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郡山の話題

2018年2月19日 (月)

郷土愛ソング 「好きです こおりやま」

 私の「郡山熱」は相当だと自負しているが、この動画にはしてやられたし、正直参った。私の上手を行く人がまだまだいるようだ。それは自らが作詞作曲して「郡山愛」を表現している方が、ここ郡山にいたということが何より嬉しい。
 我が街「郡山」には「郡山市民の歌」という少年時代から歌い継がれている愛すべきシンボル歌があるのだが、世間体にはイマイチ認知度が低いし、あまり歌う機会がないのが現状だ。
 しかし、私は個人で作られたこんなオリジナル歌があることなど全く知らなかった。誰が何の目的で動画サイトにアップしたかは不明だが、何か郡山市民の心にグイグイ入って来る。ではさっそくお聞きください。

 「Youtube」のこの動画の説明によれば、下記のような記載がある。

福島県郡山イメージソング「好きです こおりやま」。作詞 / 三田公美子 作曲 / 本名康友 唄 / 本名康友。
 誰だ?本名さんって?気になって調べて見たら、どうやら郡山市内でデザイン関係を手掛ける会社「本名企劃事務所」の代表の方だと判明した。

 ご本人のHPはコチラ http://www.honna.com/

 懐かしい70年代フォークを思い起こさせるアコースティックギターの曲調、松山千春を意識したかのような歌い方、加山雄三じみたくさいセリフ回し。でもどこか郷愁を誘う。
 でもこの曲は、郡山市民が歌うというよりも、個人の想い出話を歌にしたという類のものであることが判明。
 どことなく懐かしい曲調に歌唱法。私が中学生時代に流行ったような歌に郷愁を感じた。
 
 このお方はこの曲だけでなく、安達太良高原・岳温泉・ニコニコ共和国イメージソング「また会おう」なども動画サイトにアップされている。

 では最後に、郡山市の広報無線で正午に流れる正真正銘、郡山のシンボル歌「郡山市民の歌」をどうぞ!

 広報はコチラ

 ちなみに朝7時は「野ばら」、夕方6時は「夕焼け小焼け」が流れている。

 

 記事作成:2月12日(月)

 

2018年2月16日 (金)

昔の郡山を知る映像集

 最近、「郡山の昔話」の記事を複数書いたが、映像で懐かしむことは出来るかと思い、本日、その貴重なものを蔵出ししたい。

 1 郡山機関区の白黒映像

 

 1958年(昭和33年)郡山機関区と磐越東線でロケが行われました。私が生まれる6年前の白黒フィルム映像だ。当時のSLの運転や街並みから当時の時代背景が偲ばれる。

 2 D51498号の復活運転に思いを込めて

 去る昭和43年郡山地区からSLが消え23年を経過した 平成2年、磐越西線復活に思いを寄せた時代、今は亡き旧友の柳沼さんはじめ渡辺さんたちの苦労が改めて思い出される画像です。
 私が好きだったKFBの羽藤淳子アナのリポート。土曜日の朝に放送していた「あいうえお天気目玉焼きLサイズ」を毎週見ていたし、ニュースキャスターに転身した後も、福島Jチャンネルを見ていた。確か実家は久留米にあったが、結婚されて他県へと嫁いでしまった。時々SNSに近況を報告している。

 3 磐光パラダイス火災

 昭和44年2月に発生した火災映像。福島県郡山市熱海の「磐光ホテル」から火を出し、瞬く間に燃え広がり、宿泊客ら30名が焼死した。
 当時、私は5歳で、夜に多くの消防署がけたたましくサイレンを鳴らしながらさくら通りを西に向かって列をなして走って行ったのを見た。

 4 東北のウィーン

 昭和37年12月の中日ニュースの映像。郡山市が中央の文化を取入れ、音楽による町づくりを進めていることを報道。これが今の合唱王国・郡山の礎となった。わざとボカシが入っているのが残念だ。

 記事作成:1月31日(水)

2018年2月14日 (水)

郡山の魅力再発見!53 ~郡山の地酒と酒蔵~

 我が福島県は毎年5月に開催される「全国新酒鑑評会」で、5年連続金賞獲得数日本一を記録するほどの酒どころとして有名だ。特に、米どころでもある会津地方の厳しい気候は、清冽な伏流水とあいまって酒づくりには格好の環境だ。
 そして、福島県の中央に位置する郡山市もまた有名ブランド「あさか舞」を始め、美味しい米の穫れる産地となっており、酒づくりに適した気候風土を備えた土地柄といえる。
 ゆえに「商都」として発展を続ける中核都市でありながら、ここ郡山には複数の酒蔵が点在する。今日は、それらの酒蔵とその代表銘柄を紹介したい。

 笹の川酒造

Sasanokawa_2 宝永7年(1710)創業の老舗で、郡山の酒蔵としては最も大きい。市内南部の安積町笹川地区の阿武隈川沿いにある。所在地からネーミングした「笹の川」が主力商品となっている。他にも「ほろ酔い」や「すべて山田錦」など個性ある酒づくりを展開している。
 私の中では、会津の「花春」、「栄川」と並ぶ三大酒造メーカーという印象が濃い。
                                                      
 また、「笹の川酒造」では、結婚式など何かの記念日に使える、自分だけのオリジナルラベル入りの日本酒も作れるから嬉しい。
 この「笹の川酒造」は、日本酒だけでなく合成酒、甲類焼酎、乙類焼酎、ウイスキー、スピッツ、リキュールなどを製造している会社だ。
 銘酒「笹の川」は、平成23酒造年度、平成26酒造年度で「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞している。
Sasanokawa_2

 大吟醸原酒「袋吊り」 6,480円
 特撰純米 「笹の川」 3,240円
 「すべて山田錦」 2,376円
 純米吟醸「桃華」(500ml) 1,234円  

 蔵元のHPはコチラ http://www.sasanokawa.co.jp/

 

 若関酒造

Wakazeki 郡山の市街地から南の方に行くと、「久留米」や「山崎」という地名があり、近くにはバードウォッチングや桜の名所として知られる「五百渕」という広大な公園が鎮座する。その池の南側にあるのが「若関酒造」だ。
 
 文久年間創業の老舗で、昭和36年に福島県中通りの歴史ある 蔵元3社が瓶詰め部門を協業化したことにより、現在の形態を設立されました。
 銘柄「若 関」は、いつまでも若々しく雄々しく酒造業界に躍進することを念願して命名されました。 平成14年の全国新酒鑑評会で入選した実績を持つ蔵元でもあります。阿武隈山系の 自然に恵まれた風土の蔵元では、じっくりと仕込んで酒造りを行っています。
 特に、「純米 大吟醸・さかみずき」は福島県が開発した「うつくしま夢酵母」を使用しており、香りの高いフルーティーな味に仕上がっており、kつてない芳醇さを醸しています。(郡山協同酒造組合のHPより抜粋)

Sakamizuki

 

 純米大吟醸「さかみずき」(720ml) 3,144円
 大吟醸「さかみずき」(720ml) 2,621円
 吟醸「さかみずき」(500ml) 1,519円

 

 なお、郡山市田村町谷田川地区に「たに川酒造」という蔵元があるが、ここは若関酒造の製造元と同一で、ここでも銘酒「さかみずき」を醸造している。

 

 有限会社佐藤酒造

Satosyuzou 郡山駅から北へ約1km、逢瀬川(旧名大重川)を渡り、磐越西線のガードを潜って100mほど北進すると、旧国道4号線沿いに歴史のありそうなレンガ造りの塀に囲まれた場所にたどり着く。そこに「佐藤酒造」はある。

 宝永7(1710)年創業当時は藤屋本店と称し、奥州街道筋に上質の井戸があり、藤の枝が豊かなるを見て、二本松藩主丹羽公より「藤乃井」の銘を授けられ、本日に至る。

 昨年、FTV「みんなのニュース」の「500mの小さな旅」というコーナーで、寺本緒万里アナが訪ね、そこから酒づくりのあらましをリポートした。 
                                
Fujinoi

 

 「藤乃井 大吟醸」 4,500円、5,000円
 「藤乃井 純米大吟醸」 4,500円
 「みちのくの地酒 純米酒」 1,450円  

 蔵元のHPはコチラ https://satoushuzouten.jp/product.html

 

