のダーク系ツートンカラーがイメージで、三菱デァマンテが売れて、ライバル心むき出して市場に登場したのがこの車。釣り目的なライトのデザインが印象的だった。2.5Lと3Lの2タイプで、ハードトップ仕上げだった。アメリカでは「レクサスES300」名で先行販売。

https://www.youtube.com/watch?v=ip6FJZT4NtA

31 セレス/マリノ

 この2台は、大衆向けだったが、あまり売れずに終わってしまった感が強い。それでも一時期は街中で見かけた。

https://www.youtube.com/watch?v=Mm3nKPGhy9w

32 マーチ

 女性専用というイメージが強い。コンパクトカーの決定版で、トヨタのスターレット、ホンダシティとシェアを争った。この車は大ヒットし、1992年に販売された2代目は、10年間売れ続けたベストセラー。1L~1.3Lで取り回しが楽。3ドアから5ドアハッチバックで機能性も数段アップした。

https://www.youtube.com/watch?v=cNlJURXDqyo

https://www.youtube.com/watch?v=NduGWmq1CDM

33 スプリンターカリブ

 1980年代のスキーブームに大活躍した4WDステーションワゴン。リアライトのデザインが独特で、ハッチバックドアの外側にタテに弧を描くように直列で配置されていた。雪道や悪路に強いというイメージを持っていた。この車はカルディナに受け継がれた。

https://www.youtube.com/watch?v=okFRqHK1WEk

34 ペルソナ

 マツダ(ユーノス)の高級セダン。リアトランクの無限大を横に配置したマークデザインだった。ダーク系の車色が良く合っていた。

https://www.youtube.com/watch?v=Hw9jrHls7Jc

35 デミオ

 NBAのスターだったビッペンをCMキャラクターに起用。「自由形ワゴン」という触れ込みで登場。長さが短いコンパクトカーながら、後方ドア部が車高が高くて、ラゲージスペースは広かった。クロノスの失敗で経営危機に陥っていたマツダの打開策。1990年代を中心に売れ行きは良かったが、いつの間にか姿を消した。

https://www.youtube.com/watch?v=63toGjyqhNI

36 プリメーラ

 この車は大流行した。特にガンメタを初めて乗用車に採用した。1800cc~2000ccクラスのセダンながら、バックスタイルのライトの配置とデザインで、なぜか高級そうなイメージを構築した。2008年をもって製造中止となった。私の姉が紺色に乗っていた。私が商談し、とことんマケさせた。

https://www.youtube.com/watch?v=FIOKZzVjRm4

37 サバンナRX-7

 日産フェアレディと並ぶ二大スポーツカーのイメージだった。わが国初のロータリーエンジンにより、爆発的なパワーを実現。排気音が大きく、いかにも速そうなフォルム。

https://www.youtube.com/watch?v=Mcq1GmskEPE

38 AZ-1

 マツダのラゲージスペースを確保したアウトドアコンパクトカー。オートザムの取り扱いで、この姉妹車でマツダ系列のオートラマが販売したフェスティバのほうが断然人気が高かった。

https://www.youtube.com/watch?v=DMDkCC9t__o

39 Be-1、パオ、フィガロ、エスカルゴ

 こちらは企画車というイメージ。女性やオシャレな若者をターゲットにし、あくまでデザイン重視の可愛い車というコンセプト。イメージ先行だったが、これが若い世代に人気が出て、希少限定販売ながらも売れに売れた。Be-1で味を占めた日産は、同類の車種を次々開発し、市場投入したのは言うまでもない。最近、上の4兄弟は目にしなくなった。エスカルゴは、たまに写真屋(フォトスタジオ)や花屋(フラワーショップ゚)で見かける程度。

https://www.youtube.com/watch?v=6gGZnusFqE0

https://www.youtube.com/watch?v=GrYs8Bo6XNk

40 ラシーン

 車高が低く、横長(車幅)のRV車というイメージがあった。この車のユーザーはなぜか圧倒的に女性が多かった。しかもオシャレな人ばかり。インテリアが独特で、女性受けしそうなデザインというのが合った。

https://www.youtube.com/watch?v=umq4zDqonRM

41 ミニカToppo

 軽乗用のミニカを改造し、荷物スペースを高くし、商用車として売り出した。一般ドライバーも購入可能で、商売だけでなく、アウトドアにも使い勝手を選らばなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=MwS04evxVyA

https://www.youtube.com/watch?v=jywavYRo6Ic

43 ミラ

 私の母親も乗っていた。スズキのアルト、三菱ミニカと並び、いすゞのミラは軽乗用車のトップ3だった。アルトは赤、ミラは黄色、ミニかは黒という印象がある。

https://www.youtube.com/watch?v=f3ieRfTwWgE

44 セラ

 わが国初のガルウィングを搭載。最初はものめずらしさから新車販売台数も増加したが、使い勝手が悪く、ラゲージスペースも狭く、短命で終わった。

https://www.youtube.com/watch?v=-zLgXLTq1No

45 セドリック/グロリア

 TOYOTAのクラウンの好敵手として日産が販売。グロリアはもともとはプリンスが開発した。その後日産が吸収し、名車だったグロリアを傘下に収め、製造を継続した。セドリックはその頑丈さと高級イメージから、パトカーや覆面パトのベース車として使用された。シルバーのセドリック=覆面というイメージが先行した。当時はフェンダーミラーに助手席側のピラーだけにミニミラー、教習所と同じダブルミラーに、トランクには自動車電話型アンテナを装備していた。しかも「88ナンバー」が多かったので一発でバレバレだった。

https://www.youtube.com/watch?v=H6JaqngglXQ

46 プレリュード

 1980年代はHONDAの大逆襲が始まった時代だった。本田宗一郎の悲願だったF1参入が実現し、マクラーレンとウィリアムズにエンジン供給。プロストとセナの名コンビで、見事年間チャンピオンに輝いた。それを象徴するかのようにホンダは市場でも大躍進を遂げた。その代表作がリトラタブルライトを搭載し、全車FF仕様で、ハイセンスで若者カップルにターゲットを絞った「プレリュード」だった。この頃のホンダは車名に音楽を取り入れた。コンチェルトも製造販売された。流線形のスタイリッシュなフォルムで、街角にはこの車でいっぱいになった。バブル景気に沸いた1985年以降は、各社ともスポーツカーやハイコストハイパフォーマンスを追求したハイラグジュアリーでハイソサエティーな車を市場に投入した。この頃の若者の人気車種ベスト3は、シルビア・ソアラ・プレリュードだった。いずれも2ドアクーペで、走りとスタイルの両方を備えていた。

https://www.youtube.com/watch?v=BddzOutXau8

https://www.youtube.com/watch?v=HphO8W9CGi4

https://www.youtube.com/watch?v=v_gRX-Z6JBQ

 それにしてもHONDAは当たり外れが激しく、「コンチェルト」と「アスコット」、「ビガー」、「ロゴ」、「ドマーニ」、「ラファーガ」、「トルネオ」、「イノーバ」、「inx」、「アヴァンシア」、「Z」、「CAPA」はあまり売れなかった。

47 スカイライン

 1957年発売の初代から始まり、歴史と人気を備えた究極の自動車という印象。「ケン&メリー」のCMが記憶に残るが、私は1983年後期の「鉄仮面」と8代目の「R32」というツルツルボディーを推したい。「超感覚スカイライン」というのが売りだった。
 個人的には「スカイライン」=パトカーという意識もあった。

https://www.youtube.com/watch?v=DrWZPVJPbPI

https://www.youtube.com/watch?v=hGsmD0qJmz4

 上記に挙げた「街でよく見かけた車」のうち、大多数が製造中止で絶版車となった。今思えば、豊富な車種に圧倒される。栄枯盛衰を感じてしまうが、1980年代~90年代は自動車メーカーの開発者がいきり立つほど車が飛ぶように売れた。次々新車を開発しては市場に溢れかえっていた。その出来事も後の祭り。バブル崩壊後は、自動車が売れず、次々製造中止の憂き目に遭うこととなった。あれほど売れた超人気車種も今では製造されていないのが現実。私がこれまで乗り継いで来た4台の中で、ソアラとビスタはもう新車では買えない。信じがたい現実が今ここにある。

 おまけとして、オールドファンが懐かしがる車の名前を列挙したい。

 サンタナ・カペラ・レオーネ・パルサー・ファミリア・スターレット・ジェミニ・ルーチェ・コスモ・パブリカ・プリンス・セレステ・サニーカリフォルニア・ギャランラムダ・レパードトライX・