 仁井田本家

Niidahonke_2 中心市街地から国道49号線をいわき方面に向かっていくと、田村地区に「大安場古墳」や「東山霊園」への入口がある。そこを左に折れ、巨大古墳を横目に通り過ぎ、霊園内を周回道路に沿って進み、事務所に行く道と分かれる十字路分岐に出る。そこを右折し、下り坂の途中、佐藤石材店の前の丁字路を左に入ると「仁井田本家」がある。 
 1711年の創業から300余年「酒は健康に良い飲み物でなければならない」という信条を代々受け継ぎ、日本で最初の自然酒を醸した仁井田本家は、自然米100%、純米100%、天然水100%、の酒造りをしています。 仁井田本家は日本の美しい田んぼを守る酒蔵でありたいと思っています。 (蔵元のHPより)
 歴史のある「金寶自然酒」、田村地区の特定特約店でしか販売していない幻の酒「田村」、そして主力である「穏(おだやか)」など充実したラインナップが目につく。この蔵は「全国新酒鑑評会」の金賞受賞の常連である。この10年間を見ただけでも「穏」は5回金賞に輝いた。

Odayaka
 「にいだしぜんしゅ純米吟醸」 3,240円
 「穏(おだやか)純米大吟醸」  5,940円
 「穏 純米吟醸」          3,024円
 「田村」               3,672円(特定特約店のみで販売)
 

 蔵元のHPはコチラ https://www.kinpou.co.jp/

 

 渡辺酒造本店

Watanabesyuzou 郡山の市街地北西に約10km、阿武隈川にかかる小和滝橋を渡り、剣道を三春方面に行くと、「木村公民館」の十字路にぶつかる。そこを左折し、農免道路の坂を上った道路沿いの左手(西側)にある。ただし、道路からは土手の上の奥にあることから、酒蔵自体は急坂を上らないと見えない。

 明治4年に地元向けの御神酒酒屋として創業し、これまでに全国新酒鑑評会で金賞を7回受賞、入賞2回した輝かしい受賞歴を誇る酒蔵。東北清酒鑑評会でも通算19回、福島県の金賞を24回(うち最高賞の県知事賞を6回)も獲得している実力のある蔵元。

 緑豊かな風土の中で、酒造好適米の生産に精力を注ぎ込み、地元産の酒米を自社田と契約農家で栽培している。その酒米の特性を活かしながら、高品質かつオリジナリティー溢れる大吟醸、吟醸、純米、本醸造を中心に醸造し、日本酒文化を伝承でき得る日本酒ワイナリーを目指しています。仕込み水には、あぶくま鍾乳洞由来のミネラルが溶け込んだ中硬水を使用。蔵人が一丸となって、しっかりとした味わいの中にやわらかさを持たせた日本酒造りに邁進している。オリジナルの「雪小町」は、北国の「雪」と美酒=美人の「小町」から命名し、東北・福島の美味しいお酒であるようにと祈りを込めた銘柄だ。

 私は2年ほど前、酒好きが興じてこの酒蔵を見学させていただいた。個人で飛び込みで行ったにもかかわらず、杜氏でもある気さくな社長さんが蔵内を隅々まで案内してくれて、酒づくりの行程をこと細かく説明してくれた。
 階段を上り、何と最上部から熟成段階の貯蔵タンクの中を覗き、ポツポツと泡を噴いているところまで見学させていただいた。温度管理が徹底されていて、愛飲家を唸らせる名酒というのは、細心まで気を配る地道、かつ酒を我が子同然に大切に扱う蔵元でしか造り出せないことを実感した。

Yukikomachi

 「雪小町 大吟醸蔵元入魂の雫」 11,880円

 「雪小町 純米大吟醸生原酒」    3,240円

 「雪小町 大吟醸美山錦造り」     3,240円

 「雪小町 純米大吟醸美山錦」    3,290円

 また、西田行政センターがある交差点の南東側の角に直系の販売所である「櫻家」という酒屋があり、そこで渡辺酒造本店の地酒を買い求めることが出来る。

 さて、私の酒好きは今に始まったことではないが、日本酒については知識が疎かった。それもそのはず、かつては二級酒、特級酒という区分だった。二級酒は醸造用アルコールをふんだんに入れてしまい、味わいを楽しめる代物ではなく、単に酔っ払うための酒という認識だった。アルコール臭が酷く、若い頃は好まなかった。
 しかし、政府が重い腰を上げ、日本の宝である清酒を擁護しようという動きが平成に入ってから急に加速した。分類も精米歩合によって本醸造、純米酒、純米吟醸、吟醸酒、大吟醸、純米大吟醸などに分かれ、日本酒度や酸度によって甘口、辛口、淡麗、芳醇に区分けされる。また、酒適合米(山田錦・美山錦・五百万石など)によっても味は異なるし、使用する酵母によっても味がガラリと変わる。実に奥が深い飲み物で、それだけ手間がかかっている。
 愛飲家は、自分好みの酒を自分の舌でじっくりと味わうことが可能となった。
                                                     
 私自身は20代は「イッキ!」が流行った頃で、ビールとカッコつけで飲んだウィスキーの水割りが主流。30代は焼酎、40代以降は日本酒に転換した。いくら日本酒が好きと言っても大量にがぶ飲みするほど愚かではない。本当に好きな酒をチビリチビリ、酒の肴と一緒にいただくことが何よりの楽しみになった。冬場は純米酒をぬる燗でいただくのが堪らない。

 こんな記事を書いていると、今宵も一杯飲みたくなってきた・・・。

 記事作成:2月1日(木)

2018年2月11日 (日)

郡山の魅力再発見!52 ~郡山三大○○~

 郷土愛から始めたこのシリーズ記事もあと書くのは数回限りだろう。4月下旬の閉鎖に向け、何を残し、何を削除するか迷っているが、旅行記、釣行記とこの「郡山」に関する記事は残す方向で考えたい。
 この記事はもう52回目だが、書いている私自身も気づかずに「へぇそうなんだ」と驚くことがある。それくらい我が街・郡山は知らないことだらけで奥が深い。だから「魅力再発見」なのだ。

 さて、今日のテーマはかつて「日本三大○○」という記事を書いたことがあったが、その地元版と言える内容だ。私が個人的興味と偏見で選んだ郡山に纏わる「三大○○」を列挙したい。

 1 郡山三大スィーツ ①薄皮饅頭 ②ままどおる ③ゆべし  檸檬やエキソンパイも

 2 三大老舗デパート ①うすい百貨店 ②丸光デパート ③津野デパート

 3 撤退した三大大型店 ①西友(西武) ②丸井 ③ダイエー(スーパー)

 4 撤退した三大家電量販店 ①いせや ②そうご電器 ③第一家電  電激倉庫も
   そうご電器はイオンフェスタ店の2Fには残ってはいるが・・・ 

 5 三大ホームセンター ①ダイユー8 ②カインズ ③ビバ

 ビバは安積町、横塚、喜久田にもあったが、今は桑野と針生にしかなくなった。
 ケイヨーD2やジョイフル山新もあるがそれぞれ1店舗しかない。

 6 今は無き三大ホームセンター ①ジャンボエンチョー ②カンセキ ③ユアファクトリー

 6 三大ディスカウント ①トライアル ②ドン・キホーテ ③THE BIG(スーパー)

 7 三大ドラッグストア ①ツルハ ②カワチ ③マツモトキヨシ

 8 三大パン店 ①大友パン ②ガトーナカヤ ③杜のくまさん(三春町)

 9 三大酒屋 ①伊勢屋(大島) ②鎌田屋(本町・安積) ③平野屋(清水台)