 最後に、開発されたものの、あまり売れず、今では絶版車となった車を列挙したい。

 マリノ、アリスト、トルネード(HONDA)、アルシオーネ、アヴァロン、センティア、クレフ、クロノス、インフィニティ・コルディア・スタリオン

 

 記事作成:10月14日(火)

2010年6月12日 (土)

絶版車狂走曲(トヨタVS日産)

  20世紀末から21世紀にかけて一世を風靡した名車の数々が、一斉に姿を消したのをご存知だろうか。バブル絶頂期の1980年代、世相は隆盛を極め、都心部のウォーターフロントを中心に億ションが林立し、人々の懐は潤い、市場は拡大し、消費は際限なく膨れ上がった至福の時期だった。それに伴い、自家用車や家電製品が飛ぶように売れ、暮らし向きは豊かになり、折からのグルメブームと相まって飽食の時代とさえ風刺された。今振り返るとそんな夢のような時代に、開発され、販売された数多くの車があった。今なら到底燃費(コストパフォーマンス)の良いコンパクトカーや地球にやさしいエコカーが主流であろうが、当時は「いつかはクラウン」どころの騒ぎではなく、その上のソアラ、セルシオ、ランクル(トヨタ)、フェアレディZ、スカイラインGT-R、シーマ(日産)、パジェロ、GTO(三菱)に代表されるような超高級国産車が市場を席巻した。この頃の車と言えば、ハイクオリティに加え、ハイラグジュアリーで、その形状が箱型から丸みを帯びた流線型が持て囃された。400万円を超える車はザラにあって、まさしく豊かさが繁栄を極めていた時代だったと言えよう。

 さて、そんな夢物語はバブル崩壊によって1987年頃を境として消費が急激に落ち込み、途中のIT産業が台頭する時期を経て、いつ底をつくか知れぬ、現在まで20有余年も続く景気低迷の中で喘ぎ苦しんでいる。バブル景気時に3万円台を越えた株価は1万円台を割り込み、6%あった預金利息も0%台にまで落ち込む始末。更に外為は、100円を割り込むほどの円高によって輸出は振るわず、「山一證券」に代表されるようにバッタバッタと大型倒産が相次いだ。あの三大財閥や大手都市銀行、一流の保険会社であっても、生き残るために企業統合を余儀なくされた。日本の産業界をリードし続けて来た自動車メーカーも決してその例に漏れず、まるで津波のように見境なく新規開発され、市場に溢れ出た無数の車種は、瞬く間に消え去る運命を辿る事となった。ホンダシティ、インテグラ、プレリュード、CRX、三菱ディアマンテ、デボネア、ユーノスロードスターや、この頃脚光を浴びていたRVやクロカン車はその典型であろう。その時代を彩り、闊歩した車がことごとく廃車に追い込まれたのは車好き、バイク好きの私にしたら慙愧に堪えない。そこで今回は、懐疑主義的かもしれないが、そうした時代の犠牲となった、或る時期に街角に溢れていた人気車について、トヨタ車と日産車を限定に回顧してみたいと思う。オールドファンには申し訳ないが、私が自分の車を所有し、車に興味を抱いたのが23歳頃であるため、モデルチェンジをしている車も多いが、ここでピックアップするのは1980年~2000年を中心に私が印象に残る車とさせて頂きたい。

 <トヨタ>

 ・コロナ(1957~2001)・・・一般大衆車として市中に数多く出回った。セダンである。
 ・スプリンター(1968~2002)・・・カローラの姉妹車として、エンジン等の部品を共用。こちらも大量生産型の入門カーだった。
 ・マークⅡ(1968~2004)・・・ハードトップのFR車で、グランデやロイヤルサルーンなどハイソサエティな大人向きの車だった。現在はマークXに引き継がれた。
 ・セリカ(1970~2006)・・・GT-RやGT-FOURなども話題となった。元来はクーペ型のスポーツカーというコンセプトだった。
 ・カリーナ(1970~2001)・・・こちらも大衆向けで、カローラとコロナの中間車。パーソナルクーペのEDも人気があった。姉妹車のEXIVも絶版となった。

Mark2 Cellica 

 ・カローラレビン(1972~2000)・・・カローラの中でもスポーティーに改良したクーペ。今でこそFFだが、かつてFRだった頃の86レビンは中古市場でも高値で取引される大人気車。改造し、チューンを加え、峠でローリングしている姿をよく見かけた。
 ・スプリンタートレノ(1972~2000)・・・レビンの姉妹車。こちらはリトラクタブルライト。
 ・スターレット(1973~1999)・・・かっとびスターレットの愛称で親しまれた。コンパクトカーながら、俊敏で小回りが利き、軽いためにスタートダッシュはピカイチだった。
 ・チェイサー(1977~2001)・・・クレスタ・マークⅡと3姉妹を構成。部品は共用。FRで、ハードトップ型のハイラグジュアリーカーだった。フロントマスクが洗練されていた。
 ・コルサ/ターセル(1978~1999)・・・こちらも兄弟車で、これにカローラⅡが加わった。2枚ドアのコンパクトカーだった。丸みを帯びたスタイルは女性にも人気があった。
 ・セリカXX(1978~1986)・・・こちらは若者に大人気で憧れの車だった。国産車初のリトラクタブルライトを採用し、スタイリッシュでいかにもスポーツカーという流線形デザインは持て囃された。価格が多少高く、夢の車だったと言える。デビューは衝撃的だった。
 ・スープラ(1978~2002)こちらはセリカXXの進化型。重量感が増し、よりスポーティー感があった。シャコタンにしてヤンキーが乗り回していた印象がある。

Corollalevin Xx 
 
 ・クレスタ(1980~2001)・・・マークⅡ、チェイサーと兄弟車。FRでやや箱型でライトに特徴があった。
 ・ソアラ(1981~2005)・・・当時国産車の中で、400万円と一番価格が高かった。FRのスポーツ系クーペで、「湘南爆走族」などのモデル車に使用され、改造されることが多かった。より丸くなった2代目が大ヒットし、日産シルビアと並び、街で見かけない日はなかった。金持ちのエリートカーというステイタスのようなハイラグジュアリーカーで、初めてオートクルーズ機能が搭載された。グレード的にはツインターボが爆発的に売れた。生意気にも中古ながら私が初めて自分で買ったのがこの車(初代)だった。
 ・カリブ(1982~2002)・・・スプリンターをベースにした、こちらは悪路にも強い、トヨタ初のRV車として販売された。当時一大ブームを巻き起こしたスキーに持って来いの4WD車で、大人気だった。
 ・ビスタ(1982~2003)・・・アルデオも同様。私が初めて新車で買った車。ハードトップで、ディーゼルターボだった。リアスポイラーもオプションで付け、250万円ほどだった。他にもセダンがあった。この車はカムリと基本性能は同じで、姉妹車だった。
 ・カローラⅡ(1982~1999)・・・コルサ・ターセルと部品共用。2枚ドアでハッチバック式を採用した。

Soarer Sprinter_carib 
 
 ・MR2(1984~1999)・・・国内初のミッドシップでツーシーターだった。走り屋をコンセプトに、実際峠ではその身軽さとコーナリングの俊敏さで大人気となった。この車もまた若者には一種のステータスシンボルだった。
 ・セルシオ(1989~2006)・・・クラウンを超える国産最高峰の高級車として鳴り物入りで登場した。外見だけでなく内装も高級品をあしらい、社長御用達の車というイメージだった。現在は欧米仕様でレクサスとして販売している。
 ・セラ(1980)・・・国産車初のガルウイング(はね上げ式ドアの1500ccクーペ)を採用した。屋根もガラス面が多く、デザインも風変わりだった。
 ・サイノス(1991~1999)・・・カローラをベースに開発された軽量な2枚ドアクーペ。外見もスタイリッシュで、女性にも大人気だった。

Mr2 Sera 
 
  ・ウィンダム(1991~2006)・・・セルシオの下に位置するクラスで、やはり内装も豪華だった。セルシオがセダンタイプに対し、こちらはハードトップで精悍なイメージだった。プロミネントと同様にカムリと統合。
 ・カルディナ(1992~2007)・・・こちらはコロナをベース車両として、よりスポーティーに改良した。
 ・スプリンターマリノ(1992~1998)・・・コンパクトカークラスのセダンでセレスの姉妹車。
 ・カローラセレス(1992~1998)・・・マリノと共通部分を持ち、フロントマスクとレアテールの形状が異なっていただけ。1500cc~1600ccのみの設定だった。
 ・カレン(1994~1998)・・・セリカの姉妹車だった。2枚ドアクーペでありながらセダンっぽい雰囲気をもっていた。1.8Lと2Lに2系統でモデルチェンジすることなく製造終了。
 ・グランビア(1995~2002)・・・トヨタ初のミニバン。アルファードに移行した。
 ・スパシオ(1997~2007)・・・カローラベースのミニバンスタイル車。コンパクトカーサイズながら6列シートを初めて採用。1600ccと1800ccの2種類で販売された。
 ・ナディア(1998~2003)・・・イプサムをベースとして開発されたミニバン風トールワゴン。2000ccのD-4エンジンを搭載した。
 ・ガイア(1998~2004)・・・初代イプサムの姉妹車として登場。リアテールの形状が異なるくらいで、瓜二つ。2000ccと2200ccエンジンの2車種。
 
Windom Spacio

  ここに挙げただけでも31車種がもはや製造中止で、新車でお目にかかることは二度とない。寂しい限りだ。これらはいずれも、かつて町じゅう至る所で目にした車だ。トヨタの場合、販売店が系統別に取り扱い車種が異なる為、ディーラー同士で姉妹車対決が過熱し、販売合戦がヒートアップした。また同じ車種でもトヨペット店とビスタ店で取り扱うなど、同メーカーでの熾烈な競合や販売商戦が展開された。

 <日産>

 日産と言えば、スカイライン、Z、シルビア、180SXなど若者受けしそうなスポーツカーというイメージが強い。ファミリーユース向けはあまり玉数が豊富ではなかった。しかし、玄人好みの車や奇抜なデザインで期間限定商品が多かった。また、トヨタへのライバル意識が剥き出しで、対抗馬を必ずぶつけた。ソアラに対してレパード、マークⅡに対してローレル、クラウンに対してセドリック、セリカに対してシルビア、セルシオに対してシーマ、ハイラックスサーフに対してテラノ、カローラに対してサニー、スターレットに対してマーチ、コロナに対してブルーバードという具合だ。ではもう製造中止になった車を挙げてみよう。

 ・ブルーバード(1959~2001)・・・日産と言えばこの車が代名詞だった。日本の代表的なミドルセダンとして大ヒットした。最大の競合車種はトヨタ・コロナ。1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。セダンとハードトップの2車種で、高級感漂う「マキシマ」や「スーパーサルーン」、更にはスタイリッシュな「SSS」や「ARX」、「アテーサ」などが順次投入された。
 ・グロリア(1959~2004)・・・元々はプリンス自動車工業の自社製品だったが、経営が行き詰まり日産と合併した。その時、売れ線だったこの車を残し、生産を継続した。その後セドリックの姉妹車として扱われるようになった。
 ・セドリック(1960~2004)・・・クラウンのライバル車。価格帯からクラスまで同一。覆面パトに多く使われ、日産の中では高級ソサエティ車である。

Bluebird Sedric

 ・シルビア(1965~2002)・・・'80~'90年代の「エアフォースシルビア」は大ブレークし、一日20台は見た車で、町じゅうに溢れかえっていた。スタイリッシュクーペで空気抵抗を抑えた流線形のデザインは若者のハートをガッチリ捉えた。 
 ・サニー(1966~1994)・・・対カローラ戦略として打ち出された一般大衆向けファミリーカー。長く日産の売り上げNo.1をキープしたが、残念ながら退役した。
 ・ローレル(1968~2002)・・・これはマークⅡのライバル車で、高級志向の内装でトータルバランスに優れた通好みの車だった。黄土色とベージュのツートンががメインカラーだった。メダリストはクラス最高峰。

Silvia Laurel
 
 ・パルサー(1978~2005)・・・この車もコンパクトカーとして市中に数多く出回っていた。廉価で取り回しも楽なチョイ乗り向きな利便性の高い車だった。EXAはスポーツクーペだった。
 ・ガゼール(1979~1986)・・・ツードアクーペで直列4気筒の2000cc。トヨタのGT2000やセリカXXを意識した作りとなっていた。
 ・レパード(1980~1999)・・・この車もツードアのスポーツクーペで、対ソアラ戦略として開発。エンジンも2000ccと2800ccだし、直列6気筒で、オートクルーズ内蔵、ターボ車の設定もソアラと全く同一。
 ・リバティ(1982~2004)・・・プレーリーと姉妹車でハッチバック5ドアを採用。RV車としてもSUVとしても使い勝手の良いミニバンだった。ライバルはイプサムだった。
 ・テラノ(1986~2002)・・・本格的RV車としてハイラックスサーフの対抗馬として開発。ピラーが斜めに入り、その結果窓の形状が変わっていた。スキーの必須アイテム。

Pulsarexa Terrano

 ・Be-1(1987~1988)・・・この車は一風変わっていた。キュートでコンパクト。女性にモテモテの車として1982年に発売されたマーチの車体を改良して1年限定で製造販売された。
 ・セフィーロ(1988~2003)・・・スポーティーな高級中型セダンとして開発。スカイライン、ローレルと部品共用。電子制御サスペンションや4輪操舵システムなどを装備した。井上陽水の「お元気ですか~」のCMが話題に。昭和天皇の容体悪化で放送が自粛された。
 ・シーマ(1988~2010)・・・バブルの申し子とまで呼ばれた日産のトップに君臨する超高級車。セルシオの対抗馬だった。ヘッドランプやドアミラーにワイパーを装備した。内装のインテリアにも贅沢の粋を究め、時代を象徴した。

Be1 Cima
 
  ・パオ(1989~1990)・・・B-1が大当たりしたことで二匹目のドジョウを求めて開発されたのがこれ。平坦で屋根が低く、昔のドラマに出てきそうなコンパクトカーだった。メインカラーがみずいろで、やはり女性ユーザーが飛びついた。
 ・エスカルゴ(1989~1990)・・・これは商用に開発。フロントマスクはスバルの豆タンクを彷彿させ、荷台スペースは大きく高い構造。可愛らしい印象ととり回しが楽なことから、個人経営の店で購入申し込みが殺到した。この成功で三菱もミニカTOPPOを発売した。
 ・180SX(1989~1998)・・・シルビアの姉妹車として開発されたスポーツクーペ。デザインが斬新。後ろから見ると球形イメージ。空気抵抗を考えた設計で、ガラス面が多い。とにかく速そうな印象。DOHCターボエンジンを搭載し低扁平率タイヤを装着し、摩擦を抑えグリップ力を高めた。

Pao 180sx
 
 ・アベニール(1990~2005)・・・ライトバンタイプのステーションワゴンで、フルタイム4WDで2000ccだったことからカリブの対抗馬として開発された。
 ・プリメーラ(1990~2008)・・・この車も斬新なデザインと初のガンメタ車ということで脚光を浴びた。仕様は1800cc/2000ccのSR型エンジンに5速MTと4速ATの組み合わせだった。スタイリング、動的性能両面で欧州車を強く意識して開発された。
 ・プレセア(1990~2000)・・・ローレルスピリッツの後継車としてサニーの部品を共用。ヘッドライトが細い横長の目で変わったフロントマスクだった。ネーミングはスペイン語の「宝石」に由来する。

Primera Presea  
 

  ・フィガロ(1991~1992)・・Be-1、パオに続くバイクカーシリーズ第三弾の期間限定生産車。マーチベースだが全体的の丸い形状。ターゲットは若い女性。レトロな風貌にノスタルジック調の車内。本革シートステアリングで、2枚ドアのオープンカーだった。唯一ターボエンジンを積んでいた。
 ・ラシーン(1994~2000)・・・これも廃車かという感じ。今でも街を流れている。屋根が低く平べったい四角い車である。デザイン的にはパオをひと回り大きくした感じ。こちらも外観はオールドカーのイメージだ。サニーの4WD車のシャシーをベースとし、コンパクトRVとして開発された。テールゲートは上下2段開閉構造となり、その後方に金属製バーを介してスペアタイヤを装備しているのが特徴。