   日本酒では ①和泉屋 ②会津屋 ③寿屋酒店が品揃えNo.1だと思っている。

10 三大公園 ①開成山公園 ②平成こどもの森公園 ③逢瀬公園   

   歴史的には「麓山公園」も捨てがたい。五百渕や荒池公園、大槻公園も大きい

11 三大神社 ①開成山大神宮 ②安積国造神社 ③日吉神社

12 三大旅館 ①華ノ湯 ②四季彩一力 ③八景園

13 三大ホテル ①ハマツ ②郡山ビューホテル ③ダイワロイネット

14 都市型シティホテル ①東横イン ②ルートイン ③アパホテル

  他にもワシントンホテルやα1などもある

15 郡山本社の三大企業 ①ベニマル ②ゼビオグループ ③幸楽苑 

16 三大お気に入り神社 ①菅船神社 ②王宮伊豆神社 ③高屋敷稲荷神社

17 三大奇物 ①ペグマタイト岩脈 ②大安場古墳 ③浄土松公園きのこ岩

18 三大夜景 ①ビッグアイ24F ②あぶくま支援の下行合の坂 ③逢瀬公園展望台

19 ミステリースポット ①河鹿荘 ②磐光グランドホテル跡地 ③東山霊園

20 郡山三大温泉 ①磐梯熱海 ②采女温泉 ③休石温泉

21 三大レジャーランド ①カルチャーパーク ②ペップキッズ郡山 ③ラウンド1

22 今は無きレジャーランド
   ① 郡山レジャーセンター ②アミューズパーク ③磐光パラダイス
 
   社会保険事務所の北隣りにあった「巨大迷路」も今となっては懐かしい。

23 三大寺院 ①如宝寺 ② 善導寺 ③大慈寺

24 今は無き娯楽場 ①ミナミボウル ②郡山スケートセンター ③セントラルホール

25 震災崩落した三大建造物 

   ①かっぱ寿司長者店 ②ブックオフさくら通り店 ③きしもとのマンション 

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26 今は無きレンタル店 ①ビデオボーイ ②創夢館 ③ビデオフォーラム

   「見聞録」もあった

27 ブームが去って消えた店 
   ①KWAN(プールバー)  ②カラオケヒットスタジオ ③One Day (カラオケスナック)  

28 今は無きスポーツ店 ①アルペン ②ビクトリア ③村上スポーツ    

29 おしゃれ店 ①Bar Watanabe ②ラストワルツ ③カフェ・ド・カフェ

   カフェレストラン「四季」も素敵だ

30 今は無きおしゃれレストラン 

  ①飛行船(再オープン) ②ワンス・アポン・ナ・タイム・インアメリカ ③ぽえむハウス 

31 三大ファミレス ①デニーズ ②ロイヤルホスト ③ガスト

  「びっくりドンキー」や「まるまつ」もある。「半田屋」は郡山から撤退してしまった。

32 三大かくれ家的スポット ①緑水苑 ②21世紀記念公園内茶室 ③にしのみや

33 三大学びスポット ①開成館 ②郡山市立美術館 ③こおりやま文学の森資料館

34 三大ストア ①ブイチェーン ②シミズストア ③鎌倉屋

35 今は無きストア ①イゲタストア ②マルエー(虎丸) ③トキワスーパー

36 三大書店 ①岩瀬書店 ②ジュンク堂 ③みどり書房

37 三大総合病院 ①太田綜合 ②星総合 ③ 寿泉堂

   南東北病院も巨大病院だ

38 三大大学 ①日本大学工学部 ②郡山女子大学 ③奥羽大学(旧東北歯科大学)

39 三大団地 ①柴宮団地 ②日吉ヶ丘団地 ③希望ヶ丘団地

40 三大コンビニ ①セブンイレブン ②ファミリーマート ③ローソン

   いつの間にかハローショップとセーブオンは無くなってしまった

41 郡山三大工場 ①JR郡山総合車両センター ②日本全薬 ③保土ヶ谷化学

42 三大ノッポビル ①ビッグアイ ②D’グランフォートザ・タワー  ③寿泉堂病院

43 今は無き麓山憩いの場 ①遊園地 ②市民会館 ③児童文化会館

44 郡山を通る三大国道 ①4号線 ②49号線 ③288号線

45 三大幼稚園 ①ザベリオ学園 ②郡山女子大幼稚園 ③若竹保育園

46 三大公共建造物 ①ビッグアイ ②ビッグパレット ③開成山屋内水泳場

47 地元密着三大老舗企業 ①小田原屋 ②宝来屋 ③コマツ醤油屋

48 三大レアな店 ①メヒコ ②開成館 ③猛禽類カフェ ファルコン  

49 市民に愛された店 ①ひまわり(営業中) ②ピノキオ(閉店) ③樽川模型(移転)

50 三大蔵元 ①笹の川酒造 ②仁井田本家 ③渡辺酒造本店 

51 三大レアな遊び場スポット ①緑水苑 ②イワナの里 ③アルパカ牧場(②と同じ)

52 三大自慢 ①鯉の産地 ②合唱王国 ③安積疎水

53 三大有名人 ①西田敏行 ②市川昭介 ③湯浅譲二

54 三大プロチーム ①ファイヤーボンズ ②ホープス ③フリーブレイズ(八戸市)

55 三大功労者 ①大高善兵衛 ②太田緑子 ③関口富佐   丹治一郎も功績大

56 三大歴代市長 ①秀瀬日吉  ②和田潤 ③丹治盛重

57 三大ソウルフード ①酪王カフェオレ ②クリームボックス ③グリーンカレー

58 三大カジュアル店 ①Avail  ② gu  ③ユニクロ

59 三大衣料品店 ①しまむら ②サンキ ③シャンブル

60 花見スポット ①開成山 ②花木団地 ③藤田川

61 今は無き三大テイクアウト店 ①小僧寿し ②小銭寿司 ③ほっかほっか亭

62 今は無き三大名店 ①角海老(中町) ②女鳥羽そば(清水台) ③大野屋

63 三大和菓子処 ①愛宕屋 ②丹波屋 ③よしだや  (松風堂もあった)

64 三大殺人事件 ①広域118号 ②大久保川(未解決) ③町東看護師殺害

65 三大恐怖事件 ①大平町民家立て篭もり ②アーケード銃撃 ③集団暴行事件

66 三大歴史的建造物 ①公会堂 ② 安積歴史博物館 ③金透記念館  (開成館)

67 今は無き三大レア建造物 

   ①今泉学園五重塔(長者) ②飛行場(田村工業団地) ③巨大迷路(朝日)

68 三大タウン誌 ①こおりやま情報 ②街こおりやま(廃刊) ③リビング郡山

69 三大廃墟 ①太田記念病院(中町) ②寿泉堂病院(駅前) ③星総合病院(大町) 

70 三大危険個所 

   ①銚子ヶ滝(熊出没) ②東山霊園(フレコンバックだらけ) ③芳賀(冠水被害)

71 三大ミステリー ①郡山城の在り処 ②陣屋の在り処 ③咲田にあった屠殺場

72 三大好奇心 ①芭蕉が泊まった宿 ②静御前終焉の地 ③赤木遊郭

73 三大オブジェ 

   ①歩き出す街へ(清水台) ②駅前大通りの楽器のベンチ ③自由の女神(富久山)

74 虎丸のシンボルだった場所

   ①ベニマルさくら通り店 ②野替薬局ビル ③常盤湯(銭湯)  虎丸卓球場も

75 三大残念な店

   ①半田屋(閉店) ②まるまつ(営業時間が10時に変更 朝定食廃止) ③ビバ横塚

 記事作成:1月25日(木)~

2018年2月 3日 (土)

郡山の昔話(今は無き遊び場編)

 本日は昔話として「今は無き郡山の遊び場(プレイスポット)」を回顧したい。子どもの頃に私がよく遊んだ、懐かしい想い出がたくさん詰まった場所たちだ。

 「郡山レジャーセンター」

 昭和50年代まで、安積町の国道4号線に面し、現在は結婚式場がある辺りにあった遊園地。
 国道沿い側がガラス張りの建物で、世界中の国旗(万国旗)が張り巡らせてあった。中は南国を思わせる椰子の木などが置かれていたと思う。100円で動く遊具やゲームコーナーなどがあった。その建物の西側の奥が屋外遊園地と動物園で、回転飛行機やコーヒーカップ、園内を巡るミニSL、私は幼少の頃、3~4回訪れているのだが、あまりよく覚えていない。 
 私は怖くて近づけなかったが、ライオンなどの猛獣が檻に入っていた記憶がある。しかし、小学生の女の子が熊の檻に手を伸ばし、腕から下を噛みちぎられるというショッキングで痛ましい事故が起きた。