Figaro Lasene

 如何だったろう。「えっ、あの車も絶版なの?」と驚きと衝撃が交錯したのではないか?一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった車種もかなりたくさんある。活気に満ちていた頃の日本経済を象徴していた超高級サルーン車もあれば、世相を反映して若者を中心に高級スポーツカーが持て囃された時代もあった。故に車は一種のスタータスだったのだ。しかし、時代の流れと共に、日本の経済も移ろい、あれほどやみくもに新規開発・市場に投入され、無際限なまでに街角に溢れ出た日本車だが、長引く不景気や消費減退の影響をもろに受け、減産や廃車を余儀なくされた。何か栄枯盛衰めいたものを感じる。自動車は紛れもなく日本の産業の屋台骨を支える根幹を成すものであり、自動車の輸出や販売台数を見れば日本経済の本質を窺い知ることが可能なのだ。冒頭でも述べた通り、今はそのツケの代償を払わされているようで、新車販売は頭打ち。売れる車は政府援助による環境対応のエコカーとハイブリッド車くらいのものだ。今回紹介したトヨタと日産については、日本が誇る二大自動車メーカーだけに、日本経済の浮沈のカギを握ると言って良い。従って過去の栄光にすがりつく訳ではないが、かつて日本の優れた技術力と卓越した開発力が世界の市場を席巻したように、現在の窮地を跳ね返す強い意志とプライドを取り戻して貰いたい一心でこの題材を設定した次第である。30年以上前の「スーパーカーブーム」、バブル景気時のような「高級車・RVブーム」の再来を是非心待ちにしたいものである。 

2009年11月 4日 (水)

若者の自動車離れ

 世相を反映してなのか、一向に自動車業界に陽が射して来ない。昨日発売された「日経TRENDY」の2009年に売れた商品ベスト30によれば、堂々の1位は、トヨタプリウスやホンダインサイトに代表されるエコカーだった。これは1位が自動車だからと言って素直に喜べない。今回このプリウスが売れた最大の理由は、旧自民党政府が打ち出した税制の優遇制度があったからこそである。燃費が良く、経済性に優れるだけでなく、環境にも優しいことを売りに、爆発的なヒットを生んだ訳だが、もし政府主導による自動車取得税や重量税などの減税措置やエコポイント導入がなければ、ハイブリッド車は依然高嶺の花のままだったと考えられる。逆に言えば、エコカー以外はあまり売れなかったということだ。では何故政府がこのような減税策を講じなければならなかったのかと言うと、車が売れなければ、日本経済の活性化はもとより、産業の発展はあり得ないからだ。しかし、幾ら日本でプリウスが売れたからと言っても、所詮国内需要の話止まりである。円高が進み、本日現在1ドル90円台の推移では、到底輸出は滞り、外貨獲得は見込めない。自動車が冷え込めば、生産量調整しかなくなり、減産する以外に手立てはなく、人件費が嵩み、やむを得ず季節従業員や期間契約の準社員から順送りに解雇となり、メーカー各社は人減らしで対応せざるを得なくなる。当然、その関連企業や下請けの部品工場・組み立て工場は、その煽りをもろに受ける訳で、雇用状況も悪化し、深刻な状況に陥るのだ。

 そうした厳しい現況にあって、トヨタは、F1からの全面撤退を表明。既にホンダも撤退しており、これで日本の自動車メーカーは、自動車レースの最高峰のF1から姿を消すことになった。かつては、アラン・プロストやアイルトン・セナといった一流ドライバーと数億円の契約を交わし、ウィリアム・ホンダやマクラーレン・ホンダとして年間チャンピオンの座に君臨した時期もあった。F1に関しては、とにかく莫大な資金を要する。マシンの研究開発費、レーシングチームの維持費及び人件費、そしてこのドライバーとの契約料である。しかし反面、これほど資金提供するからには見返りがある。日本車を世界にPRする滅多にないチャンスだし、もしF1で勝ったとなれば、宣伝効果は大きい。自社製の車を売り込むことにつながるからだ。日本車は高性能でメンテナンスフリーなので、故障知らずだし、会社に比べてコンパクト設計なので維持費や修繕費はさほどかからない。ましてホンダの創始者、本田宗一郎の長年の夢だったF1参入は、華々しい日本経済の象徴でもあったのだ。

 しかし、そんな繁栄の時代はとうの昔に過ぎ去り、残されたのは、作っても物が売れない空虚な経済情勢だけである。それに追い打ちをかけたのが、昨今の若者の風潮でもある「自動車離れ」である。現代の若者は、金銭感覚にはシビアなようで、あまり自動車に夢や希望、浪漫といった憧れを感じない人々らしい。とかく新規高卒者の新車・中古車の買い控えが進み、自動車全体が敬遠されている節がある。以前だと、高校3年生ともなれば、就職が内定すれば、我先にと先を争うように教習所通いを始め、冬休みや年明けには予約を取るのが至難の業という状況があった。それが今や、交通手段は公共の乗り物を使い、車には大金を賭けない、徹底した倹約ぶりである。地下鉄や私鉄各社がしのぎを削るほど、恰も網の目のように発達した首都圏の交通環境下ならまだしも、地方に至ってもこうした状況はあまり変わらない。むしろ若い人の多くは、主な移動手段として、鉄道やバスを頻繁に用いるケースが目立って来ている。

 これには私が考えるに二つの理由がある。1つはもちろん、経済事情。車のオーナーになれば、金は否が応にも湯水の如く出ていく。新車を購入するとなれば、車両本体価格は平均で200万円はするだろう。もちろんこれだけでは済まない。まず、オプションを付けるだろう。フロアマットやバイザー、ナビ、オーディオ、アルミなどである。更に租税公課と各種経費がかかる。購入段階で掛かる税金には、取得税と重量税、それに消費税だ。これは元々贅沢品である車に対して課した税で、これは自動車専用道路の建設や国道などの保全修繕費用に充てられる。また、ガードレールや照明の電気代、信号機の設置なのにも使われる。もちろん、燃料費(ガソリン代)も決して無税ではない。1ℓ当たり、原油価格はその6割程度で、残りの4割が税金となっている。昨年の今頃、原油代が高騰した折には、1ℓ=190円台という常識外の高値。ところが、暫定税率が期限切れとなった際には、一気に125円程度にまで下がった。その後、すぐに自民党が延長法案を通して再可決され、再び上昇したのは記憶に新しいところだ。税以外に掛かる費用としては、保険(自賠責や任意)、そしてこの数年内に導入されたリサイクル料金、登録費用などがある。これらを考えれば、200万の車を買ったところで、乗り出すまでには更に35~40万円近い出費が必要となる。

 次に、自動車を所有しているだけでかかる費用がある。毎年掛かるのが、自動車税。排気量で階級分けされ、2,000ccクラスでも年額は39,500円だ。他に車に乗れば必ず燃料を消費する。走行距離数が多いドライバーは、毎月のガソリン代が家計に重く熨しかかる。燃費がいくら良くても実質10km程度。となると日々の通勤で車を使用すれば、あっという間にひと月1万円を超える。年間だと15万円は軽く行く。また、定期的にオイルを交換したり、冬場にはスタッドレスタイヤ(1本15,000円程度)が必要となる。そして更に2年(新車は3年)ごとに車検に出さなくてはならない。保険料の更新や税金、点検整備などで10万円は掛かるだろう。これだけでも嫌になるくらい金が掛かる。まさしく金食い虫である。給料が低い10~20代の若者にとって、車を持つことがどれだけ生活費を圧迫することかになるか。魅力が沸かないのも頷けよう。

 ひと昔前なら、車は若者の憧れだった。カッコいい車に乗りたいがために仕事を頑張るという時代風潮さえあった。スポーツカーを乗り回し、彼女を乗せてドライブというのがステータスでもあった。昔は、所ジョージ氏のように、車にお金をいくらかけても良いという思いから、あちこちいじくり、ドレスアップし、点検整備も自分でやりたいという「カーキチ」が身近にいたのだ。バブルの頃は、若者はソアラ・MR2・スープラ・セリカ(トヨタ)、シルビア・180SX・スカイラインGT-R・フェアレディZ(日産)、プレリュード・NSX(ホンダ)、RX-7・ロードスター(マツダ)等のクーペのスポーツカーに乗り、それは人気絶頂で時代を席巻するほど街角に溢れていた。今、その手のモデルチェンジしたスポーツクーペ車を買うのは、当時車にのめり込んだオヤジ達である。これが俗に言う若者の「車離れ」なのだ。