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 「磐光パラダイス」

 磐梯熱海駅の北側に広がる広大な敷地にかつてあった建物。隣りが「磐梯グランドホテル」だった。旧磐光ホテルは、昭和44年の2月の寒い夜に火災に遭い、宿泊客ら大勢の方が犠牲(使者30名)になった。その跡に再建された大型リゾートホテルだ。
 ホテルの西側に隣接していたのが「磐光パラダイス」だった。3階建てて、エスカレーターで上がると畳敷きの大宴会場になっていて、ここで売りの「金粉ショー」を始め、大物歌手などが興行で来ていろいろなショーやリサイタルを行った。周囲には2階席もあった。
 
 私はその頃、人気絶頂だった「フィンガー5」のショーを見た。その後を追いかけて、ゲーセンで遊ぶ玉元妙子を目の前で見たし、ホテルに忍び込み、探検していて、メンバー5人がエレベーターから出て来たところに出くわしたこともあった。確か1階はホテルと繋がる長い通路(廊下)があった。

 とにかく想い出深い場所だ。5~6回は遊びに行ったと思う。

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 ホテルの懐かしいCMはコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=VHavUr4hdfA

 火災のニュース映像はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=L6xM5Noeb5g

 磐光パラダイス関連の記事(本宮映画劇場さんのTwitter)はコチラ

 

 「郡山スケートセンター」

 昭和50年代に市民のオアシスとしてオープンした本格的な屋内リンク。それまではスケートと言えば、郡山駅前にあった狭い「中央スケートリンク」しかなかった。
 そこは阿武隈川沿いのR49の金屋橋の北側、東部幹線沿いにあった。確か二中の後輩にあたる本田武史の本拠地で練習場でもあった。
 その後、ここが潰れ、「アミューズパーク」として生まれ変わり、ゲームセンターと化した。ゴーカートのレーシングカート場になった時期もあった。また隣りには釣り堀やパターゴルフ場などが併設され、何度か遊びに行った記憶がある。

Amusepark

 「大島バッティングセンター」

 10年前くらいまで今のKFB(福島放送)の東隣りにあった。オートテニスや卓球場、ゲーセンも併設されていた。ここでバッティングの腕を磨いたし、スピードガンやソフトボールのマシンもあったと思う。よく姉とテニスをやりに行った記憶がある。
 昭和の時代、バッティングセンターは郡山市内のあちこちにあった。安積町の坪井病院近くの山にもあったし、本町の旧国道沿いにもあった。小学生の頃、よく遊びに行ったものだ。

 釣り堀(長者・菜根)

 郡山は海が無い。猪苗代湖へも自転車で行くのには遠く、小学生の頃は専ら近くの荒池や釣り堀で魚釣りをした。友人は雷魚を釣り上げ、芳山小学校のプールで放し飼いした。冬まで生きていたから、雷魚の生命力は凄まじかったことを覚えている。
 また、私が通った芳山小学校の北側には、小さな屋外釣り堀があった。ビニールハウスと併設されていたが、そこで初めて釣りをやった。鮒しかいなかったと思う。どぶ臭いにおいが周辺に漂っていたと思う。また、そのずっと後になるが、「ベニマル菜根店」の北側にあった室内釣り堀にも2回くらい遊びに行った記憶がある。

 「アミューズメントパーク」

 あさか野バイパス下に3年前まで営業していたが、急に閉店した。バッティングセンターやゲーセン、バスケットのフリースロー、ストラックアウト、チョーザメがいる室内釣り堀があった。採算が合わなくなってなのか、遊び場が減っていくのが残念でならない。

Superfishing

 「巨大迷路」

 平成2年~3年頃まであったと思うが、作られてから1年くらいで無くなった。男女七人秋物語で登場したように、バブル以降は、このような遊び場が多く建設された。場所は郡山市の「こおりやま会館」(今は「ニコニコこども館」)の北側の空き地。そこに東西に縦長で木製の巨大迷路が作られた。確か1回500円だった気がする。元カノと遊んだし、グループで遊びに行った記憶もある。ブームに乗って市街地のど真ん中に出来たが、客の入りはさほどではなく、1年も持たずに解体されたと記憶している。

 「開成山公園にあったジェットコースター」

 これは覚えている人は少ないかもしれないが、1972年頃、郡山の開成山周辺では人気版づを多数招いての「ワンステップフェスティバル」や子どもを楽しませるために「子ども祭り」のイベントが行われた。開成山公園をメイン会場に多くの遊園地が作られた。五十鈴湖では、軍艦のラジコンの競走があったり、のど自慢大会もあって、私も友達3人と「母に捧げるバラード」を歌った。しかし、いざステージに上がると、あまりにも聴衆の人が多く、足がすくみ、緊張であまり声が出なかった。
 また、今のバラ園の近くには大掛かりなジェットコースターが建造され、郡山初上陸のコースターに市民は大興奮で、観客は大いに楽しんだ。確か滝が流れていて、短いトンネルを潜る際、その滝の水が止まった。また、市役所側では、自衛隊のヘリコプターが市街地の上空を飛び回る遊覧飛行が出来た。

 「麓山公園」

 これは知る人は少ないだろう。私も知らない。たぶん70代以上の方しか体験していないだろう。麓山公園の敷地内に線路を張り、人を乗せて園内を走るミニ列車があったらしい。
 私はここは怖くて嫌な想い出しかない。探検ごっこをして慰霊塔の裏手の階段を下りたらドアがあって、鍵穴から中をのぞき込んだら、奥の棚に数多くの位牌が並んでいた。ぞっとした。おそらくは戦争で犠牲になった方の身元不明者や無縁仏の位牌を収めてあったのだ。ここで私は右足を5針縫う大けがを負ったが、その罰が当たったとしか思えない。そしてここの小高い丘にある神社がまた不気味で、ここで首吊りがあったとか物騒な噂が流れた。
 そして塾で一緒だった可愛い女の子と初デートをしようと、ここで待ち合わせをしたら、当時は携帯などない時代で、うっかり私が時間を間違えて会えなくなり、それ以来、疎遠になってしまった苦い想い出がある。どうやらこの公園は、私にとっては鬼門と言える。

Hayamapark

 麓山公園の紹介PVはコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=xRgdeu-jG4o

 「児童文化会館」

 現在の郡山中央図書館(麓山)がある場所は、児童文化会館があった。二階建てで、1階は学習体験のためのフロア、2階は展示やなぜかゲームがあった。ドライビングゲームは作りが雑で、それでも子供の頃は夢中になって遊んだ。宇宙をモチーフにした展示物などもあったと思う。天体望遠鏡もあったとは思うが、利用したためしがない。また、その建物は通路で別館に繋がっていて、確か工作室のような造りで、長机で粘土細工を作ったりした記憶がある。NHKの西隣りは現在は駐車場になっているが、ここに昔は郡山市民会館があった。のど自慢(ゲストに榊原郁恵)やスター誕生(ゲストは西城秀樹)、笑点の公開収録を見に行った記憶がある。 

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 訂正

 少年時代に何度も遊んだ「児童文化会館」の名称をド忘れしてしまい、思い出せずに3日間ずっと悩んでいたところ、少年ではなく「児童」であることを思い出させてくれるコメントをいただきました。ありがとうございます。訂正させて頂きます。

  「イオンフェスタ大観覧車」

 昨年、老朽化のために解体され、今は跡形もない。どこかで開催された「万博」の払い下げで、日和田の「ケーズデンキ郡山北店」の東側にどでかく聳え立っていた。郡山市内の夜景や安達太良山を一望できる絶好のロケーションだったが、ここは強風が吹き荒れる場所で、しばし営業停止になることが多かった。1回500円は高かったかもしれない。私は一度も乗ったことが無いが、新幹線からも見えたし、ビッグアイと同様、ラウンドマーク的な役割を担っていた。福島方面から車で走ると、これが見えると郡山に帰ったことを実感したものだった。

Ferris_wheel

 解体の様子を撮影した映像はコチラ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=89v6FyIeBZM

 さて、今思えば、無くなる前にたくさん写真を撮っておけばよかったのにと思う。学生時代からずっと想い出を刻んできた場所が無くなってしまうのは本当に惜しい。時が経てば、ここに何があったのかさえ忘れてしまいがちだ。郡山市はここ30年で劇的に変わったし、今でも発展を続ける都市だ。震災を契機に無くなってしまったものも多いが、新たに生まれ変わって新しい郡山のシンボルになっているものも多い。
 あと何年生きられるかわからないが、幼少期からの想い出と共に、郡山を愛し、過ごしていきたいと思う。ここは私のたったひとつの故郷なのだから。

 記事作成:1月30日(火)

 

2018年1月30日 (火)

郡山の昔話(映画館とデパート編)

  郡山に住んで半世紀近くが過ぎた。学区が芳山・二中という郡山の中心市街地に住み、町並みの移ろいや変わりようを間近で見てきた私だ。
 小学生の頃、郡山駅前や中町・大町周辺を遊び場にしていた私にとって、昔のことを話すのは実に容易いことだ。大学時代の4年間と初任の勤務先だった4年間のみ、郡山を離れたが、実家は市内中心部にあったため、私の中では半世紀以上、郡山にいたようなものだ。それくらい愛着を持っている。
 これまで何度も同じ類の記事を書いて来たが、今回も「郡山の昔話」をしたいと思う。本日のテーマは、「今は無き映画館」と、移り変わりが激しい「デパート」について語りたい。

 「今は無き映画館」

 昭和30年代頃から庶民の娯楽と言えば「映画」だった。テレビは一般家庭に普及しておらず、専ら映画館に足しげく通い、上原健や赤木圭一郎、石原裕次郎、加山雄三などの二枚目スター、女優でも美空ひばり、原節子、岡田嘉子、吉永早百合などの絶世の美女スターが銀幕を彩った。日活、東映、大映、東宝、松竹など多くの映画会社があったことでも時代背景を窺い知れるだろう。当時は映画館が庶民のよりどころであった。「喜びも悲しみも幾歳月」や「青い山脈」、森繁久弥の「社長シリーズ」「若大将シリーズ」、裕次郎の日活シリーズなどはドル箱だった。私は志村喬主演の「生きる」が好きだった。小津安二郎や今村昌平、黒澤明、山田洋次、市川崑、鈴木清順などの名監督の作品が大ヒットした。

 私が生まれた1964年は「東京オリンピック」が行われ、インフラ整備によって好景気に沸いていた。その後の高度経済成長と池田勇人首相の「所得倍増計画」によって世相的に勢いがあった。テレビが普及し、映画業界が廃れるという皮肉的な結果に終わったが、私が幼少の頃は、その名残で駅前を中心に多くの映画館が存在した。


 1 「東宝富士館」
 
 現在のアーケード内の富士館ビルにあった。郡山で一番大きかったと記憶している。隣りが「ワタナベスポーツ」(天井裏が倉庫で、ハシゴで商品を取り出す珍しい作り)で、そのまた隣りが郡山初の回転寿司の「元禄寿司」があった。店内は薄暗く、細長い形状で、カウンター席が周囲にあるこじんまりとした作りだった。
 私は「東宝」では親に連れられ、「怪獣シリーズ」を何度も見に行った。ゴジラ、モスラ、ガメラなどのシリーズ映画だ。

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 2 「郡山東映」
 
 略して「郡映」。確か堂前、今の文化センターの北側あたりにあった。ほったて小屋のような小劇場だった。入口が資材置き場みたいな造りで、オンボロ屋敷に入っていくような印象だった。そこで小6の頃に、友達4~5人で「キングコング」を見に行った記憶がある。もちろんカラー映像になってからの作品だ。そしてその帰り道、中華料理屋の「なるき」でタンメンを食うのが定石だった。

 「キングコング」の予告編はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=aanYNjjoCQo

 3 「東映パレス」

 こちらはあまり印象にないが、駅の目の前にあった。アーケード入口の北側あたりにあったと思うのだが、もしかすると記憶違いで、松竹があった現在吉野屋がある一帯のビルだったかもしれない。
 私は浪人時代、予備校をさぼって見に行ったのがミーハー極まりないが、当時流行った東宝の「たのきん映画」で、近藤真彦主演の「ハイティーンブギ」と「嵐を呼ぶ男」の二本立てだった。当時、マッチに似ていると言われ、有頂天になっていた私は、高校生に爆発的人気のあったその青春映画を見ておきたかった。リバイバル上映で、しかも平日の昼間だったので、客は3~4人しかいなかったと思う。

 「ハイティーン・ブギ」の名シーンはコチラ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=vDLc8qJQkUk

 また、同じ映画館で、元カノと「波の数だけ抱きしめて」という「ホイチョイプロ」制作の三部作(ほかの2作は「私をスキーに連れてって」「彼女が水着に着替えたら」)の青春ストーリーを見た記憶がある。

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 湘南を舞台に、大学生たちがひと夏、ミニFM曲を開局するという設定で、その中で叶わぬ恋を演出した。中山美穂、織田裕二、松下由樹、別所哲也らが出演した映画だった。

 「波の数だけ抱きしめて」の名シーンはコチラ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=Xt9pNnukcZc
  
 4 「スカラ座」

 よく覚えていないが、大町のアーケードを西側に抜けた四つ角にあった映画館だったと思う。その東向いが中学の同級生の肉屋だった。斜め向いには成人映画の殿堂の「大勝館」があった。今は、「テアトル5」になっているため、同じ映画館だけに昔の面影が若干残っている。割烹居酒屋「くし膳」の姉妹店である「まめ膳」がの隣りにある。残念ながら、私はここでは映画を見た記憶がない。

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 5 「郡山ピカデリー」

 郡山のさくら通り沿いの清水台。4号国道の西側に八幡坂があるが、安積国造神社まで登る手前にあった映画館。ちょっとわかりづらい場所にあり、階段で降りた地下にあった。映画館自体狭く、200席もなかったと思う。
 私はここで中1の頃、初公開となった「STAR WARS」の初回作品(現在はエピソード4)を見た。しかし、大人気作品だったため、立ち見で見た。その優れた映像技術は既知のものではなく、CG技術や大音量に圧倒された覚えがある。新しい映画制作の到来を肌で感じ取ったのは言うまでもない。

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 スターウォーズエピソード4の予告編はコチラ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=2TAEzknJ32c

 6 「大映パレス」

 駅前アーケード内の四つ角にトイスかんのがあるが。その北西隣りにあったのが「大映パレス」で、1階映画館、2階がサウナパレスになっていた。大勝館の北東側で、その角地(つまり大映パレスの南隣り)には精養軒という肉屋さんがあった。
 なお、「テアトル郡山」は「でこ屋敷」という居酒屋さんがある角をさらに北へ70~80mほど行った、今の「ワタナベスポーツ」の辺りにあった。中央スケートリンクがあったその斜め向かい側だ。

 詳しい地図は下をどうぞ!(クリックで拡大します)

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 このように昭和30~40年代は映画が隆盛し、それらを見るために人々は大挙して駅前に繰り出し、映画鑑賞の後で百貨店に立ち寄り買い物をしていた。だから駅前が賑やかで、消費活動も活発だった。駅前には多くの書店があった。東北書店・佐藤書店・叶屋書店・松文堂などだ。よく立ち読みして怒られたものだ。 古き佳き時代だったとつくづく思う。

 ちなみに「松竹」は駅前のアーケード入口から左側の吉野屋があるビル一帯にあったと思う。

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 「デパート(百貨店)」

 郡山の老舗百貨店と言えば、私が幼少の頃は3店しかなかった。アニメCMが一世を風靡した「うすい百貨店」、仙台が本店の「丸光」、そして呉服屋のイメージが強かった「津野デパート」だ。

 まず、「うすい」は中町の商店街通りを挟んで「第一うすい」と「第二うすい」に分かれていた。 「第二うすい」ではエレベーターが珍しい時代で、何度も乗って上下を繰り返した。制服を纏ったエレベーターガールもいた時代だ。私はここへは切手購入で訪れたものだ。そして親と買い物に訪れた際に、7階のレストランで「お子様ランチ」を食べるのが何よりの楽しみだった。また最上階が狭い空間だったが、ちょっとした遊具やゲーム機がおいてあって、そこで小銭を握り締めて遊んだ記憶がある。一度も見たことはなかったが、銀色の円形の構造物があった。もしかするとあれは天体望遠鏡を囲うドームだったと思う。

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 また、「うすい」の特設会場は、時々奇妙な展示を開催した。もっとも薄気味悪かったのは「世界の爬虫類展」だった。世界中から珍しい蛇やトカゲ、ワニなどを一堂に集め、展示する気色悪い内容の催しだった。