 もう一つの理由は、昔と比べてデザインが出尽くして、あまり変わり映えしなくなった、つまり個性的な車が少なくなったことである。加えて、近頃の地球環境に優しいエコブームが、ますます車を遠ざけることに拍車をかけている。よって一世を風靡した車でさえ、生産中止に追い込まれてしまった。売れるのはエコカーと税金や維持費が安い軽自動車ということになってしまう。しかし、政府も単に手をこまねいているだけではない。いつ底を打つかわからない不景気に業を煮やし、冷え冷えした景気を回復させるために、不退転の覚悟で苦肉の策とも思えるような施策に打って出た。その顕著な例が、ETC全国千円高速乗り放題。車が高速で動けば、当然人も動く。地方の観光地に金がばら撒かれることを期待して思案し、実行された政策だ。政権交代が実現し、現民主党が打ち出したのは「首都圏を除き、全国津々浦々の高速道路の完全無料化」である。そしてマニフェストの公約にも掲げた、暫定税率の撤廃である。実は、この是非を巡っては、党内や学識者の間で賛否両論。もちろん暫定税率に含まれる地方分の分配金が廃止されることに危機感を強めた地方都市の首長はこぞって反対。都道府県にとって、道路特定材財源は巨額な歳入となることから、必死に存続を求めている。この議論が今、存続か廃止か、はたまた内容を一部変えて施行かで大きく揺れている。

 もともと燃料課税である、揮発油税と地方の取り分を合わせれば、現行1ℓ当たり54円の税額を得ている。つまり、1ℓで考えれば、この金額とガソリンスタンドの利益を除いた額が、本来の原油価格ということになる。本則税率分だけだと、年間1兆5,500億円、暫定税率分も1兆3,500億円とほぼ同額なのだ。いかに暫定税率の割合が高いかが解るだろう。また他の項目で見ると、現行では、自動車重量税は0.5トン当たり年6,300円、2ℓ車では年額25,200円も掛かっている。これは本則税分(2,849億円)より暫定税率分(3,611億円)のほうが断然高いのだ。これはどうみても税金の掛け過ぎ。もうひとつの税金である自動車取得税は、購入金額の一律5%と決まっているので、200万円の車を買えば、10万円が税額という計算になる。こちらの本則適用分は1,698億円、暫定税率分が1/2相当の835億円。いやはや国はどれだけ自動車で国民から税金をふんだくっていることやら。とてもじゃないが、金食い虫以外の何物でもないという結論になってしまうだろう。

 こうした厳しい懐事情もあって、若者の自動車離れは一層深刻化してきている。今後、ただでさえ少子化が進む時勢の中で、豊かさの象徴だった自動車が、切り捨てられて行くのは実に忍びない。次世代の水素自動車や電気自動車などの環境に負荷をかけない新エネルギーの開発も大事だが、それ以上に各メーカーは、若者の内面にアピールするような斬新な発想で車作りをぜひ進めて貰いたい。そして価格設定も極力抑えて貰えれば、より車に目を向けてくれると思う。アイディアは無限にある筈。コンピューターをもっと活用し、事故を未然に察知するシステム。一般道でのスピードの出し過ぎを防ぐ安全装置、人が車に衝突する直前にバンパーから外側にエアバッグが飛びだして衝撃を吸収する装置、もうすぐ実用化されるらしいが、死角となる交差点での侵入車を知らせてくれる機械、また、ひき逃げの際に証拠が無くなることから実用化されないが、車のシャシーを形状記憶合金で覆えば、事故ってもあっという間に元通り。また、洗車が一切不要なボディペイントの開発、水陸両用の車、悪路では車体の下からキャタピラーが登場し、どんな急な坂でも上れる、そして絶対にスタックしない車などいろいろ考えてほしい。若者が車に何を望み、何を求めるのか。そうした努力をぜひ積んで欲しいと考えている。

 日本シリーズ第4戦総括

 今日の試合は、語るのが嫌になるくらい落胆させられたものはない。予想通り、出来不出来の差が激しい高橋尚が先発。彼もベテランの域に達した。大試合の経験の豊富なジャイアンツの貴重な先発左腕。制球力があって、多彩な変化球を操る。そして何より投球術を心得ており、緩急をつけた変幻自在のピッチングが持ち味。立ち上がり三者三振にこそ仕留めたが、私はあまり彼を信用していなかった。早速気になったのは、このシリーズ、主審の判定が巨人に対して辛いということ。そして日本ハムの打者は、カウント2-3になるまでじっくり見てくること。無駄打ちをしない。一方、日本ハムの先発は9勝3敗で、交流戦でも巨人から白星を挙げている八木。坂本は初球からガンガン振り回してくる。なかなか先頭打者としての役割を全うできないでいたが、じっくり球筋を見極めて四球を選ぶ。続く松本は、バントを失敗するが、ファールで粘り、ミートを心掛けてレフト前へ。無死一二塁で小笠原。初球こそバントの構えをするが、2球目を打ち上げて内野フライに倒れ、次のラミレスもセンターフライでランナーを還せず。この時点で嫌な予感はしていた。立ち上がり苦しい八木を自ら助けてしまった。ピンチの後にはチャンス。2回は巨人と同じ状況を日本ハムが作る。一死一二塁。ここも高橋が何とか無得点で切り抜ける。すると巨人にもチャンスが来る。私がMVP候補に挙げた谷がツーベースを放つ。続く阿部は一塁方向にゴロを転がし、きっちり走者を三塁に進塁させるが、その後、木村がスクイズと思いきや内野ゴロでランナー突っ込めず。高橋も凡退でチャンスを潰す。その次の回、流れが完全に日本ハムへ。一死後、1番の厄介な田中を痛烈なセンター前ヒットで塁に出すと、森本に素直にバントさせればよかったものをさせず、内野ゴロの処理を木村が誤り、ピンチを広げる。更に2塁ランナーを無警戒だった高橋が3塁盗塁を許す。ここで稲葉を歩かせ、満塁。出さなくても良いランナーまで出す羽目に。ここで私は予言した。「高橋信二は三遊間うを抜いてレフト前に打つから見ててみ」と。そしたら高橋は私が指図したかのようにきっちり鋭くレフト前にクリーンヒット。もちろんレフトは守備がお粗末なラミレス。バックホームで刺せる筈は無く、結局労せず2点を献上。ここで粘ればよかったものを、巨人は踏ん張りきれない。続く小谷野の時、またしても審判の判定に苦しむ高橋が不用意に真ん中に投げ、右中間を深々と破られ、走者一掃で2点追加。中継プレーがお粗末で、何とバッターランナーまで3塁を陥れる始末。やることなすこと日本ハムの思う壺。これらはすべて1・2回のチャンスを潰した巨人の拙攻がもたらした得点だ。この時点で4-0と序盤で勝負ありだった。取れると所で点を取っておかなければ痛い目に遭う典型である。巨人は先制すれば滅法強さを発揮できるが、こういう展開では、まるで借りてきた猫に等しい。もろさを露呈する。試合展開は、第2戦と酷似してきた。