 一方、「第一うすい」の思い出は、何といっても昭和51年頃に屋上で開催された「スーパーカーフェア」だった。ガルウィングの「カウンタック」や「フェラーリ」など超絶スポーツカーが郡山にやって来たのだった。新聞やマスコミの過熱報道も手伝って、連日それを見たくて多くの買い物客が列を作った。「スーパーカー」フィーバーは凄まじく、ガチャガチャのカプセルの消しゴムになったこともあるくらい一大ブームが沸き起こった。「うすい」でも集客の目玉としてうすいの屋上に「スーパーカー」をクレーン車で吊り上げ、数台の超かっこいいマシンを並べて展示した。一説では搬入の際に、うっかり傷を入れてしまい、多額の賠償金を払ったという噂まで飛び交った。

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 「デパ地下」という言葉が後から流行したが、私はよく友達と食品売り場に行き、夕方の小腹が空いた時間に試食コーナーを回った記憶がある。また、おもちゃ売り場があって、そこで手当たり次第、置いてあるおもちゃを弄繰り回して遊んだことも覚えている。

 なんだか泣けてくる・・・デパートの最上階にあった食堂の思い出

 https://www.youtube.com/watch?v=BPZwzP3z6sI

 【昭和の思い出】昔のデパートは夢が詰まってたのに何でこんなつまんなくなっ
ちゃったんだろ?【懐古】
 
 https://www.youtube.com/watch?v=a847AACDB6o

 続いて「丸光デパート」。駅前のアーケードの入口角に7階建てでデーンと聳え立っていた。今も建物自体は残り、朝日生命ビルとなっている。駅前大通りの地下通路から地下1階に直結して店に入ることができた。その地下通路では、ストリートミュージシャンがギター一本で歌っていたし、たまにはシートを広げ、自作ネックレスやアクセを売る若い行商もいた。そしてアーケード南側の入口の角には、なぜか三万石が店を出していた。

 確か「丸光デパート」は、床が木目のタイル張りだったと思う。いつ訪れてもワックスの独特な臭いがした。各階ともに商品の割りにスペースが広く、ガランとした印象があった。ここでの思い出は、地下1Fの食品売り場で、友人と訪れ、格安の学生ラーメンを食たことが何度もあったし、6階のおもちゃ売り場、そして屋上の遊園地&ゲームコーナーは行きつけだった。
 屋上遊園地は私と同年代以上の方は特に懐かしいと思う。回転飛行機は徐々に高度
を増して廻旋速度も早くなるのだが、恐ろしいのは客が乗る飛行機型のキャビンがビルの外に出てしまうことだ。子どもながらに恐怖心を植え付けられた。初めて乗った時にはたぶん泣いて親を恨んだと思う。ほかにも回転するコーヒーカップもあったし端には幌屋根つきのゲームコーナーがあった。今思えば子ども騙しのピンボール型の長方形のゲームだが、それはかつて麓山にあった「児童文化会館」や「磐光パラダイス」に置いてあったゲームに似ていた。

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 丸光のCM「愛のある街」のCMソングはコチラ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=dluHdvOe1Y8

 「うすい」と「丸光」は特に古くからあったため、思い入れが強いデパートだった。
 
 一方「津野デパート」は窓がない総銀張りの外観でいかつい印象があった。駅前大通りと国道4号線の北東側の角にあった。1987年に廃業し、その後「第一イン」というホテルになった。
 ここは呉服屋的な位置づけで、婦人服や着物を扱っていた。私は中高の学生服を設える際にお世話になった。当時は「トンボ学生服」と「富士ヨット学生服」が人気を二分していた。その取扱店というイメージしかない。
 その真向かいには「丸藤」という婦人服専門のスーパーもあった。

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 この津野デパートは市街地一円に土地を持つ大地主で、津野一族として名家だった。
 
 その後、昭和52年頃に、百貨店競争が過熱する出来事があった。本店が東京にある全国チェーンの大型デパートがこぞって郡山に進出した。ご存知の通り、それは郡山駅が新幹線の停車駅となり、駅舎が建て替えられる頃の話で、駅前には「西友」、「丸井」が出店し、駅前の風景はガラリと変わってしまった。
 また、大手スーパーの位置づけだった「ダイエー」が来た時には、地元のスーパーや「うすい百貨店」は警戒を強めた。しかもダイエーは売り場面積が大きく、駅前の大町の一等地に店を構え、しかも当時は斬新な本館と別館を渡り通路で結ぶ作りだった。郡山市民は買い物の選択肢が増え、駅前は活性化し人通りも多くなった。東北有数の商都と呼ばれるまでになった。

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 しかし、その後、地元の「うすい」と「ダイエー」の安売り合戦が過熱し、客の争奪戦が展開された。結果的に昭和の終わりにはダイエーが同系列のディスカウントストア「トポス」に身売り。それよりも前に西友ストアが百貨店色の濃い「西武デパート」に切り替わったが、集客が思うように伸びず採算が合わず、共倒れの様相が明確になり、結果、平成に入り、西武と丸井は撤退し、トポスも閉店に追い込まれた。

 そして、市民に根強い人気があった「丸光」「津野」も閉店に追い込まれた。その後、校外の大駐車場を構える「ジャスコ」が日和田に完成。旧日東紡跡地に「THE MALL郡山」が出店し、客足が取られる形になった。イオン系列のスーパーセンターである「イオンタウン」が駅の東口に完成し、客の分散化が進んだ。
 私はダイエーは気に入っていた。しかし、売り場面積が各フロアともに狭く、敷居の高い「丸井」はあまり訪れた記憶がない。 
 「西武」はNゲージやレコードを買い求めに行った記憶がある。何より、駅前に面したガラス張りのエレベーターが当時は珍しく、またエレベーターガールが一番可愛かったことから、小学生時分には、わざわざエレベーターを乗りに行った記憶がある。

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 さて、いろいろと書き綴ったが、これほど駅前周辺にあった映画館とデパートは、思い入れが強い。それは小中高と郡山で学生生活を送った私にとって、駅前は刺激が多く、いろいろな誘惑があったからだ。見るものすべて新鮮で、活力があった。
  それにしても残念なのは、昔はデパートには付き物だった「アドバルーン」を見かけなくなったことだ。空高く舞い上がり、遠くからでも「セール」を認知できたのに・・・。

 最後に、本記事で掲載した箇所以外で、私がよく通い詰めた駅前の店を挙げて結びとしたい。
 
 チロンヌップ アメリカ屋 BLUE HOUSE  靴のタカマツ 山の井
 郡山中央スケートリンク トイスかんの 東北書店 ワタナベスポーツ
 松英堂(楽器) 角海老 
 

 サービス映像 「昭和45年の郡山」

 でこ屋敷、昔の郡山駅、FCT、三森峠の古代の村、染本ホテル、うすいの店内と屋上などが登場します!
 
 記事作成:1月25日(木) 

2018年1月20日 (土)

郡山の魅力再発見!51 ~知られざる条例~

 世間一般の人にとってみれば、普段の生活の中で基本的な法令を知る機会など皆無といって等しい。たとえば、軽犯罪法や自転車も対象となる道路交通法、刑法、民法など、うっかり知らなかったでは済まないような重要法もある。日本では、大学の法学部など一部の人だけしか法律や法令、条例、規則などを専門的に学ぶ機会はないにもかかわらず、日本人の多くは日常の集団生活において、周囲とのバランスの中で自然に規律を守り、秩序ある生活が送れているのは奇跡に近い。

 しかし、前述したように、知らなかったでは済まされないのが法令だろう。たとえば、普段から車の運転で、平気で20km/h以上の速度違反をしていて、捕まらないで過ごしてきたドライバーが、たまたま「ねずみ捕り」で引っかかり、30km/h以上オーバーの違反でえ検されたらどうなるか?反則金の青切符ではなく、一発免停となる赤切符となる。赤切符をもらうと、立派な「前科」がつくことになる。もちろん、交通事故で相手を死亡させた場合もどう同様だ。つまりこれらの行為は、犯罪者としてのレッテルが貼られる。これでは「運が悪かった」で済む問題ではない。無知が故の失敗ということになり、人生の汚点となることは言うまでもない。