 まだまだ巨人のちぐはぐ野球は止まらない。2巡目の3回裏、先頭の坂本が右中間を破り、このシリーズ、暴投が多い日本ハムバッテリーのミスが出て、3塁へ進塁。ここで松本が第一打席に続き、しぶとく一二塁間を破り、1点を返す。しかし後が続かない。続く小笠原のボテボテのサードゴロを小谷野がファインプレーでセカンドで刺す。巨人と決定的に違うのは、この安定した守備力。ラミレスはボールを芯で捕らえられず、当たりそこねゲッツー。どうもラミレスがブレーキだ。4回も可笑しな攻撃。先頭の亀井が粘ってライトへ痛烈なヒット。毎回無死から走者を出す。期待の谷がセカンドゴロでフォースアウトでランナー入れ替わり。ここでまた予想的中。「阿部は内野ゴロ打ってゲッツーだよ」と言った途端、ピッチャーゴロでダブルプレー。5回表でも予言的中。二死無走者で高橋に打順が回る。「高橋はこの場面、思い切って振りまわせるからホームランかもよ」と言った直後、レフトスタンド最前列へライナー性のホームラン。シーズンで8本しか打っていない4番の高橋にスタンドまで運ばれるとは・・・。これで中押しとなる5点目。(5-1)5回裏には、5度、ノーアウトから走者が出る。木村が右中間を破るが、稲葉が上手く回り込み、シングルヒットに止める。これが見えないファインプレーなのだ。しかし巨人の拙攻に助けられ、八木は切り抜ける。このあたりで1~2点でも返しておけば、一方的な展開にならずに済むものを。6回に入ると、リリーフの豊田が縦に大きく割れるカーブで日本ハム打者を翻弄。三者連続三振。六回裏からは日本ハムは継投策に転じる。建山にラミレス、亀井、谷が自分のバッティングをさせて貰えない。体勢を崩されて凡打。7回には、田中が一塁線を抜く当たりが何と3塁打に!次の森本がきっちりスクイズを決め、6点目が入りダメ押し(6-1)。巨人のラッキー7は、先頭の阿部がまたまたノーアウトから右中間へのヒットで出塁。ここでも日本ハムの守備力が物を言う。稲葉が回り込み、単打で止める。木村がさっぱりで三振でチャンスを潰す。すると流れはまた日本ハムへ。今シリーズのラッキーボーイになりつつある小谷野が勝負強さを見せつける。レフト前ヒットで2人を還す。これでダメ押しのダメ押し。これで勝負あり。完全に息の根を止められた。巨人の投手は火の車で抑えが利かない。8回裏、一死一二塁から不調のラミレスに待望の3ランホームランが飛び出(8-4)し、反撃を試みるが、時すでに遅し。続く、一二塁の好機に凡退。9回は日本ハムの守護神・武田久がマウンドへ。ランナーを出すものの、最後はまたしても稲葉の好返球で小笠原が二塁ベース上でタッチアウトでゲームセット。日本ハムが一枚も二枚も上手で、一つ一つのプレーにそつがない。力の差をまざまざと見せつけた試合となった。巨人は、自分たちの野球をさせて貰えなかった。打線のつながりが悪過ぎ。ちぐはぐだった。もっと個人個人の果たすべき役割を認識すべきだろう。バントで確実に送るとか、中継プレーを再確認するとか、もっと基本に忠実にならないと、このシリーズやられると思う。これで星勘定は2勝2敗のタイになったが、今日の敗戦は痛すぎる。明日は久保か東野を担ぐことになるが、これで札幌に戻ることになった。ということは第7戦まで縺れれば間違い無くダルビッシュの再登板があるだろう。今日の完敗でどうやら日本ハムがこのシリーズを制する可能性がぐっと高くなった気がする。巨人は個人の力は卓越しているが、チーム力となると1番から9番まで役割がしっかりしている日本ハムの方が分がある。俊足巧打の一番・田中の存在は何より大きいし、勝負強さと堅守で度重なるピンチを救ってきた小谷野のMVPも決して夢物語ではないかもしれない。林・二岡の貢献度も大である。超重量打線を抱えていても、所詮打線はやはり水もので、好投手の前では手も足も出ない。4戦目を終えた段階で予想を覆すのは早計かもしれないが、このシリーズ、前半の戦い方を通して、日本ハムの良い面ばかりが目立ってしまい、実力の差は拮抗どころか完全に日本ハムが上回っている。したがってこの流れに乗った日本ハムが4勝3敗で優勝を果たすような気がして来た。明日からの巻き返しに期待しよう。

 

2009年10月15日 (木)

自動車業界の光と影

1964年、東京オリンピックがアジアで初めて開催された。第二次大戦終結から19年後、日本がようやく敗戦のショックから立ち直り、名実ともに復興を果たし、国際社会への復帰を成し遂げた瞬間だった。その東京五輪の前後、日本は朝鮮戦争の特需以来の好景気に沸く。1955年から約2年間続いた神武景気、1958年から3年ほど続く岩戸景気、そしてこのオリンピック景気、成功裏に終わった後も1966年から5年ほど続いたいざなぎ景気というように、オリンピック開催が決定となった後から首都圏を中心にインフラ整備が進んだ。特に「夢の超特急ひかり号」として期待が大きかった東海道新幹線(東京~新大阪)や突貫工事で行われた首都高速道路が次々竣工となり、高速交通網が着々完成し、今から想像するに、当時の人々は夢と希望に満ち溢れた、或る意味、古き佳き時代だったと言えるだろう。

この東京オリンピックを契機とした一連の好景気を総称して高度経済成長期(1955~1973)と呼ぶが、内需拡大に伴いGNPが増大し、庶民の懐具合も潤い、個人所得も大幅に向上した。人々の暮らし向きが良くなり、いわゆる家電の三種の神器(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)が世間に普及するようになったのもこの頃だ。その時代の繁栄を支えていたのが、鉄鋼業(新日鉄・日本鋼管・川崎製鉄)や機械工業、重工業、さらには石炭産業から移行した石油化学工業だった。初期の頃は公害問題が深刻化するという負の遺産もあったものの、国民は一様に伸びゆく「日本の未来」に多くの夢を馳せ、地方からは出稼ぎ労働者や集団就職による若い労働力が都会に流入し、それはそれは活力に満ち溢れていた。

その後、産業界も貿易黒字を溜め込み、外貨を獲得するようになると、経済的にも国際社会の中で中心的な役割を担うまでとなり、やがて先進国の仲間入りを果たすことになる。その産業界をリードしたのが、紛れもなく自動車産業だった。そして1960年代には、三種の神器を引き継いだ3C(カラーテレビ・クーラー・カー)が時代の寵児としてもてはやされるようになった。その頃にこの自動車産業の繁栄ぶりを示す格好の歌が登場した。それは小林旭の「自動車ショー歌」である。車名を唄の歌詞にコミカルに盛り込んだ曲で、一度は耳にしたことがあるだろう。やがて1970年代に入り、「日本列島改造論」を引っ提げて田中角栄が首相に就任。全国的に高速道路や新幹線が整備され、ますます自家用車の需要が増え、それと同時に車の利便性が高く評価されるようになり、もはや車は一家に一台の時代となった。このことは、同時にいわゆるマイカーの時代が到来したことを意味していた。そこで今回は、これまで日本の経済界、産業界をリードしてきた国産の自家用自動車に限定し、市場の移り変わり(変遷)と販売事情に関してさまざまなアングルから各項目に分けて考察していきたいと思う。

まず、60年代から70年代にかけては、自動車業界は時代のニーズに合わせた車づくりを目指していた。普通乗用車の生産はトヨタと日産自動車、三菱自動車の三社が担い、ホンダ、スズキなどは二輪と軽四輪というように政府が過当競争で共倒れにならないよう保護的な枠組みや線引きを行っていた。特にその時代は、デザインや形状をとことん追求し、若者にターゲットを絞ったスポーツカー部門とあくまで実用性や利便性を重視し、実社会への普及を目指した一般ユーザー向けのファミリー部門車というように両極端だった。今から思うと、もはや死語となり、懐かしい響きすら感じるスポーツカーは、当時若者の夢であり、「憧れの車」というコンセプトから開発された。特長としては空気抵抗を極力抑えた流線型で、2枚ドアのクーペ。代表的な車は、コスモスポーツ、フェアレディZ、トヨタ2000GT、マツダRX-7、いすゞ117クーペ、そしてスカイライン。80年代に入り、本田宗一郎の念願が叶い、基本的に自動車製造の寡占製造が廃止、排気量による製造制限も撤廃となり、どのメーカーでも自動車の製造に関しては原則自由化されたのを機に、開発競争が一気に激化。ホンダがスポーツ性能重視のCR-X、大衆向けのインテグラ、国産最高峰のNSXというスポーツカーを発売すれば、トヨタも無改造でそのままサーキットを攻められそうな走行性能やレスポンスを重視したMR2、ハイラグジュアリーなセンスとスタイリッシュさで若者に絶大な人気を誇ったソアラ、初のリトラクタブルライト搭載のセリカXX(その後はスープラに移行)、映画で取り上げられスキーにも引っ張りだことなったセリカGTFOUR、軽くて峠道をドリフト走行も可能な懸架方式(FR)で、今も中古車市場では高値で取引されているカローラレビン、その姉妹車のスプリンタートレノを次々販売した。そして更に、一時期ではあるが安上がりで軽量化に踏み切ったサイノスやカレンも開発され、販売台数を伸ばした。また日産は、完全に若者ユーザーにターゲットを絞ったエアフォース・シルビア、その姉妹車で、丸みを帯びたボディーが印象的な180SXが爆発的に売れた。町でシルビアを見ない日はなかった。セフィーロもまた2枚ドアのクーペだった。そしてトップクラスの加速性能や0→400m(ゼロヨン)では他の追随を許さない夢のスポーツカーが今もバリバリ現役のスカイラインGT-Rだった。また、レパードはソアラの対抗馬だった。一方、三菱はあくまで独自路線を貫き、ランサーを一般大衆向けのクーペとして開発。その後ハイクオリティのレース仕様車として市場に投入したレボリューションは根強い人気を誇っている。また、インプレッサも手頃なスポーツカーとして人気がある。スタリオンも他社にはない奇抜なモデルだった。そして満を持して登場したのが次世代4WDスポーツのGTOだった。同グレードの最高峰、日産スカイラインを異常なまでにライバル視しかつ意識したこの車は、コンセプトから価格帯までもが酷似していた。その後FTOも発売された。

またファミリー部門では、大衆向けの4枚ドアのセダンが普及した。一番売れたのはトヨタカローラ(セレス)である。その兄弟車のスプリンター(マリノ)も市場を席巻した。カリーナやコロナ、プレミオも大衆車の最たる車。広島に本拠地を置くマツダはファミリアやペルソナ、三菱はミラージュとギャラン、ホンダはアコードやアスコットがそのクラス。日産はサニーがカローラの好敵手としてこのグレードの市場を独占した。ブルーバード(ARXを含む)やパルサーもまた街角でよく見かけた。その後、プリメーラやプレセアもファミリーには人気が高いセダンとなった。スバルはレオーネを販売していた。マツダは大衆車カペラやクロノスが売れ筋だった。この頃は女性や大衆向けの取り回しが楽なコンパクトカー部門にもメーカー各社は新車を導入し、販売台数は急激に伸びた。その旗手としてチョイ乗りや街乗りに最適なホンダのシティやシビックが爆発的に売れ、ハッチバック式の車も登場し始めた。後にSM-Xがバカ売れし、最近はフィットが好調に売れている。また、可愛いスタイルから女性の人気を独り占めにした日産マーチ、独特なスタイルが若い世代に受けたBe-1、パオ、フィガロ、商用としての使い勝手のいいカタツムリ型のエスカルゴもよく売れた。トヨタは、それまで高級志向が強かったが、他社に押され、かっとびスターレットを始め、コルサやターセルという低価格な大衆車も世に送った。最近ではVitzが好調のようだ。一方マツダはデミオが主軸でダイハツはシャレードだった。

80年代半ばには、セカンドカーとしての位置づけや奥さまや初心者の女性にターゲットを絞った軽乗用車が多くなった。ダイハツミラ、ムーブ、スズキアルト、ワゴンR、三菱ミニカ・トッポ、ホンダトゥディが挙げられる。マツダAZワゴン、若い女性の圧倒的支持を取り付けたピンク色のキャロルなどが台頭した。スバルはヴィヴィオやプレオで対抗した。

その後80年代後半のバブル期には、経済的にゆとりができたユーザーがこぞって購入した高級車がもてはやされた。いつかはクラウンを筆頭に、高級志向のセルシオ、政治家やヤクザ御用達のセンチュリー、サラリーマンにも手が届くマークⅡ、チェイサー、クレスタ3兄弟、プロミネント、カムリ、ビスタ、ウィンダム、アリストなど。日産はシーマを頂点にプレジデント、クラウンとライバルのセドリック、グロリア、マークⅡクラスのライバルのローレルがもてはやされた。ホンダはレジェンドに加え、アコードからのハイコンセプトとして開発されたインスパイヤーやビガーが飛ぶように売れた。スバルはレガシーを切り札として発表し、三菱は「あの車とは違う」というキャッチフレーズでBMWの真似ごとではないことを懸命に訴えた、ガチでクリソツのディアマンテがかなり人気を集めた。デボネアは年配ドライバー向き。

この頃はメーカーにも余力があり、次々と個性的な車を発表した。当時オープンカーの代名詞となったマツダ(ユーノス)ロードスターは物珍しさと希少価値とがあいまって一時期、爆発的ヒットとなった。また、軽ながら独自路線のオープンカー、ホンダビートやスズキのコンパーチブルカー・カプチーノもまた、ユーザーのハートをがっちりと掴んだ。トヨタは日本車初のガルウィングドアを採用したセラを発売して話題を呼んだ。ダイハツはコペンを発売し、女性ユーザーが飛びついた。

90年代に入るとバブル崩壊が自動車業界にも深く影を落とし、高級志向にも翳りが見え始めた。ところが、若い世代を中心に新たなジャンルが脚光を浴びることになる。それはクロカンブームである。4WDで雪道に強いRV車とかSUVと言われた車たちである。空前のスキーブームが起こり、それが後押ししたことは言うまでもないが、この手の車は車重があり、場所を取るとか小回りが利かないなどの短所もあったが、スパイクタイヤが粉塵問題により緊急自動車を除くすべての車での使用が禁止となり、スタッドレスでは心もとないユーザーにとっては冬の雪道では心強く頼りになった。代表的なのは火付け役になった三菱パジェロで、その後Jr.やミニまで出した。陸上自衛隊を彷彿させるJEEPもまた根強い人気があったし、新規開発のRVRは、小回りが利いて新境地を開くまさにレクレーショナルビークルだった。現在は、アウトランダーが大人気である。トヨタはクロカンRVの代名詞として一時代を築いたハイラックスサーフ、ランドクルーザー、プラドなど大型化し、リフトアップ車まで世に出回った。その後、高級志向のハリアー、軽快なRAV4、最近ではクルーガ―なども大ヒットとなった。日産と言えばミスターRVのテラノが売れに売れた。大型ではランクルーに対抗してサファリ、面白い位置づけでは荷台が外にあるダットサントラック、現在はその火を消さないようにエクストレイルが引き継いでいる。ラシーンも独自路線を行くユニークカーだった。また、いすゞ自動車はビッグホーンやコンパクトなのに横幅があるミュー、ビークロスもまた面白いユニークな趣向の車だった。ホンダはCR-VRAV4の対抗馬としてぶつけた。また、HR-VというGoodデザイン車も登場した。マツダはこの分野への進出は出遅れたものの、後にトリビュートで巻き返しを図った。スズキはスポーツメーカーやファッションメーカーとのタイアップで限定車を多く発売したが、その代表格はエスクードだった。更に軽のクロカンは当時斬新だったジムニーも売れた。スバルは最近フォレスターが市場に出回っている。しかし、繁栄を極めたRVもスキーブームが下火になるにつれ、大型車だけに、特に燃費が悪く、街乗りでは使い勝手が悪いこともあり、徐々に姿を消した。

また、この時期はRVに近い存在で、荷物スペースが広く取れるステーションワゴンが流行った。その代表格は、スバル重工のレガシーのステーションワゴンだった。そしてトヨタは、コロナのバンとカリーナをベースに改良を施したカルディナが町を闊歩した。ビスタは生き残りをかけてアルデオを発売した。ホンダはアコードワゴンが相当数世に出回っていた。日産はアベニールを皮切りにやがて新しく開発されたステージアが現存している。三菱はリベロやハイラグジュアリーなレグナムが流行った。

やがて2000年を迎えると、ワゴン車やミニバンが脚光を浴びることになった。これは若い世代の車離れや少子化により、スポーティーな車の需要が見込めなくなったメーカーが、かつて車の虜となり、相当のめり込んだユーザー達が家族を持ち、通勤にも使え、家族揃ってのお出かけやレジャーにも使えるというコンセプトから誕生したジャンルである。ワゴン車では、昔から箱形のハイエースはあったが、どちらかというと商用車のイメージが強かった。それをオシャレに改善し、内装もハイソサエティ化し、8人乗りの定員を確保し、シートアレンジにも気を配った。そしてラゲージスペースにも配慮した。代表作はトヨタのライトエースとタウンエースの姉妹車。それがやがて爆発的ヒットとなるエスティマへと引き継がれた。その後、高級車レジアスやアルファード(ベルファイヤー)も重用された。また、この分野でおそらく旗振り役をしたのは三菱自動車で、80~90年代にデリカ(スペースギア)がバカ売れした。日産はキャラバンから始まり、ホーミーやラルゴを始めとして、高級志向でトヨタアルファードのライバル車としてエルグランドを発表した。マツダは独自路線で、キャンピングカー的な発想から屋根にテントが備え付けのボンゴフレンディが売れた。ホンダは、クリアランスが広く取れるステップワゴンを皮切りに、最近になって高級志向のエリシオンを発売し、市場に殴り込みをかけた。

次に、やや大型のワゴンから派生した車で、現在も大ブームとなっているのがミニバンというジャンルだろう。その火付け役がトヨタのイプサムとホンダのオデッセイだ。6~7人乗りのコンパクトサイズが売りだった。その後トヨタは二番煎じを狙い、グランビア、ノア・VOXY、両面ドア開きのラウムやスパシオ、ガイア、ナディア、アイシス、ウィッシュなどを次々世に送った。日産は、ウィングロードやセレナ、リバティ、プレーリー、ハイウェイスター、パルサージュで対抗。マツダはプレマシーとその進化型のMPV、三菱はディオンを皮切りにグランディスが飛ぶように売れた。

このように時代時代で流行り廃りを繰り返し、車でその時代や世相を語ることができるまでになった。残念だが、かつては一世を風靡しながら今はもう製造中止や廃車となった車も決して少なくない。