 最近、煽り運転が社会問題化し、高速道路で急停車し、追い越し車線で無理やり停車させ、事故を誘発させたとして、逮捕された重大事故があった。このような煽り行為は動画サイトに山ほどアップされており、このようなケースは氷山の一角で、常態化していると思われる。この件を重く見た警察庁は、先日、全国の所轄警察署に「煽り運転」を厳しく取り締まる方針を固め、通達を出した。法令を知らなかったために、人を死に至らしめ、一生償うことになろうとは思ってもみなかったに違いない。

 日本の教育は、小学生で道徳という科目は存在するが、学力向上ばかりを重視し、人として社会生活、共同生活、集団生活を送るために最優先されるべきことをおざなりにしているように思われる。
 しかるに、義務教育の時分に、基本的な法律について学ぶ機会が必要かと思う。やっていいこと悪いことの分別をしっかり身に着けさせ何をすればどういう罪に問われるのかを知識や教養として習得させなければならない。

 最近、動画サイトでは、いい大人が悪戯や悪ふざけで法に触れる馬鹿げた行為をしでかして、さもひけらかし、自慢するかのようなろくでもない大人が増えつつある。無差別に人を殺し、「人を殺してみたかった」などという身勝手な言い訳をさせないための法の枠組みが必要だ。善悪の判断をしっかり幼少期から植え付けさ、社会に出してほしいと
切に願う。そういう教育をぜひ実現して貰いたいと思う。

 それでは、我が街・郡山市に存在する市町村の法令である「条例」について取り上げたい。 
 条例と言えば、「青少年健全育成条例」や「迷惑行為等防止条例」などが有名だが、わが街にも、警察官や弁護士以外、市民の9割以上が知らないであろう条例が存在する。他県で許されても本県では違法行為となるようなものだ。それは「サンダル履きで自動車を運転してはならない」という交通法規のような類から、18歳未満の若者の外出時間の制約など多種多様にある。
 ちなみに、ヤフーで「郡山市の条例」で検索をかけると、多くの項目がヒットする。
 その多くは市議会で審議され、制定されている。郡山市の条例をピックアップしてみると以下のようなものがある。
 
 1 景観づくり条例
 2 郡山市税条例(住民税額を決める)および施行規則
 3 郡山市手数料条例
 4 郡山市職員等の旅費に関する条例
 5 郡山市立公民館条例
 6 郡山市下水道条例
 7 郡山市個人情報保護条例
 8 郡山市文化施設条例
 9 郡山市子ども第一条例(制定予定)
10 郡山市障がい者差別禁止条例(仮称)
11 郡山市廃棄物の適正処理、再利用及び環境美化に関する条例
12 郡山市屋外広告物条例および施行規則
13 郡山市総合地方卸市場条例
14 郡山市自転車等駐車場設置条例
15 郡山市自転車等の放置防止に関する条例
16 郡山市廃棄物の適正処理、再利用及び環境美化 に関する条例
17 郡山市旅館業条例
18 郡山市ふれあい科学館条例施行規則
19 郡山市保育所条例
20 郡山市手話言語条例
21 郡山市地域交流センター条例
22 郡山市印鑑条例
23 郡山市病院条例
24 郡山市斎場条例
25 郡山市名誉市民条例

 一挙25個の条例を例示したが、これらは近年に制定されたほんの一部で、ほかにも例規集なるものまで存在しているが、郡山市役所の職員や地元の警察官すら知らないであろうものまで盛りだくさんだ。
 感じることは、日本人はどこまで細かくかつ手厚く快適な生活のために法案整備を進めているのかということと、反対にお節介なまでに、どこまで細かく規制すれば気が済むのかということだ。これが秩序を保つ秘訣なのか・・・。

 ところで、市民は一体どこに行けば、こうした条例の条文を見ることができるのだろうか。一般市民はまったくこんな条例があること自体、初耳だろうし、回覧板などでまわってくる広報誌「広報こおりやま」や「市議会だより」にも一切報じられていないし、知らされる術もない。
 しかし、条例で定められている以上は、それに抵触すれば摘発され法令の名のもとに罰せられることとなる運命なのだ。

 郡山市の条例(例規集)を閲覧したい方は下のURLをクリックしてください。

 http://www1.g-reiki.net/koriyama/reiki_menu.html

 さて、みなさんは、自分たちが暮らす市町村の法令である「条例」をいくつご存知でしょうか。今回、初めて目にしたものもあるに違いない。そんなもの知らなくても普通の生活になんら支障はないが、自分が違法行為を知らず知らず行っている可能性も十分あり得るとい
うことがおわかりいただけたと思う。

 時々、人が社会生活を送る上でもっとも大切な法律に触れる機会を作ってみてはいかがでしょうか。コンプライアンス(法令順守)の意識を高揚させるだけでも防犯効果があると思う。
 かくいう私も、45歳のときに、母校である東京にある大学の法学部の通信課程に再入学し、法律を学んだ経緯がある。訴訟などはないにこしたことはないが、知らなかったで済まされないように、知識を得ようという意図からだ。

 今回の記事が、皆さんの生活に少しでも役に立てればありがたいと思う。


 記事作成:1月17日(水)

 

 

2017年11月28日 (火)

郡山の魅力再発見!50 ~天使の歌姫現る~

 我が街・郡山が生んだ天才歌姫を今日は取り上げたいと思う。彼女の名前は「熊田このは」さん。なんと市内にあるナンバースクールに通う中学3年生。学校では合唱部に所属し、その天使のような歌声は、日本国民を魅了した。NHKののど自慢大会でその存在が知れ渡り、カラオケバトルでグランドチャンピオンに輝いた逸材。将来が楽しみだ。

 プロフィール:2002年11月2日生まれの15歳

 まず、彼女の歌声がいかに素晴らしいか、この動画を見ていただきたい。中学生には思えない落ち着いた話し方、そして美しい響き。

 「ひだまりの詩」

 ひだまりの詩 

 では、テレビ初出演となった「NHKのど自慢大会」で歌った「未来へ」をどうぞ!

 カラオケバトルで優勝した「YELL」

「2016年U-18春の新人戦王者」
番組に応募し続けること1年半で遂に念願の初出場をはたした福島の中学生。
そこで、U-18四天王も成し遂げられなかった「初出場で予選・決勝99点台」の超高得点を獲得し見事優勝。今後四天王との対決が楽しみな期待の新星。

 「見えないスタート」 https://www.youtube.com/watch?v=bG7FAKPBW5s



 生きてこそ

 ルックスも1980年代アイドルの島田奈美を彷彿させる可愛らしさ。

 路上ライブ(大阪・梅田)

 「明日への手紙」 https://www.youtube.com/watch?v=QKC_kb1kd5s

 「ありがとう」 https://www.youtube.com/watch?v=UHcMOXIFVqk

 「ただ泣きたくなるの」 https://www.youtube.com/watch?v=X2mq3aQ8598

 着物を着て中島みゆきの「糸」を熱唱

 「月のしずく」 https://www.youtube.com/watch?v=Aa7FZpJfbmU

 「手紙 ~拝啓 十五の君へ~

 YouTubeを見るまで、こんなに将来有望な歌姫が同じ街に暮らしていることを知らないでいた。まだ14歳の彼女だが、これだけの歌唱力があれば実力派シンガーとしてやっていけると思う。我が郡山には高校生モデルの箭内夢菜さんもいて、芸能界への門戸もますます開かれ、地元の中高生の希望の星と言える。ぜひ彼女たちの成功を祈ると共に、彼女たちに続くスターがどんどん登場して欲しいと願う。

 最後に、私が好きな「ひまわりの約束」をどうぞ!