さて、次の話題は、車の名前に纏わることである。車が爆発的に売れた80年代バブルの絶頂期に、共通項となりえるような不思議な法則があった。それは、車の名前には頭文字のアルファベットがSかCで始まるものが圧倒的に多く、次いでMとL、そしてTとPの順だった。ここではその例を紹介したい。メーカーや車種など順不同だが、まずSとC。セルシオ・クラウン・コロナ・カローラ・スプリンター・スターレット・サイノス・クレスタ・チェイサー・セリカ・ソアラ・カムリ・カリーナ・セラ・センチュリー・カルディナ・カレン・セレス・スープラ・コルサ・スパシオ・シーマ・シルビア・サニー・スカイライン・セドリック・セフィーロ・セレナ・サファリ・キャラバン・センティア・シティ・シビック・CR-X・CRV・ステップワゴン・ストリーム・SM-X・カプチーノ・クロノス・コルト・ステージア・スタリオンなど。MはMPV・ムラーノ・ミュー・MR2・マリノ・ミラ・ミニカ・ムーブ・マーチ、Lはレガシー・レオーネ・ローレル・ランサー・レジェンド・レビン・リバティ・ルネッサ・ルキノ・リベロ、Tはタウンエース・トルネオ・トゥディ・ターセル・テラノ・ティーダ・ティアラ・トレノ、Pはパジェロ(Jr.ミニを含む)・プレセア・プラド・プレリュード・プリメーラ・パルサー・ペルソナなど。こう考えると数ある車名には、語呂が良いものや響きの良いカタカナを組み合わせたものが使われ、どうしてもサ行やカ行それにタ行が多くなる傾向にあるようだ。

次に、一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだった三菱自動車について語ってみたい。バブル景気に沸く80年代は、三菱自動車が繁栄の時代を築いていた。元々パジェロというエース格の実績はあったが、スキーブームで更に多人数でも対応可能なデリカ(スペースギア)を発売し、ブームに完全に乗っかった。次にセダンタイプでは、昔から大衆車として販売実績が高かったギャランを時代受けするように改良を加えたVR4が売れ、次いで一世を風靡したのがBMWに外観が酷似したディアマンテ。これはCMもすごかったが、高級感があった。また、RVブームにも後れを取らず、コンパクトカーながら個性的なRVRを発売するとこれも狙い通り当たり、その後スポーツカーの分野に挑戦したGTOも価格帯は割高だったが、デザイン、4WD,リトラクタブルライト採用で若者のハートを鷲掴みにした。次に市場に投入したのはファミリーに的を絞ったRV系のミニバンのグランディスである。フロントマスクやハッチバックデザインも受け、シートアレンジ次第でラゲージスペースも広くとれる7人乗りタイプで、アウトドアや街乗りにも対応可能な人気車となった。更に攻勢はまだまだ続いた。パジェロはリセールバリューこそ高いが、元々の価格設定がかなり高いので、また車体が重く、目線が高いため取り回しが難しいことから、かなり割安で女性にもターゲットを置いたJr.や軽のミニを追加設定した。これらが発売されるや否や一気に人気爆発し、入庫半年待ちの大人気となった。さらにスポーツカーとして一番の古株だったランサーを大胆にチェンジし、レボリューションとして見事再生させた。まさにこの当時の三菱には勢いがあった。2台に一台とまで言われたトヨタをいずれは越えるのではないかとまで囁かれた。しかし、パジェロのリコール隠しが発覚すると、次々ユーザーの不満や対処の悪さが露呈。まるで夢物語だったかのように一気に社会的信用を失墜した。傲慢さと足元を見ることを怠ったことがこのような非常事態や失態を招いたと言って過言ではない。

これまで自動車産業の光と影を見てきたが、最後に総括した上で、なおかつ今後の展望を語って結びとしたい。現在、自動車業界は危機的状況といって良い。長引く不況からなかなか抜け出せない。貿易では円高が80円台まで進んだため、肝心の自動車の輸出が頭打ち。外貨を獲得できない。自動車の下請けだった零細企業は、車の受注の減少に伴い、運転資金が底を打ち、従業員に給料も払えず、解雇や就労時間を減らす始末。かつての地方にあった部品製造などを賄う大きな工場も統合や閉鎖が相次いだ。また、労働力の面でも賃金の安い外国へ工場を移転するなど、日本経済にとってはマイナス材料ばかりが目立ち、負の連鎖が続いている。また、社会全体も二重構造により、貧富の格差がますます広がり、歪やしわ寄せが大きくなり、庶民の財布のひもはますます固くなっている。更に輪をかけて少子高齢化により、若者の車離れも深刻化している。車は贅沢品という固定観念からか、以前から課税割合が高い。主だったものを挙げると、自動車を買う時に課税される取得税や重量税、車検の際にも重量税がかかる。排気量に応じて毎年課税徴収される自動車税、更には自賠責保険、任意保険、2年に一度(新車は3年に一度)車検にも出す。また、リサイクル法によって一律1.5万円を徴収。また、維持費も馬鹿にならない。200万円の新車を購入すれば、諸経費で乗り出すまでには240万円にもなるが、毎月のガソリン代やタイヤ代、オイル交換に修理代などを含めれば相当な出費を強いられるのだ。車を持てば金が湯水のごとく出て行く金食い虫でしかなくなったのだ。現在の雇用状況も考えれば、とても車など持てない時代なのだ。よく俗世間的に「車は時代を映す鏡だ」と言われる。まさしく今の世相を反映している。ようやく最近、政府もトヨタを始めとする自動車産業が活気を取り戻さないと日本経済の浮揚はないということを悟り、ETCの高速道路1,000円措置やエコカー特別減税で窮地を脱しようとする試みは見られる。またメーカー側も敢えて子ども店長を担いで懸命に減税を訴え、PRに躍起となっている。しかし、毎回、満員大入り大盛況となっていた新車や未来の車のコンセプトのバロメーターとなり、先行きを占う意味で開催される「東京モーターショー」も年々出品車の数や参加メーカーの数が激減。こういうところにも自動車業界の衰退ぶりがあからさまに如実に見てとれる。 

では今後はどうなるのだろうか?21世紀に入って10年近くが過ぎた。子どもの頃は、この時代には車は空を飛んでいると考えられていた。ところが、未だ交通戦争と呼ばれるほど交通事故は頻繁に起きるし、犠牲となる死者も後を絶たない。更にはNOXガスの放出で地球温暖化という招かれざる副産物まで生んでいる。そこで今秋、政権交代が実現して民主党政権が発足し、鳩山首相が真っ先に全世界に発信したことは、日本が地球温暖化の防止策として二酸化炭素の放出を25%削減すると訴えたことだ。一見して実現不可能な高水準の目標のブチかましに、さぞかし自動車業界は戦々恐々したことだろう。これは更なるエネルギー革命をも意味する。現在環境に優しいエコカーの開発は、プリウスに代表されるようなガソリンと電気モーターの組み合わせによるハイブリッドが主流。これをさらに研究開発を重ね、これを更に発展させた車が登場するだろう。たとえば電気自動車の低価格化による普及を図ったり、水しか出ない水素エンジンを主体とした車の実用化を図ることなどが挙げられる。実際、現在の価格はかなり高いが、電気自動車は一部で実用化されている。科学テクノロジーを始めとした産業技術は日進月歩だが、今後、さまざまな面でコストを下げる試みや解決に取り組まなければならない課題が山積している。植物から抽出するバイオエタノールを燃料とする開発、燃料電池の効率化、1回の充電で走れる距離の延伸、充電時間の短縮、充電できる施設の拡充などの問題をひとつひとつクリアーしていく必要がある。

1964年生まれの私にとっては、日本の自動車産業の反映と衰退、光と影をつぶさに見てきた訳で、これから先、日本の行く末を左右する自動車に新たな革命が起きてほしいと願う。かつて戦後のどん底から這い上がって、見事に復興を果たした先人たちの知恵と勇気、そして日本人が元来が持ち合わせている不屈の精神力、そして高い技術力を駆使し、自動車産業の息を吹き返して貰いたいと切に願うものである。そこには発想の転換も必要だろうし、新たな取り組みや新素材の開発も必要になるだろう。官民一体となって、この不況から脱する糸口を見出していければ何とかなるだろうと考えている。そして、かつて子どもの頃、マイカーを持つことが夢だった時代のようにいつまでも自動車が私たちの心ときめかせてくれる存在であってほしいと思っている。

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