  ブログはコチラ https://ameblo.jp/konohakumakuma/

 Twitterはコチラ https://twitter.com/konohakumada

 記事作成:11月25日(土)

2017年9月24日 (日)

郡山の魅力再発見!48 ~郡山の城館スポット~

 かつて当ブログで「郡山の魅力再発見!⑮~郡山城の所在ミステリー~」という記事を書いた。城下町でもなく、単なる奥州街道の宿場町だった郡山だが、ここ郡山には、意外にも判明している分だけで約190か所もの城館があったとされる。中には城とは呼べない陣所や詰め所のような場所もあったが、福島県内の他の市町村と比べても、その城の数は多いほうと言える。そんな中、私が興味を持った場所を5つ取り上げたい。

 1 現在、小学校が建つ城跡

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 そこは大槻小学校だ。ここはかつての大槻城の跡地に建てられている。昭和55年、小学校の改修工事に先立って行われた発掘調査で、堀、土塁、礎石建物などが発見された。堀は幅が20m以上ある防御能力を高めた大規模な遺構だった。
 1590年に中通り南部と中部が蒲生氏郷の領地になると、大槻城は氏郷の本城である会津若松城の支城となった。

 参考:「城跡ほっつき歩記」の詳細はコチラ

 2 郡山館

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 前回の記事で「陣屋跡」と紹介したが、古地図によると「郡山館」というのが正式らしい。そこは現在、うすい百貨店の東隣りの寿泉堂病院があるシティタワー。郡山館の中心となる曲輪(くるわ)は、現在でも周囲より高くなっているため、それと判別できる。その南側半分がシティタワー建設で失われてしまった。一方で、高層建築物のない北側半分は、その地下に遺構が眠っていると思われる。
 1588年6月、佐竹・蘆名両氏の連合軍が郡山館を攻囲したため、伊達政宗は建て主の郡山氏救援のため、自ら出陣する。そして7月に講和が成立するまで、両軍は逢瀬川を挟んで対陣する。郡山合戦だ。これを機に、富久山久保田にあった「久保田館」も伊達方の最前線の拠点となったことで、今後の合戦に備えて改修している。伊達政宗もたびたび、この地を訪れていた。戦国時代の英雄として登場した彼が、平定のためこの郡山市に足を運んでいたのだ。

 3 山王館

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 1588年の郡山合戦の際に築城された城は多い。富久山町久保田にある山王館もまた伊達成実が建てた陣所だ。2で触れた久保田館の北西500m、久保田集落西側の小山の上にある。佐竹・蘆名連合軍が伊達方の郡山館を包囲した際に、その様子を視察するために「山王山」に上った。敵軍がこの山方面に来襲すると予想した政宗が重臣の成実に築城を命じた。
 現在その場所はそれとわかる森に覆われており、日吉神社の背後に立派な土塁も現存している。山王館は政宗の予想通り、合戦の舞台となった。蘆名軍が撃退され、合戦の舞台は久保田館と郡山館の中間地点へと移る。その戦で政宗の家臣の伊藤肥前が討ち死にしてしまう。山王館には肥前を顕彰する碑が移設された。
 郡山合戦の舞台となった富久山周辺にはこうした城館が多く、ほかにも同町福原には「福原館」があった。北小泉を渡し舟で結んでいた阿武隈川のほとりに建っていた。現在は288号国道バイパスの橋が架けられている南側だ。合戦を機に福原館は伊達政宗に接収され、その南に政宗の本陣が置かれた。そこが今「陣場」という字名が残ることからその謂れが窺い知れる。

 4 富田町にあった2つの城館

 私が居所からほど近い富田の地に2箇所も城館があった。ひとつは毎週のように食べに訪れる「まるまつ」から至近の「水神館」と今は亡き祖父が晩年暮らしていた希望が丘に隣接した「向舘」だ。今も地名として残っている。
 まず、「向舘」は49号線の西側、富田町の集落から逢瀬川を挟んた対岸に富田氏によって築城された。戦国期の郡山の安積周辺は大名の係争地であった。富田周辺は蘆名氏の影響が強く、富田氏は臣従したとされる。蘆名家中で頭角を現した富田氏は重臣となったようだ。

Suijinpark Suijinpark2

 そして「水神館」は現在の郡山ICの目と鼻の先にあり、隣りには「福島県擁護教育センター」(旧名は郡山擁護学校)がある。水神という地名はそのまま残り、その名を冠した小公園があり、城館がそのまま森に囲まれ公園化している。ただし舗装道路工事により、遺構の一部が損壊している。公園とセンターの間の道路が掘切だ。城内は丘陵を三段の平場に整備されていて、中央と西手の平場の縁には土塁が築かれてある。その角地が狭くなっており、櫓が建てられていたと想像できる。

「城跡ほっつき歩記」の「向舘」はコチラ

「城跡ほっつき歩記」の「水神舘」はコチラ 

 5 城や館があった町

 最後は別個ではなく、どの町に何があったかを記したい。前述した場所は除く

 安積町・・・佐々河城、篠川御所、荒井猫田遺跡
 熱海町・・・安子島城、高玉館、母成峠防塁
 逢瀬町・・・栗生館、大久保館、多田野館、高館
 片平町・・・片平城、片平下館
 湖南町・・・鞍馬館、横沢館、小倉山館、新城
 小原田・・・小原田館
 大平町・・・大平城
 喜久田町・・・前田沢館
 田村町・・・宇津峰城、守山城、守山藩陣屋、御代田城、正直館
 中田町・・・下枝館、中津川館 
 西田町・・・鬼生田館、木村館
 日和田町・・・日和田古館、日和田館、高倉館
 三穂田町・・・片岸館、下守屋館

 いろいろ調べてみると、意外な事実に突き当たるもので、だから郡山在住期間が長い私でも知らないことがまだまだある。「温故知新」を地で行く企画として「郡山の魅力再発見」を数年前から掲載している。しかし、最近、KFBで池田速人アナが同名のコーナーを夕方のニュースの中で始めた。こちらが元祖だということを断っておきたい。

 参考文献:郡山の城館(歴史春秋社)

  郡山の城館 http://www.geocities.jp/sisin9monryu/fukusima.nakatoori.html

 記事作成:9月18日(月)

2017年8月18日 (金)

郡山の魅力再発見!47 ~伝説の場所~

 久しぶりにこのテーマで記事を書く。我が街・郡山には伝説に残る場所が幾つもある。古くは静御前が義経を追って、この地で自害した曰くつきの場所があったり、あるいは江戸時代にかの有名な松尾芭蕉がこの地を訪れた足跡が残っているなどだ。しかし、今日、取り上げたいのは昭和以降の比較的新しい時代に、歴史や文化に残るような第一歩を記した場所で、多少独善的でマニアックな内容かもしれないのであしからず。

 ~オノ・ヨーコが歩いた残した爪痕~

 ① 郡山駅1番ホーム

 郡山駅の在来線1番ホームは、在来線の改札を抜けて、地下道を行かずに、そのまま磐越西線乗り場に向かう低くて短い階段がある場所。実はここを1974年、「One Step Festival」に出演するために当地を訪れたオノ・ヨーコがファンにもみくちゃにされながら歩いた場所なのだ。オノ・ヨーコは語るに及ばないと思うが、ザ・ビートルズのメンバーだったジョン・レノン夫人だ。アメリカ一有名な日本人となった彼女が、いわば凱旋して訪れたのが郡山だった。彼女を迎え入れた郡山駅は騒然となった。その時の貴重なフィルムが下。
1分32秒後からどうぞ!

 現在の郡山駅在来線改札口から一番乗り場を望む

Koriyamaeki2 Koriyamaeki1
      1番線ホーム側から見た中央改札口
Koriyamastation


 ② 開成山陸上競技場

 1974年に日本を代表するロック歌手やバンドが、開成山公園陸上競技場に設けられた特設ステージで生演奏を行うロックフェスティバルを開催し、全国から数多くのロックファンが郡山に集結したのだった。そこに彼女も出演したのだった。
 この恩ステップフェスティバルは、その後の日本のロック界を変えたと言える一大イベントで、矢沢永吉率いる「キャロル」や沢田研二の「ザ・タイガース」、「サディスティック・ミカバンド」など一流のミュージシャンがこぞって郡山へやって来て、5日間連続で演奏した夢の競演でもあった。ジョンレノンは当時、ベトナム戦争の反戦運動に参加し、平和へのメッセージソングを歌っていて、オノ・ヨーコもその影響を受けた。

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 現在の開成山陸上競技場

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  我が街「郡山」にも人々の記憶に残る伝説のスポットがあって嬉しく思う。1974年と言えば私は10歳の小学4年生。およそロックとは無縁の生活を送っていたが、私の実家の前をオノ・ヨーコが通り、開成山であの伝説のステージを繰り広げたかと思うと、感慨深いものがある。
 次回、開成山公園を訪れる際に、今から43年前に、全国のロックファンを熱狂させた伝説のロックフェスティバルが行われたことをぜひ、思い出して欲しい。

 記事作成:8月6日(日)

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